16.一人の男性
「お邪魔いたします」
重厚な茶色の扉を恐る恐る入る。
「どうぞ、どうぞ? 散らかっているけどね」
和之の背中が窓からはいる日差しをうけて輝いているように見えた。
休日だというのに、パリッとしたワイシャツにベスト姿。
後ろ姿が隼人に似ているが、歳のせいか和之はほっそり細長い。
その背中をピンと張った姿勢がとても逞しく葉月には見える。
葉月はそうして、どこかで……和之を『素敵な男性』と異性として見えることがある。
そう──あの……小笠原に来るように誘った日。
隼人が初めて『俺の彼女』と、父親に紹介してくれた駐車場の夜。
亡き妻に顔向けが出来たと星空を見上げた和之の中に
『父』でなく……一人の女性を愛している『男の影』を見つけたのだ。
『俺の父親の何がそんなに気に入ったのか?』
『見ちゃったのよね? 私』
『なにを?』
『ふふ。内緒♪』
隼人にそう問われた答えはそれなのかもしれない。
一人の女性を忘れずにいる男性の顔が素敵に見えた。
娘のように気に入ってくれたせいもあるのだろうが……。
そんな男の影を……今、輝く背中の後ろ姿を見せる和之から……
また葉月は──そう、匂いを感じ取ってしまった……。
大きな机には葉月が仕事場で座っているような皮椅子。
よく見る社長宅の書斎そのもの。
本棚も沢山あって、もちろん本も沢山収納されている。
和之の勤勉さが伺える。
だけど──
そんな部屋の様子を葉月はそっと見渡しながらも……
和之の仕事場だろう、書類や書物が山積みにされている机を見て驚いた!
「わぁ……これ? お父様が??」
和之は机の上に散らばる物に気を奪われた葉月の声に振り返る。
彼は、机横のサイドボードの上に設置してあるコーヒーサーバーから
カップにコーヒーを注いでいるところだった。
「ああ。休日の遊び? とでも言おうかな?」
「えー! お仕事場かと思っていたのに……」
机の上にある小さな小物を手にとって葉月が微笑むと和之もニッコリ。
葉月が手に取ったのは子供が良く手にしている玩具、小さな赤いミニカー。
後ろに引くと前に走り出すあの小さなオモチャだ。
それには何故か? 豆電球のヘッドライトがついているのだ。
「このライト……お父様がワザと付けられたのですか?」
プラスチックのボディは、製品そのものの穴ではなくて
人が何かの思惑で空けたという手作業の片鱗が伺えたのだ。
「ああ。それ……走らせてご覧?」
「え?」
そう言われて、葉月は昔、真一が面白がって走らせていたように……
机の上でちょっと後ろに引いて走らせてみた。
「わ!」
走り出したと同時にヘッドライトが点灯したのだ。
だけど、止まると消えてしまう。
「くだらないだろ?」
和之がクスクス笑う。
「いいえ! 可愛い! それにライトがつくようにお父様が細工を?? すごいわ!」
小さな赤いミニカーを手のひらに乗せて……葉月が微笑むと
和之が照れくさそうに髪の毛をかいた。
「動力を生かして点灯させるって、簡単な事なんだけどね」
「このオモチャを買って、お父様が改良を?」
「技術者の誰もが解りきった簡単な事だけどね……。
そうして簡単な事を手で行っているとまた色々思い浮かんだりするんだよ」
「初心忘るべからず……ですか?」
「あはは! そこまで意気込んで触っているわけじゃなくて。
そう言う事していると、『落ち着く』が大前提かな?」
『なるほどー』……と、葉月は笑顔で唸る。
こんな初老紳士の机の上……。
書物と書類と一緒に、ドライバーに電配線、ニッパーに電球などの部品が
プラスチックのトレイに分けられていて……プラモデルの箱まで……。
「あら? この箱??」
葉月が見つけたプラモデルの箱……。
「おや? さすがパイロット。目を付けられたか」
和之はそう言うと……その一つの箱を山の中から抜き取った。
「プレゼント。君が来ると解ってからプラモデル屋から買ってきて……作ったよ」
「え!?」
「ホーネットで良かったよね?」
「え!?……はい、そうですが……」
ニッコリ微笑む和之が差し出したプラモデルの箱。
箱のイラストは『F/A18:ホーネット』──コリンズチームが乗っている機体だった。
葉月は驚きながらも、そっとその箱を受け取る。
「それも走るし、光るよ」
「本当ですか!?」
驚くばかりだが、それを聞いて葉月は益々驚いた。
早速箱から出してみると、きちんとボディもカラーリングされている。
「葉月君の機体には何のイラストが施してあるか隼人から聞けば良かったかな?」
包装もされていない箱だったが葉月は大喜びで戦闘機を取りだした。
「車輪は私が勝手に付けたんだよ」
「すごーい!」
ちゃんと動く車輪を机に付けて……後ろに引いてみると……
ホーネットが翼に付けている赤いランプをぴかぴかさせながらギューンと走った。
「飛ばないけどね」
「いいえ! 有り難うございます。すごく……嬉しいです!」
箱を抱きしめると、葉月の輝く笑顔に、和之もこの上なく嬉しそうだった。
「昔は……隼人にも作ってやったが……持っているかどうか?」
「……想い出には残っているのではないでしょうか?」
葉月はきっとそうだと確信していた。
そう、彼を信じている。
和之はちょっと腑に落ちなさそうだったが笑ってくれた。
「パイロットである葉月君の為にそれを作っているうちにね。
ミニチュアの空母艦を作って、そのプラモデル戦闘機を疑似カタパルトする台をつくろうか……?
