48.男・同志

 

 

 「ちょっと、いいか?」

 夕暮れの警備口……。

そこでたたずんでいる黒髪の男二人は、変に目立っているようで。

帰宅の為に警備口を通り過ぎる他の隊員や警備員がこちらに視線を向けているのが気になる。

隼人は先程までは、達也に聞くまでもなく……『一人で考える』という姿勢を見せていたが

口にした為か、案外、素直に達也の後についてきた。

 

達也はそのまま、裏庭へと歩き出す。

 

正面の大きな棟を通り過ぎ、空部隊棟が並んでいる裏庭に二人は辿り着く。

芝土手になっていて、フェンスの向こうは訓練生用の軽飛行機滑走路になっている。

滑走路の向こうは海だった。

その土手上の道を歩いていた。

「あのさ……」

ここに辿り着くまで、二人の男は無言だった。

その間、達也は隼人になんと言おうか一生懸命に考えたが……

結局、上手い言葉は出なかった。

 

『ガシャン』

達也の後ろからそんな自転車が倒れるような音がした。

何か隼人が壊れたかと、不安になって達也は振り向く。

 

「あー、ここは眺めがいいな……」

後ろを黙って付いてきていた隼人は、土手の上に自転車を倒して

芝土手に寝転がった所だった。

「そ、そうだな……俺も時々、ここに来る」

達也も頬を引きつった笑みを浮かべて、ぎこちなく……隼人の側に腰を下ろした。

 

夕凪を煌めかせている夕日も、潮風も……。

静かに二人に目の前に……耳に飛び込んでくるだけ。

ザザッと芝が風にそよいでいた。

 

「別に、俺の心配なんてしなくていいぜ? 葉月からある程度は聞いていたから」

隼人が手元の芝を一握り、引きちぎって……

手のひらを開いてササッと風に芝草を解き放つ。

「そうだろうけど……」

「達也、その時は随分と悔しかっただろうな?」

「……それなりに」

もう……取り繕いようがない。

そこまで察してしまったなら『本当の話』を前提に会話するしかなかった。

 

隼人が穏やかに微笑んで身体を起こした。

 

「解るよ……。達也が葉月と離れなくてはいけなかったという気持ち」

「別に……離れるつもりはなかったんだ」

気まずく俯く達也に、それでも隼人は微笑んでくれるのだ。

「達也のその時の気持ちを考えたら……俺なんてここで取り乱す事出来ないぜ?」

「……それならいいけどさ?」

 

隼人は膝を抱えて、ジッと水平線を眺め始めていた。

 

彼は無言のまま……ただジッと穏やかな表情で。

 

「もし──今の俺が……何が悔しいかというと……。

葉月が結局は姉さんと同じ道を、苦渋を味わってしまっていたという事だな」

「……でも、姉さんの『ケース』とは違うように俺には思える」

皐月は最後まで男達から恥辱を与えられたようだったが

葉月の場合は最後は男と『絆』を作れた。

そう言いたかったが……なんだか達也も苦しくて胸が痛くて、言葉にすることに時間がかかった。

だけど──葉月は『恥辱を受けた訳じゃない』

それが達也が最後に出した結論で、それを言いたかっただけ。

 

「だろうね……。アイツ、死んでしまったその子供の事。

『ロザリオ』にして弔っているし……。

初めて二人目の子供の話を聞いた時も……男に対して『憎しみを抱えている』という雰囲気じゃなかった。

まるで……達也以外の男とうっかり付き合ってしまった……。

そんな風にも取れたから……。

それに──、葉月と達也が別れた理由が、葉月の『妊娠』と知っていて……

そして──、葉月と達也が別れた時期に『ミャンマー任務』が重なっている。

今までその任務について何も感じなかったけど、うっすらと最近だけど、気にしてはいたんだ。

そうしたら……さっき、マリア嬢がミャンマーというキーワードを出したから急に繋がった」

「そうなんだ……。アイツの部屋にロザリオが増えていたのか……」

「……」

隼人のしらけた視線……。

達也はうっかり!

