夕食を取る為にキッチンに入り、ジュールは驚く。
キッチンのテーブルには、なにやら料理がいろいろと並べられていた。
『兄貴が……? 作ったみたいだけど?』
ジュールがまだまだ『まかない』に慣れていない時は、純一が良く作ってはいたので、彼がちょっとした簡単な料理の心得があるのは知ってはいた。
だが、今、食事のほとんどは、純一より手が空いているジュールがここの所は作ってはいたから、任せてくれるようになってから、彼がこんなに料理をしたのは見たことがない。
そこまでして、あの幼い少女に手を尽くすその心が意外すぎて、ジュールはテーブルの上の料理をマジマジと眺めていた。
「ジュール。悪いが手伝ってくれ」
キッチンに入ってきた兄貴を見て、さらにジュールは驚き!
彼が『お出かけ』で着て行く上等の黒いスーツを着込んで、丁寧にカフスからネクタイからポケットチーフまであしらい、本当に今から何処かに『招待』でもされたかのような最高のお洒落をしていたからだ。
「はい。あの──」
白いワイシャツの袖に銀色のカフスを付けながら、純一は戸惑うジュールに首を傾げる。
「なんだ? おかしいか? 俺」
「いえ、そうじゃなくて……」
「明日は義妹の誕生日だ。明日はきっと家族で祝うだろうから今夜を選んだ。義妹は、砂まみれになっていたから今、風呂に入れてる。その間に、俺の部屋にこの料理を並べてくれないか?」
「あ。はい」
「な。お前もスーツで正解だろ?」
「はぁ……」
なんだか結局、いつものワケの分からない兄貴に振り回されているだけで、ジュールとしては、徐々に何でもどうでも良くなって、気の抜けた返事しか出来なくなってきている。
すると、何から何まで丁寧に接している姿を見られたせいか……でも? その姿をジュールに見せる事を覚悟していたのか? だからこそなのか、純一はきまりが悪そうな微笑みを浮かべ、ジュールを見つめていた。
「悪かったな。驚かせて。お前を俺の代わりに遣いに出したのは、仕事もあったが、俺が料理でもしようかと思ってなぁ。出張シェフでも雇いたいところだがここには招くことが出来ないからな」
「一人でこれを? 私が出かけている間に?」
「まぁな。味は保証できないが? さすがにケーキは島の菓子店まで仕入れに行った」
(兄貴自ら──)
そこまでしてあの少女をもてなそうとしていること……。
やはり、その思い入れがいつもの『ボス』とは全然違うので、ジュールはやっぱり腑に落ちない。
とにかく、兄貴が言うとおりに、ジュールは純一の大きな寝室まで、彼と一緒に料理を運ぶ。
一階のテラスからでも、充分、渚が見渡せる部屋だった。
テラスに入る窓辺近くに配置している足が低いガラステーブルに料理を並べる。
「ケーキは? デザートとして後で運びましょうか?」
「ああ。そうだな。そうしよう……」
「プレゼント。ちゃんと選んだのですか?」
「……ああ。まぁな」
「お酒は、飲めないですよね? ワインを水で薄めてみては?」
「ああ、うん……。そうだな」
「軽いカクテルでも作りましょうか?」
いつものことではあるのだが『無骨な兄貴』に、ジュールはそうしてヨーロピアンらしい『感覚』をついつい口うるさく提案してしまうのだが……。
「なんだ、ジュール。仕事でもないのに随分と気を遣ってくれるじゃないか?」
「!!」
(確かに!?)
ジュール自身、兄貴に言われて初めて気が付いたのだ。
そう仕事以外では、そんなに人のことを気にすることはない性分なのに……。
一つ『例外』がある。
それは、やはり『御園』のことだ。
ジュールは訳あり『レイチェル』の事は『母同然』に思っていたから。
『御園』とくると、たとえ、『兄貴の私用』であっても、つい……口出しをしてしまうのだ。
それもやはり、自分も『御園に関わる男』だからだと、自分自身ではそう思っている。
だから『兄貴の実弟・真』も『兄貴の息子・真一』の事も他人事ではないように感じてしまうのだろう。
だったら……? 『兄貴の義理妹・葉月』だって一緒のことだ。
だけれども、ここまで『気を遣う』事はさすがに『真や真一』の時でもなかったように感じる。
兄貴が、真や真一に『贈り物』として何を選ぼうが、何を催そうが手伝うだけだった。
今夜、初めて来た『葉月』には、『あれが良いこれが良い』などと兄貴に口出ししているじゃないか?
