40.落とし穴

 

 二人でカフェテリアで、短い休憩を取る。

葉月は隼人にドーナツを買ってもらってすっかりご機嫌に戻っていた。

隼人も重い物が心に新たにのしかかってはいたが……

それと引き替えに……妙に大人の女性のような言葉を言うようになった彼女から

『愛している』と言われたことが、重石を乗せても、それが軽くしている複雑な心境。

だけど……葉月と向き合ってお茶をしているだけで……それで良しと明るくなれた。

 

葉月が、カフェテリアの雑貨店で一つ買い物をした。

「あのね? 隼人さん……付き合ってくれる? また、聞いてくれる?」

葉月は、それをレジに持っていく前になんだか躊躇っていたのだが……

「なに──?」

「またね? 許してもらえるかどうかって話……」

買い物をした『訳』を聞かせてもらいながら……

それを手にして、一緒に本部に戻る──。

 

 

 ドナルドはティータイムを終えて、自分の席に戻る。

あれから随分と時間が経っていたが、臨時席の中佐はまだ戻っていなかった。

アシスタントの彼女も出かけたまま──。

気になるが、だからといって自分が何を出来るわけでもなく

そんな雑念を払おうと、頭を振って、再び書類とパソコンに向き合う──。

 

「ドニー」

そんな声がして、顔を上げると……そこには若中佐の隼人が笑って立っていた。

「お疲れ様」

彼の背中から、はにかむようにして大佐嬢が顔を覗かせた。

「あ、ああ……お疲れ様」

彼女の顔色がすっかり良くなって、愛らしい笑顔を浮かべていたので

ホッとした反面……やっぱりこの『男』が上手くなだめられる『役』を持ってる事に驚いた。

「ほら……大佐」

はにかんでいる彼女を隼人が無理矢理ドニーの前に突き出した。

「あの……先日のクッキーのお礼なの。宜しかったら残業や休憩の時に……」

大佐嬢が、らしくない……自信なさそうに、ためらいがちにドナルドに包みを差し出している。

「ああ、あれ……余り物だったのに? 構わないんだよ。こんな気を遣わなくても」

「でも……受け取って下さい。クッキーを頂いた事、嬉しかったので」

「……」

ドナルドが何があったのかと戸惑って隼人を見上げると──。

「まだ、言いたい事あるだろう? 葉月」

隼人がまるで兄貴のように大佐嬢を名前で呼んで、彼女を後押しした。

「……昔、訓練生の時に何か失礼な事をしたのじゃないかとずっと思い返していたんですけど、

思い出せなくて……すみません。でも、何か失礼な事をしていたらごめんなさい」

葉月が頭を下げながら、その包みを差し出すので、ドナルドは驚いて席を立った。

なにせ──周りの同僚達が目を丸くしてその光景を見ていたのだ。

「や、や、やだな! そんな何もしていないのに謝られても!」

『ちがうんだ! 何でもない!!』と、ドナルドは周りの同僚達の視線を散らそうと

あたふたと手で空中をかき分けた。

「ドニー。彼女から、聞いたよ。彼女のヴァイオリンを学生時代に聴いたんだって?」

「え!?」

「私も彼から聞きました。さっき……追いかけるようにあなたが教えてくれたんだって」

「いや……顔色が悪かったから……」

「その顔色が……どういう顔色であったか、ドニーは知っていたみたいだと

彼女に教えたら……彼女、驚いてね」

「わっ! サワムラ君……余計なこと言ったな!」

ドナルドは恥ずかしくなって隼人に食ってかかった。

それはつまり……『昔の君をよく見ていた』という事を葉月に知られたことになり……

そして──隼人にも、葉月の『秘密=ヴァイオリン』を目撃した事を知られた事にもなり……

ドナルドの長年の『密かな想い出』を暴かれた気持ちになったのだ。

「あの……確かに私は、昔、『ある事』で荒れていました……。

声をかけてくれる人に……むげに接していました。

もし……そのうちのお一人だったら……許して下さい」

「……だから!」

