九月になると七里ヶ浜の海の波は、荒くなる。
まだ残暑の照りつけの名残はあるけど、サーフボードを抱えたサーファー達が、波打ち際に散らばっている光景は続いている。
真一の手には、季節外れの『チューリップ』の花束。
医学訓練生の制服を着て、この花束を抱えていると、江ノ電に乗っていても、かなり目立つ格好だった。
「綺麗ね」
席に座らずにドア際に立っていると、すぐ側に座っていたおばさんが、ニッコリと微笑んでくれた。
「有り難うございます。母が好きな花なのです」
「まぁ……良い心がけね?」
おばさんはちょっと驚いた顔。
それがお参りの花とも見舞いの花とも……どう思い描いたかは真一には分からないが、そのような事を思って驚いたのだろうという事は解る。
「お母さん、喜ぶわよ」
「きっと──」
真一が微笑むと、おばさんはちょっと頬を染めた。
──ガー……ゴトン・ゴトン……──
通り過ぎる踏切の音を何度も聞き過ごして……下車駅へとたどり着いた。
真一は、話しかけてくれた婦人に会釈をして、開いたドアから降りた。
おばさんは、にっこりと手を振ってくれる。
皆が真一をずっと見ていた。
「やっぱ、俺って目立つのかな?」
茶色の髪をつまんでみる。
駅のガラス窓に映る茶色の瞳。
水色の軍制服。
チューリップの花束。
「別に格好付けているつもりはないんだけど……」
駅を出て、外人墓地がある教会まで向かおうと歩き出す。
土曜の休日とあって、駅前には短いスカートを穿いた粋な十代の女の子達が、友達同士と待ち合わせなのか、所々で携帯電話片手にさざめき合っている。
その女の子達にもジロジロと見られている!
(……苦手なんだよなぁ?)
真一はフッと溜息をついて歩き出した。
『御園君は……お付き合いしている女の子はいるの?』
小笠原でも廊下などで、看護科の女の子にそんな風に声をかけられることが増えた。
しかも寮の前に待っている事もある。女子寮は男子寮とは反対の基地敷地内にあるのに。
『まただぜ? なんとかしてやれよ。真一』
エリックが呆れた溜息をつく──。
この場合は、女の子に対してエリックは溜息をついているのだ。
(きっと急に背が伸びたからかな?)
エリックと並ぶぐらいに急に伸びたから──。
実は、真一よりも早い時期に、エリックはこの攻撃に頭を痛めていた。
エリックは背も高いし、頭も良いので本訓練生になると急に女の子から声をかけられるように……。
『いいじゃん……エリックは格好良いモンなぁ!』
……なんて……他人事の様にからかっていた。
真一より慎重で冷静で、それでいて手堅いエリックは、そんな異性からの申し出はことごとく、断っていた。
それが今度は真一に──。
それで、エリックはこういう女性のお誘いには呆れているのだ。
『俺は、目の前のことより先の事を固めるのに夢中でね。今は興味ないな。良い女と良い思いをするのは隊員になってからいくらでも出来るぜ?』
──と、言うのがエリックの『持論』であって……真一も同感だった。
こうして見ていると女の子は可愛く見えるが、印象には残らない。
『おまえってさ、あんな綺麗な若叔母さんがいるから、目が肥えちゃっているんだよ』
そこは『羨ましい』とばかりにエリックがふてくされる。
『本当に綺麗だモンな。お前の叔母姉さん──。ガキは目じゃない』
親友が仰るとおりなのだろうか?
