・・Ocean Bright・・ ◆ウサギ覚醒◆

TOP | BACK | NEXT

13.心の血潮

 正常に戻った物の……どこか葉月の指先は、まだしびれているかのような? そんな僅かな震えが残っている気がした。

『嬢──戻ってこい。着艦命令だ』

 細川のいつにない案ずる命令にも『最後の挨拶飛行まで絶対にやり遂げたい』と我を張った。
 当然──細川は毎度の叱り声で、なんとか葉月を連れ戻そうとしたのだが……どうした事か、急に自ら声をすぼめたのだ。

『……コリンズと最後だな。あそこまで墜ちて戻ってきたお前だ。大丈夫だと信じているぞ』
『イエッサー』

 細川の諦めた静かな声──。
 そうして葉月は再びデイブの機体と並ぶ事が出来た。

『嬢──最高の結果を有り難う』

 いつにないデイブのしんみりした声が届く。

「私も……デイブ中佐に話したい事があるわ」
『話したい事?』
「そう……私が命知らずでパイロットになった訳……」
『ふーん……なんだろうな?』

 デイブは解りきったように笑っていた。
 葉月はきっと……この大人の先輩は『ずっと判っていて見守っていてくれたのだ』と気が付いたのだ。
 言葉で葉月に伝えようとした事も、真っ向からぶつかって教えようと必死になってくれた頃もあっただろう? きっと──この夫妻が揃って葉月に向けた『ビンタ』がそれだったに違いない──なのに『私の心は何も感じようとしなかった』し、『殺してくれ』だなんてとんでもない事をサラに吐いていた事を葉月は思い出す。
 こうして──葉月自身が『自分自身で得ていくしかない』と夫妻は……言葉でもない、ぶつかり合いでもない……『長い目で見守る』というもどかしいスタンスで、葉月をずっと見捨てずに見守ってくれていたのだ──!
 そんな事が鮮明になり気が付くと、さらに涙が溢れそうになる。
 ここの所の……敏感な心の琴線に、もろに触れたかのように……響いているのだ。

 それでも葉月は、グローブで涙を拭って、しっかりとスロットルを握った。
 この最後の挨拶飛行──また高官棟を目印にした来賓席上空の飛行を終えたら、空母艦に帰れる。
 そう思って、まだ気だるい身体を奮い立たせるように息を吸い込みデイブとの速度を合わせ滑走路上空に差し掛かった。

 そこにはまだら色のように人々が沢山集まっていて……白い布が揺れている来賓席も見えた。
 手を振っている来賓客、一般観客──沢山の人が空を見上げている。

 それだけで、もうデイブからの言葉も無ければ、葉月もなにも言葉が浮かばなかった。
 これで最後だという『感傷』も心の隅ではうずいているのに……まだ、明日も一緒に飛べるね……と、いう感覚の方が大きい。
 それに──ここで言葉を交わしたら、本当にお互いにグズグズに崩れてしまうかも知れない。
 それでなくてもデイブは、こういう事には変に涙もろいし弱い、そして、葉月は『思春期のような敏感時期』だ。

 だからだろう──最後に並ぶこの飛行は。
 あれだけの極限に挑んだ私達の『成功』がつい先ほどあり、葉月は最大の危機から帰還したばかりだというのに……とても『静か』だった。
 二人で、いつも味わってきた空の風景を……一緒に味わっている。そんな感覚だった──。

『御園……ビーストーム2が一番着艦だ──』
「ラジャー、総監」

 高官棟を抜けて、島奥の山頂を起点にUターン旋回をし、海上を目指し始めると、そんな細川の指示が届いた。
 今度は大人しく従った。

『嬢──身体はなんともないか』
「はい。大丈夫です」
『はよ、戻ってこい』

 だが──やはり胸のあたりは妙な不快感を残している。
 まぁ……あれだけの無茶な再トライ飛行と、急降下危機をいっぺんに体験したのだ。
 さすがの葉月も無理もない……と思いながら、頭重まで感じ始め、視界に現れたプラモデルのような空母艦を目指す。

 プラモデルのように小さかった空母艦は、すぐに雄大な鉄の要塞のように近くなる。
 上空を旋回し、着艦フックを降ろし、着艦体勢に入る。

 そこには──誘導灯を振って、方向を提示している隼人の姿があった。
 灰色の滑走路には転々とした誘導ランプがまっすぐそのラインを縁取り……それが彼がいる位置までずらりと並んでいる──。

