34.赤い女性
──「とぼけるなよ? 葉月」──
夕なずむ自宅の部屋……ベッドの上、葉月は夕方同期生から聞いた話を思い返し
そして……カフェの廊下……窓際で話し込んだケビンの怖い眼差しを浮かべていた。
「アンディは……ずっとお前を待っていたんだ。今だってな……」
「……そこまでこだわっているとは思わなかったの。
さっき──アンディをみて気が付いたけど……」
葉月は申し訳なさそうに俯く。
「だって──そんなの私達が『若い時』の出来事で……
卒業して何年も経っているから……あなた達だって大人になっているし恋人の一人や二人……」
「葉月」
またケビンが怖い顔で葉月を黙らそうとした。
「確かに──俺は結婚したし、ダニーだって危なげな恋は幾つもして
アンディにだって、恋人は何人かいた」
『ほら、恋人がいたんじゃないか』と、葉月は無言でふてくされた。
「だが──アンディはすぐに女と別れる。不器用な事も原因だろうけど……。
だいたいは女と付き合っている間に、お前の近況が耳に入って動揺して別れる」
「!!」
「……お前が小笠原で何回か傷ついて、今度こそフロリダに戻ってくると思ってな」
「──そうなの!?」
「つまり……それだけ、お前にこだわって、目の前の女が見えなくなる。
アンディはそんな自分にいつしか気が付いて……ここ数年は恋人すら作らなくなった」
「……」
「今のサワムラ中佐ともいつかは別れる……そう思っているのさ。
だから! たとえ、昔の男の事が残っていても『その問題』についても
今は『違う男』と闘っているって事──アンディに伝えろ!!」
「ケビン──」
「アンディはいつも言っている。レイがフロリダに帰ってきたら……
『俺が側近に立候補する』ってな」
「……」
そこまでだとは……葉月もしらなくて、気が付かなくて茫然とした。
葉月は窓辺から夕暮れる海を見つめた。
「……それなら……私だって、アンディと一緒よ」
「一緒?」
「……」
葉月はそっとゆるく微笑んだ。
「……その男の人が帰ってくるのを待っていたみたい……私。
だけど、帰ってこないの。いつ会いに来てくれるか解らない。
でも──その人は私を置いて行くの……。
いくら待っても帰ってこないから……諦めて側にいる人を好きになって、
私の事、持て余して……去って行くの……」
「……」
ケビンは黙って葉月を見下ろしていた。
「でも──澤村は……私から逃げない……。今はね?
それどころか──私に『忘れられない男がいる』って言わせた男なの。
それ以前に『左肩の傷』の事……私から言えた数少ない人なの……。
彼に──心より『愛している』って伝えたいの」
「レイ──」
「──愛しているという言葉が口に出てもたぶん、まだ私の真実じゃない気がするの。
愛しているって言葉が出るようになっても、私は自分で戸惑っているわ。
もっともっと──彼に喜んでもらえる『愛している』が言いたい、伝えたい!」
葉月は涙ぐんでいたようだった。
「言葉で言える『愛している』なんて──簡単な事だって……彼が教えてくれたんだもの!
だから……彼が私に伝えてくれる『愛している』より負けない『愛している』を伝えたいの!
……それには『あの人』の事……なんとも思わないくらいにならなきゃ行けないことぐらい
私──解っているつもりよ!」
「──でも、今はまだ……無理なんだな?」
葉月はまた、静かに頷いて……湿り始めたまぶたを拭った。
「しかし……お前が照れたり、泣いたり、訴えるなんて顔……初めて見た気がする」
ケビンはそっとまぶたを閉じて、微笑む。
「解った。サワムラという男が、それほどの男だって事は……。
だったら──アンディの気持ちが解るな?」
葉月は……やっとケビンが言いたいことを理解して素直に頷いていた。
「俺は、お前の冷たさは『思いやりがない女』とは思っていない。
勿論、アンディもな……。
ハタから見ると、男の事なんてどうだって良いようないけすかない女に見えるだろうけど
そんな奴らは、お前の『苦しみ』なんてこれっぽちも知らない奴らが吐く戯れ言だ。
だけど──『決着』だけは目を背けないで欲しい……」
「ケビン──」
「……今話したことは、アンディには言わないから安心しろ。
俺が言ったところで、アンディはお前の言葉じゃないと決着が付かないだろうからな……」
「解ったわ……」
「訳有りの男がいる事も……聞かなかった事にする。
その事……早くサワムラ中佐と話した方が良いと……俺は勧めるよ。
でないと……いくら我慢強い男でも、去っていくだろう。いつもと同じだろうな?
