-- A to Z;ero -- * 私が見た月 *
─ステージ1─

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─エピローグ・ステージ1─
 
10.純白の日

 いつも訓練へ向かう時に乗り込む連絡船。
 その船が出る桟橋へと親族と共に向かう。
 その桟橋にも、真っ白な正装をしている男性がひとり。

「皆様、本日はおめでとうございます」
「おめでとうございます」

 男性だけじゃない。白い正装をしている女性も並んでいた。
 達也と泉美だった。
 二人は肩を並べ、本部でそうしているようにきちっとした隊員の佇まいで御園澤村一族を迎え入れてくれる。
 今日、四中隊の本部員達は、小夜を中心にして皆が何かの役を持ち、手伝ってくれているとか。そして達也がこうした案内役をしてくれることになったと聞かされていた。秘書官だった彼には適任と言えよう。
 そして隣にいる妻の泉美の久しぶりの制服姿、そして育休に入る前の凛とした女性隊員だった姿はちっとも変わっていなくて、葉月は逆に彼女の制服姿にじんとした。泉美も今日は夫と揃って会場の案内などを手伝ってくれる。彼女が是非そうしたいと強く願い申し出てくれたそうだ。

「達也、泉美さん。こちらこそ、本日はお願い致します」
「俺からも礼を言うよ。泉美さんも忙しい中、有難う」

 隼人と共に海野夫妻に一礼をする。
 だけれど顔をあげると、今にも泣きそうな達也、そして涙を既に流している泉美がそこにいた。

「葉月、おめでとう。俺、お前のこの日に立ち会えて嬉しいよ」
「達也……。私だって貴方達の結婚式に立ち会えて嬉しかったわよ。泉美さん、凄く綺麗で、私も早くドレスを着たいなって思ったほどだったもの」
「貴女も綺麗よ。良かったわ、本当に良かった」

 泉美が涙を拭くと、達也も今にも泣き出しそうなところをグッと堪えているのが分かった。
 二人には沢山の心配をかけてしまった。死に際を彷徨っている間、意識が戻るまでの間、夫妻は葉月の生還を祈って自分達の挙式を延期までして待っていてくれたから、今のその涙の意味も葉月にはとても有り難く思えるものだ。

 泉美の出産後、夏の始めに二人の結婚式が本島であり、葉月は勿論、夫の隼人と共に出席した。
 その時の会場は本島だと言うのに、招待された隊員で溢れかえり、二次会にはコリンズチームまで押しかけてきたほどだった。
 あの時の泉美は本当に綺麗だった。既に誕生してた『晃』も真っ白におめかしをして、真っ白なパパとママに挟まれて、母親の美しさを得た泉美はまるで聖母のようだった。そこは本当に清らかな親子絵図。そっと遠くで遠慮していた達也の母・八重子も涙を流していた。
 こちらの海野一家の事情はまだ解決はしていないようだが、それでも八重子が遠慮するような形の席でなんとか達也も両親が揃った式を迎えることが出来て、彼なりに満足ができる幸せな一日を噛みしめていたようだ。
 長年、彼の苦悩を知っていた葉月にとっても、その日は共に喜びを分かち合う気持ちになれたものだった。

『達也、私、すごく嬉しい。今日の貴方の笑顔、忘れないわ』
『葉月、今まで有難うな。いや、これからもよろしくな』

 二人で交わしたこれからの誓いは『愛』ではなくなったけれど、そこには決して切れることのない『絆』を結べた日にも思えた。
 そして今日は葉月が。その自分が掴んだものをこの双子同期生の彼に見届けてもらう。

「さあ、急ごう。皆が待ちかねている」
「葉月ちゃん、足下、気をつけてね」

 達也の案内で、親族は連絡船に乗り込む。
 そんなに大きくはない船だから、ひとつは新郎新婦用、ひとつは親族用と用意してくれた。
 そのひとつに葉月は隼人と、そして葉月をサポートしてくれるエド、そしてジャンヌと母が念のために付き添ってくれる。達也も一緒に乗り込んでくれる。親族の船は泉美が受け持ってくれたようだ。