「いいの……これは、クッキーのお礼で、ついでにその事を言いたくなっただけなの」

葉月がニッコリ微笑んだ。

その笑顔は……ドナルドも見たことがない笑顔だった。

ドナルドは……葉月が笑顔で差し出す『包み』をそっと受け取った。

「カップの上に乗せられるドリップ式のインスタントコーヒーなんだけど……」

たいした物でなくて……と、大佐嬢が俯いた。

「いやいや。結構本格的な味で、俺も好きなんだよね? 手元にあると助かるな」

ドナルドが微笑むと、彼女がホッとしたように頬を愛らしく染めて微笑んだ。

「その……」

ドナルドが気まずそうに葉月に呟く。

葉月がちょこんと首を傾げた。

「ちょっとした素敵な秘密だったんだ。それだけ……」

「──え?」

「だから──失礼な事されていないって事!」

「そうなの……あぁ、良かった!」

葉月が力が抜けたようにホッとして微笑み、隼人をそっと見上げたのだ。

「良かったな」

彼の優しい眼差しは……『彼女を守る側近』ではなかった。

『恋人』そのもので、『愛』しか感じることが出来ない。

それはドナルドだけでなく……周りの本部員も気が付いてちょっと驚いた様子。

皆──そんな柔らかな雰囲気の二人の絡み合う視線に変に釘付けになっていた。

 

『関係ないだろ──!』

 

切り込むような眼差しに……荒れた言葉遣い。

 

あの日の『少女』は……まだ何処かにいるかも知れないけど……

ドナルドは、彼女が抱えている『憎しみ』は……

多少は癒えてきていると思えそうだった。

 

目の前の……黒髪の男がその優しい眼差しを注いでいるからだろう。

彼女の女性としての愛らしい笑顔。

 

あの頃、皆がそうなれば『綺麗な女の子』と願っていた姿がそこにあった。

ドナルドもそっと笑みがこぼれてくる。

 

「このっ! 妬けるな〜っ、色男!」

ドナルドが隼人を肘で小突き回ると……

「なんの事だよ? まったく」

急にいつもの仕事の顔に戻って、シラっと臨時席に戻っていった。

 

「じゃぁ……また」

葉月は葉月で……彼の邪魔はすまいと思っているのか

それだけで帰ろうとしていた。

「また……クッキーでもドーナツでもあげるよ。第二弾、お楽しみに!」

ドナルドが葉月を指で撃ち抜く仕草を向けると、彼女はおかしそうに笑って本部を出ていった。

 

「なんだよー、ドニー! いつのまに彼女と仲良くなっていたんだよ!」

また隣の男が、ドナルドをボールペンでつつきまくる。

「ふふん。俺の大事な秘密だからな〜」

「なんだって? いつからそんな大佐嬢との間に秘密を持ったんだよ!」

「秘密だから内緒なのだ」

 

そんなドナルドと同僚のつつきあいを、後ろで仕事を始めた若中佐は……

すべてを見透かしているかのようにクスクスと笑いを堪えていた。

 

『なるほどな。大佐嬢の側近に抜擢されたのも頷けた。ただものじゃないな……』

 

黒髪の若中佐が今日は大きく見えた──。

 

 

 「ただいま、戻りましたー」

夕方近くなって、マリアがやっと本部に戻ってきた。

彼女は『ふぅ』と一息ついて、隼人に出かけていた報告をする。

「お疲れ様。すごいな……何処のチームも一発OKか……」

「はい! それがですね〜」

マリアが疲れたように、新しい席に座り込んだ。

「どうした?」

「やっぱり、中佐の予想通り、『噂』になっているみたいでしたわ?」

「──! そうか……。そうなると、候補の本人の耳にも入り始めているかもな?」

「一応、キャプテンの段階で止まっていて、

誰が目を付けられているのだろう?と、いうぐらいで収まっているみたいでしたわよ?

ですから……申し込みに行ったキャプテン達は……

『うちの誰?』とか……『噂は本当?』とか……色々尋ねられましたけど

言い付け通り……『フロリダの空軍に興味があって見学したい』のみにしておきましたよ?

