「ここ、座っても良い?」
「う、うん──。ど、どうぞ」
テリーは落ち着いている分、堂々と話しかけているように思えた。
だけど、小夜は……なんだか『後ろめたい』。
やはり、どこかで『不当に大佐室に出入りを許されて、彼女の仕事を横取りした』という気負いがあるのかもしれない。
だけどテリーはとても静かに……むしろ自然に、小夜の前に座った。
「今、そこで柏木中尉と一緒だったのよ」
「え、ええ。見えたわ。澤村中佐が来る前だったから」
確かに二人が一緒にいるのは珍しいから気にはなるが、何故かって聞き出す気にはなれなかった。 だけど、次には『柏木と一緒だった』のは、どうしてか──それをテリーが話してくれる。
「実はね。今、柏木と話していて……。『同期生で集まろう』と言う事を言い出しているらしいのよ」
「は? 同期生?」
「といっても、今回、海野中佐に選ばれたメンバー内でって事。つまり……柏木が言うにはこういう事らしいわ? 大佐室の三人に言われてから動く部下でなくて、察して動ける部下になれるように努力してみよう……。それはどうすればいいか。それは皆で考えてまとまっていかなくてはいけないから、一度、試しに話し合ってみよう。ですって。テッドもそれに賛成したとかで、それで彼が声をかけているみたいなの。丁度、小夜がいたから、だったらあなたには私から言っておくってことになって──。でも、わざわざ集まろうなんて、真面目な彼らしいわよね」
そこでテリーが珍しく、小夜の前でクスクスと笑い出した。
先程、柏木君と向かい合っていた時のように……。
同じ話で笑っていたのか……と、小夜は思った。
だとしたら──今、目の前にいるテリーは、小夜が知っていた以前のテリーより明るくなって、人と対する構えも以前より柔らかくなっている気がした。
(そうよね。私達だって、少しは変わっているはずだもの)
社会に出て、そんなふうに人と人の間で生きていく事に慣れては来ているのだろうから……。
テリーだって、そうして以前のような『取っつきにくさ』は変えてきたのかも知れない。
今、目の前で小夜に柔和に接しているテリーを見て、そう思った。
そんな『皆で集まろう』と伝えに来てくれたテリーを見て……。
小夜はふっと俯いた。
「小夜? どうしたの? 嫌なら嫌と言った方が良いわよ。私は話し合いはともかく、皆で食事に行くのは楽しそうだから、気分転換にはいいなと、思っているけどね」
「違うの」
「え?」
次には顔をあげて、小夜はテリーに言う。
「あのね……。テリー! ご、ごめんなさい」
「は? やっぱり、集まるっていうのは嫌なの? 日本人らしい気はするんだけど? 私としては、男性ばかりだから小夜もいた方が……」
「違うの! もっとそれ以前の事よ」
「……あ、小夜。まだ気にしているの? アシスタントの事」
「だ、だって……」
すると、またテリーが目の前で『クスクス』と笑い出した。
小夜はそっと顔をあげて、大きな瞳を緩めて笑いっぱなしの彼女を見た。
彼女はキリリとした涼しげな美人なんだけれど、笑うと急に陽気な南国的な美人に変身する。
肌の色のせいだろうか? 白っぽい小麦色の……カーリーヘア。大きな瞳にばさばさのまつげ。
これが本来の彼女のような気がするが、仕事をしている限りでは、このイメージはどうしても後回しになってしまうだろう──テリーはそういう女性。
だから彼女が笑っている顔を、小夜は物珍しく眺めているだけになってしまっていた。
