「いらっしゃい、ロイも待っているよ」
夕方間近の高官棟……四階。
そこにこの基地で一番美しいオフィス、連隊長室がある。
出迎えてくれたのは、当然、ホプキンス中佐こと、リッキー。
心なしか、彼は硬い面持ちで、連隊長室の扉を開けてくれた。
「無理をお願いして……」
「いや、ロイはすっかりその気で、気にしているよ」
そこは……リッキーはいつもの笑顔を見せてくれる。
底知れない笑顔と思ったばかりの隼人だったが、彼のその微笑みは、今の隼人を少しばかりは安心させてくれる。
「失礼致します」
連隊長室に、礼儀正しく入室。
「よう。お疲れ!」
大きくて白い応接ソファーに、いつもの悠然とした様子でロイが煙草を吸っている姿が目に飛び込む。
「申し訳ありません。お忙しいところ……」
「いいや。俺もあれから気になってはいたから、丁度良い。こちらから『どうだ』とも聞けずにいたからな」
ロイは、知りたくてうずうずしていたらしくて、隼人からやって来た事に、妙に上機嫌だった。
ソファーへとリッキーに促されて、そちらに歩み寄る隼人の鼻先に……花の香り。
「……良い香りだと思ったら……薔薇ですか」
隼人は、大きな窓辺に立派なクリスタルの花瓶がある事に気が付く。
そこに沢山の赤い薔薇が活けてあった。
「ああ……カフェ雑貨店の生花で良く売れ残るらしくてね。水沢……真理が格安でいつも譲り受けてくるんだ」
「そうでしたか……そう言えば? オーナーがいつかそんな事を言っていましたね」
「まぁ……座れよ。リッキー、カフェオレだ。俺も……」
「はいはい」
いつにないリッキーのふてくされ顔。
隼人はちょっと驚きながら、ロイの向かい側の席に腰を下ろした。
「なんだよ。その言い方。俺、何かしたか?」
「なんにも? かしこまりました、連隊長……。今すぐ! お持ちしますからね。澤村君に負けない味で!」
すると、リッキーはツンとした様子で連隊長室から中扉で続いている秘書室へと去っていった。
「……? ホプキンス中佐って……ああいう感じでしたっけ??」
初めて……そんなリッキーを見たので隼人は唖然としていた。
すると、ロイが苦笑い。
「お前にも『地』が出てきたみたいだな。認められている証拠さ」
「……『地』? ……ですか?」
「ああ。本当はあんな風に俺にも態度でかいんだ」
「そ、そうですか」
隼人は『なるほど』と、苦笑い。
自分も身に覚えがある。
職務では、『ウサギ大佐嬢』には従順な姿を信条としているから……。
すると、そんな話の中、ロイがリッキーが去った扉を眺めながら溜め息を落とした。
「……隼人が何を話に来たか……それを知って、俺が今から『言うだろう事』に反発しているんだよ」
「……! 反発……?」
「そう……。リッキーはどちらかというと……『葉月の思うまま派』なんでね……」
「──!」
早速、その『話題』になり、隼人はロイの目の前で息を呑んだ。
目の前の悠然としている優雅な金髪の若将軍は、煙草を灰皿にもみ消しながら……こちらもふてくされた様子だった。
それにしても……『リッキーも同じく……思うまま派』である事に、隼人は驚いた。
そして──やや安心した。
どうも、ロイとリッキーは共鳴し合っていると思いこんでいたが、そうでもないらしいから……。
今からロイに話す事……きっとロイは反対するだろう。
そんな事承知でやって来たから、少しでも同調してくれる人が側にいると隼人も心強い。
「なんだって……? 『純一』の事で何か?」
「……『ジュンイチ』と言うのですか……あの人は……」
「──! なんだ、葉月は名前も言っていないのか?」
「今、初めて聞きました。彼女は『彼』の事は『お兄ちゃま』としか言いませんから」