 船が出発すると、達也がニタニタとしながら笑いが漏れないよう堪えている顔が度々。
 葉月は不審に思い、眉をひそめる。先ほどの感動にくれていた厳かな様子から一転、いつものおふざけ達也がそこにいるようで……。

「達也、何がおかしいんだよ」

 しかし、葉月より先に隼人が気にしていたようだ。

「いや。なんていうか『着いてからのお楽しみ』──。覚悟しておいた方が良いぜ。なんたって甲板での『司会』はあのイベント好きのジョイだからな」
「なんだよ、それ。さらっとやってくれたらいいんだよ。やめろよ」
「兄さん、兄さん。もう遅いって。だいたいロイ連隊長が実行委員長になっている時点で自動的に『お祭り』になっているって。フランクの血は争えないな〜。いやー、俺は大賛成」

 そして達也は『うひひ』とワクワクとしている顔。
 あんまり騒ぎたくない御園夫妻としては、ここで一抹の不安。葉月と隼人はそんな顔つきを添え、顔を見合わせた。

「まあ、楽しみ。ね、おば様」
「本当ね、ジャンヌ。私はあのお父さんを見てきたから、軍人さん達がここぞと言う時でぱあっと騒ぐのを見るの大好きなの」
「あら、私も見てみたいわ」

 妊婦の葉月を産科医として付き添ってくれているジャンヌと、母親として側にいる登貴子も、徐々に胸躍る気持ちに高まってきたようだ。

「まあ、なんていうのかな。どれだけ二人が祝福されているかってこと。肌で感じて欲しいんだよ。俺達、皆、今日は二人にその祝福が届けばいいなと思っているんだから」

 達也のその言葉に、葉月と隼人は『そうだね』と笑顔で観念した。

 さあ、ロイが選んでくれた会場である空母艦が目の前に見えてきた。

 いつもの青い空と海の中、ずっしりと君臨している姿。
 毎日、毎日、この甲板に通っていた。隣の夫は空軍人としてもキャリアは先輩。葉月よりも長い年月、この甲板で走ってきたメンテナンサー。そして葉月はこの甲板から何度も空へと挑んできたパイロット。
 その二人には一番の場所だと、連隊長のロイが特別にこの日曜日に開放してくれた。
 今日はそこにも自由参加の隊員達が集合してくれているとか。誰がどれだけ来ているか葉月と隼人は知らないし、お手伝いをしていた小夜にテッドも『参加希望名簿を回したけれど、実際の人数は当日までは分からない』と言っていた。

 空母について、細心の注意の上で葉月は慣れた艦内をエドと女性スタッフの介添えで歩き、来慣れている甲板へと向かう。
 退院をし職場復帰した後も、身体の治癒優先でこちらの訓練に顔を出したことは数回しかなく、妊娠をしてからは来ることも出来なくなった。

 そこの階段を上がれば、毎日飛び出していた甲板へと出る。
 葉月はそこで、右京が贈ってくれた花束を握りしめ、立ち止まってしまった。

「お嬢様、大丈夫ですか? ご気分が優れないのなら、早めに正直に言ってください」

 葉月の足下に気を配っていたエドが、心配そうに見ている。
 途端に手を引いてくれていた隼人も、葉月の肩を抱きしめながら顔を覗き込んできた。
 ジャンヌも母も直ぐに側に寄ってくる。

 だがそうではないから、葉月は皆を心配させまいと『大丈夫』と笑顔を見せる。
 そうじゃない。立ち止まったのは、葉月なりの呼吸を整えているから。

 毎日、飛行服に耐重力スーツを取り付け、ヘルメット片手に飛び出していた甲板。
 過酷な空へのスタートライン、カタパルトを滑って、大空へと飛びだしていく時こそ、生きている自分を感じた。そしてその『生』をぶつけて、砕け散ろうとしていた日々。
 そこでこの夫と出会い、この夫に空へと送ってもらい夫の姿を探すようにして甲板に戻ってくる日に変化していく。
 真っ赤な作業服に紺色のキャップ、インカムを口元に寄せ後輩達を仕切っている夫のキャプテンとしての姿。そして真剣で真っ直ぐな目で、パイロットの命を預けるコックピットを整備している横顔。
 空だけじゃなく、この真っ平らに海へ空へと伸びていく甲板にカタパルトも葉月にとっては夫との『生』を交わし合っていた場所だったのだと……。今日の今になってひしひしと迫ってくるように実感している。

 その『生』の場所が目の前。
 この薄暗い艦内にいる葉月の足下には、そこから明るい太陽の光が射し込んできていた。

 今日は親愛なる彼等の祝福を受けるだけの日なのだろうか?
 夫との愛を皆の前で誓うだけの日なのだろうか?

