太陽の光が降り注ぐ午前。
達也が入れ替わりの休暇に出かけた為、隼人は大佐室で一人、業務中。
葉月はいつもの午前訓練に出かけていた。
「うーん、皆、それぞれ希望があるのは分かるけど……」
隼人は初ミーティングでメンバーが希望したリストを眺めて溜息をついた。
デイビットは問題ない。
彼は……『俺は中佐の指示に従うよ』と従順だし、協力的。
本当は、彼にはデイブと並んでベテランパイロットである『フランシス大尉』の五号機を、お願いしようと思っていたのだ。
コリンズチームは十機。
五号機は真ん中に当たるので、デイブがその中心にベテランを置いたように、隼人もサブのデイビットを真ん中に置こうと思っていたのだ。
ベテランパイロットに、落ちついたサブキャプテンのメンテ員。
デイビットなら、隼人が目が届かない奥の後半機まで目を配ってくれるだろう。
「俺のサポートである一号機と葉月の二号機……。ここに変に固まったな」
エディは断然、葉月機希望。トリシアも、もう退く気もないらしい。
それに立候補した三宅に、フランス側からはあの昨年の教え子であるヨハンまで希望してきた。
コリンズチームには日本人パイロットがもう一人──『平井』
ここに日本人メンテ員の青年が数名、希望。
「国際提携基地は初めてで、アメリカ人慣れしていないからかな?」
確かに、そこには日本人青年を付けようとは思っていたのだが。
隼人が割り当てていた『篠山』が、意外にも三号機のリュウのポジションを希望。
「まぁ……これから様子見だな」
隼人は『動かねば判らぬ所』と辿り着いて、リストをデスクに放った。
──ヒュー……ゴゥー!──
基地の棟舎のほとんどは『防音ガラス』
それでも一人きりの大佐室にそんな航空機の轟音が響き渡った。
隼人は席を立った。
「お、葉月達……やっているな」
大佐席後ろの大窓、そこにかかっている薄い白カーテンを隼人は開けた。
──ヒュー……──
「!」
隼人の目の前。
真っ青な空に、クッキリとした白い飛行機雲が飛び込んだ!
「まさか! あれ……葉月!?」
目の前に広がった飛行図は、まるでブラシスプレーで吹き付けたらくがきの様……!
一機の戦闘機が鋭角で真っ直ぐなラインを上空へと引いていた。
驚いたのはそれだけじゃない。
その真っ直ぐ斜めに引かれた美しい直線を軸に、後から追ってくる戦闘機が一回転……二回転……ぐるぐると螺旋を描きながら回っているアクロバット中!
──『四回転やるんだ!』──
「コリンズ中佐!?」
デイブのあの『無茶言』を思い出して、隼人は思わず窓に張り付いた!
葉月であろう機体がまだ上昇を続けている。
(あんな急上昇……!)
身体にかかる気圧の負担はただものではないはずだ!
だが、追ってくる後機は、二回転が終わって三回転に入ろうとしている!
「せめて三回転! 中佐、後、少し!」
隼人は拳を握って振ってしまっていた。
ところが……美しい直線の軸から、回転のラインが崩れて下降していった。
しかも……二回転半で、後機がそれて直線飛行に戻る。
「あー……」
隼人は窓ガラスに両手をついてガックリとうなだれた。
『やっぱり無理なのかな?』
隼人は一瞬、頭の中でそう思った。
だが、隼人はふんわりと空に崩れて流れて行く飛行機雲を眺める。
「出来たらすごいな。コリンズ中佐……本気なんだ」
そして……『葉月』も。
彼が多くの回転を描ける様な鋭角で長い直線を急上昇にて描く努力を、隼人は見たような気がする。
「はぁ……俺も頑張らないと」
隼人はカーテンを半分開いたまま席に戻った。
その後も暫し、小笠原の滑走路側海上にて、手に汗握るような各機の飛行図に、隼人もしばしば視線が奪われてしまっていた。
上から降下しての開花するような放射線飛行図。
左右から数機が時間差で向かい合ってクロスするタッククロス。
