・・Ocean Bright・・ ◆蜂親分の苦悩◆

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4.姐御さん

『俺、キャプテンを引退する事にしたんだ』

 デイブの衝撃の一言を聞かされた次の日──。
 この日、彼は隼人一人に、詳しく話に来るという……。
 昨日の約束通りに、葉月はアメリカキャンプ内にある『コリンズ宅』へと、彼の妻に会いに出かけることになっていた。
 葉月は、夕方まで隊長業務を片づけようと、いつも以上に必死だった。

「おー。すごい気迫……」

 あまりに葉月が根を詰めているので、隼人は思わず声をかけてしまった。

「もう、ちょっと──。あ! お願いがあるの!」

 葉月はかなり急いでいる様子で、隊長印をポンポンと押しまくっている。

「解っている。出来上がった書類を回しておけって言うんだろ?」
「正解♪ ごめんね……」
「いいよ。そうでもしないと、お前だって知り合いと会う時間が作れないもんな。帰省するのもやっとだろ? 俺達はしっかり休暇をもらっちゃっているし……」
「休暇をもらっても同じ事よ」

 葉月は四角い大きな印鑑を押しながら、サラッと言う。

「……だろうね? フロリダ帰省中もウサギさんはピョンピョン」

 呆れた口調で隼人がちょっとバカにしても、葉月は知らぬ振り。

「でも……サラに会うのは本当に久し振り!」

 手元のチェック書類があと僅かになってきて、葉月は徐々に頬が緩んできていた。
 本当に……先輩の妻に会うことになって楽しみにしている様子。

「その様子だと、残業無しにするつもりだな」
「え?……うん、だって女同士って、結構、話し出すと長いわよ?」

 そんな女性的な習性について呟く葉月が、隼人にはちょっと意外。

 葉月が長話をする『相手』というのもあまりいないから……。

「そうか。じゃぁ……今日は俺、メシは一人かな?」
「そうなるかも? 特にキャプテンのお宅にお邪魔すると何かと引き止められちゃうの」
「そうなんだ」

 家族ぐるみで、葉月は可愛がられているようだった。
 それにデイブの妻から『会いたい』と切望されるほど、親しい様子。

「いいよ。たまにはゆっくりしておいで」

 隼人は心から送り出そうという笑顔を浮かべると、葉月もにっこりと微笑み返してくれた。

「そうだわ。リサとジュリにもお菓子をお土産に買って行かなくちゃ。ああ……カフェに行かなくちゃいけないわ」
「リサとジュリ? って、もしかして……娘さん?」
「そうそう! 可愛いのよー! 二人ともデイブ中佐譲りの青い目で、サラみたいに美人なの。リサはキャプテンが日本に来る前にアメリカで生まれてつれてきたんだけど、下の子のジュリはまだ五歳なの! 日本生まれでしょ? 日本人にも慕われる名前にしたいからって、わざわざ細川中将に、名付け親を頼んだりして! 漢字も『おじ様』が考えたのよ!」
「ええ! それってすごいじゃないか!?」

 思いもしないエピソードが出てきて、隼人は驚いた!
 あの細川がプライベートで、部下に何かをするという事が想像できなかったから。

「あの時の『おじ様』ったら……まんざらでもない様子で必死で考えていたみたい。だって……私にも幾つも候補を見せて、『アメリカ帰りのお前はどう思う?』なんて聞いてきたのよ」

 そこはなんだか可笑しそうにしつつ、葉月はニヤリと笑ったのだ。

「えー! そんな中将もいるんだ」

 葉月と細川の『嬢ちゃんとおじ様』という姿も、あまり目にしない事。
 それでも……細川も根っこでは葉月がやっぱり可愛いのだなと思う話だった。

「それで、中将が付けたのが……『ジュリ』ちゃんだったんだ?」
「うん。漢字は『樹里』 樹に里ですって。それでおじ様は、お姉ちゃまのリサにも、漢字を当てることにして『莉紗』って付けて下さったのよ? キャプテンは親日家だから、すっごく喜んで大切にしているの。姉妹もそれがご自慢なのよ」
「ふーん」