自分も丘のマンションにあがりこんで、葉月の部屋を知っていることを……

今、同棲している男の前で言ってしまってハッとした。

「ええと……そのー」

「あはは。冗談だよ? そんな解りきった事、いまさら突っ込むつもりもないよ」

「なんだよ。おっかねー顔、していたからさ」

暫く、ククッと笑っていた隼人が、また……遠い目で水平線を見つめた。

 

「あいつの事。この前の任務みたいに同じ『無茶』して……そうなったんだろう?」

「え? ああ……うん」

「バカだな……アイツ」

そう呟いた隼人の瞳が少し細くなり──。

そして、水平線を見つめる眼差しが崩れたように弱々しくなっていくのを達也は見つめる。

「本当にバカだな……」

その隼人の煌めくような黒い瞳が、潤んでいるようにも見えて達也は目をそらした。

「ああ、バカだ」

「でも……」

隼人は、そのままゆったりとした口調。

そして言葉は途切れ途切れ……。

すぐに次の言葉が滑り出さないほど、感情が高ぶっている様にも思える。

「でも……」

そしてその声は少し震えていた。

 

「でも……葉月自身の中で『整理が付いている事』なら、俺は掘り返さない」

 

震える息でやっと言い切った隼人のその言葉に

達也は肩に入れていた力がガックリ抜けるほど安心している自分に気が付く。

 

「良かった。やっぱり兄さんだな。俺みたいに耐えられない事もあるかと思って──」

「そんな事──、俺に取って過去の葉月はあまり想像が出来ない。

目の前にいる今の葉月が……俺が知っている葉月だから──。

想像したくても出来なくて、逆にもどかしくなる事もあるぐらいだから──。

時によっては、彼女が感じている苦しみが同じように俺にも解れば

これほど、楽なことはないって思うことだってあるからな?

それに……『今回の件について』は、想像したくない。そんな葉月……の事なんて。

それに……一番、傷ついたのは葉月と達也だろう?

俺がここで苦しむのは、苦しんだ二人とは比べ物にならないほど『軽い事』じゃないか?」

「別にそこまで軽いとは言わないけど──。さすがだな」

達也は、隼人の素晴らしい割り切りと、あまりの完璧振りに思わずふてくされてしまった。

「でも……もし、俺がその時の達也だったら、達也と同じように……

側にいたいのに、いられないという葛藤で……俺も傷ついていたと思うから。

達也は当たり前の感情表現をしただけなんだ」

「兄さん……」

達也の中で、『許せない自分』があった。

今まで……誰にも言えなかった『許せない自分』だ。

妻にも言えなかった『許せない自分』

 

それが対するべき『別れた恋人』である葉月に許してもらえても

それでも達也は今まで『意地でも側にいなかった自分』をずっと責めていた。

なのに……

どうしてだろう?

『同性』である隼人に『共感』してもらえたことで、こんなに救われているなんて……。

 