美しいダイヤモンドの編成を組んでの曲線飛行。
いつもバラバラと散らばる演舞のような演習とは違って、目に美しい飛行雲が、小笠原基地の空に広がり続けていたのだ。
・・・◇・◇・◇・・・
騒がしい管制塔の『男子ロッカールーム』
訓練を終えた『コリンズフライトチーム』男性9名が、シャワーに着替えに賑わっている所だった。
「はぁ! 腹へったー! 一日で一番お楽しみの時間が到来、到来!」
下半身に白いバスタオルを巻いてシャワーから出てきたのは、コリアンのリュウ。
「ちょーっとリュウさぁー。最近、腕を上げたかなんだか知らないけど、俺を煽るのはやめてくれよな」
同じくシャワーから出てきて、小言を呟いたのは栗毛のマイケル。
葉月のすぐ下になる後輩で四号機の彼。
「なんだって? それって責めてるのか誉めてるのか?」
「どっちもだよ! 編成組むときに俺に近寄り過ぎって言っているんだよ」
「そうじゃなきゃ、綺麗なダイヤ型が作れないだろ? 隙間だらけじゃ見た目に美しくないって、細川監督も言っていたじゃないか?」
「なーんだよ。今日も翼が接触するのじゃないかって、俺、ドキドキしたんだ!」
「お前がしなくても、感覚は俺に任せろって!」
「そーはいうけどさぁ!」
若い二人は、いつも訓練後のお互いを、評価、批判しあっている仲で一番、賑やかなペアだった。
リュウが先輩であり、彼はここ数年でメキメキと……キャプテン並の度胸と腕前をつけつつある。
昔は、『同等』と言われた先輩が、頭一個、二個と先に出て行くので、それに置いて行かれまいと、マイケルは必死なのだ。
「賑やかだなー」
そんな若者の熱気ある触れ合いを、微笑ましく見守っているのは……栗毛に青い瞳のマーク=フランシス大尉。
ロッカーはキャプテンのデイブと隣同士で、こちらは大人らしく寡黙に身支度をしている所。
「ああ、いつもだな」
デイブも先にシャワーをひと浴びして、下着を履き、白いカッターシャツを羽織った所だった。
フランシスも同じく。
「今日は惜しかったな。二回転半か……」
フランシスがそれとなく呟く。
「ああ……」
「デイブなら出来るさ」
「出来なくて元々で挑むさ──。今までの様に『ムキ』になるのはやめるんだ」
「……デイブ?」
フランシスが首を傾げた。
「何かあったのか?」
彼は静かな小さな声でデイブの耳元で囁いた。
「──別に?」
すると、フランシスが鼻下の細い栗毛のヒゲを撫でながら、溜息をついた。
「そうかな? これでもそっとしているつもりなんだけど。この前から……おかしいと思ってね」
「気のせいだ」
デイブは始終、硬い口調で……ロッカーからスラックスと詰め襟ジャケットを取り出す。
「それならいいけど……」
「おっさん。俺の事、叱らなかったな……」
「え?」
急に違うことを呟いたデイブに、フランシスは首を傾げた。
「勝手なことをせずに……言うとおりにしろと……いつもなら言いそうなのにな」
型どおりの飛行パターン。
それを破ってデイブは、葉月と口裏を合わせて、今日の訓練にチャレンジしたのだ。
『後で叱られるわね。でも、大丈夫。任せて! キャプテン!』
葉月も恐れることなく、デイブの『挑戦』に付き合ってくれたのだ。
『嬢、鋭角で頼んだゾ。きついかもしれないが、お前なら出来る!』
『オーライ!』
上空での『二人だけの謀』
葉月がそれに合わせて、鋭い角度の上昇を始める──。
『・・ど・どう・・?』
彼女の重力に耐える声が雑音混じりに届く。
『オッケイ……』
コックピットの目の前に、葉月が描いた直線。
それ見定めて、デイブはスロットルをきつく握りしめた。
コックピットに彼女が残した飛行機雲が八方に、回転するように──!
だが……やはり従来の二回転がやっとだった。
角度が鋭すぎるからか?