「あ──えっと……」
ジュールがそこで返事に詰まっていると、兄貴がまた『ニヤリ……』と笑ったので、ジュールはおののいてしまった。
「まぁ……折角だ。女好みの『カクテル』なら、お前にお任せだ」
「あ、はい。では……フロリダらしい物を……」
ジュールはクスクスと笑う兄貴に、冷たい表情を保つのがやっとだった。
(俺……もしかして……)
そう……既に『葉月には頭が上がらない』ようになっていたのでは?
レイチェルの『孫娘』で『御園のお嬢様』。
それだけならまだしも、『葉月』の武道的センスにも驚かされたし──。
ヴァイオリンを優雅に引きこなす『美感覚』から、気を許さない『氷の眼差し』。
だけれども『ばあや』を思い起こされた『暖かみ』。
ハンカチを差し出されたときのあの『威圧感』等……。
どこかで彼女にすでに『従えられた』とジュールが認識しないうちにそうなっていた……?
それに気づいた気がしたのだ。
『お兄ちゃま……』
純一の寝室には『シャワールーム』があったのだが、そこの扉が少しだけ開いて、その隙間からバスローブを羽織った栗毛の少女が『チラリ』と覗いたのだ。
ジュールは驚いて、そっと顔を背けたし、純一が慌てたようにして、サッとバスルームの扉に歩み寄った。
「あのね。これ……本当に着て良いの?」
「ああ……制服じゃムードがないだろ?」
「お兄ちゃまが選んだの?」
「なんだ? 気に入らないのか?」
「こんなの、最近、着た事ないし……」
「いいから……着ろ!」
「うん……でも……すごい高そうなお洋服。いいの?」
「いいから……登貴子おばさんでも、そういうの選ぶだろ?」
「ママが選んだのは時々着るけど。でも、このお洋服、大人っぽいんだもの」
「頼むから……着てくれないか?」
「ランジェリーも……すごいんだけど……」
「おまえな。大人の女になったら、お前がいずれ選んで着るものばかりだぞ?」
「そうかな?」
そこで、葉月は渋々したようにしてバスルームの扉から声が消える。
ジュールはその会話を耳にし、思わず声を殺して笑ってしまっていた。
「なーにがおかしい!」
あの兄貴が頬を染め、後ろ姿で肩を揺らすジュールに食ってかかってきた。
「だって……。あなたがムキになって『頼むから……』なんて言うから。しかも、女性の洋服に対して、さらに、あんな小さな女の子に真剣に」
兄貴が『女遊び』で選ぶ女性をジュールは幾人か見てきたが、だいたいは、スタイルが豊満で金髪だったり栗毛だったりの『ゴージャスな美人外人』を選ぶ事がほとんどだった。
勿論、ジュールもそうしているが、『闇の男』故、後腐れない『一夜限り』を信条としていた。
大抵の『相手の女性』は、兄貴の上手い扱いと財力、そして寡黙な東洋人と言う神秘的な雰囲気に『クラリ』とのぼせるようで? 『次も逢いたい』と来るところを兄貴はさりげない冷たさであしらい、後が続かないよう、『一夜限りの夢』と終わらせる。
勿論……相手の女性には満足する贈り物を残してだ。
その『ゴージャス好み』の兄貴が! あのような幼くて、あどけない少女にあれやこれやと手を焼いてムキになるのが、これが『面白い光景』の他なんと言えばいいのだろうか?