突っ込まれると……ちょっとたじろぐ勢いのキャプテンもいましたけど」

「へぇ……どういう『たじろぎ』の具合? 引き抜かれたら困る?って感じ?」

「いいえ──誰が目を付けられているか解らないから……

とにかく見学だけならOKとキャプテン達も戸惑っているだけといった所でしょうか?」

「そう──」

そんな人の反応までちゃんと見て、報告してくれスッと答えてくれるアシスタントで

隼人はまたもや……彼女を受け持った事に満足をして微笑んだ。

「今から、空母艦の搭乗手続き急いでします! 早くしないと……

朝一の訓練の申請が間に合いませんものね!」

「君も見学するだろう? 自分も搭乗できるようにしておけよ?」

「え!? ご一緒に見学して宜しいのですか?」

「当たり前だろ? そっちが推薦してくれた隊員の見学だよ? いなくちゃ困るよ」

「わぁ♪ 空母艦に乗れるの久し振り! 有り難うございます、中佐!」

マリアの活き活きとした笑顔を見ていると、隼人もなんだか心が清々しくなる。

なのに──今、キラキラと微笑んでいたマリアは……

時計を見て、もの凄い真剣な顔でデスクに向かった。

その集中力は、流石に隼人も唸った。

一晩で計画書を作り上げたというだけあって、そんな勢いで……

あれよあれよと言う間にドナルドの所に彼女が申請に向かう。

「OK。ブラウン嬢──、朝一の訓練から搭乗できるよう手配するよ」

ドナルドもサッと優先的に手配が出来るよう、オンラインで申請を始めてくれる。

「これ、申請が通った後の、連絡船出航時間と桟橋の場所だよ」

ドナルドの隣の同僚も負けじと、マリアに親切に細かいアドバイス。

「皆様……有り難うございます」

マリアも益々輝いて、とても充実しているようで、請け負った隼人としては嬉しくなってくる。

(……葉月が気にするだけあるかもなぁ?)

マリアと向き合えば、向き合う程……『素晴らしいお嬢様』だった。

そこは葉月とは違って『真っ直ぐに育ってきた輝くお嬢様』で……

むしろ葉月より『お嬢様らしい』とも言えそうだった。

影や『卑屈さ』が何もない。

誰からも愛される性質があるようだ。

葉月がそんな彼女と自分を照らし合わせて、落ち込んだり、逃げたりしたのも

なんとなく本当に仕方がないように思える『完璧振り』だ。

そして──彼女は懐が広くて優しい。

葉月はそれを知っていて、彼女がそれで苦労するだろうからと避けていた事も……

マリアのようなお嬢様には理解できないだろう。

そういう意味では苦渋を味わってばかりの葉月の方が『奥が深い』とも言えそうだ。

隼人は、二人のお嬢が惹かれあいつつも……

まだまだ距離が縮められず……

そして自分がサッと手出しすることもしてはいけないことで……

もどかしく思いつつも見守るしかなくため息をついた。

マリアから聞いた話。

葉月から聞いた話。

それをそれぞれに話せば済むのだろうが……

特に葉月はそれを望んでいない事を知ったから……。

きっと彼女は『自分の力で引き寄せたい』と願っているはずだ。

隼人に助けてもらっていては、自分から人に向かうことが出来なくなる。

先程──ドナルドに素直に昔の事を謝れたように……

葉月は自分の口で『始末』して自分の口で『納得』したいと解ったから──。

見守るしかないのだ──。

 

「中佐──。終わりました、スケジュール確認して下さい」

 

勤務定時時間が近づいて、マリアがサッと隼人にプリントを差し出した。

その作業の早さに隼人はまったく『感心』した。

「完璧だ。ご苦労様」

隼人の労いに、マリアも満足そうに微笑んでいた。

(こういうレベルの女性なら……本当、葉月の仕事仲間姉様としてはピッタリだな)

上手く行けば……の、話なのだが。

こういう女性は小笠原でもなかなか見かけない。

フランスでも、こんなに気だてが良くて頭が切れるキャリアの女性は見たことがなかった。

やっぱり『二世隊員』

将軍の娘といった所のようだ。

あの達也の妻だったという事も、妙に納得する。

「今日は、もういいよ──」

定時が近づいて、隼人は今日はマリアを先に帰そうとそう進めた。

「はい、有り難うございます……」

「うん、お疲れ様」

マリアがノートパソコンの電源を落として、デスクの整理を始める。

いつも手にしている赤いバッグに色々と物を詰めて帰り支度をしていた。

「今日は自転車で帰られますか? 宜しければ明日もお迎えにあがりますよ?」

「いや……気にしないでいいよ。明日は自転車で出るから、お構いなく」

「はい」

気遣いも完璧なお嬢様に隼人も笑顔で答えていた。

「あの……」

「なに?」

もう、帰ろうと赤いバッグを肩に提げているマリアが、なにやら言いにくそうに

ノートパソコンに向き合う隼人を見つめていた。

 

「今夜、達也と食事に行くことになったんです」

「──え!?」

思わぬ報告を彼女がするので、隼人は驚いて固まった。

「その……色々と彼ともう一度話そうかと思って……。

あの……サワムラ中佐にお話した事とか……ハヅキの事とか……。

正直──今まで変に避けていた『話題』についてです。

それから……私なりに新しく『気が付いた事』とか……」

「そ、そうなんだ……」

それしか反応できなかった。

「では……お先に失礼いたします」

マリアはそれだけいうと、晴れ晴れとした輝く笑顔で臨時席を去っていった。

隼人は茫然としつつも……見送ることしか出来なかった。

 

(待てよ? 彼女、変に晴れやかだったな??)