 急にそう思えてきた。

 そう……、朝からそう。
 葉月の中では改めての結婚式でも、ドレスを着る喜びがあった。
 だけれど、それだけじゃない気がする。
 こうして命を取り戻し小笠原に帰ってきて、夫と共に『ここを帰る場所にしよう』と決めた結婚生活を続けていくうちに、葉月の中では『島の人になる』と言う思いがとても強くなった。
 そして戻ってきて再会した仲間達の尊さを噛みしめる日々。
 これから生まれてくる天使の場所。そして天使を取り囲んでくれるだろう人々。
 葉月が取り戻したもの。それをこの日までにひとつひとつ大事に肌で感じ取ってきた。

 この日、葉月が思うものは……。

「大丈夫よ、行きましょう」

 葉月は階段を見上げ、射し込んでくる光に微笑んだ。

「そうだな。行こう」

 隣で何かを悟ってくれているかのような隼人の笑顔。
 夫が、葉月の手を握りしめ、同じようにその溢れる光へと顔をあげた。

 親族が後ろで静かに見守ってくれる中、二人で毎日駆け上がっていた階段を一歩一歩、共に踏みしめ登っていく。
 私達が毎日浴びていたこの島の、この甲板の太陽の光が目の前に……。
 そしてついに、二人は肩を並べ、その出口から光の中へ甲板へと一歩、踏み出した。

 目の前には懐かしい甲板。綺麗に並べられているホーネットの列。
 真っ直ぐに伸びていくカタパルト。
 そして、その向こうに広がる空と海。

 どうしたのだろう? 人の姿が見えない。
 そしてとても、静かだった。
 甲板を滑ってくる潮風に、葉月の白いドレスの裾とベールがふんわりと舞う。

 

「さあ、来たぞ!」

 

 そんな声が葉月と隼人がくぐったドアの上で聞こえた。
 聞き慣れている声……。ジョイの声?
 そのジョイらしき声が聞こえた途端だった。

 

「お嬢、おめでとう!」
「おめでとう!!」
「大佐嬢、御園君、おめでとう!!」

「嬢ちゃん、おめでとう!」
「二人とも、おめでとう!!」

「キャプテン、おめでとう!」
「大佐、中佐、おめでとう!!」

 

 ものすごい数の『おめでとう』が日本語英語で入り乱れ、あちこちから、この一カ所に向かってくる。
 それだけじゃない、ジョイの『いくぞ!』という声と共に、見えなかった人々がわあっと甲板に集まってきて、上からそして前から、横から、凄い数の花びらがふわっと舞い込んできた。

 真っ白な正装をしている男達、そして女性達。
 ドアから出てくる新郎新婦の視界からなるべく隠れて、皆が一斉に出てきたのだと分かった。
 それも次から次へと出てきて、皆がここに向かってきている。
 その中に毎日を共にしてきた親愛なる人々の顔、顔、顔。

「お嬢! 驚いてくれた? サプライズフラワーシャワー!」
「ジョイ!」

 いつも出入り口に使っているドアの上は、ちょっとした指揮用の登り台になるように横の階段から上ることが出来る。そこにジョイがいた。

「おめでとう! 待ちくたびれちゃったよ。ねえ、山中兄さん」
「ほんと、ほんと! やっと来たな。隼人、お嬢、おめでとう!」
「レイ、澤村君、おめでとう!」

「リッキー、いないと思ったらそこにいたの! うん、有難う。嬉しい! 山中のお兄さんも有難う!」
「ホプキンス中佐、有難うございます。兄さんも、サンキュ!」

 ジョイと山中が揃ってどこから出してくるのか、沢山の花びらを葉月と隼人の上にまいてくれる。
 リッキーもいつもの落ち着いた静かな穏やかさもどこへやら、ジョイと一緒になってこれでもかというぐらいに上から花びらを降らせてくる。
 葉月の白いドレスにベールに、赤や黄色桃色の花びらがひらりひらりとまとっていく。