なんて──また、いろいろな空想が浮かんでね……楽しみが増えたよ」
「まぁ……お父様ったら……」
(子供みたい……)
少年のように新しい遊びを見つけたという白髪混じりの初老の男性の顔。
無邪気としかいいようがなくて、葉月はなんだか感動しながらも笑っていた。
葉月がそうして慈しむように模型のホーネットを見つめている中……
和之がポツリと話し始めた。
「隼人がね……空軍の男になろうと思ったのはいつぐらいだったのだろうね?」
明るく笑っていた和之が……また、憂いた笑顔を浮かべて窓辺に向かって背を向ける。
葉月は……また、妙に艶っぽい様な男の背中を感じながらも……
そんな父親の言葉に静かに耳を傾けて、停止したホーネットを見下ろした。
「空に行けば、母親に会えるとでも思ったのかもね?」
「……そう、本人からお聞きになったのですか?」
「いや? 言わないよ。男だったからね……。
空を飛んでも母親に会えるわけがないと子供心に悟った事もあっただろうし。
だけど──一度、そんなキッカケで夢見たことをずっと……心に留めていたんだろうね?」
「…………」
葉月をここに誘い入れて、和之が何を言いたいのか葉月は全然……悟ることが出来ない。
歯がゆいのだが……簡単に見えても畏れ多い、そんな男性の想いには……。
葉月如き、小娘がいちいち察してしまうことなどは出来るはずがないのだから……。
ただ、黙って和之の背中を見つめるだけ──。
「隼人はね」
和之がやっとそれらしい穏やかな笑顔で振り返ってくれた。
「隼人はね……そんな模型を私が作ってやるとすごく喜んでね……。
どうやって走らせるんだ……とか、どうやって……光らせるんだとか
夢中になって聞いてくれたよ。私も──それは嬉しかったし」
「そうですか──道理で……彼も細かい機械作業は好きなはずですわね」
「……和人もね……。隼人と同じように喜んでくれたよ。
今だって、この書斎に入り込んできて私が集めた部品をちょろまかしていくくらいで……」
「和人君も? こんな工学的な事が好きなのですか?」
「ああ……。だから、和人は高専学校とか、工学高校に入りたがっていたんだよ」
「……!」
なんだか、話が妙に人様の家庭事情に入ってきたようで葉月も一瞬硬直。
だが……和之が葉月に何を言いたいかだけは見定めたい。
「だけど……美沙が嫌がってね……。いや? 工学を学ぶことを否定したわけでなく……
『大学で学べばいい』と……とりあえず普通高校に入らせたかったんだよ。
和人は……兄の隼人に習って15歳で専門的に進みたかったらしくてね。
その時も隼人はフランスだったからいなかったが、大騒ぎで。
でも……私も違う意味で賛成でね」
「違う意味?」
「ま。お座り?」
話が長くなると踏んだのか? 和之に書斎中央にある応接ソファーに勧められた。
葉月が座ると、和之がコーヒーカップを二つ手にして向かいに座る。
葉月の前に、一つ、差し出してくれて葉月もそっと御礼の会釈を……。
和之はコーヒーを一口すすると、組んだ足の膝頭に両手を組んで天井を見つめた。
「だけど……隼人の頃とは時代が違うというのかな?
