11.幸運の王子

 

 さらに月日が経って、隼人は大尉になり、康夫はついに中佐に昇進。

その昇進と供に、康夫は若き『中隊長』になった。

隼人はその時、28歳の頃だった。

その前にジャンと隼人がメンテナンスチームのキャプテン候補にあがった。

だが──隼人から身を引いた。

そんな隼人を見て、康夫が……

『俺の中隊、教育部もあるから教官兼補佐は、どうかな?』と……誘ってくれたのだ。

そこでメンテナンスチームという現場を退いた。

少し前から、康夫に頼まれて『教官的仕事』はちょくちょく引き受けていたのだ。

『隼人兄の先輩としての教え方、すごく評判良いらしいぜ?

それに工学科の科長が驚いていた。整備員にしてはすごい知識を持っているってさ。

メンテチームを抜けるなら、工学科に異動させたいほどだってさ』

『冗談じゃない。ミツコと一緒の部署はお断りだ。周りに迷惑がかかる』

『だろうね? その科長もさ──それを考えるとそうできないって……諦めていたから』

 

別れて三年経っても、その隼人とミツコの関係は根強く残っている。

それだけ周りに迷惑をかけていた関係かと思うと、隼人は苦々しくてならない。

今となっては、もう……彼女に同情の気持ちもない。

かばう気持ちもない。

彼女は未だに日本に帰ろうとしない。

なのに隼人には声をかけてくる。

ついに、あの安アパートを発見されて押し掛けられた事があった。

だけど──その時。

『だぁれ? あなたの基地の人?』

金髪の女性が隼人の側にいたのだ。

そう……セシルと別れた後の隼人は『適当』だった。

恋はおいかけっこで、すぐに終わってしまうジャンと『ナンパ』の遊びにはまっていた時期。

一晩、もしくは長くても三ヶ月。

そういう恋人がクルクル変わるような付き合いをしていた。

今度は誰にも紹介はしない。ジャンとは男同士の『隠れ遊び』にしていたから。

だからといって、祐介のように数多いわけではない。

ジャンは捕まえたら一途に大切にしていたが、彼は女性に不器用で

そして──女性に弱くて結局、女性に主導権を握られて別れてしまう。

隼人は逆で、一夜で終わればそれで良い程の軽さで、女性にもそれを求めていた。

その付き合い方は、まさに──あの頃の『先輩』を真似るかのように……。

 

そんな隼人にミツコはショックを受けて、頻繁に押し掛けてこなくなった。

でも、時々やってくる。

その度に隼人が違う女といるのだ。

もしくはジャンか康夫がいる。

だけど、皆から聞くには?

『お前が女と別れる度に、やっぱり私じゃないと駄目なのだって勝ち誇っているらしいぜ?』

良くそう聞かされる。

どの女とも長続きしないのは、

ミツコのように隼人を手放さないほど愛してくれる女性は、他にはいないから──。

そう思い込んでいるとの事らしい。

皆は呆れ、隼人は顔をしかめた。

だから彼女は益々、日本へ帰らない。

だけど、隼人もその気はない。

 

彼女も近頃は、新しく転属してきたエリートに媚びを売って付き合い始めているのを

皆が目にするようになっていた。

だが──彼女もすぐに別れる。

それも無理はないと隼人は思っていた。

そして彼女は『やっぱり』と隼人の所に戻ってくるのだ。

 

その繰り返し──。

 

ジャンとの遊びも、もう飽きた。

ジャンはいつだって純粋な気持ちで女性を誘うから、まだ懲りていないが?

 

何かの縁で、ミシェールのパパ伝いで『お見合い』のように

女性と引き合わされたが、断った。

 

一人が、一番……気が楽だと思った。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 康夫の中隊経営も順調、ジャンのキャプテンも板に付き

隼人も康夫の補佐として力を付け始めていた。

祐介からも連絡が途絶えたまま……。

 

だが、康夫の情報だと……『小笠原に転属した』との事。

それも──! 日本人で初めての30代の『大佐』として!

それには隼人も驚いたし、『さすが、先輩! ついにやったな!』と感激した。

 

だが……心配が一つ。

康夫から聞いた話である。

「それでさー。これも何かの縁かなぁ? 遠野先輩の側近にさ?

