1.プチとグラン
月曜日の朝──。
「うーん……」
御園中将秘書室、主席側近のマイク=ジャッジは唸っていた。
「あれ? 中佐……それ、何ですか?」
目の前にいる若い20代の秘書官がマイクが手元に広げている物に気付いて
尋ねてくる。
マイクが今……手に持っているのは『白いカード』
百合の花がプリントされていた。
「うん。なんでも大佐嬢のバースディパーティをするとかで招待されてね」
「え! お嬢さんの──?」
「ああ……それで、ちょっとな」
「はぁ……。お嬢さんはいつがお誕生日なのですか?」
「八月だけどね。休暇中に彼女の周りにいる同僚達がやろうと計画したみたいだね」
「も、もしかして……ブラウン嬢じゃないでしょうね?」
何か解っているかのように、目の前の後輩が苦笑いをこぼした。
「そのお嬢さんが『主催』らしいな」
そして、さらにその秘書官は『うひゃー』と小さく漏らしたのだ。
マイクは察し良い後輩に感心しつつも、同じように苦笑い。
「なんだか中佐も今回は、ブラウン嬢が言い出したことで
随分と振り回されていた感じで……」
「……なに?」
マイクは『女に振り回された』と言われたようで、後輩にピリっとした
厳しい視線を送ってしまった。
「いえいえ……なんでもありません」
彼はちょっとヒヤリとした顔をして、サッとデスク前のパソコンにスッと向かった。
『振り回されていた』とは心外だ。
確かに彼女が言い出した『アシスタントの件』から、ナイトバーでの半乱闘騒ぎ。
そして、葉月が言い出した『合同研修計画』
どれにもマイクは携わってしまっていたが、落ちついて対処していたと自信がある。
だが、どれをとっても全て『マリアが発端』であった。
それに『葉月』が加担するからよけいな『騒ぎ』になったりするし
マリアが葉月を『刺激する』から、大きな計画まで携わるようになった。
葉月が言い出した『素行調査』から始まり……
マイクはここの所、ずっとマリア周辺に捕らわれていたのだ。
それを後輩達が『ブラウン嬢の派手な動向に常に中佐が動くハメに……』と思い
『振り回されている』と思っているようで……。
その上……
『ったく。やることが派手すぎる』
マイクは白いカードを眺めてため息をついた。
そう……今朝、先程のことだった。
マイクが出勤をして秘書室へと向かっていると、目の前の廊下で彼女が待っていた。
「おはようございます。ジャッジ中佐」
「ああ、おはよう……。何か?」
輝く笑顔をこぼしている彼女は、先週のアシスタント願いを持ってきた時より
とても活き活きとしていた。
「これ、お願いいたします。『葉月』の為に計画したので──」
マリアにスッと白いカードを差しだされた。
「……そう? 有り難う」
そんなに驚かなかった。
実は……
亮介から葉月がマリアに肩の傷の事情を自分から話した事も……
そして、明日の火曜の夜に彼女の主催で葉月のバースディパーティをするという事も……
さらに……葉月が『ドレスを着る』事も……
とっても興奮気味なパパの連絡で既に聞かされていた。
のだが──
そのパーティで葉月がドレスを着ることに関してはちょっと眉唾だった。
亮介がとても喜んでいたので、そういう詳しい事情を聞くと水を差しそうで
パパの喜びの報告に頷くだけで終えてしまった。
『サワムラ君がドレスを強要したとは思えないなぁ?』
彼とマイクは何処かで繋がっているように『同感』の部分が多い。
任務の時に彼と初対面したときから『似ているな』と思ったぐらいだ。
葉月がドレスを拒む事を良く知っているだろうし……。
と、いうことは? と……マイクはフッとある女性が思い浮かんだ。
『彼女の主催ってくらいだ……きっと……強引に』
そう思った。
マリアと隼人の間で一悶着あったかも知れないと思ったくらいだ。
『それにしてもレイはよく承知したなー』
それが一番の驚きかもしれない。
隼人の上手い説得でもあったのか?
それとも葉月の『変化』がそうさせているのか?
