5.声
日が短くなってきた地中海沿いの『実家』で
俺はパパとママンと作った夕食を囲んでいた。
「隼人?リトル・レイとはちゃんとお別れをしたのか?」
『リトル・レイ』は葉月の幼少の時の『愛称』らしい…。
ミシェールが友人だった彼女の祖母が『レイチェル』と言う名だったかららしい。
小さな葉月はそう呼ばれていたらしいのだ。
ミシェールの言葉に俺はギクリとナイフとフォークが止まってしまった。
「ウン…まぁね…」
「ならいいけどな。フジナミから聞いたぞ?お前…葉月からの側近話断ったそうだな。」
俺は益々ドッキリしてしまった…。
「まぁね。俺なんかより…もっとイイ相手がいるさ」
俺は素っ気なく返事をして『マリー。美味しい♪』と話を逸らすと…
ミシェールはそっとため息をついた。だが…それ以上は何も言ってこなかった。
ミシェールのため息はどうしてか俺には解っている。
葉月の左肩の傷。
それを偶然見てしまってから、彼女がどんな風に生きてきたか…。
すごく気になった…。
そんな俺の『動揺』を知って、パパは葉月と俺がどんな風にお付き合いをしているか
自分の目で確かめてから、その真実を俺に『告げよう』としていたらしいが…。
そんな必要もなく、葉月の方から『過去』を直接俺に教えてくれた。
彼女も言っていたが…。彼女自身が他人に『過去』を『告白』したのは
希なことで…。彼女が信頼していた元恋人の『海野達也』以外俺が二人目だったとか。
それを知ったミシェールは、俺と葉月は上手く行く…。
『隼人は絶対葉月の側近になる』と思っていたらしいのだ。
でも…。康夫から『断った』とか葉月も『納得した』と聞いて、かなりガッカリしていたようなのだ。
「隼人…。お前自身のことをもっと大切にしておくれ…。」
ミシェールはそれを最後にこの話題は続けまいとワインを煽った。
俺は…日本には帰りたくない。
近頃。親父は『教官程度なら軍人を辞めて会社を手伝え』と言いだし始めた。
弟の『和人』は高校生になった。
去年、入学するとき久々に帰国してから、親父はいつまで経っても独り身の俺の進歩のなさに
限界が来ているのかそう言いだした。
日本へ帰るとそうゆう問題も出てくるし、何よりも…弟の和人は可愛いが
未だに継母の彼女とはぎこちない会話しかできない。
父にとって軍人として進歩がないとつつくのは、一つの理由のつつきどころであって
もし…『御園中隊』に転勤して昇進したとしても今度は違う理由で
俺を辞めさせようとするのではないかという心配もあった。
それでは…お嬢さんにも迷惑がかかって『負担』になってしまう…。
ミシェールの『大切に…』はよく解っている。
女嫌いになってしまって30歳を越えてもフランスから動かず一人きり…。
昇進も望まず淡々と過ごしている俺を心配しているのだ。
食事が終わり…。ミシェールは入浴をするからと消えていった。
マリーが一息ついて『カフェオレ』を出してくれた。
俺はそれを持って広々としたリビングのソファーに行って、テレビを点けてくつろぐ。
「いいのよ…。隼人。気の済むまでここにいなさい。
私も…ミシェールも本当はね?あなたがここに来なくなると寂しいのよ…。
でも、あなたの将来が心配よ。それだけは解ってね…。」
マリーが十五年前のように…。背が伸びきってしまった俺の黒髪に手を伸ばして
そっと…やさしくいたわるように撫でてくれた。
「ママン…。ずっとここにいたいよ…。」
マリーの肩先にほほを埋めると彼女は笑って愛しそうに撫でてくれる。
こんなに暖かい場所…離れる事なんて出来ない。
そうなるか解らない女との新しい軍人生活よりずっと安心だ。
俺はやっぱり…『断ろう…』と思っていた。
……と。言うことで、週明けに俺は康夫のそう返事をした。
すると…。
「ガッカリだな…。そうゆう理由を隼人兄から聞くなんてね。
解ったよ!そう、フランク中将に言っておいてやるさ!!」
康夫は急に怒りだして中佐席にバン!!と手を突いた。
そして煙草をくわえて外へと出ていってしまった。
俺はため息をつく…。
『ミシェールとマリーには世話になったし、老いてきて寂しがるから俺も側にいてやりたいんだ』
…と、言った途端だった。
本当の気持ちだったし、康夫になんと言われようと心はもう決めていたのだ。
しかし…その日は朝から始終康夫は不機嫌で
仕事の指示以外、いつものオチャラケも帰ってこない始末…。
彼はふてくされてそのまま訓練へと出ていった。
「それじゃぁ。康夫は怒るわ。私もガッカリ…。隼人さんがそうゆう事言うなんて」
ランチタイム。雪江さんに『参ったよ〜。』とこぼすと妻である彼女からも夫と同じ事を言われた。
「そう?別にどう思われても良いけどね」
「そんなところはいつものあなたね。私と康夫が言いたいのはね?