『今度はもうちょっと、角度を緩めるわ──』
葉月も諦めない。
だが……まだ、彼女もデイブもお互いの『感覚合わせ』が始まったばかり。
まだまだ噛み合っていなくて当然だった。
勝手な事をしていれば──。
『ビーストーム、1、2! 2機、勝手な事をするな!!』
そんな細川の声が届くはずだった。
なのに──。
『今日は、コークスクリューはその辺にしておけ。次はタッククロスに移れ。各機、それぞれのポジションへ移動しろ』
彼の指示はそれだけ……。
そして……甲板に戻っても、あの細川は、デイブと葉月の『謀』に一言も触れることはなかった。
『なーんか調子狂うわね。すっごく怒鳴られる覚悟で着艦してきたのに──』
葉月も腑に落ちない顔をしていたのだ。
「ああ……そういえば、今日は怒らなかったな?」
絶対に『叱咤』を忘れないあの将軍が、黙って訓練を眺めていた事に、マークも気が付く。
「どういうつもりなんだろうな。いつも通りの方がしっくりする。拍子抜けだ……」
デイブは不服そうに……一度掴んだジャケットをロッカーに放り投げた。
「……まぁ、平和だけどね。けど、デイブが言うとおりに、あの人が叱らないとうちはダメだしね」
「くそ!」
デイブは、多少濡れている短い金髪をクシャクシャとかき乱す。
「本当は……何かあったんだろ?」
「別に?」
デイブはまた、元の素っ気ない返事。
マークはそんな『頑なに』拒むような同僚の様子に溜め息をついて、黙り込んでしまった。
『よーし! メシに行くぞ!』
身なりを整えたデイブが、いつもの威勢で男性パイロット達をまとめようとする。
『ラジャー♪』
男性パイロッ8名の元気良い応答も、いつもと変わらない。
皆、デイブの後を引っ付いてくる。
デイブはフッと隣の女子ロッカーの扉をみつめる。
「まったく。本当に女ってヤツは……」
ここで彼女も元気良く返事をして、ひっついてこれるといいのに……デイブはそう思って、ぼやいたのだ。
「でも、お嬢も近頃女性らしくなって……。身支度が長いのは女性の証拠」
マークがいつものお決まりの『慰め』を、いつもの笑顔で呟く。
「そうだけどさ──」
彼女が男性達より早く支度が終わった試しがない。
いつも、十分は遅れてカフェにやってくる。
「いよいよ来週の訓練で、ハリスメンテがサポートの日、澤村メンテと対面だね」
「ああ……。いよいよだな。モタモタしていたら怒鳴ってやるさ!」
デイブもそれを思い出して、いつもの威勢良い声で笑い飛ばした。
フランシスがそんなデイブを見て、ホッとした顔──。
『コリンズ、話がある。私の所まで来て欲しい』
つい最近──。
デイブは個別にて、細川の中将室へと呼ばれた。
その時……細川が言い出した事に『衝撃』を受けた!
だが……細川の『説明』に抵抗することなく『納得』してしまったのだ。
『納得』した自分は『大人の自分』であり『職務人』だった。
だが……心の奥で『暴れん坊のスズメバチ』である本来の気性が否定している。
だけど……もう……俺はただの『スズメバチ』ではない。
『親分』に……いつのまにかなっていたのだから。
だから……『納得』したのだ。
葉月に何度か打ち明けようとした。
だけど……彼女の頑張っている活き活きとしたパイロットとしての姿を見ると言い出せない。
それで……その相棒である『隼人』に打ち明けることにした。
その機会はまだ得ていないが、隼人が甲板に出てくるまでに、なんとかしようと思っている。
・・・◇・◇・◇・・・
夕方の業務中──。
「静かだなー」
隼人はノートパソコンから視線を外して、小休止の伸びをする。
目の前の『男相棒』達也もいないし……葉月は午後の空軍ミーティングに出かけていた。
「失礼します」
「おつかれ……」
テッドが大佐室に入室してきた。
「まめだなー。テッドは偉い」
彼が何をしに来たか判っていて、隼人は一声かけてみた。
「いえ……海野中佐に言い付けられている事ですから」
彼のいつもの無表情で、そっけない返事。
彼が入ったのはキッチンだった。
そう……彼は近頃、葉月が空軍ミーティングから帰ってくると、『アフタヌーンティー』ならぬ『イブニングティー』の様に葉月に一杯を用意するように。
(本当に、達也の言いつけなのかな?)
隼人はちょっと首を傾げた。
葉月の話では……達也が言う所によると……『テッドはお前に気がある』──らしいから。
(毎度の事だけどな)
隼人は溜息をついた。
先日、吾郎の面談の時にも思ったことだが、密かに葉月に惹かれている男なんて……いったい何人いる事やら?
そんな事、いちいち気にしていたら始まらないし、隼人には隼人だけの『強み』というのは確実に、この手に入れているのだから。
こういっては何だが……『男の子』は敵ではないのだ。
そんなテッドの様子を見抜いていいるような達也が……『俺がいない間。大佐のお茶入れ、頼んだゾ』なんて……言ったのだろうか? それとも?
