28.誘い

二中隊の挨拶回りが終わったので、最後に六中隊に出向く。

そこでのキャプテンは、今までより一番年上の…五十代になるんじゃないかという男だった。

「第三中隊が四中隊のように若いからね。定年前のおじさんが指導しているって訳。

君の四中隊とは同じ様な立場だから…僕としても君の活躍は参考にしたくて要請したんだ。」

と、その壮年中佐はニッコリ微笑んで隼人に『一緒に頑張ろうね』と、激励の言葉をかけてくれた。

ここまで廻って隼人も色々飲み込めてきた。

この基地の中心部隊は「第一・第二中隊」

エリート揃いの第一中隊が少しばかり若い…脂がのっている第二中隊を引っ張っている。

その次がウィリアム大佐の第五中隊が若い葉月の第四中隊を

ベテランとして引っ張り、只今育成中。

第六中隊も同じく…ちょっと高年者を集めたベテラン中隊だが

第一中隊ほど脂がのっているわけではなく『教育隊』として

これからたたき上げるべき『第三中隊』を葉月の中隊のように育成中…と。

『なるほどね。俺達の中隊は…これからってところか…。』

いつかは、あの第二中隊のようにしっとり落ち着いた若者の中隊にしたい。

おそらく、祐介がいたときは第二中隊に近い部隊になりかけていたんじゃないかと…。

彼が志し半ばでこの世を去ってしまった事を隼人は残念に思い、

そしてその使命が今度は女性ながらにも葉月の肩に掛かり…

女性である弱点を補強するために隼人が必要とされ引き抜かれた。

そう…考えがまとまると…

『これから、今まで以上に気合い入れないとな!』

隼人は『良い刺激になった』と充実感を感じながら葉月の元へ帰ることにした。

しかし…六中隊から帰るその間、隼人の頭の中には

あの優雅な若いキャプテンが頭から離れなかった。

隼人はちょっと前になってしまうが…葉月が『恋人と別れたばかり…』と話してくれた

フランスでの…夏の夕暮れを思い出した。

『彼助けてくれたの。合同訓練の時、夜遊びで疲れていた私が倒れそうになったとき…。

『僕が突き飛ばしました。』って。手首を痛めたら操縦管は握れない。

それで私は彼のせいってことで…その場をしのげたの。』

『遠野大佐が忘れられなかったけど…彼がいたから、何とかやってこれたの。』

『彼は…葉月は軍人でいたそうだよ。そう言って…『待っている』といってそれっきり』

『彼を幸せにできる女じゃなかったの…』

『彼。結婚を決めたんですって。きっと…私じゃ疲れたのよ。』

フランスを出る少し前に…葉月は日本から伝え聞いた彼の噂にすら…

涙も出そうとしなかった。

そんな二人が…別れても仕事を通して信頼し合っていることを

隼人は目の当たりにしたように思えた。

葉月は…元・恋人のことを『気が合うと思うわよ?良い先輩だから会ってみたら?』とばかりに

今の…恋人である隼人を出向かわせて…

ハリスはハリスで…待っていた恋人が隼人の元から離れずに帰ってこなかった…。

なのに…『澤村大尉を貸してほしい。彼女の中隊のために協力する』と

暖かい笑顔で言ってくれる。

『なんか…二人そろって大人だなぁ…。俺の天の邪鬼がガキっぽく感じてきた』

隼人は『男と女』としての関係が終わってもそうして『仕事』で割り切れる

二人の関係が少しばかり切ないが…『立派だ』とガックリ、コンプレックスのため息が出てしまった。

『ただいま…』

隼人がうなだれながら帰ってくるとジョイが『どうだった?挨拶回り?』と

妙に心配そうに出迎えてくれた。

「うん。良い刺激になったよ。日本人が活躍しているのも解ったし。

良い先輩に出会えたって感じ。訓練出るのも楽しみになってきたかな?」

隼人は心で感じたままに…明るく報告しつもりだった。

しかしジョイはなんだか、納得いかなそうに隼人を見つめたままだ。

「気になる人とかいなかった?」

「どうゆう意味?」

「べ・別に?ないなら良いんだ♪そうそう。お嬢はさっき訓練に出かけたから…

また。山本少佐のこと『頼む』だってさ!」

ジョイはやっと何かを安心したように隼人を大佐室…いや。『隊長代理室』に促そうとした。

(あ!もしかして…彼は弟分として葉月とハリス少佐のこと知っていたのか!?)

