4.私生活

 「はぁ。。疲れた……」

春の夕暮れ……隼人が当然車を運転して、葉月を連れて丘のマンションに帰ったところ。

葉月の玄関での一言がそれだった。

内勤ばかりしているせいか、葉月はここの所、帰ると必ずこの一言を吐く。

 

 戦闘機に毎日乗っていても、こんなに切実にこの一言を言う葉月は

珍しく……本当に、疲れた顔をしているのだ。

左肩が不自由なのも精神的に疲れさせているようだった。

 

 「着替えて来いよ。メシ、何にしようか」

これも当然、隼人が作ることになっている。

料理が趣味のような隼人には、これは苦ではない。

だけれども、葉月は『隼人が毎日食事を作る』

これは、今まで以上に気兼ねしているようで、そこで益々……

不自由な左肩を恨めしく思っているようだった。

『そんなに気にするなよ』

隼人は常々、そう言って葉月が気にしないように毎日勤めること半月。

やっと葉月も気兼ねが無くなってきたようだった。

 

 「さっぱりした物が良いわ……素麺とか」

「えらい、質素な物だなぁ……」

和食担当の葉月が手を出せないのを良いことに、隼人はコレを機に和食に磨きをかけているところ。

その隼人の腕前が冴えてきたのが解ってきたのか……

葉月はそうして和食も気兼ねなくリクエストしてくれるようになった。

「天ぷらと食べたい……」

「そうか? 昨夜……付け合わせで使ったアスパラガス使えるかな?

一昨日、残した笹掻きゴボウもあるし、人参とタマネギでいけるかな?」

「あ! 美味しそう♪ 麺つゆと、アスパラガスの天ぷら♪」

葉月が喜んだ所で、隼人も張り合いが生まれる。

「少し手伝うわね! 天ぷら揚げるぐらいやらせて!!」

「……そう?」

少しは動くことをさせてやらないと、逆に機嫌を損ねそうだったので

隼人は別に拒むわけでもなくニッコリ微笑んで置いた。

葉月はそれでやることが見つかったと喜び勇んで部屋に入っていった。

 

 隼人も部屋に入って、制服を脱ぎ春物の紺色の長袖カットソーにジーンズに着替えた。

そのシックなカットソー……登貴子が新たに買ってくれた物だった。

『フロリダに帰ってきてから、亮介さんと見つけました。

どう? 私も隼人君の好み、解ってきたかしら?』

マルセイユでも何着か服を買ってもらったのに……

葉月の事が心配で仕方がないのか?

葉月宛に、また登貴子からの洋服が沢山届けられたのだ。

帰還して一週間も経たないうちに『軍内定期便』でフロリダから荷物が届いた。

その中に、隼人と真一の為の洋服まで入っていたのだ。

そして……もう一つ。

葉月宛にも『言づて手紙』が入っていたのだが……隼人宛にも一通入っていた。

 

『葉月がどうなっているか心配です。どうか、この服を着るように言い含めて下さい』

 

 滑走路から見送るときも、登貴子は隼人に言い含めていったのに

それでもさらに……こうして手紙をくれるなんて。

(余程、気にかけているなぁ)

しかし……隼人は登貴子は心配しすぎだと、最初はたかをくくっていたのだが……。

その心配は『的中』?

葉月が母親の心配通りに、男姿傾向に傾いたから……。

 

 隼人はため息をつきながら、林側の部屋を出ると、葉月も丁度、部屋から出てきた。

肩の釣り包帯は、自宅にいる間は葉月は首から外してしまう。

そして……ここに救いが一つ……。

「どう? ママが送ってくれたお洋服」

基地では女性を惑わす程の凛々しい中佐嬢なのだが……

隼人とお揃いのように紺色の……綿素材のツーピースドレス。

脱ぎやすいように前開きのボタンが付いたキャミソールのようなトップスに、

お揃いのシンプルなスカート、ウエストをリボンで絞るリゾート風……。

同生地で縫いつけた小さなフリルが今年風?と言ったところなのだろうか?

