19.土曜日キッズ

 

 毎日が晴天!

 隼人の『空母艦見学』は続いていた。

 

『帰宅しました』

 

『明日は、俺より少し年上の先輩である候補員を見定めに行きます。

プロフィールでは既婚者であるから……家族ごと小笠原に来てくれるかな?

フォスター中佐の一件を見てしまったから……ちょっと気になるな……。

候補員として選ぶときは、その隊員にあるプライベートの背景まで考えていなかったし』

 

葉月との『仕事兼私用メール』も、続いていた。

フロリダの夜送信すると、業務中の葉月の手元に届く。

朝、起きてから……もしくは出勤してからチェックすると毎回必ず返事が届く。

隼人が寝ている間に返事が届くというカンジだ。

 

『おはよう』

 

『そうね? フロリダでどのような活躍、ポジション、心情かは解りませんが

そこの見定めは中佐にお任せ。

こういうのはどうかしら? スポーツ選手みたいに二年か、最低一年契約みたいなの……。

契約が切れて帰るも良し、残るも良し。米国に帰国するという事になったら

それに合わせて、また新しいメンバーを捜せばいいじゃない?』

 

「おお? なるほどね……。そういう考えもあるか……」

隼人がちょっとした不安を添えて送ると、

葉月らしいハッとさせられるさり気ない『提案』が必ず返ってくる。

そこは……なんとなく思いついた様な書き方でも

『大佐嬢』の毎度の『機転』で隼人は唸るばかり。

むしろ──

今、離れているからいつもより際だって感じてしまう。

『フレンチトースト、美味しくない!』

そういう所で隼人がいない事の『小さな有り難み』

今度は隼人が葉月のそんな返事を心待ちにして……

大佐嬢としての『感性』が遠く離れたフロリダでささやかな支えと励みになる。

それは側では、ここまで大きく感じることは出来ないと思った。

初めて二人離れて過ごしているが、これはこれで新しい発見だった。

 

『Hey! ハヤト! モーニングの時間よ!!』

この日は、朝起きて小笠原の習慣通りに寝起きのシャワーを浴びて

部屋にてメールチェックをしていた。

そんな声、ドアをドンドン!!と、激しく豪快に叩く音。

 

『今行くよ! ベッキー!!』

 

隼人は苦笑いをこぼしながら、制服に着替える。

『ハヤト!! パパはもう起きて食べているわよ!!』

(ああ……もぅ)

登貴子が『ママン』なら、ベッキーは『母ちゃん』だった。

そうフランスで言うところの、あの『ソニアママン』みたいな肝っ玉母ちゃんである。

隼人は、生乾きの黒髪をクシャクシャとかきながら白いドアを開けた。

「ベッキー。せかさないでよ」

「ハァイ♪ うちの新しい男の子。よく眠れたかい? 明日はおやすみだよ!」

チリチリ縮れ毛の黒髪、小麦色の肌。

お相撲さんのように元気良さそうなふくよかな体系、オレンジの花柄のサンドレス。

その姿でベッキーがそっと隼人に抱きついて、頬におはようのキス。

最初は、やはり日本男児としてちょっとばかし引いてしまった隼人だが

数日経つと『懐かしいフランス暮らし』の感覚が戻って来たかのように

ベッキーにもお返しの抱擁をして、頬と頬の挨拶も平気になってきた。

彼女に初めて会った朝。

登貴子が『娘の彼氏』と添えて、紹介してくれた。

ベッキーは、そんな隼人を『うちの新しい男の子』と呼ぶのだ。

登貴子に言わせると……

どうやら──『お嬢様の彼』として認めてくれたという事らしい。

 

 

朝日に輝く広々としたリビング、そこにあるダイニングテーブルで

御園夫妻が優雅に食事を始めている。

「ハヤトはオートミール? それともパンケーキ?」

ベッキーがニッコリ微笑みかける。

「今日はオートミールにしようかな?」

「オッケィ」

ベッキーがウィンクをしてキッチンに向かっていった。

 