それはまだマイクには解らなかった。
そういう訳で、今、手渡された白いカードが『招待状』だとすぐに判断できたので
驚かなかったのだ。
「あの……お願いがあるのですけど」
マリアが愛らしい顔で、マイクの青い瞳を覗き込み伺ってくる。
なんだか、先日までせっぱ詰まったような彼女の刺々しさがなくなっていて
マイクから見るとちょっと幼なくなっているような気がした。
「なんだい?」
マイクはこういう女性の甘えてくる顔はあまり好きではない。
それでなくても興味もない女性に日々アプローチをかけられているのだ。
例外があるとしたら『レイ』と、今はいないが『熱愛中の恋人』にだけ許せる行為となる。
なのでちょっと冷めた無表情で聞き返していた。
当然、マリアはそんないつも通りの冷淡なマイクの顔に怯えているようで
見せていた笑顔の輝きがちょっと曇ったのだ。
「……できれば、中佐から秘書室の皆様もお誘いして欲しいのですけど」
「何故?」
マイクがスパッと聞き返すとマリアが恐れたようにすっかり笑顔を消してしまった。
「……葉月は今は秘書室にいますし……。
せっかく仲良くなられているなら、親睦会としても良いかと思って」
「レイには秘書室でも『大佐』として秘書官達は接している。
決して、馴れ合いのような付き合いはしていないし
将軍のお嬢様という扱いも滅多にしていない。
それはレイ自身もよくわきまえているから、うちの秘書官達も
若い女性でもキッチリそのように接している。
職場で職務的に最高のバランスが取れているのに、
親睦なんて事は、必要がないと思うけどね──」
マイクは手元で開いて眺めていたカードをスッと閉じた。
「そうかもしれませんが……」
「サワムラ君は何て言っているのかな?」
きっとマリアが一人走りで人を集めようとしているとマイクは思ったのだ。
それなら、隼人は止めているはずだと……。
「サワムラ中佐ですか? 葉月に任せると……」
「ふーん。彼、怒らなかったかな?」
マイクが目をフッと細めてマリアを見下ろすと、図星だったのかマリアの顔が強ばった。
「……でも、葉月が了解してくれたので」
「他にどれだけ来るんだろう?」
一応、確認をしておこうと聞いてみる。
「……」
マリアがマイクの冷淡な眼差しにちょっと怯えて躊躇っている。
「アンドリュー達と……フォスター隊と、隊長のご家族と……
サワムラ中佐がメンテ本部で親しくしている同僚とか」
「結構、来るな──。レイが承知したとはいえ……その後は大丈夫なのかい?」
葉月のことだ、何かあって承知したとしても逃げ出すなんていつもの事。
マイクはいつもその後の面倒を見てきたのだから──。
「ええ、きっと! 葉月から誘いたいと言い出した人もいるんですよ!」
マリアはそこは先程の怯えもどこへやら?
急に自信満々に笑顔をこぼしたのだ。
「そ。考えておくよ」
「是非……」
マイクはしらけた眼差しでスッとマリアから背を向けて秘書室に向かった。
振り向くと……またもや彼女はもう何処にもいなかった。
業務開始前に、アンドリューやフォスター隊などに走り回っているとうかがえて
マイクはいつもの彼女の勢いにちょっとばかし眉をひそめる。
廊下に彼女の残り香が漂っていた。
「ふん、グッチか……」
マイクはちょっと小馬鹿にしたように鼻息をついて、秘書室に入った。
それで、マリアが言うとおりに秘書室一同を誘うかどうか考えていたのだ。
亮介の事だ……喜び勇んで秘書室の部下を誘うかもしれないが……
『うーん。娘がねー……怖じ気づいてもいけないし』
と思っているかもしれない。
マイクは今日の『将軍お迎え当番』の秘書官と亮介が来るのをとりあえず待っていた。
「それにしても……『正装』とまで来たな?」
集まる軍人達に、あの真っ白な礼服を着てこいとの指示まで添えてあった。
まぁ……御園家の令嬢のパーティーとくればそうなるのも必然だが……。
『やっぱり、派手だ』とマイクはため息をついた。
×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×
「中佐。将軍がご出勤されましたよ」
中将室からお迎え当番の後輩が顔を出した。
マイク配下の秘書官が給湯室へと動き出す。
亮介に『朝の一杯』を差し出すためだ。
朝食はほぼ『洋食』である御園家。
亮介は職場に来たらつい先程口にしたコーヒーでなく『日本茶』を好んでいる。
