エピローグ
3.決心
隼人は昼間のことを思い返しながら、林側の書斎で
シーツにくるまり、木々の音の中そう…思い返している。
昼間…葉月が早退してからの出来事を
葉月にさり気なく報告しようと思ったが、
彼女も『風邪』になりながらも、何処か今日の騒ぎには触れたくないような様子。
その上。真一があんな風に過剰に反応しては、隼人も言いそびれてしまった。
(解っているだろうけどな?処分があったことくらい)
葉月がデイブの言うとおり…『なかったことに。これ以上は振り回さないで。そっとして…』と。
そんな様子を隼人も感じてしまったので、益々納得せざる得ないデイブの言い分…。
(んんん…。まぁ、いいか…)
山本への怒りは、葉月を見ているだけでどこかに引っかかりは残るが
平静にならざる得なくなってきた。
騒ぎの疲れも手伝って、隼人はすぐに林側のベッドで眠りに落ちていったようだった。
すっかり寝付いたはずなのに…
『コンコン…コホ…』
部屋の外から、咳する声が。
おまけに何かごそごそと動く音も聞こえて隼人はうっすらと目覚めてしまった。
(ああ。完全に風邪だな…)
葉月をずぶぬれにした事を隼人は夢うつつの中でも反省。
『クション…!』
とうとう…目覚めてしまった。
むっくりと起きあがって、意識は眠いのに身体は勝手に彼女の方へ向かってゆく。
部屋を出ると、テラスへ出る窓際にある、テレフォンラックの引き出しを
葉月が探っているところだった。
「なんだよ…。眠れないのかよ??」
「うん…。ウトウトしていたけど…」
「しょうがないな…。薬?」
「うん…」
「医療センター…行く?明日?」
隼人は勧めてみたが葉月は首を振った。
「いいわ。たいしたことないと思うから…。」
床に座り込んで、隼人に背を向けたまま
引き出しをけだるそうに…探るだけだった。
何処か…やはり…真一が言うように風邪だけで気だるいと言うわけでもなさそうだった。
「……少佐…どうなったの??」
座り込んで背を向けている葉月の探る手が止まった。
「懲戒免職??」
栗毛の中…うつむく葉月が小さく呟く。
隼人はため息…やはり『最大の処分』を恐れている葉月を見てしまった気がした。
「いや。明日から謹慎。解除後…岩国に転勤だってさ…。」
「そう。」
いつもの無感情に戻っているようだったが…反応が少ない返事…。
満足したか気が済んだかなんて…聞き出せる気にはなれなかった。
葉月はやっと置き薬の箱を見つけて立ち上がる。
キッチンへと向かっていくので隼人は、ダイニングの椅子に腰をかけた。
彼女がコップ片手に戻ってきて隼人の向かいに何も言っていないのに座り込んだ。
「おじ様…何か言っていた??」
「いや。怒りもしなかったし…フロリダには言わないって…」
「そう。よかった…。」
葉月は安心したように薬を数錠…水で流し込んだ。
山本のことには触れようとはしない…。
隼人もデイブの言葉を思い出してそれ以上は彼女の気持ちは聞こうとしなかった。
しかし…
「私が入隊した頃ね…。優しいお兄さんだったのよ。」
「………誰が?」
隼人はヒヤリとした…。それは聞きたくない話かも知れないと。
「だから…少佐。山本少佐。」
「……だからって!アイツがしたことは!!」
「わかってる…。その想い出がなければ私はもっと暴れていたかもね…。」
葉月が悲しそうにうつむく。
隼人には納得はいかないが…ここでまた怒り任せにしてもいけない。
デイブが言うところの葉月の心底・『心の旅』は見届けたかった。
隼人が何とか…怒りを抑えていると葉月が静かに話し出す。
「私も新人の頃は…『空軍管理』をしていたから…少佐の所には良く通っていたの。」
「それで?」
「要領悪い私を…こっそり助けてくれたりしてね…。」
(そのころから…気があったてことかよ!?)
