52.それは奇跡?
「初めまして、トリシア」
「は、初めまして……サワムラ中佐」
午前中にマリアが推薦してくれた女性メンテナンサー『トリシア=マクガイヤー』と
面談できる許可がキャプテンとの話し合いで早速に取れたのだ。
ここはメンテナンスの各チーム班室が並ぶフロア。
そこの共同ミーティング室を使わせてもらい、デスクを付き合わせて
隼人はマリアと並んで、彼女と向き合っている所だ。
その少し前──。
『うちのトリシアだったんですか!? てっきり男性の方かと……』
そりゃ……キャプテンの驚きと言ったら──。
隼人とマリアは、やはり『引き抜きとくれば男性』という観念は
どこでも一緒だと思い、お互いに顔を見合わせて苦笑い。
『そうですか──。トリシア自身の意志によりますね』
キャプテンと少しだけ話すことが出来たのだが。
今のトリシアが所属するチームは『人数的には問題ない』が現状らしい。
つまり……トリシアは新人として『預かった』というような言い方で
キャプテンはあからさまには言わなかったが『まだ、戦力という所には達していない』と
そんな言い方だった。
つまり──『手放せる』とほのめかしたのだ。
だが、トリシアが『嫌だ』と言った時、キャプテンが手放そうとしたと知っては
それは後々困るという事も見据えての曖昧な言い方。
そこは隼人もキャプテンの立場を考慮して、敢えて強くは押さなかった。
『宜しかったら、今なら時間空きですから呼びますよ』
キャプテンがすぐさまトリシアを呼びつけてくれたのだ。
「突然だけど……実はここ最近の訓練見学は
こちら小笠原の4・5フライトチームのメンテチームを結成するための
メンバーの引き抜きを見定めてしていたんだ。……君はその一人」
「──小笠原の!?」
色白で小さな顔のトリシア。
金髪のショーットカットが彼女の小顔をより一層引き立てていた。
歳はまだ23歳と若い。
彼女は『小笠原』と言っただけで、父親のことを思ったのか
少し表情が困ったように固まっていた。
「知っているね? うちのそのフライトチームには女性パイロットがいる事を」
「はい! ミゾノ大佐の事ですね!」
葉月のことを話題にした途端に、彼女は輝く元気な笑顔を見せてくれた。
「私、大佐をすごく尊敬しています! 空軍で女性の先駆者ですもの!」
『おぉ?』
隼人はこれは葉月の影響をかなり受けているな!? と、ニヤリと口元を上げてしまった。
「そう……その大佐が所属するフライトチームと一緒に
甲板を走ってみたいと思わないかい?」
「──本気なのですか!?」
トリシアは半信半疑のようだった。
「本気だよ。こんな事、冗談でわざわざ日本の離島からここまで言いにこないよ?」
隼人が笑っても、トリシアは驚くばかりで茫然としていた。
「あの……」
トリシアが恥じらいながら俯いた。
「なんだい?」
「私で宜しいのでしょうか?」
「勿論。うちのお転婆嬢ちゃんと一緒に、女性がいるチームという事を
俺は普通に受け入れてもらえるよう俺も一緒に頑張るつもりだよ。
現に、小笠原にも数名だけど女性メンテナンサーはいるし──」
彼女らは第一中隊にほぼ所属している。
去年まで第三中隊に葉月と割と親しかった女性メンテナンサーはいたのだが
あまりにも小さな規模の空部隊だったので、彼女は転属願いを出して
春にアメリカへと帰っていったという話がある。
そういう話があるから、ロベルトが『最初から女性は無理だよ』と考えて
『省いた』事が最近解ったのだが──。
隼人もそうならない様に、女性でも頑張れるレベルにチームを統率したい。
その為に『一緒に頑張ろう』と、言っているのだ。
そこに『サワムラチーム』の特長あるカラーを引き出そうと思い描き始めていた。
「そんなにお役に立てる程の腕はまだ持っていません」
「きっと、うちのお嬢さんも君の年頃ではそう思っていたんじゃないかな?」
「でも……大佐は昔から身体的な力が無い分、飛行技術の勘は素晴らしいとの評判ですし」
「彼女だって、男性の中で揉まれて今のチームワークに溶け込んだんだよ。
それは実力が必要なわけじゃないし、チームは皆で作る物だろう?