美沙は周りの子と同じように進ませて大学進学で選ぶという、今のスタイルを取りたかったんだよ。
和人は和人なりに……私の子で、隼人の弟であることに必死なんだよ。
そこで母子の意見が食い違っているようだね?
それに……隼人とは違うというのかな?」
「はぁ……でも、それは必死にならなくても隼人さんの弟であることは、当たり前のことでは?」
隼人と和人は違うだなんて……隼人が言うように葉月は認めたくない。
なのに和人の父親も母親も。
『隼人とは違う』と言う。
「いや──私だって和人は私の血を引いているのだからね。
工学的なことが自然と好きになって当たり前だと信じているよ」
「??」
葉月は何を言いたいのか解らなくて思わず眉間に皺を寄せてしまった。
それにいち早く気が付いた和之に『クスリ』と笑われたので……
すぐに……普通の表情に戻してみたのだが……。
「訳が解らないかな? だろうね??」
また、和之がクスクスと笑うのだ。
「隼人は私と昭雄兄貴の血を受け継いでいるから、根っからの工学息子だろうが……
和人は半分だけ……半分は美沙の血を引いている。
美沙はね……私の『秘書』だったんだよ」
「秘書!?」
それが馴れ初めなのかと、葉月は思わずビックリ!
つまり……社長と秘書……なんてある意味、ありふれた簡単な組み合わせで
和之と美沙が夫妻になったなんて……ちょっと信じがたかったのだ!
しかも歳が離れている秘書を和之がたぶらかしたみたいなイメージが付いてもおかしくない!
(いいえ! そんなの私の勝手な一般論的見方なだけだわ!)
自分を恥じて葉月は首を……心の中で振ったが。
和之にはお見通し?
葉月がサッと感じた第一所見を解ってか? また、クスクス笑うだけ。
葉月も恥ずかしくなってそっと頬を染めて俯くだけ。
「はは。私はなんて思われようと構わないのだよ。
それに……『お断り』はしたんだよ。一度はね」
「お断り??」
「まぁ──大佐である君だから良く心得ていると思って口にするけど……。
美沙が私に対して憧れを強く抱いていたのは解ってはいたのだよ。
私はその時40歳のやもめ男だったからね……」
(え。美沙さんが……お父様に惚れ込んだって事? ウン。でも解る!)
葉月にはそれは同じ女として解る。
だって──葉月は……大人である歳が離れた純一にいつまでも憧れを抱いているのだから……。
女から見ると『大人の男』はとても魅力的に見えて渇望する時期だってある。
葉月はその時は20歳だった。いや──今でもある意味渇望はしているが……
あの少女から抜け出ない小さな女だったあの頃は……今より激しく渇望していた。
美沙も……きっと、同じだったに違いないから……。
「美沙のご両親にもなんていうんだい? 40歳の子持ちの男と結婚するだなんて……」
「でも……結婚していらっしゃる」
「そうだね。美沙はね……ああ見えてもバイリンガルなんだよ」
「え?」
「ほら……横須賀基地に出入りしたりするのに、通訳が必要になってね?
語学短大を卒業した美沙を新卒で秘書で雇ったんだ。それがキッカケ。
頭が良くてね、気配りも上手で当時のお嬢さんとしては本当に申し分がなくて。
そんな出来の良いお嬢様の旦那が、小さな精密会社の子持ち男じゃ
お育てしたご両親に申し訳ないだろう? しかも、職場の上司だなんて……」
「そ、そうだったのですか……」
「だけど……隼人が異様になついてしまってね」
葉月はドッキリ……心が急に引き締まった!
隼人からは絶対に聞き出せない、聞き出すのが怖い話を
目の前の父親が明かそうとしているところに辿り着いてしまったからだ!
