『バッハのプレリュード』
熱い風が入り込んでくるキッチンにも、その音色が流れてきた。
そわそわしながら、読書をしていたジュールだったが、その美しく巧みなヴァイオリンの音が、さざ波と共に耳に伝わってくるほど……何故か、落ち着いて活字を追い始めていた。
その次は『カノン』
『悲愴』
『ボッケリーニ:メヌエット』
面白いことに『スタンドバイミー』や『煙が目に染みる』まで……。
ジャンルは問わないようだが、流行の曲すらも、クラシック風にアレンジしているようで、ジュールもつい、心が和んできたほどだった。
『本当に……上手いなぁ……』
ジュールは感嘆のため息をこぼしながら感心していた。
きっと、兄貴もワインを呷りながら堪能しているだろうと……。
ジュールがヴァイオリンを拾って持ってきたことに、純一は瞳を輝かせていたが、その気持ちがジュールにも解ってきた。
その数々の演奏が終わって、最後に聞こえてきたのは──『G線上のアリア』。
その曲は、兄貴が時々、聴いている曲。
『皐月が好きだったんだ』
いつか、そう言って彼は遠い眼差しで良く聴いている。
『妹が弾いていたなら……皐月様もきっと、喜んで聴いていたに違いない』
ジュールはそう思いながら、そう──兄貴も、きっとお気に入りなのだろうと感じた。
その美しい音色……。
甘やかで何処か切ない感じがする、ゆっくりとした音色。
妹の葉月も、思い入れ深く演奏しているのが伝わってくる。
『彼女、今までどんな日々を過ごしてきたのだろうか?』
ジュールも、苦い経験はごまんと味わってきたのだが、自分もそうだったせいか……やはり、酷な事件に巻き込まれた少女の今までも思わずにいられない。
そして──その『G線上のアリア』を最後に彼女の演奏は聞こえなくなった。
ジュールは、それまでの音色が耳に焼き付いてしまったので、それを耳の奥で繰り返しながら再び読書にいそしんだ。
フェニックスを揺らす風の音と、さざ波の音。
熱い風が入る熱帯夜。
ジュールの耳にゆっくりとしたバッハの曲がリプレイされる。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・・
「……それでね? 『教官』が、私にね……」
無邪気に、自分の横で話を進める葉月を、純一は静かに見下ろした。
テラス前の大窓。
カーペットの部屋に置かれている大きなソファーを窓際に向け、渚を見渡しながら葉月は紅いカクテルをすすっている。
純一は長い足を組み、ソファーの背もたれに腕を乗せて頬杖。
すぐ隣で、寄り添うようにして微笑んでいる栗毛の義理妹の話を、ジッと聞いている。
義理妹の肌は、夜灯りの中、透き通るように白かった。
今は髪が短いせいか、後ろ姿が姉に良く似てきていた。
それでも……どうしてか? 姉と重ねようにも重ならない。
おそらく『体型』のせいだと純一は思う。
葉月は、姉の皐月に比べると体の線が細い。
自分が見繕ったドレスは、彼女の肩の傷が見えないよう肩の線が出ないものを選んだ。
そうすると身体の前面、前身頃はどうしても隠れる物になるので野暮ったく感じてしまう為、その分、背中が少し開いた物を選んでみた。
その背中の線を眺めながら……。
いつまでも子供と思っていた義妹が、少しばかり成長しているのに気が付く。
「聞いているの? お兄ちゃま? さっきから黙ってばかり……」
だが、義兄の純一が身体に気を取られていても、そうして拗ねる義理妹の顔はやはり、まだまだ『子供』だった。
純一は微笑みながら、でも、ため息を一つ。
「お前。さっきからその『教官』の話ばかりだな……」
もう一度、呆れ溜め息をこぼしてみる。
葉月は何か思うところがあるのか、そんな義兄の言葉に、そっと頬を染めた。
反応有りと見定め、純一は、静かに続ける。
「その教官──気に入っているのか?」