トシリアだってそのうちの一人だよ。ないところは俺達、先輩から学んでくれたらいいし
今ある実力も承知で……」
隼人はそこで言葉を止めてしまった。
こんなに力説しているなんて……もう既に彼女を『絶対・欲しい』という事じゃないかと。
「中佐?」
静かに横で控えていたマリアが首を傾げる。
「いや──。回りくどい『口説き文句』だったなと……」
「……ふふ」
マリアがクスリと笑うと、対面して座っているトリシアが
顔馴染みのマリアを伺いながら、不思議そうに首を傾げていた。
「トリッシュ。サワムラ中佐は……あなたを『育てたい』のよ。実力は後から欲しいのよ」
「私を──!?」
「そうよ。女性パイロットの補佐官だもの。
メンテナンスキャプテンとして女性メンテ員を初めてご自分の手で飛び立たせたいのよ。
他の男性が出来ない事よね? でも、中佐は出来る方と同じ女性である私が保証するわ?」
「ま。早い話がそういう事かな?」
隼人がマリアに助けられて、照れくさそうに笑うと、
トリシアの方もホッとしたように表情を和らげてくれた。
「解りました……。考えてみます」
「本当に!?」
彼女の表情から見ても、隼人的には『良き感触』だった。
でも……油断は出来ない。
「じゃぁ……数日中に返事をもらえるかな?
ああ……それと、自分の事を一番にね。無理強いはしないよ」
「有り難うございます」
「じゃぁ……今日の所はこれで」
マリアと頷き合って、隼人は席を立ち、ミーティング室を出ようとする。
トリシアも後を追って席を立ったようだが……。
「あの……」
彼女が頼りなげな声で、隼人とマリアを呼び止める。
「なにか?」
「……ご存じではないのですか? 私の父の事……一言も仰らなかったので」
「ああ……」
何か気にしているようなトリシアに隼人はニッコリ微笑み返す。
「知らないで見学したから──」
「え? あの……中佐は小笠原からいらしたんですよね??」
第二中隊の中隊長を知らないはずがない……と、トリシアは不思議そうだった。
「父上である大佐の事は知っているよ。
だけど──君という娘がいる事を、大佐嬢とブラウ大尉は知っていたのに
彼女達は、一言も俺に教えてくれなかったんだ。
『一人の女性メンテナンサー』という情報しか教えてくれなかったんでね」
「……え!?」
「残念ながら……俺は最近、佐官になった男なんで。
上官との交流って日が浅くて……大佐にパパの意志を受け継いだお嬢さんがいるだなんて
見学している途中で知ったんだ」
「……ふふ。トリッシュ? 中佐はあなたに手厳しい採点をしていたわよ?」
マリアがハッキリと告げたので、隼人は『こら』と苦笑い。
「つまり……それでもあなたのような一生懸命な女性と頑張りたいんですって。
『同じ夢にはA』だったわよ?」
「同じ夢?」
「そう。それは、小笠原で中佐と一緒にチームメイトになれば解るわよ」
「……」
トリシアは隼人をジッと見つめていた。
なんだかこっちが『観察』されているような気になって隼人は気恥ずかしくなってくる。
「まぁ、そういう事で。俺も小笠原では結構、新参者なんだ」
「──中佐は、昨年まで……フランス航空部隊にいらっしゃったんですよね?」
トリシアが確かめるように、真剣な眼差しに──。
「そ、そうだけど?」
「解りました。ちゃんと考えてキャプテンと相談します」
急に何か悟りきった様にトリシアが清々しい笑顔を見せてくれたのだ。
「うん、楽しみにしているよ。良い返事を──」
「はい」
そこでこの日はトリシアとは別れた。
「次はいよいよ……キャンベラですね」
マリアには、候補員のランクと隼人の『欲求度』は既に伝えてある。