 隼人も、良い話だなと微笑ましく聞き入っていた。

「終わった!」

 一頃して、葉月が大きく息を吐きながら書類をまとめた。
 時間は定時前。

「終礼は俺と山中の兄さんでしておくから……行って来いよ」
「ううん、終礼はしていく。どうせ、もうすぐでしょう? 終礼を始める前に、カフェに行って来るわね!」

 席を立ち上がると、葉月は財布片手にすっ飛んでいったのだ。

「……こういう日も有りか」

 元気な葉月を見送って、隼人は一人……微笑んでいた。
 隼人が『同僚付き合い』で、一人出かけることがあっても、葉月が一人で夜に留守も滅多にない──と、そこで隼人はハッとした

──『命日前後は葉月に単独行動はさせるな』──

 右京の忠告の一言を思い出したのだ。

「ま、まさかな……。基地内のしかもアメリカキャンプに現れるなんて事もないだろうし?」

 ちょっと引きつり笑いで、自分自身を安心させようとする。

「そ、それに……昨日の今日、決まった約束を知っているはずもないし?」

 同じように呟いて、隼人はキーボードの上に指を乗せる。

「……」
『好き勝手に現れる私設部隊の兄貴』

 どうもそれが拭えない。
 あの岬基地が占領されている時に、良いタイミングで葉月を送り出すサポートをした男だ。

 隼人は暫く……表情を止めたまま固まっていた。

 

──プル! プル!──

 たった一人で業務中の大佐室──。
 隼人の席の内線が鳴った。
 この短音は本部内からの内線。

「はい」

 隼人は気だるい仕草で受話器を取る。

『隼人兄、なんだか横浜の百貨店から電話だよ?』

 ジョイの声だったが、彼は少し不思議そうだった。

「ああ、この前の帰省で注文した物があって……回して」
『そうなんだ。百貨店の何処のお店って言わない女の人だよ』

 ジョイがなにやら意味ありげなにたついたような声で内線を回してくれる。
 隼人は苦笑いをしつつ、声が届くのを待った。

 『彼女に内緒で指輪を注文』……それを解っていての彼女の『宝石店店員』と言わなかった機転に隼人は感謝。
 その女性の声が届いた。

『お世話になっております。ジュエリーローズナーの菅原です』
「先日はお世話になりました。澤村です」
『ああ、良かったわ……』

 隼人だと判ると彼女は途端に、ホッとした声。

『基地にお電話をするなんて、初めてでしたのよ』
「あ、そうでしたか──」
『それに澤村様が残されたお届け先の部署が……大佐室だなんてあったものですから!』
「いえ……私がいる中隊は若い者ばかりですから、たいしたものではないのですが」
『あら、ご謙遜を──。お隠しになっておりましたわね? 中佐さんだと』
「あれ? どこでばれたのでしょう?」
『今、出て下さった男性が、サワムラと言えば中佐ですが間違いないですか? なんて……脅しましたのよ!?』
「ああ……そうでしたか。彼……うちの『番犬』みたいなので……」

 隼人はジョイの仕業に苦笑いをこぼした。
 きっと葉月以外の女性からの連絡だったので、わざと脅して警戒し試したのだと……。

『ところで……お急ぎとの事でしたから、昨日、横須賀基地宛てに発送しましたけど……』
「あ。そうでしたか!」

 やっと指輪がくると隼人の心がすこし舞い上がる。

『おサイズ……如何でしたか? それが気になりまして……』
「ええ。菅原さんが作ってくれた『針金ゲージ』を、彼女が寝ている間にはめたらピッタリ!」

……と……言って、隼人はハッとした。

『ふふ……まぁ、もう一緒にお住まいでしたの。お相手の方も基地の方ね? 事務官かしら?』
「いえ……ええ……」

 ちょっと照れて、隼人はたった一人……黒髪をかいて俯いた。

『それでしたら、安心いたしましたわ。今週中に届きますので、何かありましたらまた……』
「有り難うございます。ご丁寧に──」
『いいえ……島でお勤めでしたら、不自由もございましょう。いつでも……』
「有り難うございます。楽しみにしております」

 そこで隼人は受話器を置いた。

「うーん、ついに来るか!」

 隼人は満足そうに伸びをして、ふと……今は甲府に帰省中の達也のデスクを見つめた。

「……なんて報告しようかな?」

 小包がきたら、あまり目に付けられないことを祈りたかった。
 でも──いずれは言わねばならないだろうと……隼人はちょっと溜息を再び……。

 そして……やはり……。

(指輪を渡したからって……どうなんだ?)