あの御園のお嬢ちゃん、俺の同期生がなることになったんだよ!」

「御園の娘が? 先輩と!?」

「ああ♪」

康夫は自分の知り合い二人が、仕事で一緒になったご縁を喜んではいたのだが。

(御園って……ダンヒル家とも付き合いがあったよなぁ?)

隼人もその軍人一家の事は、パパやママンからも聞かされている上に

基地の中でも良く聞く一族。

「その娘、歳は幾つぐらい?」

「え? 俺より2つ下かな? ツーステップしているから」

(ステップ!? 24歳か!)

隼人は『若い!』と……嫌な予感がしてきた。

「フロリダ特校の出身だからな。女ながらに鍛え方、半端じゃない」

「へぇ? じゃぁ……そんなに女らしい訳でもないんだ?」

そうであるなら、『先輩のエサ』としては遠いな?と、思ったのだが?

「え? まぁ……かなりのお嬢様だしな、品はある」

「……」

隼人は思った──。

彼女が若くて綺麗で、それでミツコの様な『臭い女』じゃなかった場合は。

(先輩、絶対に……手を出す!)

確信した。

だが、将軍の娘に遊びで手を出すほど、バカでもない男だとも考えた。

ニナに手を出さなかった程の先輩だ。

そのお嬢さんが、ニナタイプだった場合は、大切にする男だとも思った。

(まぁ──関係ないか)

そう思った──。

あの先輩の事、上手く流れて上手に付き合うだろうと……隼人はそう思った。

一年後、そのお嬢さんと出会うだなんて──夢にも思っていない時だった。

 

 

「ハーヤト♪」

ある日、警備口で栗毛の女性がニッコリと車の窓から笑いかけてきた。

栗毛にファッショナブルなショートカット、そして淡いブルーの瞳。

「セ、セシル!?」

「あったり♪ こっちに最近、帰ってきたの。まだ、この基地にいるかしら?って

『三日』も待っていたのよ!」

三つ年下だった彼女はこの時、25歳になっていた。

随分と大人っぽいセクシーな女性に変貌していたが、無邪気な笑顔と元気さはそのままで

一目で彼女だと判った。

「どお? 三日の待ち伏せのご褒美、またしてくれる?」

「あ、ああ……」

女性とは深く付き合うことを、躊躇っていた時期だった。

するとセシルはガッカリするわけでもなく、また豪快に笑い飛ばしたのだ。

「やだぁ? そんな真剣に考え込まないでよ? それってハヤトの悪い癖じゃないの?」

「なんだよ、それ?」

「あら? これでも一年は付き合わせてもらったし? 私だって大人になったのよ。

ちょっと懐かしくなって三日も待っていたのに? 随分ね〜」

セシルがあの無邪気な顔で、子供のように拗ねたのだ。

「別に下心なんてないわよ。行きたくないならいいわ。

私ね。隣町にお店を出したの。そのお知らせをゆっくりしたかっただけ。

あの時、ハヤトが送り出してくれたから今の私があるんだから──」

「え!? 店を出したのかよ!?」

「ええ。勿論、私がオーナーよ! パリでは芽が出なかったけど、

いっぱい働いてお金を貯めたの。それで、こっちで頑張ることにしたのよ。

隣町では一番、スタイリッシュなお店で評判よ? 基地では噂になっていないわけ?」

「わ! じゃぁ……お祝いしなくちゃいけないな!」

「やり♪ ハヤトはそうこなくっちゃ!」

相変わらずの調子の良さと憎めない愛嬌に、隼人は急に微笑みがこぼれた。

 

車に乗って、まず──セシルの店の前まで連れて行かれた。

セシルの美容室は、真っ赤なペイント、店内は白で統一されていた。

彼女らしいファッショナブルでそして、ここらへんでは確かにないスタイリッシュな雰囲気。

連日、予約で満員だそうだ。

「学校の友達に後輩。それから──パリで同じようにこぼれちゃったけど

腕を埋もれさせるには勿体ない知り合いを集めたの。

こっちの学校の恩師にも、卒業生を雇ってくれと頼まれて、暫く、忙しかったのよ〜」

「へぇ! それにしてもあのチェックの可愛いスカートを穿いていたセシルがねぇ?」

黒いスポーツカーを運転する彼女は、スラッとした身体に、スッとした黒いパンツスーツ。

すっかり一店舗のオーナーとしてキャリアウーマンだった。

「ふふ。ハヤトはここにシワが増えたわね」

セシルが目尻に指を当てた。

「あー。もうすぐ三十だしなぁ」

「まだ、帰れないの」

急に大人っぽい口調でそういった彼女に、隼人はドッキリとした。

『帰らない』じゃなくて『帰れない』

それはあの無邪気なセシルだって感じ取っていたという事じゃないか!?