隊長室の扉が閉まろうとしていたとき…隼人は外の席のジョイに振り返ったが…

彼は金髪を揺らして席に着いたところだった。

(聞いても…はぐらかされるかもなぁ)

元・恋人のハリスと現・恋人の隼人が『対面』する事にジョイは気をもんでいたのかもしれない。

(俺の勝手な想像だし…。葉月にとってはもう『過去』。今の俺とは関係ないか)

隼人は、そうして自分を励ましていることにも、気が付いて…

また、ため息をつきながら葉月がいない隊長代理室で自分の席に戻った。

ハリスのことはとりあえず、頭から離れた。

また、淡々と空軍管理の事務作業をしている間、『チームを作るとしたら?』などと

『ああしたい。こうしたい。』と急に色々と考えている。

葉月に急に挨拶回りに行かされたが…かなりの刺激になったようだ。

(ああ。ジャンにも報告したいな。『島のメンテナンス』の事。)

隼人は、フランスに置いてきた同期生のことを思い出しながら

あの向上心が高いジャンがうらやましがる顔を思い浮かべて

一人でひっそりと微笑みながら仕事を進める。

『Rurururu…』 また。内線が鳴る。

「お疲れさまです。第四中隊…『大…』…『隊長代理室』澤村です。」

葉月が心に決めた意志はすぐに実行してやりたいと思い

隼人は早速、新しい『室名』を口にしてみる。

『………。』 相手が沈黙をしていた。

『なんだ。今更、『隊長代理室』?そんな風に言うようになったのか?御園中佐も吹っ切れたって事か?』

そして。相手は『ハハハハ!!』と馬鹿笑いをしたのだ。

隼人は『む!』とした。相手がまたもや『山本少佐』だったのだ。

「中佐は只今、訓練中ですけれども?ご用件はなんでしょうか?」

隼人は、相手にするだけバカらしいと思っていつも通りに淡泊に返してみる。

『別に。中佐が午前中は訓練だって事ぐらい解っている。今からこれるか?』

「………。え?私がですか?」

『お前が担当だろ!?来いと言ったら来ればいいんだよ!鈍いな!!』

(まったく。相変わらずだな!!)