達也と『やり直す決心』でもついたのだろうか??

もし? 達也の意志を尊重して『やり直す』となると──??

(彼女……隊長と達也の間にある転属話……知っているのだろうか?)

隼人はちょっと色々と想定して考える。

達也とマリアが程良く『復縁』となると……

達也は小笠原にマリアを連れてくることが出来るだろうか??

それとも──もう一度、フロリダでやり直そうと……動いてくれなくなるか……。

いや──?

葉月を諦めて、マリアとの人生を選ぶなら、そこでもう……

隼人としては達也とは『ライバル』ではなくなるのだ。

そうなったら……達也の再出発を祝福し……小笠原への話は

隼人の中では白紙にしなくてはならない。

それが当然の事だ。

(どっちに転ぶんだ……)

ここで達也の引き抜きを『見極める時』が来たような気がした。

まだ……達也とはゆっくり話もしないうちに話が変に転がっているように思えた。

 

「はーやとサン?」

定時を過ぎて30分ほど……。

隼人が色々と雑務の整理をしている最中だった。

今度は葉月がまたやって来た。

「ああ……もうすぐ終わるよ」

「本当? 私も秘書室を出てきたところ。小笠原の本部の日誌をジョイに送ってもらって

閲覧していたの。皆、ちゃんと頑張っているみたいで安心したわ」

「そうなんだ。えっと、一緒に帰るか? 自転車で」

「うん」

葉月の笑顔も今日は晴れやかだった。

いつも一人でフラフラと何処でなにを始めるか解らない彼女が

今日はそんな隼人を迎えに来たのも珍しいことだった。

「そこ、彼女の席だけど──」

隼人は帰宅したマリアのアシスタント席を葉月に勧めた。

「マリアさん……帰ったの?」

「ああ。完璧なアシスタントをしてくれたんでね」

「ふぅん。 彼女、すごいでしょ!」

葉月がまるで我が事のように自慢をしているようなので

隼人はクスリと笑ってしまった。

「なぁに?」

「いいや?」

やっぱり……それなりに『気に入っている』と思ったのだ。

「そうだ、『大佐』──丁度いい。これ、見てくれるかな?」

隼人は、マリアがピックアップした候補員の名簿……

隼人が色々と印を付けたあのプリントを葉月に差し出した。

「なに?」

「彼女が……選んだ候補員」

「──!!」

隼人が何と説明しなくても……さすが相棒。

隼人が分けた『印』の意味もすぐに解ったようで顔色が変わった。

「これ……『×』は小笠原を出る前に外した隊員?」

「そう……」

「『レ』は……今、交渉している隊員ね? 『△』は……隼人さんとロニーの名簿には見かけないわ?」

そこで、隼人はスッとマリアが作った『訓練見学のスケジュール』を差し出した。

「そういう事で大佐……明日は女性メンテ員などの見学をしてきます」

「女性──! 隼人さん……構わないの?」

「計画書にもあっただろう? 幅広い層の隊員を見学するという彼女の『オススメ』」

「ええ……」

「そこに『女性隊員』が含まれていると葉月も直感したんだろう?」

「そうだけど……いいの? 隼人さんのチームよ?」

「彼女が言っていた。女性パイロットがいるフライトチームだから、

女性メンテ員がいてもいいじゃないかと……。

そうだな……俺ってそういう女性パイロットを上司に持っているんだ。

俺が女性メンテ員にも理解がないなんておかしいじゃないか?

それ……彼女に教えられた気分だったんでね」

「……そう!」

葉月がなんだか嬉しそうに微笑んだ。

そういう『女性感覚』は、隼人以上にマリアと『志』が通じて……それが嬉しかったようだ。

「まぁ……使えそう、使えないは……二の次でね。

とにかく『食わず嫌い』という訳にも行かないから、見るだけ見てくる」

「……そう」

葉月がマリアが作った名簿を見て……なんだか急に考え込んでいた。

「どうした?」

「この……『トリシア=マクガイヤー』って隊員。もしかすると……」

「え? その女性が何か??」

「え?? ううん? えっと、『直感』……じゃなくて、私が気になるなーって所?