「べ、別に?」
どんなに義妹が取り繕うと、一回り年上である純一にはお見通し。
「気に入っているなら、思う存分、気を許せばいい」
そう笑顔で、義妹に勧めてみた。
だが、葉月は急にふてくされ、手に持っていたグラスをガラステーブルに置いた。
「……『教官』は」
葉月が、何か言い訳ようとしたのだが、彼女が次の言葉に戸惑っている間に、純一が続ける。
「お前が流産をした時に、たまたま側にいて助けてくれ、病院まで運んでくれた。その上、他の男訓練生達に知られないよう手を尽くし、その後もお前の面倒をみている……とか?」
「──!! 誰に聞いたの!?」
まだ報告していない話を、純一がさも見たかのように知っているので、葉月はかなり驚いたようだ。
「さぁな──いろいろと地獄耳でね」
『ニヤリ』と、微笑んだ義理兄に、葉月は驚きも束の間。
『納得した』とばかりに、また頬を膨らませてふてくされる。
「お兄ちゃまは……側にいなかったじゃない」
「だな──それで?」
「パパもママも、お祖父ちゃまも、教官のこと、すごく頼ってくれているし」
「だろうな? お前のために、そこまで手を尽くしたのだから? 悪く言えば? 『運良く御園と、お近づきになれた』って所かな?」
シラっと呟きながらワイングラスを傾ける純一に、葉月はさらに『ムッ!』とした表情を浮かべた。
「そんな人じゃないわよ! 本当に良くしてくれるんだから!! 学校の帰りだって暗くなったら家まで送ってくれるもの!! 実習宿泊訓練の時だって、他の生徒に変な事されないように気を配ってくれるし!!」
「ふーん……『送りオオカミ』に『お守りオオカミ』って奴か?」
さらに葉月が、頬を膨らませる……。
「教官は変なことは一度もしていない!」
葉月が怒れば怒るほど、純一の表情は『無機質』に冷たくなっていく。
そして純一は、もう一度、溜め息。
「ジェフリー=トーマスだったかな? 年齢は三十歳。独身だったかなぁ?」
平淡な表情で純一が渚を見つめながらワイングラスを揺らすと、葉月はもっと、驚いた顔をした。
「お前が可愛くて仕方がないんだろうなぁ」
今度は、ニヤリ……と義妹を見下ろす。
「……そんな事……」
「──ない──とでも? 男は男だ。そして、お前も『女』だからな……『一応』」
今度、義妹は怒らなかった。
その代わり、首を振って、一生懸命に何かを否定したそうにしている。
「今はお前が『子供』だから、遠慮しているかもな?」
『違う、違う!』と言うように、葉月は短い栗毛を揺らしながらまだ首を振っている。
純一は静かに……ガラステーブルにワイングラスを置く。
そして、すぐ側にいる義妹の肩に手をかける。
葉月は、まだ何かを否定するように茫然と、視線を床に落として考え込んでいる。
純一は静かに息を吸って……。
「──!! なに!? お兄ちゃま?」
葉月の身体に覆い被さり、ソファーのクッションめがけて押し倒した。
その──怯えた少女の顔──。
純一はその義妹の顔を上から静かに見下ろした。
「あと二、三年すれば、お前もいい女になるだろうな?」
「……お、お兄ちゃま」
いきなり男になりかけた義兄に葉月は戸惑いを隠せないばかりか、身体を強ばらせ、額に汗を浮かべていた。
でも、純一は『怯まない』。
義妹の白い頬に手を当て、ジッと彼女の瞳を見据えた。
「つまり──トーマス教官もいつかは、お前にこんな事をするだろう──と、俺は言っているんだ。そらみろ? 怖いだろ? 俺ですら怯えているのに。こんな事をされたら、お前その時どうするつもりなんだ?」
そこで、純一はサッと葉月の身体から離れた。
そして、緩めているネクタイをさらに緩める。
襟元を正し、もう一度、ワイングラスを手にとって一口のみ干す。
気のせいか、自分の手元を誤魔化しているように、純一は感じてしまっていた。
