30.お嬢ふたり

 

 「コンコン」

 高官棟の『ブラウン少将秘書室』

隼人とマリアはそこ辿り着いてその扉を隼人がノックしたところ──。

 

「お待ちしておりましたよ」

にっこりと微笑んで出てきたのは、ジョン=トンプソン中佐。

「先日は、小笠原でお世話になりました」

隼人が頭を下げる前に、ジョンの方が『日本人に対する礼儀』として

頭を下げてくれたのだ。

「いいえ……こちらこそ。たいしたおもてなしも出来なくて」

隼人は『再会』の印として、右手を差し出す。

「いいえ! 和菓子……初体験でとても楽しかったです」

ジョンも、そういって握手をしてくれた。

「おや!?」

隼人だけが『フロリダ訪問の挨拶』に来たとジョンは思っていたようで

隼人の後ろに見慣れた女性が控えていたのでかなり驚いた顔。

「……彼女と供にお願いがあって参りました」

隼人がジョンにそう告げると……途端にジョンが眉をひそめたのだ。

その様子から、上官のブラウン少将から……

『娘が妙な事を始めた』という事情を聞かされていると悟った。

「あの……ご用件というのは『ご挨拶』かと思っていたのですが……」

ジョンは途端に『警戒』

『そういう話なら上官には取り次ぎにくい』……と彼が困った顔をしたのだ。

 

「ジョン? サワムラ君は来たかい?」

将軍室と隣り合わせになっている『秘書室』

秘書室から将軍室へと通じる扉から、金茶毛の紳士がにこやかに顔を覗かせた。

隼人が来るのを待ちかまえていた様で、声が聞こえて将軍自ら出てきたと言った風だった。

「少将……」

だが──入り口にいる側近が、振り返った途端に、困惑した顔をしていたので首を傾げる。

 

「少将、お忙しいところ突然申し訳ありません」

隼人が見えて、彼が頭を下げたのが見えたのでホッとしたのも束の間──。

「マリア!」

その後ろに、自分の娘が控えていたのでリチャードは驚いた。

そして──

 

「ジョン──。サワムラ君だけ通してくれ」

リチャ−ドはすぐに冷たく言い放ち、そのまま将軍室へと戻っていってしまった。

『パパ……』

隼人の横で、本当は優しい父親が軍人となると、ああも冷たく切り捨てた事で

マリアが絶望したように呟いたのを、隼人は聞き逃さなかった。

「あの……少将があの様に言っておりますので……どうぞ?」

ジョンが隼人だけエスコートしようとしていた。

「あの、秘書室に彼女を待たせても宜しいでしょうか?」

隼人がジョンに申し出ると、ジョンは気の毒に思ったのか──

「どうぞ……。お嬢さんもお入り下さい」

そこは、上官の一人娘として丁寧に迎え入れてくれた。

でも──マリアは俯いたまま秘書室に入り、隼人はジョンに誘導されて将軍室へ向かった。

 

『割り切っているように見えて、父親の厳しさを目の当たりにしたのは初めてだったか……』

 

隼人は、俯いたまま秘書室に残されるマリアに振り返ってそう思った。

気の強さからは考えられない意外な姿だった。

どうもそこの辺りが葉月とはまったく違うような気がしたのだ。

 

 

「こちらへどうぞ……」

将軍室にはいると、そこはロイの連隊長室に匹敵する広さと格式で隼人は固くなった。

が……まったく初めての経験というわけでもないのですぐにいつもの自分に戻れそうだった。

リチャード=ブラウン少将は、固い面もちで応接ソファーに座り込んだ。

「先日の小笠原訪問は楽しかったよ。その後すぐに君が来たから驚いていたんだ。

さぁ──もう親しんだ仲だ。気を楽にして遠慮なくお座り?」

リチャードが小笠原訪問で見せてくれた穏和な笑顔で迎えてくれる。

隼人はジョンにエスコートされた応接ソファーに座る前に一言詫びる。

「お仕事終了間際に……申し訳ありませんでした」

すると──一端、腰をかけたリチャードが立ち上がる。

「いや……謝るのは私の方だよ。娘がなにやら数日ご迷惑をお掛けして……」

リチャードは隼人に一礼したので、隼人は驚いて……

「やめて下さい、将軍!」

アメリカ人の彼が、先輩の亮介に教わったのだろうか?