「……葉月は」

達也は感極まって、言おうとしたことに躊躇ったが……

もう一度、口を開く。

開くと出てくる言葉が止まらないほど、流れ出してきた。

「葉月は……不時着した空部隊の仲間を救助したくて『陸救助』に参加したんだ。

勿論、陸専側近であった俺の付き添い付きという事で、ロイ兄さんが許可してくれたんだ。

誰も……予想が出来なかった事だったんだ……」

「達也?」

言うつもりがなかった『いきさつ』

それを話し始めた達也に隼人が驚いて固まっている。

でも──! 達也は続ける。

「相手の男は……俺はこの目で見られなかったけど、金で雇われている西洋の傭兵だったらしい。

俺達が救助に向かったポイントのパイロットを『捕虜』にする為に

その男が組んでいた『傭兵部隊』と鉢合ったんだ。

俺……その時、葉月を見失った。俺、『実戦参加』は初めてだったんだ」

「そうだったんだ……」

達也は、手と手を組み合わせて祈るような仕草で……苦しそうに組み合わせた手を額に当てる。

「それで?」

落ちついている隼人が『喋りたいなら、今、喋っておけ』とばかりに、次をせかしてくる。

隼人自身が『聞きたい』という欲求からのせかしでなく……

『話したい達也の為』という事が達也にも伝わってきた。

「葉月が捕らわれた事は……許可したロイ兄さんにも、もの凄い衝撃だったようで

あの冷静な兄さんもえらく取り乱して……許可した責任をとろうとしたりして。

捕虜になったのは、葉月だけだった。葉月が捕虜になることで、救助は成功したと言っても良い」

『はぁ』……と、隼人が呆れたような溜息をついた。

「捕虜になったから、なにかしら『要求』はあるだろうと待ちかまえていても

一向に、『要求』がこなかった……。つまり……その傭兵男が葉月を気に入ってしまったということさ。

葉月が言うには……そのリーダ格の男に捕まったから、『姉様みたいな屈辱は受けなくて済んだ』なんて

呑気な事、いいやがって……。

その上……その男の事を『生い立ちが恵まれていない可哀想な人だった』とか……

『子供が出来たと知ったら、見たこともない笑顔を見せてくれて逃してくれたんだ』とか……。

必死になって捜して、アイツの帰りを待っていた俺には飛んでもなく信じられない『彼女の言葉』だったんだ」

「……ひどいな……」

隼人が怒ったように言い捨てた。

達也はハッとして言い改める。

「でも! 葉月は悪くない!……あの時は勿論、葉月の事は許せなかったけど。

俺が致し方なくフロリダに来たように、葉月もそう──。

そうして自分を納得させないと『自分は傷物の女になった』と噛みしめたくないから

『その男に子供を任されたから、頼まれたから、産みたいから……頑張るんだ』って……。

それであの男の事も『それなりに良い想い出』なんてしようとしていたんだ。

葉月は……バカだけど、そうする事しかできない『馬鹿なお嬢ちゃん』に過ぎなかったんだよ」

「なるほどね? 解らないでもないけど──。

それにさっきも言ったけど……後から来た俺は『二人の終わった過去』にとやかくいう気もないし」

隼人は割り切っていながらも……でも、あの時の達也のように

納得できない怒りみたいな物を含んだように刺々しく言い放っていた。

それが葉月を許す、許さないでなく……

達也を同じ男として思う『共感』である事は達也にも解って、構わず続ける。

「つまり……葉月とその傭兵男……。お互いに『情が移った』事に俺、気が付いて……。

俺はその男に寝取られて、葉月を奪われて……心まで──。

それでも……葉月が一言『いかないで』とすがってきてくれたら……

俺、子供の父親になるつもりだったんだ。

けど──葉月は、俺を引き留めてもくれなかった」

祈るような手を額に付けたまま、絞り出すように話す達也を

潮風の中、芝の風音の中……隼人はジッと耳を傾けてくれているだけ。

「そう……。その時の葉月はなんていうか、葉月らしいな。

それに傭兵の彼を許してしまった事もな! 『可哀想な男だった』なんて人が良すぎる」

隼人が呆れた息を吐いていた。

でも──そこまで葉月に腹を立てた隼人のようだが、次には何故か彼は微笑んでいた。

「でも……そうして『男を惹きつけて、男を虜にしてしまう』のも葉月らしい。

きっと、その男は葉月になにかしら……癒されちゃったんだろうな? 悔しいけど。

不思議と……葉月はそういう部分があって、付き合っている男としてはたまらない事なんだけど」

「……だな。ああ言う女だって解っていた俺だけど。

確かに……アイツは俺の事なんて引き留めるだなんて……。

いや──引き留めたくても、どうやって引き留めて良いか……そういう感情表現が解らない『子供』だって。

フロリダに来て……気持ちが落ちついてから急にそう思うことが出来きて……」