自分がいないときの話には隼人も首がつっこめなかった。
特に…そんな昔のことは口すらも出せない…。
「だから…木田君の面倒もよく見てくれるだろうって…。
いつかは。あのころを思い出してくれるだろうって…。でも…『甘かった』のかしら??」
葉月が額を押さえて栗毛の中…悲しそうにうつむく。
思うような結果が得られなかった口惜しさ…。
それが隼人の胸にも伝わる。
葉月が最初は山本の内線攻撃にもジョイや山中ほどムキにならずに
平静に対処していたのも何処かで山本を信じていたから。
山本を信じて木田君が怒られるのもそれも経験と
本当は木田君のためを思って山本少佐は厳しくしている。
そう春から信じていた。
それが、自分と対面したいきっかけに使われている。
優しかった頼りがいあった先輩がその葉月の信頼を裏切った。
それを認めるのに葉月も半年かかったのだ。
それを知って…隼人はすべてに怒りをぶつけない葉月を不思議に思ったが…。
『担当から外すわよ!』
あの一言を、いうことになった葉月の気持ち。
彼女の中ではかなり…言いたくない言葉だったに違いない。
『いきなり言い出すじゃじゃ馬』…そう思っていたが。そうじゃなかった…。
「そうだったんだ…。道理で…。」
「でも…隼人さんは言うのでしょう?『男はそんなモンだ』って…。
そうかもしれない。私が女だからいけないのよ。わたしが…」
山本が新人の頃。優しくしてくれたのは葉月が女だから。
その葉月の想い出を砕いたのは山本の方だ。
隼人はまた…苛立ちがこみ上げた。
「人は…変わるんだよ。変わらない人もいるかも知れない。
でも…いろいろな環境の中で変わって行くんだよ。
少佐は…お前を諦められないうちに結婚することになった。
思うような生活が出来なくて…変わったんだよ。
そんなの…葉月のせいじゃない。子供が出来て結婚することになったのだって…
全部、山本少佐の自分がやってきた身から出た錆じゃないか??
確かに男はそんなモンかも知れないよ?だから。葉月が苦にすることないじゃないか?」
声をやや荒立てて隼人が力説をすると
『そうね…。』と葉月は力無く答える。
「………。丁度良いじゃないか。本島に戻って…これからは…家族とやり直すよきっと…。」
山本がどん底に落ちればいい…そう思っていたが…
隼人はそんなことを口にしていた。
しかし…葉月はその隼人の一言でやっと微笑んだのだ。
「そうよね?環境が変わって少佐も落ち着くかもね?」
(バカ…)
隼人は呆れた。
コリンズ中佐が言っていた『おバカで甘い』を思い知らされたような気になる。
「お前さ…。悔しくないのかよ?あんな事されて…」
「だって。もう…散々投げ飛ばしたし。なんだかはっきり覚えていない。
急に何もかもがイヤになって悔しくなって…気が付いたらあの人をつかみ上げていたの。
その時に全部出て行っちゃって…えっと…だから…。」
そこで葉月が、苦しそうにまた・頭を抱えた。
トラウマに触れられたことの苦しさを再び思い出そうとしているのだと隼人はハッとした。
「もう…寝ろよ。明日は…休みだな。」
「ううん。訓練出られなくても…内勤は出来るし。」
「休め!」
隼人がキツク言うと葉月が急にクスクスと笑いだした。
「なんだよ!?」
「だって…。隼人さんったら私より偉い側近さん…。」
「よく言うよ。人を散々振り回すじゃじゃ馬のくせに!」
「きっと・隼人さんなしじゃ…私は隊長になろうとか思わない。
隼人さんが私よりしっかりしていて大人だから…。私はやっていけるのね。」
「頼りないこと言うなよ。そうだろ?お前が先頭に立って
初めてみんな、思いっきり仕事できるんだから。
御園がもつ、持って生まれた威厳は大切にしろよ。
俺達、一世隊員には出来ないことお前は出来るんだから…。」
隼人は腕組み…葉月に頼ってもらえてることに嬉しさを感じながら
照れくさそうにうつむくと…。
葉月がにっこり微笑む。
「そうね。相棒…さん。」
やっといつもの葉月に戻ってくれたような気がして…
隼人もそんな気の良い葉月に流されて笑っていた。
『もう・忘れろよ』
『うん…。』
咳をする葉月は身体は気だるそうだがやっと…あか抜けたいつもの表情に戻っていた。
ミコノス部屋のベッドに葉月を寝かしつけて
隼人は林の葉がさざめく音がする書斎に戻って横になる。
(葉月に男が寄りつかないほど…にするには…)
ちょっと葉月が微笑んだだけで男が、すぐその気になる。
今回はそれもきっかけの一つでこんな事に…。