その笑っていたテリーが一息付いて、話し始めた。
「そりゃね。小夜が私にしつこく『取り次いで』と迫っていた時は、正直、ウンザリだったわよ」
小夜は『うっ』と、唸った。
あの時はあの時で真剣だったのだけど、心の波が落ち着いてから振り返ると──『かなり』、非常識だったと自分でも反省しているから。
「そして、まんまとアシスタントになってね……。本当に『運の良い子』と思ったの。小夜だってそうなのでしょう? 願いが叶って、気持ちが満たされた途端に目が冷めて、『皆がそう見ている』と知って……それで、私に何回も謝っているのでしょう?」
「うん、そうなの」
その通りの心理状態で、小夜はうなだれた。
「この前、こうして謝った時も、テリーは許してくれたけれど……」
「私に謝っても無駄よ」
「え?」
「小夜がした事は、誰に謝っても、貴女自身の事を自分で許せたり、納得ができなくちゃね」
「!」
「私は言ったわ。その件については『もう、なんとも思っていない』って──。私がそういっても、まだ気にしているというのは、どこかで周りが許してくれない事を分かっていて、誰かに『許してあげる』と言って欲しいだけじゃないの?」
「!!」
随分とはっきりと言ってくれるが、小夜としては『目からうろこ』と言った感じの驚きがあった。
目が覚めるような──。
そうだ。小夜のチャンスの掴み方をどこか冷ややかにみられている事──。それを知ってまずは横取りをしてしまっただろうテリーに謝った。それでもまだ心が痛かったのは、テリーに謝っても、周りが許していない事に気が付いたからなのかも知れない。
それで……また、側にいる彼女に謝っている……。自己満足だったのかと──。
だけど、そこは真顔で言い切ってくれた彼女も、次にはまた、あの太陽のような笑顔を見せてくれた。
「だけど、小夜……良くやっているわ。最初はどうかと思ったけれど『あの通信科の研修』から逃げ出さなかった時点でかなり本気だったと、証明されているわよ。それに、『駄目だ』と評価されたなら、今頃、大佐室に出入りを許されていないわ。あの澤村中佐が経理に返さずに、『側に』と認めてくれたのよ? 貴女の『チャンスの掴み方』は、今回はいただけなかったかも知れないけれど、ちゃんとチャンスを物にしたわ。掴み方はともかく──その後の貴女の頑張り、私、尊敬しているつもりよ」
「テリー……」
この前の『ごめんなさい』と言った時、彼女が許してくれたのは、どこかまだ『建て前』かと思っている部分があった。
でも──今日は違う。
テリーは気に入らなかった点もちゃんと正直に言ってくれて、その上で『その後は良かった』と評価してくれたのだから。
小夜は感動で、また俯いてしまった。
「あんなに澤村中佐に期待されているんだから、大丈夫よ」
「期待?」
「そうよ……。あなた、海野中佐にも選ばれたじゃない。御園大佐だって、あの時、貴女のぶつかり方はともかく『チャンスを!』という意気込みと真剣さをちゃんと見抜いていたんだと思うわ。大佐は貴女が戦力になって『思わぬ収穫』と思っているはずよ」
「そ、そうかしら」
「あら? 貴女にしては謙虚ね。自信持ってよ。それにね──この前も言ったけれど、私、本当に御園大佐の補佐をしたかったの。もうずっと前からよ」
「……テリー。仲良いわよね……御園大佐と」
なんでだろう? 小夜はちょっと羨ましげに呟いてしまっていた。
大佐嬢の事は『いけすかない女』だったはずなのに。
