-- A to Z;ero -- * 初夏の雨 *

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1.輝きに臨む

「男が一度決めた事は、覆さない! と言う、ポリシーをお持ちですか?」

 そこは教育隊と呼ばれている『第六中隊』のミーティング室。
 そこで中佐二人と大佐嬢は、ほぼ毎日集って向き合っている。

 その中佐二人を目の前にして、大佐嬢が彼等にそう問うた所、彼等が唖然としていた。

「嬢、なんだ? 唐突に」

 直ぐに呆れて、眉をひそめたのは、デイブ=コリンズ中佐。

「ケースバイケースかな。そりゃね、あるよ。絶対に譲れない事。それは覆さないポリシー。それには男女は関係ないと思うよ? お嬢もそうだろう?」

 一番若い大佐嬢の妙で唐突な質問も、すんなりと聞き入れ返答してくれたのは──昨年、秋に『コックピット』を降り、パイロットを引退した小笠原のエースパイロットだったウォーカー中佐だ。

 やはり、いつもどつきあいでぶつかり合ってきた『良きワル先輩』であるデイブとは違った大人の反応に、葉月はニコリと微笑む。
 だが、その『微笑み』は、その大人らしい対応にうっとりしたからではなかった。

「ケースバイケースですね?」
「ああ、そうだよ。それが?」
「嫌な笑顔だ。嫌な! 先輩っ、この笑顔が怪しいんですよ!!」

 そこは流石、毎日一緒にいた『悪友』みたいな先輩『デイブ』の勘の方が勝っていた。

「後輩の為なら、一肌脱ぐと、いつも仰っておりますでしょう? それが私達三人が決めた『志』だったはずですわよね?」
「勿論だよ。お嬢──それがなにか?」
「まどろっこしいな! ハッキリ言え!!」

 おっとりと構えて聞いてくれるウォーカーに、毎度の如く突っかかってくるデイブ。
 そして葉月は、さらに意味ありげな微笑みを、優美に広げた。

「もう一度、コックピットに戻って下さい」

 二人の中年中佐は、そろって眼を見開き、言葉を失う。

「え? お嬢?」
「嬢ちゃん、もう一度言え」

 解っているのに、解っていないふりをしている先輩二人に、葉月はさらに微笑んだ。

「空を飛んで欲しいと言っているのです。お願いします」

 まるで聞き入れてくれるとばかりに、笑顔を崩さない葉月に、二人の中佐は固まっていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 訓練に出る時間は太陽が熱し始める午前、甲板には蜃気楼が揺らめき始める。
 この日も、四・五中隊の空部隊でたった一つのフライトチーム『ビーストーム』が、訓練を開始しようとしていた。

 パイロット達が甲板に整列し、指揮官一行の到着まで待機の姿勢。
 取り仕切っているのは、当然、転属してきた後任キャプテンのミラー中佐。
 そこは『馴染んでない』彼でも、後輩達はしっかりと従っているようだ。

 今日も艦内の入り口前、日陰になる場所に、細川の一席が設けられる。
 パイプ椅子に彼が座る姿は、以前と変わらない。
 だが、葉月は日差しの下に出て、空を見上げ、データーを睨んで、頭の中で空を飛ぶのだ。

 その日、葉月は、背後に細川が座って落ち着いたのを見計らい、彼と向き合う。
 葉月の視線に気が付いた細川は、紺キャップのひさしから、目線を合わせてくれた。

「監督──本日は、少しばかり違う試みを致したいのですが」
「ほう? やれば良いだろう」
「では、『好きにやれ』と仰って下さったお言葉……そのままにさせて頂きます」
「ふむ? では、こちらは高見見物とさせてもらうかね」
「お楽しみ頂けましたら」
「お楽しみだと?」

 真剣にやらねばならぬ『訓練』を、『お楽しみ下さい』という葉月の笑顔に、細川が眉をひそめる。

「好きなようにやらせていただきます!」

 葉月の笑顔に、流石の細川が一抹の不安顔。

「いいだろう……」

 言った手前もあったのか、細川はそこで腕を組み直し、またひさしの影に眼差しを伏せてしまう。

「管制──艦内詰め所にいる『中佐』に出動するように連絡して下さい」
『ラジャー』
「澤村中佐、ホーネットを一機……お願いします」
『ラジャー』
「ダッシュパンサー一号機をね……」
『解っているよ』

 そこで、細川の顔が上がり、葉月を見据えてきた。

「ダッシュパンサーだと?」
「はい」
「一号機という事は、第一中隊空部隊、第一編成隊のキャプテン機。新キャプテンのロックウェルを呼びつけたのか!?」

 細川の口調は、やや呆れていた。
 『ダッシュパンサー』と言えば、小笠原では一番のフライトチームで一番のメンテチームで固められている『最高ベテランチーム』だ。
 まだ若くて不安定な『ビーストーム』の半端なまとまりしかない訓練に、時間を割いてくれる事がおかしい。
 もし、そこを、いつもの葉月の『引っかき回し』に捕獲され、ロックウェル中佐が首を縦に振ったとしても、細川としては『彼を呼んでなんの意味が?』と言う所なのだ。