 そんな疑問が再浮上。
 兄貴に会わせて、心よりの決着を付けさせたい。
 だが、葉月は『もう、いい』と自分では終わらせたつもりでいる。
 どこまで? あの頭では理解万全なのに、心が付いてこないお嬢ちゃんが、自分自身の心を認識しているのか?

『信じてくれないの!?』

 解っている。
 葉月自身は本気なんだ。

 解っているけど……隼人の中で、何処かまだ……『真実じゃない』という気がする。
 兄貴の存在を知る前、葉月がピルを止めていたと知った朝──。
 彼女の心を『本気だ』と認めて、受け入れたのに。
 兄貴が現れたら、その時だと割り切ったのに……。
 その兄貴がどんな人間か知った途端に……。

『だめだ……また逆戻りする』

 隼人は額を抱えて、うなだれる。

『もう、なにも考えるな。目の前の事だけ──!』

 そう……指輪が届いたら、素直に渡せばいい……。
 葉月も指輪を買った事を既に知っているのだから……。

「あー良かった! ケーキが少し残っていたわ♪」

 白いケーキ箱を片手に、葉月がご機嫌で帰ってきた。

「……? どうかしたの?」

 またもや顔色が良くなさそうな隼人に気が付いたのか……葉月が途端に心配そうな顔になる。
 隼人がそうしてちょっと浮かない顔をしているだけで、葉月も敏感に反応するようになっている。

『まだ兄様の事……こだわっているの?』

 そうでも言いたそうな顔で、それをみると隼人は慌てて笑顔になるのだ。

「いや……? メンテの担当機分けでちょっと……」
「……そうなの」

 葉月もそこで一応、笑顔は浮かべてくれたのだが……。

「あのさ……俺も行って良いかな?」
「え?」
「いや……アメリカキャンプは一度も入ったことがない。入るだけ入ってみたいからさ……。それに一言だけサラに挨拶しておきたくて。葉月をそこまで慕ってくれているんだから良いだろう?」
「……でも」
「解っているよ。奥さんから誘ってくれたんだから、女同士の話なんだろうな? 邪魔はしないで、俺も仕事があるから直ぐにここに帰ってくるから、挨拶だけ──」

 それにデイブが……葉月が出かけた後に『衝撃発言について』話にやってくるから、この為に戻ってこなくてはいけないのも本当の所。
 だが……隼人の心は少しだけ重たい。
 そこまでして葉月を一人にしないよう……サラに引き渡すまで引っ付いて行くなんて……?

『こんな事、今までの俺は絶対にしなかったのに──』

 苛々する!

 自分に対してもそうだが、ここまでさせる『兄貴の存在』が、もの凄く驚異になっている。
 それをまた認識し……葉月を束縛し始めているようで……。

「そう? サラも喜ぶとは思うけど」

 葉月はすんなり承諾してくれたが、やはり隼人をうかがうような眼差しだ。

「じゃぁ……そうしよう」

 こうせずにはいられない自分に嫌気が差しつつも……こうせずにはいられない自分──。
 そのどうしようもない心に従うことにしてしまったのだ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 終礼後──。
 基地内のいくつかの棟舎を通り越して、アメリカ人達が日常生活を送っている『アメリカキャンプ』前までやってくる。
 日本官舎からの入り口と、基地敷地内から直ぐに入れる警備口と二つある。
 勿論、目の前にある『基地敷地内警備口』から、IDカードを提示の上、入るのだ。

「まーったく、なんなのよ……」

 まるでお嬢様の『送り迎え』の如く、隼人がくっついてきたので、また『子供扱い』でもされていると思っているのか? 葉月がむくれていた。

「いいだろ? こうでもしないと入る機会なさそうだもんな」
「友達でもいれば、入れるでしょ? これからはデイビットがいるのだし、ロニーも……」

 ロベルトに関しては、葉月は語尾を濁したのだが……隼人とは特に親しい先輩になっている事は確かなことではある。

「妻帯者の家庭にお邪魔するというのは、独身者同僚付き合いとはまた気構えも変わるしな。お前だってそうだろう? 同じキャンプ内ならともかくさ──」
「そうだけど……」