そんな愛らしい恰好に笑顔で出てきた葉月を見て……隼人はやっと心が和む。

 

 そう……この『プライベートな空間』では、葉月は今まで通り……

いや……以前以上に愛らしい姿を隼人には見せてくれていた。

だから……基地内では少年姿でいることだって、さして『重く』捉えていなかった。

だけど……

この日、水沢夫人に釘を刺されて、事は重く捉えるようになった。

 

 「ちょっと、お前には可愛らしすぎない?」

本当は『可愛いよ』といってあげたいのだが。

実は隼人は……

登貴子が選ぶ服の中であまりにも『可愛らしすぎる』物が時々ある事を知っている。

それが、『母心』だというのは解っていたのだが……。

それを葉月は拒みはしないが……。

隼人から見て、葉月に『似合うなぁ!』と感じることが出来るタイプは

『シンプルかつ、クールなシック』で、明るい栗毛と白い肌が映える抑えめの物だった。

それが、今日はその『フリル系』……葉月が選んだのでやや驚いたのだ。

「あ。やっぱり?」

葉月も別にガッカリするわけでなく、素直に笑ったのだ。

自分でも、解っているようなのだ。

ショートカットになると、葉月は『カッチリ』している服の方が大人びるから。

それでも、葉月は登貴子が送ってきた洋服を着る。

それに……そんな可愛らしい洋服はそうは選ばない葉月が

どこかしらそんな頑なさを解き始めているように感じた。

『もう! ママは勝手に送ってくる!』

今までそうだったようだが……

『せっかくママが送ってくれたから着よう』に変わってきているようだった。

「綿だから肌触り良いし……隼人さんしか見る人いないから、いいの。これも着る

キャミソールは肩が出るから……着られないのに。ママどうして送ってきたのかしら?」

「部屋着には丁度良いと思ったんじゃないのかな?

肌触りと着心地と、それから……怪我しているから脱ぎ易さじゃないの?

そうだね。それに似合ってないこともないよ」

隼人がニッコリ微笑むと、葉月も素直に笑い返してくれた。

 

 二人一緒にキッチンに入って、早速夕食作りを……。

キャミソールの肩布からは、左肩を覆っている脱脂綿が丸見えでも……

葉月は隼人の横で、小麦粉と水を入れて衣作りを始めていた。

隼人の横で、不自由な左肩をかばいながら、葉月が一生懸命

小麦粉と水が入ったボウルを氷水をいれたボウルに浮かせて菜箸でかき回す。

「ふぅ……」

「……あのさ……無理しなくて良いから」

「いいの……させてよ」

「……」

こんな時こそ、日頃の忙しさを癒すように休めばいいのに……。

(本当にジッとしていられないんだな)

隼人がそう思って好きなようにさせていると。

「あつ!!」

隼人が切り終わった野菜をボウルに入れて、衣を付けて油鍋に放り込んだときだった。

油が飛んだのか、葉月がサッと身を翻して横にいる隼人にぶつかった。

「おっと……お前、やっぱり向こうに行っていろ! 危なかしくて任せられないよ」

隼人は葉月の右腕を掴んでキッチンから追いだした。

「……ごめんなさい」

「謝るなよ。気にされると俺やりづらいから。

葉月の『勝手にやってちょうだい』が、俺は気に入っているんだから」

「……私だって、ジッとしているの嫌だもの」

「解った。じゃぁ、テラスにセットしてあるノートパソコンに

今日の空軍訓練データーおとしておいてくれる? 隊長だから軍事オンライン開けるだろ?