頭を下げるなんて飛んでもなくて、隼人はあげてもらうようにお願いした。

「お父様である事でご心配されておりますでしょうが……

私はいつも『大佐嬢』に振り回されていますからね。序の口といったらお嬢様に失礼でしょうか?」

隼人が面白半分笑い飛ばすと、リチャードも可笑しかったのか笑い声を立ててやっと頭を上げてくれた。

 

「どうぞ、お座り下さい」

側近のジョンに促されて隼人は腰をかけた。

『ジョン、悪いが下がってくれるか?』

『はい、将軍──』

側近を下げたところを見ると……父親としての言葉も出てきそうだと隼人は期待した。

ジョンが秘書室に下がって隼人は早速お願いしてみた。

「できれば……お嬢様と一緒にお話させていただきたいのですが」

向き合うなり、隼人は伺ってみたが……リチャードはまた硬い面もちに変化した。

「その必要はないよ」

思った通り、きっぱりとした答えが返ってきて隼人は一端、言葉を止める。

なにやら、リチャードも言いたいことは沢山あるようだから耳を傾けることにした。

「娘が昨夜、私に申し出てきたときには驚きましたが、

そこで……懇々と説教したにも関わらず、諦めもせずに今日も君の所に行ったなんて……。

本当に、申し訳ない。

なんでも……マイクがサインしたとか。

マイクが言いたいことも少しは解っているつもりです。

ですけど……そんな『私情』を挟んだ所で、迷惑がかかるのは必然。

君は今、コリンズチームを支えるメンテナンスチームの結成という大事な業務を遂行中だ。

そんな事に巻き込むこともできないし……」

隼人も、つい先程まではこの目の前の父親と同じ意見だった。

だが──

「こちら、ご覧頂けますか?」

隼人は小脇に抱えていた計画書に挟んでいたサイン書をスッとテーブルの上に差し出した。

「──?」

リチャードがその白い紙を覗き込む。

「……その一番下のサインは……!? レイのサインじゃないか!?」

「そうです。私の大佐が、こちらに帰省していることご存じですか?」

「ああ! 今日のランチタイムで御園中将と食事を一緒にしたからね?

先輩は、レイが突然帰ってきたとかで、なんやかんやいつも通りに面倒くさそうにしていましたが

顔はとても嬉しそうでしたからね……皆で笑っていたところだよ」

亮介の素直じゃない父親の姿がすぐに思い浮かんで隼人は苦笑いをこぼす。

「では、ご存じでしたらお話は早いですね?

先程、大佐が私がいるメンテ本部に様子見を来たときに、お嬢様と向き合いまして

このように……彼女は判断したようです。

勿論……私と話し合った上で、大佐がサインをしたと言うことです。

私が無理同然の条件を出したとは言え、直属の上官に職務として言い渡されては

私にもけじめがあります。なので……こうして私直々にお願いにあがりましたが……」

「レイが──!?」

リチャードが大変驚いた顔をした。

確かに葉月が許可すると言う事は、この『プロジェクト』に直接関わる『責任者の一人』として

直々に許可したと言う事になる。

そういう驚きもあるだろうが……将軍と言うべき男が驚くには

あまりにも過剰な反応に隼人には見えた。

「サワムラ君?」

「はい?」

リチャードが何か探るように隼人を覗き込んだ。

「……レイは……なんと言ってサインしたのかな?」

「!!」

勿論知っている。

『忘れ物を取りに来た』と……『糸を解きに来た』と……。

だが、これはマリアやマイクを含めて『子供世代同志』の話になるだろう。

父親の立場にあるリチャードにそれを伝えて良いかどうかは隼人には判断しかねた。

「……いえ、大佐嬢を信じて私も受け入れました。

彼女の指示に……間違いがあれば、私もいつも反対はしております」

そう遠回しに答えておくことしか出来なかった。

「……知っていると言う事かな?」

そこはさすが将軍で誤魔化しが効かないようだった。

(親父さんは……解っているという事か?)

葉月の気持ちはいつも半透明だ。

だけど、葉月が隼人にすがったような眼差しは嘘ではないと確信できる。

葉月は今回の帰省で『どうしても忘れ物を取りに帰りたい』

そうしてあげることで彼女が前に進む。

葉月の本当の忘れ物の『形』はまだ隼人には解らないけれど

彼女は絶対に、今回の帰省は『逃げるため』じゃないことは隼人も理解したつもりだ。

その『半透明な気持ち』は、リチャードからすると『透けて見える』様で

隼人は益々反応に困惑した。

 