すると、目の前のテリーがちょっと驚いたように、目を見張っていた。
小夜も気恥ずかしくなり、俯いていた上にその視線から逃れるかのように、顔を背けてしまう。
すると、また彼女が可笑しそうに微笑んでいた。
「やだ──。それを言うなら、貴女だってあの澤村中佐と仲良いじゃない? 私はあの男性とはあんなふうには向かえなかったもの。御園大佐に『感情的にさせてくれ』と言われていたけど、だいたいがかなり怒らせる事しかできなかったけど。見ていると、貴女と澤村中佐って言い合いながらも最後には笑っているじゃない? 羨ましいのはこっちよ」
「そ、そうなんだ」
「人ってそんなものよ。自分が出来ている事に気が付かず、人が出来ている事が自分にはないように思えて羨ましくなったりね。私なんてしょっちゅうよ」
「そう、なの……? テリーが?」
「そうよ。そんなに良い子じゃないわ。私だって、人のいろいろな事が、羨ましくなったり、そんな自分が嫌になったりの繰り返し……」
「でも……私も、そういう事は思い当たってばかりかな?」
「だから、人って誰もがそんなに悪い人ではないのだけど。だからこそ、自分が『妬んでしまう嫌な人間』になりたくなくて、自分の正当化が出来る理由を無理矢理探して、それを大義名分にして正義感の如く相手に叩きつけて、それで『密かな妬みを消化』したりするのよ。私は、そうはなりたくないわ。だけど……自分がすぐに楽になれて、自分は傷つかない安易な道──そして相手を傷つけた事には気が付いていない」
「……な、なるほどね?」
「だから、私もそうならないよう、気を付けているの……」
「……はぁ、テリーがそうなんだから、私はもっと気を付けなくちゃかしら?」
そこでテリーが柔らかく微笑んでくれた。
『お互いにそうよね』という小夜の反応を喜んでくれたのだろうか?
小夜のご都合的な解釈かも知れないけど、そう思えてしまったのだ。
「相手にある事が認められないなんてね。だとしたら、相手になくて自分にある事も、認めてもらえないって事じゃない? そんな考え方よりかは、自分に『ない』けど相手には『ある』事を、こっちから先に認めた方が『気持ちの良い日』が来るのは、早いわよね」
「そうね……。有り難う、テリー。なんだか、気持ちが明るくなってきたわ」
「だったら、良かったわ。それに御園大佐とだって、貴女の明るさだったら、いずれ打ち解けられるわ」
また、あの……南国的な陽気な笑顔を見せてくれるテリー。
彼女がとても大人に見えてきた。
やっぱり──色々な部署にいたせいなのかな? と、小夜は一つの囲いをやっと出たばかりの自分なので、そこはテリーには適わない気もした。
「もう、いかなくちゃ──。それで貴女、今夜、どうするの? 返事だけ『マー』に伝えておくわ」
腕時計の時間を確かめた彼女の気が、ここではない何処かに飛んだように小夜には思えた。
頭の中では『大佐が待っているわ。急がなくちゃ』と仕事の顔に切り替わろうとしている──。その分……小夜の目の前での『構え』が一瞬、解けた気がした。
『マー』って……『柏木君の事?』
彼の愛称であるのは知っている。テッドに他の外人青年達は彼の事を『マー』と呼んでいる。だけどさっきまで『柏木』と言っていたテリーが急にそう言ったのに、違和感が起きた。
「うん。行くって言っておいて。そういう事なら、私も楽しみ」
「OK──。じゃあ、言っておくわね。バイ」
彼女の性格なのか、それともそう言うお国柄なのか?