それで、アメリカ人といえども後輩達には『日本茶の心得』を叩き込んでいた。
朝から湧かした湯を80℃に保って置いていたものと
亮介が日本から選んで持って帰ってきた伊万里焼の湯飲みを暖め
そうしてお揃いの急須で後輩が手際よく緑茶を入れるのを
マイクは厳しい目で監察する。
「失礼します」
後輩が、お盆に日本茶をのせてお辞儀にて中将室に入っていった。
少々の失敗はあの陽気な亮介は笑って許してしまうが
そこはマイクが厳しく秘書官達に接するようになっていた。
『御園秘書室は礼儀に厳しい』
と評判である。
西洋式の礼儀もさることながら、特に東洋式の礼儀も身につけさせられるからだ。
そこに亮介の『ハーフ』という混合でさらに覚えることは山ほどあると、ささやかれている。
それだけに……選ばれ、やり抜いてきた秘書官達はこの上ない『最高の秘書官』と誉れ
それがマイクが取り仕切ってきた秘書官は
『御園秘書官』という『ブランド』のように評価されているのだ。
その『品質』は落とさないよう日々マイクは厳しく取り締まっている。
現に若い秘書官達も立派にやりこなしている。
『なーんだか居心地良いわね〜。ここ』
人と触れることには『警戒心バリバリ』しているあの葉月が
ここ最近、そういってのんびりと休暇中の『ちょっとだけビジネス』をこなしているぐらいだ。
『皆、変な詮索はしないし、かといって放っておきっぱなしでもなく
端から端まで気を配っているし──さすが、マイクの秘書室ね』
あの葉月にここまでいわせれば、マイクも鼻が高い。
勿論、あの御園家の末娘であって彼女も品格ある生まれというのもあるが、
葉月は10歳も年下の女の子だが、人を見る目はかなり鋭い。
そこはマイクも彼女が少女だった頃から認めていた事だ。
だからこそ……葉月は十代の頃、マリアには近づきたくても
『お互いのリスク』を見抜いていたので近づかなかった。
十代の少女だったから、今回和解したような『上手い付き合い方』は出来なかった訳だが
そんな『洞察力』はマイク以上であり……
大人になり立派な将校と成長しつつある葉月が今新たにつけた力は
『人を見てさらに動かす』という事。
それを先日のマーティン少佐とブルースの時に改めて感じさせられた。
『比べる訳じゃないけど……彼女もそういう気配りできないのかなー』
マリアの自分が思いついた『良い事』は『皆にも良い事』と思い込んでいる
お嬢様的な感覚がどうもマイクはしっくりこない。
仕事面でも、人付き合いでもそつなく見えるのだが……
どこかがまだちょっと『子供っぽい』気がして、マイクは飲み込めないのだ。
マイクから見ると、まだまだ未熟には見えるが葉月の方が
妙に男のツボを捕らえてしまう『奥ゆかしさ』があると思っている。
(俺の身びいきかな〜)
勿論、 葉月はマイクからするといつまでたっても『リトル・レイ』で
女性としては対象外の妹分にすぎないが……。
「中佐、将軍がお呼びですよ」
日本茶を持っていった後輩が秘書室に戻ってきた。
お茶を飲んだら、主席側近を呼ぶ。
これも亮介の日課だった。
マイクはいつも通りに、中将室へと向かう。
「おはようございます、中将。今朝はとてもご機嫌でしょうね」
マイクは大きな窓辺の前にある亮介の立派な席に向かいながら挨拶。
亮介は大きな革張りの椅子に腰をかけて、悠然と日本茶を口にしていた。
がっしりした体格に、滲み出てくる『貴族系の気品』
どこからみてもマイクご自慢の『立派な将軍様』がそこにいた。
「おはよう、マイク! それがなー」
亮介はマイクを見た途端に、悠然としていた威厳をフニャリと抜いてしまったのだ。
「なにか?」
「聞いてくれ! マイク──!」
途端にいつものどこか自信なさげな『狼狽えパパ』になって泣きついてくる。
「あれ? レイと何かありましたか?」
早速、葉月がヘソでも曲げたかとマイクは意地悪いが『やっぱりね』と
ニヤリとしたくなってなんとか堪えた。
「葉月がドレスを見せてくれないのだ! 当日の内緒とか言って!
隼人君まで! 明日のお楽しみだとか言って!!」
亮介はプリプリと怒り始めたのだ。
『なーんだ』とマイクはちょっとガッカリ──。でも……
「アハハ! 宜しいじゃないですか? 恋人の彼と納得して選んだのなら……。
きっと、パパを驚かそうと思って勿体ぶっているだけですよ」
マイクはそれも幸せそうな愚痴の一つだなと大笑いをした。
「だけどなー。なんでも『大人っぽく』考えたとか言うのだよ?