隼人が一番欲しい隊員である事も。
葉月の二号機を任せる事も。
「ああ。なんで俺が緊張しているんだろう?」
隼人が肩が凝ったような動作をしながら首を傾げると、マリアがクスクスと笑った。
「なによ、皆……どこにもいないんだから──」
正午が過ぎ、一般的な昼休みの時間が終わろうとしていた……。
葉月はいつものプラダの黒リュックを片手に空部隊棟の外へと出たところだった。
朝……目覚め悪いままフォスター隊長とのトレーニングに出かけた。
「お嬢さん? 今日はどうしたんだい? 調子悪そうだなー」
「お姉ちゃん……疲れているみたい」
それもそうだ。
ここ最近、いろいろと自分としてのスケジュールが立て込んでいた上に
昨夜はマリアとの『和解』
そして隼人との深夜までの『熱愛』
ほとんど寝ていないに等しかったのだ。
トレーニングが終わって、軽い朝食を取り、すぐさま眠りに付いた。
起きたら昼前でびっくりして支度をする。
当然……リビングには誰もいない。
ベッキーも午前中はいつも『一時帰宅』のスケジュール。
マーティン少佐とブルースが手がけた計画書をサッと目に通しながら
オレンジジュースを飲みながら目を覚ます──。
昨夜、夜遅く……隼人が寝る前に思い出した様に手渡してくれたのだ。
今から基地に行けば『ランチ』の時間になってしまう。
どうやら今日は、マイクとも誰とも食事は出来そうにない。
葉月はキッチンで、後で軽く食べられそうな物を探して……
軽く手作りでこしらえてリュックに入れて出かける。
秘書室へ行くと、マイクは午後の会議に出るからと、とても忙しそうだった。
「あのね。マイク……マーティン少佐が計画書を……」
「ああ! レイ、夕方にしてくれるかな? 今からパパと大事な会議なんだ」
「あ、そうなの」
そこは止めることが出来ずに葉月は残念だが見送った。
「そうだ。これをあげるから拗ねないでね!」
マイクが手に握らせてくれたのは、紙パックのオレンジジュース。
(もう。いつまでも子供扱いなのね!)
それはそれで心地の良いマイクの優しさではあるが……
時と場合によっては扱い方が違うわよ……と、思う時もある。
そんな事で拗ねるわけないじゃないかと、葉月はいつだって兄様気分のマイクにふてくされた。
マイクとすぐに話したい事が今すぐは無理と解って……
葉月は今度はランバートメンテナンス本部へと目指した。
隼人とマリアがいるかと思うと今度は足取りも軽い。
だが──
「あー。なんだか二人でランチに行ったよ?」
二人は臨時席にはいなくて、ドナルドがそう教えてくれたのだ。
だったらカフェに行けば、今なら一緒に食事が出来るだろうとそうしようと思った。
すると……ドナルドが……
「サワムラ君。今日から候補員自身に会いに行っていたよ」
「え!?」
葉月が『直に当たってみては? 近道ではないか』と勧めても
『一度きりの出張だから慎重に行きたい』と言っていた隼人が
『アタック開始』をしたと聞いて驚いた。
隼人の事だから『絶対・良し!』と解ってから話し合うのかと思い
経過的に考えても、来週になるだろうと葉月は見守っていたからだ。
「なんだか……ちょっと浮かない顔をして帰ってきていたね?
良い感触と、不安な感触、絶望的な感触、それぞれだったみたいだよ」
「他には何か?」
「うーん。一番、手痛いとか言っていたかな? 詳しくは聞いていないけど。
ブラウン嬢とそう話していて、彼女が中佐を励ましていたから──」
ドナルドが思い返すように上を眺め……ペンを顎に宛て教えてくれる。
(一番、手痛いって? エディ=キャンベラ……ダメだったのかしら!?)
