4.魔法とける?

 

 「へぇ! ニナちゃんが母親か!」

 午後、本部へ行く用事があり……その際隼人は祐介に、ニナの結婚と妊娠を知らせた。

無論、祐介はいつにない輝く笑顔をこぼしてすぐに喜んでくれた。

彼のそういう笑顔を見ると、後輩の隼人としてはホッとする。

本当に心が和んだ。

そして、隼人の『暖かくピュアな女友達』が獲得した幸せ。

その幸せのお披露目に、自分も参加を許された事にも……本当に久し振りに心が軽やか。

 

「じゃぁさ? 同じ事務課の雪江ちゃんも知っているよなぁ?」

祐介は、隼人が見せてくれた『百合の招待状』を羨ましそうに眺めつつ、呟いた。

「さぁ? フィリップはカフェのコック仲間にしか言っていないそうだし。

彼女も俺への報告が一番だって言っていたから──」

すると祐介が、ニナのカードを閉じて『ポイッ』とデスクの横に放り投げた。

「何するんですか〜? もう!」

隼人が怒ってカードを丁寧に拾い上げると、祐介はデスクに頬杖、しらけた視線で隼人を睨む。

「ええっと……」

隼人はちょっと苦笑い。

あのニナにとって『隼人は特別なの』という扱いが、祐介には気に入らないことが伝わってきた。

無言の祐介だが──。

「先輩がそんな事を言える立場ですか!?」

何故か逆に隼人がムキになっていた。

「あーあ、そうだな? 俺は彼女を苦しめていたわけだから?」

切れ長の目で、彼は益々拗ねた眼差しで隼人を見上げる。

「彼女だって、元々好きだった男性を結婚式に招待するって躊躇うことぐらい解るでしょう?」

「ふーん。俺だってある程度は悪かったと思って、

ここ数年、彼女には償い的な気遣いはしてきたのに」

それが他の女性とは違う親切で触れ合ってきた事で、隼人と同じ様な『友人』に

なりたかったという彼の気持ちが現れている。

そう『俺も招待状、欲しかった』という拗ね方だ。

「やっぱり、お前達。それなりに『出来ていた』な?

表に出なくても、『モン・シェリー』でなくても、根底ではすっかり『繋がっている』じゃないか?」

「で、出来ていたって……失礼な!」

男女の『色恋』には、隼人より百戦錬磨の先輩の『お見通し』に

隼人はドッキリ、頬を染めた。

ニナと『寝た事』は、誰にも口にしていない。

祐介にも康夫にもミツコにも『誰にも!』

隼人がそっと取っておきたい『素敵な想い出』で、誰にも邪魔されたくなかったから。

だが、珍しくムキになる隼人が見たかっただけなのか

祐介はそれだけつついて楽しむと、『ニヤリ』と笑っただけだった。

 

「なにはともあれ……。あの子は俺の『希望』だったからな……良かった」

祐介は途端に……弱い微笑みを浮かべて眼差しを伏せる。

祝福の裏で、彼が思っている事。

隼人は知っていた。

『俺と女房は、何故……上手く行かない?』

彼はまだそこを彷徨っていた。

「あの子が幸せになったら……『純』なままでも、世の中捨てたモンじゃないって

思えそうな気がしていたから……」

彼はため息をついて、切なそうに笑顔を消してしまった。

「だから……俺も見届けに行く。彼女の笑顔を見て……。

まだ、『純粋を信じれば』世の中は愛があるんだと」

「……」

なんでそこまでこの先輩は自分を追い込んでしまったのか?

隼人も人のことは言えない『彷徨い』を胸に抱えてここにいるのだが──。

共に生きるべき『パートナー』がいるだけに……祐介の事を不憫に思ったりした。

 

いや? 隼人だっているじゃないか?

『パートナー』

(なんだか、忘れていたぞ?)

隼人は近頃の自分は『変だ』と、一人眉をひそめる──。

これでは先輩の事を言えないじゃないか?