真一がふと女性に目を惹かれちゃったとしたら……制服を着ている大人のお姉さんの方が多い。
そして親友の感覚もどうやら……今は大人の女性の方が良いらしい。
そんな事を考えている内に、女の子達の姿は消えて、真一は街の中を歩いていた。
そこから見える小高い丘を見上げる。
中腹にポツンと教会がある。
そこに曾祖父母と母が眠っている。
真一は真っ直ぐにそこを見つめて歩き続けた。
・・・◇・◇・◇・・・
「ふぅ──。さすがに歩くとまだ汗が出るな」
海が見渡せる丘の教会に辿り着いた。
駅から歩くと、小一時間はかかることは判っていた。
右京が車で一緒に行こうかと気遣ってくれたが断った。
おじさんは、母と一対一の語らいをしたいという真一の気持ちは良く解ってくれて、一度気遣って、断られたのならば、毎年サッと退いてくれる。
『駅から丘まで遠いだろう? タクシーでも使え』
出かける前に、小遣いを握らせてくれたのだが、使わなかった。
訓練で歩くことに慣れてきたので苦にはならない。
その分──。
真一は手の中にいっぱい抱えているチューリップを見つめた。
「おじちゃんのお小遣いを足しにしちゃった。俺の力じゃないけど……」
そう、右京にもらった交通費というお小遣いは、母のチューリップを買う足しに使わせてもらった。
「親父には負けるだろうけどね──」
プッと唇を尖らせた。
『チェッ! 息子の俺より立派な花束持ってくるなよ!』
『俺なんかが、何百本と持ってきても息子の一本には何時までも及ばないさ』
あれから五年になる──。
その言葉を交わした墓地へと向かう階段を、真一は見上げた。
「ううん……。きっと母さんは喜んでいるよ。親父の花束を誰の花束より……」
母が記していた『私の勝利は純兄の愛』。
真一はそっと微笑んだ。
「今日は来ているか分からないけど? 俺も及ばずながら華やかにしてやらないとね!」
艶やかそうな母だった。
写真でも軍服の母しか見たことがないが、着飾ると葉月とは違う輝きを放ちそうだ。
強くてしなやかな光。
妹の叔母はしっとりしているイメージで、母は真反対のイメージ。
だから、花は多い方が良い。
真一はチューリップを揺らしながら、墓地へと向かう階段を駆け昇った。
階段の途中で胸が高鳴る──。
(チューリップ……あるかな!?)
向こうも……黒猫の方もきっちり命日に来るわけでもないようだ。
この時期に合わせてくることは解っている。
母の墓地に色とりどりの花が揺れているのを想像した。
いや! 花があるなら黒い人もそこにいる事が絶対条件!
『はぁ……』
息を切らして、階段を昇りきる。
「──!」
その位置から、御園家の墓は見えるのだが──!
真一は一目散に母の墓前に駆け寄った!!
「来ている!!」
また豪勢に墓石を埋めるほどのチューリップが!
真一は母の地面に面して平たい墓石にひざまずいた。
黄色、ピンク、白色──でも、赤いチューリップが中心で多いようだ。
ユラユラと海側から吹いてくる潮風に愛らしく揺れている。
「──親父!?」
すぐさま立ち上がって周りを見渡した──!
でも、誰もいない……。
「……先、越されたか」
真一は顔を歪めた。
俯きながら──涙が滲んできた。
そう──『やっぱり、会いたい』と期待していた自分に今、気が付いた。
このチューリップがなければ、それほどがっかりしなかったかもしれない。
この花を見てしまっては……。
真一が今立っているこの場所に、確実にいたという事だから……。
「母さん──アイツ、気に入らない。すごく意地悪なんだ」
出てきた涙を真一は手の甲で拭った。
強い男の子になったつもりだったけど……。
でも……『母さん』と言った途端に止まらなくなった。
「俺の気持ちなんて……どうでもいいんだってさ……」
涙が止めどもなく、溢れだしてくる。
真一は声を噛み殺し、唇を噛みしめて……ヒックと声を漏らし暫し涙に暮れた。