『これも葉月に男性本部員と上手い距離感を持たす為』
……なんて……思ったのだろうか?
その方が確証が高い。
「ただいま!」
葉月がノートを小脇に抱えて、元気いっぱいに帰ってきた。
「お疲れ……。今日も大変そうだったな」
葉月が朝、訓練に出かけてから、二人は大佐室でもすれ違いばかりだった。
隼人も始動するメンテチームとの綿密なミーティング。
佐藤とロベルトとの意向の話し合い。
そして、慣れるまでは二チーム一緒に甲板に……という事でサポートに当たってくれる源中佐との話し合い。
葉月と大佐室で顔を合わせても、どちらかが席を立っては出かける姿勢になっていたのだ。
『すごかったなー! お前、大丈夫なのかよ?』
ランチから帰ってきた葉月に、訓練風景を眺めていた隼人は、そんな一言で労った。
『あら、やだ。私の事、まだパイロットだって認めてくれていないの?』
葉月がツンとしてむくれる仕草もいつもの事。
『なんだと? 認めているけど心配しているのに──。じゃぁ、俺は出かけるから』
『いってらっしゃい』
女上官の顔でなく、葉月もそこはマンションにいる時のように、優美に微笑んで送りだしてくれた。
達也がいないせいもあって、多少……気兼ねない顔になってしまうようだった。
隼人もその笑顔を胸に留めて、和やかに出かけた。
それからも──二人はすれ違い。
たった今……やっと大佐室で一緒になった所だった。
「テッドがお茶を入れてくれている」
隼人はちょっと葉月の反応をうかがうように、伝えてみた。
「もう……気を遣わなくて良いって言っているのに……」
葉月もちょっと億劫そうだった。
「海野中佐のいいつけらしいぞ」
「──らしいわね? 達也ったら……」
『からかっているのかしら?』とでも言いそうな葉月は、そこでふてくされて黙り込んだのだ。
(あ、なんだ。やっぱり達也の言いつけか)
それなら達也も『距離感』として、言い付けたのだと思ったから……。
年下の男は『相手じゃない』と思っていた自分なのに、ホッとしている自分に隼人は我に返る。
(どうも……近頃の俺は、葉月に対して独占欲が強いというかぁ……)
そんな気もした。
今までは、誰が側に寄ってきても『それが?』と余裕だった自分は何処に行ってしまったのだろう?
「はぁ……なんだかしっくりこないのよね」
大佐席に落ちついて、いつもの隊長業務の準備を始めた葉月が溜息。
「な、なにが?」
今の自分の様子を悟られたのかと思って、隼人はちょっと口ごもってしまった。
「細川中将。なんだか……厳しくないの」
「叱られなかったのか? あのコークスクリューの荒技試み。ばれたんだろ?」
「ところが……お叱り無しよ」
「へぇ? それはそれは……」
それは本当に隼人も意外で驚いた。
あの細川が『雷』を落とさない日などないのに──。
だけど、デイブと葉月はそこを破って伸びてきたという事もある。
細川は、監督としての的確な指示は出すが『言う事ばかりを聞く優等生』よりかは、『そこを破っても結果オーライ』で伸びて行く『自主性精神』を重んじている所がある。
デイブと葉月は、まさに後者のタイプで……二人が型を破ると他のメンバーがついてくる……と、いうのがコリンズチームの『システム』の様な物で、隼人はそんな風に見ている。
だけど……細川は『心で認めつつ』も監督として暴走はしないように、一度は雷を落として二人の型破りに釘は差すという感じだったのに……『お叱り無し』ときたという事で、葉月もそこは調子が狂っている様子だった。
「それになんだか……最近、キャプテンの様子がおかしいような気がするのね?」
「え?」
隼人はドッキリした。
『嬢に悟られないように……俺と二人で話をしたいんだが……』
あの元気なデイブが、眼差しを陰らせて隼人に申し出た『あの事』を思い出したのだ。
「そうなんだ」
『嬢』に知られたくないのだからと、隼人はそれとなく流す。
「あのいつでも元気なキャプテンがね……時々、らしくないの」
溜息をつきながら、葉月は書類を広げている。
「よろしいですか?」
大佐席と側近席が並ぶこの場所に、テッドがトレイに紅茶を乗せて、ちょっと入りにくそうにやってきた。
「ええ。いいわよ」
葉月の素っ気ない返事。
そこは『業務中の女上官』の顔にすり替わったのだ。
「失礼いたします」
テッドが葉月の右側に回ってくる。
「……」