だが先輩は『本来のパートナーの目覚め』をひたすら待っているのに対して

隼人の場合は……『もう、綺麗さっぱりなりたなぁ』だった。

 

『!?』

隼人はそこでまた……今出てきた『言葉』にドッキリした!

 

『綺麗さっぱりなりたい!?』

 

おやおや!? それって……もう?

 

そういう事に気が付いて狼狽えている自分はなんなのだろう?

隼人は目をこすった。

なんだか今こそ、こっち側で目が覚めたような??

なぜ? 目を背けていたのか?

なぜ? 急に気が付いたのか?

 

ニナと久し振りに話せたから?

彼女と話していると、とても自分らしくて楽だった。

彼女が結婚すると言っても、本当に嬉しかった。

こうして人を素直に祝福できる事も。

そして……先程、ニナが我が事のように隼人の事を心配してくれた事も。

そんなぼんやりしている隼人の手から、祐介が再び招待状を取り上げた。

そこでハッと我に返る。

 

「その内、雪江ちゃんも知ることになるだろうな? 事務課は総出じゃないか?

だとしたら……俺達『日本人チーム』で、揃ってお祝いを決めないか?

あ、お前は個人的にした方が良いかも知れないけど?」

「え? ああ……そうですね? 俺は両方してもいいし」

「雪江ちゃんもニナとは結構、仲が良いから……康夫と付き合っている事も知っている様だし」

「そうですね! 後で雪江さんにも聞いてみますよ」

隼人も楽しくなってきて笑顔をこぼすと、祐介も楽しそうに笑ってくれた。

心がウキウキしてくる彼女の披露宴パーティ。

だが、そこで祐介が途端に表情を引き締めた。

 

「お前の『女』には、早いうちから上手く言っておいた方がいいぞ。

勿論、彼女も祝う気があるなら『日本人チーム』で参加しても良いし?

俺はそう思っているけど、アイツは突っぱねるだろうな?」

素早い祐介の先読みに、隼人は嬉しさが先立ってすぐには思いつかずに

またもや……胸がドキドキして転落しそうになった。

「まず、ニナと何故……仲がよいか? この追求をどう誤魔化すか……。

俺に恋い焦がれていた事は伏せておいた方が良さそうだな?

アイツの事だ、人の揚げ足取るための『恰好のエサ』の材料にしそうだな?

そうなると、お前が親身に相談に乗っていた事が説明できない訳か? 参ったな?」

隼人はまたもや、そこまで考えていなくてヒヤッとした。

 

『どうして女性から結婚式に招待されて出かけるの!』

ミツコの燃え上がる強い眼差しが今からでも容易に想像できる!

 

「そうだ! 仕事の事やフィリップの事で相談していたという事にしよう!」

祐介まで……まるで我が事の様に『必死』に魔女攻撃を阻止しようと真剣だ。

「ここは俺がフィリップと会って、口裏合わせておくからさ。

その次は、お前が俺達とお祝いをすることだな?

一度は誘えよ? 誘わなかったら『毎日』、根にもたれるぞ!

それから……アイツが『私も結婚式に出たい』と来た場合だな?

ニナやフィリップに変な恥をかかすような『悪戯』をしないといいけどなーーー」

祐介が腕を組んで、溜息をもらす。

本来なら、隼人が『ビシ』と彼女をコントロールするべきなのだが──。

不甲斐ないが……もう、その手は『終わっていた』

隼人も努力した時期はあったのだ。

それでも付き合いが続いているのは……先程まで『無視』してきたのだが

『どうやって別れて良いか解らない』からかも知れない?

 

自分が愛すべき女性のはずなのに。

ここまで他人に『要注意人物』として、悪く言われているのに

かばう気持ちもなければ……

否定する気持ちも……

 

『俺……もう、そこまでになっていたのか!?』

 

急に、雷が落ちてきた気分だった!

 

「これはニナにも協力してもらった方が……いいかもな?