「嬢。良いか? 『ベテラン』と飛べば、何かを学べると言う『問題』ではない事は判っていると思っていたのだが?」
「解っております」
「どうか? ロックウェルはどちらかというと……」
「そうですね。コリンズ中佐と『同じタイプ』のパイロットです」
「! もしや! お前!?」

 いつまで経っても、自信ありげな葉月の笑顔に、細川がやっと立ち上がった、その時──。

「お待たせ致しました。大佐嬢」
「! お前は……!」

 細川の横にある艦内入り口に、飛行服を着込み、耐重力スーツ姿、さらにヘルメットを手にしている『ウォーカー中佐』が立っていた。
 そして、さらにデイブの姿も……ただしこちらは、『制服姿』

「……なんだと? 飛ぼうとしているのはウォーカー、お前か!?」
「はい。大佐嬢の是非にと言うお話に、乗せられまして。宜しくお願い致します、中将」

 二度と見ないだろうと思っていたその姿。
 細川は一時、そんなウォーカーの姿を何かに捕らわれたように眺めていた。
 しかし、暫くして、そっと静かな微笑みを、その強面に広げた。

「なるほど」

 笑った彼が、急に険しい眼差しで、側にいた葉月を見下ろしたではないか。
 流石の葉月も、その気迫にゾッと背筋を凍らせた。

「判ったぞ。お前の狙い──確かに、ミラーとウォーカーは似ている。が……私の予想が当たっているならば『とんでもない強敵』を差し出す事になるのだぞ」
「しかし、『私達』と正反対の相手に対する方法の訓練を試みるとして、敵方がミラー中佐一機だけとは、いくら上手な彼だからと言っても、不平等です。小笠原でミラー中佐ほどの『正確さ』を誇るパイロット、彼の『パートナー』には、ウォーカー中佐しか思い浮かびませんでした」
「ふむ」

 細川は、やや不満げに唇をまげつつ──しかし顎をさすりながら、空を見据えていた。

「ふふ。面白い──なんなら、もっと強敵にしてやろうじゃないか」
「え?」

 細川の眼差しが、葉月に胸騒ぎを起こす程に輝いた。
 近頃、ずっと後ろで静かに何かを隠しているようだった『鬼おじ様』が満を持したかのように……。
 今度は、葉月がぽかんと『おじ様』を見上げていると、彼がニヤッと挑発的に笑い返してきた。

「私は、ミラーとウォーカー側につく。手加減はせんぞ。お前達、今からもっと『痛い目』にあう」
「おじさ……いえ、監督!?」
「ほぅ? 私が出ては『打つ手無し』か? そんな事では、もし、防衛の本場でお前が責任者かつ指揮官であったなら、空域国境は突破される。何故なら、私のような指揮官など、世界には多数いるだろう」
「……」
「ゲームではない。解っているな? お前の指示一つで、『お前の大切な駒』イコール『命』は、いとも簡単に『消滅』する。空の彼方で──」
「はい。監督──宜しくお願い致します」
「うむ」

 葉月が神妙に頭を下げると、細川が動き出す。

「ダグラス。お前、もう一人で出来るまでになった。梶川を返してもらう」
「イエッサー……中将」
「梶川。同じように私の横にも通信機をセットしろ」
「イエッサー!」

 細川自身は、日陰にあったパイプ椅子を自ら葉月の立ち位置になる前列に持ち運んできた。
 葉月の横に細川が並び、一緒に空を見上げた。

「葉月──待っていたぞ」
「おじ様……」
「今までのお前の指揮は『やっていなかった』も同然だ。しかし『やる気になった』方がどれだけ苦しいか判っていて、お前は怖じ気づいていただろう? 何故だ? それは、『苦しい』と判っていたからだ。しかし決したなら『その覚悟』は出来ているな」
「──はい!」

 その通りなので、葉月ははっきりと返答する。
 細川が満足そうに、そして、不敵に微笑みを広げたのだが──。
 急に彼が儚く見えたように思え、葉月は帽子のひさしに入り込んできた眩しい日差しを手でかざし、おじ様の姿を確かめようとした……。
 だけれど、確かめたその姿は、葉月が今までずっと畏怖してきたそのままに、大きく偉大だ。
 変わっていないと判り、ホッとする。

「うーん。やっと活気が出てきたかな」
「佐藤大佐……」

 今まで椅子にジッと座りこんでいただけの細川が、梶川少佐を従えて忙しく動き出している。
 それをみたメンテ総監の佐藤も、椅子から立ち上がって葉月の側に来た。

「先輩にしては、我慢強かったね──『半年』も雷が落ちないなんてね」
「確かに……」

 佐藤がクスクスと笑っている。
 だが、葉月は半笑い──『半年』も何も怒られなかった自分の『駄目さ加減』を象徴しているようで。
 もしかすると、もう少しで『降板』される所まで行っていたかもしれない?