「サワムラ君……レイと私の娘の関係を知っているのかい?」

隼人は首を振った。

「いいえ……詳しくは。ただ、彼女は『訓練校は一緒だった。あまり会話をしたことはない』……。

そう言っておりました。それだけです」

「達也と娘が夫妻であったことを考えても……娘の突撃は可笑しいと思わないのかい?」

「そこは『葉月』と私が今、問題にする事ではありません。

海野と御園の事は終わった事と捉えていて、

海野と向き合うときも私と彼はそういう形を前提で向き合っております」

「……そうだね」

そこは前の任務で供にした指揮官。

葉月、隼人、達也の3人の間柄は既に見届けているといった風だった。

「レイが言っていた『あまり会話をしたことがない』

おそらく、娘は幼い頃からそこにこだわっていると思うね」

「え?」

それは葉月からも感じ取れない事だったので隼人は驚いてリチャードを見つめた。

「あれはね……娘は一人っ子で兄弟がいないからね。

父親の私と仲の良い先輩・御園宅に、同じ年頃の葉月がいると知ってから

『仲良くしたい』と願っていたんだよ」

「はぁ……なるほど?」

「ご覧の如く……なに不自由なく、これといった挫折もなく育った娘なのでね……。

唯一『受け入れられなかった人間』として葉月に対してはマリアは『挫折感』を抱いているんだ」

「そ、そうでしたか……!」

隼人は『これで見えた!』と思った!

葉月もこの事については語らないし、

隼人はいつものやり方で行くと葉月を探らないからこのような話は初耳だった。

そしてマリアは、『最近の方には解ってもらえない』と言ったあの言葉の真意も解った!

「だけど……私はたとえ娘であれ……レイや御園の事情については説明できない。

むしろ──口にはしたくない。もう、なかったこととして捉えたい。

妻ともそうして若いだけの娘には、その事情は絶対に告げないように避けてきたから……」

「なるほど……徐々に解ってきました……。

つまり──うちの大佐嬢は……十代の頃は勿論、殻に籠もっていたことでしょう?

それは彼女に問いただすことは出来ませんが……。

そんな塞ぎ込んでいた時期、大佐嬢は周りを見る余裕もなかった事でしょうし……

それに訓練生として上へ行くことに没頭していたようですから……。

人と接することにも大変不器用でしたでしょうし……」

隼人は自分で言葉にするといよいよ哀しくなってきて俯いた。

そこでリチャードが心配そうに微笑んでくれた。

「すまない。君にも、酷な話だね」

「いえ。正直、本人である大佐嬢には真っ向から話せないことではありますから

ここで彼女の十代についてお話が聞けることは有り難いです」

「本当に……大切にしているんだね……。

リョウ先輩が君を自慢するんだよ。任せて安心な側近だと……。

『側近』だなんて照れ隠しで、『男性』と先輩は言いたいだろうけどね?」

「いえ……勿体ないお言葉です」

謙虚な隼人にリチャードは優しく微笑むだけだった。

「そういうレイがね……。なに不自由なく育ったうちの娘がなにも考えずに近づく事。

避けて当たり前だと……マリアの両親である私達は見てきたからね?

マリアには躍起になって近づこうとする事を、なるべく避けさせるようにしていたんだよ。

勿論、ある程度の上手い距離をコントロールできた上で近づいて、仲良くなるなら見守っていたが

あの通り、思い立ったらすぐに飛びつき、上手く行くまでの諦めない執着心があってね。

どっちに似たのかと妻と話したりして……。

あれを我が儘に育てすぎたかも知れませんな?