実は葉月も他の隊員はダメでもエディは『欲しい』と思っていたのだ。
『AAプラス』の成績で、年齢は葉月ぐらい。
実力としても年齢としても、隼人が扱うには一番気が合いそうでピッタリの人材だった。
「そう……有り難う……」
「でも、諦めてはいなかったみたいだよ」
ドナルドがガッカリした葉月を励まそうとニッコリと笑ってくれた。
「そうだわ。これ……良かったら」
葉月はリュックからアルミ箔に包んだ三角形の固まりをドナルドに差し出した。
「なんだろう?」
「『オニギリ』っていうの。つまりジャパニーズライスボール」
「へえ!」
「スシにも使われている『ノリ』で巻いてあるの。中は梅干し入り」
「わぁ! 有り難うね!」
冷凍庫で保存されていたのを発見して、解凍して作ったのだった。
やっぱり、急に『米』が恋しくなる所は葉月も『日本人』らしい──。
そこでメンテナンス本部を出て、隼人がいつも通っているというカフェを覗いてみる。
何処にもいなかった。
(他のカフェに気分転換で行っちゃったのかしら?)
マリアと一緒なら理数系棟に行った可能性が高い。
だが、そこまで捜しに行くのもどうかと思い、他にも用事があるので切り替える。
今度は『陸部棟』へと出かけた。
達也に会うためである。
これも昨夜──寝る前に隼人が
『さっき一番最初に言いたかったんだけど』……と、話してくれた事だが。
『達也が小笠原行きを決めた』と──。
葉月は驚いたが、隼人からマリアと達也のお互いの気持ちの説明を聞いて納得した。
まず達也にもう一度確かめて、それでフォスター隊長と
今後の上部への『申請』を決める流れを話そうと出かけたのだ。
ところが……フォスター特攻班室はもぬけの殻だった。
「時間帯が悪いわね。皆、ランチタイムだもの──」
葉月は諦めて空部隊棟へ戻る。
それで冒頭の一言に戻るが……
「なによ、皆……どこにもいないんだから──」
なのである。
葉月はリュックを肩に掛けて、空部隊棟の裏庭に出てみる。
何もないと裏庭へと出てしまうのは昔からのクセのようなものだった。
裏庭に出ると、葉月が昔、訓練でも使った軽飛行訓練場が
芝土手の金網フェンスの向こうに広がっていた。
大きな戦闘機に乗る前に、まずは軽飛行機から乗る訓練。
16歳の時だった。
葉月は懐かしくなって土手に降りて腰をかける。
「お腹空いた……」
葉月は誰にも会えなかった為、やはり自分だけで食べる事になってしまったと
プラダのリュックからドナルドにもあげた残りの『おにぎり』を出してみる。
「ふふ……梅干しって知っているのかしら?」
葉月はドナルドがあれを食してビックリするのではないかと
『クスリ』と微笑みながら『おにぎり』を頬張った。
風の音も、真っ青な空の色も……とても爽やか。
時々、セスナがエンジン音をあげて飛び立とうとしている。
「……」
初めてあの飛行場で操縦管を握って離陸をした時の事を思い出す。
『よし──そのまま……! ゆっくり慎重に……力は抜くな!』
隣の席に座っていた『教官』の声。
訓練用のセスナだったので、当然、助手席にも教官用の操縦管はあり
彼も常に握っていたのだが──。
『ほら! ミゾノ……! 今、自分の手だけで操縦しているんだよ!』
『嘘!』
フッと空に浮かんだあの時の事。
教官はそれを証明するように副席の操縦管をパッと離して笑っていた……。
あの日の空と、今、見上げている空の色は変わらない。
でも下に広がる鏡のような青い海。
オモチャのような空母艦と基地の建物──。
これは上空でないと見られない光景だった。
それも自分の手で飛行機が動いている。
『オモチャみたい──!』
日頃、感情を露わにしない葉月が興奮していた為か……
あの教官は『あの日のお前は忘れられない』といつまでも言っていた。
『ああ、そうだ、大佐──。ジェフリー=トーマスを覚えているかい?』
ランバート大佐に挨拶をした時に、彼がふと言いだしたのだ。