「アイツは……今だって変わらずに『小さな女の子』のままだよ」

隼人が寂しそうに俯いて……また、手元の芝草をギュッと握って引きちぎっていた。

「相変わらずなんだ?」

「ああ……。ある部分が『マイナス10歳』……つまりまだ十代みたいに鈍感だよ」

「マイナス……10歳ね? つまり16歳ぐらいの『お嬢ちゃん』って事?」

『なんだか解る』と、達也は腕組み唸ってしまった。

「そう──。葉月は立派な将校だけど、女としては変に幼いんだ」

「……俺も後になって気が付いた。あいつ全然『大人の女じゃない』って……」

「マリア嬢が健全な女性だったから解ったんだろう?」

まったくその通りなので、達也はグッと言葉が続かなくなった。

「葉月の女性の部分が『幼い』事を俺は責めるつもりはないよ」

隼人は、それでも疲れたようにして引きちぎった芝草を、また潮風に流していた。

「そうだろう? 葉月が『健全』に真っ直ぐになれなかったのは仕方がないことで。

葉月の『健全』を奪ったのは……『俺達』……『男』なんだから」

「まさか……兄さん? そういう『責任』を責任を負うべき立場でもないのに

一人で背負ってやるだなんて? 思っていないよな?」

そういう心意気は立派だと達也は思ったが……そんなのは無理だと言いたかった。

葉月が十歳の頃に受けた『男への憎しみ』を、隼人が全部受け止めるだなんて……。

すると──隼人が『クスリ』とこぼした。

 

「まさか……? たとえ、俺が『一人で背負いたい』と思ったとしても

右京さんがいたり、フランク中将がいたり、ホプキンス中佐がいたり。

それにジョイがいたり、山中の兄さんがいたり……そしてコリンズ中佐がいたり。

こっちにはジャッジ中佐もいるし……アイツのパイロット同期生とか。

葉月のお父さんだって──。

皆が『男は大丈夫なイキモノだ』って……しょっちゅう葉月に信号を送っているんだ。

皆がそうして少しずつ『お返し』をして葉月は、軍隊の中であそこまでやってこれた。

それがなければ……

何処かで聞いたけど、葉月は目的もない暴れるだけの訓練生でおわっていたはずだ」

「いわゆる……俺達も敵わない『兄様軍団』とか『昔の仲間』って奴だな?

確かに……変に『部外者っぽい』気分を俺も味わったモンな?」

「だろ? 俺だっていつもそうだぜ? 『お前は新参者でなにも知らないんだ』って感じでさぁ?」

『解る!』

と……達也は隼人の前に腕を付いて身を乗り出すほど『共感』

「だから……俺、ひとりじゃないんだよな。

そこはある意味、心強いんだけどさ……。

けど──そういう『兄様』とか『一般的な仲間』が触れられない日常部分が

一番、密着しているだけなんだよ。俺のポジションは──」

「ポジション──?」

一番いい『恋人』という『ポジション』にいるのに、隼人は満足していないようで

『ひとつのポジションに過ぎない』と言っているように聞こえて、達也は眉をひそめる。

 

「そう……。葉月にとって『恋人』も『男のあるポジション』としか捕らえていないような気がする」

「……女としての感情が宿っていないって事かよ?」

「時々ね──。最近はちょっと変わったみたいだけど?」

「……そうかよ。まぁ──ちょっとでも変わったのなら、隼人兄の功績じゃないの?」

達也はちょっとのろけられた気になって、ふてくされた。

「でも──まだ、全然と言った所だけどな?」

「しょうがない嬢ちゃんだな? 自分が三十路に近づいているって自覚ないのかな?」

「あはは! 女にそういう事、いったら……たとえ葉月でも怒るかもしれないぜ?」

隼人が笑い出した。

「怒らせろよ? そういう所だけ『女の自覚』もたれてもこっちが腹立つよ」

「あははは!」

さらに隼人が笑い出す。

「でも……葉月は『歳』を感じていないかもな?

なんていうか『歳が止まっている』……そんな気がする」

隼人が笑い声を収めて、しみじみと呟く。

「……止まっている? ねぇ?」

解らないでもなく……達也もちょっと考える。

「誰かが動かしてやらないと……ダメなのかもな?」

隼人が……せつなそうな眼差しでまた膝を抱えた。

自分がそれをしようとしているが、なかなか上手く行かないと言っているように達也には感じた。

 

「それ……今度こそ、兄さんがやれよ!」

 

「出来るかな?」

隼人は、自信がなさそうだった。

 

こんな弱そうな彼は、初めてだったし……

彼の中にこういう『弱さ』が隠れていた事に達也は妙な『親近感』が湧いた。

 

「出来るさ! 俺も協力する!」

 

達也が拳を握って、隼人に力むと……隼人が驚いた顔をした。

「……きょ、協力??」

「俺も途中で投げ出したけど、アイツが女にならないと俺もなんだか男になれない気分!