英字の新聞を読みふけりながら、コーヒーカップを傾ける口ひげの紳士。

優雅にサラダにドレッシングをかけているブラウス姿のミセス。

「おはよう、隼人君」

亮介が隼人が隣の席に座ったのを確認して、新聞を降ろした。

「おはようございます、お父さん。今日もいい天気ですね」

「ああ、明日は土曜で休日。また道場に人が集まるんだ。

汗くさい陸部の男ががさつに集まるけど気にしなくて良いからね?」

「そうですか。ちょっとだけ覗いてみたいんですけど」

亮介の道着姿は絶対に見てみたい。

葉月に武道を仕込んだ『師匠』だ。

たとえ、自分が武道は出来なくともそこは見てみたい衝動は来る前からあったから……。

そういうと、亮介が嬉しそうに新聞をテーブルに放った。

「そうかい!?」

まるで、武道を供に出来る『男家族』でも現れたかのような亮介の喜びよう……。

「あら? 亮介さん? 私、隼人君が来て初めての休日だから

ショッピングモールに連れていってやろうかと思っていたのに!

どうせ……お稽古の後いつもの如くガーデンパーティになってしまうんでしょう?

お買い物とお料理手伝ってもらおうと思っていたのに!」

夫に『計画』を崩されそうになった事で登貴子が途端に脹れ面に。

その拗ねた顔が、やっぱり葉月に似ていた。

「でしたら……午前中にお母さんと買い物に行きます。

道場で少し見学したら、隊員さんのパーティの準備手伝いますから……」

『それで如何ですか?』

どちらの気持ちも汲んだ隼人の返事に……

「そうだね!!」

「嬉しいわ♪」

夫妻は満足そうに隼人に輝く笑顔を見せてくれた。

 

「しかし……あれだね?」

亮介がまたコーヒーをすする。

「こういっては……隼人君には失礼かも知れないが……」

亮介がそこでモゴモゴ……口ごもる。

「ふふ……。うちに男の子がいるって不思議ね?」

登貴子は夫が何が言いたいか解っているようで……

言いにくい事らしく……そこは言葉にせずにぼやかして笑っていた。

隼人も気が付いていた。

『息子みたいにしたら、パパとママ喜ぶから』

葉月のあの言葉が……ここにきてから何度もこだました。

 

御園夫妻は……いつも二人でひっそりと仕事中心に暮らしている。

長女には先立たれ……末娘は国外、母国で一人暮らし。

週末に亮介を慕って『武道稽古』に来る隊員もいるようだが……

だからといってそれは『生活のほんの一部』なのだろう。

夕食の席、朝食の席……休日の過ごし方。

そこに二人だけで過ごす時間の中に今は隼人がいる。

 

『ハヤトはすっかりファミリーみたいだね!』

ベッキーが数日前の朝にそう言った。

そう──。

亮介が口ごもったのは……『まるで息子がいるみたいだ!』

そう言いたいところを、本当はそうではないから、

嬉しいながらも必死に胸の奥、押さえているのが隼人には解る。

だから……

本当の『子供』、葉月は今……いないけれども

夫妻がこんなに喜んでくれる事。

それなら隼人は、買い物の付き添いだって、お稽古のお供だって……厭わない。

それに──

『俺だって……こんな両親がいる暖かい光景、何度夢見たことか?』

お互いに『代理錯覚』を起こしていることは解っていても……。

 

「隼人君、ヨーグルト食べる? このマーマレードかけると美味しいわよ?」

登貴子がかいがいしく、世話までしてくれる。

「はい、戴きます。本当、オレンジを口にするとフロリダってカンジですね!」

「でしょう? ベッキーの手作りなのよ」

「えっ! 手作りジャム!?」

隼人が驚いてキッチンでうろうろ働いているベッキーに視線を送ると……

ベッキーが得意そうにグッドサインを出してきた。

「よぉし。ベッキー! 明日は俺の料理食ってもらうからな!」

「ああ、うちの男の子がどんな腕前か構えて待っているよ」

ベッキーが小馬鹿にしたように大笑いするのだ。

「ふふん。明日、楽しみにしていてくれよな。

お母さん! 明日、張り切って買い物付いていきますからね!!」

「ほほぅ……隼人君、凄い自信だね? こりゃ、明日の稽古後の食事が楽しみだ♪」

「本当ね♪ 男の子を連れて朝のお買い物♪楽しみだわ!