「ごめんね……。えっと、あの時はまだ子供で解らなかったのよ。

でもね──お兄さんだったあなたが、何かで考え込んでいるのは解っていたのよ?

パリで時々、ハヤトのことを思い出していたんだけど。

日本人なのに……ずっとここにいるって珍しいじゃない? 転属もないみたいだし──。

ああ……ヤスオもいたわね? 彼、元気? ユキエともまだ仲がよい?」

「ああ……康夫は中隊長になって、中佐だ。フライトチームのキャプテンもしている」

「わぁお! エリートだって解っていたけど、あの彼が!? さっすがねーー!」

「その若き中隊長の補佐を俺がしている。あと、生徒を持って教官。

ジャンは……メンテチームのキャプテンをしているよ。少佐になったんだぜ?

それから……康夫と雪江さんは結婚した」

「ほんとうにーーー!? ハヤトも大尉になっているし! 皆、すごいじゃない!! 会いたいわ♪

本当、あの時、とっても楽しかったもの♪」

「ああ、そうだな!」

よく考えるとあの時が、一番輝かしかったように思えた。

でも……皆、それぞれの道を選んで、そして変化する。

隼人も変化はあったが、大尉になって、現場を逆に後退した。

自分だけ進歩が遅れている気がした──。

あんなに可愛らしかったセシルが、今や凛々しい大人の女性で、オーナーだ。

隼人は、ちょっぴり劣等感を感じる。

 

「ね。今度、お店に来てハヤトの黒髪を久し振りに触らせて?」

「え? ああ……行く、行く♪ その代わり、30パーセントぐらいオフにしてくれたらね」

「なぁに? ちゃっかりしているわね! あ、基地の軍人さんにも広めてよ。

女性客は10パーセントにしてあげるから。あ! それっていいわね?

うちのサービスにしちゃおうかなぁ〜。軍人さんは、5パーセントオフ。

先に予約をしてくれた女性には10パーセントオフとか!」

「おお? さすが商売根性も立派になって凱旋だな!」

二人で笑い合った。

セシルはその後、その思いつきを本気で実行。

隼人の所に、『サービスチケット』を持ってきたぐらいだ。

軍人は来ただけで軍証さえ見せれば5パーセントオフ、チケット持参は10パーセントオフ。

そしてチケット持参の女性で予約をしての来店は20パーセントオフというサービスだった。

「ハヤトの紹介だったら、男性でも20パーセントオフにしてあげる。

あ、その代わり、サワムラ・ハヤトのフルネームで、

昔見せてもらった独特の『ジャポン文字』サイン入りが条件よ♪」

「解ったよ。配っておく。サインは特別な友人だけにとどめておくと誓うよ」

「メルシー。そこはハヤトを信じているから、大丈夫よ」

だが──それが結構な反響を呼んで、セシルの店には基地のお客が増えたとの事だった。

 

それから、康夫や雪江も常連客に、もちろんジャンも喜んで祝いに駆けつけたそうだ。

そして──マリーまで通うようになったとの事。

それを聞いた娘のアンジェリカも通うようになったとか?

 

「この前、ハヤトからもらったチケットをニナに渡したんだ。

すごく良かったと言っていたよ。御礼を言って欲しいと言っていた。

なに? チケットに『漢字』が入っていただけで、思わぬ料金だったと

ニナが驚いていたけど?」

ある日のランチ、カフェテリアでフィリップが、そう話しかけてきた。

「ああ、あのサインを入れていたら、俺の紹介という彼女との約束事なんだ。

俺の漢字は、名字から結構、難しい字だからフランス人は真似しにくいからさ」

そう思って、フィリップにチケットを渡すときに、最初から『澤村隼人』と入れて置いたのだ。

そうすれば、ニナが行った時に安くなるだろうと思って──。

ニナもあの後、男の子を無事に出産。

こちらの夫妻は始終円満で幸せに暮らしていて、ニナは完全に専業主婦になっていた。

「ほら、数年前、警備口で待っていた噂の女の子だろう?