──『そんなに泣かないで──』──
「!?」
葉月に似た声が聞こえたような気がして、真一はハッとする。
「ごめんね? 母さん──。俺、大丈夫だよ。えっと……これ、今年のお花」
真一はふと我に返って、手に抱えていた花束を……父が置いただろうたくさんの花の中心に添えた。
そして、またひざまずいて合掌する。
「お知らせ。葉月ちゃんが結婚を決めたんだよ。すごく格好いい優しいお兄ちゃんだよ。俺ね? 誕生日が来ると嬉しかったり悲しかったりしたけど……。来年からは思い出せるね。俺の誕生日と母さんの命日の間に『嬉しい事』があったって。母さんもそう思うだろう? 嬉しいだろう? 妹が幸せになるんだよ?」
『母さんが守ろうとした妹が──』
それは口に出来ず……真一はまた勢いに任せて涙を一粒落とした。
暫く、気が済むまで……そこに座り込んでぼんやりと色々と考えた。
母の事も、クソ親父の事も、若叔母とその恋人との日々。
訓練校の友達に、教官に訓練の事等。
そうして考えていることが、墓中にいるの母に伝わるように……毎年、そうしている。
一頃して、泣けたことで変に落ちついてきた。
「泣くことも良いことかもね。この前、学校の講義で教わったんだ。素直に泣くことってストレス解消に繋がるんだって──」
(俺も我慢しているのかなー)
真一はちょっと情けなくなって、自分自身にふてくされた。
「もっと、頑張ろう。うん、俺、頑張るから心配しないでね」
真一は立ち上がる。
「また……来るよ」
もう一度、墓石に手を合わせた。
そして目の前にキラキラと鏡のように光を反射している七里ヶ浜を見渡した。
「じゃぁね──」
最後には笑顔と決めている。
真一なりの『セレモニー』。
それを終えて階段へと向かう。
すると──。
「!」
階段の周りの樹木、緑の葉が風にさざめく中。
階段の前に黒いスーツを着た男がたたずんでいた!
でも──その男は真一が気付くとスッと頭を深々と下げたのだ。
父ではなかった。
『あの時の……先生!』
そう栗毛の……葉月が肩を負傷してかつぎ込まれた病室に、軍医の振りをして葉月の負傷具合を確かめに潜り込んできたあの男の人だった!
真一はドキドキとする胸を押さえながら、静かに歩み寄った。
「ご無沙汰しております」
彼がスッと礼儀正しく、下げていた頭を上げる。
あのマルセイユで出逢った時と変わらず、整えた栗毛に顎は栗色の無精ヒゲの人。
品良くきっちりと黒いスーツを着込んで、顔にはサングラスをしている。
「こ、こんにちは……日本語、出来るんですね?」
「はい」
彼は真一とは目を合わせずに、まだ軽く頭を下げている。
「この前は先生の後を付けて……ごめんなさい。でも、有り難うございました」
「とんでもございません……」
彼の言葉は短くて……感情は籠もっていないが、柔らかい響きだった。
「あの……」
真一は躊躇いがちに問いかけようとしたが、言いたいことが言い出せずに俯いた。
「……」
初めて栗毛の彼が訝しそうに下げ気味の頭を上げて、真一を見下ろした。
「……ボスは今回はお忙しく、私が代理にてお花を添えさせていただきました」
彼が察してくれたのか、そう言ってくれた。
「代理で?」
「お父様はお仕事があり……来日出来ない状態です」
「……あの! また、怪我ではないですよね?」
それが先立った! 昨年は負傷して出て来れなかったのを聞いてしまっていたから!
すると彼がこの上なく優しく微笑んでくれた。
サングラスの奥で瞳が和らいだかは解らないが、口元は穏やかに──。
「ご心配なく。お父様はお元気ですよ。本当にお仕事から離れられないだけです」
「あ……そう」
真一は途端に素っ気なく返事を返したが、頬は赤くなっていた。
素直にクソ親父を心配した姿を彼に見られてしまったから。
(うー。親父にそんな報告するなよ!?)