葉月は部下がするまま、何も反応しない様子で書類に向かい始める。
「……」
テッドもそんな葉月の硬い様子に緊張しているのか厳かに、カップを置いて一礼した。
そして……そっとその場を下がる。
部下が下がったのを見計らって、葉月がやっとカップに手を伸ばす。
「あら? このお砂糖……」
小さな金色のスプーンに乗せられた角砂糖に、葉月が反応した。
「はい……その、近頃の『お気に入りだから』と海野中佐に言われましたので……」
テッドが葉月に出したお茶に添えた角砂糖は『隼人のお土産』だった。
「あら……今日はチェリーなのね」
角砂糖の上には、小さなさくらんぼうの飾り。
それをミルクティーに溶かすと水面にその飾りだけが浮かぶという物。
葉月はここ最近、その角砂糖を溶かしては、隼人に『みてみて!』と、子供の様にはしゃいで見せるのだ。
葉月の一日の『ちょっとした楽しみ』になった様で、隼人も見繕った本人として満足だった。
「はい。なんでも……ウサギの飾り砂糖だけは……大佐の指示なしに出すなと、海野中佐に言われています」
『え!』
葉月と隼人は揃って顔を見合わせた。
「ウサギが、お好きなのですか?」
テッドもそんな二人の様子に、首を傾げていた。
「べっつに……す、好きじゃ……ないけど、好きかも」
葉月が頬を染めながら、角砂糖をポイッと紅茶に放り込んだ。
(達也のヤツ!)
隼人もちょっとふてくされた。
ふてくされたと言うより、なんだが『見透かされている』事に照れたのだが──。
隼人が葉月のことを『ウサギ、ウサギ』と言う事が、達也の中でも定着しつつあるようだ。
『きっと葉月は、このウサギの飾りは最後まで取っておくだろうな』
達也はそう思って……。
テッドが留守の間に、出さないように指示していたのだと判って……。
葉月も同じ様だが、恥ずかしくて堪らないらしい。
テッドは葉月の曖昧な反応に、首をさらに傾げていたのだが……。
「訓練、お疲れ様でした。今日は本部でも、窓辺に広がる光景に、皆、興奮していましたよ。ごゆっくり、おやすみください──」
それだけ言って、もう一度葉月に一礼をして背を向けたのだ。
「有り難う──」
葉月はさらに毎度の如くのツンとした様子で、カップに口を付ける。
(葉月が考えている距離は……そういう事なのかな?)
達也が、『女性特有の匂い』をちらつかせるな……と、葉月に釘を差してから、結局、葉月は以前のような硬い女大佐に戻ってしまった気がするのだが?
だからといって笑顔を振りまくだけでは、達也が言うとおり『男と女』の妙な馴れ合いが生じるとも限らない。
実際に、葉月は側にいる隼人とこういう『仲』になったわけだし?
だけど、隼人との間でも『職務』での距離は……少なくとも二人の間では上手く確立している。
それを……他の男の子にも上手に出来るように……。
達也もそう願っているからの『提言』だったと思うのだが……。すると──。
「ラングラー大尉」
スッと静かにカップを置いた葉月が、呟いた。
「はい」
去ろうとしたテッドが振り向く。
「美味しくなってきたわね。合格はまだまだだけど……」
葉月はペンを持って、書類に向きながらそう言った。
そして、俯いてはいたが……柔らかい笑顔を僅かに浮かべていたのだ。
「あ、有り難うございます!」
驚いたテッドが慌てて頭を下げる。
「あの──!」
それにつられるように、テッドが思い切りをつけたように何かを言おうとしていた。
だが……書類に向かっている葉月の姿に口を閉ざしたのだ。
しかし……葉月がスッと呟き始める。
「解るわよ。テッドが一番、努力しているわ。雑誌でもみて勉強したの? その努力を解っているのは、私だけじゃないわ。だから……海野が私のお茶入れにテッドを指名して留守にしたと思うの」
「──! 大佐……?」
ペンを走らせつつ、葉月は仕事をしながらも……柔らかい声でテッドを労う。
「この調子でよろしくね──」
「はい!」
テッドも嬉しそうだった。
そして──。
「あの……その角砂糖なんですが、使い切ったら大佐の楽しみもなくなるだろうと思って……色々、探してみました。それで……」
テッドが言い出せなかった事を思い切って言っている様子。
「これは私個人の趣味だから……自分で揃えるわ」
「……あの! 通販でもありましたよ? 河上大尉にそういう雑誌を借りて見つけたんです」