達也との結婚を最初は『反対』だったんだ」

「反対──!?」

「そう、君だって解るだろう? 達也はレイとの恋仲に敗れて傷心でフロリダに来たんだ。

そこにつけいる心根はうちの娘にはないと信じていたからこの点は良いが……

達也の立派な側近姿に一目惚れしたのはウチの娘。

猛アタックで達也をその気にさせたんだから……。

達也も徐々に明るい顔になって仕事も活き活きと始めた。

それが新しい達也の幸せになるなら、娘が心より望んでいる結婚なら……。

二人の新しい門出として私は折れたんだよ」

「そ、そうでしたか……」

なんだか、隼人に突撃してきたマリアを思うと、達也への猛アタックも目に浮かんで

隼人は内心『すごいなぁ?』と苦笑い。

どこかしら、なんでも手に入れないと気が済まない『お嬢様根性』が

ありありと父親の説明で浮かび上がって隼人はかなり納得──。

そういう彼女が、『達也は関係ない』といった事も解ってきた。

達也との『結婚以前』うんぬんの問題をマリアは指しているのだと。

仲良くなりたかった同じ『お嬢様筋』である葉月が

あの冷たい表情で人も寄せ付けずに、マリアの突撃を交わしたか、逃げたかは解らないが

そうして避けてきた事に、マリアが納得していない。

そこに二人の『溝』があり──

さらに……達也という同じ男性と二人とも付き合っていた、もしくは夫妻だった。

そこでなにがマリアを納得させていないかというと……

達也の『過去女性関係』は気にせずに結婚したにも関わらず

その夫が、マリアが唯一『挫折感』を味わっている女性に、いつまでも拘り

挙げ句の果てに『思わぬ方向に動こうとした』

それが何であるか彼女は見極めたくて、この件『葉月の過去』についての第三者であり

今は一番葉月に近い隼人に突撃して、答えを割り出そうとしている──と。

「そんな娘の自分一人の欲求のために君の元へ行った事を……

レイが許可するなんて事の方が私は驚きだよ」

「……」

「だが──やはり……仕事は仕事。君とレイの大事なプロジェクトに娘は……」

リチャードがそう言いかけたとき……。

 

「解りました」

 

隼人が突然、快活に言うとリチャ−ドが驚いた顔をした。

そして隼人も胸ポケットから、ペンを取り出す。

そして──リチャードに差し出したサイン書を自分にむき直して……

葉月がサインした下に……サラサラとサインを始める。

「サワムラ君──!?」

そして、葉月に習って『澤村』という印鑑を署名後に押した。

 

「そこに……御園が望んでいることについても『利害一致』と判断し……

私は……側近でなく『澤村個人』としてサインさせていただきました」

 

隼人は改めて──丁寧にブラウン少将にサイン書を差し出した。

「サワムラ君……君は……」

「お父様」

隼人が『将軍』と言わずに、マリアの父親として接してきたので

リチャードは益々困惑したように隼人を見つめるだけ──。

「忘れ物をしてばかりのお嬢様ふたり……一緒に見守りませんか?

ジャッジ中佐はおそらく『お兄様』としてサインをしたと思いますが……」

隼人がニッコリ微笑むと、リチャードはさらに当惑したように身動きしなかったのだが──。

 

「あはは──! まったく君という男は! あはは──!!」

セットしている金茶毛を額からかきあげて、リチャードは大笑いをしはじめた。

「可笑しいですか?」

隼人が少しばかり怪訝な顔をすると、リチャードは息をきらしつつも声をすぼめた。

「いや〜……リョウ先輩が気に入る訳も無理ないね。

達也も立派な婿で私は大変満足はしていたのだけれど……君はまた達也とはタイプが違うね?

ああ、君のような男性なら本当に娘の婿であれば良いと私だって思ったよ」

「そうでしょうか? 私は大佐嬢無しではここまで来なかった男ですからね」

「……そこにレイと君の素晴らしいチームワークが見えるよ。うちの娘じゃダメだろうね……」

「……」

そこは隼人も『葉月以外はダメです』とは、なんとも答えづらかった。

「君はレイの若い保護者みたいだね……」

「とんでもない……そんな事、私が望んでいる形ではありませんよ?

ただ──彼女が……近頃、今までの自分から抜け出したいと頑張っているようなので……。

それは私でなくとも……彼女に関係する人間であるならば皆、願っていることでしょうし」

 

「そうだね……私もその一人。

私は……『皐月』の事も良く知っているから……」

 

リチャードが……とても残念そうに哀しそうな眼差しをしてまぶたを伏せた。

 

「マリアも皐月がこちらの訓練校に在学中には……可愛がってもらっていたんだよ」

「そうなんですか……!」

知らない話が続々と出てきて隼人は驚くばかり。

「あんな素敵なお姉さんになりたいとね……マリアの目標は皐月なんだろうね?