『おめでとう……お前は今、生きているんだ』
『生きる事をお前は今……選べたんだよ』

 彼の囁きが聞こえる──。
 いつも彼の囁きは、葉月の『道しるべ』だった。
 ちゃんと音で聞こえる道しるべだった。

 小さなランプ達が『あそこだ、あそこだ、ここだよ』と囁くように瞬き……その彼がいる所まで案内してくれている。
 高度を下げながら……着艦という感覚がいつもの感覚なのに……。
 今日は、まるで──その胸元に飛び込むかのような感触だった。

──ドンッ!──

 機体が滑走路に着陸した感触──そしてフックにワイヤーがかかる感触──。
 その感触で、彼の胸元に飛び込むかのような感触から、着艦という感覚へと我に返った──。

『お帰りなさい! 御園大佐──!』

 数々の歓迎の声──。
 帰還を祝う声──。

『お帰り……葉月』

 沢山の声が混じる中──そんな聞き慣れている穏やかな声が混じっているのを葉月は聞き逃さなかった。

 フッと目を閉じる。
 そこはもう灰色の甲板だったけど……何か大きな物に包まれ、帰ってきたという暖かい感触が葉月を取り巻いている。
 そっと──葉月も微笑む──。

 だが──葉月は、すぐに哀しくなる事を自覚し始めていた。

『兄貴に会うんじゃなかったのか!? このまま、会えなくなってもいいのか!?』

 あの声で、葉月の縛られていた力が解放された事を──忘れていない。
 そして……きっと隼人も……同じ事を感じているだろう──。
 微笑みは、すぐに消えてしまった──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「皆、ご苦労。本部から再々『見事の一言に尽きる』との連隊長からのお言葉だ。望んでいた以上の結果を得られたと私も思う。まぁ……いつもの如くの『アクシデント』はあったが……良いだろう?」

 皆が無事に着艦し、細川の前に整列をした所だった。
 細川の全員に対する労いの言葉……そして『良いだろう?』と言った後、彼はチラリと恨めしそうな視線を葉月に向けてきた。
 葉月は僅かに肩をすくめ、視線を逸らしてしまったが……あのおじ様がその後、ちょっとだけ優しく微笑んでくれたようにも見えて、首を傾げた。

「この後、来賓客が昼食会になり、そこでお前達のお披露目がある。そこで……ま、経験者であるお前達には、もう分かっていると思うが? 航空ショー参加記念のバッジが渡される──遅れぬように、陸に直ぐ戻ってくれ」
『イエッサー!』

 細川のいつもの短い総評──甲板では短く、長い説教はいつもミーティングとなっている。
 この日も同じく……で、細川はそれだけいうと、訓練側近の梶川少佐を伴って、陸に戻る為に艦内に消えてしまった。

『……』

 チーム内に……一時、そんな沈黙が漂い、誰も動こうとしなかった。
 いつもなら……ここですぐに賑やかになって『ランチへ急ごう!』とばかりに大はしゃぎで陸に帰ろうとするのに──。

 そう──デイブとの、キャプテンとの最後の飛行であった事、それについて細川が何も触れなかったから……なにも挨拶がないのかという拍子抜けしたような空気が漂っていたのだ。

(おじ様の事……キャプテンがそういう雰囲気を望んでいないと分かっていたんだわ)

 葉月には細川の考えている事が分かっていた。
 自分がそんな悪く言われる上官でも構わない事ぐらい……あの怖いおじ様はへっちゃらなのだ。
 『コリンズがコリンズらしく自分でまとめるだろう』──と、言う……そんなデイブの性格を分かっているのだ。
 葉月にも分かる──。最後の挨拶飛行でも、デイブはこれが最後、最後と叫き立てるような事もなければ、感極まったしおらしい感動の言葉すら吐かないのだから。
 その証拠に……。

「さ。行こうぜ! 俺達もちょっとは豪勢なビュッフェランチに混ぜてもらえるそうだからさ! ま、お偉いさんに笑顔振りまくのは好きじゃないけどな。ちょっとの辛抱だ、行こうぜ♪」