ジュールとは生活が密着しているから、そんな弟分にバツの悪いところを見られたとばかりに、純一はふてくされたようにして、テーブル側の大きなソファーに『ふん!』と座り込む。
胸ポケットから、紙袋の煙草を『クシャクシャ』と手にして一本くわえた。
「驚くなよ。アイツは昔はもっと……」
「はい?」
『昔はもっと……』──で、兄貴が言葉を止めて煙草に火を点ける。
聞こえてくる渚の波の音が部屋に響き、兄貴は遠い目で煙草を吸うだけ……。
彼女が兄貴が見繕ったドレスを着て出て来るのがジュールも待ち遠しくなった。
そして……やはり『反省』をした。
「ボス、本当に私が間違っていました……。折角お洒落をさせようとしていたのに、顔に傷が残っていたら台無しですよね?」
『本当に申し訳なかったです』──と、ジュールが煙草を吸う純一にいつになく素直に頭を下げると、彼は時々こぼす憎めない笑顔でにっこり……と、肩越しに振り返ってくれた。
「あはは! 解ればそれでいい。どうせ葉月は、お前が傷つけなくても訓練校で『取っ組み合いの喧嘩』は日常茶飯事……。いつも傷だらけらしいからなぁ」
クスクスと兄貴は笑い『それが葉月らしい』と言っているようだった。
「あの小さな身体で海軍訓練校ですか? 確かに勘と反射神経は良いようですが」
ジュールが『細身の男の子』と思ったぐらいだ。
体格良いアメリカの男が集う訓練校に、あの身体で精進していれば『苦労もつきもの』だろう……と、ジュールでさえ眉をひそめてしまう。
「葉月は、あれでも既に飛び級している。それから、あと一息で、もう一つ飛び級する予定だ。上手く行けば、来年には『特別校』に編入できるだろう……」
「え!? あのナリで?」
ジュールが驚くと、また純一が『あはは!』と笑ったのだ。
「だろ? だから『とんでもないガキ』なんだよ」
「はぁ──そうだったんですか。さすが、じい様の孫」
「しかも、これはあいつ自身が選んだのだが『パイロットの卵』だ」
「パイロット!? まさか……戦闘機とか言わないですよね!?」
「その『まさか』だ」
『嘘だろ!?』と、ジュールは開いた口が締まらなくなるほど驚いた。
「今はまだ16歳だから、さすがに実戦訓練は出させてもらえないみたいだが。今は小型機で練習中。来年からは小型機の免許を取らせてくれるようになるようだな……。それが終われば、少しずつ……練習機の訓練に移行するらしい」
(さすが……御園一族!!)
ジュールは益々『とんでもないお嬢様!』と、おののいた!
(でも、ヴァイオリンの腕は素晴らしかった……。軍人になるなら、勿体ないくらい)
そんな感性を持ち合わす軍人に彼女が成長したら、どんなに楽しみだろうか?
ジュールはそうして彼女の行く末、成長に初めて期待を持ったのだ。
『お兄ちゃま……着替えたよ』
彼女がまたバスルームから、こっそり瞳だけ覗かせた。
本当ならば、ジュールは『家族』に遠慮して下がるべきなのだが、『見てみたい』ので身体が動かなくなってしまったし、兄貴も『下がれ』とも言わない……。
「どれどれ……『じゃじゃ馬にも衣装』。どうなったか?」
純一は煙草を灰皿にもみ消し、颯爽とバスルームに向かう。
『またそんな、パパと同じ事を言うと、もう見せない!!』
拗ねた葉月がムキになってバスルームの扉を閉めてしまったのだ。
「こら。そうして閉じこもっても無駄だぞ!」
『やっぱり見せたくない! もう、制服に着替え直す!』
葉月が内側からノブを引っ張り、開かないようにして拗ねているところを、兄貴がノブを持って『ガチャガチャ』と呆れながら開けようとしていた。
その光景がまた可笑しくて、ジュールはまた、声を必死に殺しながら笑っていた。
「まったく……! いい加減にしろ──オチビ!」
業を煮やした純一が『力ずく』でドアノブを引っ張る!
「あ! もぅ……やっぱり、お兄ちゃまには敵わない!」
栗毛の少女が、大人の男の力に勝てずに、バスルームから『ヒラリ』と飛び出す。
兄貴の力が勢い良かったのか、葉月はつまずくようにして兄貴の懐に飛び込んできた。
「──!!」
やっと出てきた少女、いや、女性?
ジュールは目の前の光景に、釘付けになった。
紺色のシックな膝丈のワンピースを着込んだ少女、いや、もう少女とは呼べない!