変に露出していないといいな……なんて」
「……」
ドレスを着なければ着ないで『着ろ着ろ』と皆で押しつけて
ドレスを着るなら着るで『必要以上は見せびらかしてはイカン!』だんなんて……と
マイクは変な娘パパに呆れてしまったが──。
「ま。まともなパパの考えそうな事ですね」
ニコリと流そうとした。
「なんだい? 私がまともなパパじゃないみたいに!」
こういう所でムキになるのが葉月と似ていて『親子だな』と、マイクはいつも思う。
「そういう心配って今までなかったでしょ?」
「そうだけどー」
亮介は瞳をウルウルとさせて、マイクを見つめるのだ。
マイクは苦笑いをしてパパをこの後一言、二言付け加えてなだめた。
「ああ……パパ。先程、マリア嬢から早速に招待状を頂いたのですが」
「ああ……昨夜も遅くまで葉月の部屋で準備に追われていたからね?
見たいか? 百合の花……。なんでも隼人君が好きな花らしいよー。
隼人君は葉月とマリアの事を『百合の園姉妹』なんて呼んでいるんだよ?
それで選んだんじゃないかなー?」
『姉妹?』と、マイクはちょっと眉をピクリと動かしてしまった。
それを何とか振り払い、違う所に関心を寄せた。
「……彼は百合の花が好きなのですか?」
「なんでも、亡くなったお母さんを花に例えると百合になるらしいよ。
葉月が言うには、隼人君と似ている大和撫子らしい。
隼人君にとって女性の象徴が百合になるみたいだなー?」
「……そうですか。彼、既に母上が他界されていたのですか」
「うん、しかも彼が二つの時にね? あまり記憶がないと言っていた。
それで横浜のお父さんは彼が10歳の時に20歳も年下の女性と再婚して
弟さんは13歳も年下らしいよ。
葉月から、ちらっと聞いたけど、最近まで色々とイザコザしていたらしい──。
鎌倉の京介からも、時々事情は聞かされて心配はしていたけど
今は葉月にとっても、向こうのお父さんは心強い味方らしくて、安心したけどね」
『へぇ』と、マイクはそれで……なんとなく納得した。
他の周りの男性より妙に悟りきったような落ち着きがあるのも
そんな『苦労』を彼が持っていたからだと伺えた。
もう一つ言うと……あの天真爛漫な海野達也でも、そういう苦労がある。
なんでも……母親に『捨てられた』という事を耳にしたことがある。
いつまで経っても『やんちゃ小僧』に見える彼だが、
いざというときは、人を惹きつける『おおらかさ』や『厳しさ』のバランスが非常に良い。
それになんといっても『ハングリーでパワフル』
多少の事では『動じない』
あれもたぶん……『苦労』で培ってきた物ではないかとマイクは思った。
だから達也は『めげない』強さがあるのだろうと……。
マイクは? というと……
マイクには……幸い、両親は今も健在なのだが……。
アメリカ中部の大きな農家で今も兄達と広大な農場を取り仕切っている。
マイクはそこの男四人兄弟の三男坊で、
もの凄い田舎から、このマイアミ近辺の軍隊にやって来たのだ。
それも……偶然に出逢った亮介の『スカウト』で──。
最初は非常に大人数の世界に翻弄された。
そして『田舎者』とバカにされた。
それを助けてくれたのが……亮介の『スカウト』で来たマイクが
必然的に出逢った同い年の『ロイ、リッキー、皐月』だった。
特に皐月は正義感が強かったので……よくかばってくれたが
やはり女性にかばわれるのは決まりが良くなかった。
それにロイもリッキーも二世隊員で、さらに皐月は三世隊員。
マイクはというと亮介の後ろ盾はあったが、裸一貫の一世隊員……。
『マイク! そんなに私から逃げるなら、自分で何とかしなさいよ!』
とっても綺麗な女性なのに中身は非常に逞しい。
彼女の優しさはとても好きで敬愛していたが、
彼女に守られた日々は……男として、とても屈辱的だった。
どうせなら『彼女を越えてやる、守る側になってやる!』と……
それがマイクを必死にさせていた一番の源。
それが、マイクの『苦労』となるだろうか?