隼人はふと…いろいろと思い巡っているうちに…
とりあえず手っ取り早い方法は一つしかない…と辿り着き遅い眠りにつく。
朝が来て、隼人の言いつけを守って葉月は素直に欠勤する事になった。
隼人は制服に着替えてミコノス部屋の様子を見る。
「大人しくしていろよ。」
シーツにくるまっている葉月にお出かけの一言を伝える。
「それから…車借りていいか?」
隼人の一言に、壁を向いていた葉月が反応して起きあがった。
「どうしたの急に?」
葉月の赤いトヨタ車に乗っていけば皆が怪しむ。
それを隼人が進んで『それでも構わないから乗ってゆく』と言い出したも同然だからだ。
「車があると、じゃじゃ馬が出勤してきたり、買い物行ったり…。するかも知れないからな。」
シラっと冷たい隼人に見下ろされて葉月は『ごもっとも…』と拗ねて横になる。
「夕方。買い物してくるよ。何か食べたい物あるか?」
「うん。じゃぁ。プリン」
「プリン??」
「バニラアイス」
「…………」
「パイナップル。缶詰はイヤ。」
「はいはい…。お嬢さん」
妙に子供っぽくなったような葉月に面食らいながらも
隼人は、いつになく素直な葉月に微笑みかけて外に出る。
葉月がいつも車のキーをおいているサイドボードのチェコ硝子の器から
キーを手にして、書類を片手に、作業服を入れたリュックを持って玄関を出る。
制服の胸ポケットから運転をするために眼鏡をかける。
オートロックだから戸締まりはいらない。
一番の分厚い扉を出たときだった。
真一が立っていた。紺の詰め襟制服姿で自転車を片手に…。
隼人は腕時計を思わず眺めた。
学校が始まる時間…。本当ならもう教室に向かっていなくてはいけない時間だ。
「どうしたの!?今頃…。」
「………。葉月ちゃんが心配で…。」
昨夜、隼人に当たり散らした気まずさからか真一は少し仏頂面で答えた。
「………。今日は欠勤だよ。大人しく寝ているし…。」
「風邪以上の何かがあると思って…。」
いつもの無邪気さはどこからも感じなかった。
一晩思い詰めた、疲れ切った目元と表情。
そこには思春期の青少年が母の死の原因と若叔母の苦悩を
知って悩むべき本当の姿がある。
それこそ…隼人が『腑に落ちない』と思っていた無邪気さよりも
しっくり・納得する姿だった。
しかし…。やはりそんな真一は見たくなかった。
腑に落ちなくても良い。真一には輝く笑顔でいて欲しい。
それは、隼人だけでなく、葉月を始めとする真一を見守ってきた大人達が皆・望んでいることだ。
「俺も。学校休む。葉月ちゃんと一緒にいる。」
真一は色ない声でそう言って、隼人が閉めた鉄扉をカードキーで開けようとしていた。
「ダメだ。」
隼人は真一の自分より細い手首をそこでがっしりつかんで止めた。
「何でだよ!いつ何処にいなくなっちゃうか解らない人には関係ないだろ!!」
真一の瞳が…昨夜、葉月に食らいついたように
『殺気』を込めていたので隼人も怯みそうになったが…。
「俺は何処にも行かない!今日もここに帰ってくる!」
「………!?」
ハッキリと言いきると少しだけ真一の瞳が鋭さを和らげた。
「学校に行くんだ!そんな顔して葉月の側にいたって彼女が余計に気に病む。
この前。真一の成績が落ちて彼女がどれだけ悩んでいたか知らないだろ?
そんなに葉月が心配で、側にいたいならまずは自分の事がキチンと出来るようになってからだ!」
(真一って言った!!)
それと同時に、真一は自分の手首をキツク握りしめる大人の男の力に
愕然としたような気持ちになった。
ふと見上げると…黒い前髪の隙間から眼鏡の縁を輝かせて
厳しい目をした男がしっかり自分を見据えている。
微かな記憶の向こうにある…優しくていろいろとしつけてくれた…
『真・父』を真一は久しぶりに思い出した気がした。
「隼人…兄ちゃん…。」
「まぁ。俺も偉そうなことは言えない立場だし。首を突っ込む権利もないから…。
言いたいことはそれだけ。どうせ葉月に追い返されると思うけどね。じゃぁな。」
隼人はそう言うと真一の手首をそっと離してエレベーターに乗り込もうとしていた。
真一は暫く…強く握られた手首を眺めていた。
「待って!兄ちゃん!!」
隼人が扉を閉めようとするところを真一は自転車を押して慌てて割り込んだ。
「なんだよ。行く気になったのか?」
「うん!でも。遅刻!!」
急にいつもの元気な真一になっている。
隼人もビックリだが…意外と効果はあったようなのでホッとした。
「じゃぁ。車に乗りなよ。医療センターの入り口だろ?