そのバスルームから現れた『女性』が兄貴の懐に飛び込んだかと思うと、純一に潤んだ瞳を向けて呟いた。
「何処に行っていたの? お兄ちゃま……どうして、来てくれなかったの?」
そして、純一の大きな背中に、白くて長い腕を回して泣き始めたのだ。
純一が困ったように、でも、いたわるように彼女の小さな頭を撫でながら、そっと栗毛のつむじに『口づけ』をした。
「去年、真お兄ちゃまが死んじゃっても、どうして? ジュンお兄ちゃまは来てくれなかったの? シンちゃんもウンと泣いたんだから……。お葬式にもお兄ちゃまは来ないなんて。真お兄ちゃまが可哀想……!」
「別に……行かなかったワケじゃない。ちゃんと見ていた、火葬場でも。ただ、真とは運良く、死に際で言葉も交わしたから、葬儀など……。もういない真と言葉を交わすようで。最期の言葉で最後の別れだった、それだけだ」
そう言い、神妙な眼差しで葉月を見下ろしながら栗毛を撫でる純一。
そして、その義理兄の瞳を真っ直ぐに見つめるその潤んだ瞳。
その『潤んだ瞳』は、涼しげではあるが『熱く潤い』始め、その艶っぽさがジュールには『ばあや』を思わせずにいられない。
彼女の髪は洗って乾かしだちのせいか、すんなりと頬をしっとり包んでいて、かっちりとした制服に包まれていた身体は丸みをおびた柔らかいラインを醸し出していた。
兄貴が選んだ紺色ドレスの柔らかい生地がシルクなのか、その生地が醸し出す光沢が、それほど大きくはない彼女のバストのいたいけな丸みを、ふっくらと柔らかくかたどっている。
色が白く、ジュールと同じ『茶色の瞳』。
明るい栗毛が紺のワンピースに良く映えていて、腕の長さ、足の長さ、ウエストの細さ、すべて均等が取れていて見れば見るほど『モデル並み』の整った体つきだった。
それが豊満で艶やかさを振りまいていた『レイチェル』とは似つかない外人体型でなくても、身長やスタイルの『均整』は、ばあや並み。
ほっそりとした線は『日本人の登貴子譲り』だとジュールは思う。
ジュールの視線は、マジマジと急に『しっとりした女性』に変身した葉月に釘付けだ。
それにしても、今、目の当たりにしてしまった『兄貴の義妹の可愛がりよう』。
女性には上等の扱いを心得ているはずの『黒猫兄貴』だが? どちらかというと『女を満足させて、自分も満足する』という、そんな『性的ギブアンドテイクでの割り切り』しかジュールは見たことがない。
なのに、今夜の兄貴のする事すべて……。
どう見ても、どう見方を変えようとしても、『愛情溢れている』としか取りようがなかった。
『昔はもっと……』
兄貴が言いかけた言葉の続きがジュールは何となく解った。
軍人にならなければ彼女はきっと、今以上に『麗しい御園の令嬢』だっただろう……と。
その『昔の影』を、周りの大人が引っぱり出そうとしているに違いないと思った。
だから純一がムキになって、葉月にドレスを着せる、義理兄の手で葉月は『女性』になる……。
だが、その女性になったように見えた葉月の幼い口調は変わらなかった。
「お姉ちゃまも死んじゃって、真お兄ちゃままで……。どうして皆、私を置いていくの? ジュンお兄ちゃまも、何処にいるか解らないし。昔は鎌倉で皆、一緒に笑っていたじゃない……!」
「お互いに兄弟を亡くして俺とお前、二人になったな……。おっと、右京もいるじゃないか。そんなに泣くな。これからは時々こうして逢ってやるから……」
そうして純一の胸にいるスラリとした栗毛の女性? いや、少女は、暫くずっと純一に労られるようにして『義理兄』の大きな胸に頬を埋めて涙をこぼし続けていたのだ。
『氷の眼差し』が、兄貴の胸元でゆっくりと溶け、熱く潤む瞳になる……。
ジュールの心に『令嬢』が誕生した瞬間だった。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・・
その後、ジュールは『影』に徹した。
義理の兄に、労られながら安らいでいる彼女の『邪魔』になりたくなかったからだ。
兄貴が呼ぶまでは、キッチンにて『待機』。
カクテルをとりあえず作って食事を始めた二人の所へ。
カクテルを一度、葉月に渡してからは、部屋に近づくのは遠慮した。
カクテルは、酒に馴染んでいない十代の女性でも飲みやすいものを。
リキュールを少しだけ入れただけで、ほとんど『ジュース』と言っても良い物を作った。
紅い『カシスリキュール』をソーダで割って、生絞りのグレープフルーツの果汁を、これでもか! と言うくらいに絞って、それを『シェイク』。
純一の『こいつがお前に作ってくれたんだ。飲んでみろ?』と勧める言葉に従い、葉月が一口、グラスに恐る恐る口を付ける。
『甘い♪ 有り難う、ミスター。これなら美味しく飲めるわね』
その時、初めて彼女がジュールに向けて、無邪気に微笑んでくれたのだ。
幸い、ジュールが思ったとおり、頬の傷は風呂に入って消えていたが、皮一枚剥けたように、スッと一筋の線が微かに残っているので、また『反省』。
しかし、その明るい表情を、何故? 初めからしていなかったのか?