 ……やはり、いつも通りの率先で、階下にある『連絡船乗り場』へと皆を連れ立っていこうとしていた。

「そ、そうだね……なんかなぁ、お嬢に驚かされてホッとしたら腹減ったな!」

 そして、デイブの事は一番ご存じのフランシス大尉が、デイブに続けとばかりに明るくデイブの隣に並んだ。

「本当、本当──まったくお嬢には毎度の如く、寿命を縮められるわ!」

 その次はリュウだった。
 彼も黒髪をかきあげ、ふてくされた様子で歩きだす。

「あら、ごめんなさい。でも、肝を縮めたのはリュウの勝手だからね」

 葉月も主要陣の男達が、いつも通りに茶化して動こうとしているのに合わせた。

「ああ……ほんと! 腹減った!!」
「うん! なんだかバカバカしくなってきたな! お嬢があんな事になってケロッとしているのも毎度の事じゃないか!?」
「そうそう! 一時ハラハラしていっつも終わりだ! あっと言う間に平穏になっているんだ!」
「バカ娘──! 誰も心配なんかしてないぜ!」
「なんですって? まぁ──いいわよ。こっちだってそんな事、期待していません」
「なっ! 見ろよ。この小生意気な態度!」
「ほんと、バカバカしい」

 後輩のマイケルに、黒人先輩のスミスも──通じたのだろう、いつもの通りの賑やかさで、葉月をつつきまくりながら付いてくる。
 それにつられるように全員がホッとした顔……そして空気を読みとったのか、いつもの様子で艦内に入った。

 海面に位置する階下まで鉄階段で下りる──。
 連絡船着艦の搭乗口まで辿り着くと、特別に用意されている連絡船に細川と梶川が先に乗船し出発した所だった。
 高官と一般隊員は別船という事になり、次には、フライトチームを乗船させる船が搭乗口タラップに近づいてくる。

 艦船の目の前の海はユラユラと……波が凪いでいてもいつも揺れて見える。
 安定感がないように見えるのは、連絡船である小船が遊覧クルーザーのように小型であるからよけいに波に揺られて見えるのだ。

「……?」

 海なんて──日常に寄り添っている存在だ。
 それが『海兵員』の最低条件のように──。
 たとえ、航空員でも海軍とくれば海との関係は切っても切れない。
 船酔いに飛行機酔いなんて……パイロットは、体調がよほど崩れていなければ無いはずだ?
 少なくとも葉月はそうだ……なのに?

「……?」

 タラップを伝って、デイブが連絡船に乗り込む姿が……ゆらゆらと揺れている。
 デイブと笑いながら、彼の後ろをついていったフランシスの姿も、ぐらぐらと揺れている。
 気が遠くなるとか……そういう気分ではなかった。

「嬢──!?」
「……」

 気が付くと、側にいたリュウが葉月の顔を覗き込んでいる。
 それも……彼は地面の鉄板にひざまづいている?
 そう……葉月は胸を押さえて、座りこんでいたのだ。

「どうした?」
「キャ、キャプテン……」

 次の瞬間には……先に乗り込んだはずのデイブが葉月の側にいた。
 葉月がなんとか顔を上げると、そこには金髪で青い瞳の『お兄さん顔』が、いつも以上に真剣な顔で見下ろしている。

「顔色が悪いよ」

 栗色の口ひげ……デイブと年が近い、控えめの大人の男性。フランシスがサッと葉月の額に手を当てている。

「冷や汗をかいているじゃないか? お嬢……どうした?」
「すごく……胸がムカムカする……」

 次の瞬間だった。
 葉月は場も構わずに、嗚咽を吐き始め、彼等が集まっている足下に粘りけがある透明な胃液を少々、口から吐き出してしまっていた。

「お嬢……やっぱり、お前、無茶しすぎなんだよ!」

 次にはリュウが背中をさすってくれている。
 だが──葉月は立ち上がり、サッと海面が近いタラップに走り寄って……。

『ゴホッ……ウゥェッ』

 海面に向かって、同じように嗚咽を繰り返した。
 元々、食べ物は朝から食していない為、液体しか出てこない。
 潮の匂いがきつく……もう一度、嗚咽を激しく繰り返した。

『はぁ……はぁ……』

 胸をさすって、なんとか落ち着いた時──。

「きゃっ!」

 海面がフワッと下へと遠ざかり、身体が軽く宙に浮いた!?