「……そうか」
そこでロイは、またもや……溜め息をつきつつ、ふてくされた顔に。
「……なるほどね」
さらに、ロイは手元に置いている煙草の箱から、さらに一本手にし……そのまま口元に運んだかと思うと、そこで手が止まった。
「……隼人に話したは良いが……やっぱり、知られたくなかったのかな……?」
彼の憂いを含めたような微笑み。
美しいアクアマリンの瞳がすっと輝きを失せる。
「……私もそう感じています。全てを打ち明けてくれたようで、まだつかえている感じで……」
「……だろうと、思っていたよ」
「そうでしたか……」
そこで二人の会話は一端途切れ、ロイは煙草を元の箱の上に戻してしまった。
「……きっと、葉月の誰にも知られたくない……いや? 純一と葉月だけの『秘密』で、二人が大事にしている唯一の『形』なんだろうな」
「……」
流石に……解っているが、親しいロイまでもが、そう認めると隼人には辛い。
思わず、俯いて唇を噛みしめてしまった。
それも、真っ向から『拒否派』だと思っていたロイが……遠い目で容認するように穏やかに微笑んだものだから……。
どうにも、覆し様がない事を突きつけられた気分だった。
ロイはそんな隼人を確認しても、取り繕うような言い訳は言おうとしなかった。
それでも、眼差しは哀れむように優しい。
優しいが同情心を遠慮しているかのように、言葉をかけたりはしない。
ただ、そこに……彼の素直気持ちが眼差しだけで真っ直ぐ、隼人を包み込むかのように……。
「……腹立つか?」
ロイがフッと眼差しを逸らして、微笑む。
「……良く分かりません」
「そうか……? 俺には良く分かるぜ?」
「……」
「どんなに差し止めても、二人は惹かれ合う……」
「……何故、ですか……?」
急に隼人の声が震えた。
隼人自身……自分自身で『嘘だろ?』と否定したくなるほど、思わず出ていた声だった。
そして、ロイもそれには少しばかり驚いたようだが、狼狽えもせず……ただ、そっとして流そうとしてくれている。
「……俺も何度も止めた。葉月を理不尽にぶったたいてもだ」
「……そんな事が?」
「一度だけ……。アイツと葉月が密かに会っている事を知ってしまった時に……葉月は二十歳だった。あれから、この件に関してだけは、葉月と折り合いが合わず、葉月は俺を警戒し心を開かなくなった。俺を敵視しているだろう……」
「……」
「あの二人は、頻繁には会っていない。むしろ、数年に一度だろうな。会うだけなら一年に一度、葉月の仕事関係でアイツがしゃしゃり出てくる事はあったかもしれないが、『密愛』となると数えるほどじゃないか?」
「……」
葉月でも教えてくれなかった、知りたい事。
覚悟はしていたが……『やっぱり』と隼人はうなだれた。
「そこが腹立たしいだろ? 数えるほどなのに、アイツと葉月の間では『最高の秘密』で『大事な事』……『失いたくない事』。何があっても誰が踏み込んできても『邪魔が出来ない』──こんな強い絆が、表と裏にいる男女を強く結びつけている。俺も、どれだけ……口惜しかった事か……」
「……」
隼人は益々閉口し……言葉を出す事が出来なくなる。
それでもロイは覚悟したように続ける。
「……先ほど『何故か』と言ったな……」
「……はい」
隼人の消え入りそうな返事に、ロイは暫く黙り込んだ。
その先に言おうとしている事を躊躇っているかのような……そして、隼人を慈しむように見つめていたようだ。
その間が不思議に感じてスッと、隼人が顔を上げると、ロイがそう言う顔をしていたのだ。
そして……彼が僅かに、致し方ない顔をしながら口を開いた。
「……純一の方が葉月を手放さないんだ」
「!」
妙な衝撃が……隼人に走った!