『勿論です。私の教官ですもの』
『今、トーマスはシアトルの部隊で一つの空部隊の中隊長をしているんだよ。
一時、私もシアトルにいたんでね……。後輩だったんだ。
時々……君の話を懐かしそうにしてくれる。君が活躍すると、とても自慢のようにね……。
ミゾノは一度教えたら、二度目には物にする男より勘の良い子だったと──』
『そうでしたか』
あの若教官が『出世』をしている事を初めて知った。
彼のシアトル転属以来……一度も顔を合わせていないけど……。
葉月の『恩師』
彼が飛行する事の楽しさを教えてくれたのだから──。
残念ながら、未だに『独身』と聞いて……葉月はちょっとがっかりしたりした。
だが、深く考えるのはやめることにする。
そんな事を向かってくる潮風の中、葉月はニコリと微笑みながら思い返した。
今日はなんだか清々しい。
昔の事を思い出すのが楽しいだなんて……。
葉月はそっと目を伏せた。
今日も風の音。
芝草の音。
軽飛行機のエンジン音。
どれもが葉月を優しく迎えてくれている様で──。
そして──胸の奥でジッと籠もっている『狂おしい感触』
昨夜、噛まれた耳たぶ。
首元に付いてしまった口づけの跡。
胸先に残るちくりとした柔らかい痛み。
彼が残した『印』
そっと押さえて、そして今にも溢れ出そうで──甘美な感触。
そんな全てが今の葉月を包み込んでいて……
とても穏やかに感じられた。
「……はぁ」
「!?」
そんな声が聞こえて葉月は土手の上へと振り返る。
誰もいなかった。
「……はぁぁ」
だが葉月の耳は正しかったらしい。
土手の上に人が現れた。
葉月はフェンスの真ん前まで降りてきていたのだが
現れた男性は作業服で、土手の上に立つと葉月と目があった。
葉月はいつもどおり上着を脱いで、手元に置いていたのだが
サッとそれをしているか片手で脱いでいることを確かめてしまった。
だが──現れた男性は葉月と目があっても
何を感じた風でもなく……ホットドックを手にこちらに降りてくる。
(せっかくいい場所だと思ったのに)
人が一人でもいては葉月も気が気でないので、去ることにした。
(秘書室に戻ろう──)
そこで時間を潰して、皆の所に再度、廻ることにする。
赤毛の男性だった。
作業服を着ている所を見るとメンテナンサーのようだ。
葉月が、かさかさとアルミ箔でおにぎりを包み直していると──。
「女の子がここにいるって珍しいなぁ」
彼がポツリと独り言のように言った。
彼は別に葉月のすぐ側ではなく……ちょっと離れた所に腰をかけて
のんびりとした様子で、ホッとドックをかじり始めた。
「ここは空気が汚いのに……」
飛行場の側で確かにそう空気が良いところではない。
「あら? 景色は良いわよ? セスナが飛び立つ所も眺められるし──」
「ここらの女性は皆、綺麗でさ……。汚れたがる様な女性はそうはいないから。
外なら『中庭』って所じゃないかな?」
彼はあまり葉月を見ずに……ただ流れてきた言葉に応えるだけかのよう?
「……」
『まぁ……そうかもしれないけど』
と……言いたいところを、見ず知らずの男性とはそんなに言葉を交わしたくなく
葉月は途中だった包みをピッチリと閉じてリュックにしまった。
「参ったなー」
彼はホットドックをくわえたまま、無造作に芝に寝転がった。
まったく……独り言ばかり……。
葉月はあまり相手をしないようにしようと、サッと立ち上がった。
「あ、もう帰るんだ」
「……」
葉月はスッと横目で赤毛の彼の馴れ馴れしさに呆れかえる。
ツンとそのまま相手にせずに土手をあがろうとした。
「さっき、食べていたの何? 白い固まり」
赤毛の彼が葉月のリュックを指さしていた。
「……べ、別になんでも良いじゃない?」
「ここの女は皆、気取っていて俺は苦手だね」
葉月はムッとしてストンと座り直す。
リュックからもう一度、アルミの包みを取り出そうとすると
彼がニンマリと笑ったのだ。
(な、なに? この人!?)