「嬉しい、ジョイ」
「思った通りに、綺麗だよ。お嬢……」

 弟分の熱く潤んだ青い目に、葉月はもう泣き出してしまっていた。

「おらおら! 泣くのはまだ早いぞ、嬢!」
「葉月、隼人、おめでとう!」
「嬢、俺はこの日をすっごく待っていたぞ。嬢、サワムラ、おめでとう!!」

 ジョイだけじゃない。
 目の前に一番に駆け込んできたのは、デイブと妻のサラ。そして二人の娘が一緒になって両手一杯の花びらを葉月と隼人に向けてぱあっと投げてくる。
 それだけじゃない。デイブの後ろにはビーストームのチームメイト達がわあっと取り囲んでいてデイブとサラの頭を越えて、花びらを投げてくる。

「嬢、嬢、こっちむいてくれー! おめでとう」
「お嬢、めっちゃ綺麗だぜーー! おめでとう」

「お嬢さん、おめでとう!」
「大佐嬢、おめでとう!」

 あのクールなミラーまで、この熱血蜂野郎に混じってシアトルから連れてきた妻と共に花びらを届けてくれる。

 もうそれだけで、隼人と葉月は花びらにかなり攻撃されていた。

「うっわ。すごいことになっていないか? お、お前、大丈夫かよ」
「ぷは。だ、大丈夫よ、隼人さん」

 流石の勢いにおののきつつ、でもだからこそ感激しながらも、隼人が葉月を気遣って顔に一杯ついてしまった花びらを取り払ってくれる。
 だけれどそんな隼人の顔も花びらがいくつもついている。鼻の頭に黄色い花びらが乗っていて、葉月は思わず微笑んでしまう。お返しにとってあげようと指を伸ばしたのだけれど……。再びのフラワーシャワーに見まわれる。

「キャプテン、おめでとう! レイもおめでとう!!」
「お二人とも、素敵!! おめでとう!!」

 今度はパイロット軍団とは反対の隼人がいる脇から、再びの花びら攻撃。
 そこにはエディとトリシアを先頭にして、サワムラメンテチームのメンバーがこれまたわあっと隼人に向けて集中攻撃。

「キャプテン、まだまだだよ。ほらっおめでとう!」

 デイビットのかけ声でメンテ員一同からの盛大な花びらの嵐が、隼人を襲った。

「わ! こら、お前達、やめろよ!」

 腕をかざして隼人は花びらを避けようとしても、あまりの数に隼人を通り越して葉月のところにまでぶわっと飛んできた。

「まだまだだよー! もう綺麗色で窒息してね、お嬢!」
「おー! やれやれ! 泉美、もっとばらまけ」
「ふふ、任せて。達也!」

 いつの間にか上にいるジョイの横には達也と泉美も揃っていて、海野夫妻もここぞとばかりに花びらをばらまいてくる。ジョイはもう、籠ごと振りまいて、どっさりと花が降ってきた。

 人々が入れ替わり立ち替わり、一握りの花びらを『おめでとう』と共に届けてくれる。
 第一中隊の源キャプテン、ブロイキャプテン。第二中隊のスチュワートキャプテン、山下キャプテン。そして……

「おめでとう! 葉月、サワムラ君! お腹の子もおめでとう!」

「ロニー」
「ロベルト。有難う」

 メンテキャプテン達のグループに混じって、ロベルトも両手の花を二人の方へと降らせてくれる。

 本部員の後輩達、そしてちょっとかしこまった顔でも若者達に負けまいと花びらを笑顔で届けてくれる中隊長大佐達の顔も……。

 いつまでも降り止まぬフラワーシャワーに、後から甲板に出てきた両親達に真一に和人も、沢山の花びらがお裾分けのように降り注いだようでとても興奮している。そして亮介に登貴子、そして和之も美沙も、真一も和人も側にいる隊員から花びらを分けてもらって『おめでとう』と届けてくれる。