皐月は日頃は男性ぽい身なりだったが、

パーティなどで着飾ると素晴らしく輝かしい女性で……男性の視線は皆彼女に集まったぐらいだ」

「解ります。中将に写真を見せてもらいましたが、素晴らしい美女でした」

「その皐月が亡くなった事は、幼かったマリアには曖昧に答えているだけなんだ。

マリアは泣いたが……その後、その妹の葉月がフロリダにやってきて

会える日を楽しみにしていたんだよ。

でも──レイはあの通りの事があったから塞ぎがちで暫くは外部との接触を家族も避けていたし、

やっと顔を出すようになったと思ったら……マリアはあのように拒絶され……。

そこは、娘を不憫に思いつつも、レイにとっても仕方がないこと……」

「そうですね──」

隼人も徐々に事情が飲み込めてきて、なんだか溜息が出てきた。

そんな少女達のすれ違い──。

それが今度は同じ男性を通しての『元彼女と元妻』としての近寄りがたい関係。

 

「解ったよ、サワムラ君」

リチャードが何か吹っ切れたように微笑んだ。

「ジョン!」

『はい! 只今!』

リチャードが叫んだかと思うと、秘書室の扉がすぐさま開いてトンプソン中佐が入ってきた。

「ブラウン大尉を呼んでくれ」

「は……イエッサー」

 

「さて、サワムラ君。少しばかり黙っていてもらおうかな?」

「解りました」

これから父としても将軍としても……マリアと真っ向から向き合うのだと隼人は解ったので、

まるでリチャードに共鳴するように深く追求せずに承知した。

 

「失礼いたします」

マリアが緊張した面もちで、秘書室の扉から敬礼をし、厳かに入室してきた。

「サワムラ中佐の横にかけなさい」

「少将、お邪魔いたします」

マリアは腰を低くして、隼人の隣りにそっと腰をかけた。

 

「ブラウン大尉」

「は、はい……」

父親の将軍としての威厳ある低い声……。

それに押さえつけられてしまったかのようにマリアは身体を固くしたようだ。

だが……隼人は黙って見守る。

「なんでも……御園大佐が許可をしてくれたとか……」

「はい」

「その意味がお前に解るかな?」

「……」

今度は父親としての語りかけに隼人は見えた。

マリアは父親の顔を見て……首を振ることはなかったが答えに詰まっている。

「解らないだろうな……お前にはね」

「でも──!」

父親のリチャードが、娘をけなすように冷たく言ったのでマリアは何か言い返そうとしていたが……

言葉が続かないようだった。

 

「マリア──このサイン書を見なさい」

リチャードは、自分の箇所だけサインされていない、4名のサインがされている紙をマリアに差し出した。

「──!!」

新たに隼人のサインが加わっていることで、マリアは驚いたのか隼人を見上げた。

「自分の力でこのサインを得たと思ったら大間違い」

リチャードがさらに冷たく言い放つ。

「この『先輩方』がお前を信用して推してくれる事をよく考えなさい」

「…………」

マリアはちょっと不服そうだったが、父親の説教じみた言葉を大人しく聞き入っているだけ。

おそらく進展が止まった動きを、父親の目の前に来るまでに展開させたのは

紛れもなく『葉月』

リチャードの言葉の奥に『大佐のお陰』という含みが混じっていることは

マリアにも解ったようだ。

それだから──マリアは益々不機嫌そうな顔になった。

 

「見たかい? サワムラ中佐……。

こういう説教をしただけで、こうしてすぐに顔に出す隊員を君は使うことになるんだが?」

「いえ──その……」

隼人もそれしか答えられなかったが……

マリアは渋々と感情を押し殺して冷静な顔に戻したようだ。

 

リチャードは娘の目の前に差し出したサイン書を自分の手元に寄せた。

そして──彼も胸ポケットからペンを取りだした。

そして自分がサインするべき箇所に、サインはせずに何かを英語で書き留め始める。

「??」

隼人はマリアと供に、そっと上半身を乗り出してリチャードの手元に注目。

「もし、扱いにくかったり、自分勝手な我が儘を通そうとしたり……

君達のプロジェクトに支障が生じる……そういう事があった場合はすぐに工学科に返す」

そして──

「それが条件だ」

とうとう──! ブラウン少将が『条件付』でサインした!

 

「少将。有り難うございます。大佐嬢もこれで喜びますでしょう」

隼人が落ち着いた微笑みで頭を下げるとリチャードは

ちょっと致し方なさそうな微笑みを浮かべてサイン書を隼人に差し出した。

「パパ……」

マリアが感極まってそうこぼした途端だった。

 

「ブラウン大尉!!」

リチャードがマリアに向けて大声で吠えた!

さすが陸官! 轟くような大声で叫んだので、隼人までどっきりのけ反ってしまうほど!