先生の名前は?叔母が風邪をひいて心配できていたから大目に見てやってくれて
本部から電話入れて上げるから。」
「本当!?先生は中原先生!」
「学校が終わったら、中隊本部においで一緒に買い物行こう。
お嬢さんからのリクエストがあってどんな物が良いか解らないから。付き合ってよ。」
「………」
真一は急に…丘のマンションに馴染み始めた隼人をビックリ見上げた。
「俺が昨夜言ったこと…気にしているの?俺も…二人のこと首突っ込む立場じゃないのに…
あんな事いってゴメンね?別に…無理しなくて良いよ?それより葉月ちゃんと仲良くして?」
「もう…良いんだ。」
フッと隼人が微笑んでうつむいた。
そこでエレベーターが一階につき隼人はさっさと、ロビーに出ていってしまう。
真一も慌てて自転車を押して追いかけた。
「いいって??急にどうしたの??」
大股で歩く背の高い隼人に真一は小走りでやっと横に追いつく。
「官舎に帰っても寝るだけだよ。どっちも一緒だろ?
いずれは周りにばれるし、一緒になるんだよ。
『結婚』は別。とにかく…彼女と離れる気はないって事。」
「………!!」
(それって結婚と同じじゃない??)
大人の結婚事情はとにかくまだ解らないが…隼人は叔母と一緒に『暮らす』と言い出したのだ。
真一はビックリして立ち止まってしまった。
朝日の中、透明な自動扉を出てゆく隼人の背中を呆然と眺めた。
なんだか…今まで感じたことない『大人の男』のたくましい背中を感じていた。
「おや!?シンちゃん何でここにいるんだい?」
真一の背中から誰かの声。
振り返ると、がっしりとした身体つきで、ほうきと掃除道具を手に降りてきた管理人のロバートだった。
(げっ!ロバートおじちゃん!)
お目付の一人に見つかって真一は飛び上がる。
「学校はどうしたんだい!?」
「えっと…葉月ちゃんが…」
『真一!?』
なかなか来ない真一を気にして隼人が自動ドアの前で振り返って叫んでいた。
『あー!おじさん!葉月風邪ひいたんですよ!出かけないよう見張っていてくださいね!
それで真一が様子見に来ちゃって…俺が学校送りますから自転車預かってやってください!』
ロバートは一瞬…隼人のたくましさに妙に面食らっていたが…。
「ああ!いいよ。頼んだよ!隼人君♪」
(あれ!?)
気の良いロバートに真一は眉をひそめた。
今まで葉月の元に通ってきていた男の前にロバートは滅多に姿を見せなかったし。
言葉も交わさなかった。
どちらかというと、受け入れていたと言うより見て見ぬ振り。
余程のことがないと、口出しもしないが、葉月による男には厳しい目を持っている。
それが真一の印象だったのに…。
葉月の生活に首をつっこむ事もない執事みたいな管理人だったのに…と
真一は怪訝に思う…。ロバートの寛容さも、隼人とのコミュニケーションも
今までにないケースだった。
「おじちゃん…知っているの?気にならないの?兄ちゃんが…通っていること。」
「ほら・学校行った!行った!せっかくお兄さんが送るって言っているんだ。
しっかり・甘えておきなさいな。」
にっこり…おじいさんの笑顔に押されて、真一はオロオロしている間に
ロバートに自転車を奪われてしまった。
『真一!俺まで遅刻するだろ!!』
「………。」
(もしかして…何かが今までと違うのかな!?)
今まで葉月の周りを囲んでいた冷たい空気が急にまとまって
暖まってゆくようなそんな穏やかさを真一は感じた気がした。
『まってーー!兄ちゃん!!』
『早く乗れよ。』
シラっとした隼人が、運転席に乗り込んで、真一も助手席に乗りもむ。
『気を付けて!行っておいでーー♪』
『いってきまーす!』
白髪のロバートに真一は手を振る。
「今日は買い物だね!たこ焼き買ってくれる?お店の前で売ってるヤツ♪」
格好良くステアリングを握る制服姿の隼人を真一は嬉しげに見上げた。
「たこ焼き?懐かしいな。そう言えば帰国してから食べていないな。」
「葉月ちゃんはね!歯に青海苔が付くからイヤって一緒に食べてくれないんだよ!」
「ふーん。そうゆう所もあるんだ。意外だね」
「それからね!!」
いつもの無邪気な男の子に戻った真一に隼人はにっこり眼鏡の笑顔をこぼす。
すると、真一がもっと嬉しそうに微笑んだ。
『これからは俺ともずっと一緒!!』
真一は波に反射する光が射し込む助手席で密かにそっと心で叫んでいた。
学校を遅刻してもキチンと連絡入れてくれる人がいる。葉月以外に…。