 葉月は白いケーキ箱を片手に、芝庭が続く小さくて白い一戸建てが規律正しく並んでいる小径を、ひたすら歩いていた。
 家と家の間にある芝の小径で、子供達が何人か固まって遊んでいる。

「一応、学校もあるの」
「──だろうね」

 二人は、その小径からはしゃぎ声を上げながら駆けだした子供達を目で追った。

「……サラは、面倒見がよい奥様なのよ」

 ケーキの小箱を抱えた葉月は、そっと隼人の横に並んで顔を見上げてきた。

「そうなんだ。キャプテンと一緒で?」
「そう。初めて日本に来た空部隊の奥様には良く気遣っているのよ。困ったことがあると、サラのところに奥様方が集まるらしいわ」

 それは隼人も知っている。
 ロベルトが結婚にて新妻を迎えた時も、コリンズ家のお茶会に妻が楽しみに出かけている事も、そして……夫の急な転属についてきたデイビットの新妻も……。
 転属後の異国での不慣れな『主婦』生活を、サポートしてくれているのはサラだと聞かされている。
 今となっては、若妻達の間では……空部隊の良き女親分としてサラは有名であるらしいから──。

「ふーん。さすが、『親分』の奥様だな」
「あは! じゃぁ、これこそ『姐御』って言えたりして!」

 葉月が笑い出す。

「お前達は『子分』って事だな」
「そうよ! 私は大佐になっちゃったけど……」

 そこで葉月は……何かを気にしているかのように、俯いた。
 その顔が少し、気後れしたようで……何かを不安に思っているような……そんな輝きのない眼差しで、胸に抱えているケーキの箱を見下ろしていたのだ。

「……葉月」
「でも! そんなのただの『肩書き』じゃない? 私にとって、キャプテンは……ううん、コリンズ中佐は……私を育ててくれた『一番の先輩』だもの」

 何かを断ち切るように、清々しい笑顔を葉月がパッと見せる。

「そうだな……」

 隼人も、そっと微笑みながら、隣に並んで歩く葉月の栗毛をそっと撫でた。
 でも……。

『──このままであるはずがない』

 急にそんな事が気になり始めた。
 それもデイブが『キャプテンを辞める』なんて言い出したから。
 そして……葉月の何かを気にしている様子にも初めて気が付いた!

(それで? それでキャプテンは上下のけじめを付けるために!?)

 葉月のために……『辞める』。
 そういう事なのだろうか!?
 だとしたら──隼人は……それでデイブが葉月に言いそびれている事を、ここで初めて痛感したような気になる。

「どうしたの?」

 硬い面もちで……彼女を心配するように見下ろしている隼人に、葉月が首を傾げながら、そっと見上げる。

「ううん……なんでもないけど」

 隼人はそっと葉月の手を繋いで歩きながら……心の中で『大丈夫』と唱えた。
 葉月には……そんな事は伝わっていないだろう。
 だから……葉月は、手をそっと握ってくれただけで、とにかく満足そうな笑顔。
 そんな些細な彼女の満足そうな笑顔は、近頃は格別だった。
 隼人にも、それはダイレクトに伝わってくる。
 なのに──こんな風にして、彼女の後をひっついてくるなんて。
 そんな自分にまた自己嫌悪に陥りそうになった。

「ほら! あそこ! あ、サラがいるわ!」

 ご機嫌になった葉月が、走り出した!

「うわっと! 待てよ!」

 隼人の手が追いつかないので、葉月はサッと離して一直線──!