「流石のお前も、各所器官、狂いが生じたな」
「キャプテン──」

 デイブに抱き上げられていた。

「さぁ……帰るぞ」
「ラジャー……」

 メンバー達が動揺している中、デイブは涼しい顔で連絡船に再度乗り込んだ。

 船室内は、両サイドに木のベンチが備えてあり、五人、五人で分けて座るともう一杯になるベンチだった。
 そこに皆で別れていつも座る。
 大抵は、葉月の隣は、一番の大人であるデイブとフランシス──。
 そしてリュウや後輩のマイケルといった感じで、向かいのベンチには他のメンバーが寄り添ってわいわいと騒ぐのだ。

 今日は……その一つのベンチに葉月が寝かされた。

「も、もう……大丈夫」

 他の男性達が座れなくなるのを気にして、葉月が起きあがろうとしても『バカ野郎』と皆にまるで身体を一斉に押さえ込まれるように、寝かされた。
 男達の手が一斉に自分の身体に向かって来たのには、流石に葉月も驚き青ざめ……もう少しで声を上げそうになったのだが──。

「こら! お前達!! 騒ぐなっ!」

 その前にデイブの声が大きく響き渡った。

「ご、ごめん! お嬢……つい!」
「わっ! なんだよ! マイケルまで!」
「リュウだってお嬢に飛びかかっていたじゃないか!?」

「……?」

 何故か? フランシスを始めとして、いつものベンチメンバー達が顔色を変え、サッと葉月からあからさまに退いていったのだ?

「嬢──悪いな。嫌だろうが、こうすれば少し楽になるだろう──どうしても嫌なら、やめるからな」
「!?」

 デイブが葉月の頭を、自分の腿の上……膝枕で乗せてくれたのだ。

「あ、あの……」

 連絡船がエンジン音を唸らせ、海原へと出航していた──。

 寝ている葉月の頭上には……心配そうに見下ろしているデイブの顔。
 いつもどこかで頼っていたのに……葉月は隼人にいつも叱られるぐらいの『無礼な対応』で接しながら、毎日どつき合っていた。
 そしてデイブも──そんな葉月の生意気さにムキになっては、まるで『弟』のような乱暴な扱いも厭わない勢いで、『対等』に付き合ってくれていた。

 そんな彼が……男として葉月を心配している麗しい眼差しに、葉月は初めて女としてドッキリとして視線を逸らした。
 でも──今度は足下に視線を逸らすと、葉月の為に立って乗船している他のメンバーが、やっぱり……デイブと同じ目で葉月を心配そうに見守っている。

「ど、どうしちゃったの? 皆……やだ。もう、大丈夫だし……」

 いや? ちょっと動けばまだ胸がムカムカするし、胃はぐらぐらしている気がした。
 いつもの意地っ張りで、起きあがる事は出来そうにない……。
 その上……デイブの大きな手が、小さな汗玉を浮かばせている葉月の額をスッと柔らかく撫でていたので驚いた。
 元気だったら、葉月は飛び上がっている所だ。
 それぐらいの……優しい男性の手に葉月は戸惑いを隠せない。

 だけど──どうしてか? 戸惑いの後には心地良さが残る。
 デイブの膝は安定していて安心感があるし、手は温かく、ホッとする。
 船は揺れているけど、彼が緩和してくれているように感じていた。

 葉月が起きあがろうとみせても、そっと大人しくなったのを見計らったように……デイブがメンバー全員を見渡した。
 そして──彼はたたずんでいるフランシスとリュウを見据えた。

「マーク、リュウ……後は頼んだぞ。お嬢の事もだ──」
「ああ……勿論だ。デイブ」
「分かっているよ……キャプテン」

『!?』

 なんだか分かりきったような彼等の『頼む、頼まれた』に葉月は驚いて……デイブを見上げて、そしてフランシスとリュウを見つめた。

「他の奴らも……分かっているな。お嬢は、今日のような結果を確実に残していく、残していける実力をもっている『上官』であると」
『イエッサー』
「そして──そうとはいっても、このように俺達とは身体が異なる女性であると。最後の最後……女性だという事だけは、心の片隅で絶対に捨てずに守って欲しい」
『イエッサー!』

 皆がそこを強く……同意する声、それも葉月には怖いくらい揃いすぎていてる声だった。
 葉月は……デイブの膝の上から、彼を見上げた。
 彼は葉月の色々な事を、初期から知っているから……こういう事を言うのは、違和感がない。
 だが──そして葉月は……また、フランシスとリュウと見つめた。
 デイブと何か通じ合っているような? 分かりきった『了解』を確固たる顔で応えた彼等の返事には……葉月は違和感を持った。

 先程の……葉月の身体に必要以上に皆の手が集結した時の、皆の驚きと、引き際。
 そして──デイブの『女性』としての扱いを引き継ぐ意志の掛け合い。

「……大尉達、知っていたの?」
「!!」

 寝たままの姿勢で、首だけ起こして問う葉月に……彼等があからさまに反応したので、葉月は驚いた!
 その勢いで、葉月は起きあがってしまった!
 そしてデイブに振り返る。
 だが……デイブは真剣な顔つきで、動じていなかった。