テリーは途端にきっぱりしているいつもの顔になって、サッと行ってしまった。
「私も、帰らなくちゃ……」
今から、また澤村中佐のお手伝い。
テリーが言うように、周りが冷ややかに見ている事は承知の上、そこをいつ認めてもらえるか? 認めてもらえるように頑張らねばならない。イコール、許してもらえるように……。
それは『誰に謝る』事じゃなく、『全体に示し直さなくては』ならない……いつ許されるか分からない、厳しい事だった。
小夜は……そんな事をやってしまったのだと分かっている。
大佐嬢と澤村中佐の二人は揃って──そんな小夜に『示し直し』のチャンスもくれたのだ。
それから逃げたら『やりっぱなしだけの人間』のまま、言われっぱなしで終わるのだ。
それを『文句』で言い返すのは、一番簡単な事で、直ぐに気が済む楽な気持ちになれる安易な近道──。
その文句自体が『言い訳』で、その時だけ気持ちがスッキリするだろうが、解決には至らない。
これは、以前の小夜が当たり前のように思っていた事で、繰り返していた事だ。
そう……『周りに流される』ように、身を任せ続けて、楽してきただけのことなのだ。
最後に確実に結果が得られるのは、そこを堪え続けて『行動』で挽回する事だ。
小夜も心を強くして立ち上がった。
・・・◇・◇・◇・・・
「これ、各席に配ってくれ」
「はい。中尉」
休憩を終えて、小夜は工学科の会議室にいた。
まだ会議は始まっていない。
今は隼人と達也がマクティアン大佐と一緒に、彗星システムズ一行を連れて、あちこち基地見学に連れて行っているところ。
二人の中佐のアシスタントになりつつある柏木君と小夜の二人で、すぐに会議が出来る準備をしていた。
言いつけられた通りに、柏木君と一緒。
彼はキビキビとしている。
小夜も足手まといにならないように、集中して手伝う。
机の最後にきて、レジュメが一部……足りなかった。
『あれ?』
正面の席から、柏木君とは反対周りで配った。
ふと振り向くと、彼は端まできっちりと置き終わったようだ。
──と、言う事は?
慌てて回ってきた机をみると、やっぱり! 途中で重なっている所があるのを見つけて、それを手にして最後の席に向かった。
『はぁ』
「!」
そんな溜め息が聞こえた。
海野中佐はいないはずだけど、聞こえた。
振り返ると……当然、小夜以外にここにいる『柏木中尉』の溜め息だった。
「……嫌ね。私って本当に」
「……」
笑って誤魔化したのだが……。
彼は冷めた目つきを小夜に突きつけてくる。
(え? 柏木君?)
なんだか、一瞬、ゾッとする程……。
いつもはふんわりとした男の子のイメージを漂わせている大人しい彼に見えなかったのだ。
「相変わらず。気を付けてくれ」
「は、はい。申し訳ありません、中尉……」
皆──階級は違えど、つい最近までは、どこかまだ同じラインにいたような気がした。
ほんとうについ最近まで……。
ところが、葉月が『あの無断欠勤』をして帰ってきてから、急に……後輩を起用するようになって、本部を積極的に大きく動かし始めたように感じた。
そうしてテリーが戻って来たり、同期生の彼等も、葉月や補佐中佐達から次々と仕事を任されるようになり、めいっぱい動き回って仕事を始め、瞬く間に本部員の中心核で活躍をするようになっていた。
そう──なんていうか『遠野大佐』がやってきて、もの凄く活気づいて勢いがあった中隊に戻ってきている気がした。
それでも遠野大佐の時は、その当時いた男性隊員が主要を固めていた。
だけど今度は、彼女と同世代の後輩達が活躍する『御園の時代』がやってきたかのようだ。
その中で、テリーがテッドがクリストファーが、そして柏木君が……次々と大佐室の仕事に関わるように。
元々、そんな仕事を望んでいた小夜にとっては、置いていかれる焦りばかり感じてしようがなかった。
そんな柏木君も、大佐室に出入りするようになってから、急に風格が出てきた。
本当に頼りなさそうなひょろっとした男の子だったのに。
今、小夜が犯したささやかな不注意をたしなめるような姿は、立派な『中尉』そのものだった。
同期生には見えなかった。
……に、しても、ちょっと彼らしくない『怖い目』のような気がしたけれど、でも、彼も黙って準備をしているから、小夜ももう失敗しないように彼の指示通りに動いて手伝いを続ける。
煎茶などを入れたりする事もあるが、今日、海野中佐が決めたのは『ミニペットボトルのミネラルウォーター』。
それも各席に置いていく。
先程の不注意以降は、何事もなく、準備を終えた。
その間、彼とは一言も交わさなかった。
彼は指示をするだけ。
まあ……元より、そういう無口な男なのだ、柏木君は。
だから、小夜も気にせずに集中はしたのだが……。
(疲れたわ)
もの凄い圧迫感を感じた。
なぜ? 澤村中佐といるプレッシャーとは違う気がした。
同期生の男の子なのに?