隼人は呆れながらも、『今度はなんだ!?』と気構えてしまった。

葉月に昨日、あんなに冷たくあしらわれてめげないところがさすがというか…。

しつこいというか…。逆に次はどんな手で来るかと躊躇してしまった。

しかし。いちいち葉月の判断を頼っていては

『隼人さんには何時でもそうであってほしいの…』と言ってくれた葉月の期待を裏切ってしまう。

「解りました。すぐにお伺いいたします。」

「すぐ来いよ。」

山本はいつもとは違った平淡で落ち着いた声で内線を切った。

隼人は不安を抱えながらも、肝を据えてまた出かける決心をする。

『ええ!?またかよ?大丈夫?俺行こうか?』

出かけることをジョイに報告すると、彼も心配そうだったが…。

山本のご指名は『隼人』だったので『大丈夫』と微笑んで隼人は第二中隊に

再び引き返すことになったのだ。

「お疲れさまです。只今参りました。」

隼人は机でたくさんの書類を広げている山本に声をかける。

「やっと来たか。まぁ。いいや。そっちにいこうぜ。」

山本はなんだかいつもより落ち着いていて刺々しさがなくなったいるようにも感じた。

山本が隼人を促したのは本部室の窓際にあるついたてで仕切られた

小さなミーティング室だった。

そこには長い机が正方形で並べられていて、パイプ椅子が並べられている。

「そこに座れよ。」

山本は自分が座った席の向かい側に隼人を座らせようとした。それに従う。

山本は手にして持っていた書類を隼人の前に突き出した。

「これは?」

隼人も胸ポケットから眼鏡を取りだして眺めてみる。

「いままで。そっちがメンテを借りていった回数のグラフだよ。」

「??」

隼人が『だからなんなのだ?』と思いながらそのグラフを眺めていると

どこかのチームと比較されているようなグラフになっているのに気が付いた。

すると、山本がボールペンの先で説明を始めた。

「この青い折れ線が源中佐チームだ。赤はブロイ中佐。

黄色はうちの第一チームのスチュワートのチーム。緑は山下。ピンクはハリスだ。」

山本がいつになく真剣に説明するのを隼人も固唾をのんで聞いていた。

そのグラフは、遙かに青い源チームと紅いブロイチームより

二中隊の黄色・緑・ピンクが数の上を示していたのだ。

「お前。メンテナンサーだってな。フランスで慣らしてたんだって?」

グラフの説明が終わると山本は急に隼人にふん反り返って無精ひげをなでる。

隼人を見つめるまなざしがなんだか異様に見下ろしているような意地が感じられる。

「と。いっても…ここに転属するまでの二年間は教官でしたから…。」

「そうか。今すぐ『戦力』ってわけじゃぁないのか。」

山本は隼人の真面目で控えめな答えに急に勝ち誇ったようににやりと微笑む。

「これ見て解るだろ?見ろよ。おたくのフライトチームは他の中隊より

うちの中隊のメンテチームを頻繁に借りていくって事だよ。

そりゃそうだよな?源チームはうちの基地ではトップチームだ。

そんなチームをひょいひょい借りていくって訳にもいかないし?

若いコリンズチームじゃレベルの差が埋まらないのはありありってところだよな。

第六中隊では若すぎてコリンズチームとは釣り合わない。

しかし、丁度良く、うちの二中隊は三チームもあって、歳も近くて

レベルもまぁまぁ上ってところだ。借りやすくて当たり前だよな…」

(一理あるな)

隼人は挨拶回りをしてきた後だけにレベルに合わせた『借り安さ』は

山本の言うところの『論理』に頷けるとグラフを眺めていた。

すると、急に山本が今まで静かに先輩らしく語っていた姿勢から

『バン!』と激しくグラフを広げた机の上に手をついた。

グラフを眺めていた隼人も少しばかり驚いて姿勢を正す。

「それがなんだ!?昨日の御園中佐の言いぐさは!!

これだけうちのメンテを借りていて『他に宛がある』だと!?」

山本がいつもの激しい男にそれらしく変貌したのだ。

隼人も山本の狙いが解って唇を噛みしめた。

(葉月にあしらわれたのがそんなに悔しかったのか?)

しかも、あしらわれた当の本人に言えないものだから、側近で担当になった隼人を呼びつけた。

彼の狙いが解り、今から来るだろう『反撃の言葉』を隼人も待ちかまえる準備をする。

『そのチームを動かしているのはこの俺だぞ!』とでも言いそうだと隼人が構えると…

「俺が一生懸命、そっちのフライトチームのために手配をしているのに、

『結構です』はないだろう!?それとも何か!?

第一中隊に毎回借りたいと言えるのかよ?言えないからうちにばかり頼んでいるんじゃないか?」

(やっぱりなぁ…。葉月にどうしても恩を売りたいって訳かよ)

隼人はこの男の本性が解り出すと昨日ほど腹も立たなくなってきて

逆に馬鹿らしくなってきた。

山本がクドクドと隼人にたたきつける『説教』のシナリオも予想通りで…

(バカだなぁ。俺に先を読まれる説教するなよ)としらけて耳を傾けていた。

「まったく。将軍の娘だからって、何でも通ると勘違いしているんじゃないか!?