お前も簡単に身動きできなくなってしまったなぁ?」

だけど祐介はミツコを選んだ隼人を責めた事は一度もなく……。

隼人がそうしてまだ『パートナー』として供にある限りは

『なんとか丸く収まるように……』という方向性でいつも親身になってくれている。

ミツコに散々な攻撃をくらっても、隼人に『いい加減にしろ!』という抗議だって

一度もした事はない。

 

「すみません──。俺、自分で上手くやりますから」

隼人が、情けない顔でそう言うと、祐介が呆れた顔でまた横目睨み。

「お前はいっつもそうだな? 俺の親切を無にする」

「いえ……感謝していますよ。ホント。でも、迷惑は……」

「かけて欲しいんだよ。お前には有り余る恩を感じているぐらいだ」

彼がとても寛大な笑顔を見せてくれた。

隼人はそっと笑った。

心より、彼を尊敬しているし……彼が好きだと改めて感じた。

 

「では……その今夜、彼女にチャレンジしてダメだったら……先輩に相談します」

隼人が気後れして呟くと……

「よしよし。お前は良い子だなぁ」

祐介が嬉しそうに微笑んでくれた。

隼人が一番好きな……彼の笑顔だった。

 

その時だった。

祐介のデスクにある内線が『ジリリリリ……』と鳴ったのだ。

彼が『ボンジュール』と受話器と取ったのを見て、隼人も腕時計を見た。

(そろそろ、戻らないと──)

車庫で『F−14』が二機、不具合を起こして総合点検作業が待っている。

 

「なに? ニナが──!? それで?」

祐介の声が強ばり、表情も固まった。

しかも──帰ろうとしていた隼人の腕をひっつかんで引き止めた!

「!!」

なんだか嫌な予感がした。

「それで……彼女はどうした? ……解った、隼人を連れてすぐに行く!」

それだけ言うと、祐介は『ガチャン』と受話器を叩き付けて立ち上がったのだ。

隼人は、なんともいえない予感に先輩を不安げに見上げた。

 

「……」

彼はとても言いにくそうで……それでいて、怒りを込めた複雑な表情で

何かに耐えているかのよう?

「先輩?」

 

「……ニナが階段から落ちたそうだ」

「──!?」

「ソフィーからの連絡だったんだが、腹部の痛みを訴えて、医療センターに運ばれたって」

「ソフィーからの連絡で……何故? 先輩に? 俺を連れていくって?」

ソフィーが祐介と昨夜、恋仲になった事は解っている。

だけど彼女と先輩の間で『ニナ』は関係なく、ニナに何かあっても連絡なんてするだろうか?

そうでなければ……祐介を通じてソフィーが知らせたかったのは『隼人』

隼人が関わるとしたら──??

そんな事、聞かなくても……もう隼人は予感していたが、認めたくなかった。

 

「高橋が突き落としたそうだ。いや……ぶつかっただけと言っているそうだが?」

 

「──!!」

 

ミツコがニナを突き飛ばした!?

ニナのお腹には子供がいるのに──!?

いや……ミツコは知らない!

知っていれば、そんな事はしない──!

 

いいや──!?

何故? 突き飛ばした!?

 

(ランチ……見られていたのか!)

 

それしか思いつかなかった。

ミツコには『ニナ』の匂いも影も隼人は絶対にちらつかせなかったし

ミツコに追求されたこともない。

ミツコが急に攻撃するなら、それしか思い浮かばない──!

 

隼人が茫然としていると、祐介に腕を引っ張られた。

 

「ピエール。悪いが緊急事態で……俺は出かける。

それと、悪いがメンテ班に連絡して……隼人は知り合いが緊急で医療センターに運ばれたから

この後の仕事にはいけないと……本部的に手配してくれるか?」

祐介は本部を出る前に、空軍管理にいるピエールにサッと一言。

 

隼人の青ざめた顔と祐介の気迫に、ピエールも何かを悟ったのか

なに追求することなく『ウィ』と真顔で頷いて送り出してくれる。

 

『行くぞ!』

 

でも……祐介に引っ張られてやっと動けている状況だった。

 

なにも考えられない。

 

ただ一つ──。

 

『頼む……無事で──!』

 

彼女の中に宿っている小さな命の無事しか……考えられなかった。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 