明日の朝、おとすのと、夜の内におとして下準備しておくのとでは随分進み方変わるから」

「うん! 解ったわ!」

料理よりかは、仕事なら!……と、葉月が喜び勇んでテラスに入ったのだ。

 

 (……ホントに)

テレビでもゆっくり見ていればいいのに……と、思うのだが。

葉月も隼人と一緒で、あまりテレビは見ない習慣がある。

雑誌は眺めるようだが、しょっちゅうではない。

 

 それで、夕食後は何をするのかと言うと……

 

 二人揃って別々のテーブルに向かって『仕事』をしている。

隼人のお気に入り場所は、『テラステーブル』

葉月は、ダイニングテーブルで。

それも、隼人がテラスにいる物だから、せっかくの海が見えるのに

背を向けて集中するという念の入れよう……。

それでも……

中佐室よりかは、和んだ空気の中。

開け放したリビングとテラスの窓から二人で言葉をやり取りする。

 

『ねぇ? 最近、空管の男の子達、仕事早くなったわよね!』

『そうか? あまり気にしていないけど』

『隼人さんがリーダーになってから、気が引き締まったみたい

隼人さん、結構厳しいものね!』

『そう?……』

 

 何処にでもあるような男と女の会話だった。

葉月が話しかけてきて、男の隼人は手元に集中、生返事。

生返事でも男はちゃんと耳で聞き届けているのだ。

こんな時女性はよく言う。

『聞いている!? 私の話!』

だが、そうじゃないところが御園葉月。

隼人の生返事を聞いただけで、また自分も背を向けて書類に向かう。

隼人も気兼ねなく、手元に集中を続けることが出来る。

 

 そうして、早く終わった者が先に入浴をする。

大抵は葉月が先に風呂に入る。

今は片手で不自由そうにして風呂に入る彼女を見かねて……

『頭ぐらい、洗ってやろうか? 背中、流そうか?』

と隼人が言葉をかけると……

『いや! 一人でする!』

そうして、拒まれた……。

『そう? 困ったら呼べよ?』

隼人は葉月と一緒に入浴をしたことがない。

と……いうもの男なら解るかと思うが……

彼女を『襲わない』という保証がないからだ。

例え、怪我をしている恋人といえども、巧みに征してやろうか?

なんてよこしまな心によって彼女に嫌がられると

せっかく上手く行き始めたところを、また今以上に拒まれる可能性があるから。

だから……隼人は心配しながらも、無理押しはしなかったのだ。

それでも……

 

 『隼人さーーん』

葉月が時々、大声で隼人を呼ぶ。

「なに? どうした??」

一応、扉の前で声をかけてみる。

『シャンプー切れちゃった』

「解った、詰め替え持って行くから」

それぐらいは今までは自分でやっていたと思うが、そんな小さな事でも

隼人を呼んでくれるようになったのは、ある意味『進歩』だった。

まぁ……手が不自由な間だけだと思うが。

「ごめんね?」

扉を開けて、葉月が首だけだしてポンプを差し出してくる。

隼人が封を切って、ポンプに詰め替えるのを葉月はジッと眺めていた。

まるで、隼人が男に変身しないか確かめているかのよう……。

「大丈夫かよ? ちゃんと洗えているのか?」

「怪我、慣れているから……髪も短くなったから洗いやすいし」

葉月はそれだけいうと隼人の手からポンプを受け取ってサッと逃げるようにバスに戻る。

彼女が再びシャワーを使う音……。

『なんだかなぁ……惜しい気分』

だからといって、毎日一緒に入るのもどうだかと思うので

それはそれで隼人独りのよこしま心として、除けておく。

 