そいうい『苦労』という点を考えても……
あの『マリア』が何も知らない『光の中だけのお嬢様』に見えて仕方がない。
本当なら葉月もそうなるはずだったろうが……
それならそれで、葉月は光の中で音楽家であっただろうから
何も知らないお嬢様のまま、良き男の所に嫁いでいたかもしれないが?
現状的には軍人という事になるのでやっぱり『苦労』は
葉月の方が『ケタはずれている』
痛々しい経歴はともかくとして、歯を食いしばって進んできた事は間違いがない。
そこは『現場』を選んだという事も大きい。
室内で学問専門のマリアは、そうして現場でない世界でぬくぬくと
入隊時から『オフィス内勤軍人』をやっているのだ。
『良いことだけが良い』と思い込んで、ああして葉月に接して拒絶されたのも
マイクは当然だと思っている。
ただ……葉月がマリアの中にある『何か』を心の底で欲していたようだから
葉月が望むとおりに『良い方向』へ行けるアドバイスをしていただけだ。
葉月はマイクのアドバイスについては『重々解っている』と常に理解してくれたが
心が付いていかないようだったので、マイクは無理強いはしなかっただけ。
その葉月が捨てたはずの『十代』をふいに思い出し、『取り戻しに来た』
それならと協力した。
見事に、葉月は手に取り戻した。
どれだけの勇気を持って戻ってきたことか──。
それに比べて……葉月の痛い所を引き出したマリアがちょっと許せない部分もある。
もっとそっと引き出せなかったのかと──。
いや──もう、なにも言うまい。
葉月自身が、その方法を選んだのだから……。
「おーい? マイク=ジャッジくーん??」
マイクはハッとすると、亮介が不思議そうに顔を覗き込んでいる所だった。
「やーだなぁ? お前がぼんやりするなんて滅多にないから驚いた」
亮介がちょっとドキドキしたのか胸を押さえてホッとしている。
「あの……マリア嬢が秘書室の皆にも来てもらったらどうかと……」
「ああ、いいんじゃないかな? 葉月だって毎日顔を合わせて馴染んできているし」
ほらね? パパはさして何も感じないのだとマイクは何故かガッカリした。
「レイが慣れていない男性の前でドレスを着るんですよ?
秘書室の者が詰めかけて……拒否反応を起こさないと良いんですけど!」
さらにマイクは『何故か』、ムキになったようにつっけんどんに言い放っていた。
「……マイク?」
また……亮介が『──らしくない』マイクに怪訝そうな顔。
「……お前の心配は良く解るよ」
亮介が寛大な父親のような笑顔を急にこぼした。
「今までの葉月がそうだったからね……。
私もここ数日、嫌な予感がしてちょっとハラハラしていたんだけど──。
なんだろうね? 子供って……結構やるもんだね……。
信じていれば……結構、自分の力でやるんだって思ったよ。
今まで、葉月にはあまり手をかけれなかった私だけど……
あの子に悪いと思いながらも……あの子は自分でやるときはやるんだよ。
信じることしか出来ない不甲斐ない父親だけど……
こんな風に葉月が仲間に押されて、その仲間に応えようと決めたこと。
ちょっと誇りに思えてきてね……」
「……パパ」
「マイクも『レイ』を信じて今回は見守ってみないかい?
もし……ダメでも、マイクもいるし、隼人君もいるし……。
そろそろパパは役立たずのままお役ご免かなー」
亮介がちょっと寂しそうに、でもそれを誤魔化すようにいつものようにおちゃらけの笑顔。
マイクはその笑顔に心が和んでそっと微笑んだ。
「何を言っているんですか? 私より彼より……
レイがいつだって最後に頼っているのはパパだって、任務の時に痛いほど解ったじゃないですか?
あの時のパパは格好良かったですよ、本当に。
あの時、パパが助けに行ったから……今日のレイがフロリダに来ているのではないですか?」
「そ、そうかな?」
「取り戻すことは……出来るんだって。
もしかするとパパが助けに来てくれて、気持ちが満たされて……
そう感じ始めたのかも知れないし」
「それだって……マイクの『お尻叩き』とか達也君の進言とか
隼人君の必死の説得とか……良和の鉄拳とかで、動いただけで……」
「それでも捨てづらい立場を捨てて、すっ飛んでいったでしょう?