「お連れしたぞ」
一息ついた所で、海野中佐と澤村中佐が、マクティアン大佐と一行を連れて会議室入りをした。
会議も滞りなく始まり、小夜は隼人のお手伝いの為に、彼の隣の席に座って参加する。
話の内容はちんぷんかんぷんだけれど、隼人が『これをやって』と言ったら、迅速に対応が出来るまでにはなっている。
殆どが『これからのスケジュール』。
これから他の企業との顔合わせがある事を、説明しているようだった。
その会議も、一時間半ぐらい……定時前に終わった。
これで彗星システムズの初めての基地訪問は終わり。
彼等は明日の午前の便で、本島に帰る予定だ。
今からは、常盤課長とその部下達は、最後に大佐室に挨拶に行くとの事で、海野中佐が隼人と一緒に四中隊まで案内をする事になっている。
柏木君と小夜は後かたづけだ。
『益々、やってみたいという気持ちになりました。楽しみにしております』
『うむ。一緒に次世代に貢献しよう』
常盤課長とマクティアン大佐が、握手をしながらお別れの挨拶を交わし合っている。
彼の部下も、マクティアン大佐を取り囲んで、今回の訪問が良かったという話を一緒に始めていた。
そんな歓談のざわめきの中、片づけを始めた小夜の元に、隼人がやって来た。
「吉田」
「はい」
いつも厳しい顔つきを保っている隼人が、とても明るい笑顔。
彼も、ひとつの仕事が終わってホッとした瞬間なのだと、小夜は思った。
その通りだったようで……。
「今回、よく手伝って、頑張ってくれたな」
「え!」
「これからも、頼むぞ」
「は、はい……!」
小夜の肩をぽんと叩いて、背を向けた。
『お前でなくては駄目だ』ではなかったが、それに一歩近づけた気がして、小夜は感動!
おもわずぶるぶると嬉しい身震いを感じたような気がして、小夜はぼうっとしてしまう。
なのに──ちょっと気になる光景が、目の前で始まった。
「澤村君、今回はお疲れ様」
「青柳、お疲れ様」
「あの……この前は、ごめんなさいね」
「あ、ああ。もう、いいよ」
「素敵な島ね。毎日いるなんて、ちょっと羨ましいわ」
「景色は最高だけど、若い女性が流行のOL生活を堪能したいなら、ここの生活は向かいないと思うよ」
「そうね。離島の生活は大変でしょうしね……」
同級生とか言う青柳さんが、課長達がマクティアン大佐と盛り上がっている隙を抜けてきたかのように、隼人に話しかけてきた。
「明日、帰るでしょ。今夜、どこか島らしい食事が出来るところ、案内してくれない?」
「残念──。ごめんな、青柳。俺の仕事、他にもあって……。大佐室の仕事は遅ければ20時でも21時にもなることがあるから……。今回もちょっとな……」
「そうなの……。残念。今回の訪問で、私なりにもイメージが湧いたから聞いて欲しかったのに」
「……そういうのは、課長に言えよ」
「そうだけど……」
なんだか知らないけど隼人は呆れていたが、どこから見ても、慣れた同級生同士の会話だった。
だけど……だ。
「今度、本島にはいつくるの?」
「……さぁ?」
「そうしたら。また皆で集まりましょうよ」
「……そうだな」
なんだか隼人の声が徐々に不機嫌になっているように……小夜には聞こえた気がする?