「葉月じゃないんだ……兄貴である純一が……葉月を一番大事にしてる『つもり』で、実は絶対的に縛り付けているんだよ」
「……じゃぁ、もし? 葉月が『会わない』と決めても?」
「ああ……きっと、アイツの方が焦るんじゃないか?」
「彼が焦る?」
「知らないだろうが……」
そこで、ロイが今まで一番……躊躇う様子を見せた。
しかも口ごもったその様子、その顔は見た事がない『若将軍の苦悩顔』。
隼人はそれに驚き、ロイを見つめたまま……言葉が出なくなるほど……。
そういう『人間くさい』、冷徹といわれる彼の素顔を見てしまったという驚きだった。
「あの……?」
「……いや、すまない。俺とした事が……」
ロイは緩い癖のある金髪を額でひと上げして、落ち着くためかいつもの微笑みを浮かべた。
だが、口元は引きつっている。
「その……葉月にも以前、一度伝えた事はあるんだが……」
「はい……」
ロイはまだ言いにくそうだった。
隼人はただ、待ってみる。
すると……やっと決したようにロイが真顔で隼人に向かって来た。
隼人も驚いて硬直し、ただ……その言葉を浴びるしかなさそうな雰囲気に、覚悟をせざる得ない。
「その……俺も随分、時が経って判った事なんだが」
「はい……」
ロイはまだ、言葉を濁す。
いったい……何を言いたいのか?
「純一は葉月の事が一番なんだ。アイツの一番の心の支え」
それは、先ほど聞いたじゃないか? と、隼人は眉をひそめた。
「そして、俺が一番怒っている事」
「──?」
隼人はさらに首をかしげた。
ロイが『怒っている事』とは……『裏にいる男のくせに葉月を手放さない事』だと、先ほども聞いたじゃないか? ……と。
「皐月じゃなくて葉月だったんだと……」
「え?」
なんだか耳にすんなりと入ってこなかった。
それは……葉月側から見ると考えられない『彼の気持ち』だったから……。
葉月は、『お兄ちゃまの想いは姉様のもの』と……あんなに泣き崩れていたのに?
隼人が呆然としていると、それを判っていたかのように、ロイはさらなる苦痛顔を露わにしていた。
「……だから、様々な『起きてはならない事』が起きたり、だから……葉月が前に進まない。さらに最悪な事に、アイツ本人が『それに気付いていない』。いや──? 気が付きたくなくて目を逸らしているから……怒っている! 俺は──!」
「え? ええ? 待ってください??」
ロイが言っている事に隼人は困惑していた。
なんとか頭の中に浮かんだ違和感を、整理して組み込もうとしていてもロイが続ける。
「……つまり! 葉月がオチビの時から、純一は皐月より葉月だったんだという事だ!」
──ガチン!──
ロイは手元にあったジッポーライターを、本当に悔し紛れといた風に、感情を露わに机にぶつけたのだ。
「……え?」
隼人はまだ……とぼけていた。
いや? とぼけるのではなく、呆然としていてどうすればよいのか……柄にもなく困惑するばかり……と言った方が良いかもしれない?
それほど……葉月だけを見て、兄貴の事は何も見えなかった隼人としては『考えられない事』が起きたのだ。
そんな隼人と判っていたのか、ロイは引きつった表情のまま毅然とした様子で隼人に向かって来た。
「お前の事だ。葉月の事を思って……『会わせてやりたいから、なんとかしてくれないか』と頼みに来たんだろ!」
「……!」
見抜かれていた!
しかも、ロイは『そうはさせるか』と言わんばかりに、隼人に厳しく険しい眼差しを向けてきた。
「お断りだ。それに、俺はアイツとの『コンタクト方法』は持っていない」
「……でも!」
「本当だ。コンタクトはない。アイツからあるなら別だが? 俺と純一は表と裏できっちり敵対している。小笠原管轄に葉月目的でなくても、アイツが侵入していると判れば、殺す勢いで追いつめるのが信条だ」
「──!」
『殺す』──と言う言葉が出てきては、流石に隼人も固まった。
それに、ロイの眼差しが急に『連隊長』たる冷徹な眼差しを、涼しげなアクアマリンの瞳から放っていたから!