まったく隼人君がそんなに生活面で手際がいいと言う事は、

本当にうちの娘は、隼人君に何でもさせているって良く解るわ。困った娘ね?

葉月は……」

登貴子も笑いながら楽しみそうにしていたのに……

『葉月』と口にした途端に……フッと視線を落として僅かな微笑みだけ浮かべ

コーヒーカップを口元に運んだ。

亮介も再び新聞を手にして顔を隠してしまった。

「昔から我が儘で……自分の思うところまっしぐらで……。

今回のフロリダへの出張も側近である貴方に任せきりのようだし……。

隼人君をこっちによこすという連絡があってそれっきり──。

貴方の様子を探る電話もしてこないなんて……」

登貴子がやっとの笑顔で呟いた。

その妻の心情を察したのか……亮介が急にこんな事を言いだした……。

「ふん。あのじゃじゃ馬は、今だって平気な顔で一人仕事しているに違いない」

「パパ? 貴方にそんな事言える資格はありませんよ? 勿論、私もね!!」

「そうだな」

亮介の娘に対する憎まれ口……。

思わず言った『娘が側にいない口惜しさ』

それを諫める母親、妻。

素っ気なく言葉を吐いて、黙り込んだ父親。

 

『両親の寂しさを知らずに平気な顔をして仕事している娘』

亮介が……隼人が側にいる嬉しさ、楽しさ……その反面で思い出す事は

娘が実家に素っ気ない寂しさ。

隼人もそういう亮介の押し殺している気持ちが解る。

(俺も……横浜の実家にこういう気持ちを味あわせていたんだな)

よそ様の姿を目にして己をこういう時に痛感したりして。

そして──

『私も貴方も……葉月にそっぽを向かれている事に文句をいう資格はない』

登貴子のその言葉が隼人にはもっと痛かった。

 

『17年前……娘達の帰国して欲しいという願いを仕事一つで予定を平気でずらした』

 

そうして起きてしまった『御園姉妹の悲劇』

 

だけど──

その『呵責』を持ちながら……御園夫妻はジッと二人きり。

存在しない娘を思い……遠い海の向こうにいる末娘を思い……

寂しさは『罪の代償』とばかりに耐えている。

 

隼人は……この朝、それを目の当たりにした気がした。

 

「あの、葉月は……毎日僕に仕事のことも、お互いの離れている間の出来事も……

ちゃんとメールでマメに返事をくれていますよ?

お父さんとお母さんが僕に良くしてくれる事、彼女も喜んでいましたよ。

スミマセン……、彼女が連絡しないんじゃなくて……。

メールでお互いの事確認していること、早く言うべきでした」

勿論……恋人同士のやり取りも含まれているから

あからさまに『メールで返事が来ました!』なんて、

隼人も最初から進んで言う気持ちは全くなかった。

だけど──

葉月が隼人の事は気にして返事をくれる、見えないフロリダでの日々に反応はしている事。

それは言っておくべきだったかもしれないと思って呟いただけ。

「まぁ……そうだったの? あら、いらぬ心配だったわね?

葉月が貴方をおろそかにしていなければそれでいいのよ?」

気遣う隼人の深い心情を察したのか、登貴子が気にしないようにと

いつもの優雅な微笑みをすぐに浮かべてくれた。

「ふーん。あの冷徹娘がね? 女の子らしくお返事を出すとはお笑いだな」

亮介はまだ、むくれて新聞を読みつつそんな事を……。

いや? これが父親の娘に対する照れ隠しのような『毎度の憎まれ口』なのだろうか?

「あはは……。実は僕自身も彼女が3回に1回返事をくれれば上出来と思っていたのですが

これがちゃんと毎回仕事の事も交えて返事を送信してくれるので驚いていたんです」

「あら? 流石、隼人君! うちの娘の事、良く解っている心構えね?」

『3回に1回』で登貴子が急に笑い出した。

そして──亮介も。

「うちのじゃじゃ馬にしては上出来な女心だな?」

なんて──

隼人はやっぱり『ただの憎まれ口』なのだと思うことが出来た。

 

「かといって……僕がメールでもしないと音信不通ではあったかもしれませんね?