今度はそうならないよう、祈っている」
ケビンはそこは笑顔で葉月を見つめて、『グッラック』と肩を叩いて背を向けた。
「ケビン──有り難う」
葉月がそっと彼の背中に告げると、彼は肩越しに手を振って廊下を颯爽と歩き去っていった。
『言えない事』
彼等に……突きつけられて、葉月は自分が隼人が理解あると甘えて
『引き延ばしている』という事を初めて知った気がした。
そして──ここにも『忘れ物』が存在していたようだった。
そんな夕方の事を思い出して、葉月は自分の白い部屋でぼんやり思い返す。
そっとベッドから起きあがって、自分の机に向かってみる。
ピンク薔薇の粘土細工がしてあるフォトスタンド──。
姉、右京、真……そしてちいちゃい真一の写真が入れられている。
真一の写真は二枚。
無邪気に微笑む幼児の真一。
彼が赤ん坊の時の写真。
その一枚……赤ちゃんの写真をそっとずらしてみた。
それは葉月が差し込んだ写真ではない……母が入れた写真だった。
そこに黒髪の男が現れる──。
甥っ子にそっくりな……大きな輝く瞳……。
「純兄様──」
若々しい軍服姿の『義兄』
今まで誰にも言えなかった……『待っている人』がそこにいた──。
『ただいま帰りました』
「うーん?」
ラベンダーの香りがする枕を抱えたまま……葉月はその香りに癒されるように
ベッドの上でまどろんでいたようだった。
部屋は既に暗くなっている。
「……はぁ」
葉月はおもむろに起きあがって、目をこすった。
『まぁ! いらっしゃい!? 久し振りね!』
『ついでだったのですけど、宜しかったですか?』
母と隼人の声が聞こえた。
葉月は慌てて起きあがって、昨夜、旅行鞄からクローゼットに移し替えた洋服に
着替えようとベッドを降りる。
そして、慌ててワンピースに着替えて……
ドレッサーに向かって昔使っていた櫛で手早く髪をとかした。
『コンコン』
ドアからノックの音。
「はい、どうぞ?」
慌てて部屋の灯りをつけると、ドアが開いてそこから制服姿の隼人が現れる。
「ちゃんと帰っていたか」
「なぁに? 人を糸が切れた凧のように……何処にでも行くみたいに」
葉月がふてくされると、隼人の眼差しが優しく緩んでジッと葉月の姿を眺めていた。
「スミレのワンピース持ってきたんだ。右京さんのお見立ての……」
「え? ああ、うん……」
綿素材で着やすく、いつのまにか葉月のお気に入りになってマンションでも良く着ていた。
このワンピースを着ると、隼人が口で言わずとも喜んでいるのが伝わってくる。
そして──このワンピースを着るとなんだか隼人はいつも以上に優しかった。
「俺が帰ってくるまでに、夕食待っていたみたいだな。
お前がそう言ってくれたんだって?」
「……うん。私も、すぐに夕飯という気分じゃなかったから。疲れて、お部屋で休んでいたの」
「同期生達は?」
葉月が『ちゃんと帰ってきた』という確認の裏で、
あの同期生達と何処かへ出かけると隼人は心配していたことが、今、判った。
「あの人達は、うるさいから……すぐにカフェで別れたわよ」
本当はそうではなくて、居づらくなって葉月から切り上げて帰ってきたのだが……。
その訳は隼人には絶対に言えなかった。
ホッとした隼人の笑顔を見ていると、彼が思わぬ事を言いだした。
「彼女を連れてきたんだ」
「──え? 彼女って?」
「薄暗くなってきたんで……車で俺を送ってくれたんだ。
お母さんの許可も得ずに連れてきたけど……
顔馴染みみたいだから、お母さんも喜んで迎え入れてくれたし……」
「ええ!?」
『彼女』が『マリア』だと言う事が解って、葉月は飛び上がりそうになった。
「な、な、なんで!?」
隼人がにっこり微笑む。
「それは後でゆっくり──」
隼人の何かを『企んでいる』様な微笑みに葉月はちょっと狼狽える。
「き、着替える!」
今、着たばかりのワンピースのジッパーに手を当てながら、
葉月はクローゼットに向かおうと隼人に背を向けた。
だが──
「葉月ちゃん?」
にっこり微笑んだ隼人にワンピースの後ろ襟ぐりをむりやり掴まれて、引き戻された。
「な、なにするのよ!?」
「どうして制服じゃないと彼女と会えないのかな?