今度こそ! 俺、アイツが女になる所、見届けないとな!」

「……それ、つまり……?」

隼人が眉をひそめる。

「あっ! べ、別に俺が女として育てたいとか、アイツの側にいたいとかそういう事じゃなく!」

「……」

隼人がジッと達也を見つめて黙り込んでしまった。

すると隼人がニヤリと余裕げに微笑んだので、達也はおののく──。

「それって結局──『葉月が一番』って事?」

達也は急に頬が赤くなる!

「違う! 違う!!」

一生懸命、頭を振った。

「俺、今、言ったよな!? 『兄さんに協力する』って!」

「そんな否定しなくても……俺は『受けて立つ』ぜ?」

隼人が真顔を向けてくる。

「ちがーうっ! 俺は暫く『女』とは関わりたくない! 今朝、嫁さんに完全離婚宣言されたばかりだし!」

「──!! それ、本当かよ!?」

隼人がすっとんきょうな声をあげたので、達也はハッと我に返る。

「ええっと……一応、『良い形』で。マリアは特に自身に『納得』したという感じだったんだ。

俺──かなーりショックだったけどな?」

すると、隼人が慌てたように達也の正面に寄ってきて詰め寄ってきた!

「仲直りが出来たと思ったんだぜ!?」

「まぁ……仲直りには変わりはないけど。

マリアは『結婚』より他のやりたい夢っつーのが出来たみたいで」

「……」

隼人が黒い瞳を子供のように見開いたまま、暫く黙っていた。

「そう言えば……変に今朝の彼女は清々しかった」

「だろう? 女の方がいざとなったら割り切りが良いって言うけど、本当だな」

「って──達也、もしかして?」

「ああ……マリアは『小笠原に帰れ』なんて、冷たいこと言い出したんだぜ?」

「……」

隼人がまた黙り込んだ。

「なんていうか……俺も『いずれ』とは思っていたからさ……。

マリアには付いてきて欲しかったけど、それはどうやら諦めなくてはいけないようだ。

隊長が断るなら、俺が立候補しようかな?って、すぐには上に受け入れてもらえないかと思うけど?」

「……」

隼人が放心状態のように固まっている。

 

「ま、そういう事だから。すぐには協力出来ないかもしれないけど

俺も『じゃじゃ馬嬢育成』に、いずれは参戦するからさ。兄さん、それまで投げ出すなよ?」

達也がにこやかに詰め寄ってきた隼人の肩を『ポン』と叩いても

隼人はまだ放心状態だ。

「なんだよ? 俺が来たら、やっぱり都合悪いかよ?

まぁ……兄さんが投げ出したら、俺がすかさず『嬢ちゃん育成』に手を染めるかな?

いやだろ? それって……そうならないように投げ出すなよ?

俺仕様に……お子ちゃま葉月をいい女にしちゃうからなぁ?」

『それって結構、面白そう』と、達也は内心、ニヤリとしてしまう。

達也も、もう29になるいい年の男だ。

二十代前半の時のような『若気な失敗』はしない『自信』があったりする。

 

「俺……言ったよな?」

芝土手に両手をついて隼人が俯いた。

前髪で顔が見えないのだが、声が妙に真剣だった。

「俺、マルセイユの基地で別れる時、言ったよな?」

「──!!」

顔を上げた隼人の黒い瞳が男らしく輝いていた。

 

『……小笠原で葉月と待っている。絶対、戻って来いよ』

『遠慮はいらない。葉月が欲しいなら奪いに来いよ。

俺は決めた。葉月には達也が必要だ……そっちにその気がないなら迎えに行く』

『フェアに行こうじゃないか? 葉月の前で『決着』つけようじゃないか?』

『まぁ、俺の独りよがりだ。後は……達也も葉月も自分自身でそれぞれ決めてくれ』

 

達也はあの時の……隼人の『思わぬ言葉』を鮮烈に思い出していた。

フロリダに帰ってからも、隼人のその言葉がずっと心に残っていたから……。

 

すると隼人の瞳がさらに輝く。

 

「迎えに来たんだ。葉月と一緒に──」

「──!!」

達也は……驚いたが、また隼人が『変な事言っている』と感じて何も言えない状態に。

「ええっと?」

達也は信じられなくて、思わず微笑んでしまった。

「冗談で言っているんじゃないぞ?