 祐介に連れられて、医療センターに飛び込む。

この時には、隼人は気もしっかりしてきて自分の足でまっすぐ……

祐介に置いてかれまいと走っていた。

 

「いいか……隼人、お前は何も悪くない。

お前の事だ。自分の女がした事の責任を被りそうだが……」

祐介が念を押すように、一端言葉を止めて、次に強く言った。

 

「責任をアイツのために負うなんて、絶対にするな!」

 

ここに来る途中に、あの『豹の眼光』で祐介に射抜かれた。

「でも……俺のせいであるのは……」

隼人はそこは筋を通さねばならないと思った。

ミツコをいつまでも『満足』させてやらずに、こんな風な女に

アンコントロールにしたのは『隼人』なのだから──。

すると、祐介が唇を噛みしめながら俯き……走るスピードを落とした。

 

「隼人、お前は良くやっている。それは本当だと思って、だから応援しているつもりだ」

だが、祐介はさらに唇を噛みしめて……光る眼差しでまた隼人を見据える。

「だけどな──。あの女にも『責任』がある。お前はそれを背負いすぎだ。

だから……あの女は自分で『筋』が通せなくなって全部お前に任せている」

 

つまり……『隼人の甘やかしすぎ?』

だが、隼人がそれを自問自答する前に祐介がもう一言。

「俺は、お前が『甘やかす男』じゃないのも知っているし。

それでも尚、あの女とさらに良い方向へ行こうと努力していたのも知っている。

だけど……もう『無駄』なんだ。あの女が変わらない限り。

だが……お前達がやり直すなら、何も言わないが……」

 

祐介はそのとき、何故か空に向けて眼差しを光らせた。

「この件だけは、絶対にかばうな! あの女一人の責任として感じさせるべきだ!」

隼人が今まで見てきた『恐ろしい彼』の中で、一番……鋭い彼だった。

 

 

産婦人科の処置室にいると受付で聞いて、そこへやって来た。

フィリップが心配そうにうろうろしていて、側にソフィーと雪江がいたのだ。

 

「ユウ!」

ソフィーが安心したように、駆け寄ってきた。

そして……雪江も隼人を見つけて……。

 

「ごめんなさい、隼人さん──。私達、知らなくて。

知っていたら……『あの人』がニナの側を通るときは気を付けていたのに!」

雪江が側にいたとの事だった。

だから尚更『ショック』だったようで、雪江はかなり動揺している。

隼人は大きな瞳に涙を浮かべた雪江の両肩をそっと撫でた。

 

「ちょっと、ハヤト! あなたとニナはどういう関係なのよ!!

あなたが関係しているから、あの『魔女』がニナを傷つけたんでしょ!」

ソフィーは事務課でも、年上の先輩としてのポジションにいる女性だった。

そのしっかりした仕事ぶりに、祐介が『知的な女』として目を付けたのもそういう事。

その彼女が、後輩のニナがこんな目に遭わされた事に

『原因』の一部である隼人にかなりの怒りを込めた眼差しで、詰め寄ってきた。

 

「ソフィー……ちょっと」

祐介が、サッとソフィーの肩を抱いて通路の向こうへと連れていった。

彼女なら口が固いと見て『内密事情』を説明しているのが解る。

隼人は、今はソフィーに知られようが知られまいが……

そんな後先の自分とニナの『噂』についての心配など出来そうになく

すぐに隼人が向かったのは、青ざめているフィリップの所だった。

 

「申し訳ない──。本当に……。

彼女からの結婚報告はとても嬉しかった……。でも、俺の注意が足りないばかりに──」

無言のフィリップに、隼人は頭を下げた。

腰と水平に。

彼が声をかけるまで、頭を上げなかった。

だけど、彼は何も言わない。

 