「俺は何も言っていない。誓ってもだ……。ただ、奴らが、何かしら『勘付いていた』のは……確かだな」
「!?」

 葉月はまた……驚いて、フランシスとリュウを見据え……リュウの背後に隠れてしまった後輩のマイケルもみつめた。
 マイケルもなにかしら……葉月を避けるかのように? 恐れるかのようにいつもは意地張り合いの先輩の陰に隠れてしまったのだ。

「マイケル?」

 フランシスやリュウは、チームの主要陣であって、葉月の先輩でありそこは口が堅かったり、葉月でも適わない強固な姿勢を貫き通す所がある。
 こうして何かが判明してしまっても、絶対に『お互いに明かさない』という姿勢を葉月は感じた。
 だが──ことある毎に、面倒を見てきたマイケルは違う。
 彼は、葉月にはやや弱い所があるから、葉月の視線を恐れて、先輩の陰に隠れたのが分かったのだ。

「……誰だって言いたくない事はあるよ……お嬢」

 だが、マイケルが弱々しく言ったのは……それだけだった。
 しかし……リュウが腕を組み、溜め息をつきながらこう言い出した。

「最初は馬鹿な『世間知らずの格好つけな生意気お嬢様』が来て、引っかき回してくれていると、俺……かなり腹立っていたよ」
「リュウ……」

 確かにそうだった。
 彼は葉月より先輩だが、葉月がこのチームに入隊した途端に、この若娘に次々と先を越されていった。
 彼は完全なるデイブ派で、デイブが最初、葉月にきつく対抗している時は、彼も一緒になって葉月に辛く当たっていたくらいだ。
 それが──デイブがある時を境に、徐々に対応の仕方を変えてきてから……彼の様子も徐々に軟化し、今の信頼関係に至っていた。

「お前が、『本当は男が大嫌い』という事も……途中から判っていた。なにか俺達と出会う前に、人には言えない酷い事があったのだと……俺はそう思える様になる程の、お嬢の尋常じゃない『憎しみ』を糧に生きているかのような? そんな『鬼』のような部分が見えるようになって……さ。だから──ただの命知らずじゃないと思っていた……」
「!?」

 リュウの……まるで告白するかのような小さな囁きに、葉月は予想通りとは言え、やっぱり驚いた。

「そうだね……いつからか、俺達に心は開いてくれるようになったとは思っていたけど、どこか……一線引かれている気は、今でも消えないね。勿論──女性だからだとも思ったけど、日頃のないげない仕草や交流の中で、お嬢が、フッと俺達に小さな嫌悪感を抱いている事も……」

『──』

 フランシスの少し残念そうな顔。
 いつか……葉月は彼に? そんな態度を示していたのだろうか??

「俺も……! 言えない事はあるよ? お嬢! 俺もさ──ガキの頃、母親が連れてきた義父に結構な暴力振るわれてさ! 今でも、そいつの事! 夢に出てきて嫌な思いをするし! ああ、でも! もう別れてくれたけどね!!」
「──!!」

 マイケルが何か……慰めるように叫び出す。
 だが、あの明るくさばさばして、端正な顔の作りで女性達にも人気があるマイケルの……そんな過去に葉月は衝撃を受けた。

「俺もある。親が韓国からアメリカに商売の場を移した時……ガキだった俺は……あの当時、アメリカに馴染む事は同じ東洋人のお嬢には、難しかった事はわかるよな? 結構、馴染まない事で屈辱的な排除行為に傷ついた事もあった──」
「……」

 彼等の幼少期の『心の傷』──そんな事を聞くのは初めてであって……誰でもそういう部分はあるだろうという理屈は、葉月の中にあったのだろうけど……存在していたのだろうけど……生まれて初めて人から聞いた話のような鮮烈な衝撃が揺さぶった!

「こういう話を聞いて、お嬢は……『誰でもそういう体験はしているのだ』と思っているだろうけど。俺はそうは思わない」

 リュウとマイケルの体験談にそっと静かな口調で滑り込んできたのは、フランシスだった。
 そして、まだ、彼が何も意見を言っていないのに、言う事が判っているかのように、リュウとマイケルが先に頷いている。
 それを見て、フランシスが葉月に向かって見つめてくる。

「マイケルも、リュウも……そしてここいるどの男も、何かしらこう大人になるまで何かで傷ついているもんだよ。だけど──それを上手く自分の中で憎しみや悔しさ、屈辱感を克服していく力が徐々に備わってくるんだけど……お嬢は、それが出来ない程の事があったんだろうと……」

 そして……ついにフランシスが、『禁句』を言ってしまった!