(彼女の方が、中学生の時に中佐に初恋だったりしてね)
まさか……。この前の小夜のように『狙っているのかな』なんて憶測する悪い癖。
また隼人に『勝手な想像を』と言われてしまいそうだ。
「澤村君って……本当に変わらないわね。女心、ちっとも分かってくれなくて。容赦なくきっぱりしているところもね」
「だから、なんだよ」
なんだか小夜はどっきり。
憶測は大正解なのだろうか? こんな人がいる所で『女心』をひけらかしちゃっているので、驚いたのだが。すると小夜の隣でパソコンの機材を一緒に片づけていた柏木君も、ギョッとした顔で隼人達の方に目線が行ってしまっていたようだ。
「でも……。あの大佐嬢なら、仕方がないわね」
彼女のちょっと残念そうな顔。
でも次には清々しい柔らかな笑顔を見せている。
そんな彼女が、『大佐嬢』について話し始めた。
「あの夜、一目見た時は、年上の粋な男性にされるがままに甘えているだけの、頼りないお嬢様にみえたんだけど。甲板でも大佐室でも彼女は別人だったわ……。化粧っけもないけど、女性らしかったあの夜より、とても凛としていて私には素敵に見えたもの。澤村君が夢中になるのも仕方がないわね」
「うーん……。俺が夢中ってみられるのはなんだかイマイチ悔しいな」
「何を言っているの? ちっとも女心が解らない人が! 澤村君、自分の事が分からない? 女心が解らない分だけ、顔に出ていたわよ。『こいつが気になります』って!」
「えっ」
そこで急に、隼人が頬を染めたように表情を緩めた。
そうして、どうした事か? 彼は小夜に振り返ったのだ。
同じ日に、同じ事『好きでたまらないって顔に出ている』という事を、二度も言われたので、流石に驚いたのだろう?
勿論──小夜は大爆笑したいところだが、なんとか堪えた。
そこで今度は、その青柳さんと小夜の目がピッタリと合ったのだ。
「あら。そちらの彼女は分かっているみたいね。本当、ご馳走様」
「いや、だから……その」
あの隼人が、どうにも行き場をなくした所まで、追いつめられたかのような顔になる。
小夜は思わずニヤリとしてしまい、そして同級生の彼女も笑い出した。
「もう、いいわよ。『昔から変わらぬお堅い感じ』が、あんまりにもシャクに障ったから、しつこく仕返ししただけ。中学生の時もそうだったじゃない? あなたっていつも澄ました顔の『学級委員長』で、『機械クラブの部長』で。あなたに憧れていた女の子って沢山じゃないけど、割といたのよ? なのに、アタックしてもわかってくれているのか、いないのか。とにかく冷たいのよね。全然、変わっていないじゃない?」
「や、やめろよ。こんなところで!」
「うわ〜! 中佐って学級委員長だったんですか! それに無口で冷たい顔していたってかんじ、すぐに想像できちゃう!」
そこで小夜が割って入ってると、彼女は可笑しそうに笑って『でしょ、でしょ』と中に入れてくれた。
「もうね。『俺は、やるべきことだけやりに学校に来ているだけだ』みたな顔で、澄ましていたのよ〜」
「今も、そう。今もそうです!」
「そんな感じだわ、大人になっても、そんな感じ! って、私も思ったもの! 少しは女性に柔軟になっているかと思ったけれど」
彼に憧れた女同士の疎通なのか、二人でやんやと隼人をはやし立てると、流石に彼も逃げ出したそうだった。
それが可笑しくて『女心を返せ』と言ったりしていると、青柳さんが急に……遠い目で隼人を見たのだ。
「……でも。今、思えば。澤村君は、中学生が考えなくてもいいような場所で『大人へ』と急いでいるような感じで、よその世界にいた気がするわ。だからなのかしらね? 高校進学をせずに、軍隊留学をしたのも」
「……かもな」
「違う世界にいる王子様を見ている気分だったわ。とにかく普通の中学生生活をしていた『私達』とは違う事を考えている気がしたわ」
「笑わせるなよ。王子は言い過ぎだ。ただの……へたれたガキだったよ。弱い事ばかりだったさ」
「振り返れば、皆、そんなものよ」
なんだか急に、二人がしんみりした気がした。
だから、小夜も大人しく黙り込み、騒ぐのはやめる。
それに──『かもな』──なんて、同級生の彼女の予想を認めるかのように、隼人も遠い目をしていた。
(中佐に……? フランス航空部隊への進学を駆り立てる程に、思い詰めていた事があったのかしら?)