和之も一瞬言葉を止めた。
葉月の様子を伺っているのが解った。
でも──
葉月は……それ以上は動じまいと真っ直ぐに和之の瞳に自分の瞳を向けた。
葉月の『覚悟』を受け取ってくれたのだろう……。
和之がまたそっと微笑んで話し始める。
「……あまり仲がよいから……引き離すのが可哀想になった。
美沙のご両親には『会社を辞めさせてくれ』とまで言われて……」
「まぁ……そこまで、言われたのですか?」
「まぁね……私だって美沙のような若くて気だてが良くて綺麗な女の子に
思い寄せてもらって悪い気はしなかったよ。男だしね?」
「まぁ……お父様ったら」
和之が悪戯げにウィンクをしたので葉月は笑い出してしまったのだ。
「……隼人が初めて母性を感じている事が……隼人のために良いのだと思ったし。
美沙も……隼人を本当に可愛がってくれて……。
3人で出かけると……こう、家族になった錯覚を私も起こして……
久し振りに……甘美な恋を味合わせてもらって……。
最後に後押しをしてくれたのはやっぱり……『昭雄』だった。
『沙也加のことを愛しているのは解っている。
だけど……隼人には女性が必要だ。沙也加も心配しているに違いない。
それに……沙也加はもう、いないんだ……。生きている者同士が惹かれ合うのは自然な事』
その一言で……『素直』になって……ご両親に頭を下げて下げて……美沙をもらったんだ。
今となってはご両親とも仲良しだよ。私の兄姉世代と言っても過言じゃない歳のご両親だけどね」
「そうでしたか……」
葉月は、馴れ初め話として上手く収まったので……ホッとして
やっとコーヒーを頂く余裕が出来る。
(昭雄伯父様も……なんだか素敵なお兄様って感じ。本当にお父様の『親友』なのね〜)
沙也加の意志を継ぐが如く、澤村父子に大きく影響を及ぼす人物であることは間違いないようだ。
それは……益々、会っておきたいと葉月の思いは募る。
そんな事を思いながら……カップを手にして、一口すする。
「だから……和人には、私と兄を意識しないで自分らしい道を良く見極めて欲しくてね。
それでも和人が『メカニカルの道』を選ぶのならそれは反対しないし
メカニカルでなくても……母譲りの語学の道もある。
両親の才能に従わなくても他にやりたいことも出てくるだろうし。
一番、知って欲しいのは『自分らしさ』であって無理してメカニカルを物にしないことだ」
「それは一理ありますわね? ですが……生意気言うかもしれませんが……
それでも和人君がお父様を尊敬している以上に、お父様同様機械いじりが好きなのかもしれません。
そこも否定はしないで欲しいですわ……。
私は……パイロットになろうと訓練校に入校した時、父と母を随分ガッカリさせましたから。
パイロットとしての私という娘を誇りに思って欲しくて……がむしゃらだった時もありましたし」
「そう……」
和之がなにか解っているように、そっと眼差しを優しく伏せた。
「勿論……和人にもそのように気を配っているつもりだよ?」
「あ……本当に生意気を申しあげまして……」
「いやいや」
優しい大人の瞳は、何処までも奥深くて何もかも心の奥まで見通されているような緊張感。
そんな中……
和之が隼人にそっくりな眼差しで……
膝に肘をついて頬杖……葉月を『解りきった笑顔』で静かに見つめるのだ。
「あの?」
「君は勘が良いだろうね。きっと、何もかも解っているのだろう」
「はい?」
本当に目の前の男性が……『お父様!』と慕っている恋人の父親に見えなくなってきた。
一人の素敵な男性と幼い女性として対話している気分に陥ってきた。
そう、いつも隼人と話しているのと……同じ感覚だ。
葉月は変に胸がドキドキしてきた。
その眼差しのまま……和之が唇の端に微笑を浮かべて暫く黙り込んでいた……。
そして──
「私はね。葉月君……『そうなっても構わない覚悟』は、あったんだよ」
「え……?」
今の『え?』は、意味が分からない『え?』じゃない……。
意味が解った上での否定を含めた、信じがたい反応だ。
「あの……」
解っているから、余計に何を返して良いのか解らない。
だけど……和之は、まだあの落ち着いた解りきった余裕の微笑みで葉月を見つめている。
大人の男の眼差しで……。
「だけど……隼人は息子としての分をしっかりやり通したようだね」
「…………」
つまり──『妻と息子がいずれ惹かれあっても仕方がない』
そんな覚悟をしていたと言う事を……和之は葉月にぶつけている。
(何故!? 私みたいな小娘に!?)