よく見ておいてくれる?」

「え? ……ああなに? 知っている後輩?」

「ええ……まぁね?」

「──そう? 解った」

歯切れ悪い葉月の反応に、隼人は首を傾げたが……。

葉月も不思議そうに隼人の反応を伺っている。

「……気付かないの?」

「なにが??」

「……ううん? それなら、いいの」

葉月が慌てるように笑って誤魔化したように見えたが……

隼人は訳が解らず、そのまま放って雑務に戻った。

 

「あと、何分〜」

これまた葉月が珍しく隼人の仕事を邪魔して話しかけてくる。

「うるさいな。あと少しだよ」

いつもなら『先に帰るわ』とか『先に帰っていろよ』という二人なのだが……。

隼人もそう……お互いにそれが言えないでいる。

自転車で一緒に海際の道を帰るなんて、フロリダに来て初めてだ。

お互いにそれを頭に描きつつ、こうして待ち合わせている気分なのだ。

隼人の手も自然と早く動く。

「さて……後は、帰ってからにするか」

「終わったの!」

「ああ、帰ろう」

そんな二人の様子を、メンテ本部の隊員達がまた珍しそうに眺めていたが

葉月ももう、気にならないようだった。

そして──隼人も……。

 

隼人が荷物をまとめて葉月と一緒に、ドナルドに話しかけて本部を出ようとすると……

 

「あれ? 達也じゃないか?」

隼人が先に気が付いた。

本部の入り口に……達也が奥を覗くようにうろうろしていたのだ。

「あ……そういえば、今朝……達也、マリアさんの様子を見に来ていたわよ?

彼女がいなかったから……また、来るって言っていたもの」

葉月がなんだか呆れたようにため息をついていた。

「いや……。彼女、帰り際に……」

隼人は一瞬、葉月に報告することに躊躇ったが……

「達也と今夜食事に行く約束をしたって言って、出ていったんだけど」

「それ、本当!?」

葉月が変に驚いた。

「じゃぁ……マリアさんと待ち合わせしていて、まだ、会っていないって事じゃない?」

隼人は時計を見る。

「30分以上経っているじゃないか……おかしいな?」

二人は顔を見合わせて、達也がいる入り口に向かった。

 

「達也」

隼人が声をかけると達也が困ったように顔を上げた。

「えっと……その……」

隼人は元妻と食事に行く約束をしていることを

素直に言えない達也を感じて……でも、急いで問いただす。

「彼女なら、定時で帰したけど……」

「え! 30分も前に?……」

「工学科にいなかったの?」

葉月も素知らぬ振りで、達也に尋ねる。

「いや……いなかったから、こっちに来たんだけど」

「何か、約束でも?」

隼人から、カマを掛けてみた。

「ああ、まぁ……色々」

達也も気まずそうにして、

「……だったらいいんだ」

と、サッと背を向けて帰ろうとしている。

 

「おかしいわよ」

去ろうとする達也に、葉月がピシッと投げつけた。

「おかしいって??」

達也も振り返って怪訝そうな顔──。

「だって、何処にもいないって事になるじゃない?」

葉月の言葉に達也の顔が不安そうな色を灯す。

そして……隼人も嫌な予感が過ぎった。

 

「達也、彼女の車があるの確認したのかしら?」

「あったよ。車があって工学科にもいなくて、ここにもいないから探しているんじゃないか?」

「……」

葉月がちょっと考え込むように俯いて……

そして、顔を上げた。

「……工学科にマーティン少佐はいたかしら?」

「!!」

隼人はハッとした。

今朝の事──根に持っているのだろうか!?

帰り際にマリアを捕まえて──!?

だとしたら、危険じゃないか!?……と……。

「ああ、あのいけすかないマリアの上司だろ。いたぜ」

どうやら、葉月と同じで達也は以前から妻の上司の事は気に入らない様子。

隼人は『やっぱり、似ているな?』と変に苦笑いを浮かべてしまった。

だけど……達也は今のマリアが上司とどのような状態かは知る由もないから

葉月の質問に首を傾げているだけ。

「そう……」

葉月も隼人もその達也の答えにホッとしたのだが……。

「ちょっと、待って……」

葉月がフッと動き出す。

メンテ本部に戻って、側の本部員から内線を借りていた。

隼人と達也は首を傾げて、そっと葉月がすることを入り口から覗き込む。

 

「マイク? 私……良かった、まだそこにいる?」

葉月が内線をかけているのは御園中将秘書室のようだ。

「今から、澤村と海野を連れて行くから待っていて。うん、ごめんなさい」

葉月はそれだけいうと、内線を切って本部を出てきた。

 

「急いで──! なんだか嫌な予感がするの!」

葉月が走り出した──!!