 片手の入浴は意外と長い。

葉月が出てきた頃を見計らって、もう一度バスルームに入る扉を覗く。

以前と変わらない、スリップ姿の葉月がドライヤーで髪を乾かしていた。

その姿を見ただけで……また、よこしまな心が再起動してしまう物だから

そこで、扉は閉めてしまう。

葉月が、ガウンを羽織って外に出てきて……ダイニングテーブルで傷の手当を始める。

その時は、隼人もテラスから出て手伝う。

「一人でなんでもやろうとするな……少しは手伝わせてよ」

隼人がそういって葉月が片手で切りにくそうにしている脱脂綿を大きめに切る。

「うん……」

赤黒くまだ乾燥していない傷口を見るたびに……

隼人は、また男として自分がいかほどの事を成し遂げたというのだろうか?と思うのだ。

ピンセットで小さな丸棉に消毒液を付けて、

そっと彼女がガウンをはだけさせた肩下の傷口に触れる。

「……っつ」

「染みる? 炎症止めと痛み止めの薬は飲んだのか?」

「飲んだわよ……っつ……」

葉月が一日一回、辛そうな顔をする瞬間。

「早く……傷、ふさがると良いね」

「うん……でも、大丈夫。心配しないでね?」

気分悪そうに、傷口から葉月は顔を逸らす。

消毒液を塗るときだけは、隼人を頼ってくれた。

自分で傷を見るのは嫌というような……そんな雰囲気を葉月は漂わせている。

隼人が犯人に階段で銃で狙われたとき、葉月がかばって負った左腕の傷にも同じ事をする。

その腕にも脱脂綿を貼って、包帯を巻いておく。

「先生は、二ヶ月すれば腕も思うように動くって……今日の診察で言ってくれたわ」

今の葉月の主治医は、隼人は会ったことがないが

昔なじみの『外科の老先生』だということらしい。

『老先生』と来て……葉月も警戒がないらしく、隼人も不安なく任せていた。

 

 肩下……そして貫通した背中側の肩。両方に脱脂綿を貼って包帯を巻く。

乾かし立ちのまだしっとりとしている栗毛が、

短くなったとはいえ、妙に色っぽく葉月の頬を覆っていた。

肩をはだけさせた肌から、入浴後の香りが……悩ましいのに。

そんな痛々しい傷を見てしまうと、こんな時は全然、欲が湧かない隼人だった。

 女性の葉月が念入りに入浴を済ませた頃には、隼人も業務下準備は終わる。

『お先に……』

葉月がいつも通り……早めの就寝にて寝室に姿を消して……

隼人一人の『男の時間』が始まる。

風呂に入って、そして、またテラスでビール片手に涼む。

ネットをしていたり、フランスの友人にメールを出したり……仕事の見直し。

色々だ……。

 

 『その後如何でしょうか?』

隼人は雪江にこまめにメールを送っていた。

だが……返事は返ってこないが、悲報も届かない。

でも……ジャンから『意識が戻った!』とのメールが一度だけ届いた。

その時、葉月が泣き崩れたのは言うまでもない……しかし……

『だが、とてもじゃないがまだ歩けるとか動けるとかではないらしい』

ジャンの報告。

それでも、葉月は康夫のことだからきっと、復帰すると信じ切っていた。

元気に……そう言いきる。

そう信じることしか今は出来ないと言った所なのだろう……。

隼人も同感だった。

 

 そして……隼人はもう一件……メールアドレスをクリックする。

新しいメッセージのダイアログが飛び出す。

本文に……カーソルを持っていく。

『康夫の意識が戻ったそうですね。もう、そちらにも知らせは届いていると思うけど。

君はどう? こちらは、相変わらず訳の解らないじゃじゃ馬が変な事になっていて……』

そこまで打ち込んで……『閉じるボタン』を押す。

『このメッセージを保存しますか?』

そこで躊躇って……『いいえ』を隼人は選んでしまう。

 