あれはパパ自身の判断でしたよ」
亮介がスッと目を閉じて安心したように微笑む。
「私の田舎の両親もそうですよ。
私の事なんて、いつまでたっても子供扱いで……
まだ何か出来ない大人だと思ってあれやこれやと田舎で変な心配ばかり──。
いつまでたっても『まだやり足りない親』と思って親だけでうろうろしているんですよ?
兄達が『マイクは大丈夫だ』と言っても安心しないそうです。
そう思うと、パパの『まだ親として何もしていない』という気持ちも
解らないでもないですけどね……」
「どの親もそんなもんなのかな?」
「そうですよ」
「そういえば……お前もしばらく田舎に帰っていないね? 休暇をあげないとな」
「アハハ。帰っても何もない農村ですから気にしないで下さい」
「そうはいっても……ご両親の反対を押し切って、私がスカウトしちゃったし」
「今じゃ両親にとって、中将は息子のご自慢の上官ですから、気にしないで下さい。
まるで親戚のように中将の事を村中に自慢しているんですから──」
「だってなー。お前のオヤジさんに殴られちゃったし。
あの腕はすごかったよー? 農業で鍛えている腕力!
この私が一発、殴られちゃったんだから!」
これは本当の事で、父も武道家のエリート海軍兵を
一発のしたことを、今でも語りぐさにしている。
随分、昔の話が出てきてマイクも笑い出していた。
「そのオヤジさんの三男坊はさすがだったな。私の目に狂いはなかった」
「……憧れていたんですよ。都会に──ただそれだけだったかもしれませんね」
「お前の眼差しは、なんだかあの時から『野心的』だったよ?」
亮介がニヤリと微笑んだ。
きっとこういう『見定め』が娘の葉月にも遺伝していると思ったぐらい。
「男ばかりの兄弟で三男坊。別に家を継ぐわけでもなかったし……。
あんな田舎で終わりたくなかっただけですよ」
「その『野望』は叶ったみたいだな。次のマイクの野望はなんだろう〜?」
さらに亮介がニヤニヤとしていた。
「特にないですよ。現状維持に精一杯」
何を見透かされたのかマイクはちょっと怖くなって、スッと素っ気ない表情で交わし……
「とにかく──。秘書室の者にも一応、声をかけておきます」
真顔で本題に戻して話を締めくくろうとした。
「うん……そうだね」
パパの『娘を信じる』にマイクは従うことにする。
×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×
朝方、葉月がちょっとだけ小笠原関係の仕事をこなし……
いつも以上に早く……いや? 今にもメンテ本部に行きたいと言った風に
秘書室を飛び出した後……。
そこを見計らって、マイクは後輩達にパーティの事を告げた。
なにもしらない秘書室の後輩達は、思わぬ『イベント』の出現に大喜びだ。
だからといって、マイクの後輩部下。
『お嬢さんに嫌われないように』なんて、ちょっと緊張した所があるので
マイクもホッとした。
それにプレゼントは何が良いかという話で盛り上がった。
マイクは『兄様分』として個人で用意する旨を伝える。
それは後輩達も快諾した。
「ああ、ロビン……」
マイクは一番歳が近い後輩を呼びつけた。
「なんですか? 中佐」
「その後のこの件に関しての『あちら』との取り決めはお前に任す」
するとロビンは『ええ〜』と不服そうに眉をひそめる。
「って……ブラウン嬢と取り決めろってことでしょ?」
「そうだが?」
「おい。イアン……お前がやれよ」
ロビンはマリアや葉月と同世代の若い後輩になすりつけようとしていた。
「無茶言わないで下さいよ!」
イアンはマリアが少将の娘である事もさることながら……
マイクを『振り回した突撃女』と印象づけているのか後ずさっていた。
「とにかく──俺はもうごめんだ」
マイクはそれだけ言い残して、秘書室を出ようとした。
『どうするんだよー』
『先輩の方がいいっすよ!』
ちょっと後輩に申し訳ないと思いつつ……
それでもこれ以上の『波風たつ心』にはなりたくなくマイクは休憩に行こうとする。
少し頭を冷やそうと昼前の休憩に向かう。
一人きりの時は高官サロンは避ける。高官と鉢合うからだ。
だから、一般カフェに向かった。
今ならランチ前で人も少ないはずだった。
「あ、ジャッジ中佐!」
なのに……何故かマリアとバッタリ出会ってマイクは顔をしかめる。
「……どうしたんだい? こんな時間に……」
「ええ。アンディのフライトチームが今訓練を終えて、こっちに来ていると思って」
そっとカフェを覗くと、アンドリューとケビンがチームメイトと『早ランチ』をしている。
(そういう事もあり得たか)
マイクは自分が選んだコースを呪った。
勿論、マリアはすぐに尋ねてきた。
「あの……」
ちょっと怖々とマリアが伺ってくる。
その『間』にイライラとしてマイクから先に言い出す。
「ああ。中将の勧めもあって……秘書室一同、お世話になるよ」
素っ気なく先に応えたのだが、マリアは思い通りになったせいかパッと笑顔をこぼした。
その笑顔は……なんだか憎めないほど愛らしく
マイクはまたもやそんな自分を呪いたくなった。
「有り難うございます! アンディ達もOKでしたので、葉月もきっと喜ぶわ?」
(君が勝手に押しつけているんだろう?)