やっと彼が一言──。

「……まだ、大丈夫だって信じているから」

栗毛で素朴な表情で……いつもカフェテリアで見せている彼の陽気な笑顔はなかったけれど、

彼は本当に彼女の事も、まだ見えない子供の事しか考えていない様子。

ドアの向こうにいる『家族』を探すように……ジッと無表情に見ているだけだった。

「きっと……大丈夫だよ」

そんな事、軽々というのも隼人は気が引けたが、それ以外の言葉は思い浮かばなかった。

そんな隼人を見かねて、雪江がそっと横に寄り添ってきて──

「そうよ、フィリップ……。上から落ちたんじゃなくて、下から二、三段の所で躓いたぐらいで……」

雪江もフィリップを安心させようと必死のようだ。

自分が側にいて、こんな事になった事に雪江はかなりの責任を感じている様子。

『下から二〜三段』

隼人はそれを聞いて、すこしはホッとした。

一番上から突き飛ばしても下から近いところでも同じだが。

ある程度は、大丈夫なのじゃないかと……。

 

「フィリップ。本当にごめんなさい──。

私、ニナがあなたと結婚する事もお腹に赤ちゃんがいる事も

ランチから帰ってきた後、彼女がすぐに教えてくれたの。

知っていたんだから、階段とかで側にいるなら本当に気遣うべきだったわ……。

本当に、ごめんなさい──」

雪江は短くて黒い髪の中に顔を隠してしまって俯いた。

大きな瞳から、涙が一筋、二筋流れていて……隼人まで動揺してきた。

雪江としては、ミツコが側を通ろうが通るまいが、こんな事になる前に

もっと気を付ければ良かったと言いたいらしい。

 

フィリップもそこまで自分を責める雪江を見下ろして、気の毒そうな表情をしている。

「ユキエも……ハヤトも……そんなに気にしたら、ニナが気に病むから

やめてくれないかな? それより……」

フィリップも雪江の肩をさすりながら、穏やかに笑ってくれていたのだが。

『それより……』

彼はそう呟いた後に、笑顔を消してしまい……スッと隼人を見据えた。

 

「ハヤトには悪いけど、万が一の事があったら……俺は一生、あの女を恨むよ」

「──!!」

「残念だ。ニナが信頼している君の相手が……」

フィリップはそこで唇を噛みしめて……顔を伏せた。

それ以上の事は……最後まで言えないようで言葉を濁した。

 

『隼人のパートナーがあんな女だなんて、残念だ』

 

「……」

隼人も唇を噛みしめた。

ミツコが『知らなかった』にせよ──。

人を階段で突き飛ばすという『行為』は、やっぱりしてはいけないことだ。

 

祐介とソフィーが話し終えたのか、ちょっと心配そうにこちらに戻ってきた。

「ハヤト……ごめんなさい。さっきは取り乱して……」

ソフィーが訳を理解して、申し訳なさそうに呟いた。

「いや……やっぱり、俺が悪い」

スラックスのポケットに両手を突っ込んで、隼人は俯いた。

そして暫く……いったいどうしてこんな事になったのか

ずうっと昔からある『なにか』原因の様な物を、暫く探した。

祐介がそんな隼人をなだめるように、無言で肩に手を置いてくれただけ……。

 

『ガチャ……』

「──!」

 

水色の医療服を着込んだ医師が出てきた。

 

「大丈夫、落ちつきましたよ。子供もなんとか……危なかったね」

40代ほどの男性医師の笑顔に、フィリップが一番に笑顔をこぼした。

「病室に移します。後は数日、安静にしていれば大丈夫ですが……今後は気を付けて」

「は、はい!」

ストレッチャーに乗せられたニナが出てきて、フィリップがすぐさま付き添った。

 

『ニナ? ニナ……』

彼女は眠っている様だったが、フィリップは彼女の手を握って看護士と去っていった。

 

「よ、よかった〜」

ソフィーがくにゃりと肩の力を抜いた。

「も、もう……どうしようかと思ったわ……」

雪江も安心したのか、今度はドッと涙を流してやっと笑顔を見せる。

 

「……」

祐介はニナとフィリップが去っていく姿をジッと見つめているだけ──。

そして……隼人も。

 