ですので……差し出がましいのですが……」

隼人は……他人であることで少し次の言葉を躊躇った。

 

そう、御園夫妻は17年前の『娘達の期待を裏切った』事で

『娘に嫌われている』と思い込んでいるように隼人には見えた。

葉月側からすると……思春期の反抗期で過敏に両親を避けていた時期もあっただろう。

それは隼人も『子供の立場』として解る部分がある。

でも……そうじゃない。

子供に突き放されて怖じ気づく親心も解らないでもないが

やっぱり子供は幾つになっても『親から手を差し伸べて』くれるのを待っているところもある。

隼人もそうだった。

前の横浜帰省で、父親・和之の……心に秘めていた親心に触れて悟ったのだ。

父親は苦しい心情を持っていても、最後には息子の心情を思って

気持ちを譲ろうとしていたあの父親の目。

『お父さんは、何も悪くない!』

あの時、隼人が子供のような素直な気持ちに戻ったときの事。

あの『瞬間』は、葉月にも絶対に迎える事が出来る。

いや──来て欲しい!

素っ気ない娘に対して怖じ気づく両親に……隼人は自分の経験も踏まえて

そっと……進言してみた。

 

「お父さんとお母さんからも彼女に連絡をしてみてはどうですか?」

当然──御園夫妻はちょっと戸惑った顔をして夫妻揃って目線を合わせて硬直していた。

 

でも……

「そうだね? 隼人君と3人楽しく過ごしているとからかってみるか」

やっぱり『憎まれ口』だったらしい。

亮介は、今度は爽やかに微笑んだ。

そして登貴子も

「本当ね! 葉月が羨ましがるぐらいの報告でもしてみようかしらね♪」

登貴子も、ニンマリと悪戯げな微笑みを浮かべた。

その顔──。

(うわ……葉月のちょっと人を喰った所って……お母さん似??)

隼人はそう思ってしまう登貴子の表情だった。

 

『さて、そろそろお迎えが来るから出かけるかな?』

亮介が席を立ち、隼人は登貴子と向かい合って明るい笑顔を交わしながら

朝食を取り終える。

亮介には毎日、秘書室の者が日替わりで大きな車で迎えにくる。

そこは、小笠原連隊長のロイと同じお迎えで隼人は流石と唸った。

『一緒に行きましょ?』

隼人はというと……だいたいは、登貴子が基地まで車で連れていってくれていた。

 

毎日が、まばゆい太陽の日々。

そんな中……隼人はフロリダの雰囲気を満喫しながら、空母艦見学を続けていた。

 

登貴子の車の中でも、隼人は書類を手放さずに眺めていた。

フロリダでの候補員は7人。

その中で最低4人選ぶつもりだった。

一通り、彼等の訓練実態……見学は終えていた。

(あと、もう一度ずつ眺めたいな)

そのスケジュールを組み直し、次の訓練見学で

隼人の心で決めつつあるメンバーのチームキャプテンに『引き抜き』の打診を始める予定。

 

 

「テイヤー!!」

ドン!!

 

畳の上に、大きな音が響いた。

「将軍、参りました」

「ふむ。だが、動きは素晴らしかったよ。いつも言っているが力任せにならないように」

道着姿の亮介が穏やかな笑顔。

正座をして、きちんと頭を下げているのは彼の側近『マイク=ジャッジ中佐』

「さて、次!」

隼人が知らない40代の外人男性が、亮介と向き合って構えを作っていた。

 

土曜日の昼下がり。

登貴子と午前中に大きなショッピングモールに買い物に行って

ベッキーと三人……キッチンで色々な小料理を作り、笑い合っていると──。

 