「失礼致します」
やっと……リッキーがトレイを手に、秘書室から現れた。
そこでロイが一息ついて……いつもの表情に和らいだ。
「遅い……! 危うく、隼人を苛めまくるところだっただろ?」
そんな悪態をつきながらも、ロイはほっと一息ついたように、でも……ふてくされた様子でやっと煙草を口にくわえた。
「……それはそれは、失礼致しました。鈍足な側近で、もーしわけありませんねぇ」
リッキーが冷ややかな眼差しで、応接テーブルに立ちつくし、いつもの丁寧な手つきで隼人の前に優雅に大振りのカフェオレカップを差し出してくれた。
「おや? 思わぬ事を聞かされて……随分と戸惑っているようだね?」
隼人には、変わらぬ笑顔をリッキーは向けてくれた。
「可哀想に……。何処のお兄さんが、ムキになって八つ当たりした事やら?」
そして、リッキーはロイには荒っぽい手つきで、カフェオレカップを付きだして、またもやツンとした顔。
「おい。俺にこんな事をして良いと思っているのか?」
分かっていながら、ロイはむくれた顔、苛ついた口調で煙草を吹かし続ける。
さらに……リッキーは側近としてのきっちりとした姿勢をしつつも、素知らぬ冷たい顔。
それを見て……なんだか隼人はやっとホッと出来たような……?
「頂きます」
隼人もホッと一息つきたく、彼が入れてくれたカフェオレを口に付ける。
「あ、美味しい。流石ですね……!」
隼人が微笑むと、リッキーが何故かホッとしたように微笑んだ。
「やった。澤村君の合格がもらえたみたいだ」
「え?」
「なんだ、隼人。リッキーには、ハッキリ『ここが不味い』と言ってやった方がプライドが傷つかなくて済むんだぞ」
「はい?」
「失礼な。人をプライドの塊みたいに! 何処かのオボッチャマ中将とは違うんだからな!」
「なんだって?」
「……」
なんだか、ロイとリッキーの通常の姿が垣間見れたようで……隼人は苦笑いをこぼしながら、カフェオレをもう一口。
「澤村君のカフェオレを口にしてから、うるさいんだ。比べられてしまって!」
リッキーはまるで少年のようにロイを指さして、こちらもいつになくムキになっている。
「だから、隼人。建前は必要ないぞ! こいつ『主席』なんだから、恥欠かさないように思いっきり言ってやれ!」
「……だから! 俺は完璧だって!」
「ほら、見ろ! 完璧だと思いこんでいる! 隼人のカフェオレはもっと、こう……!」
ロイまでムキになって、カフェオレカップを口にして味を確かめる。
「……」
「如何でしょう? 連隊長……。『主席側近』は、据え膳上げ膳将軍の為に努力はしているつもりです」
ロイは黙りこくり、リッキーは勝ち誇った顔。
どうやら、味は『合格』の様である。
隼人も思わず、クスリ……と、笑いをこぼしてしまった。
「うーん……」
ロイはカフェオレカップを不服そうに眺めながら、まだ……言い返す言葉を探しているようだった。
「プライドの塊は、連隊長の方では?」
せっかく和んだかと隼人もホッとしたのに……! リッキーは急に冷ややかな眼差しをロイに突き刺していた。
「……また、それか」
だが……もう、耳にタコができたと言わんばかりに、ロイは飽き飽きとしただけで、怒り出しはしなかった。
「……」
どうやら……隼人と葉月の間にある問題は、この『兄様ふたり』の間でも散々、取り交わされている……。
隼人はそう判断が出来た瞬間だった。
「あの……お話の続きですが……。先ほどの連隊長のお言葉ですと、『二人は会わせない方が良い』と聞こえたのですが」
もう……リッキーがいる事もいとわず、隼人はカフェオレカップを静かにテーブルの戻しながら、元の話題に戻そうとした。
「……」
「やっぱり……澤村君、レイとジュン先輩を会わせてやりたいと……!」
ロイは黙り込み、リッキーは改めて驚いた様子。
──ジュン先輩──
やはり、この『兄様達』……皆、彼と関わっている。
しかもリッキーの口振りは、彼に敬意を払っているかのように『先輩』と……。