 『どうしているかな? 達也……』

なんでだろう? 葉月の事を知らせると彼がどんな気持ちになるか……

それを思うと出したいメールも出せないのに……

なのに、彼に葉月の事を知らせたい……。

でも……

『ゴメン……まだ、君の離婚のこと……話せる雰囲気じゃないよ』

まだ……葉月には知らせていなかった。

葉月は達也のことはまた以前同様に『遠くで頑張っている同僚』として

日常ではそう彼の存在を外に出すことはない。

むしろ……意識しているのは、気にしているのは……

近づきたいと思っているのは隼人の方だった。

隼人がメールを送らないと達也は隼人のアドレスを知らないから来るはずもない。

隼人は……そうして時々、達也宛にメールを打ち込んで躊躇って……

ノートパソコンの扉を閉める。

 一応、寝る前に葉月の寝姿を確認しておく。

気分によって、黙って彼女の横に寄り添う日もあれば

林側の自室で気兼ねなく寝る日もある。

彼女が寝付けない様子を確認すれば、大抵は横にいるようにして

本を読んでみたり、少しばかり雑談をしたり……

葉月がその気なら、彼女は目を覚ますか、起きている……。

大抵は『週末』が節目で、その時に……肌を合わすことがほとんどだった。

 

 でも……今は……。

「眠れない?」

葉月は大抵起きている。

訓練がないから、葉月もやや遅寝の習慣が付きつつあるようだった。

それでも、彼女は早めにベッドに入って……まるで隼人を待っているようだった。

 

 隼人はいつものように、葉月の横に入る。

今、本は葉月のベットサイドに置いていた。

本を手に取ると……

「この前ね? 夢に……おばあちゃまが出てきたの」

「スペイン人の? 栗毛のお祖母さん? 会ってみたかったな」

隼人が本を読みながらそういうと葉月は、寝たままニッコリ微笑みかけてくる。

「どうしてか解らないけど。おばあちゃまが……」

そこで葉月が言葉を止めて暫く黙り込んでしまった。

隼人は不思議に思って、本のページをめくる手を止める。

 

 「どうしたの?」

「……怒らないでね?」

「……何を?」

葉月がまた黙り込んで、天井をジッと一人で見つめていた。

「どうしてそんな夢を見たか解らないんだけど……」

「うん……」

「おばあちゃまが……『あの男』を連れてきたの」

「……『あの男』?」

「……あの黒い犯人の男……」

隼人は葉月がそんな話を始めたので……驚いて本を閉じてしまった。

 

「葉月……マルセイユの休暇中も俺言ったと思うけど……

『早く忘れるんだ』……俺、あの時の事は気にしていない

葉月が手元に戻ってきただけで、充分だから……だから、お前も気にしちゃいけない」

隼人は葉月の短くなった栗毛に手を当てて……そっと葉月を見下ろした。

 

 『心のケアからしてあげて……』

 

 水沢夫人の言った事をこの日はかなり意識していた。

そんな時に葉月がこんな話を始めた物だから……

まるで『言い聞かす』ように葉月に向かって真剣に呟いたのだ。

でも……葉月がそっと首を振ったので隼人は訝しむ。

 

 「違うの……あの男ね? おばあちゃまと一緒に来て……

私に頭下げていたの……ずっと頭下げているの……

それで、おばあちゃまが連れて行っちゃった」

 

 「……『詫びに来た』? って、こと?」

隼人は眉をひそめて、また葉月の顔を見下ろした。

「……うん、私はそう感じたの……おかしい??」

 

 隼人は『また、この子は……』と、息が止まるかと思った。

そう、『山本少佐』の時と一緒だった。

『そんな心の旅、俺には我慢できないね』

隼人はあの時のデイブの言葉を急に思い出した。

 

『そこが、嬢の『おバカ』で『甘い』所なんだよ。呆れるぐらいにな!