ニナが一目見て、解ったと言っていたぜ?」

あの時は、セシルとの付き合いはオープンにしていたのでフィリップからニナにも

その情報は伝わっていたようだ。

ミツコから抜け出して、隼人にも『まともな恋人』が出来たとフィリップとニナにも祝福はされていた。

「ああ、そうだよ。彼女、パリから帰ってきて成功したんだ」

セシルのパリで成功という夢は叶わなかった様だが、

彼女は彼女なりの成功を手に入れたのだ。

「ニナが素敵な女性だから、もう一度付き合えないのか?ってさ……。

俺は余計なお世話だって……言っておいたけどね?」

『ほら……鶏肉サンド』

フィリップが話しながら、隼人の注文メニューを差し出してくれた。

「まぁ……でも。なんていうか今は、良い友達で俺達は調度良いみたいだから」

隼人は苦笑いで返しておいた。

隼人とセシルの恋は一度は終わったのだ。

彼女は数年で変わったし、隼人も変わった。

もうあの頃と同じようにという訳にはいかない。

それは大人になったセシルも良く心得ているし、彼女は今『仕事が恋人』だった。

それにとてもキラキラと輝いている。

別れても彼女とこうして友達になれた事が、一番、嬉しい。

ニナもそうだが……『男と女では実りはなかったけど、無駄な出逢いじゃなかった』

そう思えたから──。

 

隼人も時々、セシルの店へゆく。

隼人に限って、セシルは半額でやってくれるので、いつもお菓子を持参して行くのだ。

「あ。私の黒髪がやって来たわ♪」

「いらっしゃい! 大尉!」

セシルの店では隼人はかなりの有名人。

『昔の恋人で、私を快く送り出してくれた勇気の恩人』

セシルはそうしてスタッフに触れ回っているらしい。

「あーあ。俺も一度でいいから、大尉の黒髪を切ってみたいなぁ!

この店で『幸運の黒髪』って言われているんだもん!」

セシルの後輩が、ケープをかけるときに、いつもそうぼやく。

何故なら──。

「レイモン。大尉のカットは私と決まっているの。昔から!」

『ちぇ』

そう──隼人の髪はオーナーのセシルが必ずカットすると決まっているのだった。

セシルがこの黒髪を触ったので、パリに行けて、成功して故郷に凱旋し、お客が増えた。

だから……スタッフは隼人の黒髪をそう呼んでいるらしい。

女性と男性のスタッフが半々のセシルの店は、今ではこの街で評判上々だった。

 