まるで、何かをしたかった手をなだめているようだと……。
それ以上は、何もしようとしない純一を確かめ、葉月もホッと一息……胸元を握りしめて起きあがる。
「……」
何かを悟ったのか葉月は無言になってしまい、ジュールが作ったカクテルを気持ちを落ち着かせるように、グラスに口を付けた。
「体調は……もう大丈夫なのか?」
「──うん」
「残念だったな……。真も判っていて、お前に託したのかな?」
「──う……ん」
「仕方がないさ。真の気持ちも解らないでもないが、お前はまだ若いのだから……気が付かなかった事ぐらい……。お前も驚いただろう? まさか自分の身体に子供がいるなんて……」
「う……ん……」
葉月の声が、徐々に震えていた。
そっと葉月を見下ろすと、彼女は栗毛の中……顔を隠して唇を噛みしめている。
純一がそれを見つめていると、暫くして、その頬から顎にかけて涙の筋が『スルリ』と線を描き、葉月が着ているドレスに落ちたのだ。
「真お兄ちゃまも、きっとシンちゃんみたいな子供が欲しかったのかも! たとえ、自分がもうすぐ死ぬかも知れないって判っていても、何か残したかったのかも!! それを……私に託してくれたのに……私は……その子を産むかどうか悩む前に……ダメにしちゃったんだもの!!」
葉月が白い手で顔を覆って『わんわん』と泣き始めた。
純一はまたワイングラスをテーブルに戻し、ため息をこぼしながら、葉月の肩をそっと胸元に引き寄せる。
「純お兄ちゃまに逢いたかったのに!! 何処に行っていたのよ!!」
やっと抱え込んでいた固まりを吐き出すかのように、堰を切ったように、葉月は純一の胸にしがみついて泣くだけ泣き始める。
純一もそっと、葉月の小さな頭に手を置いて栗毛を撫でた。
「葉月──。お前は何も悪くないんだ、何も。だから、そうやって気に病むのは、もうやめろ」
「だって──!! 真お兄ちゃまの子供はアレで最後だったのに!」
「真が連れていったんだよ。お前に託した物の……お前が苦労すると思って……連れていったんだ。もしかすると……皐月と一緒に抱いて笑っているかもな?」
「死んじゃった人が笑うわけないじゃない……。あるとしたら、魂が漂うだけよ」
「ほう──? お前がそんな『現実的』な事を言うとはな」
純一は『意外』とばかりに葉月の顔を覗き込んだ。
「でも──そう、思うぐらい良いじゃないか? 下界の俺達がそう想像する事で、漂う魂が救われるかも知れないぞ? 魂だけのなくなった物に形が出来るかも知れない……。霊とかそういうものは、俺達が作る幻かもしれない……。だが、幻でもいいじゃないか。俺達が勝手に作り出しても良いじゃないか? もう一度、会えるなら会ってみたいだろ? お前だって……」
純一の一言、一言に葉月が胸元で『ウン、ウン』と頷いていた。
そうして──暫く、栗毛の頭を撫でているとやっと葉月が落ち着いた。
純一は、泣きはらした葉月の瞳を見つめて、そっと、頬に口付けてみた。
今度は、義理妹も怯えずに受け止めてくれる……。
その次は、彼女のまだ化粧で彩られる事ないベビーピンクの唇。
それも葉月は、怯えずに受け止めてくれたが、きっとアメリカ育ちで、クォーターの義妹には慣れた挨拶程度。
『お兄ちゃまが慰めてくれている』としか取っていないだろう……。
だから、今度は、義妹を背中から抱きすくめる。
これも先ほどのようには怯えない。
むしろ純一の大きな胸に包まれた葉月は、安らぐように寄り添ってくるのだが……。
「お前も……子供、子供と思っていたが少しは成長しているんだな?」
彼女のいたいけな胸を両手で柔らかく包み込むと、やっと少しばかり、純一の胸の中で葉月が強ばった。
「お兄ちゃまの……ばか……」
いつもはムキになって向かってくるのに、葉月は恥ずかしそうにうつむいて頬を染め、静かに呟くだけだった。
それで純一は意を決した!