「ほら、純一もやれよ。ったく、お前はつまらない男だなあ」
「うるさい、やると言っているだろう」

 気が付けば、白い正装のロイとタキシード姿の純一も、葉月のすぐ隣でそんなやり取りをしながら花びらを握りしめていた。

「よっ葉月! 日本一!」
「ロイ、なんだそれは。お前の方が、つまらないこと言うな。もっとマシなこと言えよ」
「なんだと、純一。じゃあ、お前はなんて言うんだよっ」

 ロイとどつきあっている純一。
 葉月がそれを笑って見ていると、途端に真剣な顔になった純一の顔がそこに。
 ちょっと照れくさそうに色とりどりの花びらを握りしめている義兄。彼はしばらくその花を見つめていた。
 どこか二人の間に流れてくるちょっとしたほろ苦い思い……。
 だけれど、次には純一は近頃見せてくれるようになった清々しい微笑みを葉月に見せてくれる。

 その純一の手が、花に彩られている葉月のベールのてっぺんに。
 両手で花びらを掬ったような手つきで、そのままそこに止まっていた。

「義兄様?」
「いつまでも、妹の笑顔が絶えぬよう。兄は祈る。おめでとう」

 純一の両手が、葉月のベールの上でふわっと左右に分かれる。
 ふんわりと優しく降ってきた兄からの祝福の花びら。

「いつまでも、お前達を見守っている」
「お兄ちゃま……」

 葉月の頬に一筋の涙が流れる。
 だけれど、純一は涙など見せず、葉月がずうっと昔から知っている愛してきた笑顔を、待ち望んでいた穏やかな笑顔を、見せてくれている。
 『お前、泣かすな〜』と、ロイの方が涙を流してしまって、呆れている純一の顔。それを目にして、葉月はすぐに笑ってしまっていた。
 そんな男同士の間から、こちらも幸せな濃紺の二人、右京とジャンヌが『おめでとう、おめでとう』と揃った笑顔で花びらをまいてくれる。

 もう葉月と隼人の周りは花びらだけ。そして二人も花びらまみれになって、二人で『凄い』と笑い合った。

 

「はいっ、そこまで! それでは皆様、整列してください!」

 

 まだ花びらはいくらでも飛んでくる中、上でマイクを握りしめ進行を始めたジョイの声。
 その整列の一声で、前もって知らせていたのか参列者たちが、カタパルトが伸びていく方へとさあっと見事に整列をして驚いた。こう言うところ、訓練されている軍人らしいが、皆、それぞれ好きな場所を気軽に選んでリラックスはしている様子。
 それでも、両脇に真っ白な軍人達が並ぶと、そこには真っ直ぐな綺麗な道が出来ていた。
 その先にはカタパルト。そして、列が切れたところで達也が教壇のような台を置き、泉美が聖書のようなものをその台の上に準備する。

「では、幸せなお二人の誓いの時間です。この記念すべき一瞬、どうぞ皆様もこの一瞬の立会人となり見届けてください! それでは、牧師さん、お願い致します」

 隼人と共にその用意された台へと視線を向けた。何故ならロイに『牧師さんに挨拶に行きたい』と言うと『キャンプの牧師じゃないから』と言われたのだ。いったい誰なのだと尋ねたのに、ロイは『それがまだ分からないのだなあ。当日まで楽しみにしていてくれ』だなんて、訳の分からないことを言って結局教えてくれなかった。
 だから、二人揃って緊張をする。

「誰なんだろう……」
「まさか、ロイ兄様本人?」
「だって立会人をしてくれるんだぞ。あんなに張り切っていたのに」

 隼人と小声で話していると、ついにその『牧師』が姿を現した。
 肩には豪華な『将軍』の肩章、そして金モール。
 真っ白な正装。白い制帽をかぶり、真っ白な手袋。若者に負けない、いや若者以上にピンとした背筋を伸ばし、颯爽と歩いて現れた細長い男性。