リッキーとロイの様子だと、二人の意見は珍しく? 対立しているように隼人には見える……。
「そう思って……。葉月から聞いた様子だと、昔は皆さん、親しかったようなので……もしかしたら……何かコンタクト方法を知っていやしないかと思って、本日思い切ってお伺いしたのですけど……。彼女の話では、『自分からは会う方法がない』と言っていたので」
「そう……君はすごいね……」
リッキーの感心し、そして、驚いた様子。
ロイは変わらず、硬い表情で意志も固いようだった。
「なるほど? それでロイがむくれて、澤村君の意志を拒否しているんだ」
すると……リッキーはロイに断りもなく、まるで親しい友人のようにロイの隣に座りこんだ。
ロイも、ふてくされながら無言のまま……特に上官としてのお小言も言わなかった。
そこに、仕事無関係の『御園嬢の近しい男達』が集まったという雰囲気が出来上がったのを、隼人は感じ取る。
そして、リッキーは再度、深い溜め息をついて隼人に向かった。
「今までの君の様子だと、驚きはしてもレイのためなら……受け入れる努力はするだろうとは予想していたけど、まさか……『会わせたい』とはね……」
彼が心底感心した眼差しを、真っ直ぐ、隼人に向けてきた。
「ほら、みろ。俺が予想していたとおりじゃないか?」
どうやらロイは見抜いていたようだ。
そこはリッキーには『まさか』という見解だったようで、ロイの予想に納得したようだった。
「難しいね。特に先輩とは本当に……コンタクトを取る方法がないんだ。ロイが敵対心で隠しているなんて事はないよ」
ロイには昔の恋敵である以上に、葉月のために『悪役』になっても阻止をしてきた信条が混じってるから『隠している』……そんな事はないという証明を、ロイとは意見が対立しているリッキーが証明してくれようとする。
「……そうですか、解りました」
隼人も、そこで諦めがついた。
フッと溜め息を落として、俯く。
「隼人、お前は甘いな……。欲しい物は、絶対に手放さない事だ」
「……」
ロイの説教のような眼差し。
隼人の恋敵?になる男に、彼女を会わそうと言う発想が……認められないようだ。
ロイが言わんとしている意味も、隼人は重々理解しているつもりだ……。
でも……それでも! 隼人はそうしたかったのだ。
しかし、今度はリッキーが身を乗り出すように、硬い面持ちで隼人に寄ってきた。
「澤村君……悪い事は言わない。君のそのレイに対する彼女を第一とした気持ちは素晴らしいと思うよ。けど……」
リッキーは言葉を濁した。
「俺はレイと先輩を会わせた方が『早道』だと思っている。けどね、それは君には『消失』が伴う……そういう第三者的な見方だよ。君には残酷な意見を俺はもっているんだ」
「覚悟しています……そして、彼女を信じて……」
だが、最後までリッキーは言わせてくれなかった。
まるで、隼人のその覚悟は『見せかけ』だと言わんばかりの勢いで、遮ってきた。
「相手が悪い……。君も『普通の男』なら、絶対に傷つくだろうし、後悔する……」
「リッキーの言うとおりだ」
横で煙草を無言でふかしていたロイまで、そこは同意の言葉をすかさず挟んでくる。
「俺は、会わさずに……お前と葉月の力のみで解決する方向を、『なんとしてでも見つける』という意見だ。だが……リッキーはそれは葉月の『潜在意識』上、無理だと判断しているから『会った方が良い』と言っている。ただし……リッキーが言ったとおり、リッキーは『葉月のための近道』を言っているだけで、お前の事は考えていない意見になっている」
「ごめんね……澤村君。俺……性格的に『合理的』に割り出す癖があって……」
小笠原兄様達は……意見は対立しているが、なんの為のお互いの判断かは……認め合っているようだった。
とくに……リッキーの『会わせる為』の意見は、隼人とは一緒だったのに……。
そこには自ら損失を負うだろうという隼人の『危険な賭』について……厳しい現実を突きつける真摯ある意見だった……。