そう思ったが、また『勝手な憶測』になってはいけないので、小夜も自分の中で流した。
だけど、目の前で、あの隼人が彼女に手を差し出していた。
「そうだな。俺達、同窓生だ。これからもそこは大事に一緒に頑張ろう」
「有り難う。澤村君」
隼人の警戒が解けたかのように、小夜には見えた。
二人が新たな関係を始める事を決したかのように、握手を交わした。
「それでね、澤村君。お願いがあるの」
握手を交わした途端に青柳さんの顔つきが、いつもの『キャリアウーマン』の顔に変わったように小夜には思えた。
「は? もう、勘弁してくれよ」
「ええ。『殿方の気持ち』は、よーく解ったわ」
「だからな、青柳……」
隼人はなんだか、同級生の彼女を説き伏せたそうだったが、彼女の方は確固たる表情を崩そうとはしない。
そうして、その勢いのまま、何かを言おうとしている隼人を押し切るように言い放った。
「私、絶対に負けたくない女がいるの。その女に仕事で絶対に勝ちたいの」
「!?……だから、そういう感覚は」
「大佐嬢とお話をさせてくれない。一対一で」
「は?」
「後は『女同士の仕事』よ。どうしてくれとは言わない。大佐嬢と向き合ったら、自分で何とかするわ。紹介だけして」
そして彼女の目が輝いた。
その輝きに、同性の小夜もドキッとしたぐらいだ。
隼人もその目つきに迫力を感じたのか、一時、黙り込んでしまっていたのだが──。
「……解った。彼女に言うだけ言ってみよう」
「有り難う」
彼女の揺るがない強さを秘めた目に、隼人が真剣に答えていた。
小夜は……その妙に迫力を醸し出したやり取りに、すっかりのまれてしまい固まっていた。
「青柳がなにかを狙っているとして、それが良いか悪いかは、俺の上官が判断するだろう。そうすれば、俺はそれに従うまでの『側近中佐』だ」
「なるほどね? 『俺が信じている上官なら正しく判断』し、私の考えが『愚かな物』であれば、それも彼女が阻止すると信じての事ってわけね」
「そうだ。どうせなら『惚れている女の判断だから』──とも、『今回』は付け加えても良いぞ」
こんな時に、隼人は意地悪そうにニヤリと笑ったのだ。
だが、その隼人の微笑みを見て、同級生の彼女も同じように不敵な微笑みを浮かべた。
「益々、燃えてきたわ。絶対に、大佐嬢を落としてみせるわ。それに──貴方が惚れた女とやらが、『私の話』を聞いて、どう反応するか楽しみだわ」
「──言っておくが、妙な女の感覚には乗らない質だぜ」
「そっちの方が好都合。それに、もう、男性には触って欲しくないわ」
「……!? いったい」
「だから、澤村君も『もう、気にしないで』ね」
「!」
「それじゃあ、よろしくね」
彼女は妙に自信満々といった感じで、今度は彼女が隼人を切り捨てるように、フイッと背を向けて行ってしまった。
「な、なんでしょう……。ちょっと怖かったです……」
「な、なんだろうな?」
小夜もちょっと茫然としていたが、隼人もいつのまにか彼女に押されるまま終わってしまった事に、茫然としているようだった。
『澤村中佐、いくぜ!』
「あ、ああ──了解! 吉田、あとは頼んだぞ。ああ、それから今の話、見通しがつくまで『口外禁止』──」
「分かっています」
海野中佐に呼ばれて、隼人はサッといつもの姿に戻っていく──。
小夜も気持ちを切り替えて、柏木君の側に戻り、片づけの続きを始めたのだが……。
「あんなふうに、上官とお客様の会話に割って入るか? 普通……」
また、彼が呆れている大きな溜め息をついたのだ。
小夜は、どうしてそんなに苛ついているのだろう? と、彼の思っている事を計る事が出来ずに黙るしかない。
すると彼が、また準備をしていた時に見せた、『彼らしくない怖い眼差し』を小夜に突き刺してきた。
「調子に乗るな」
「!」
小夜の胸に『ずっきん』と痛みが走った。
分かっている……。
そう言われても仕方がない、『今』は。
小夜はグッと堪えて、無言で彼の隣で片づけを手伝った。
泣きたいけど、泣いたら負けだ。
でも? 彼はこういう人柄ではなかった気がする。
どちらかというと、テッドの積極性に任せていたような大人しい男だったはずで、もし、自分の主張があったとしても黙っているタイプだ。
だから意思表示だって、そんなにはっきりしていない。
その彼が、こんなに意志を露わに。しかも──小夜には『憎しみ』のようにも思えてしまうような目つきだった。
彼が急に変わった気がする?