そう、きっと……『姉と共に巻き込まれた事件』のせいだと、ジュールは直感。
兄貴に触れて『葉月』はやっと、それらしい『少女』に戻れるのだと……。
姉に先立たれ、なついていた『真』に先立たれ、残ったのは、何処で何をしているか解らない『義理兄』と、今は遠くですぐに会えない従兄の『右京』だけとなったようだ。
『そう言えば……彼女、右京様とそっくり!? 右京様も音楽家だったよな?』
ジュールは今更ながら、そんな事にやっと気が付いて『ああ、今朝の俺はどうかしていた』と、反抗的にカッとなるのは良くないと噛みしめたりしたのだ……。
『訓練はどうだ?』
『うん。シミュレーションがほとんど……。今ね? フランス語を習っているの』
『そうか──先は、どうするつもりだ?』
『あのね? 日本に帰りたいの』
『……何故? フロリダなら本部に入隊できるぞ?』
『右京お兄ちゃまもいるし、シンちゃんの側に行きたいから。訓練校を卒業したら、横須賀の基地に入隊したいの』
『そうか……。そうだな、それがいいかもな』
カクテルを渡して、部屋を出ようとするジュールの耳に、そんな『進路』の話が入ってきたが……。
気にとめないように、そっとドアを閉めてキッチンに戻る。
そのキッチンに戻ると、テーブルの端には一人分の食事が運び残されていた。
『兄貴が!? 俺の分も、作ってくれたんだ』
兄貴が義妹のために腕を振るっても、弟分の物も忘れてはいない。
そんな兄貴だから……ジュールは憎めなくて結局、生活を共にしていた。
兄貴が作ってくれた食事をジュールはキッチンで独り進める。
腹ごしらえが終わって、キッチンで一人、本を読みふけっていると……。
『アハハハ!』
そんな兄貴のいつにない笑い声と彼女の愛らしい笑い声が、時折、ジュールの耳にも届いた。
本当は──自分もあの中に入れたら──と、思わなくもないが、入れたら入れたで、話す言葉も見つからないだろうと、ジュールは溜め息をつく。
そうして、ゆっくりと夜が更けて行く……。
「ジュール……お前、部屋で寝ていても良いぞ」
「はぁ……。しかし、彼女を泊めるのですか? 返してやらないと、御園のじい様と亮介おじ様が心配しますよ」
すると──また、純一がバツが悪そうにして、黒髪をかいた。
彼はジャケットを脱いでいて、すっかり義妹とくつろいだのか、シャツの第一ボタンは開けており、ネクタイまで緩めていた。
「義妹は、今夜は泊まっていく」
「は? それ……御園のおうちの方は許して下さったのですか?」
ジュールの問いかけに、純一がまた、バツが悪そうにうつむいた。
「源介じいさんに、許してもらっている。葉月は『帰らないと叱られる』と言い出したが、祖父と一緒に誕生日前の小旅行に出かけた事にしてもらっている」
「! では! 亮介さんと登貴子さんを、騙したのですか!?」
「そう言われると……聞こえ悪いなぁ」
兄貴が、おどけて微笑んだのだが『図星』のようである。
「でもな。源介じいさんが『久振りだから、ここの所ふさぎ込んでいるオチビの面倒を見てやってくれ』と、そんな許可をもらったから、今夜、連れてきた。葉月も、お祖父様自らそう許しているなら『泊まっていく』と言っている」
純一は同居人のジュールを何とか納得させようと、いつにない取り繕うような『説明』をしているのだ。
それに彼はそう言いながら手持ち無沙汰を埋めるかのように、テーブルに用意していたケーキ皿のラップを外しながら、それを手にしてキッチンを去っていった。
ジュールの『胸騒ぎ』が、さらに加速した!
つまり『彼女を今夜、どうするつもりなのだ!?』──と!
確かに血の繋がりはない男と女だが『義理の兄妹』だ!
今更『お前は寝ろ』と言われても、この胸騒ぎで寝られるわけがない!
そして、まるでジュールを『邪魔』とか『見られたくない』とか、そんな風にして部屋から遠ざけようとする兄貴のやり方が気にくわなかった。
それよりも、だ!
『あんなあどけない彼女を乱暴に扱ったら……可哀想じゃないか!?』
見たところ、ドレスを着ることも躊躇っているような未熟な少女だ。
『少年訓練生』として生活しているような十代の女性には、兄貴のするような『大人の激愛』は、刺激が強すぎるのではないか??
そんな『心配と不安』がジュールの中に渦巻いた──!
『まったく! しょうもない“お兄さん”だな!!』
たとえ、兄貴の言いつけでも、許せない物は許せない──!
彼女が嫌がれば、ジュールは止めに入らねばならない──!
そんな妙な『使命感』を抱える事になり、ジュールは文字が頭に入らない読書を、月明かりがこぼれるキッチンで続ける。
妙な『胸騒ぎ』を、そっと押さえ込みながら……。