「それでも……お前は葉月とあの兄貴を会わせたいと?」
ロイが問いつめるような口調。
「……」
隼人は言葉が出なくなり……心に迷いが生じ始める。
「隼人、先ほど……話が途中になったが、純一という男は昔から素直でなく、自分に『無頓着』な男でね」
「……無頓着?」
「ああ……人は、自分が何であるかをある程度は把握していないと、周りを混乱させたり迷惑をかける事もあるだろう?」
「……ええ、まぁ……そういう例もあるかもしれませんが……」
「勿論、誰だって『自分』なんてものは、常々把握はしていないだろうから、時には人に迷惑をかけるだろう……。しかしな、純一という男は……本当に『俺は影』と勝手に決めつけている」
「影?」
「ああ……太陽が照ると人間の足下に影が出来るだろう? その『影』だよ」
「……?」
また、なんの事を言いたいのか解らなくて、隼人が首をかしげていると、ロイは煙草の煙をくゆらせながら続ける。
「病弱な……『弟』の影。突然の不幸に見舞われ死んでいった『女の影』。姉と共に闇に突き落とされて前に進めなくなった『義理妹の影』」
「……!」
「誰もそんな事、アイツに望んでなんかいないのに……アイツは『影』にいると落ち着くのさ。それを自分で気が付いていない。そうして『媒体』があって影になる事で生きている男だってことだよ」
「ちょっと、ロイ! そういう『パラサイト』じゃないぜ? 先輩は! あの人はあの人なりの……」
「いや……光があって、影に徹する生き方が染みついているんだ! 純一は! 闇の世界に入った時は『皐月の影』のまま去ってゆき、ある時からはその闇から葉月の影に徹するようになった……『二重影』! 手の打ちようがない大馬鹿野郎!」
また、かばうリッキーに、責めるロイの対立。
「年こそ離れいてるから純一にとって葉月は『オチビ』だった。だが……葉月が大人の女になってアイツは思っただろうな? 『俺の思った通りのいい女になった』と!」
「……あの、皐月さんより葉月だったとは……つまり、葉月が幼少の頃より、彼は……葉月を欲していたと?」
「それは……」
「あの……?」
急にロイの言葉の滑りが悪くなり……彼はリッキーと困ったように顔を見合わせた。
「……これは純一自身は気が付いていないと思う」
「でも、中将はそう判断しているのですね?」
「……」
「彼は、元より皐月さんよりも葉月を愛している。そうなんですね!?」
「──!」
隼人の追求の声は……ロイを攻めるように荒げた声。
それにリッキーはおろか、ロイも驚いたようだった。
「私は! 真実が知りたいんです! 嘘で固めた関係は、葉月のためにも良くないし……俺自身も納得できません! 教えてください!」
「隼人──」
「俺が大打撃を受ける言葉でも構いません! 言ってください。それぐらいの覚悟はしてきたんですから!」
「……」
さすがのロイも、隼人の力強い言葉に呆然としていた。
しかし……そのロイの代わりに、リッキーが答えてくれる。
「そうだよ。それは……『お兄さん』と『オチビ』の時代には決して表に出る事もない『二人の潜在意識』だったかもね」
彼のスミレ色の瞳が冷たく隼人を突き刺す。
しかし……その真実を隠すことない彼の眼差しは、隼人の為と心を鬼にしての言葉だと、隼人には通じた。
「そ、そうですか……」
何故か……ここで力が抜けた。
そう──誰も止める事が出来ない二人の『愛』とかいう物は、ずっと昔……小さな双葉からそっと育っていった物だと知ったから。
「だからといって……皐月への愛が『嘘』だったとも言い難い所が難しいね」
「いいや、嘘だったんだ」
リッキーは純一とか言う男性の『気持ちの軌跡』には容認的だが、ロイは『不誠実』と言わんばかりの勢いで言葉を挟んでくる。
そんな頑固なロイに、リッキーもいつもの事なのか、溜め息だけ落として呆れた顔をしていた。