「では、始めるかね」

 その台に立ったのは『細川中将』だった。
 二人は驚いて顔を見合わせ、何故このような人選になったのかと、助けを求めるように隣にいたロイを見た。
 ロイはこれまた驚いている葉月と隼人を見てしたり顔。

「永倉の方がやりたそうだったけれど。まあ、くじ引きで当たったのだから、おじさんも観念したみたいでね」

 二人で『くじ引き!?』と驚いた。

「うん。俺の提案で中隊長連中と高官達の誰かが牧師役をやろうって『無理矢理』。で、くじ引きをしたんだよな。そうしたら見事におじさんに当たったんだ。嫌がった顔していたけれど、内心はやる気満々だったみたいだけれどな」

 そのくじに当たった瞬間を思い出したのか、可笑しそうに笑っているロイ。
 亮介もそれに気が付いて、娘の基地挙式の牧師が同期生ライバルの細川と分かって驚いている。しかし『適任』と思ってくれたのか、悪友がその役をしてくれることに目元を緩ませていた。

「さあ、新郎新婦。前へどうぞ!」

 ジョイの進行に、隼人と葉月は顔を見合わせ、頷き合い──。ついに腕を組んで歩き出す。
 今日はかしこまった決まりで行う式じゃないと分かっていた。皆が手作りで用意してくれた日だから、リラックスできるような力の抜けた式がしたい。
 牧師とか言っているけれどそれはちょっとした格好だけで、実は『人前式』。だから、仰々しく父親が娘を婿に渡すというようなことはもうやらないよと父が言ったのだ。今日は二人の後ろでそっと見ているから、仲間達と楽しみなさいと言われた。そしてなによりも二人で迎えなさいと。
 だから、今日はこの甲板の道を、夫と腕を組んで歩く。

 私達のためにこの海上まで出向いてくれた人々が両脇で見守る中、その真ん中にできた道を、隼人と共に葉月はゆっくりと歩く。
 カタパルトの向こうから、今日も、毎日感じていた変わらぬ潮風が吹いてきて、葉月のベールがすうっと後ろへとなびく。
 その潮風に、甲板に降り注いだ沢山の花びらが舞い上がって、また白きふたりを取り巻いて行く。
 皆がそこは厳かな気持ちを揃え、静かに黙っているけれど、時々、通りすがりに『おめでとう』と言う声が聞こえてくる。その度に、葉月と隼人はその声の方向に、感謝の気持ちを込めた微笑みを向けた。

 真白き人々と色とりどりの花びら、そして青き空、蒼き海。そして薫る潮風。
 沢山の祝福の景色に迎えられ、二人はついに細川が待つ祭壇へと辿り着いた。

 それらしく、聖書が置いてある。
 細川がそれを開いたので、葉月は本当に牧師の練習をしたのだろうかと、思わず細川を見上げた。
 だが、細川はもう始めても良い段階に来ているのに、聖書を開いたまま、そこを眺めているだけ。
 ちょっとだけ、背後の人々がざわついた。

「えー。細川中将、お願いします」

 ドアの上から降りてきたジョイがマイクで促す声。
 すると細川はいつものあの厳しい目で前を見据える。
 その皆が畏れてきた眼光に、ざわめいていた隊員達がぴたっと静かになってしまったほど。

「やはり好かん」

 細川はそういうと、聖書をぱたりと閉じてしまった。
 葉月は、隼人と顔を見合わせる。
 細川はまだ黙っているが、咳払いをひとつすると、ついに葉月と隼人をあの眼で見下ろしてきた。
 何故か。結婚式のはずなのに、毎度この甲板で訓練をしているような気持ちにさせられ、葉月はおろか隼人までもが揃って背筋をピンと伸ばし姿勢を正してしまっていた。

「ああだこうだと回りくどい。お前達二人には、一言で充分だ」
「え? あの……将軍?」
「おじ様? どういうこと?」

 すると細川はやっと隊員達を見渡し、前へといつもの大きな声を張り上げる。

「御園隼人!」
「は、はい!」

 細川の鬼将軍の声に訓練されている隼人は、それだけでびしっとした返事をしている。
 葉月も何故か急に緊張。思わず一緒に返事をしそうになってしまったではないか。その訓練のような様子で細川が続ける。