思い当たる事はまったくない。
だが、小夜は──。この夜に集まることになっている食事会で、彼のその『憎しみ』を知る事となってしまう──。
・・・◇・◇・◇・・・
20時頃──。
隼人はまだ大佐室のデスクに向かっていた。
大佐嬢はだいぶ前に帰宅したし、達也もちょっと前に帰路についた。
隼人はと言うと──。彗星システムズとの仕事が一段落し、ホッと一息つきつつも、まだ手を緩める事が出来ずに、こうして一人で大佐室に残っている。
どうした事か、今日は近しい後輩達が揃って早めに切り上げて帰ったようで、本当に一人残っているという状態だった。
だが、隼人も直に終わりそうな所まで来ていた。
後はいつも通り、自宅ですればよい……。
家に帰ったら『今夜はあれを食おう』と頭に描く。そんな余裕も出てきた頃だ。
そんな時、手元に置いてあった携帯電話が鳴ったので、それを取ってみる。
連絡してきたのは後輩のテッド──。
「どうした? テッド……。え? 大佐なら、だいぶ前に退出したぞ」
耳を澄ましていると、向こうの後輩の声が妙に慌てていた。
そっとそのまま、後輩の説明を聞いていると……。
「分かった。俺もそっちに行くから」
隼人は制服の上着を手にして、サッと立ち上がった。
『吉田がいなくなった? どういう事だ?』
なんでも食事をしていた最中に、何があったか知らないが、彼女が飛びだしていったらしい。
様子を気にしたテリーが、彼女達の下宿先である女子寄宿舎に戻っているか確かめに行ったが、いない……との事だった。
なにやら感情的になっていなくなったとの事で、特に『テリー』が、あの落ち着いているテリーが、とても狼狽えていると言うのだ。
詳しく聞いている暇はなさそうだと判断した隼人は、とにかく『そこに行く』とテッドに告げたところ……。
すると、手に握ったままの携帯電話が、また鳴った。
隼人は小夜かも知れないと思い、着信表示も確認せず、とにかく出てみると──。
『隼人さん。私よ』
「葉月──? どうした」
どちらかというと冷めたお付き合い型である恋人から、こうして連絡が来るというのは珍しい事だ。
「悪い。今……急いでいて。帰ったら聞く」
そんな恋人だから、ここで切ってしまっても、後で充分に理解してくれるだろうと、隼人は電話を切ろうとした。
『まって! 来ているの、彼女が』
「は? 彼女?」
『吉田さん……が』
「! ど、どこに?」
葉月が今、何処にいるなんて隼人には分かっているが、あの騒々しいアシスタント娘が、そんな恋人と一緒にいると言う事も、その場にいると言う事も信じられなかった。
だが、その通りの答を葉月が言った。
『丘の……私の自宅よ』
何故──!?
隼人は一瞬、何にも予想する事が出来なくなり、真っ白になる。