「良かったな。まぁ……今日は仕事もままならないだろうし、

ピエールが欠勤にしたとおもうから……もう、帰りな」

平淡な顔で祐介はそういうと、皆を置いて一人……去っていった。

「……はい」

ミツコに対して、先輩はもの凄く逆上するかと思ったのに。

あまりにも淡々とした様子で帰っていったので、隼人はホッとした。

とにかく、ミツコもどうあっても気が強いが……

祐介を怒らせると、こちらほど手のつけようがない程、凄まじいことも隼人は知っていたから──。

 

「……ハヤト。余計な一言かも知れないけど、ユウが言うとおり……

一人で責任なんて背負ったら、私、許さないから。

絶対にあの『魔女』から一言、ニナに謝らない限り……私にも覚悟はあるからね!」

ソフィーはとても責任感が『強い』と、祐介が誉めていたのを思い出した。

ソフィーもそれだけ言うと、恋人になったばかりの祐介をサッと追いかけていった。

 

「……あの、なにかあるみたいだけど。また、落ちついてから良かったら教えてね?」

雪江もこういう所はとても良く気が付く。

ニナとの関係を知られたくない隼人の気持ちは、既にお見通しのようだった。

 

拳を握りしめてたたずむ隼人を……雪江は暫く見上げて、諦めたように去っていく。

 

隼人はまだ……ニナが消えた方角をずっと見つめているだけだった。

 

一人になりたく……祐介に言われた通りのこの日は早退をしてアパートに帰る事にした。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 「ユウ……。待ってよ、ユウ!? そっちは工学科へ行く方向じゃない?」

 「解っているなら、止めるなよ。ソフィー」

祐介は、ソフィーの不安もお構いなしに医療センターから『工学科』へと向かっていた。

もう、我慢が出来なかった!

『女のジェラシー』も、ここまで来ると『狂気じみている』

解っている──。

隼人自身でケリを付けなくてはいけないことだと。

だけど……今日の祐介は、隼人にも多少苛立ちを感じていた。

 

(あいつ、絶対に今回もあの女を許すに決まっている!)

自分がコントロールできない『不甲斐なさ』

それが一番の原因であって、『高橋美津子』があんな非道的な事をしたのは『自分』だと!

そうして自分だけを責めて、自分の女が取るべき責任をとらせない!

それが……今回ばかりは腹が立った!

ここで、祐介が隼人の代わりに『責める』のも『筋道違い』だとも重々承知だ。

 

だが──!

『言っておかねば、また、ニナが傷つく!』

祐介が大事に暖めてきた『綺麗な女性』なのだ。

彼女が笑顔で真っ直ぐ生きて、幸せになる事を。

自分が出来なかった……いや? 昔、持っていた夢を見せてくれる、思い出させてくれる……

ニナにはそういう『希望』を勝手に重ねていた。

その彼女の幸せを、一緒に見守ってきた『後輩』と喜んだこと。

共感できた事。

 

それをあの『魔女』は、一気に破壊しようとした!!

 

「邪魔するぞ」

ミツコが所属している『教官室』へのドアを祐介は開けた。

十数名が詰めている小規模の教官室。

女性は一人だけ。

他の男性達は、『有名な東洋陸男』である祐介が、いつにない形相で現れたので

それだけで表情をそのまま止め……。

皆、すぐさま事務作業をしている黒髪の女に視線を走らせた。

 

『天敵同士』

これも基地では『有名な取り合わせ』

祐介の後ろでソフィーがハラハラとして控えていて

工学科の教官達もシンと……言葉を止めてしまった。

 

静かになったのでそれを感じ取ったミツコが顔を上げた。

そして入り口に祐介がいるのを見て、あからさまに眉間にシワを寄せたのだ。

ある程度『自覚』があるのか、彼女の方からサッと視線をそらし

そして……何食わぬ顔で元の作業に戻った。

 

「高橋──。顔、貸してもらおうか」

日本語で祐介は冷たく言い放った。

「……」

無視される。

彼女は祐介などそこにいないかのように……淡々と事務作業をしていた。

「……顔を貸さないなら。明日から『人殺し』と言いふらす。いいな!」

日本語なので、他の教官達は意味が解らないから、祐介の問いかけには

それほど驚きはしていないが……。

祐介が怒っている事に関しては……ハラハラしたようにしてミツコと祐介を交互に見るだけ。

すると──。

 