義妹の細くて白い首に唇をはわせて、ドレスの裾をたくし上げる。
葉月は『抵抗』しない。
それも……そうだろう……。
葉月にとって純一は、三年前に既に『抱かれた男』。
そればかりか純一の弟『真』にも身をゆだねたことがある『経験はある少女』なのだから……。
問題は、純一とはそれっきりで、これが『再会』。
葉月の心の中で、自分の弟がどれだけ残されているか?
または……『新しい優しい大人ジェフリー』をどれだけ心に留めているのか?
だが、先ほどの純一の『諭し』で葉月は何か解ったのか、静かに進む純一の大きな手には、なにも抵抗はしなくなった。
ドレスを脱がすと、思った以上の身体の線が純一の前に現れた。
まだ……どことなく幼い体つきだったが三年前とは比べ物にならなかった。
いつもは『少年』のようにして過ごしている彼女に着替えさせた水色の、少しばかり愛らしすぎるスリップドレス。
(もう少しセクシーなランジェリーでも悪くなかったか)
純一は葉月の背中で一人……『クスリ』と微笑みながら、大人しく従う義妹を自分の胸の中に委ねさせた。
『あの時みたいにしてくれるの?』
『リトルレイがお望みなら……』
『お姉ちゃまにも、そうしたの?』
『変な会話だな』
『うん──でも、お兄ちゃまがいい。あの時みたいにして』
さざ波の音が二人の間に滑り込んでくるだけになった。
時折、風の音。
熱風が純一の寝室に……。
そして──幼いはずの義妹の艶めかしい吐息が彼の耳をくすぐり出す。
フェニックスの葉の陰から月光と星が覗いていた。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・
『フゥ──』
ジュールは腕時計を見て、本を閉じる。
一時間半程前。兄貴の寝室から、彼女のムキになって怒るような声が聞こえたのだが……。
なにやら……兄貴と取り込んで言い合っているようだったので、それはそれで『家族の話』と判断し、そこは割り込もうとは思わなかった。
その後、微かに彼女のすすり泣く声が聞こえ、兄貴のいつにない優しい囁きも聞こえてきた。
何を話しているのかは離れたキッチンからは聞こえなかった。
その後すぐだった──。
ジュールが怖れていた少しばかり気になる声が、微かに聞こえた。
だが、静かな空気しか感じ取れなかった。
そこはもう──解りきったので、ジュールは自分の部屋に戻って気にしないことにした。
しかし、やはり寝付かない……。
本を閉じて、キッチンに『寝酒』でも取りに行こうと部屋を出た。
キッチンに入ると、丁度、兄貴が乱れたシャツ姿で、ミネラルウォーターを手にしてダイニングに座っていた。
妙に疲れたようにうなだれていて、なんだかその背中がいつになく寂しそうとも、小さくとも見え、ジュールは思わず、目をこすってしまった。
しかし、一言言わねば気が済まないことがある。
「まったく……『しょうもないお兄さん』ですね」
ジュールがキッチンの入り口からそう呟くと、純一が驚いたように振り向いた。
「なんだ……起きていたのか」
「まったく──突然、義妹様を連れ込んだと思ったらいきなりですからね? 私にも心の準備とか、説明とか少しはしてもらわないと驚くばかりで」
ジュールが、いつもの冷たい表情で座っている彼を見下ろすと、純一がいつにない疲れた溜め息をこぼしたのだ。
「あの、どうかしましたか?」
それとなく、いつにない雰囲気の兄貴が気になって尋ねてみる。
「いや──」
いつもそんな自分の心情は口にしない男だとジュールは解っていた。
自分もそうだけれども……。
だいたい解っている。
ジュールはその解っている事を、怖れずに口にした。
「可愛い義理妹……小さな子供の妹に手を出して『後悔』ですか?」
ジュールは手元のグラスにブランデーを少しだけ注ぎながら呟くと、『図星』だったのか、純一の息づかいが一瞬止まったように感じた。
彼がそのまま、息でも止めたかのように動かなくなり、彼はキッチンの窓辺に揺れているフェニックスの葉を見つめていた。
ジュールもそれ以上は問いたださず、グラスに注いだブランデーを兄貴に差し出す。
それを見つめた純一は、ジュールの手からグラスを受け取ってくれ、彼は何かを振り払うかのようにそれを一気に飲み干したのだ。
そして、『ふぅ』と言いながら拳で口元を拭った。
それで落ち着いたのか、迷いが晴れたのか、純一が一言。
「義妹とは、これが初めてじゃない」
その一言を聞いて、今度はジュールが驚いて固まった!