隼人さん。あなたは繊細なところはあるけれど根本がしっかりしているから
私たち『お兄さん』って一目置いているのよ?
フランスで十代から単身で『大尉』にまでなったあなただもの
しかもフランス校で日本人なのに『主席』に近い形で卒業したのは誰もが知っているわ」
その話は…まぁ…本当のこと。
二年間は言葉に不自由はあったが、身に付いてからは俺はダンヒル一家の皆に
報いるためにも懸命に学力を付けるよう努力したのだ。
訓練生の三回生になると俺は急に成績を上げた。
ミシェールもマリーも『鼻が高い』と喜んでくれて、
アンジェもマシューも『自慢の弟』と褒めてくれるのが俺の励みだった。
しかし…。俺の成績は今問題ではないのに…と、ため息をついた。
「あなたがね。出世欲がなくてもこの基地のみんなが認めているのはそうゆう事なのよ。
出世をしなくても『サワムラは優秀な教官』
生徒にも信頼されてカリキュラムを組むときはあなたは、引っ張り凧だもの。
オマケにダンヒル氏の養子と言ってもおかしくないしね…。
それはね。あなたが信頼されているのも、ハッキリと『本当のこと』を貫くからなのよ?
康夫も言っているわ。『俺は中佐だけど大人なのは隼人兄の方』ってね…。
あなたが人に媚びない冷たいところ指揮官として頼りにしているのよ?」
雪江さんに言われて。俺のフォークの手が止まった。
何かが『グサッ』と来たけど…より深く確かな答はまだ認められなかった。
「だから…友人として本当のこと言うわ…。
優しいパパとママンと離れたくないからってせっかく思いとどまった葉月ちゃんに動かされた心。
『無視』するなんて失礼じゃない?康夫だって単身でフロリダ・フランスと親元離れて中佐になったのよ?
その彼が一目置くあなたがそんな甘ったれた理由を『返事の答』に使うなんてガッカリってところね」
俺は…いつも温厚で優しい彼女に久々に厳しいことを投げ返されて
再び…先程より…グサッ!ときた。
そう…『子供の如く甘ったれた理由』を平気で使ったことに気が付いたのだ。
「亡くなってしまった祐介先輩が、昔、言っていたこと思いだして?
本当はダンヒル氏だってマダム・マリーだって手放したくはないけど
あなたのためを思って前へ進むこと望んでいると思うわ?
康夫と私もそう…。ずっとあなたと進んでいきたいと思っているのよ。今だって…。
でも…。あなたのためになると思って、今よりきっと、良い方向に行くと思って
葉月ちゃんの所に送る気になったの。手放す康夫だって辛いと思うわ。
私達…。数少ない日本人同士、ずっとこのフランスで手を取り合って頑張ってきたんだもの」
彼女が大粒の涙を一つ、二つ…ポツリ・ポツリと落とし始めてので、俺はビックリした。
「ごめん…。解ったよ。君が泣くなんて…。もう一度考えるから…泣かないでくれよ」
俺が慌ててハンカチで彼女の大きな瞳を押さえると
やっといつもの元気いっぱいの雪江さんの笑顔が返ってきた。
しかし…。
そんな彼女の涙に俺は大きな間違いを起こしたのだと、諭されてしまったのだ。
『俺は調子が悪い。帰る』
順調に滑り出した『空母艦実習』を終えて、中佐室に帰ってくると、
俺のパソコンデスクの上に、たくましい日本語のメモが置いてあった。
どうやら康夫を相当怒らせてしまったようだ。
『参ったなぁ』
俺はいよいよ追いつめられた気になった。
天の邪鬼の俺がもうすぐそこに顔を出していた。
『どいつも・コイツも!!俺をそんなに追い出したいのか!!』…と。
俺はこのフランスでやっと居場所を見つけてやっと安泰に暮らしてきたのだ。
ミシェール一家の暖かい俺の居場所。そして…出逢った仲間達。
数少ないからこそ『大切』なのだ。
俺はそうにかなりそうな『投げやりな気持ち』になりかけたが…。
雪江さんの涙の説得と…葉月の思い詰めた最後の瞳を思い出してなんとか押さえ込んだ。
あの涙と…瞳がなければ…俺はまた継母を傷つけたように
気持ちとは裏腹のひねくれた言葉を突いて誰かを傷つけそうなところまで来そうな感じだった。
その一歩手前ですんでいるが…。
俺の環境に波風立てた『葉月』に腹が立ってきた…。