隊長が小笠原出張に来て、急いでいた事もあるけど慌ててメンテの出張を組んだんだ。

それも本来の目的だけど……もう一つの『極秘』の目的で……お前を引き抜きに来たんだ」

「わぁ!」

達也はやっと信じられて、でも! もっと驚いて思わず隼人が怖くなり後ずさった。

「し、信じられねぇ!? 葉月は……葉月が良く承知したな!?」

「俺からアイツに申し込んだんだ」

「嘘だろ!? 今、俺が『協力する男』って解らない内から

『元彼』を引き取るつもりだったのかよ!?」

「俺は『ずれている男』と、呼ばれている」

隼人が真顔でそう言い切った。

「……」

今度は達也が放心状態。

額に少しばかり冷や汗が浮かんできていた。

 

「わははは! マジ、ずれているって!!」

達也は隼人を指さして、思いっきり笑い出していた。

隼人も笑い出していた。

 

「決まったな。即、実行する」

隼人は潮風が向かってくる土手に立ち上がった。

その顔が輝き出す。

どうやら、本当に『葉月共々、真剣』の様だった。

「よっしゃ。俺も行く先、覚悟した」

達也も隼人の横に並んで立ち上がる。

 

「これからだから──」

隼人が穏やかに微笑んで、達也に右手を差し出してきた。

「そうだ、もう一度……これからだ」

達也もニヤリと微笑んで、その手を握り返した。

 

「良かった。今日──達也が待っていてくれて。

時々……本当に一人だけで心の整理するのは結構、重いんだ。

葉月の女性の部分は……どうしても他の男には相談できなくて」

「まぁ……そこは『元彼』の利点かな? どんどん利用して?」

とぼける達也の愛嬌に隼人は笑い出す。

本当に憎めない男だった。

「もう、充分、利用したよ。しちゃいけないと思っていたけど」

「俺は全然、平気♪ 平気じゃなきゃ、俺、待っていないもん」

 

「もう、いいんだ。なかったことにしておく。葉月が話してくれたら、静かに聞くことにする」

「……だな。良かった」

「マリア嬢が気にして、達也に『どうなったか』と問い詰めてきたら

『大丈夫』とだけ……。

いや……彼女の事だからそれじゃ納得しないかな?」

「……まぁ、突っ込まれたら俺から詳しく話して納得したと言っておくよ」

「有り難う」

 

芝土手はすっかり夕焼け色に染まっていた。

二人は芝草のさざめく音を聞きながら、土手をあがる。

倒した自転車を隼人が起こして、裏庭小路を歩き始める。

 

 

裏庭小路を二人で、二人で歩き出し……暫くした時。

すっかり落ちついた隼人が、こんな事を言いだした。

 

「……達也に詳しく話を聞いて、一つホッとしたことがあるよ」

「はい? それってなに?」

「……」

自転車を押しながら、歩く隼人が……また力無く俯いた。

「なんだよー? これから毎日、一緒に組むんだぜ?

話したいなら今みたいに言っちゃえよ?」

達也も聞いてもらったから、お互い様のつもりだった。

 

「じゃぁ……思い切って話すけど」

躊躇う隼人の『思い切って』

達也に『嫌な勘』が働いて、ちょっと戸惑った。

達也の勘は当たった……。

 

「葉月に……昔から忘れられない男がいるって知っていたか?」

「……え?」

『知らない!』と、達也は内心……狼狽えた。

「いや……知っていないかもな? 葉月、俺にもやっと言えたって感じだったから……」

「どんな……どんな男だよ?」

達也はそれなりに突発的に起きた『ジェラシー』をなんとか押さえていた。

やっぱり自分は、葉月が好きだと思えた瞬間だった。

隼人が知らない話を知っていた事でなく……。

隼人がそうして今苦悩しているかのように、達也ももしかすると?

その『謎の男』の存在によって……若い頃の葉月との付き合いを阻まれていたかもと直感したのだ。

「……かなり年上の男だって。つい最近教えてもらった。

なんでも……姉さんの昔の恋人だったらしくて……葉月は自然に『兄様』と……。

だけど──その兄貴は葉月の事は妹に過ぎなくて、皐月姉さんのものなんだって言っていた」

「……また、兄貴!?」

「その前に、忘れられない男がいるとはほのめかしてくれていたんだけど。

俺……もしかして? 『二人目の子供の父親』って。

その男との間に出来た子どもじゃないかと思っていたんだ。

そうじゃないと解って……ホッとしている俺って……結構エゴイストだよな?