おや? 大佐という『権威』がないとお姉さんとは向き合えないとでも? お嬢ちゃん?」
隼人の笑顔がさらに増した。
なんだか──『マイク』にそっくりじゃないか!? と、葉月はおののいた。
「いいから、そのまま一緒に来い!」
「えーえー!!」
今度はほとんど『強制』だった。
隼人に襟首掴まれて、部屋の外に引き出される。
「葉月? 何を騒いでいるの? マリアが遊びに来たわよ?」
「いえ……ドクター。私、すぐにおいとましますから……」
「何を言っているのよ? せっかく久し振りに来てくれたのに。
あなただって、昔はうちに良く来てくれたじゃない?」
「ですけど……」
白い階段の下で母とマリアが会話しているのがすぐに見えた。
葉月は、背中に汗が滲み出てくるのを感じていた。
彼女の目の前で、こんな『女性らしい恰好』は見せたことがないし……
『あなたもドレス、着ないの? 着たら素敵なレディだとおもうわ? いつも制服なのね?』
『……私には必要ない』
『どうして?』
そうして『上手く説明できず』に逃げ出した自分。
そして──『拒んでいた自分』ばかり『マリア』に見せてきたのだから。
「葉月? 聞いたわよ? 隼人君のお仕事のお手伝いをマリアに頼んだそうね?」
母がニコニコと階段下から葉月を見上げていた。
「いえ──ドクター。大佐からではなくて……わたくしからお願いしたんです。
大佐が快く許可して下さって……」
マリアがそっと上を見上げた。
「──!!」
彼女の驚いた顔……。
葉月は顔を背けて、すぐに部屋に籠もりたくなったのだが、
ちょっと後ずさりたくなった感覚を隼人に悟られて、彼に腕をグッと握られ止められた。
「葉月、何を怖がっているんだ? そんな事をもうしたくないから帰省してきたんじゃないのか?」
冷ややかな隼人の眼差しがグッと葉月を捕らえる。
「……は、隼人さん」
『マリアに対しての想い』……。
それをもう隼人が見抜いていることに葉月は驚いた。
マリアと何を話したのか? 話したから……こんな事を言える、止める、前へ押し進める!