セシルが昔と変わらぬ手つきで、隼人の髪を触る。

「ハヤト……有り難うね。あなたを置いて、夢を追いかけた私なのに」

いつになく彼女がハサミを持ちつつ、神妙に呟いた。

鏡に映るショーットカットの彼女がふせた眼差しが、とても綺麗に見えた。

「どうして? セシルがこんなに成功して嬉しいよ。

それに──あの時の俺もね……セシルにしてあげられる事は、少なかったし」

「ううん? 私の一番大切な『夢』を、一緒に大切にしてくれた。

隼人の『成功するまで戻ってくるな』という言葉をいつも思い出していたの。

本当にあの時、潔く送り出してくれて、有り難う……」

「な、なんだよ? セシルらしくないなぁ?」

彼女が珍しく、しとやかにニコリと微笑んだ。

「それに……近頃、お客がすごく増えたのも、ハヤトにお店を開いた事を教えた後からなの。

来る人、来る人……皆、ハヤトの筋から来た人ばかり。

マダム・ダンヒルも仲がよい奥様連中に紹介してくれたりとか……

アンジェの若奥様仲間とか……ユキエの同僚とか……ね。

ハヤトのメンテ仲間も良く来るし。あ……ハヤトったら、自分の教え子にもばらまいたでしょ!?」

「ああ、ありったけね。足りないぐらいだったよ。

また、帰りにチケットくれよ──。ばらまいておくからさ」

ハヤトが笑うと……鏡に見える彼女が、泣いていた。

「セ、セシル?」

「あなたに出逢えて本当に良かった。私、幸せ者だわ。

そんな風に、たくさんのお友達に信頼される人と出会えて……私は幸せ者」

「……」

「だから……ハヤトも早く幸せになってよ。話せない程、悩んでいる事も早く解決してほしいな。

誰にも力になって欲しくないみたいだから、黙っていたけど──。

力になれないなら、なれないで……私は祈っているから……」

彼女がハサミを握ったまま、まぶたを拭った。

「セシル……メルシー。俺も……セシルには素敵な時間と想い出をたくさんもらって幸せだったよ。

それに帰ってきて、君がこんなに立派になってくれて……うれしいし。

心配してくれる友人でありつづけてくれる事にも感謝しているよ。

俺がセシルの役に立ちたいのは……その御礼だから」

「相変わらずね……もう。いつかは彼女を連れてきてよ!?

それから! いつもオーソドックスな髪型を希望して、もっと冒険してみない?

あの時の短髪のハヤト、本当に空の男って感じで素敵だったのに!」

セシルが破れかぶれに、隼人の髪をごしごしと片手でかき混ぜる。

「わ! 真面目に切ってくれよな! いつもの普通の髪型でやれよ!

それにあの短髪は、セシルの為にやったんだから。そっと胸の奥で覚えておけよな!」

「あら……時々、嬉しい事、言ってくれるのに? 恋人が出来ないなんて不思議ね〜」

「余計なお世話!」

また、二人で笑い飛ばした。

 

彼女とはその後も良き女友達だった──。

 

王子は『幸運の王子』と言われるようになったが……。

本人自身は、自分の中では、何一つ『満足感』が得られない日々を淡々と送っている。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 王子の淡々とした日々が過ぎて行く中。

隼人が29歳の誕生日を迎えようとしていた春に……事件は舞い込んできた──。

 

康夫が何かの『呼び出し』をされて出かけている時に、

授業の下調べや中隊の管理事務をしていると……。

 

「は、隼人兄!!」

康夫がもの凄く血相を変えて、中佐室に駆け込んできた!

「なに? どうしたんだよ?」

康夫は隼人のデスクに一目散に駆けてきて、息を切らし、なかなか言葉が言えない様子。

その前に──気の強い彼が、隼人の目の前で突っ伏して『わ!』と泣き出しので

隼人はかなり驚いて、立ち上がった程。

「ど、どうした?」

康夫の肩を撫でながら、顔を覗き込むと……康夫は益々、声をしゃくり上げて泣くばかり。

だが……声を引きつらせながら、彼が叫んだ。

 

「遠野先輩が……遠征先で『殉職』したって!」

「え?」

はっきり聞こえた。

先輩が『死んだ』と……。

でも、隼人は首を傾げる。

あの先輩が『死ぬ』? そんな事、あるわけ無い。

もう少しで、笑い飛ばしそうになった。

でも──。

「今朝方の事だって……早朝に銃撃戦があって……それで……。

明日……この基地に、四体、遺体が搬送させる。

先輩と一緒にいた部下も三人……ゲリラに銃撃されたらしくて……。

俺の中隊から、護送のメンバーを選んで、輸送のサポートを小笠原までしてくれって……。

今……連隊長に言われた!」

康夫が泣き声を交えながら、呼び出された訳を大声で叫んだ。

 

「嘘だ」

「俺だってそう思いたいよ!」

「嘘だ……」

「小笠原の……俺の同期生である嬢ちゃんは留守を任されているんだけど。

アイツも今頃、聞きつけているかも知れない──!」

すると、康夫は急に涙を拭いて、『大変だ!』と起きあがったのだ。

「葉月に連絡しよう! アイツ、こんな事を聞いたら……何するか解らないし!」

その時、隼人は『なんでその女にそこまで気を遣う?』と一瞬思ったが、

そんな事は実際、どうでも良く……。

「嘘だ! 先輩は今まで危ない任務をやりこなして……

息子の為に絶対に、死なないと言っていた!

それで五年で大佐になった人だから、絶対にそんなヘマしない!」

国際電話をしようとしている康夫に隼人は叫んだ。

康夫も驚いて……一端、受話器を置いたようだった。

「俺だってそう思うよ! だけど──明日になったら、遺体が来るんだよ!

先輩は……先輩は……」

康夫がまた眼差しを弱めて、涙を大量に流した。

「警戒地区に迷い込んだ一般住民を、かばって……撃たれたんだって聞かされた……」

「──!!」

隼人はその話を聞いて、初めて『実感』が湧いた!