この低姿勢な彼が、息子が心配していたなんて報告して……父に知られるのがシャクに障ったのだ。
「この日ぐらい……自分の手で花を添えると思っていたのに見損なった」
そのお返しではないが……本心でそう呟いた。
彼が困った顔をする。
「いえ……せめて花だけでもとボスは……」
「……」
真一は口をつぐむ。
拗ねている真一の様子に栗毛の先生は、困り果てた様子。
「それから……貴方様にもこちらをお預かりしました……」
栗毛の彼は、黒いジャケットの内ポケットからスッと細長い包みを取りだした。
「17歳のお祝いです。おめでとうございます」
彼がまた深々と頭を下げ、両腕をピッと伸ばして箱を差し出す。
「……」
真一はその恒例の贈り物をジッと見下ろした。
手を伸ばして受け取ろうとしたのだが──。
──『思うままを……親父にぶつけた方が良い』──
フッと隼人の言葉が頭に浮かんだ。
真一は伸ばしかけた両手を……箱の一歩手前でグッと拳を握って引っ込めた。
その箱と栗毛の彼の低い姿勢から顔を背けた。
「一番最初は10歳の時だった。それは直接くれた──。次は、12歳の時、一足先に母の墓に来ていた父が置いていた。後は……どんな手を使ったか知らないけど郵送で寮に届いたり……驚くのは、俺の寮の部屋の机に無造作に置いてあったり……。そして去年の分は今年の春、親父が……乱暴に接触して荷物に紛れ込ませた」
「……」
真一が呟き始めても、栗毛の彼は頭を下げ腕を伸ばした姿勢とピクリとも動かせず、崩そうともしない──。
「初めてだね──。お遣いさんが面と向かって届けに来たのは……」
「マルセイユでお顔合わせが済みましたので、ボスが対面をお許し下さり……。お言葉を交わすこともお許し頂けました──ので……」
彼が語尾を濁した。
「そういう事じゃないよ!」
真一は顔をしかめ……挙げ句に栗毛の彼が差し出している白い包みの箱を……片手で張り飛ばした!
「真一様──!」
栗毛の彼の手元から箱は瞬時に消え去って……細長い箱は階段の何段か下へと飛ばされた!
「なんて事を……」
彼が慌てたように階段を降りて、箱を拾いに行く。
真一は階段の上で立ちはだかり、腰をかがめて箱を拾う彼を見下ろした。
栗毛の彼が哀れむ目で真一を下から見上げる。
今までは……誰が届けたと判らなくても……『影』しか漂わなくても……。
──『親父が来てくれた』──
そう思っていた。
そう思うことが出来た。
たとえ──代理人が届けに来ていたとしても。
姿ないときはそう思えた。
それ以外は、全て──クソ親父は姿を現していた。
時計の一個、一個に……その時の彼の姿を思うことが出来た。
なのに──! 今年は……初めて! あからさまに『俺は来てない、だから代理人に託す』と来た!
あのクソ親父──。
真一から『来てくれていた』という『思い込みでも夢』までブチ壊しやがった!!
「親父に……突き返してくれよ」
「困ります──」
「先生が怒られるの? 俺がそんな事許さないよ。俺が突き飛ばしたって言っていいよ。本当のことだ」
「真一様」
「──様って、なんだよ! 俺は普通の男だよ! 先生!」
「私は先生──『ドクター』ではありません。免許は持っていますが、真一様もご存じの男ですよ。『エド』とお呼びください──!」
「!」
彼が名乗ったので、真一は一瞬……動きを止めてしまった。
「ご安心下さい。ボスにはそれもお許し頂いております」
「なに? じゃぁ……エドが俺担当の父代理人ってわけ?」
「……それは……」
「俺がある程度知ってしまって、顔を合わせるのが不味くなったから? ノコノコと『先生』が届けに来たってわけ!?」
「真一様──」
凄む形相で階段の上から叫ぶ真一を、また……エドが悲しそうに見上げている。
「とにかく……いらないから。返してくれよ……親父に!」
真一はそれだけ叫ぶと、階段を駆け降りる!
エドがいる段もサッと通り過ぎた。
「真一様──! お待ち下さい!!」
彼が追いかけてきた!