そうとしか思えなかった。
「葉月?」
母がいつまでもそこにいる葉月を不思議そうに見上げていた。
「さ……行こう」
隼人にそっと前に押されて葉月は階段を降りる。
「まぁ……葉月。素敵なワンピースを着ているじゃない?」
やっと私服姿の娘を目に出来て、母が嬉しそうに微笑んだ。
「五月の連休に鎌倉の准将宅へ、彼女と一緒にお邪魔したんですよ。
その時……右京さんがこれを……彼女に」
無口になった葉月の代わりに、隼人がにこやかに母に説明した。
「さすが右京ね? あなたにそんな可愛らしい柄のお洋服を、
似合うようにお見立てしてくれるなんて……」
母の感心の溜息──。
「ですよね! 僕も同感です。お兄さんもすごくお洒落な方で──」
「ふふ。右京は昔からスタイルへの拘りは人一倍ですからね」
日本語で会話を弾ませる母と隼人をよそに……。
階段の下まで来た葉月と……マリアの眼差しがぎこちなく合わさった。
「お疲れ様」
いつもの感情も宿っていないような表情、声で葉月からマリアに声をかける。
隼人と登貴子はその様子に気が付いてそっと会話を止めた。
「……とても似合っているわ。素敵ね」
マリアが輝く笑顔を惜しげなくこぼした。
それに向き合っている葉月は……
「サ、サンキュー……あの、あなたほど素敵に着こなしが出来なくて……」
あの葉月が……小さな子供みたいに頬を染めて、俯いた。
「あら? そんな事ないわ。昔から……あなたがそんなお洋服を着れば
着ただけで素敵だろうって思っていたのよ?」
「そ、そんな……私なんて……」
基地の中の立場とは『逆転』しているようだった。
隼人は、あまり見た事ない葉月の『内気』な戸惑い様に少々動揺した。
そんな隼人の戸惑いも関係ないかのように……
『ふふ……』
登貴子が目の前の若い女性二人を、何か悟りきったような輝く眼差しで見つめ
そんな微笑みをこぼしていた。
「隼人君?」
そんな登貴子が『ニンマリ』意味ありげに微笑んだまま……
「お台所、手伝ってくれる?」
そんなウィンクを隼人に投げてきた。
「は、はい……」
そこに慣れない同士の女性を残していくことを不安に思いつつ……。
「隼人君、あなたの『仕掛け』って面白いわね」
キッチンにはいるとすぐに登貴子がニコリと微笑みかけてきた。
「い、いえ……僕は……」
見抜かれているし、これまた『大人ぶって葉月に強制した』事がちょっと心苦しくなったのだが……。
「キッカケは大切ですからね。後はあの子達次第。見守るしかないわね」
「はい──」
多く言わずとも、登貴子は人生の大先輩。
しかも──これだけ優雅な微笑みの奥に、誰よりも傷ついた母親の顔もあるはず。
彼女はそれを微塵にも見せないけど──。
そんな女性だから、隼人は変に言い訳るのはやめることにした。
たしかに──『キッカケ』は作ったのだから。
キッチンから除くと、まだ葉月とマリアが無言で俯きあっていた。
それを見かねたのは……
「マリア、どうだい? 食事をしていけば良いよ」
テラスでビール片手に雑誌を読んで涼んでいた亮介だった。
「でも……おじ様」
「なぁに。若い女の子が一人でも多い方が、華やかで私は好きだけどね」
「バカじゃないの? パパ」
葉月がツンとして、階段を降りきりダイニングテーブルの椅子に座り込んだ。
父親に対して冷たい娘の姿にマリアはビックリしているようだったが……
「あはは。言われちゃった」
亮介はおどけてマリアに笑いかける。
マリアも『おじ様』の陽気な様子に気がほぐれたのか、クスッと頬をほころばせていた。
(うーむ。葉月のヤツ……強情)
隼人は、人のことは言えないが……なんとも思った通りの葉月嬢で唸った。
父親が、それとない『取りなし』をしてくれても、いつもの平淡さでバシッと切り捨てる所なんて……。
でも登貴子が言うとおり、見守るしかない。
『糸解き』は、葉月とマリアが一緒にしなくては意味がないのだ。
「あの……中佐?」
キッチンで登貴子とベッキーと一緒に料理の皿を並べていると
マリアが入り口に困ったようにたたずんでいた。
「なに?」
手を動かしながら返事をしたが、マリアは登貴子とベッキーがいるからか
そこの位置からは言いづらい何かがあるようだ。
隼人はそっと入り口に近寄った。
「やはり──帰らせていただきます」
「どうして? せっかく歓迎してもらっているのに? 大佐が気になる?」
「いえ──そうではなくて……」
「なに? それ以外に困っている事があるなら……言えることなら聞くけど?」
「……」
マリアは一時黙って……そして
「中佐と相談した内容を……上司に報告しなくては行けなくて」
「ああ、そう。携帯電話は、もっていないの?」
「持っていますけど」
「それで連絡すれば済む事じゃないか? 君は明日からは俺のアシストで講義の空きについては、
推薦した上司も承知済で、彼が責任を持って手配するべき事だよね?