「うちのタカハシがなにか?」

落ちついた雰囲気の男性が困惑したように席から立ち上がった。

『少佐』で……どうやら彼が彼女の上司のようだった。

「……いいえ、個人的な事で」

そこはちょっとばかり笑顔を浮かべ、フランス語で丁寧に祐介は接したのだが。

 

「おかしいわね? 今朝、誰かさんは……『突っかかるなら『業務時間外』が『正当』じゃないか?』

なんて大口叩いていたけど?」

彼女は書類に向かったまま、日本語でポツリと呟いた。

 

『確かに──!』

祐介は奥の歯で苦虫を噛みつぶしたようにして顔をしかめた。

「それに『人殺し』って何のこと? いいがかりね──」

『階段でぶつかった』事は『自覚』しているらしい──。

 

ホントにムカツク女だと祐介は余計に、怒りに火がついた!

 

祐介はお構いなしに『教官室』へと入室してミツコへと向かった!

そして──彼女の襟首をひっつかんで立ち上がらせる!

 

「おい、魔女──。知っていたか? お前が『思わずぶつかった女性』は『妊婦』で。

そして……お前がぶつかった後、医療センターに運ばれて流産しかけたって?

お前──命拾いしたなぁ? もうちょっとで『人殺し』になっていたんだぜ?」

「──!?」

もう……コイツの事は『女』とは思っていない。

強力な呪いと魔術を持った『魔女』そのものだ。

男をつるし上げるように、襟首をひっつかんだ祐介が凄んだ表情。

そして『報告』に、初めて魔女の表情が止まった。

 

しかし──『さすが魔女』

そんな『良心』は一時だけだ。

 

「あら? 誰のことを言っているの? 妊婦さんなんてどなたか知らないし?

お腹が大きかったら解ったかも知れないけど?」

シラッとした眼差しで、つるし上げられてもひるみやしなかった。

「だとしても、ぶつかった『過失』は自分にあると、良心があれば

『賢い人』は解るよな〜? どうすれば良いかもな!」

祐介はそれだけ言うとそのまま、彼女を椅子へと払った。

 

『ひどい! 見た? この男がした事! 上層部に訴えなくちゃ!』

ミツコはそんな時だけ、周りの同僚に同情を集めるように

泣き出し、フランス語で喚いたのだ。

 

そんな事、調べれば自分が分が悪くなると解らないのか?と

祐介は逆に呆れた。

彼女の上司も……解っているのか祐介をジッと見つめているだけで

なにも諫めようともせず……静かに見守っているだけだった。

どうやら……彼女の気質は解っているようだ。

 

「隼人と話し合うんだな。隼人にとっては彼女は昔なじみの『友人』だ。

彼女が結婚をする『報告』をする為に話しかけただけで、それかよ!?

お前……ほんっとうに『魔女』か! 隼人が許しても俺は許さない。覚えておけよ!

俺は、お前のことなんか『女』だとは思っていないから、本気で行くからな!!

二度と──! その妊婦に近づくな!」

 

祐介はそれだけ言い放って、教官室を出ていった。

 

「ユウ? ……日本語で解らなかったけど……」

外廊下で、ソフィーが戸惑った顔で待っていた。

「ソフィー。あの女、事務課に絶対に近づかせるな──!」

「……え、ええ……。勿論」

昨夜、自分を甘く優しく激しく接してくれた男が、豹のような眼差しで言い放つ。

さすがのソフィーも遠慮がちに祐介の後をついてくるだけだった──。

 

まだ……腹の虫が収まらない。

 

ジッと……隼人と魔女の間には割って入るまいと努力してきたのに。

とうとう首を突っ込んだという気持ちで……祐介は唇を噛みしめていた。

 

 

そして──。

夕暮れのアパート。

 

「ニナ──。ごめんよ……遠くから願っているから、君の幸せ」

後輩が一人……泣いていた事も、そしてくずかごに『百合のカード』を捨てた事も。

 

祐介はまだ……知らなかった。

 

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