「サラーー!!」

 珍しく大きな手振りで、身体一杯に嬉しさを表現するかのような葉月の叫ぶ姿。

「葉月──!」

 白い庭柵、緑の小さな芝庭、そして……こぢんまりとした白い洋風の平屋。
 そこにウェーブがかかった長い栗毛を一つに束ねている女性がひとり。
 ジーンズと女性らしいティシャツ姿で、元気いっぱいに手を振り返している。

「お疲れ様! 待っていたわよ! 今か今かと──」

 しかも『日本語』──!
 『さすがデイブの妻』と、夫妻揃っての親日家振りがうかがえるし、長年、ここに留まっている慣れた女性だと良く解る。
 小走りで急ぐ葉月の後ろを、なんだか慌てることもなく歩いてついてくる隼人。

「まぁ──! 葉月!? ちょっと、後ろのナイスガイ……もしかして!?」

 その隼人を見つけて、サラが過剰に反応していた。
 葉月が庭柵に辿り着く。

「ええ。彼、サラに挨拶がしたいって……ついてきちゃったの。でも……忙しいからすぐに本部に帰るって……」
「まぁ──! 貴方がサワムラ中佐──!?」

 まだ二三歩辿り着かない隼人を、サラが指さし、まだ驚いている様子。

「初めまして……コリンズ夫人。お嬢さんがお世話になっています」

 『澤村です』と隼人が頭を下げて、顔を上げると……。

「もう……」

 初対面の彼女が呆れた溜息を、途端にこぼしていた。

「あの……」

 紺色生地に、銀色のスパンコールが星形に彩られているティシャツ。
 彼女のはち切れそうなグラマーなバストがツンと隼人に向けられる。
 そして……呆れた眼差しは、緑がうっすら入っているグレーの瞳。
 鼻がツンとしている濃い栗毛の……堂々としている美人だった。

「デイブが言った通りの男ね? サワムラは──」

 途端に日本語で『呼び捨て』と来て、隼人はおののいた。
 確かに、気が強そうな『姐御肌』っぽい奥さんだ。

「ええっと……?」

 戸惑って隼人が黒髪をかいていると、葉月が横で可笑しそうに笑い出す。

「許してあげて? サラ──」
「まったく……私はもう、夫から散々あなたの話を自慢話みたいに聞かされて、姿無くとも、よーく知っているのよ? 今更、初めましてなんて気分じゃないわ」

 腕を組み、ツンとするサラに、隼人は益々途方に暮れた。

「私が面倒ばかりかけるから……ごめんね。サラ……」

 葉月が、かばうように繕ってくれる。

「つまり……サラはもっと早くあなたに会いたかったと言っているのよ」

 葉月が解釈を入れてきた。

「えっと……すみません……」

 隼人も、ちょっと戸惑いながら素直に詫びてみると……。

「もう……本当に、デイブが言った通り。大人しそうで礼儀正しいって事ね。かたっくるしくて、嫌になるわ!」
「いえ……その……」

 結局、仕事場でデイブに押し切られているような感触。
 どうやら……本当に『親分の妻』。
 隼人は彼女がデイブの妻と言う事は、これで充分納得だった。

「フフ、冗談よ。今度、うちに顔見せないとこれぐらいじゃ済まないわよ」
「はい……彼女と是非」

 隼人が笑顔を浮かべると、強面だったサラがとんでもなく美しく明るい笑顔をほころばせる。

「なかなか芯がしっかりしていそうね!」

 サラに──バシリ! と、肩を叩かれて、隼人はよろける。
 それもデイブと初対面の時に、突き飛ばされた事を思い出させた。
 なんとも……美しい夫人だが『肝っ玉』と言いたくなる女性で、隼人は苦笑いをこぼしてしまった。

「なぁに? この子がひとりでキャンプに来るのが心配で送って来ちゃったの? それもデイブが言っている通りね? 本当にあなたって『葉月のナイト』って感じね!」

 意味ありげに、サラがニヤリと笑いながら、隼人を下から覗き込む。

「ええっと……そう言うわけでは。僕もあなたに会いたかったので──」
「まぁ、嬉しい事言ってくれるじゃない! なんなら、帰りも迎えに来なさいよ!」
「いえ……女性同士のお話のようですから、気が済むまで気兼ねなくと思って……」
「そう? ただ葉月に会いたかっただけよ? 一年ぐらい会っていなかったから──」

 すると、サラは葉月を愛おしそうに見下ろしながら、急にしとやかな顔になったのだ。
 葉月も……こういう頼りになる大人の女性には弱いことは前々からの兆候。
 サラに優しく見つめられて、まんざらでもなさそうに可愛らしく微笑んでいた。