「覚悟した方がいいよ。お嬢……先輩は『本気』で、後継者にすると決めたと思うよ」
「後継者!?」

 思わぬ事を言われ、葉月は飛び上がったが……。
 佐藤の眼差しが甲板上、遠くで走り回っている『隼人』へと向かっている。

「私も先輩も歳を取ったからね──でも、そろそろと言う気持ちが穏やかに流れ込んできている。少なくとも『私』はね……。先輩はどうかな? やっとスタートラインかな?」
「そんな……私がまったく出来ないから、いつまでも『監督付き』で……」
「安心させてあげなさいよ。『お父さん』を……」
「お父さんって……」

 佐藤はそれだけ言うと、戸惑っている葉月を置いて、細川の側に行ってしまった。

「……お父さん」

 確かに、細川はそれは厳しい『お父さん』だったかもしれない。
 軍人として、パイロットとしても、社会人としても。
 怒鳴り飛ばされ、きつい文句を突きつけられ……歯を食いしばる程の悔しさや情けなさ、そして、自分の愚かさの数々を叱咤してくれた、たった一人の指揮官だったと思う。
 実父の亮介以上に、毎日を共にしている『上司』
 葉月の中で、一番怖れ、畏怖してきた『目上の男性』だ。

 佐藤が言いたい事も、なんとなく判る。
 『本気』と『やる気』は、本当はとても苦しくて、痛い。
 それにまた今から立ち向かう。
 その立ち向かうパワーを『義兄との事』で消耗してから、『本気の痛さ』に疲れも感じていたし、恐れを抱いていた。
 だから、何かを思いついても、『やる気が湧かなかった』のだろう。

 それが、細川が動き出す程に揺さぶれたのも……。

 葉月はサングラスを取り去って、スッと甲板上に視線を馳せる。
 葉月の目前は『カタパルト』が海上へと真っ直ぐに伸びている。
 そのライン上に真っ赤な作業服を着込み、紺のキャップをかぶっている隼人が走り回っている後輩達を指示している姿が……。

 彼が後輩の一人の背を叩いて、送り出していた。
 隼人の視線がこちらに向き、葉月の視線と合った。
 彼が『やったな』とばかりに、グッドサインと笑顔を送ってくれた、一瞬。

 そう……彼がいつも『私の迷い』を導いてくれる、後押しをしてくれる。

 太陽の光の中──彼はとても輝いていて、葉月には眩しい。
 彼はいつも『真っ白』。
 何にも汚れていないかのようなその笑顔が、葉月にはとても眩しすぎる。
 彼の愛はとても暖かくて、そして、時にはとても痛い。

 罪深き事を背負った私には、勿体ない笑顔。
 その笑顔に、心をときめかせ、惹かれてしまう『私』も罪深い──。
 ジュールが教えてくれた『償い』の理論は解っていても、やはり、まだそこまでは平気な顔は出来やしなかった……。
 愛される心苦しさを密かに噛みしめて、平気な顔で彼に抱かれるだなんて……出来ない。

 そう思っていた。
 この前まで……。

 だけれど、『今の私』は、ちょっと違う。

 太陽が燦々と上空に高く昇り始め、葉月の足元には早くも母艦の影が迫ってきている。

 『影』──私の今までの立ち位置。
 そこで、輝くような日々は、もう二度と手には戻らないと『思い込んでいた』。

 葉月はそこから一歩踏みだし、迫ってきた影から、彼が存在している『光の中』へと進む。

 そして太陽の下でまばゆい笑顔を向けてくれた彼に顔を上げる。
 ──にこりと微笑み返す。
 その葉月の笑顔を見て、隼人が立ち止まる。

 遠く離れている甲板の上。
 その甲板上で『視線』というラインで一直線に結ばれた感覚を、とても強く感じ取る。
 周りの音が消え、景色が消え失せ、そして、真っ白に甲板が輝き、彼が際だち、『私』と向き合っている。

 その一体感を、この頃……とても強く感じるようになった。
 もう『影』には逃げない。
 『漆黒の影』を抱え込んでいようとも、『光』の中で生きていく事に違和感を酷く感じても……それでも『光の中』で懸命に生き抜いてみせる!

 まず、それを『貴方』に見せたい、見てもらいたい!
 それがきっと『隼人』が傷ついてでも、影で揺らめいていた葉月を痛めつけてでも解って欲しかった事に違いないから。
 そこから償いたい。

『貴方が望むままに! 私が臨むままに──!!』

 葉月はさらに前進する。
 彼が輝いて欲しいと願うなら、輝けるように痛くても前に行く!