「……『肩の傷』……デイブは幼少期の事故での他愛もない傷だと言い張っているけど、違うね? それだろうね? 原因は……。その傷は、一目見た時でも、とても痛々しく……まるでお嬢の心の傷のようにも見えたし、叫びにもみえたよ……。とてもじゃないけど、事故でないのなら……知る事の方が怖かったよ」
「──!!!」

 彼の静かな……葉月を絡め取るような静かな視線!
 それから……とても逃げられない程に葉月は捕らえられてしまっていた!

「……」

 デイブは起きあがった葉月の横で……そっと黙っている。
 今までだったら──そう、葉月の傷の事はロイに頼まれている手前、何が何でもかばい、言いつくろってきたデイブだったのに……!

 フライトチームの彼等とは、昔は就寝を共にする訓練を良くした物だ。
 その時、入浴はちがえど、ちょっとした事、ちょっとした着替えの時に、薄着になった葉月の服の下、そして、タンクトップス姿になってしまった時に、多々目に触れてしまわれる事はあった。
 とりわけ、当初から一緒にいる『先輩兄様』や、一番歳が近く仲が良く、よくタッグを組まされたマイケルには──。
 その傷を目にしていないメンバーもいるが……皆、何かしら判りきっているかのように……静かに葉月を見つめている!?

「……ただ、それだけだよ。別に、お嬢の全てを知っているわけでもないし、デイブは何も白状してくれないし、その全てを教えて欲しいなんて、誰も思っていない……」

 フランシスはそういうと、そっと背を向けて、窓辺の海原の景色に視線を馳せ……黙ってしまった。

「もう、横になったら? また吐くよ……これから来賓客にご挨拶なのに、キャプテンの衣装が『ゲロ』まみれじゃ、格好付かないし」

 マイケルが急にケロッとした顔で……葉月から視線を逸らした。

「あー俺も腹減ったな。ビュッフェなんて気取った料理じゃなくて、かーるくジャガイモの“ちぢみ”と、いつものキムチが食いてーよ」

 リュウも途端にさばさばとした様子で、黒髪をかきあげ、壁にもたれかかってしまう。

「おっ。リュウのちぢみは美味いんだよな〜!」

 向かい側で黙っていた、いつもは騒々しいスミスも……妙な明るさでリュウに笑いかける。

「そうそう、俺もリュウ大尉が自分で漬けたというキムチ……結構、好物なんですよ! おかゆも美味しい!」
「また、国で新しい冷蔵庫が出たら買うんだ。あれだけはな……やっぱ自分で漬けた方が良い。俺は平井の母ちゃんの野菜の漬け物、好きだよ。お前の母ちゃんが、小笠原に来てさ……つくってくれた『ちらし寿司』もあれ……美味かったな〜!」
「あはは! おふくろに、また大尉に作ってくれように言っておきますよ!」

 同じ東洋人である平井とリュウは、先輩後輩で……そんな付き合いをしているようだった。
 葉月も……リュウが自分で国の料理を手がけている事は知っていて……何度も彼自家製のキムチをいただいていたし、美味しいので楽しみにしていた。
 それ程の交流をしていたのに……こんな話に発展したのは初めてだった……。

 そこまで触れても……やっぱりいつも通りに茶化し濁してしまう彼等の『明るさ』──いや? 『気づけなかった優しさ』?

「私──……!」

『お嬢?』

「私──ごめんなさい……皆の事、本当は大好きよ……でも……それを上手く伝える事が出来ない……!」

 途端に葉月は顔を覆って、泣き出していた。
 いつも涼しい顔をしている『無感情令嬢』の葉月が……声を裏返しながら泣き始めた姿に誰もが唖然としていた。
 だが……デイブだけは違っていた。

「いや……それすらも。こいつらはちゃんと分かっているし……お前の気持ちも知っているよ」
「違う……私は、皆を粗末にしていたんだわ!」

 デイブは、途端に火がついて暴れ始めた葉月の感情をなだめるかのように、肩を優しく包んでは、さすってくれていた。

「粗末だなんて……俺の言い方が悪かったかな? ちゃんとお嬢に明るい気持ちにさせてもらった事だって……たくさんあるよ」

 『小さな嫌悪感を仕草で感じた』と言ったフランシスが困った顔で、狼狽えている。
 だが──そんな事でなく、葉月は……急に燃え上がった心の勢いに逆らわず、制御しようともせずに……デイブになだめられながら、引きつる泣き声をなんとか声にして、口を開いた。