あまり感じた事がないテンポを持っている男だと葉月はちょっとおののいた。
「俺に日本に来いだなんてねー」
そして彼は大の字で寝そべって、『はぁ』と大きな溜息を空に飛ばすのだ。
(日本に来い??)
葉月は彼の着ている作業着が、メンテナンサーの作業着と解っていて
その言葉に眉をひそめた。
「なーんで、俺なんだろう?」
「!!」
葉月はドッキリ!
「……それって転属辞令が出たって事?」
葉月はちょっと彼に近寄って……繕い笑いで尋ねてみた。
寝転がったままの彼が初めて……少しばかり離れている葉月をチラリと見た。
「……君、誰?」
「……誰って? 失礼ね? あたなが先にご自分の事を勝手に私に話しているのよ?」
「そっちだって、勝手に尋ねているじゃないか?」
葉月はムッとしたが何とか押さえた。
ここですぐさま別れても良いのだが、彼が隼人が狙っている候補員かと思うと
帰ることが出来ず……
「私……レイ」
本名ではないが、嘘でもないと自分に言い聞かせて呟いていた。
「俺、エディ」
「エディ!?」
『AAプラスの彼だ!』と……葉月はショックを受ける!
とても賢い固いイメージを持っていたからだ、それがこんなとぼけた人だなんて!と……。
「名前を教えてくれたから、教えてあげよう」
『なんなの? この態度?』と……
奇妙なテンポを持つ彼に葉月は益々眉をひそめる。
「日本から来た中佐に……俺が作るチームに来て欲しいって……。
いきなり言われてもねー」
(うわー。やっぱり!)
葉月は、苦笑い。
隼人が申し込んだ後なのだと……。
「それで? あなたは嫌なの」
葉月はムッとしつつ……彼の気持ちを知るために我慢強く聞き返す。
「嫌って言うか……いきなり日本はねー。
それに女のパイロットがいるとかってさ……。女と仕事はどうかと思うんだ。
彼女が有名な女性パイロットだと言う事は疎い俺でも知っているけど?」
「……」
葉月は目を細め寝そべっているエディを見下ろした。
「……その女性とやってみなくちゃ解らないじゃない?」
「どうかなー? 俺的に女って、我が儘としか思えないからね。
それに将軍のお嬢さんだなんてやりにくいって……」
「私も一応、女性なんだけど。失礼じゃない? 了見せまいと思うわ」
「ああ、君は珍しくここにいるから女性じゃないよ」
(なんなの〜?)
葉月は彼の『理論』に唖然としてしまった。
「はい、コレ。宜しかったら、お一つどうぞ」
葉月は彼を見ずにスッとアルミの包みを差し出した。
これで自分が日本人とばれてもいい気持ちで差し出した。
「わ。米?」
「──?」
葉月は別に驚くわけでもないエディが……なにも気づかずにおにぎりを取ったので
またもや眉間にシワを寄せた。
「なんだ? この貼り付いている黒い包みは?」
「それ……どこの国の料理か知らないの?」
「チャイナ?」
「……」
葉月はガックリうなだれた。
もの凄いずれっぷりかも知れないと……。
いや……たしかにチャイナと見間違えてもおかしくないと
なんとか思い改め、彼に合わせようとする。
「ん。うまい!」
そしてエディは一口、二口食べて……
「むむ! なんだこれ!」
梅干しに差し当たったのか、彼は鼻にシワを寄せて口もすぼめる。
「……あはは!」
急に彼を見ていて可笑しくなってきた。
「ねぇ? もし私があそこにある飛行機に乗りたいと思ったら……乗れるかしら?」
「頑張れば……その女性みたいに乗れるんじゃないの?」
エディは梅干しだけを遠慮することなく指でつまんで芝の上に捨ててしまった。
なんだか葉月はそれが『彼らしい』と解ってきたような気がして苦笑い。
「空に出る時の気持ちって解る?」
「さぁね? 俺は整備一本だから」
「どんな気持ちで整備をしているの?」
「まぁ……なんていうか、その時だけは『俺』って感じだね」
「なるほどね?」
葉月は……やっと彼がどんな人か解ってニコリと微笑んでいた。
「ここで飛行機を眺めるほど好きなら、頑張ったら?」
「うん……。もし飛べるようになったら整備をしてくれる?」
「君が戦闘機乗りになって空母甲板に姿を現したらね」
「ふーん」
「うまかった。もう一個、もらっても良いかな?