 

「訓練を始めます──!」

 細川と共に、パイロット達の前に葉月は雄々しく号令をかける。

「本日から、ミラー中佐のパートナーとして、ウォーカー中佐が協力をして下さる事になりました」

 葉月の後ろに控えていたウォーカーが、にこりと敬礼を飛ばす。
 それを見て、そして告げられ……メンバー達は勿論、あの落ち着いているミラーまでが驚きを隠せない顔、それが葉月の目の前に並んだ。

「細川総監からの許可も得ました。なお、ミラーキャプテンとウォーカー中佐の『タッグ』を細川監督がバックアップ。私と以下のメンバーは、それに対するという訓練を行います」

 敵わぬ新キャプテン、小笠原の元エースパイロット、そして……自分達をたたき上げてきた恐るべし『指揮官』。
 この『チーム』が、これからの『元コリンズメンバー』の『訓練相手』と言う事になる。
 こんな強敵があろうか!?

 当然、パイロット達が再び、驚いたまま固まった。
 だが、ここで一人だけ……フッと不敵に微笑んだのだ。
 そうミラー中佐だ。

『やっと来たな』

 彼の余裕あるそんな眼差しが、葉月に向けられる。
 それすらも、さして何も感じなかったように葉月はスッと流す。
 『ライバル』との駆け引きはもう始まっている。

 今日から葉月は、徹底的に彼と闘う。
 『新しいチームメイト』?
 そんな生易しい『仲良しグループ』を目指すのは、もう、やめた!
 葉月と元コリンズチームにやって来たのは『新たなる試練への敵』──そう『敵』だったのだ!!
 それが証拠に、『敵』と見なした途端に細川が『待っていた』とばかりに動き始めたではないか?
 この世界で信頼関係を築く方法はいくつかあるが、今回は『馴染まない』のならば、徹底的に『喧嘩する』べきだったのだ!
 『水と油』なパイロット同士なら、そうするしかない。
 話し合い? 大人らしい歩み寄り?
 命をかけて空を飛んでいるのに、話し合いなんて通用するはずがなかったのだ。
 それにこれは軍人という使命を背負った『シビアな職務』を全うする為の『訓練』だ!
 『上手に仲良しになる』事を目標としたものでもない、いかに『上手くまとめるリーダーになれるか』の問題でもなかったのだ。
 『行くか退くか』で勝負が決まる世界でのサバイバル!
 勝者は上に立ち、敗者は下で従う! 勝者は生き延び、敗者は命を落とす!
 その二者の構図しか存在しない世界で、私達は命をかけて防衛、戦闘するのだから!
 中途半端? そうなのだ! それなら徹底的に『喧嘩する』!!

『喧嘩してやるわ!!』

 久しぶりに冷たく輝いた葉月の眼差しに、余裕だったミラーも流石に笑顔を消し去り、表情を固めた。
 その葉月の眼差しを見た新サブキャプテンの劉と他のパイロット達もミラー中佐へと闘志の眼差しをむき出しにし始める。

「私と細川総監が納得するまで、この形態の訓練の変更は暫くはありませんので、心して臨んで下さい」
「おっしゃー! イエッサー!!」
「ラジャー! 総監代理」

 気合いを入れた元コリンズメンバー達。
 それをミラー中佐が鼻じらむ様子で静かに受け止めたようだ。

 今までは、ミラーのチームに他のメンバーを取っ替え引っ替えにして、『5対5』、『3対2』などの組み合わせの対戦訓練を行ってきた。
 が、本日からは敵方は『ミラーとウォーカー』の『精密タッグ』一本になる。
 それに対する対戦ヴァリエーションもばっちり組んできた葉月は、それを『旧メンバー達』に告げる。

「早くしてくれ。大先輩を『引退』から引きずり戻しておいて待たせるだなんて。相変わらず『とろい』チームだな」

 集まっている『旧メンバー』に対し、ミラー中佐は素っ気なくも挑発的な一言を残し、一号機へと向かっていった。

『くっそー』

 悔しがるメンバー達を従えている葉月は、背を向けた彼に言い放った。

「中佐。『契約期間』が切れる二ヶ月程の間に、絶対に撃ち落としてあげる」

 ミラーが背を向けたまま立ち止まった。
 それと同時に、『契約期間』と言う言葉に、メンバー達がざわめき、ミラーを確かめるように視線を集めた。

「お嬢、『契約』って……?」

 不審そうなリュウに、葉月はけろりとした顔で答える。

「彼、細川中将の『期間付き雇われキャプテン』って事。面白くなかったら、さっさと出て行っても良いらしいわ」
「なんだって!?」

 自分達がどう思われ、キャプテンに評価され……なおかつ、既に『相手にされていなかった』事を悟ったリュウの眼差しが燃え上がった!
 勿論、他のメンバーも、感情の表し方はそれぞれでも、気持ちは同じようだ。