「……」
真一は何故か……立ち止まってしまった。
そう──本当は『受け取りたい』という未練が残っていたから。
立ち止まって……そんな自分の気持ちに気が付いて、悔しくて唇を噛みしめる。
「真一様──」
彼が階段を降りきった真一の背まで追いついてきた。
「本当に宜しいのですか? お返ししても──」
「……」
「本当はお楽しみにしていらっしゃるのでしょう?」
「……」
彼の声はとても柔らかくて優しかった。
「お気持ちは解りますよ? ですけどね──? お父様がどのような性格の方かご想像出来るかとおもいますが、一度、突き返すと……その……」
彼が口ごもる。
「解っている──。回数はともかく昔から顔見知りだったし。ここ数年である程度は知っている」
「ああ……そうですか」
彼が何故か笑いを含めたように呟いた。
「受け取っておけば……形はどうであれ、また来年も来てくれますよ」
「……そうじゃないのに」
真一は、ついに涙をこぼし……それをエドに見られたくなくて、片腕で覆って隠した。
「真一様……」
階段の上から、風が吹き抜けてきて──周りの樹木の葉が、ザザッとざわめいた。
「解りました──。私にお任せ下さい」
彼のキッパリとした声が爽やかに聞こえて、真一は涙顔で振り返った。
「先生?」
「エド……ですよ」
エドがサングラスをサラッと取り払った。
初めて会った時と同じように穏やかで優しいワイルドな顔。
焦げ茶の瞳がニッコリと真一に微笑みかけている。
「そうですね──。お父様の『代理人』エージェントではありますが、私は真一様のエージェントともなりましょう」
彼はフッと微笑みながら、白い箱をジャケットの内ポケットにしまい込んでしまった。
「俺の……エージェント?」
「ええ……なんとかお父様自身にお届けさせますからね」
彼が寛大にニッコリと満面の微笑みを浮かべる。
「その……」
真一は……正直な気持ちを捉えられてしまい、頬をカッと染める。
「ご安心下さい。『それとなく』という形で……お父様にお返ししますから」
「……怒られるよね? エドが」
「慣れっこです」
「ごめんなさい……」
「おやめ下さい」
彼の笑顔に真一は恥ずかしいあまりに俯いた。
「お時間がかかるかもしれませんが、お待ちいただけますか?」
真一はこくりと頷いた。
「かしこまりました──。それでは……」
彼は再びサングラスをかけ直し、あっさりと去ろうとしていた。
「待って! もう一つ親父に伝えてよ!」
真一の横を通りすがった彼に声をかけると、訝しそうにエドが振り向く。
「どういった事でしょう? お伝えいたしますよ?」
「……その」
「どうかされましたか?」
固まって戸惑っている真一の様子に、また彼は心配そうに首を傾げている。
「俺の叔母が……同居人の男性と結婚を決めたから!」
「──!!」
確かに……彼の顔色が変わった!
だが……それだけ。
でも……彼は黙り込んで反応がない。
「俺は──祝福する。その男の人、素敵な男性だから──。だから……俺も叔母と一緒に、その人と頑張ると……伝えて」
「そのお話はいつのことで?」
「昨夜──二人から報告してもらった」
「……そうですか」
先程まであんなに穏やかな笑顔を見せてくれていたのに……彼は途端に固い雰囲気を醸し出していた。
「どうせ……親父は帰ってこないんだから。祝福してくれるだろうね」
真一は解っていて、代理人のエドをシラっと見つめた。
彼ではなく、父親を見ているつもりで──。
「きっと叔母は幸せになる。俺は……そう思っているよ」
「……そうですね」
彼はあまり反応はしないし、また言葉に感情が籠もらなくなっていた。
その上……響きも優しくなく、非常に硬い。
「だから……俺、二人を応援するんだ。いつまでも帰ってこない親父なんて……」
真一は拳を握りしめて口を閉じた。
でも──エドに顔を向ける!
瞳に力を込めて──!!
「帰ってこないから……『いない人』と一緒。だから……叔母と一緒にその人と頑張るんだ!」
「……真一様!」
今度は真一が駆け出す!
エドの前もフルスピードで駆け抜けて……彼の声を耳にかすめても立ち止まらず……教会の庭を一気に駆け抜けて丘の小道に飛び出した!
『言ったよ! 兄ちゃん──!!』
これで父の耳に、隼人の気持ちは届くはず。
『言ったよ! 葉月ちゃん──!!』
そして──真一と葉月が待ち続けた気持ちも──。
──『叔母と一緒にその人と頑張るんだ!』──
本当はそうじゃないのに……。
そうじゃないのに……。
下る小道を駆けながら、真一は溢れる涙をまた拭った。
葉月の結婚式。
彼女とお兄さんが笑っている中、皆が幸せそうに笑っている。
そこには真一が大好きな皆がいる。
ロイも美穂も愛里も、右京も瑠花も薫も鎌倉のお祖父ちゃんに瑠美おばあちゃん。
リッキーもロバートおじさんにアリソンママもいて、谷村と御園のお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいて……達也にジョイに山中のお兄さん。
コリンズ中佐にパイロットのみんな……隼人のメンテチームのみんな!