余計に言葉が出てこなくなった。
でも──そんな言葉で表現しようとしない葉月と見て、和之は続ける。
「だから……隼人をフランスに行かせた。
私は、側にいて欲しかったんだが……隼人が一人で抜け出そうと必死で……
一人で悩んでいて……男として出した答えを、父じゃなく男として後押しした。
それが、悪い方に転がったとしても……隼人は帰ってくると信じてね」
「お父様……」
そんな『息子を男として男同士として』
そんな気持ちで少年の隼人をフランスに送り出した『男親』の気持ちに葉月は……
妙に切ない気持ちをうけて……胸を突かれたのだ。
「知っての通り。隼人はまったく横浜のこの家に寄りつかなくなった。
美沙にだいぶ責められたよ……。何故、手放したのかと……。
私も隼人が割り切るまで、待っていたつもりの所もあるし……
やっぱり手放すんじゃなかったと隼人を取り戻そうと、あの手この手でたきつけたこともあったし。
人なんてね……何をしても意外と後悔する物なんだよ。解っていても……。
でも──結果は……ある日突然、違う方に転がって、私は驚いてね」
「違う方向に?」
「感謝するよ。葉月君……」
「え! 私ですか??」
「ああ。隼人に与えている影響は大きいはずだよ。アイツは男になって帰ってきた」
「あの! 私は……」
「藤波君にも感謝している。そして、隼人のフランスの同僚達にも……
仕上げは君がしてくれた……」
「それは……隼人さんの人柄が引きつけた物だと私は思っていますし」
「君らしいね」
にっこり微笑む男性に葉月は何も言えなくて……適わなくて。
また、俯いて黙り込む。
「と、いっても? 最後の最後のわだかまりは今……ぶつかっているようだね?
仕上げはやっぱり『自分自身』だと……隼人は気が付いたのかもね?」
和之が扉を指さして笑ったのだ。
「和人の事は、隼人が言うとおりに私と美沙……夫婦の問題。
隼人が兄としてサポートする事はまた別問題。
隼人は……ワザと葉月君に聞こえるように喧嘩をする覚悟だったんだろうね?」
「え!? どう言うことですか??」
「私の部屋にだって丸聞こえだったよ。あのさっきの言い合いは。
二人が……いや? 美沙は本意でないだろうな? 隼人が仕掛けたんだろう。
私に聞こえるように言い合いしているのは初めて聞こえて私だって驚いていたんだ。
まぁ──思っていたとおりの言い合いだっけどね?
それで、私もそっとドアを開けたら……
おやおや? 盗み聞きの仲間が一人いて、ついつい声をかけちゃったよ」
『あはは!』……と、和之が笑い出したので……
「もう……本当にお父様ったら……」
『盗み聞きの仲間』と言われて、葉月も可笑しくなって笑い出してしまった。
「君は……何も心配する事ないよ。隼人はもう君の虜だ」
「まぁ……本当にもう、からかわないで下さいまし」
でも、葉月は口が上手な紳士にまた、笑い出していた。
時々、女性をフッと浮かせてくれるような心地よい言葉を使うタイミングは
息子の隼人にも時々見られる。
やっぱり……父子だと改めて思う。
(うーん。お父様が若かったら……私、好きになっていたかも!)
美沙が歳が離れていても、熱を上げてしまったのも頷ける。
あんなに美人な女性なら、きっと40男盛りの和之にはお似合いの女性だったに違いない。
「まぁ……君はいつもの君らしく、ドンと余裕で見ていたら良いよ。
私としては君がまたどんな台風を起こすかちょっと期待しているけどね」
「お父様ったら……隼人さん同様、失礼ですわ!」
葉月が本気でむくれると、これまた息子同様に和之が面白そうに笑い出す。
「はは。葉月君が起こす前に、私が起こそうかな?」
笑いながらも急に……和之が真剣に窓辺に視線を移したので
葉月はドキリとした。
『何!? お父様も隼人さんも……』
急に動き出したような気がする。
──「じゃぁ……もう、隠すこともないかな?」──
隼人のあの一言。
もしかして……もしかして!?
『継母とのぶつかり合い、もう、お前に見せても平気』
という意味だったのだろうか??
徐々に……15年間止まっていた空気が……
澱んでいた空気が動き出したように、葉月は感じた。
隼人の本音。
和之の本音。
美沙の本音。
和人の本音。
それがついに噴き出すのだろうか?
落ち着かない不安が渦巻いてくる。
葉月はコーヒーカップの横にそっと置いた模型のホーネットを見つめた。
目の前の、適わない素敵な一人の男性は……どう決着を付けるつもりなのか?
それも……葉月はおこがましいか見届けたい気持ちになっていた。
男としての気持ちを……こんな小娘に明かしてくれたから……。