「そうよね。『ミラーキャプテン』。とろいチームは、もう既に飽き飽きなのよね〜」

 振り返る彼の肩越しに、冷めた眼差し。
 葉月はそれにも、不敵に微笑む。

「トーマス教官の下に、泣きっ面で帰してあげる。教官は優しいから、きっと慰めてくれるわ。貴方も泣いて帰れる所があって良かったわね」
「ふん。怖いものしらずの『お嬢様』にありがちな、馬鹿馬鹿しいハッタリだ。その手にのるか」

 呆れた様子で、ミラーが去っていった。
 そして葉月も笑顔を収め、腕を組んで、彼の背を鋭く見据える。
 これだけの『ハッタリ』を叩きつけねば……。

「そういう事だったのか! アッタマにキタ!! 最初から俺達のことなんざ、どうでも良かったんだな!?」

 リュウがヘルメットを振り落とし、歯を軋ませている。

「もう、俺も我慢できねー! だいたい、アイツの『チマチマ』した指示にはうんざりしていたんだ!!」

 一番血気早い、黒人のスミスも、『やっと俺達の飛び方が出来る』事になり、抑えていた物が爆発したようだ。

「うーん……」

 それでも一人、唸っているのは、一番年上のフランシス大尉。
 彼が葉月をジッと見て、何か言いたそうな顔。
 葉月はドッキリした。

 そう『ハッタリ』は……『お嬢らしく』やりつつも、本当の狙いは他にある。
 まずは、ミラーと『旧メンバー』の対戦意欲を盛り上げねばならない。
 何故なら……敵対する『チマチマ飛び』を嫌という程、味わってもらわねばならぬからだ……。
 それをフランシス大尉は既に見抜いている──葉月はそう悟ったし、安堵した。
 若くて血気早いカラーで成長してきたコリンズチームだが、皆が皆で先走ってしまうよりかは、空の現場に一人でも葉月の『意図』を把握してくれる人がいるのは強い味方であった。

 だから、葉月は『いつもの笑顔』を、彼にそっと投げかけておく。
 すると、彼もそっと微笑み返してくれた。

「さぁ。搭乗だ」

 フランシスが動くと、後輩達は、なだめられるようにして甲板に走り出した。

「マークは相変わらずなポジションだな」
「コリンズ中佐……」

 葉月の横に、ずっと姿を潜めていたデイブが出てきた。

「本当なら、キャプテンか……それでなくてもサブぐらいは、やって欲しかったんだがな」
「ご本人の強い希望でしたからね……」

 デイブがチームを卒業し、葉月が甲板に降りた。
 残ったメンバーの中で、リーダー格だった二人は、当然の様に『ベテラン』の域に来ているフランシスを『キャプテン』へと推薦した。
 信頼度も、落ち着きも、技術も──どれをとっても任せられると……。
 ただ、デイブも葉月も『彼には似合わない』と言う事を解っていて、そこを無視したのだ。

 彼には『影役者』が似合う。
 彼もそれを自覚し、その役割をきっちりとこなす。
 そんなタイプ……。
 同年代のデイブに先に出世されても、若嬢様の葉月がサブにのし上がっても……彼は寡黙に『自分らしく』をコツコツとやり続けてきた。
 縁の下の力持ち、そして、日の当たらない影役者。

 それを解っていて、それでも彼にやってもらいたかったデイブと葉月の想い。
 細川にその『決断』を報告した所、彼も二つ返事だった。
 しかし細川も言った──『奴にやる気があったならばの事だがな』──と。
 その通りで、フランシス大尉はやっぱり『お断りします』と頭を下げに来てしまったのだ。

 やる気がないとか、そういう事ではなかったと、葉月は思う。
 人には人の分があって、フランシス大尉ほど、その『己の分』を把握しきって、自分を活かせる事を理解している、自己が確立している人はいないと……。
 その通りに彼は、またさらに若い劉が『念願のリーダー業』に収まっても、デイブと葉月がいた時のように、黙々とチームの『危うい軸』の軌道を見定めて動いているのだ。

 その彼が時に発する一言が、チームを大きく動かす。
 その彼の落ち着きで、燃えるばかりのメンバー達が揃った動きで出動していく。

「マークは嬢ちゃんの意図を汲んでいるな」
「そうですね……」
「あー。俺も飛びたかったな! 引退した先輩が『一時復帰』が出来て、引退していない俺が『飛べない』なんてなー!」

 デイブは再びコックピットに乗り込んだウォーカーを眺めて羨ましそうだった。

「今はまだですわよ。デイブ中佐が今、出て行っても意味ありませんから」
「だな。俺が出て行くと、アイツら、きっと『逆戻り』だからな」
「本当は、ご自分が一番に彼等に指導したいだろう所を──理解して頂けて……」
「気にするな。まぁ……暫くは俺も、元メンバーの有様を静かに拝見してみるさ」
「また、中佐と現場でこうして組めて、嬉しいわ」
「ふふん。俺もちょっと楽しくなってきたぞ。俺のチームが一皮むけるまでに手が出せないかと思っていたからな」