「その気になったら、隼人さんも来たら?」
「え? ああ、うん……じゃぁ、早く終わったら考えておく」

 だが……そう応えつつ、やっぱり帰りも『単独』にさせたくなく、心の何処かで『そうだ。帰りも迎えに来よう』と企む隼人……。

『じゃぁね──』

 葉月を無事にサラに送り届けたので、隼人はデイブを待たせているだろうから、サッとそこで別れた。
 帰り道……ふとコリンズ家の庭に振り返ると、仲むつまじい二人の女性。
 サラが気遣うように葉月の肩を抱いて、優しく家に迎え入れたところだった。

「付き合い……長そうだな」

 ここにも葉月を影ながら心配する女性がいたようで、隼人はホッと笑顔をこぼした。
 どんな話をするのだろう?
 それを考えて、隼人は時計を眺める。

「こっちも……どんな話になる事やら?」

 隼人はデイブがとっくに『毎度のご訪問時間』で来ている頃と思い、足早に基地に戻る──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「あ、お帰り。アメリカキャンプどうだった?」

 本部に戻ると、入り口にいるジョイが笑顔で迎え入れてくれる。

「うん。世界はあそこだけアメリカって感じだったよ」
「サラに会えた?」
「ああ。本当に……コリンズ夫人って感じだった」

 ちょっと疲れた顔で隼人がぼやくと、ジョイも良く知っているのか笑い出す。

「あはは! でも、サラは気持ちの良い人だよ」
「うん。それも解った──。葉月、嬉しそうだったよ」
「だろうね……」

 ジョイも付き合いが長そうだ。
 彼は……急に何かを振り返るように、小さく微笑んで俯いたのだ。

「そうだ。そのコリンズキャプテンが大佐室で待っているよ? 今日はお嬢がいないと解っているからこないと思ったのに──。隼人兄とメンテの話をしたいから待っているって……10分前ぐらいから……」
「あ、そうなんだ……解った」

 勘づかれない理由を付けてまで待っている様子で、隼人もその足で直ぐに大佐室に入る。
 デイブが……やっぱり元気のない……いや? 真剣な面もちでソファーで待っていた。
 彼は腕を組んで……ジッと正面に見える大窓の夕暮れを遠い目で……。

「申し訳ありません……」

 隼人が声をかけて、やっと気が付いたという彼の顔。

「なんだって? お前まで俺の家まで行ったと聞いて驚いたぞ」
「ええ……その、一度、奥様にご挨拶しておきたくて」
「いいのに……そんなの。俺が上手に段取りしてあげたのにな? お前、サラに責められただろう? 今まで一度も顔を見せないって……」

 お見通しのデイブの呆れた顔に、隼人も苦笑いで誤魔化す。

「とってもアメリカ的な美人ですね。元気もよろしくて……」
「元気すぎて、困るぜ……」

 さすがのデイブも妻にやられているのか、ちょっと疲れ気味の声をこぼしたのだ。
 だが、それもちょっとした照れ隠しである事は、同じ男として隼人にも分かる。

「コーヒー飲まれますか? 僕も一杯、欲しいところなので──」
「そうだな。サワムラのは美味いからな」

 一年経って、デイブの舌を満足させられる腕に、隼人もなっていたようだ。
 隼人はキッチンに入って、湯を沸かす。

「キャプテンは甘い物はお好きじゃないですよね」

 葉月があちこちでもらってきた『菓子』を、クッキーの空き缶に貯めている。
 それを手にしてみたのだが──。

「あまりな。でも……チョコレートぐらいなら、一口欲しいかな」
「ありますよ。お嬢さんの隠し物、沢山あるんですよ」

 ソファーからキッチンに振り返ったデイブに、隼人は葉月専用の菓子箱を振って見せた。

「おいおい。後で嬢に叱られるのは勘弁だぜ?」
「結構、彼女……あちこちからもらって帰って来るんですよ。ほら……食べきれなくてこんなに沢山。一つぐらい……分かりませんよ」