「この目の前の妻と苦楽を分かち合い、生涯を共にすると誓うか!?」

 その鬼将軍の声が甲板に響き渡る。
 前置きもなにもない、シンプルな始まり。
 だが細川の『それしかない』という彼らしい真っ直ぐで余計なものはいらないという気持ちが直ぐに伝わってきた。
 きっとそれは隼人も感じたのだろう。だから隼人は直ぐに胸を張って答えた。

「はい! 誓います!」

 って……。敬礼したのには葉月はギョッとしてしまったのだが。
 細川までもが『うむ、良し!』なんて敬礼を返しているではないか。
 これではまるで訓練……。いや……軍人らしい。葉月は驚きはしたがちょっと笑いたくなり、でも、なんだかそれが『私達らしい』と微笑んでしまっていた。

「御園葉月!」
「はい!」

 葉月も訓練をしている時のように、お腹からの声を細川に返す。
 細川は満足そうに頷いて、夫に問うたものと同じ事を叫ぶ。

「この目の前の夫と苦楽を分かち合い、生涯を共にすると誓うか!?」

 ……その時、葉月はすぐに答えなかった。

 目の前の細川の、ちょっとテンポをずらされてしまった顔。そしてそれが何故なのかという訝しそうな顔。

「嬢? どうした」

 その声に、葉月は細川を見つめる。
 右京が作ってくれたブーケを握りしめ、細川の向こうに伸びているカタパルトへと視線を馳せる。その向こうに自分がいつだって飛びたっていた海と空ある。
 そして振り返れば……そこには親愛なる人々がいる。
 目の前には夫がいる。

 葉月の胸の中に、風の音。
 そして降り注ぐ太陽の光。
 真っ白になった自分。

 今日、あの雪の中で願ったような真白き花になった自分がいる。
 あの時『真っ白になりたい』と思ったその瞬間がここにある。
 妻になるためじゃない。この日は、この日のこの色は……。
 葉月にとってのこの白い日は……。

 花びらが舞う甲板で、私達が生きていく甲板で、葉月は心より微笑み細川に伝える。

「はい、誓います。夫と、ここにいる親愛なる人々と、『生きていきます』。ずっと生きていきます」

 やっと見つけた『生きていきたい』。
 そう、そんな日なんだと葉月は思った。

 ふと見ると、細川が壇上で唇を震わせている。
 側で黙って見ていてくれたもう一人のお父さん。空の死神と戦っていたと言ってくれたお父さんが壇上で黙ってしまっていた。
 すると目の前の隼人も微笑みを消してしまうほどの真剣な面もちで、葉月を見つめていた。彼のその黒い瞳も濡れている気がした。
 そして、隼人も言った。

「私も誓います。妻と、ここにいる親愛なる人々と、『生きていきます』。ずっと生きていきます」

 隼人も細川に誓いの言葉を妻と揃え伝えていた。
 参列者達も、静まりかえっていた。しかしやがて細川がいつものように前を見て言う。

「うむ。その『誓い』、確かに聞き届けた。参列者の諸君にも二人の誓いは、伝わったことだろう!」

 鬼将軍のどこまでも響き渡る声に、やはりどうしてか参列している隊員達が敬礼を揃えてしまう。
 その光景を目にして、隼人と葉月は揃って微笑んでしまう。

「以上!」

 なんとも簡潔な内容。
 細川はそれだけいうと、さっさと壇上を降りてしまう。
 だけれど、そこには短くとも簡潔でも、ぴんと一本の筋が通った強い何かがあった。
 だから、細川が去るとあちこちから拍手が聞こえてくる。そしてここにいる夫妻だけではない、誰もが納得している顔があった。

 そして葉月は隼人と見つめ合う。
 まだ濡れている彼の黒い瞳。

「葉月、感動した。そうだな、今日はお前が空女房になる日だったかもな」
「そんなつもりじゃなかったけれど。ただ、この場所に立つとそう思えて」
「嬉しいよ、俺。だってここは俺とお前がこれから生きていく場所だもんな。そうこれからずっと──。お前が『生きたい日』が来たことが、一番嬉しい」