澤村のお父さんにお母さんに、和人もいる!
そして……真一がいて……そしてクソ親父がいる。
本当は……クソ親父も仲間に入れてあげたい。
そんな風になりたいのに──。
親父は、何故? 自ら皆の側を離れているんだろう?
それが許せないだけ──!
『母さん? どうして?』
母はチューリップに揺れるだけの人。
声は聞こえない──。
・・・◇・◇・◇・・・
丘の小道を下って行く少年──。
エドは教会の入り口道から、そっと見送っていた。
「ふぅ……真一様もいよいよか」
エドは額の汗を拭った。
「難しい年頃──」
もう子供だましは通用しなくなってきたのだと……エドは胸にしまった箱を、ジャケットの上から押さえた。
側に停めて置いた黒い日本車に一人乗り込む。
「……お遣いも難しい役になってきたな……。本当はボスが花を添えに来たのに」
エドはエンジンを直ぐにかけずに、ハンドルにグッタリと額を押しつけた。
『一足先に帰る。これを……ボウズに渡してくれ』
早朝──。
街にも人が少ない間に純一はこの教会に来て、『恒例参り』を済ませていた。
『午後近くには来るはずだ。俺が花を添えた事は言わないでくれ』
ジュールと一緒に三人で来たのだが……エドは『プレゼント渡し』の役を仰せつかった。
真一に直接会える事に最初は舞い上がっていた。
なにせ、あのボスが……
『マルセイユで顔も見られているし、ボウズも事情が解る歳になってきただろう? エド──名乗ってもいいし、話しかけてもいいぞ』
……そんなお許しをくれたものだから、余計に──。
「それがな? 思ってもみなかったな……」
だが……ボスを連れて帰るジュールが一言。
『浮かれているようだが、覚悟した方がいいぞ。真一様を甘く見るな──もう、子供であって子供じゃない。子供と思っているのはボスだけだ』
冷たい横顔で……ボスには悟られないようにエドにそう言い残していったのだ。
(ジュールの言うとおりだった──)
でも……先輩のジュールがどう思っているかは計り知れないが……エドは『ワザ』とボスが嫌われるように仕向けているようにも見える。
それに従うのは辛いことだが、ボスの命令には逆らえない。
「いや……。もう、逆らったか」
エドは内ポケットにしまい込んだ箱を、もう一度押さえた。
それに……エドは初めて思った。
「なるほど? ジュールが時々逆らって命令を破るのはこう言うことなのかな?」
先輩の彼は時々……畏れを抱くことなくボスに逆らっている。
ボスは怒るときもあれば、知らぬ振りをしたり、頷いたり……。
ジュールがする事にはやや寛大な所もあるようで、エドはその信頼性を羨ましく思うこともあったのだが──。
なんだか……解ってきたような気がする?
御園とボスの間を行き来する『エージェント』という役の『味』を──。
車のエンジンをかける。
『ジュールに先ず、報告をしよう──』
エドが次に思いついたのは、『御園嬢の結婚』。
どんなに情報収集力があるといっても、御園嬢の『盗聴』をしているわけではない。
昨日の今日起きたこと。
それは真一が教えてくれねば、あと数日……いや、下手すると半月は気が付かないだろう情報なのだ。
「しまった……。よけいな子猫もいたな……。参ったなぁ?」
数日前に日本入りしたのだが──今回は『ファミリー』揃っての行動。
エドはとにかく……先輩のジュールに相談したく、先に帰ったボス達が待つ、隠れ部屋を確保したホテルへと車を走らせた。
途中──、街中を俯き加減に歩く少年をみつけたが、エドはそのまま通り過ぎる。
バックミラーに小さな少年の姿が消えるまでは……目を離さなかった。