男に傷つけられた葉月であってホッとしたなんて……」

「……」

完璧振りを見せる隼人でも、そんな『臭い所』があるなんて……と達也は何も言えなくなった。

男として、解らないでもない。

もし? 葉月がその謎の男を昔から忘れていないなら……。

その男との間に出来た子供の事は葉月にとって『最高の愛の証』になるはずで、

その後、流したとしても葉月はきっと……その『証』を胸に秘め続けていただろうから。

偶然であった奇妙な関係で『父母』という絆をもった本当の過去より

『耐えられなかったかもしれない』

隼人がそう言っているのが達也にも解ったから……。

 

「あ……!」

達也の中で何かが急に閃いた。

隼人も怪訝そうに振り返る。

 

「今……皐月姉ちゃんの恋人だったって言ったよな?」

「え? ああ」

「それって、兄ちゃん姉ちゃん達の間では『親しかった』って事にならないか?」

「そうなるのかな? フランク中将に聞けば解るかもしれないけど」

なにげなく隼人が言うと、達也の顔つきが変わった。

「絶対! ロイ兄さんにはその事、聞いちゃダメだ!!」

達也が怒ったように……そしてかなり真剣に隼人に突っかかってきたので

隼人は驚いて後ずさった。

「ど、どうして?」

「……俺、フロリダ転属が決まる前……。

ロイ兄さんは……俺を最後までかばってくれたけど……

『ある事』で、急に突き放された様な『腑に落ちない部分』ってやつがあるんだ」

「突き放された?」

その達也の怒りにも似た言い方に……隼人はある晩の葉月の言葉を思い出す。

 

『……兄様が……達也をフロリダに飛ばしたようなもんよ?』

 

あの後……『栄転』だったのじゃないかと隼人が尋ねると

葉月は何かを思い出したかのように『言葉が悪かった』と言っていたあの時の事を……。

 

「それで? 突き放されたって?」

「……『一族の固い囲い』。それを感じた」

「一族の?」

 

「ミャンマーでの葉月捜索は二度、行われたんだ。

俺は両方、参加した。

一度目はまったく手がかりなし……。二度目の時だった。

実は密林の中で、逃げてきた葉月を見つけたのは偶然、『俺』だったんだ」

「へぇ?」

確かに『偶然』にしては、恋人の達也が見つけるだなんて話が出来ているな?と隼人は思った。

 

「その時……一度目に組まれた捜索隊の時にはいなかった『隊員』がいたような。

それも……人数が多かったから皆、顔を覚えていた訳じゃないから定かじゃないけど。

その……なんて言うのかな? 身軽な男が俺をサポートしてくれて導いてくれていたような気がして」

「……その男がどうか?」

「俺が無理に加えてもらった特殊部隊の先輩じゃない気がした」

「そ、それで?」

「葉月が救出された後、ロイ兄さんに問いただしたんだ。

『腕の立つ男を秘密裏に忍ばせていたんじゃないか』と。

何故? そんな男が用意できるならもっと早く、命令を出してくれなかったのかと……。

そうしたら、兄さん……もの凄く驚いて……。

『それ以上、その隊員に付いて触れるな』と釘を差された。

葉月にも聞いたんだ、『そういう男を知っているか?』と──。

そうしたら、葉月も驚いたようだったけど、『知らない』って言っていたな……。

あの男……その男の事を探って、俺は引き離された様にも後で感じていたから」

「……!!」

隼人は息が止まったように……硬直した。

 

「きっと……フランクと御園を繋ぐ『一族』で、知られたくない事だったのかもな?って思ったり……」

達也は拳を口元にあて、空をぼんやり眺めて昔を語ってくれる。

 

『その男かも──!!』

 

『やはり、秘密隊員だったのか!?』

 

隼人の以前からの『勘』が達也によって決定付けられたかのように──!!

 

一番に気になる『その男』

やっぱりフロリダに来て、その影が濃くなった!!