 さらに蓋を開けて、隼人は笑う。
 箱の中には、クッキーに土産物の和菓子に、チョコレートにキャンディー。
 葉月が、いろいろな人に声をかけられては手にして帰ってくる物。

「嬢は……不器用なんだけど、昔に比べたら……本当に変わったかもな……」

 その缶箱にあふれる菓子を見て、デイブが感慨深げに俯いた。

「……」

 やはり、今日の彼はちょっとしんなりとしている。
 いつもはち切れんばかりのエネルギーを誰よりもみなぎらせている彼が……。
 誰よりも若々しく燃えている彼が、急に年相応の『男』に見えて、隼人は戸惑う。

「そうして菓子を手にして帰ってくるのも……最近の事じゃないのか?」
「……いえ。前からも時々は……」

 いや……デイブが言うとおりだった。
 確かに以前から葉月は、親しい人から菓子をもらったりしていたが、こんな『菓子箱』が出来たのは最近であるのは確かだった。
 息抜きに、葉月は時々口にしている。
 達也は煙草を吸うし、甘い物はあまり好まない。コーヒーもブラックと決まっている。
 隼人も……気が向かなくては口にしない。
 それで、やはり葉月が食べるしかなく貯まってゆくだけ。

「嬢は……人を寄せ付けない尖ったところがあって、皆が遠巻きにしていたが……。どうした事か? 近頃は、そうは自分から寄らなくても、一般隊員のさりげない声かけに、気遣いもそつなく受け入れたりして。その箱の菓子。カフェで一緒だから、俺はもらっているところを何度も目にしているからな」
「そうでしたか……」

 よく考えれば、そういう『場面』は隼人よりも、休憩時間は一緒にいるデイブの方が目撃度は高いだろうと思いつく。

「それが……とても嬉しい事ではあったな」
「……」

 彼の満足そうな静かな笑顔。
 今日は、嬢ちゃんと肩肘張り合いの『兄貴』ではなくて……本当に、側でジッと見守ってきた『お兄さん』といった風だった。

「彼女、奥さんに会えてとても嬉しそうでした」

 隼人は話を逸らそうと、コーヒーカップにインスタントの簡易ドリップをセットする。
 湯が沸いて、それを注いだ。

「ああ……サラは『葉月』の肩の傷の事を知っているし、葉月もそれを知っているから」

 デイブが『嬢』でなく『葉月』と言ったので、隼人の注ぐ手は一瞬、止まる。

「そうですか……中佐はいつ頃から?」
「嬢が、俺のチームに配属されて……暫くしてからフランク連隊長から聞かされた。その時は、まだ……連隊長は一個中隊の大佐だったけどな」
「随分、前の話ですね……」

 カップ二つのペーパードリップが、コポコポと音をたてながら、カップに液体が落ちているところ。

「ああ……俺と嬢ちゃんは最初はすごく『険悪』だったからな!」

 そこは急に……デイブはいつも通りに豪快に笑い飛ばしたのだ。

「……険悪、ですか?」

 入れ終わったコーヒーカップをトレイに乗せて、隼人は気兼ねない仕草で、デイブの前に差し出して、そして、隼人も向かい側に腰をかけた。
 砂糖は入れていた。
 休憩時間仕様で、親しい人に入れるときは、砂糖の分量を把握して入れるようにしている。
 そして、銀紙に包まれている外国産チョコレートを一粒、ソーサーに添えて──。

「うん。俺の味──」

 デイブが一口、満足げに目を閉じた。
 そしてデイブの眼差しが……すっと、また夕暮れに向かって遠くなる。

「いろいろあったな……。だけど、楽しかったぜ。嬢ちゃんなしで、俺のキャプテン人生は……なかっただろうな……」
「中佐……」

 彼の青い目が……スッと潤んだように見えてきて、隼人は胸が詰まりそうになる。

「あの……何故? 急にキャプテン引退を?」
「……」

 デイブがまだ言い出せないように、コーヒーを一口すする。
 だから……隼人から切り出してみる。

「彼女が……大佐になってしまったのにサブのままであるのは筋が通らないからですか?」
「……」

 デイブはまだ、黙っていた。
 すると……静かにデイブがカップを置く。
 やっと彼は隼人の目を真っ直ぐに見つめてきた。
 淡い青色の瞳が……ジッと隼人を捉える。
 彼の……いつもの気迫ある眼差しだ。