年上の先輩達に揉まれて食事も食事らしくないんだよなー」
遠慮のない彼に葉月はもう笑っていて、アルミの包みごと渡した。
「時々、ここに来るの?」
「時々ね。先輩達が口うるさいからさ」
「年上の人ばかりなのね?」
「ああ」
「合わないの? その先輩達と」
「合わないって言うか……俺がいろんな事に疎いから鬱陶しいって所かな?」
(なんだ、解っているのね)
葉月はまた可笑しくなって膝を抱えて顔を埋めてしまった。
「でも整備は『俺』なのね?」
どうやら整備にかけては譲るところなしといった様だった。
他の事に『興味がない』だけなのだと──。
「まぁね。アイツだけが俺の話を聞いてくれるね」
「アイツって?」
「戦闘機の事だよ」
「なるほど? で、なんで私と話しているの?」
「さぁ? 話せたからじゃないの? 君だって俺を無視しようと思えば出来たわけだし。
それになに? 俺と話していて鬱陶しくないわけ?」
「別に?」
「変わっているな? 大抵の女は俺と話すと怒り出すけどね」
(わかるなー)
葉月はまた苦笑いをこぼした。
「デリカシーがないとか、変な所が神経質でつまらないとかってね。
前に付き合っていた女もそういって別れちゃったし」
「恋人はいたの」
「とりあえず、なりゆきでー」
「なりゆきって……」
まるで少年のような人だと葉月は思った。
「別に今はいてもいなくてもいいかなー」
「ふーん」
「ところで……君はどこの研修生?」
どうやら……年下の女性と思ってそう決めつけているらしい。
「さぁね……。私が甲板に出るまでのお楽しみ」
「まさか……本気で言っていないよな?」
「冗談よ。そういう訳で……『奇跡』でも起こらないとあなたともここでお別れね」
葉月はツンとして突き返した。
「あれ? もう、ここにはこないんだ。せっかく話せたのになぁ?」
「もっと素敵なアプローチをしてくれたら、また来るわよ」
葉月はニヤリと笑って立ち上がった。
「そりゃ、無理だね。俺、苦手だからそういうの。
それにそういう事を求めてばかりの女性も好きじゃない」
「あら。甲板では『大歓迎』よ──。そういう男」
「は?」
「じゃぁね。エディ」
葉月はサッと敬礼をして土手を上がり始める。
「気が向いたら、またおいでよー」
振り向くと彼がとぼけた顔でおにぎりを頬張りながら手を振っていた。
別に下心があるわけでもなさそうな……罪のない笑顔。
「そうね。その時は『すっぱくないチャイナ料理』を持ってくるわ」
「そうだねー。あれは口に合わないよ」
手を振るエディに葉月はクスクスと笑って別れた。
「ふふ。奇跡は起きているって知らないのね」
葉月は急ぎ足で空部棟内に戻った。
『あのずれっぷり……』
タイプは違うけど、ちょっと隼人と似ていない?
女性に関して変に興味が薄いところ……なんて……。
裏庭の偶然。
葉月はなんだか去年、隼人と出会ったあの瞬間を思い出していた。
葉月は笑いながらメンテ本部を目指す──。
『あの二人、絶対、気が合うわ!』