「とにかく……皐月との関係があった時は、レイは子供だった。純一先輩には意識こそあれ……その時は、『俺とオチビが? まさか』ぐらいだったと思うよ。実際に、純一先輩とレイは本当に、お隣のお兄さんと親友の小さな従妹という以外の怪しい事なんて、あるわけないけど、そういう変な様子もなかった」
リッキーはそう言うが……ロイがまた言葉をすかさず挟んでくる。
「しかし……今思えば、仕事と勉学以外、特に女には興味もなさそうだったあの鉄仮面野郎が、無邪気に寄ってくる葉月を冷たくあしらいながらも、それが一番の心の拠り所だったと俺には思える。確かに……葉月には妙に、清々しい顔をするな? という印象もあったが……それも唯一、自分とは世代が違うが故の、俺たちには垣間見せない自然な『兄心』だと思っていた。だが……実はそれが奴の一番の和みだか癒しだったのだろうかと、今なら思えるんだ。そのオチビが、自分に信望するような女に成長したとあっては……堪らなく手放しがたい。そう思える」
「──! だから……彼の方が手放さない……と!?」
また、隼人に衝撃が走る。
その気持ちは……きっと、隼人も同じなのではないだろうか?
いや、葉月に関わった男性の誰もが、少なからず持ってしまっただろう『気持ちそのもの』ではないか!?
つまり……コントロールをしているのは、歳が離れている大人の『彼』だと思っていた!
だが、違う! そうじゃない! コントロールが出来ていないのは……『彼の方』!?
それでは、葉月が心の整理を付けたからと、どうにもなる問題ではない!……隼人は、それに初めて気が付いたのだ!
その隼人の様子を見て、ロイは少しばかりホッとた顔を、しかし、『そら見ろ』と言わんばかりに口元をひねり上げた勝ち誇った微笑みに……。
「解ったか? 会わせたら……アイツ、本気になって葉月をさらっていく危険がある。アイツのコントロールとやらが、今までの質が悪い『行ったり来たり』ではなくなるという事だ」
「……もし……も……」
「……隼人?」
「澤村君……?」
隼人の声が、再び震え始めていた。
俯いた顔、眼差しは……めがねの奥、黒い前髪に隠され、まるで病人のように急変した様な顔色になっていたのだろう。
だから、ロイとリッキーが驚いたように、身を乗り出してきた。
「もしも……葉月がその純一さんの気持ちを、本当の気持ちを知っては、都合が悪いのですか? 何故? 兄様達は……それを彼女に教えてやらなかったのですか? もし、彼女がそれに気が付けば……きっと、今は……『ここにいない』……」
「──隼人!」
「澤村君……君は……!」
厳しい現実、そして、やめておいた方が良いだろう『隼人には不利な賭』──。
それでも尚……隼人の様子は、『葉月があるべきだった……今でも振り切れない想い』を優先させるような問いに、ロイもリッキーも、今度こそ驚いたようだ。 しかし……それは、既に隼人にとっては覚悟はあっても、かなりの打撃。
その様子が、いつもは落ち着いている隼人のいつにない様子から現れている。
隼人自身も……それを自覚するほど……。
けど……隼人は逃げない。
そう決めた。
ここで逃げてどうする?
同じ事の繰り返しだ。
葉月が願っているように……葉月がそう決めたように……。
まっさらに始めるんだ。
だから……葉月自身の割り切れない未練もそうだが、その『ジュンイチ』とか言う兄貴のその持ち続けている気持ちとも『対峙』しなくては……『始まらない』。
逃げるのは簡単だ。
『ジュンイチ』なんて男は闇の男だから、どうにもならない世界に行ってしまった遠い男と割り切ればいい。
死んでいる男と一緒だと思えばいい。
そう……葉月にそう言い聞かせてきた『兄様』達同様に、そういう『生きているのに、会おうと思えば会えるのに』……『死んでいる』と思いこめばいい。
しかし……そうではない。
葉月にとっては、表も裏も、光も影もない。
ジュンイチ兄貴は、葉月よりかは大人らしく『ラインの意識』はしているだろうが、彼の奥底の意識にも、隔たりなんてない。
どうして……? 皆、そこを避けて、葉月を引き留める?