そのことをなぁ。このグラフと一緒に御園中佐に伝えておけ!!」

山本はやっと腹の虫が治まったのか説教を引っ込めて

最後にまた、グラフの書類を隼人の胸にたたきつける。

「解りました。少佐のおっしゃりたいことは中佐に伝えておきます。」

隼人は昨日ほど腹も立たないのでシラっと落ち着き払ってぶつけられた書類を閉じた。

隼人が『さて。帰ろう』と立ち上がろうとすると、山本は目の前で煙草をくわえ始めた。

「おい。」

「はい?」

山本が呼び止めたので隼人も座り直しながら…

(灰皿くれ!!っていうかな?)と思いつつ、隣の机にある灰皿をとって、丁寧に山本に差し出した。

山本は何も言わないし…それがさも当たり前のように煙草を灰皿にいったん置いた。

「お前。二ヶ月も毎日中佐と仕事していたんだってな。ま。今だってそうだけどな。」

「フランスでのことですか?」

「お前何しに島に来たんだ?」

「…………。何と言われましても…。中佐に引き抜かれたから来ただけです。」

「その内に『メンテナンスチーム』でも作るつもりなのか?」

山本は煙草を吸いながら窓の景色を遠く眺めていて、いつになく神妙なのだ。

「そのような話は、まだ聞いておりません。遠野大佐亡き後…。

御園中佐一人では内勤管理が手に余ると言うことですから…

力及ばずながら、今まで内勤に主力を置いていた私が望まれただけです。」

今ここで、中隊の将来を大きく語ることはしない方が良いと隼人は判断して現状の事だけにしておく。

「御園中佐に気に入られて、お前はかなり得だよなぁ」

今度は山本に嫌みっぽく流し目で睨み付けられて吐き出した煙まで流れてやってきた。

「そうでしょうか?じゃじゃ馬の相手など…結構疲れますよ。」

と・これが最近の他人への決まり文句になりつつある。

「じゃじゃ馬と言っても…結構なお嬢さんじゃないか?どうだ?休日の彼女は?」

「…………。さぁ?」

知っているが葉月に興味津々のそんな男の質問に答えるつもりはなかった。

「フランスではどうだったんだよ。一度ぐらいは食事に行ったりもしたんじゃないのか?」

「仕事仲間としてですけど。」

「それで?仕事の話だけなのか??」

「勿論ですよ。彼女はそんな女性ですよ?」

「彼女。落ち込んでいたんじゃないか?遠野大佐が亡くなった後随分荒れていたからなぁ。

しっているか?大佐と彼女の『不倫の噂』は結構有名な話だぜ?

批判されなかったのはやっぱり、仕事だけはこなすふたりだったかららしいけどな。

中佐は『あっち』の事でも随分じゃじゃ馬らしいなぁ。お前も既にやられているんじゃないか?」

山本が隼人を脅かすかのようにニヤリと微笑みを返してくる。

(そんなこと言われなくたって大佐のことは俺はもう充分承知しているよ)

葉月は妻子持ちの男でもつきあうよな女だから『気を付けろ』と言わんばかりに…

毎日側にいる男…隼人に『誘惑されるな』と釘でも差しているかのようだった。

『彼女に既にやられている』は…『事実』なのだが…

葉月の男性関係について『じゃじゃ馬=尻軽』とは決して思っていなかった。

そんな事を言う男は葉月の相手じゃない。

葉月の肩の傷も知らないだろうし…

葉月が男にどれだけの警戒心を持っているか知らない男が言うことだ。

「さて。彼女の次のターゲーットは誰なのだろうかねぇ。」

山本はにじり寄るように隼人を見つめてさらに意味有りげな微笑みを返してくる。

『お前が一番可能性がある』 そう言われているようなのだ。

「さぁ?上官の男性関係など、興味ありません。彼女が決めることです。プライベートで。」

仕事場では隼人は側近…。『俺の女に手を出すな』と大人げなく突っかかるつもりはなかった。

それに…葉月が隼人を選んでくれたことだけはここ最近の『実感』で信じている。

すると山本がフッと煙を吐き出して煙草をもみ消した。

暫く、山本が何か珍しく言葉にためらっているっているような気がした。

「そうか。なら良いのだが。彼女が仕事一本のお嬢さんだって事は知っている。

一度。『仕事で俺と付き合え』と伝えてくれ。お嬢さんに興味のない『側近』なら言えるだろうさ。」

山本はそれだけ言うとサッと煙草を灰皿にもみ消してミーティング室から出ていった。

(は!そうゆう事かよ!?)

解りきった説教ばかりするので油断していたが、そんなところは上手の山本に

隼人はまんまと引っかけられた気になった。

だからといって葉月が取り合うとも思えなかったので『安心』はしているのだが…。

(なんだよ。あぶないなぁ…。そろそろ我慢の限界って奴かよ…。気を付けておかないとなぁ)

葉月への回りくどい接触に失敗した山本は今度は正面から(いちおう)葉月を攻めてきた。

それも…隼人が新しい男かどうかまで探ってくる執着ようだ。

山本の顔は、『噂好きの聞きたがり』という雰囲気ではなかった。

隼人はまた・一つため息をついて二中隊を後にする。

『ふん。こんなグラフ。その内にどこからも借りなくてすむようにしてやる!』

隼人はそのグラスの書類を握りしめながら四中隊に戻る。

そう…苛立ちながらも…

葉月がやはり男には放っておかれないお嬢さんであることに…

新しい恋人としては『優越感』というか『難儀』というか…

『なかなか…暇にはさせてくれないお嬢さんを選んでしまったなぁ』と…

それが葉月という女とつきあい始めた『実感』として何故か隼人は笑っていた。