「そうだ。だが……『どこまで誤魔化せるか、許されるか』俺は黙っているつもりだった。別に嬢ちゃんに上に行かれた事を、皆に騒いで欲しくないとかではなく……」
「解っていますよ」

 隼人はデイブにも、葉月が感じているような『筋が通っていない上下関係』になってしまった事。
 キャプテンが中佐で、サブが大佐というそんな『追い抜かれた』先輩になってしまった事を、皆に変な目で見られる事を気にしない男だとは重々解っているから……そこまで言わせたくなく、サッと言葉を挟んでみた。
 すると、デイブはそんな隼人の理解に嬉しそうに……目を閉じて微笑んだだけ。そして……。

「ずっと一緒にやりたかったんだ。だから……『上』から言われるまで素知らぬ振りをしようと……」
「……ついに、上から?」
「ああ……。今、四中隊と五中隊の空部隊は共同になっているが……」

 デイブはまた……カップを手にして、しばらくそれをクルクルと回し、水面を眺めていた。

「五中隊にいる俺達のフライトチームメンバーを、全部、嬢の手元の四中隊にまとめると言われた」
「──!!」

 隼人の息が一瞬止まる──。

「そ、それは? 五中隊から空部隊が無くなるという事ですか?」
「そうじゃないみたいだが、今いるチームメイトは四中隊に異動との事だ」
「あの……それはコリンズ中佐も四中隊に異動になると言う事ですか?」
「そういう道もあると言われた」
「つまり……?」
「嬢の部下になるか……五中隊に残って何をするべきか……」
「パイロットがひとりだけ残って……五中隊で何を? 五中隊の空軍管理もまさか……四中隊に?」
「それは──検討中との事らしい。とにかく、空部大佐でもある嬢の下にまとめるとさ……」
「それで……中佐のポジションは──?」

 とにかく隼人には、『合併』の話は空軍管理長としても初耳で衝撃的だった!
 フランシスにリュウと言った葉月の先輩に当たるパイロットはほぼ五中隊の班室に所属。
 『チーム中隊』という名目の下、弱小四中空部隊が『お世話になっている』という形で葉月が入り、マイケルが入り……平井が入りという様にフライトチームが固まったのだ。

 なのに……今度は五中隊から奪うが如く……四中隊に組み込むというのだから──!

「あの……中佐はどう思われているのですか?」

 これでは、デイブが『キャプテン辞める』と言い出しても、仕方がないと納得した。

「……俺は、嬢の力になる事はいとわないが、でも……」

 彼はコーヒーのカップを回したまま、まだ俯いていた。
 そして……。

「でも……やはり、嬢のこの本部に俺のような『先輩』がいて有り難られても……俺は、いるべきではないと……そんな気がする」
「しかし──! 五中隊に空部隊が無くなったら……!」

 デイブの居場所がないではないか──!?
 そうなると……隼人の脳裏に過ぎったのは……『フロリダ転属、帰国』だった──!

「帰られるおつもりで?」

 隼人は茫然としながらも、それは聞かずにはいられなかった。

「……そうだな。どうしようもなければ、俺もパイロットとしては下り坂の歳になったのだろうかな? とにかく──今度の航空ショーが終わったら、フライトチームから抜ける心積もりだ」
「──!」

(そんな……!)

 隼人はさらにショックを受けた。
 毎日、毎日……葉月に会いに来る先輩が、いなくなってしまうなんて考えられない!
 葉月は元より、隼人にとっても……『彼がいるから、安心』という気持ちは大きいのだと、この時改めて強く感じた!

『御園大佐の部下になる』
『五中隊での新たなポジションを見いだす』
『フロリダに転属、帰国する』

 デイブの今後の選択は、この三つになるのだろうか?
 デイブの近頃のらしくない姿は……成長しつつある『後輩中隊』に押し出され、卒業を言い渡された先輩になった事。
 そして……その後の身の置き方に苦悩していた事だと……隼人は、やっと解った。

 葉月の嘆く姿が、ふと脳裏に浮かんだ。

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