「なんだ……通販であるんだ」
購入した本人である隼人は、それを知ってホッとしたような気分。
葉月の『お楽しみ』になってしまっている様だったから、なくなったその後を、隼人もちょっと残念に思っていたのだ。
横浜の父が来るときに、お土産に頼もうかと思っていたくらいだ。
それを……テッドが探していたという事だ。
「そう……だったら、洋子さんからその通販誌を貸してもらうわ」
「そうですか。私が借りていますので、河上さんに次に貸してもらえるよう頼んでみますね」
テッドは『俺が揃えたい』とは言わずに、そこも葉月個人の楽しみとして『大佐室費用』から、出さない姿勢にすぐに納得したのか、出しゃばるような事は言わずに笑顔だった。
すると……葉月が『くす』と笑ったのだ。
「なにか?」
「……だって、テッドが女性通販誌を眺めているなんて可笑しいわよ。ね? 中佐」
葉月がやっと顔を上げて、笑い出した。
「あはは! 本当だ。だけど熱心な証拠だよ。手にしない物を手にするんだから?」
「そ、そうですか? 河上大尉に聞いたんですよ。お茶道具とか茶材を探すにはどうすれば良いかと。カフェ雑貨だと、皆が購入するじゃないですか? そうしたら……通販誌を……」
テッドが頬を染める。
「女性通販誌じゃなくても、百貨店が出している通販誌もあるわよ? ネットで取り寄せられるとおもうわ」
「そうでしたか。早速、色々と探してみます」
「ええ、今度は何を見つけるか楽しみにしているわね……『大尉』」
葉月はテッドを階級呼びで締めくくった。
それに、会話の中に『側近』も誘って二人だけの会話にはしない。
テッドが満足そうに大佐室を出ていった。
「お見事かな?」
隼人はそっと一言。
「なにが?」
葉月はとぼけた顔をして、直ぐに書類に向かい始める。
「ううん……別に」
お互いに解っていて言葉にしない。
だけど、言いたいことは解っている。
それが通じたと思ったから、隼人もそこで黙ることにした。
「あの子はいい秘書官になるわ。皆の賛成がもらえたら……今年か来年にでも『佐官試験』をさせてあげたいわね」
書類に向かっている葉月が、ペンを走らせながら唐突に言い出したのだ。
隼人はちょっと驚きつつも……
「ああ、いいね。俺も賛成──。テッドは絶対にうちの良い人材の一人だろうからね」
「そうね。大事に育てたいんでしょうね……特に、達也」
「ああ……そういう事だったんだ」
育てたいから、『女ひとつ』でダメにしたくない。
だから……葉月にそうならないように釘を差した。
つまり……達也が一番『お気に入り』という事らしかった。
葉月はそれを知って……それで『距離感』については、いつも通りに放って補佐官任せにしたくても、面倒くさそうにしながらも……結局、上手に運べるように努力したという事だろうか?
(努力って言うか……すんなりやれるとことがウサギの怖い所かな)
その気になれば、葉月は直ぐに自分の物にする感覚は、さすが『最年少大佐』と言いたいところで、隼人も認めている。
(さて……女としてはどうなのかな?)
隼人は夕暮れの側近席で……真剣に仕事態勢に入った葉月を横目に、そっと溜息をこぼす。
時々、葉月がテッドのミルクティーに口を付けていた。
そして、急にスプーンを手にして笑い出したのだ。
「みてみて!」
『またか……』と、隼人は急に女の子になった葉月の毎度の『砂糖飾り披露』に苦笑い。
「──はいはい、何を言っているんだか……食べちゃったんだから何処にもなくなったな」
いつもの天の邪鬼で照れ隠しだ。
「……意地悪ね。いいわよ、別に」
葉月もいつも通りにむくれて、書類に向かい始めた。
『女もそれなりに……』
……なってきたかな? と、隼人はそっと静かに微笑んだ。
きっと、今のは……隼人だけの『ウサギさん』
・・・◇・◇・◇・・・
その後──定時まで大佐室の二人は本日の追い上げ業務中。
この時は、二人もあまり会話を交わさない。
静かな大佐室で、隼人がキーボードを打つ音が、一番高く鳴り響く。
その静寂を破ったのは……
「うっす! 嬢いるか〜♪」
毎度のデイブだった。
だが……葉月と隼人はお互いに腕時計を見てしまった。
まだ、定時の『ラッパ』が鳴っていなかったからだ。
「どうされたの? 早いですわね?」
いつも冷たい出迎えの葉月が、今日は何か感じるのかサッと席を立ったじゃないか?