それにいくら君の上司でも、俺達の仕事の内容はある程度は『極秘』だよ。
ちくいち細かく報告する必要はないと思うけどな? それを承知で少佐は推薦したのでは?」
「……そうなのですが」
隼人は『ピン』と来た。
葉月が言っていた事をだ。
『何かにつけて酒場に誘うのよ!?』
マリアの向こう側のダイニングテーブルに視線を流すと
葉月が椅子に座ったまま、子供のように足をぶらぶらさせてこっちを見ていたが
隼人と視線が合うなりフッと逸らしてしまった。
「俺が明日、彼に報告するから」
「……待ち合わせをしているのです」
『やっぱり!』と……隼人は確信した。
でも──こうして男の隼人に『帰る理由』を報告した所を見ると……
彼女は『出来れば行きたくない』と言う事になるのでは?
上司と二人で話したいなら、彼女なら何が何でも理由を付けて
もうここから飛び出しているはず。
いや──隼人が御園家に誘う前に帰っているはずだった。
「解った。とにかく──その上司に今すぐ連絡取ってごらん」
「はい……」
マリアは赤いコーチのバッグから、赤色の携帯電話を取りだした。
彼女が電話をかける。
「俺に御園家に誘われて断りきれなかったと言えばいい」
「……いいのですか?」
「本当のことだ」
マリアがホッとしたようにして、携帯電話を耳に当てた。
「Hello? ブラウンです。あの──」
マリアは隼人に言われたとおりの理由を『彼』に説明し始める。
「明日、俺から説明があるって言って」
隼人は小声でマリアをつついた。
マリアがこくりと頷く。
「……明日、中佐が説明すると仰っていて……」
「……」
暫く黙り込んだマリアの反応を隼人は観察する。
葉月も──何故か? 亮介までジッとこちらを気が付かれないように観察していた。
「ですけど──いつ、ここをおいとまできるか……」
どうやら『彼』は、『それでも待っている』と彼女に『NO』を言わせない様に
話を引き延ばしているのが隼人にも伺えた。
「中将に食事を勧められたから……と」
さらに隼人はマリアにそう促す。
マリアは言われた通りに『彼』に告げる。
「申し訳ありません。では……明日」
なかなかしつこい男だと……隼人もちょっと呆れた。
「明日からいきなりは困ると言われました。
明日だけは……どうしても他の教官を割り当てられないかも知れないから
そこは出て欲しいと……」
マリアが電話を切った後、ため息をついた。
「それは妥当だね。今日のこの『アシスト許可』はいきなりだったし。明日だけなら──」
隼人があっさり『多少のマリア抜け』を許してくれたので、マリアもホッとしたようだった。
「有り難うございました」
「いえいえ──せっかくだから。博士のご馳走でも頂こう」
隼人が笑顔をこぼすと、マリアも安心したように微笑んでくれた。
「まぁ……見ちゃったわよ。マリア、あなた相変わらずモテるのね?」
登貴子が解っているのか解っていないのかそんな茶化しを──。
「あら……おば様。今のは……」
マリアが『上司』と言いたいところを……
『断った』ところを見られてどう思われるかと感じたらしく語尾を濁す。
「マーリア? その男性と私とじゃ釣り合い取れないかなぁ〜?」
これまた亮介まで陽気に茶化してきた。
すると──マリアが可笑しそうに笑いだした。
「あら? おじ様の方が断然素敵な方ですわ」
(お、上手いな)
華やかな笑顔で切り返したマリアの清々しさに隼人は感心して微笑んだ。
そして──葉月も……
「パパったら、大きく出たわね? 基地中に言いふらしちゃおうかな〜? ママどうする?」
皿を持って出てきた登貴子に向かって葉月が笑い出した。
マリアはそんな『娘姿』の葉月を見て……やや目が点と言った状態のよう?