「……今日、死ぬかと思った! もう……コックピットで意識はあったのに……身体が動かなかったの。どうしてか分からない。もうなにもかも終わったように動かなかったの──。こんな事は初めてだったけど……いつも、皆が馬鹿な無茶をするって……私に言うように、私は……無茶をして『生死の境』に行って……それでも自分が『死にたいか? 生き続けたいか?』という必死の選択で、『生き続けたい』という自分を選びたくて……それを自分自身で確かめたかったの──。それが……さっき、無事に生還して、初めて分かったの!」

 矢継ぎ早の言葉──とりあえず叫んでいる言葉。
 それが上手く皆に通じているかは分からないが、そこまで言い放って一呼吸付く事が出来きて、皆を見渡すと……誰もが驚き、硬直していた。
 先程の『お嬢が泣き出して唖然』──という様子とは異なっている……大袈裟に言うと青ざめていると言った方が良いかも知れない……。

 そして──葉月は……迷いも何もなく……本当に、先程、空で心に流れ始めた『血潮』に促されるかのように……ついに! 話し始めていた。

「小さい頃……ヴァイオリンを弾いていたわ。ピアノも弾いていた──私も回りの親戚も家族も……皆、私が音楽家になると思っていたの。当然……私も信じて疑っていなかったし……ヴァイオリンを、音楽を愛していた!」
「葉月……もう……いいんだぞ?」

 心配しているデイブが、さらに強く葉月を制御するかのように固く肩を抱き寄せてくれたが、葉月は首を激しく左右に振った。

「なのに……姉を襲った男達に……姉を自由にする為に私は散々人質として利用されて、最後に何もする事がなくなった男達は……私を的にして遊んだ……! ヴァイオリンが弾ける事でワザとそういう遊びを思いついたっ!」
「……!」

 唇を食いしばって……溢れてくる涙を蕩々と流し……葉月は叫んでいた。

『──お嬢!?』

 誰もが……『何があったか』を知って……一歩身体を退く程の衝撃が船室内に走ったのを葉月は身体で感じた。
 だが……もう、デイブは止めようとしなかったが、メンバー達の反応に警戒しているようだった。

「本当はパイロットになりたかったんじゃない。軍隊に入ったのも……『大嫌いな男達』を傷つけて、そして打ち勝つ事を味わいたかったから!! そしてパイロットになったのも……よく自覚していなかったけど、いつ死んでも良いと思っていたから……ここで、この『土の上で生きる喜び』なんて何にもないと思っていたの!!」

 葉月の叫びは……心から血が吹き出るかのようだった。
 自分でもそう感じたし……誰もがその血しぶきを浴びて、驚愕している。

「でも……やっぱり死ねなかった。空で死と生の極限に来ても、私が選んでいたのは『生』だった……。でも、生還しても歓びは感じなかった……ただ、『死んでしまった姉が助けてくれた命』を義務的に『無駄にしちゃいけない』──その程度だったんだって……今日、初めて思ったわ……。どんなに男性に愛されても、私……生きている気がしなかったし、歓びも僅かしか感じられなかった……」

「なのに……どうして? どうしてなの?」

 最後に涙で濡れきった瞳と頬を……入ってくる日差しに輝かせ……葉月は、そこにいる男全員の顔を見渡していた。

「大嫌いな男の人……その大嫌いな男の人たちに……こんなに心も体も癒されていたなんて……私っ! 今日、こんなに強く感じたの初めて──。私が今日まで……ここまでの『結果』を出せて生きてこられ、導かれてきたのは……男の人たちのおかげだって……」
『葉月──』
『お嬢……』

 子供のように、ぐっしょりと涙で濡れては、整わない声で叫んでいる葉月の事を……誰もが真剣な顔で向き合ってくれていた。

「今日……初めて軍隊に入って……あなた達のような男性に会えて、幸せだって思った! 皆の事、愛している、敬愛しているわ」

 そして……葉月は顔を覆って泣き崩れた。
 どうして? どうして今日に限って……こんなに?

 今まで『御園のタブー』として、葉月だけじゃないロイですら密かに守ってきた『過去』。
 葉月の口からではなく、リッキーやマイク、そしてジョイを経由して知っている者はいても……葉月は自分で、自分の口から『告白』することはせずに、自分を守ってくれる僅かな昔なじみの親戚に任せきりだったのに……。
 それが……達也に、そして隼人に告白し、マリアに告白し……そうして徐々に、自分の口から、自分の事は自分で告げるという事。
 それが、こんなに沢山の……毎日一緒だった『戦友達』にも告白する事が出来た!
 自分自身の口から──。ちゃんと自分の事を──!!