「──って! 彼女、今日……16歳でしょ!? そりゃ、初体験をする年頃ではあるかもしれないけれども。あの御園のお嬢様でしょ? 大事にされているはずでは?」
「ああ、まあ、そうなんだか……」
「あなたとは一緒に生活をして何年か経つけど……いつの間に?」
「三年前。アイツが訓練校に入校した時」
「だったら……十三歳でしょう!?」
ジュールが大声を上げかけると、純一が『シッ!』と口元に指を立てた。
ジュールもハッとして声をすぼめる。
「アイツは耳がいい……。気を付けてくれ」
「あ……はい……」
「皐月がどんな風にして死んだか知っているお前なら解ると思うが。葉月はあれから男を憎んでいたからな」
「でしょうね……解ります」
ジュールは兄貴の向かいに腰をかけて、自分のグラスにもブランデーを注いだ。
「御園の一家繁栄の為に入校したのかと思えば、そうじゃなく。葉月は、左肩の回復のために武道を習っていたが、それがいけなかったのか、入校した途端に男と理由もない喧嘩ばかりして、処分を喰らっても平気な顔をして同じ事を繰り返していたんだ。ヴァイオリンの音はすさんで、とてもじゃないが優雅に聴ける物じゃなくなりつつあり、それどころか喧嘩に明け暮れて、煙草まで吸うようになった。そして、ヴァイオリンを手放した。訓練校などいつ辞めたって良い……その代わり向かってくる男はすべて制裁って奴だったんだな」
「ええ!? あの、お嬢様が!」
確かに武術の腕前は唸る物があったが。
ジュールに花柄のハンカチを差し出してくれた愛らしい彼女が。
あの素晴らしい演奏をする彼女が……!
『喧嘩』に『煙草』に『処分』に、先程の彼女からは想像出来ないが『ヴァイオリン放棄』。
男を憎むという気持ちは解るが、そこまで『派手な悪ガキに変貌した』とは思いたくなかった。
ジュールの驚き顔を確かめ、兄貴はまた静かに続ける。
「俺達は想像はしていた。皐月も死ぬ前にそれをとても心配していた。『私のせいで妹を巻き込んでしまったから……元に戻したい』とね。だけど──皐月は死んでしまった。ただ俺達……ああ、俺達って言うのは……『右京と真と俺』、三人のことなのだが、その俺達に言い残したことがあって……」
「皐月様の遺言?」
「ああ──『男ばかり憎むような子になったら』──俺達、兄貴で男とはどうゆう物か解るように教えてやってくれと……」
「……それで!? その暴れ者みたいになったときに? でも、何故? あなたが?」
「勿論──俺も右京も、葉月が幼い頃から、一番になついていた真に勧めた。葉月はいつも真にひっついていたからな。だが──ジュール。お前も、真の性格解るだろ?」
「はぁ。一途と言うか……皐月様一筋だったから……妹は抱けないとか?」
「そうだ。それもあったし、真から見ると13歳の葉月はまだ子供だったからな」
「右京様は?」
「真と一緒だ。13歳はまだ幼すぎると。勿論、従兄とはいえ、抱けない訳じゃない。真がダメなら右京に勧めた。でも──右京も所詮、葉月のことは『妹』としてしかみれない。『誰もやる物がいなければ、俺でも良い』なんて言っていたが、血の繋がりが邪魔をした……。当然の感情だ。右京が苦悩している姿を見て……」
「ボスが……決心をしたのですか?」