「お前は未熟者だ。この先輩方に鍛えてもらうと良い。

これ以上の甘いことは少将として許さない! 解ったな!! 『ブラウン大尉』!!」

「は、はい!!」

マリアは父親に怒鳴られて多少ショックを受けたようだが、

きちんと父親の顔を見据えてハッキリした声で返事をしたので

何故か隼人はホッとした。

 

「そう言うことだ。サワムラ君。

父親としても……君達に鍛えてもらう心積もりでサインをしたからね」

リチャードはそういって隼人にはニッコリ微笑んだ。

「いえ──私どもも学ばせていただきます」

「君は本当に謙虚だね……。娘に見習ってもらいたい」

リチャードがまたそうして隼人を持ち上げると、マリアがむくれたが

また父親に怒鳴られるのを恐れたのか、すぐに平静顔に戻していた。

そして──リチャードが立ち上がる。

 

「娘を宜しくお願いいたします」

そういって、座っている隼人にまた……立派にお辞儀をしてくれたのだ。

「マリア、お前もお願いしなさい。『お辞儀』で」

「……はい」

マリアはスッと立ち上がって隼人の方に向いた。

「ご指導……お願いいたします」

こちらは父親とは違ってぎこちないお辞儀だった。

あまりしたことはないように見える。

隼人も立ち上がる。

 

「宜しく。君のセンスを楽しみにしているよ」

手を差し出すと──やっと彼女が嬉しそうに微笑んでくれた。

「きっと、きっとお力になります。お願いします!」

そこにやっと……隼人の第一印象である自信に輝く凛とした眼差しが蘇っていたのだ。

 

 

「あんな怖いパパ……初めて……」

少将室を退出して廊下を歩き始め、マリアが最初に呟いた言葉がそれだった。

「そうなんだ。本当は優しいお父さんなんだね」

「……でも、怒られて当然の事をしたのは自分でも解っていますから」

「そう」

自覚があるだけまだマシだな……と、隼人は思った。

「結局──御園大佐が動いて、父が了解したという感じね……」

解ってはいるだろうが、マリアはそこは微笑みながらもなんだか残念そうだった。

「かといって……父の言うとおり私一人では絶対にサインしてもらえなかっただろうし……」

そんな独り言のような事をマリアは呟きつつも、ホッとした顔をしていた。

「でも、君の熱意なしでは誰もサインしなかったと思うよ。

無論──うちの大佐嬢もね……。

むしろ……君の『女性感覚』? それを大佐は期待しているみたいだったから」

「本当に?」

そこはマリアが頬を染めて……可愛らしく微笑んだので隼人はびっくりした。

「ああ。同じ女性同士、なにか通じるんだろうね?」

隼人がそう付け加えると、マリアがはにかんだように微笑んだので益々──。

(葉月を意識していると言っても……)

本当は自分の力なさもきちんとわきまえているし、やっていることも解っている。

後はいかにコントロールしてあげるかが隼人の課題になりそうだ。

それ次第で彼女は良くもなるし悪くもなる。

今はそういう不安定な時期にあるようだ。

「さて……今日は今から時間あるかな?」

「え? はい……」

「出来れば明日からすぐにスムーズに一緒に動きたい。ミーティングしたいんだけど」

「やります! 夜遅くなっても!」

「張り切るね……」

下心はない女性と解っているが、男に対してそうハッキリ言われると、隼人もちょっと戸惑う。

(まぁ……あの葉月が妬くとも思えないけどね……)

 

「あの……その前に上司に報告してきても宜しいですか?」

「ああ、構わないよ」

「中佐さえ許可してくだされば……受け持っている講義の数を減らして

メンテ本部に出入りしたいのですけど」

「まぁ……そこは上司と上手く相談してもらわないとね。

かといって、君の上司はこの計画には賛成なんだ。問題ないと思うけど──」

隼人はまだ……マリアの上司がどのような男とは知らないが……

『ぬけぬけと推薦状を書いた』という感がまだ変に疑わしくて不安は拭えない。

 

「では──すぐに戻ります!」

マリアはサイン書を嬉しそうに一時眺めて、隼人の目の前から駆けだしていった。

 

「うーん……」

なんだがお嬢様を二人抱え込んだ妙な気分だった。

 

「あ!」

それと供にもう一つ、気が付いた!!

 

「葉月のヤツ……彼女を暫く工学科から離す事も考えていたのか!?」

マリアはもしかすると……あのような悪戯をされる日々。

少しは開放感もあったかもしれない!──と、急に思えてきた。

「もし、そうならば……やっぱりサインして正解だったかな……」

 

隼人は、さて──マリアとどう仕事しようかと思い巡らせながら本部を目指す。

 

すれ違った少女二人──。

お互いが忘れ物を取ろうと向き合ったこのチャンスは逃してはならない。

隼人はそう思った。