「ホントね! 若いお嬢さんを若い男性と取り合ったなんてね? 中将がね?」
「マイクが怒りそうだと思わない? ママ?」
「いつまでも、おぼっちゃま将軍ってね!」
『アハハ!』と、母娘が軽やかに笑い出した。
隼人もちょっと見慣れない光景で、やや戸惑ったが……。
マルセイユで垣間見た姿ではある。
「初めて見た? ああいう『葉月』は……」
なんだか固まっているマリアに隼人はそっと微笑んで声をかける。
「……あ、はい」
「彼女なりに、君に見せたい姿かもね?」
「え──?」
マリアが訳が解らないように隼人を見上げた。
「さ。メシメシ! ベッキー、焼けたかな?」
「もうちょっとおまちよ? その前にオードブルでも楽しんでおきなさいな」
「オーライ。ベッキー、お先に」
隼人はそっとマリアの腰に手を当てて前へ押し出した。
「どうぞ、マリア嬢。宜しければ、わたくしのお隣に」
隼人がこれまた紳士の如くエスコートしてくれたので
マリアはそっと頬を染める。
それ以上に、そんな事を恋人の葉月の前でするなんて変な男性だと焦ったのだが。
「こちらの席で宜しいかしら? ムッシュ&マドモアゼル?」
葉月が亮介の真向かい、一番端の席の椅子をかしこまった様子で引いて、マリアに勧めた。
「あ、有り難う──」
マリアが葉月の砕けた様子に戸惑いながら、隼人のエスコート、葉月のエスコートで席に着く。
「父のお相手、宜しくお願いいたします」
葉月がそこは変に『大佐の顔』で笑ったので、今度はマリアが恥ずかしそうに俯いていた。
「じゃぁ──『中佐』は、お隣ね」
葉月はマリアの隣に隼人を座らせて、同じ列の隼人の隣りに自分が座り込んだ。
隼人とを挟んで、女二人が両脇に座る形になった。
「頂きます」
「残念だな。マリアが車じゃなければお酒を勧められたのに」
亮介が残念そうに、自分のグラスを遠ざけた。
「いえ──。お酒はあまり好きではありませんし、おじ様、お気遣いは無用ですわ?」
『召し上がって下さい』と、マリアの素晴らしい笑顔。
「ワインは好きだろう?」
「味わう程度なら……」
登貴子が小皿にトマトマリネを取り分けて、お客様であるマリアに差し出した。
マリアが御礼を述べて皿を受け取りつつ、亮介のにこやかな話しかけに
彼女は麗しい笑顔で答えている。
隼人は、隣でそっと食事を始めた葉月をチラリと見下ろした。
葉月は自分でトマトマリネをとって黙々と食べ始めている。
勿論、マリアがお客だから当たり前なのだが……。
『主役』はマリアに譲って、自分は『影』に隠れたがっているようにも見えた……。
でも──マリアに席を勧めたり、『家族内での娘らしい姿』を自然に見せたこと……。
隼人は思う──。
「上出来だと思ったよ?」
小声で……しかも久し振りの『フランス語』で耳打ちをしてみた。
「メルシー」
なのに──葉月はフォークでトマトを口に上手に運びつつ
やっぱりいつも以上に平淡な横顔で呟いただけ。
何故か、仕事とか基地の話は亮介も一切、出そうとしなかった。
極々、普通の日常会話を選んでいるかのように──。
登貴子にしても、マリアを『普通のお嬢様』として扱う。
「マリア、そのコーチのバッグ素敵ね?」
「そうですか? マイアミまで買い物に行った時、たまたま気に入ったので」
「マリアは『赤』が好きなのかい? 携帯も赤だったね?」
「はい。大好きです!」
めざとい亮介に隼人はちょっと驚いたり──。
でも、登貴子も亮介もそんな話だけ。
隼人もたまに亮介の会話の『振り』に相づちを打つだけ。
葉月は黙って黙々と食事。
変に葉月だけ『存在感』が薄れているようで、隼人は妙な違和感に焦ったりして。
でも──葉月はどちらかというと、『私はそれでいいの。お構いなく』と言った様子で