 それをずっと傍らで待ち望んでいた夫、隼人。
 彼の濡れている瞳に、葉月も胸が熱くなる……。
 その目で、隼人は海へと伸びていくカタパルトを見つめている。
 そして、葉月の腰を抱いてそっと引き寄せてきた。

「飛ぶんだ。ここから、何度でも。ラストフライトが終わっても、お前の女房の心はここから飛んでいく」
「そうね。この海の上、空の中へと、私はいつまでも飛んでいくわ。そう、いつも貴方がいるここから飛んでいくのよ」

 瞳と瞳が熱く合った二人……。お互いの身体と身体を寄せ合い、見つめ合い、やがてふっと目を閉じる。

『誓いのキス』
『誓いのキッス!』

 いつの間にかそんなコールで湧いていた。
 だけれど、実は二人にはそんな声は聞こえていない。

 いつでも二人が海へ空へと向かっていたそのラインの上で、自然と口づけを交わしていた。

 そこが共に生きていく場所で前進するスタートライン。誓いの場所。

 二人で寄り添いいつまでも口づけている間にも、潮風に舞う花びら。
 青い空、蒼い海。舞い上がる赤黄桃色白色の花びら。薫る潮風、祝福の声。
 そしてそこに真白き二人がここから飛ぼうと誓い合う。

  その誓いの口づけの中、葉月の心はもうカタパルトを滑り始めていた。

 瞬速で走り出す心。
 激しい重力に押し潰されそうになりながらも、その翼は空へと挑む。
 鳴りやまぬ轟音の中、静寂な青の中、心は熱く燃えている。

 ──もう、私の心は凍らない。

 

     ◇

     ◆

     ◇

 

 青い空を鋭く切り裂く音──。

 静寂な青の中。

 

 凍る想いを翼に乗せ、私は空へ……。

 今は違う。

 

     ◇

     ◆

     ◇

 

 鏡の中に映るその唇に、紅で彩る今日。
 そしてその栗色のガラス玉の瞳に向かうと、その奥には青空があった。

 沸き立つ心。そして少しだけ不安に思う胸の傷。
 もうそこはなんともないのだけど、それでも今日はどうなるか分からないから。

 御園葉月は、飛行服姿で鏡があるその部屋を出る。
 外に出ると誰もいない。もう他の者は訓練を始めていることだろう。 

 一人──。
 連絡船に乗り込んだ。

 今日、初めて塗った『深紅』の口紅。
 今まで甲板に向かうのに、これほどに口元を華やかにしたことはない。
 でも『この日』は特別だった。

「大佐、到着しましたよ」
「有難う」

 操縦士に告げられ、葉月は連絡船から巨大な艦へと乗り移る。
 そしていつもの通路を辿り、いつもの階段の下へとやってきた。

 今日もそこから眩い光が足下に降りてくる。
 あの日、純白になったあの日と変わらない光がそこにある。
 夫である御園中佐と共に一歩ずつ登った階段。そこを目の前にして、葉月は今日もその階段を上る。
 そして登り切ったそこには、あの純白の日と同じように、きっと……。

 この日もそのドアをくぐり、葉月は真白き光の中に一歩踏み出した。

『来たぞ──』
『御園大佐だ』
『大佐嬢!』

 あちこちから、そんな声。
 目の前には大勢のパイロットに、メンテナンサーが甲板で訓練をしている最中。
 ただ違うことが少し──。

 ドアを出たその目の前、あの日は沢山の花びらが舞っていたけれど、今日は男達の熱い視線が葉月に注がれる。
 その空の男達。彼等は葉月が日々共にしている小笠原の同僚だけじゃない。フランス航空部隊、フロリダ空部隊。そしてさらに恩師が率いるシアトル湾岸部隊もこの島の甲板に集っている。葉月が提案したあの『合同研修』が今、まさに目の前で実現しているところ。

 そしてそんな中──。今ここに、この甲板に、深緑色の飛行服に耐重力スーツを身にまとう『大佐嬢』が姿を現した。

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