あの祐介なら……そういう事で命を落としたと聞けば妙に納得が出来てしまったのだ!

そういう男だったから……!

 

康夫がすぐさま、『お嬢さん』に連絡を入れていた。

「葉月……俺だけど。康夫。夜だろうけど、悪いな」

今、かけたとしても……向こうは夜中だろうに?

まだ知り得ない『お嬢さん』が、こんな時間に起こされて不審に思わないだろうか?

そう思いつつも、隼人も康夫の会話に釘付けに。

康夫の言葉を選ぶような、緊張した声。

「……なにも変わった事ないか? ちょっと心配になってさ」

彼女の反応を予想しながら、隼人も固唾を飲んだ。

「そうか、大丈夫ならいいんだ。今、留守番中だってな? 全うしろよ」

どうやら、彼女の所にはまだ連絡が行っていないようだった。

そして康夫も無茶に情報を伝える事は控えたようだった。

「まだ小笠原には……?」

「ああ……まだみたいだな。アイツ、自宅にいたし」

「そう……彼女もショックだろうな」

「ああ……。聞いたところによると、先輩とは、かなり息があった仕事振りだったらしいから……」

「……そうか」

隼人は直感した……。

二人は『恋人同士』ぐらいには発展していそうだと、直感した。

その彼女はとても傷つくだろうと。

彼女はどれだけ哀しむだろうか?

それぐらいは思ったが……今の隼人には祐介の死を如何に受け入れるかが重要で……。

そして──見知らぬお嬢様の事などは、ハッキリ言って『他人事』

深くは考えられなかった。

 

隼人の『王様』が死んだ。

 

遺体が搬送される様子は滑走路で見られたが、遺体対面は許されなかった。

シートにくるまれて『冷凍』の上で……まるで荷物のように搬送されて行くのである。

祐介がそんな風に扱われる場面は、見たくないと思った。

だが……康夫が数機で輸送機を護衛するために出かけることになったので

フジナミ中隊は、その準備で急に騒然として慌ただしくなった。

隼人は康夫に留守を言い渡されて、彼を送り出した。

アッという間の忙しさ……。

だから──先輩の顔は見られなかったし、哀しみに浸る間もなかった。

 

「……」

康夫を見送って、隼人はまだ信じられないまま……元気なく警備口を出たときだった。

「ハヤト……」

か細い女性の声……。

赤毛の髪を結い上げている女性が立っていた。

「ニナ!」

「……昨夜、フィリップから聞いたの……」

ニナは隼人の顔を見るなり、顔を覆って泣き始めた。

「ユウが死んだって……! ユウが……殉職したって!!」

ニナはそう叫ぶと、石畳の上に『ワ!』と崩れてひざまずいたのだ。

「ニナ……俺も信じられなくて、今、康夫が日本まで搬送に行っている」

「嘘よ……ユウは、ユウは……幸せにならなくちゃいけない人で。

仕事でもこれから大佐として活躍する人だって……応援して、喜んでいたのに。

こんな所で死んじゃう人じゃない!!」

大人しい彼女が、もの凄い熱のこもった声で叫んだのだ。

そう……ニナは、大人しいが内面に秘めた『情熱』は人一倍の女性でもあった。

隼人は、あの時……一途に祐介を思っていた彼女を久し振りに思い出した。

隼人もそっと跪いて、彼女の肩をさする。

「俺だって……そう思うよ。まだ、死んだって思えないよ。

遺体にも会わせてもらえなかったから、俺だって──」

『信じられないよ!!』

隼人の心が叫んだ!

そして……その時、初めて涙があふれ出してきた。

「嘘よ、嘘よ……私の中でハヤトとユウは絶対に見届けたい二人だったの!