ただの女で去ってくれりゃこんな風に揺れたりしなくてすんだのに…。
綺麗な関係で終わらせてくれたら…今頃は楽しいままの関係ですんでいたのに…。
でも、それは半分は俺の中にも責任があった。
俺も…綺麗な関係でなく『情愛』を…抱いていたから彼女を抱いたのだから。
そんな…ムシャクシャする気持ちのまま…その日はアパートに戻った。
「あーーー!クソッ!!」
一人、キッチンでエシャロットを刻んでいて俺は珍しく指を切ってしまった。
指をなめながら部屋へカットバンを捜しにゆく。
ベッドサイドの引き出しを明けてカットバンの缶を開けると…空っぽだった。
再び…『クソッ!』と缶を向こうの壁に投げつけた。
そしてベッドに身体をバゥン…と投げて天井を見上げると…。
まだ微かに『カボティーヌ』の香りがフッと湧き立った。
俺は枕に顔を埋めて一時フッと…先週の葉月を思いだしてしまった。
何処か女に『汚れ』を見ていた俺は女性に対して『不信感』をずっと抱いてきた。
女は『浅ましい』と思っていた。
若いくせに二十も年が離れた『社長』の親父と結婚して
自分の子供を持ってつつがなく幸せに暮らしている『継母』
ミツコは…頭が良くて、話甲斐があって、俺をこの上なく大切にしてくれた。
みんなが『キツイ女』とかいいながらも、俺が受け入れたのは、
本当は彼女にもいじらしいところがあって、年下の俺を成長させようと
一生懸命尽くしてくれたからだ。
ミツコがエプロンをして…キッチンに立つ後ろ姿は
姉さんママだった継母に似ていた。
そんな彼女に甘えていた俺も悪かったが…。
ミツコがいつしか…俺の成長を『敵視』するようになって…。
自分の手のひらで思い通りにならない男に成長すると、
急に独占愛や言いつけが厳しくなって…その上急にしっかりした姉さんから
俺に寄りかかる弱々しい女になったのに嫌気がさした。
『隼人。今度日本に帰ったら、お父さんに紹介してくれる?社長なんでしょ?』
半ば強引にそう望み始めてきた頃に俺は…
『お前も…社長の家が望みか?』と急に冷めた瞬間を今でも覚えている。
ミツコと別れてより一層女は『浅ましい生き物』と焼き付いてしまった。
だから…葉月にもなかなか心が開けなかった。
でも…葉月の方がずっと俺より傷ついて…俺以上に
持っている肩書きに苦しんだり、異性に心を閉ざしていた。
それがお互い丁度良かったのかも知れないのだが?
彼女がぶつかってきたとき…彼女の強い思いに負けてしまったが…。
彼女の肌があまりにも暖かくて…俺の方が癒されたというか…。
急に何かに解き放たれたような気がした。
だから…ウサギさんを木陰からもって帰ろうという気になった。
でも…どうやってもって帰ろうかもう少し考えたいと戸惑っているウチに…
ウサギさんはぴょんぴょんと何処かに消えてしまったのだ。
そんな女性に不信を持っている俺との肌の分かち合い。
彼女はそんな俺には丁度いい具合と言うべきなのか?エロティックという交わりでなくて…。
まるでレースのカーテンの向こうに透けて見えるロマンティックな部屋の中の
お姫様でも抱くようなそんな一時だったのだ。
だからといって、彼女が恥じらうだけのお嬢様でなく、
男であるこの俺の一つ一つの仕草や手つきに艶めかしく反応する所なんか
男のツボを捕らえているとしか言いようが無く、俺の方が『手込めにされた』と後で思ったほどだ。
俺を…ちゃんと刻み込んでいる。
それが嬉しかった。
あの…美しい栗毛を撫でると…愛らしく微笑んでくれて
頬に触れると優しく手に口づけをくれて…そっとまつげを伏せてくれた。
白い肌に口づけると艶っぽいピンク色の唇がそっと開いて…小さい吐息をついて…。
冷えた指が俺の背中を抱きしめてくれた。
今まで…俺のこのベッドに何人かの女は寝かしたけど。
彼女だけは…貼りつけておきたい…と思ったほどだった。
大人しく寝息を立て始めた葉月の横にそっと寄り添って腕の中に抱いて
初めて『愛おしい』と感じた。熱い肌を暖かいと感じた。
シルクのような栗毛が今だけでも俺の自由になるものだと感じることに喜びを感じた。
絶えず撫でたり…指にからめたりしていても飽きることがなかった。
腕の中で眠る彼女の顔は確かに『年下の女』だった。