 デイブが出る時点ではないが、その代わりに、葉月と共に暫くは『甲板サポート』をしてもらう事にした。
 なんせ、パイロット達の相手が『精密タッグ』なら、こちら指揮側の相手は『空部隊将軍』だ。
 細川も了解してくれた。
 まだ、コックピット現役に心を強く残しているデイブに、甲板指揮の『風』をあててやろうというのが狙いで、許可してくれたのだと葉月には判っていた。

『総監代理──発進を開始します』

 メンテ員達が、ホーネットを取り巻き、そして慌ただしくカタパルトへと動き回っている中、隼人からの報告。

「ラジャー。時間がないわ……急いで」
『イエッサー』

 隼人からの通信が途切れるかと思ったのだが……。

『聞いたぞ。すっげータンカを切ったなー』

 彼のクスクスと笑う声が届いた。
 葉月は返答せずに、ただ静かに微笑んだ。

『なんだか俺も楽しくなってきた!』

 そのまま、メンテ無線の雑音が切れた。
 だが、彼の笑顔がこちらに一直線に向けられていた。

「サワムラはやっぱり……嬢ちゃんらしさを一番に理解しているような気がするな〜」
「……」

 デイブの意味ありげなにやけた眼差しが、上から注がれる。
 葉月は知らぬふりでそっぽを向き、デイブにもインカムヘッドホンを手渡した。

 

 訓練が開始される。
 隼人の手先合図で、次々とホーネットが空に飛んでいった。

 葉月とデイブ、そしてクリストファーの『若指揮チーム』
 やや離れた位置に、細川と梶川少佐……そして見物気分でニコニコとしている佐藤の『ベテラン指揮チーム』

 空には、たった二機を追う、若パイロット達。

 

 当然の事ながら──この日は、今まで以上に『惨敗』に終わった。
 無理もない。葉月が差し出した『敵方』は、とんでもなく『強敵』にしてしまったのだから。
 でも、葉月は微笑む。
 『まだ、始まったばかりだ』と──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 それから暫く日が経ったと思う。
 訓練は相変わらず、毎日、『ベテラン組』に、こてんぱんにやられていた。

 それでもまだ、カフェテリアに集まった『旧メンバー』達の闘志は燃え上がる一方。
 葉月は、今は細川と佐藤とランチを取るようになった。
 そうでない時は、時間が合ったデイブとウォーカーと一緒になる事も多かった。
 最初は不本意だったが、自らも『そういう立ち位置になった』と判断した為……操縦者側だった時は、ランチでチームワークを深めてきただけに、『指揮側』としての立場でけじめをつけたのだ。
 それでも、旧メンバー達は良く誘ってくれる。
 『うん、行けたら行く』と曖昧に返答している所だった。
 なかなか共にしない葉月の事を、つまらなく思っている者もいるだろう所を、それでも何とか妙な文句が出ないのは、やっぱり『フランシス大尉』が皆をなだめているのだと思っていた。

 そして、もう一つ。
 ミラー中佐が益々、チームの輪から遠ざけられていた。
 パートナーになったウォーカーは『臨時業』で組んでいるだけの事、さらに他部署になる為と、葉月とデイブと共にする為に、ミラーと共に食事をすると言う形態は生まれなかった。
 だからと言って、こちら側へと誘うと、今度はチーム側が指揮側に不審を抱く恐れもある。

 この辺は『大人らしく』出来たら良いのだが、なんと言っても……『喧嘩』を大々的に売りつけたのは『葉月』だ。
 チームの『闘志』を煽ったのも葉月だ。
 今更、食事ぐらいはキャプテンと一緒に仲良くしたら? なんて言えない。
 と言うより、『いい大人』が『一人で食事も出来ない』方がおかしいじゃないかと言う物だ。

 だから、葉月も素知らぬ振りをしていた。
 勿論、デイブにウォーカーも立派な男達だ。
 そんな事は目に留まっても、一人の大の男が『そうなったからとて、どうなんだ』と、見流して終わる。
 そして、ミラーもそれは同じ事。
 淡々と食事をしているのだ。

 でも……葉月はちょっとばかり、悪くは思っていた。
 『もっと穏便な方法があったのかもしれない』と。
 毎度の皆を巻き込んだ『台風』のような選択肢しかなかったのだろうか? と。
 またもや、そんな事をやらかし、それしか出来ない自分に溜め息が出たりもしてはいたのだ。

 そんな葉月を見て、気が付いているだろうに……隼人はまた何も言わない。
 でも……? 前よりかは楽しそうに見える?
 葉月の気のせいだろうか?