葉月が喜ぶなんて、勝手な思い込みだとマイクはらしくなくムッとしたのだ。
まったくちょっと葉月と仲良くなったからと、すぐに『姉さん面』なんて!?と……。
「それでは……失礼します」
また──マリアの通りすがりに『ヴァインフラワー』のグリーンノート。
「ちょっと……」
マイクはマリアの細腕をガシッと掴んでいた。
「──!?」
その上、その腕をガッと引き寄せ……人影すくないカフェの廊下壁にマリアを押しつけていた。
「……痛いじゃありませんかっ!」
マリアは驚く以前に、マイクに吠えてきた。
目の輝きが益々増したように、燃えていたのだ。
マイクはマリアの腕をねじ上げたまま、そっと彼女の首筋に鼻を寄せる。
遠くから見ると彼女の首筋に口付けているように見えるかもしれない仕草で──。
「ちょっと! 中佐──!?」
マイクはそれだけすると、ポイッとマリアの腕を払って離れた。
「その香水……職場ではありきたりだなとね。似合っていないし」
「余計なお世話ですっ!」
マリアはすぐにプイッとしてなんだかマイクに対して『好戦的』だった。
その態度にもなぜだか心に波風が立った。
「レイの方が自分にあった香りをつけこなしている」
「!」
マリアがムッとして黙り込んだ。
「まぁ……俺がレイにプレゼントするなら『プチサンボン』
君に選ぶなら……『グランサンボン』かなー」
「──!!」
マリアがまたムッとした顔に。
マイクはニヤリとした。
ジバンシーの『プチサンボン』は子供用に作られたシャボン・オレンジ系のトワレ。
それに関して『グランサンボン』は、その『プチ』の『お姉さん版=グラン』という意味で
作られたちょっとだけ背伸びのお姉さんのトワレなのだ。
勿論……軽めなので大人の女性でもビギナーが使っている事もあるが。
『君は子供だよ』
その意味が……どうやら通じたようだった。
マイクはそのままカフェを去った。
(なんで俺はムキになっているんだろうなー)
徐々に葉月のパーティに出るのが憂鬱になってきた。
「あら……マイクじゃない?」
適当に廊下を歩いていると、またもや女性に声をかけられた。
だが──そこにはブラウスの上に白衣を羽織って
眼鏡をかけている栗毛の女性。
スッとした長い髪を一本に束ねていて涼しげな眼差しの知的な女性だった。
「ああ……イザベル。久し振り」
彼女とは数年前まで付き合っていた元恋人。
もっというと『登貴子の部下』だった。
勿論、登貴子には知られないように付き合っていたが……
たぶん──ママにはばれていると思っている。
「なぁに? 仕事で失敗でもしたの?」
「そんな顔、しているか?」
「ふふ……あなたらしくないからつい声をかけちゃったわ」
「まぁね……色々と……。俺もあるさ」
「ふふ……たまには『私なんか』と、どう?」
「どうって? 食事とか?」
「マイクの食事って……その後の『アフターケア』もあるから気を付けないと」
「それでも良ければ俺から誘うけどね」
「OKと言ったら?」
「そうだな、いつもの海辺のカフェで19時頃待っていてと言うかな?」
「待っていたら連れていってね」
「オーライ……待っていてくれたらね」
ニッコリと落ちついた笑顔で白衣を翻し、彼女が去っていった。
「プチとグランにかかりきりで浸かっていたからな、ここの所……」
マイクは黒髪をクシャリとかき上げる。
今夜は『お口直しとするか』と、マイクはイザベルのスッとした後ろ姿を眺めて
気持ちを落ちつかせようとした。
×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×