「じゃぁ、私の『キッズ』が集まってきたから道場へ行くよ」

亮介が道着姿でキッチンに顔を出したのだ。

「怪我しないよう、させないよう……気を付けて下さいね?」

登貴子の笑顔の見送りに、亮介も魅力的な笑顔で妻に答えて出ていこうとしていた。

「お父さん! 始めるのですか!?」

「ああ、隼人君もよかったらおいで。まだ、いまから準備体操だけどね。

『野郎共』は、今道場で着替えているから、もう少ししたら稽古になるよ」

「解りました! 後で行きます!」

すると、亮介は隼人の手元に気を取られたのか……またキッチンに入ってきた。

「おお!? カルパッチョだね??」

「あ……はい。美味しそうな魚が見つかったので、さばいてみました」

「亮介さん! 隼人君の包丁さばきったら素晴らしいのよ!」

「ほう!」

魚もさばけるという娘の恋人の『技』に、亮介は感心の眼差しをジッと隼人に向けた。

「いえ……マルセイユも魚が多い町でしたから……。いつのまにか──」

「いやいや! 感心だよ!」

「本当にこんなになんでも出来る男性じゃ、うちの葉月が益々……」

登貴子が感心と供に呆れたため息を……頬に指を添えながらついた。

「僕が教えるというと……彼女も挑戦していましたよ?」

「ええ!? 葉月が!?」

夫妻が揃って驚き声をあげて……また、隼人をマジマジと見つめるのだ。

隼人は、思わず頬を染めて俯いてしまった。

葉月も多少はさばくことは出来るようだったが慣れていないようで……

今まではどうしていたかというと、買った鮮魚店の主人に頼んでさばいてもらって

家に持って帰ってきていたようなのだ。

それを知った隼人が、少しばかり葉月に指導をしたりすることもあった。

「ちょっとぶきっちょですけどね」

隼人が、おどけた微笑みを浮かべると……

夫妻は顔を見合わせて……そしてすぐに揃って笑い声をたてた。

「あのお姫様がね! どんな顔で魚をさばくんだ!?」

「フフフ……、本当ね」

「どれ! ひとつ……」

大きな白い丸皿に、レタスを敷き詰めてオリーブの漬け物を

飾り付けている隼人の手元からスッと白身魚の刺身が消えていった。

「ま! 亮介さんたらお行儀悪い!!」

登貴子がしかめ面を夫に向けたが、すでに亮介の口はモゴモゴ動いていた。

「──ん?? あのー」

亮介は、なんだか納得いかなそうに刺身を飲み込んだようだ。

隼人と登貴子は顔を見合わせて、笑いを噛み殺していた。

「パパ、ダメだね。まだドレッシングをかけていないよ」

ベッキーは隼人の横にやってきて、大きなボウルに入っているドレッシングを、円を描きながらかけた。

「ハヤト特製の『醤油ドレッシング』だそうだね? 残念だったね? パパ」

「お行儀悪い人には丁度良いわ」

登貴子がやっと笑いだす。

「スミマセン……まだ、完成していないところで……」

隼人もそっと亮介に微笑む。

「む。お手つきをしてしまったか」

少年のように照れながら、栗色の髪をかき上げる亮介の姿に

そこにいた支度をする3人はまた笑い出す。

 

その時──キッチンにある裏口のドアが遠慮なくサッと開いたのだ。

 

「オヤジさん! みんな、集まっているよ!! 早く!!」

道着を着た黒髪の青年が勢い良く入ってきた。

「あ! 兄さん!!」

「あ……達也じゃないか? 達也も『キッズ』なんだ」

陸部隊員の達也が、亮介の弟子として稽古に参加している姿。

隼人もすぐに納得して、違和感は起こらなかった。

だから──彼が突然現れても、微笑んだのだが……。

「なにしているんだよ!?」

違和感いっぱいに驚いたのは達也の方だったらしい。

ベッキーと登貴子と供にキッチンで立ち回っている隼人の姿に驚いた様子。

「なにって……手伝いだけど?

あ、ベッキー。そろそろオーブンのチキンが良い頃合いだと思うんだけど?