 まだ『コリンズ流の闘志』で頑張っているメンバー達もなかなかしぶとい。
 明日はどうする、今度は誰と誰でどうすると、リュウが先頭を切って、自主的な『対敵作戦』を展開させるようになったとは言え……。

(もう、今夜は行っちゃおう……)

 決めた。
 暫く『トラウマちっく』になっていたが、『お出かけ』をする事に決めた。
 しかも、今夜は木曜日ではない。
 木曜日は既に『トラウマ』だ。
 木曜に行く事がばれたからには、『あの男』と鉢あわない為にも、今夜、行く事にした。

 火曜日だった。

 葉月は仕事を終えて、また以前のように密かに『ムーンライトビーチ』へと出向いたのだ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 久しぶりの『夜のおでかけ』。
 一人の時間を外で楽しむ。

 いつからか、葉月の中で、心落ち着かせる『必要な時間』となっていた。
 だから、一人でも出かける事に心が浮かれる。
 今夜、マスターは何のカクテルを、どういう理由で出してくれるんだろう? とか、お任せのひと皿は何だろう? とか。
 ただ、それだけの事だったのに……。

『女独り気取る時間を堪能している……もっとストイックかと思っていた』

 まだあの時、一番、衝撃を与えられた彼の一撃が……こだましている。
 そう思うと、浮かれていた足元が止まってしまう。

 そんなつもりはなかったのだが、そう見られてもおかしくない『雰囲気』は醸し出していたかも知れない。

 何故なら──『今は恋人が側にはいないけれど、私は一人でも大丈夫』──そんな強がりがなかったとも言えない自分に気が付いたり。
 さらに『慣れていなさすぎる』のに、ミラーという大人の男性に馬鹿にされたくなく、慣れているかのような『大人気取り』で背伸びをしていた事を見抜かれたようで。
 今よりもっと若かった頃、一人で外に出ると言えば、峠へ車を走らせるとか、夜の仲間だった『走り屋』とスピードと度胸を賭けた危ない駆け引きをして楽しんでいた事もあったが、それを止めてからは、なにもする事がなくなったかのように、マンション自宅に籠もるようになった。
 そんな葉月が、今は独りで色々と試しているだけの事で……本当は『女独り』なんて、様になっていないはずなのだ。
 それをズバっと言われたようで。

 思い起こして溜め息が出てきた。
 行く事をやめようか? と、思ったが……タクシーに乗り込んでしまった葉月の目の前に、もう、渚の側にたたずむ小さなバーがあった。

 降りて、下向きの心を持ち直し、今まで楽しみにしていた気持ちで、扉を開けた。

「おや、いらっしゃい。少しご無沙汰だったね」

 カウンターでグラスを磨いているひげのマスターと目があって、葉月は快く微笑み返す。
 マスターが静かに迎えてくれただけで、前の楽しみにしていた気持ちが復活した。

 だから、葉月は自分の指定席だったカウンターの端席に視線を馳せた。

「!?」

 だが! その視線の先に思わぬ『先客』が!

「あれ? 今日は火曜日だよなー?」

 ミラー中佐だ!
 しかもそれだけじゃない!!

「来る気になったのか。意外と早かったな」

 そこに静かに微笑む隼人が、落ち着いた様子でミラーと肩を並べて、酒を楽しんでいる姿が!!

(ど、どういう事!?)

 しかし、男二人は葉月を見たからとて、慌てる風でもなく……さらに『こっちに来いよ』という素振りも見せなかった。
 それどころか、葉月がどうするかなんて気にもせずに、また二人で向き合って男同士で話し込み始めた。

「ここにするかい?」
「え、ええ……」

 マスターがちょっと戸惑ったようにしつつも、同じく戸惑っている葉月を落ち着かせようとしてくれたのか、以前にミラーが座っていた反対の端席に、グラスを乗せるコースターをそっと置いた。
 その席に葉月はとりあえず腰をかけてしまった。

「今夜は最初からマティーニ」
「え? 今度、大佐嬢が来たら何を作ってやろうかと楽しみに待っていたんだよ?」

 マスターの残念そうな顔。
 それ程に話をしてきたわけでもないのに、昔なじみであるマスターの心遣い。
 だから、葉月はその心遣いを快く感じて、『いつもの』オーダーに気を変えた。

「いつものコースで。でも、キール・ロワイヤル以外でお願いします!」
「はは、かしこまりました」

 唇を尖らせて言い放った葉月に、先日の出来事を覚えているだろうマスターが苦笑いで退いていった。
 退いていった途端に、男二人がマスターを捕まえて、なんだか楽しそうに何かをオーダーしたようだ。

 こうして葉月が離れた席で落ち着いても、男二人は真剣な顔で話していたり、かと思えば、楽しそうに語ったりを続けている。
 その様子に、少しはホッとした。
 『放ってくれる』と言う様子に……。

 それほどまでにして、『ここの時間』が自分の中で『大切だったのだ』と、急にそんな気になった。

 そして、葉月もそっと男二人が語り合っているのを落ち着いて見届けていた。
 隼人が……こうして葉月が知らない所で、他の人と懇意にして楽しそうにしている様子、微笑みを見て、葉月はいつのまにかホッと心を和らげ、知らぬうちに微笑んでいたようだ。

 今は側には行けない『彼』の……そんな姿。
 離れているけど、何処かとても幸せな気持ちになっている。

「ええと……お待たせ」
「!?」

 なのに! そんな葉月の気分をぶち壊すかのように!
 困ったような顔のマスターが差し出したのは、細長いグラスの赤いカクテル!
 あのキール・ロワイヤルだ!