 そして……『皆を愛している』と、自分の奥底で表現しきれなかった言葉をやっと叫んでいた。

 すると……声を引きつらせている葉月の手を……暖かく握る感触があった。
 目を開くと……そこにはひざまずいて、葉月に穏やかに微笑んでいる……ひげ顔のフランシスがいた。

「そう……ヴァイオリンを弾いていたんだね? 今でも弾けるのかな?」
「……時々……弾くわ」
「うん……そうか。だったら……いつか良かったら聴いてみたいな?」
「……」

 葉月は何故か……いつも一番優しく接してくれた彼には逆らえずに、素直にこっくり頷いていた。

「ま、お嬢がヴァイオリンね? どうせ弓を振り回してちゃんばらでもしていたんだろ? 本当は」

 リュウがシラッと……いつもの口調でそんな事を言ったので、いつもならムキになる所を、葉月は驚いて、彼を見上げてしまった。

「アハハ! そっちの方が想像しやすいな!」

 途端にデイブが大笑いをしたので、それにも葉月は驚いて、隣にいる彼を見上げた。

「あーあ。お嬢がぎゃぁぎゃぁ騒いでいるうちに、着いたみたいだな〜」

 今度はマイケルが、窓辺に張り付いて、見え始めた陸を見て溜め息……。

『……』

 葉月は茫然とし、自分の様子を見守っているフランスシに助けを求めるかのように、見下ろすと──彼が『なんてことないよ』とばかりの微笑みで、ウィンクをしたかと思うと……彼もサッと立ち上がって去っていってしまった。

 妙な空気は直ぐに払拭され──なんだか不思議なぐらい……船室内の男性達は穏やかに笑っているのだ。
 葉月の告白など……一時の衝撃で、そこらへんに転がっている時々一瞬だけ驚いただけの絵空事のニュースのように?
 その空気に葉月が茫然としている間に──連絡船が着岸してしまった。

 メンバー達は席を立ち上がって、ぞろぞろと船室を出て行く。

「あー着いた、着いた。まだ、お偉いさんとのご対面が残っているっと……」
「本当──早く正装に着替えて、女の子がいっぱいいる外とか、模擬店会場に行きたいよ」
「マイケル。今日もやるだろう」
「もっち♪ リュウより先に引っかけて、いつものバーで今夜は楽しまないとな〜」
「とかいって。いつも俺が先に捕まえて、お前はうろうろしているじゃないか?」

 いつもの美男コンビは、そういってサラッと出て行った。

「えっと……」
「いくぞ、嬢──もう、気分は大丈夫そうだな」

 デイブもいつもの笑顔で立ち上がっていた。

「は、はい……」

 確かに、胸元の不快感は……まるですっ飛んでいるかのようにすっきりしていた。
 先程の叫ぶ血潮で、吹き散らしすっきりしたかのように?

 葉月も立ち上がって、船室を出ようとした時だった。
 逆光が入り込んでくる船室の入り口で、デイブが急に立ち止まった。

「キャプテン?」

 彼が振り返る──。
 見た事がない……優しくて清々しい透き通る笑顔だった。

「良かったな、嬢──生きていてさ……良かったな! 最高の結果じゃないか。俺も──嬉しいぜ」

 それだけだった……。

 また──葉月の瞳から涙が溢れていた。

 陸に上がっても、いつもと変わらぬ『野郎ども』とでも言いたい彼等が……いつも通りに騒々しく前を歩いていく。
 葉月の人生は……ありきたりじゃないかも知れない。
 でも──ありきたりな彼等に救われているじゃないか?

 葉月は陸に上がって……そんな彼等の姿を後ろから眺め、微笑んでいた。

『有り難う──』

 そして──空を見上げる。

「お姉ちゃま……お姉ちゃま……今までごめんなさい。きっとお姉ちゃまは、私にこうなって欲しかったのよね?」

 もしかして……空で自分をはたき落としていたのは?
 葉月はふと、そう思った──。

 そして……海原にぶつかる前の、薄くて優しい空気が葉月を空へと跳ね返し、破壊しなかったのも……姉の手だったのかも知れない……と。
 はたき落としては、一歩手前の極限で受け止めてくれ……何度でも葉月が気が付くのを待っていたのかも知れない──。

 葉月はもう一度、空を見上げた。
 そこはもう──青くて美しい遠い世界に見えた。

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2007 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.