私の『英雄』なの……あなた達は……! だから、羽ばたいてくれなくちゃ嫌なの!!」

ニナの中で、その一人が、翼の羽を散らして急転落する姿を描いているのが

彼女の赤毛を見つめながら、隼人の視界に浮かんだ。

「教えて……ハヤト? ユウは……ユウは奥様とどうなったの?」

涙声のニナが……あの後一度も尋ねなかった質問の内容に、隼人はドキリとした。

「ちゃんと仲直りできたの? ユウは……幸せだった?」

「その……息子が出来たって知っていたかな? それしか……聞いていない」

妻との同居は最後まで叶わなかった祐介の『その後』

隼人は知っていたが、なんだか言えなかった。

そして──ニナに問われて初めて隼人も気が付いた。

『先輩は幸せに逝けたのか?』

残念だが、隼人の予想は『ノン』だった。

隼人のその苦い顔、表情を見つめているニナが、また涙を流し始めた。

隼人のその顔だけで、ニナは察してしまったらしい。

「どうして? ハヤト! どうしてユウは奥さんと幸せになれなかったの!?

その為に、佐官試験を受けて、ここを飛び立ったんじゃなかったの!? ねぇ!!

私はユウが決着するなり、仲直りするなり……どっちでも良いから

あんな寂しさから抜け出す事を願って、あのマーガレットをユウにあげたのに!!!」

ニナは隼人の肩、制服の生地を掴んで、隼人の身体を揺すった。

「ニナ……俺も、本当の事は知らないよ。もう……冥福しか祈れない」

隼人がニナの肩を抱くと、ニナがワッと胸に抱きついてきて、泣き始めた。

隼人も唇を噛みしめて、ニナの肩をさすった。

 

俺達の『王様』が、散った!

 

あの日、背を向けて手を振った先輩の姿が隼人の眼に蘇る。

 

『忘れないよ。本当に楽しかったぜ……じゃぁな』

不敵な眼差し、唇の片方をつり上げる自信がみなぎる微笑み。

煙草をくわえて、窓辺で寂しそうな彼の憂いある眼差し。

そして……あの豹のような眼光。

 

まだ……信じられない。

 

隼人の中では、あの日、滑走路を滑り出した走りだした先輩のまま。

まだ……何も変わっていない。

彼は……地を這うように走り続けていたその姿しか……

 

思い浮かばないから──。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 隼人の王様が散って……どれぐらいの月日が流れただろう?

 たぶん、一年は過ぎていた。

 覚えている、自分の誕生日が来ようとしていた春だったから。

 

今は……初夏。

 

ある晴れた日。

隼人はムシャクシャしながら、裏庭に来ていた。

ニナの結婚報告でランチをしたあの場所、大騒ぎになったあの場所。

先輩が『もう一度、賭けてみる』と決意を表明してくれたあの場所。

 

『くそ……なんだか妙に昔を思い出させやがるな!』

そう思いつつも、あの航空学書を片手に……やっぱり一番幹が大きい木陰に来ていた。

その本を開くと……『しおり』がヒラリと落ちてきた。

ピンク色の紙に、雪江が押してくれた押し花の『しおり』

隼人は芝に落ちたそれを拾って眺めた。

「お揃いだったはずだけど……もう、ないだろうな……」

それを手にして、隼人は溜息をついた。

 

暫くして──。

 

『カキン──』

「──!?」

隼人が腰をかけている背後から、『金属音』

ライターの蓋のような音だった?

大きな木の幹の裏に『誰かがいる!?』

そおっと覗き込んでみた。

こんな所で『サボタージュ』をしているのを見られる訳にはいかず!

 

すると──。

ザッと風がさざめいて、ポプラの葉々が、ざわめいた!

そこにフッと姿を現したのは──。

 

長い髪の栗毛の女性。

煙草を口の端にくわえて……涼やかな眼差しで隼人を見下ろしていた。

吹いた風に、ふわっと広がった長い髪は、キラキラと日差しに輝いていて……

隼人には眼鏡をかけた目元を手で覆いたくなるほど眩しく見えた!

 

煙草をくわえている彼女の顔が……何処か『先輩』と重なる!?

そういう強い輝きを秘めたような……ガラス玉の瞳。

 

「ボンジュール」

 

彼女が煙草をくわえながら、不敵な微笑みを浮かべる。

 

「あなたもサボり??」

「まぁ……そんなところ」

 

フッと勘が過ぎった。

フランス基地にこんな存在感がある女性はいない──。

彼女がきっと……『お嬢さん』

隼人が今日、どうしても避けたかったお嬢さんに違いない。

 

王様が残した、フランスの『王子』

王様が残した、小笠原の『姫様』

 

この二人が……

地を這って走っていた『王様』を飛ばす『両肩の翼』になる日は、もうすぐだった。

 

 

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