だから……こういう事になってしまったのではないか?
そりゃ……大事な娘、従妹、義妹が、危険伴う男の傍に生活を置く事は、家族が願う幸せではないだろう……。
けど……葉月の全ては、彼を欲し続けていてのだ。
周りでなく、葉月自身の幸せはそこにあった。
だけど……誰もが否定する。
だから……『義兄様と私だけの秘密』になってしまった。
本当の幸せの形とはなんなのだろう──?
隼人はふと、そんな壁に当たった。
ロイが引き留めなくても、フロリダの亮介父が引き留めるだろう。
娘が危険な闇世界に身を置く事に、登貴子母は嘆くだろう。
そんな周りの心配は、隼人も重々承知だ。
けど……『自身が望む事』は、『もう駄目なのだ』と自分なりに解るまで実行してはいけないことなのだろうか?
そんな事を考えていると……。
すると……困ったようにお互いの顔を見合わせていたロイとリッキーだったが、ロイから……隼人をうかがうように、そっと言葉で触れてきた。
「確かに……。葉月にも、『春』、任務後に似たような話になって、俺は……俺なりに、皐月とは別に、皐月の代わりでなく純一はしっかり葉月を一人の女性として愛していると伝えたんだが……」
「ほら……澤村君、覚えているだろう? レイがこの高官棟の中庭の植え込みで一人で泣いていたあの時だよ」
「……! ああ、私の父が本部の端末入れ替えに来たあの日ですか?」
その時、葉月は大佐昇進と共になにやらその昇進に、違和感があったかのように『ロイに受けて立つ』というような、意味不明な言葉を息巻いていたような記憶がある。
ロイと話した後の葉月は、いつにない感情を露わにして姿で中庭の紫陽花の植え込みの中に逃げ込んだウサギのように泣き崩れていた。
『あの日の意味』を、隼人が葉月と話した……あの日。
あの日に、ロイは葉月が気が付いていない『ジュンイチの本当の気持ち』を伝えたと言う。
「……彼女、あの時……泣いていましたね」
隼人はフッと思い出しながら囁く。
「ああ……自分が思い込んでいた事、思わぬ事、そして……『一人の女性』と見てくれるなら、何故? 兄様は側に置いてくれないのかと……」
「そんな事が?」
──『あんな事がなければ……なかったら……私、こんなにならなかった。隼人さんを……幸せに出来ない……困らせてばかりの私が憎い。 自分を壊したくて……壊したくて……、憎くて消えたくなる』──
『あんな事がなければ……兄様と一緒にいられたのかも。そうすれば、隼人さんに出会う事なく、こうして迷惑もかけていない』……葉月はそう言いたかったのか!?
既に過去の話で、過ぎた事だが……葉月のその時の本当の気持ちに気が付いて、隼人は今になって、さらなるショックを受ける。
でも、その時も隼人は気が付いていた。
悔しいけど……『その男あっての葉月、その男との過程があっての葉月との出会い』。
まだ謎ばかりだった『ある男』の事も、受け入れなくてはいけない存在なのだと、あの時、気が付いていた。
それが……ここに来て、こんな風に突きつけられるとは……。
(コンタクトも出来ない。葉月ではなくて、大事なのは兄貴の気持ちが大きく関わっている……)
コンタクトが出来ないならば、隼人は待つしかない……。
その兄貴がどう出てくるか待つしかない……。
出てくるかも解らない。
いつも……その影に怯え、構え、待っている事しか出来ないのだろうか?
(出口を失った……行き止まりだ……)
待つしかない。
もう、それしか思い浮かばなかった。