「な、なんだよ!? 冗談じゃないぜ? お前の予感はいつも『お騒がせ』の始まりなんだ!」

だが、達也は葉月の『勘』を良く知っているようで、

葉月の『嫌な予感』は否定はしなかったが……

その分、妻が関わって『嫌な事の始まり』だなんて『飛んでもない!』と

拒否したそうで狼狽えていた。

「行くぞ。万が一だ!」

隼人も葉月の勘に胸騒ぎがした。

達也の腕を掴んで引っぱり出す!

「え……え!? なんだよ。いったい!??」

ただ元妻を迎えに来ただけなのに、変に葉月と隼人が顔色を変えている訳が

達也には解らない。

「なにしているのよ! 達也、置いて行くわよ!!」

機敏に前へと走りだした葉月にきつく叫ばれて、

達也は顔をしかめたが、渋々……隼人と走り始める。

 

3人は揃って秘書室へ向かった。

 

 

 『ハァハァ……』

3人揃って秘書室の前へ辿り着くと……

 

「ちょっと、そこで待っていて」

葉月に手で制されて、扉の前で待たされた。

葉月だけ、秘書室に入室してしまった。

 

「なんだよー! なんでマリアを待っているだけで、マイクの所に行かなくちゃいけないんだよ!」

状況が把握できない達也は、息を切らしながら……

でも……変な不安は感じているようで、苛ついていた。

隼人は溜息を落とす。

「……あのさ、達也」

「なに?」

「その『奥さん』が、工学科でどんな状態か知っているのかなーって?」

「──!? なんだよ、それ!」

(やっぱり……知らないか)

と……隼人は達也は悪くないだろうけど、ちょっと残念に思った。

「!! もしかして……さっき、葉月も言っていたな? あの上司かよ!」

達也が急に閃いたかのように、隼人に食ってかかってきた。

「──!? なんでマーティン少佐って解るんだよ??」

「やっぱり!! あの男、昔っからマリアに対して『怪しい』と思っていたんだ」

「そうだったんだ!?」

「俺と結婚する前からな! 本気なのかそうじゃないのか解らない態度でさ!

アイツがマリアに近づくなら……『遊び』か……『本気』にしても

『将軍の娘婿』という肩書きが欲しい『野心家』だっていってやったのに」

「なるほど──?」

どうやら……達也は昔からマーティンとは『天敵』の様である?

「だけど……マリアは素直で人が良いから、なんでも人当たり良く受け入れちまうんだよ。

俺が旦那であった間は、それなりに向こうも気遣っていたようだけどさ……」

隼人はなんだか、今頃気が付いたような達也にちょっとムッとした。

(そういう男と離婚後も毎日一緒にいるって解っていて放っておいたのかよ?)

と──。

だが──先日から達也が言っているように……

『俺がとやかく言える範囲じゃなくなっている、資格はない』という事になるのだろう。

それにしても──と、隼人はこんな事態になりかけていて

額に人差し指をあてて唸った。

暫くすると……

 

「お待たせ」

葉月が急に……気迫ある表情になって秘書室から出てきた。

そして──マイクまで!

「事情は聞きましたよ」

「……マイクが思い当たる場所を知っているから、そうおもって……」

葉月が気まずそうに達也をチラリと見つめてすぐに視線を逸らした。

(あの調査、ジャッジ中佐がしてくれたのか……)

隼人はそれで葉月がマイクを頼った訳を悟った。

彼が……マリアとその上司がよく落ち合っている『酒場』を知っているのだと。

達也も……顔色が変わる。

「……どういう事だよ……」

 

「……」

隼人は葉月と顔を見合わせた。

だけど、マイクはいつもの余裕でニコリと達也に笑いかけた。

「まぁ……私についてきてみたら解るでしょうね? さ、私が車を出しましょう」

「え? え??」

達也は益々解らなくなったようだが……

マリアとマーティンが関わっている事だけは理解できたようなので

サッと歩き始めたマイクと葉月の後を、隼人に後押しされて達也も歩き出す。

 

「な!? 兄さん……どう言うこと?」

「……こういう事なんじゃないかな?」

 

隼人はただ、マリアが単に酒場で捕まっているだけであるのを祈った。

そうでなければ……

 

マイクの後をついてゆく葉月の背中が……

妙に熱い陽炎を発しているように、隼人には見えてならなかった。