「ああ──ただ、右京はまだ幼すぎると躊躇っていた。勿論……俺だって、まだ子供の女を抱くなんて考えたことはなかった。だけれども、ここを逃したら手の着けようがなくなると、俺達は焦っていた。事の重大さを一番噛みしめていたのは実は弟だ。弟が俺に勧めた……右京には黙っていればいいと……。勿論……後で右京には散々叱られた。だが──葉月は……」
そこで──兄貴がいつになく、はにかんで黙り込んでしまったので、ジュールが代わりに呟く。
「傷つけられた男達がしていた事は『悪夢』で『暴力』でしかないと思っていたお嬢様は、あなたに『男に抱かれる』と言う事は、ある意味『悪くもない』と教えてもらい、外では男らしくしていても、ああやって女性の部分も残ったと? 訓練校では真面目に精進をするようになり、ヴァイオリンの音も元に戻った……」
「ああ……俺じゃなくてもそうだったと思うけどな」
ジュールはそこで深いため息をついて、なんだか急にやるせない気持ちが襲ってきたようで、兄貴に習って、ブランデーを一気に飲み干した。
「そんな……そんな風にしなくちゃ……お嬢様は……」
それしか方法がなかったのだろうか?
もっと選択肢があったのではなかっただろうか?
若い青年達が苦悩した果てに、追いつめられたようにして決めた事。
いや……もう、言うまい。
そんな事、ジュールがいない世界で起きていた事。
もう、済んでしまった事について、批判も賛同も意味はなさない事だから──。
だが、それ以上にジュールは、あの『レイチェルばあや』の様に『美しい女性』になる要素は、葉月からは感じることが出来たのに、『男を愛せない女性』になって行くなんてジュールには哀しく感じた。
それと共に初めて『御園姉妹』を欲望の固まりだけで襲った男達に激しい憎しみを抱いた。
そして、その義妹を見守る、姉に託された兄貴達の『選択』にも、色々な切なさを感じる……。
『女遊び』はお手の物の黒猫の兄貴が、幼い義妹を抱いてため息をついているなんて……想像できない姿だが、ジュールはため息ばかりついている兄貴が兄貴らしくなくて、暫く黙って見つめているうちに気が付いてしまった……。
『初めての男の儀式は請け負ったけど、再び彼女を抱いてしまった事に戸惑っている』のだと。
そして、また何か他にあって抱いたのだろうが、そう……兄貴はきっと知ってしまったのだ。
幼いと思って兄貴のつもりで抱いたのに、彼女は『女性』として『兄貴を受け入れた』。
そして……兄貴はさらに知った……。
『葉月の身体は誰にも触らせたくない』と──。
彼女の身体に『執着心』を抱いたのだと……。
ジュールも兄貴と一緒に『遊び慣れ』はしている方だ。
だが、そのジュールも、葉月を見て何かを感じたのだ。
大人になれば素晴らしい女性になる『原石』だと。
ジュールがそう思ったのだから、実際に抱いてしまった兄貴はより一層……その『味』を噛みしめたのだろう。
そこで戸惑っているのだ……。
そんな彼は初めて見た。
畏れ多いが、そんな兄貴がその様になったのだから、ジュールが令嬢を手中に収めることがあったとしても、きっと……同じように悩まされる女性に違いない。
そんな事は、ジュールのような男にはないと思うが……。
暫くすると兄貴が呟いた。
「ジュール。お前に調べて欲しい男がいるんだが……やってくれるか?」
いつも命令調の彼が、頼むように言ったのでジュールは首を傾げた。
「実は……」
いつになく兄貴が沢山事情を語ってくれた……。
さらにジュールは驚いた!