その間…俺も少しまどろんだが腕の中の彼女が本当にこれでもう最後なのかと思うと
急に手放したくなくなった。
『明日もこうしてきてくれる?』 そう…言いたくなった。
そんな風に…枕に広がった美しい栗毛を思い出しながら
ほのかな香りを楽しんでいる自分に気が付いて…ハッとした。
「だ!騙されないぞ!!」
今度は枕を投げつけて、今日一日の追いつめられた悔しさがまたフッとまき起こる。
俺はベッドに頭を抱えてまた身を沈めた。
「どうしてだ?俺はここにいたらいけないのか?」
『お前もいつまでも自分の殻にこもっていないで早くフランスを出ろ』
祐介先輩の俺を見透かした声が聞こえてきた。
「なんだよ。自分だって奥さんと上手く行かずに他の女に逃げていたくせに…」
だけど解っている。そんな先輩だからこそより一層、孤独を知って俺を心配してくれたのだ。
『隼人…自分自身を大切にな』
『寂しいのは解っているわ。でもあなたの将来が心配よ』
「マリー。気の済むまでいていいって言ったじゃないか」
しかし…。マリーと雪江さんが同じ事を言っているのは解っていた。
『ガッカリだな。隼人兄からそんなこと聞くなんて』
『ずっと一緒にいたいのよ。でもあなたのためを思って…』
「友人って言うなら…俺を手放すなよ」
皆が俺がフランスにいるのは『間違いだ』と言っているようで
俺は急に孤独を感じてしまった。
『隼人さん。無理して話そうとしないで…誰でも言いたくないことはあるわ』
俺が意を決して…心の中にあることを話そうとしたとき…。
無理な笑顔を作って…潔く退いた葉月の声と顔が浮かんだ。
唇を震わせて…俺と過ごした日々を惜しんで泣いてくれた彼女。
それと同時に…『甘ったれてない??』 急に昼間の雪江さんの声がした。
そう…俺は妹だとか、困ったらいつでも頼りにしてくれればいい…なんて
葉月にそう思っていたくせに…
俺は年下の彼女のあの言葉に甘えていた情けない男だと気が付いて…
ガバリ!と起きあがった。
彼女の方が…ずっと大人だ。俺よりちゃんと強くなろうとしている。
それは今までだって『劣等感』として感じてきたことだが
今感じた『危機感』はもっと違うものだった!
急に血の気がサッと退いていったほど!
今頃彼女は俺のことどう思っているのだろう???
『答が知りたい』とばかりに俺に身体を投げ出して出した答は?
『もう、充分諦めついたわ』と、いうほど他愛もない男になってしまっているのでは?
だから?別れも告げずに去っていったのか??
こんな風に急にショックを受けるのも、何処かでもう・逢うこともない別れた女なのに
想い出としてしか抱いてやれなかったのに…彼女の中では『一等の男』として
刻んで欲しい願いを抱いて彼女に触れたのだ。
だから…彼女がそんな風に俺のことを思っていたら…困る。情けない。
そう急に…青ざめてしまった…。
でも…
「それなら…彼女に釣り合わない男って事か…何慌てているんだ俺は?」
などと…開き直ってまたベッドに寝転がってため息をついた。
彼女が他の側近に気持ちが傾いているのなら…もう、俺のことは諦めたのだろう。
それなら…彼女の思うままにしてやるのも…『想い出の男』の役割なんじゃないか?と思えてきた。
でも…決めた。
あした…康夫に本当の気持ちを言おう…と。
『俺は彼女の元に行く気持ちはあるが。彼女には釣り合わない。彼女が素晴らしすぎるから』と。
康夫はこんな中途半端な答にまた何を言い出すか解らないが…。
それが今の本当の気持ちだった。
彼女のことをキチンと気に入って、手放したくなかった事は正直に言おうと思った。
後は…いよいよ康夫にも一度も打ち明けなかった『家族』の話もするかと心に決めていた。
そう…決めると素直になったせいかスッと今日一日の重苦しさが取れていった。
ベッドに横たわって…ホッとしていると…。
『ブッブー』と呼び鈴が鳴った。
康夫かも知れない。久々の仲違いだ。
彼が訪ねてくるのはよくあることだ。
『ハァイ』と、張りきってドアを開くと…。
「隼人!!」
制服姿のミツコがいきなり飛びついてきて俺はビックリ仰天…。
後ずさりをしてしまった…。