嬢が一番望んでいるのは……相手が心から反省して詫びる事じゃないか?』

 

『俺はアイツの幼児体験の『本音』ってヤツはさすがに聞いたことないから想像だが。

痛めつけたって……恨みを返したって……姉貴は戻ってこない。

その虚しさがどんな物かアイツは誰よりも良く解っているはずだ。

争いの向こうに何がある? 何もない。だけれども消えない怒り。

俺には、我慢できないな……そんな心の旅』

 

 ああ……そう。

葉月はそうして相手が心から詫びてくれればそれでスッと終わりたい。

そう思っている。

だが……詫びてほしい相手はもうこの世にいない。

そして、天国にいる祖母が連れてきて……

『この子に謝りなさい。そうしたら、すべては真っ白……私と行きましょう』

葉月の話の中で……姉以上に『レイチェル祖母』が葉月の中だけでなく……

御園一族の中で『偉大な存在』である事は隼人も常日頃感じることは出来ていた。

その偉大で大好きな祖母がそうしてくれたから……『忘れられる』

そう心の奥底で葉月は描いて……

深層心理によって『夢』に現れた。

だから……

 

「じゃぁ……葉月も気が済んだね?」

「笑わないの? 呆れないの?」

「俺が決めつける事じゃないよ。葉月の心の中の問題で……

葉月がそう割り切ったなら、何も言わない。

割り切れないなら、一緒に割り切れるよう糸口を見つける手伝いはするけど

最後に糸口見つけて自分自身でほどくのは本人だからね」

「…………」

きっと、山本少佐の時と違う反応をした隼人に葉月は戸惑っているのだろう?

 

 だが……隼人はあの時と違う。

『俺は新参者なのか?』

デイブの方が隼人より葉月の心情を見抜いていて悔しかったあの頃とは違う。

やっぱり、あの時は新参者だった。

でも……『御園葉月』の苦しみが一緒に暮らしていく内に徐々に解ってきたから。

葉月が『謝ってくれたらそれでいいの……』

それで、自分が傷ついたことは何とか忘れようとしている事。

心の中でそう願ったことが夢に現れたのだと思ったから、

あの時みたいに……呆れたりする気持ちは今回は湧かなかった。

 

 「深層心理が夢を見せるって知っている?」

隼人は葉月の栗毛を……小さくなった頭を撫でながらそっと顔を見下ろした。

「うん……聞いたことはあるわ?」

「そいつに謝ってほしかったんだ……」

隼人は葉月の髪をさらに撫でながら……顔を上から近づけた。

眼鏡のフレームが葉月の鼻筋に当たる。

「……別に? でも……なんだか哀しそうな人だった」

「……そう?」

あんな得体の知れない男をそうまで例えて、嫌な男に触られたんじゃない……

そう思い込もうとしているのか? と……隼人は今度は一瞬……

葉月の『甘さ』にムッとしそうになったが堪えた。

「……嫌な男だったけど、なんだか寂しそうだった。

私を迎えに来るって……い……って……」

それ以上は聞きたくなかったから、隼人は葉月の唇を塞いだ。

 

 「えっと……隼人さん……」

その時、葉月が戸惑う声を漏らしたとき……隼人はもう葉月に覆い被り……

髪が短くなり、露わになってしまった白い首に吸い付ていた。

葉月が戸惑うのも無理はないだろう。

いつも『週末が節目』の隼人が、ここ半月、二日と開けずに葉月をこうして抱いていた。

別にその得体の知れない黒い犯人男のせいじゃない。

あんな男、意識する方が馬鹿げている。

そうじゃ……なくて……。

葉月が変に……『変わった』からだ。

 

 『さぁ……扉を開ける時間だ』

隼人は心でそう葉月に呪文を投げかける。

「最近……どうしちゃったの??」

「いやなら、やめる」

「…………」

なにも返事は返さない葉月……。

 

 『情熱』……その風がそっと葉月の白い肌の上で、吹き始める。

隼人はそれを感じて、心に熱風を巻き起こす。

その熱い風で……彼女の氷の瞳がどう溶けるか?

それを……見届けた……。

あの夜……そして、今夜も。

 

 誰も知らない『情熱』

その時間が、夜のとばりが降りるように……

二人を誰も知らない蒼い幕の中へと包み込む時間……。

 

 それが、今から始まる。