別に両親がお客様を優先にもてなしていても、拗ねた様子もない。
(それじゃ、いけないんだけどな〜)
『もっと自然に会話に参加できないのかな?』と……溜息をついたときだった。
「姉様も赤色、大好きだったわね?」
葉月がポツリと呟いた──。
「──! そうなの!?」
マリアがとても驚いた様子。
その訳も隼人は解っていた。
なにせ、マリアが『憧れている女性』だったのだから、嬉しいに決まっているだろうと──。
だが──いつもは人前で『姉』の事を口にしない葉月が
家族外の人間がいるところで、ヒョイと口にした『意図』が隼人には解らなくて、驚いた。
そして──なによりも……
末娘が急に……いや、それも会話の流れに自然に『亡くなった姉』を口にして
一番戸惑っているのは、若い3人の目の前に座っている『御園夫妻』のようだ。
あんなに明るかった亮介の顔が……顔色を無くしたように。
そして──優雅に微笑んでいた登貴子の顔が強ばったように……。
『皐月』に一番『敏感』なのは、葉月じゃない──。
『お父さんとお母さんなんだ!』
隼人は初めてそんな風に感じた。
「そ、そうだったな……。お前が『青』なら皐月は『紅』だったな……」
「……右京が決めたのよ。姉妹のイメージだって」
なんとか平常心で夫妻が言葉を滑らせ始めて、
隼人はホッとして額に滲み出たかもしれない汗をそれとなく拭った。
そして──なんだかいてもたってもいられなくなって
「ああ、右京さんが……姉妹に選んだのですか。さすがですね!」
なんて──何とか和まそうと口を挟んだり……。
「ウキョウって……あの時々日本から遊びに来られるお兄様のことですよね? 音楽隊の」
マリアが確かめるように亮介に尋ねた。
「そうそう、ヨコスカのね?」
「おじ様のお若い時にそっくりな、素敵なお兄様だという印象が私は強いですわ」
「はは♪ 良く言われるんだよね? アレの父親である私の弟より、伯父の私に似ていると」
「あのお兄様も一目見たら、忘れられない程の印象を受けておりますから」
「いやー、なんだか私が誉められているみたいだな!」
照れる亮介の笑顔はいつもの笑顔に戻っていた。
「亮介さん? 調子に乗り過ぎよ」
そして登貴子もいつもの輝く眼差しに……。
マリアは……既に感じているようだった。
『皐月の話をすると、大人達が狼狽える』
幼い頃から肌で感じていたのだろう。
そこを上手く交わすマリアに隼人はとても感心した。
『妙な話題』を振った葉月は、何喰わぬ顔でサラダを口にしている。
だが──そんな葉月の『意図』が解らないので、
隼人は雰囲気を壊しかけた葉月を叱ることは出来なかった。
その内にパイが焼けて、ベッキーが運んできた。
『美味しい!』
何故かマリアと葉月が、ステレオのように同時に叫んだので
真ん中にいる隼人はビックリ。
勿論、口調があったマリアと葉月も驚いたようで、隼人を通り越して二人で顔を見合わせていた。
「作った甲斐があったわ」
娘二人が一緒に喜んでくれて、一番嬉しそうなのは登貴子。
そして──
「いいね……女の子が無邪気に目の前にいるって事は……」
亮介が二人の娘を……小さなお嬢ちゃんでも見るかのように
優しい眼差しを滲ませて……本当に楽しそうだった。
マリアと葉月も……目線があって時々微笑み合っていた。
『お? なかなかいい雰囲気じゃないか?』
と──隼人も上々の『進展』をかいま見れたようで心が弾んできた。
(しかし──なんだったんだろうな? さっきの葉月?)
食事の雰囲気が上々になったのは良かったと思う隼人だったが……
それだけに──先程の一瞬の『緊迫感』が変に頭から離れなくなっていた。
さざ波が聞こえる、窓を開け放しているリビング──。
御園家に招かれた麗しい女性を囲んでの食事は、それとなく続いた──。