あ、お母さん……今ふかし終わったジャガイモ潰していただけますか?」

『あ、ああ。そうだね──流石、ハヤト』

ベッキーは、先読みを隼人に取られて一瞬面食らいつつオーブンへ……。

『ええ、任せて。シェフ』

登貴子もニッコリ……手際がよい隼人に感心しながら従っていた。

いつのまにか隼人が『料理長』の様に指示を出すので

亮介と達也が唖然として顔を見合わせていた。

 

「ちぇ……なるほどな?」

達也は何を感じたのか? 急に拗ねた顔つきで勝手口を出ていってしまった。

「じゃ、そろそろ行こうかな?」

亮介もニッコリ微笑んで、勝手口から道場に向かって行く。

「隼人君も、もういいわよ? 覗きに行っていらっしゃい?」

「いいえ──この『ヴィシソワーズ』を仕上げてから行きます」

「まぁ! ジャガイモをふかして何を作るのかと思ったら!」

ジャガイモを一緒に潰し始めた隼人の額には少しだけ汗が浮かんでいた。

登貴子は『ジャガイモの冷製スープ』まで手がける娘の恋人に益々驚いたようだった。

「マリーママンの得意なメニューでしたからね」

「まったく。ハヤト、あんたには負けたよ。プロ指向ってところだね?」

ベッキーもついに認めたようだった。

「やった!! ベッキーに認めてもらえた。ミゾノ厨房に出入りさせてもらえるね」

「おやおや? アシストが出来て、こき使われるの間違いじゃないのかい?」

「ひどいなぁ〜? 認めてもらえてもベッキーには勝てないみたいだな!?」

隼人は拗ねながら、登貴子と潰したジャガイモを、ブイヨンの鍋に放り込むと

そこにいる女二人が大笑いをした。

 

ジャガイモのヴィシソワーズが出来上がって冷蔵庫で冷やす。

そこで、隼人も勝手口から道場に向かった。

 

『奥様。よかったですね──良い子じゃないですか?

これでレイが一緒ならば……もっとね??』

『本当……こんなに楽しい事って久し振り』

キッチンの窓から道場へ駆け出す隼人を、二人の女が眺めながら

何かを噛みしめるように涙の会話をしていた事は隼人は知らない……。

 

 

『一本!!』

ドン!!

隼人の目の前……亮介に向かっていたガタイの良い40代の男も

亮介に軽々……畳みに落とされた。

 

(聞いていたけど……すごい!!)

亮介だってもう、60代近いはず?

なのにその逞しさ、衰えない力強さ。

そして──若々しい『キッズ』達に怯まない……いや? 寄せ付けない巧みさ!

亮介より筋肉隆々の若い男達がどんなに向かっていこうと

なんとも簡単に……力も入れないといった『技』でどんどんと畳に伏せてしまう。

そして『こうすればいいんだよ? 力任せはダメだ』と

最後に向かい合った隊員一人一人の道着を手にとって『コツ』を指導している。

「じゃ、次──達也君行ってみようか?」

「オッス!」

達也が帯を締めながら……すっと畳の上、亮介に向かい合った。

隼人も……『ライバル』の腕前いかほどか? 息を止めるように眺めていたのだが……

 

『ドン!!』

「くそっ!!」

やっぱり軽々亮介に畳に落とされたようだった。

「参りました!!」

悔しそうに亮介に頭を下げる達也に隼人は苦笑い。

本当に負けて悔しそうだった。

 

「ったく。いつになったらオヤジさんに勝てるのかなーー!?」

稽古が終わって、達也が大声で喚いた。

「それは俺も一緒だぞ? ウンノ。俺だってこの稽古に何年も通っていて

他の隊員よりかは『上手い』と言われても、将軍の前では赤子同然だしな。

お前に先越されてたまるものか」

中年の先輩達も口々にそういいながら道場を出て行く。

「私だって同じですよ。側近なんていらないんじゃないだろうか?って思うほど

私の上官は強いんですからね」

マイクがぼやくと、皆が『それもごもっとも!』と大笑いをする。

「何か言ったか? マイク」

「いえいえ??」

マイクの肩越しに亮介の拗ねた顔がニュッと出てきて

皆が苦笑いで『負け惜しみ』の会話をやめた。

 

「今日も庭に用意してあるから、一休みして行きなさい」

亮介の『お誘い』に、皆がニッコリ微笑んで庭へと向かっていった。

『なぁ! ビール引っかける前に、ひと泳ぎしないか!』

『ウンノは元気だな?』

『なんだって? マックだって今日は海パン持ってきたってさっき言っていたじゃないか!?』

『わーかった。わかった! まぁ、汗かいたしひと泳ぎ行くか』

若い達也の先導で、中年の男性達もここぞとばかりに

御園家の庭を飛び出して、目の前の海岸に飛び出して行ったようだ。

 