『真が去年、死ぬ前に、側にいない俺の代わりに、俺と同じように葉月をやっと抱いてくれた……。真がワザとそうしたかは今となっては解らないのだが、葉月はその事で妊娠をして飛行訓練で流産をした』──と!
ジュールは『もういい! それ以上はもういい!!』と、金髪をかきむしりたくなった。
あのあどけない少女にそんな痛ましい経験がまだあったなんてと!
何故!? この兄弟の間で彼女がそんな事になってしまったのか!?
そして兄貴は、こう言いだした。
「葉月に取って俺との事は『突然の出来事』。だが、真と言う憧れ、なついていた男に抱かれ、その上子供を腹に宿したせいか、急に女性らしくなったようで。その時、側にいた教官に助けられて今も良く面倒を見てもらっているそうだ。好きだった男に抱かれることを知って、今度は逆に『隙』ができているようで、その教官に恋心を持っているようだな。だが──俺には不安が拭えない。調べたところ真面目で、歳は離れているが悪くはない男みたいだ。ただ──やはり男だ。葉月が子供で軍人一家の末娘であるが故にどう変貌するか解らないから……」
兄貴がつらつらと話しているうちにジュールにも飲み込めてきた。
『男は怖いぞ? 何をするか解らないぞ?』
それを兄貴は今夜、彼女にもう一度教えようとしたのだと。
『俺がすることと同じ事、教官もするぞ』
そうして彼女を抱いたのだと……。
でも──彼女は、兄貴を思うままに受け入れてしまったようだった。
それも仕方がない。
最初にリードしてくれた親しき男性がそうしたのだから──。
だが、逆に兄貴が思わぬ『甘美な時間』を義妹から与えられて戸惑い、今夜の事をキッカケに葉月がさらに側にいる男に気を許すまいかと心配しているのだ。
葉月がなついていた兄貴の実弟『真』は、もうこの世にいない。
いつも遠慮している兄貴は義妹すらも弟に任せたのに、その弟がいなくなって、やっと自分で腰を上げた。
そうしたら三年経ってみると義妹は実は……『立派な女性になりつつ』あり、その上、家族にしか気を許さない『男嫌い』が、外の男に気を許そうとしている。
「義妹はそうはいっても、まだ心は子供だ。ただ……本当にいい男だったら……外の男に任せるのが本当にいい結果だろう。しかし、教官は俺より歳が上の男だ。義妹を思うままに操られたらアイツの将来が怪しいからな」
「あなたがそこまで調べたのなら、あなたの目で見届けては?」
ジュールはそれが良いと思って突き返そうとしたのだが……?
「俺は……俺が見届けると……」
(ああ──そういうこと)
ジュールは、兄貴がこれまた珍しく躊躇う姿を見てすぐに察した。
「解りました。あなたが見届けると、義妹様のせっかくの『恋のチャンス』も潰してしまうかもしれないって事ですね?」
ジュールが呆れてため息をつくと、純一が降参したような困った笑顔をジュールに向けたのだ。
そのような素の表情を、はばかることなく向けられるのは珍しいことで、そんな兄貴だから憎めなく、今度はジュールが戸惑って思わず視線を逸らしてしまった。
「お前は若いのに頭が良くて参るよ……」
「……」
「ブランデー、美味かった。買ってきてくれたのか? 『メルシー』、ジュール……」
さらに彼の優しい満面の笑みにジュールは驚いてしまい……。
「調べます……。調書、後で下さい」
いつもの冷静顔で誤魔化して、サッとキッチンを出た。
その後直ぐの事──。
『お兄ちゃま? 何処にいるの?』
部屋に帰るジュールの耳に、子供のように不安がる葉月の声が聞こえた。
『ああ──ここにいる。どうした? 夢でも見たのか?』
『うん──』
(本当に……まだ、子供じゃないか?)
ジュールは、義理兄と官能的な夜を過ごしたはずの彼女が、まだいたいけな子供のようなので複雑な気持ちにさせられたのだ……。
だが──妙な使命感が宿った。
『さて。その教官男……拝見と行くか』