「マスター!?」
「ええと……」

 マスターが困り果てていると、葉月のすぐ隣にミラーの笑い声。
 その声に驚いて振り返ると、彼がカウンターに肩肘をついて葉月を見下ろしていた。

「連敗中の総監代理に、労いの一杯。受け取ってくれよ。じゃぁな」
「な、なに……ちょっと困るわよ!」
「あとは『恋人同士』でどうぞ。『おじさん』は退散致しますよ」
「!」

 そして、ミラーは肩越しに敬礼を流して、店を出て行ってしまった。
 葉月が『はぁ!?』と息巻いていると……。

「隣、いいか?」
「隼人さん……」

 今度、側には隼人の静かな声が……。

「ど、どうぞ……」
「一人をお楽しみの所、お邪魔します。大佐嬢……」

 隼人のにっこりに、どういう訳か葉月は不覚にも頬を染めてしまっていて、胸が騒いだ。
 隼人が隣に座る。

「お、驚いたわ。まさか……ミラー中佐と一緒に飲んでいるだなんて……」
「なんだかね。ここのところ、意気投合してね」
「そうなの」

 ミラーのあんな楽しそうな顔は初めて見た気がした。
 そして……やはり隼人という男は、ああいう訳ありな男とも上手く繋がる事が出来る男なのだと、改めて感心していた。

「それ、曰く付きのカクテルだって?」
「え!? まぁ……」

 隼人が葉月がなかなか手をつけない赤いカクテルを指さして笑っていた。
 これは『聞いているな』と、葉月は憮然とする。
 それも隼人がそっと微笑んで楽しんでいる。

「……楽しそうだったわね、二人で」
「ああ。ミラー中佐、経験豊富だから話していても、俺の方が聞き入っちゃうな」
「そうなの。ちょっと安心した」
「あはは。彼を孤独に追い込んだと気にしていた?」
「え? う、うん……ちょっとだけ」

 やはり、見抜かれていたかと、葉月はまた、隼人の目の前で固まる。
 そして、やはり隼人は可笑しそうに笑い出した。

「あの人が、それだけで『へこたれる男』だと思われていたなんて、それを聞いたら『俺を馬鹿にしている』と、また仕返しをされるぞ」
「わ、解っているわよ!」

 そういうクールでシビアな男だと判っていても、気にはしてしまっていた葉月は『まだ甘い』と、隼人に言われた気がした。
 それに彼の『仕返し』に、葉月はゾッとする。
 それ程に、訓練でも未だにやられてばかり……訓練外でも……。
 葉月は、そっと赤いグラスを手にして、やっと一口味わった。

 隼人も急に無口になって、握りしめていたウィスキーのグラスを傾けている。

「?」

 なんだか今しがたの楽しそうだった隼人と様子が一変したように思えて、葉月は眉をひそめた。
 『どうしたの?』とも聞けずに、ただ、一緒に酒を味わっている時間が暫く続く。
 葉月がやっと『何かを話さなくちゃ』と、訓練の話題を思い浮かべた時だった。

「木曜日に来ると聞かされて……でも、お前の事だから、嫌な事があった曜日はもう来ないだろうと……」
「え?」
「だから……毎晩、待っていた。まぁ、待ってるうちにミラー中佐と出くわすようになったのだけどな」
「!」

 グラスを握りしめ、緊張した様子で俯いていた彼が、急に葉月と顔を向き合わせる。

「……ま、待っていたって?」

 葉月の胸の鼓動が早くなる──!
 まだ心の準備は出来ていない。
 なんの心の準備かと? ふと、自分で思いついておきながら、疑問に思いつつ……。
 すると、隼人が紳士ハンカチを葉月の前に差し出した。

「受け取ってくれ。どんな風に受け止めてくれても構わないから……」
「え?」
「マスター。ご馳走様」
「あの……?」

 隼人が途端に席を立って、精算をする。

「じゃぁ、素敵な夜を……大佐嬢」

 茫然としている葉月を置いて、隼人はサッと帰ってしまった。
 何がなんだか判らずに、葉月はふと気を戻して、隼人が置いていったハンカチを手に取ってみた。

「!?」

 何かが忍ばせてある?
 葉月はそっとハンカチを開いてみた。

 『鍵』だった。

 それはもしかして?
 葉月は隼人が出て行った扉を振り返る。

 それはきっと隼人が住まう官舎の部屋、その『合い鍵』だと……!

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