「隼人君も行きたいなら、行ったらどうだい?」

本当に自分の沢山の息子達が元気良く飛びだしていくのを

亮介は優しい眼差しで見送りながら隼人にもそう勧めた。

「いえ──僕は……」

「そうそう、私もシャワーをお借りしてのんびりインドア派。

サワムラ君? お料理を手伝ったんだってね? 私も庭の支度手伝いますよ」

マイクがサラッとした仕草で御園家に自然に上がり込んだ。

(皆──ここの家に遊びに来るのは慣れているんだな?)

飛び出した『大きなキッズ達』

自然に上がり込む亮介の側近。

「あら? お稽古終わったの?」

マイクが道着姿でリビングに上がり込んだのを見つけた登貴子がキッチンから出てきた。

「ドクター。シャワー借りますよ」

「どうぞ? 貴方は大人しいのね? たまには皆と渚に行けばいいのに」

「今日はパスです」

マイクはまたもやサラッと言いのけて、隼人が使っているシャワー室へ

慣れたように向かっていってしまった。

 

「ん──。よしっ! 私は行く!!」

「え??」

「登貴子! 泳ぎに行ってくる!!」

亮介がバタバタと二階に上がったかと思うと……すぐにバタバタ降りてきて

海パンにパーカー姿で庭を飛び出し、道を横切り、フェニックス林に駆けていったので

隼人は唖然として見送った。

 

「まったく。子供と一緒ね?」

登貴子がテーブルクロスを手にして庭で茫然としている隼人の横に並んだ。

「貴方のお父様とは大違いでしょ? 葉月から聞いたわ。

落ち着いてとっても威厳がある頼りがいありそうなお父様だと

葉月が『うちのパパとは大違い』って羨ましがっていたわ?」

『端っこ持って手伝って?』

庭の木製テーブルに白いクロスをかけるため、隼人も布の端を手にして

登貴子と一緒に広げた。

「いえいえ──元気で子煩悩なお父さんで……僕だって羨ましいですよ。

こんなに隊員に慕われて、プライベートを過ごしている将軍って初めて見ましたよ」

 

「それが、良いのか悪いのか?」

小振りのビアボトルを手にシャワーから戻ってきたマイクが……

膝までのビーチパンツに履き替え……しかも上半身裸でバスタオルを首にかけた姿で

リビングの窓に腰をかけて現れた。

濡れた黒髪が麗しく風になびいて、青い瞳がクールに渚を眺めて微笑んでいた。

引き締まった身体に、鍛えられた胸。

そのセクシーな姿を目にした隼人は、何故か? 頬が赤くなりそうになった。

(恋人とかいないのかな〜? 絶対にこの人もモテる!)

制服の時は、本当にソフトで優雅なジャッジ中佐なのだが、

目の前の今の彼は……大人のクールな雰囲気を放っている妙に危なげな男に見えた。

「フフ。マイクが一番パパに振り回されて、面倒を見ているのよね?」

登貴子が可笑しそうに笑う。

「ママドクター。俺も手伝うよ。ベッキーと料理を運んだらいいんだね?」

急に彼の口調が、少年ぽくなったので隼人は驚いた。

「ええ、マイク──。いつも有り難う」

「気にしないで。ママ」

 

まるで息子のよう──??

 

隼人は砕けた恰好でキッチンに行くマイクを眺めて……

そして──

渚で、子供のようにはしゃいで泳ぐ『パパ』と『キッズ』達の声を眺めて……。

 

『こうして、お父さんとお母さんはフロリダで過ごしているんだ?』

そして──

『だけど──望んでいることは、もっと違うんだろうな?』

 

『キッズ達』に囲まれる御園家の土曜日。

 

そこに──葉月はいない。

あんなに子煩悩な父親ならば……どんなに可愛がられていただろう?

こんなになる前は──。

そう思わずにいられなかった。

 

隼人はまだ……入る機会が得られない……

水色のリボンが見える二階の部屋をそっと見上げた。