テッドとのやり取りで、『デイブの元気がない』という話がうやむやのままだったので、隼人も急にハッとした。
「あー。なんとなく、手元の仕事が早く終わってしまってなぁ?」
肝心のデイブは、とぼけた顔で短い金髪をカリカリかいたかと思うと、いつものように、堂々と応接ソファーに座ってふんぞり返る有様。
葉月は眉間にシワをよせつつ、溜息をついていた。
だが……
「終礼が終わったら、行きますから」
この葉月の素直な応対にも、隼人はちょっと驚きだ。
いつもは連れ出すデイブに渋々ながらに、やっと腰を上げると言った具合なのに──。
だが、デイブも……
「んー。そうか……じゃぁ、今日は、先に行っている」
……なんて……驚くわけでもなく、素直な葉月をいつものように受け止めている。
そして、デイブが腰を上げて、早々に大佐室を出ていこうとしていた。
「ああ……そうだ。嬢──」
デイブがふと大佐室に振り返った。
「はい」
「明日か明後日かな? サラが会いたいと言っているんだが……。夕方、定時が過ぎてからでも構わないから、一時間か二時間ぐらい空けられないか?」
「え? サラが……?」
『サラ』というのは、デイブの妻の事。
隼人はまだ会ったことがないが、葉月が言うには栗毛のスタイル抜群美人という事だった。
──『サラは、デイブ中佐の奥様だけあってパワフルよ』──
隼人はそう聞かされている。
「ああ、もうだいぶ会っていないだろう? 会いたくて堪らないとうるさいんだ。俺はさ……嬢は、大佐になったから今は簡単には時間が作れないと言ったんだけどな」
忙しい葉月に申し訳なさそうに、気後れしたデイブの笑顔。
「そう……」
葉月はちょっと眼差しを伏せて一時考え込み、そして……そっとデイブをうかがっている。
きっと……『何かあった』と葉月の勘が走ったのだろう。
それが……隼人にも伝わってきた。
「行ってきたら? 夕方で構わないようだから、それまでに事務を仕上げても良いし……。家でも出来るし、帰ってきて残業も出来るだろう?」
隼人も……何かありそうだと思って勧めてみた。
「そうね……じゃぁ、明日で良ければ……と、サラに伝えて下さる?」
「本当か!?」
デイブにパッと笑顔が広がった。
「良かったー! 俺の顔が立った!」
彼がホッと胸をなで下ろした。
相当、妻につつかれていたようで、葉月と隼人も顔を見合わせて微笑んだ。
「だったら! サラに直ぐに報告してくるな!」
デイブがサッと出て行った──。
「ええっと……ちょっとトイレに行ってこよう」
隼人は妙な胸騒ぎがして、それなりの理由を付けて即座に『離席』する。
廊下に出て、デイブを追いかけようとすると……彼はポケットに手を突っ込んで……背を丸めてゆっくりと歩いていたのだ。
(本当だ……らしくない!)
そんな彼は見たことがないから!
「コリンズ中佐!」
隼人は声をかけて、直ぐに彼の背を追った。
デイブが振り向く──。
「中佐……。この前のお誘いの事なんですが……気になっていて……」
隼人から切り出してみた。
「ああ……あの事か」
デイブは、急に背筋を伸ばして……『それがどうした?』と言うようにとぼけた顔。
だが──次に彼が言いだした事。
「俺、キャプテンを引退する事にしたんだ」
「──!」
その時、デイブは途端に真顔になった。
冗談には聞こえなかった隼人は……驚きの声も出せずに、そのまま硬直してしまった!
「明日……話す。上手い具合に嬢がいなくなるだろ? その時にお前の所に行くよ──」
デイブは力無く微笑んだかと思うと、『大丈夫だよ』というように、隼人の肩を叩いて去っていった。
『コリンズ中佐が……キャプテンを辞める!?』
──だったら? その後、葉月達を残して、あのフライトチームはどうなるのだろうか!?
隼人はただ……衝撃が強く、そのままデイブを見送ってしまった。