20.準・居候

『お先にー』

隼人はいつもの如く、残務をしている葉月を残して定時にて帰宅をする。

『山本少佐に連絡した?』と出る前に尋ねると葉月は『後でする』とだけしか答えなかった。

心配になったが、大尉如きの隼人には口出しが出来ずにそのまま本部を後にした。

『仕様がないな…』

駐輪所に来て隼人はそう言いながら…胸ポケットから昨日もらった…

『バビルの塔』へ行く『カードーキー』を取り出して彼女の自宅へ一人で行く決心をした。

小笠原は10月といえども春のような暖かい風がまだ吹いていたが

海は秋の荒々しさで白波を激しく立てていた。

隼人はとりあえず。自分の官舎に戻って…。

葉月が貸してくれた参考書とチョットした着替えをリュックに詰めて…

また。『仕様がないな』などと言い訳をしながら…官舎に鍵を掛けてまた自転車にまたがった。

葉月の自宅は、基地から二キロの所。官舎からは一キロ。

雑木林伝いに、海辺の道路を自転車で漕いでいると…。

「俺の方が速いよ!!」

そんな声が耳元を掠めて目の前を紺色の制服を着た男の子が隼人を自転車で抜かしていった。

「あ!真一君!?」

隼人が叫ぶと栗毛の男の子が癖毛を揺らして生意気そうにニンマリ振り返った。

そのまま真一はドンドン隼人を引き離して前へ進んでいった。

(う!若いってこうゆう事なのか!?)

隼人も追いつこうと必死になって漕いだが真一との差はいっこうに縮まらなかった。

丘の下の坂に来て真一がキッと自転車を停めて隼人が追いつくのを待っていた。

「これでも。御園の男だからね!」

生意気な口を叩くが、隼人から見れば無邪気そのもの憎めないので…

「参った降参。十代には勝てないよ」とニッコリ微笑むと

またこの上ない輝くガラス玉の瞳を真一は見せてくれるのだ。

「早速来てくれたんだ!」

『早速』には隼人は若叔母と抱き合っているところを見られてしまったので

なんとも気が引けて無表情になってしまった。

「そう思って。俺も今日来たんだ♪だって大尉と晩ご飯食べたいし!!」

そんなに自分を慕ってくれる真一には隼人もさすがに天の邪鬼にはなれない。

「ちょっと。心配事があってね」

「なに?また葉月ちゃんに変な男が食いついてるわけ?」

『ご名答』と言いたいが…16歳の男の子がシラッと叔母の男女関係に

鋭く切り込むので隼人もビックリおののいてしまった。

「もしかして…そうゆう事って彼女にとってしょっちゅうてこと?」

「しょっちゅうじゃないけど…。葉月ちゃん若いじゃない。独身だし。

誰と付き合っているかも上手に隠しちゃうし…。知らない男の人は結構期待するんだよ。

俺が軍の中歩いていると、良く声掛けられるよ?

『叔母さんはいま恋人はいる?』とかあからさまな大人の人もいるし。

俺にお菓子をあげようとか言って変にに親切な人もいるし。

昔は俺もガキだったから喜んでもらっていたけど。

決まって『今僕の所に甥御さんがいますよ。迎えに来て下さい』とか餌にされちゃってさ。

葉月ちゃんに知らない軍人さんの後はついて行っちゃダメ!って叱られたモン。」

隼人はまた小さなママの葉月を知っておもわず『プッ!』と吹き出してしまった。

それにしても…真一の口から無邪気に出た発言だが…

過去の葉月がこうして出てくると隼人もなんだか神妙に聞き入ってしまう。

「それから。知らないおじさんからお誘いがかかっても…。

『フランクのおじさんと細川のおじさんに会いに行くところ』と言うと

みんなお迎えが将軍になると思って怖がるからそう言って追い払っているんだ。」

「『細川のおじさん』って…あの『細川中将』のこと??」

葉月を唯一怖がらせている噂の中将の名が出て隼人は恐る恐る尋ねてみる。

「うん!お祖父ちゃんの一番のお友達で、すっごく優しいよ♪あ。軍人さんには怖いけどね。」

真一はかなり慕っている様子だが…。

隼人はまだ見ぬその雷将軍のそんな優しいところはちょっと想像がつかないが。

『日本のお父さん』と言う印象が伺えた。

「葉月ちゃん…。今夜も八時頃かな??大尉も勉強に来たんでしょ?

俺もレポートあるからやっておかないと。葉月ちゃんに叱られちゃうよ。」

真一が大きなダイバーウォッチを眺めて『行こう!大尉!!』と

元気良く自転車で坂を登り始めた。

隼人も坂に向かったが…なかなかきつくてまた真一に先を越されてしまった。

真一が自転車をそのままロビーに引っ張っていくので隼人もそれに従った。

真一が先へ先へとセキュリティーを解除していくので…

隼人はまだ慣れぬ訪問にお供が出来てホッとしたぐらいだ。

赤い絨毯のロビーに夕日が入り込んでくる中…。

葉月が言った通り…ソファーの所でお年寄りがたむろしていて

隼人を見つけてジッとみつめるので躊躇してしまった。

「お爺さん。お婆さん。こんにちは!」

真一が慣れたように挨拶をすると勿論お年寄り達は孫でも見るかのように

ニッコリ微笑んで「お帰り。シンちゃん」と言うのだ。

しかし…また隼人を見つめてかなり硬い表情だ。すると…

「フランスから来た、葉月ちゃんの新しい側近さんだよ♪今ね。少佐になる勉強しているんだ。

葉月ちゃんの所にある参考書選ぶ様に連れていくよう俺が頼まれたの。これからよろしくね!!」

真一がそれとない機転を効かせて紹介してくれたので隼人はビックリ感心してしまった。

すると急にお年寄り達が表情を崩した。

「おやまぁ。アンタかい。葉月ちゃんをフランスまで引っぱり出したのは!」

「ようこそ。良く小笠原に来てくれたね♪」

「葉月ちゃんの力になっとくれよ。あの娘がいないと私達はここには居れないからね!」

お爺さん一人とお婆さん二人が急に隼人に群がって

「よろしくね」「頼んだよ」となんだか年寄り好みのお菓子を握らされてしまったのだ。

「まぁ。あの娘にこんな素敵な側近さんがついて安心ね。」

「本当だ。ここ数年…元気なかったからね…。一人で頑張りすぎたんだよ…」

お年寄り達は心配そうにため息をついてまた隼人に「よろしくね」「頼んだよ」を繰り返すのだ。

とうとう…真一が業を煮やして…。

「僕と大尉は今から勉強なんだ。お菓子ご馳走様。またね♪」

真一にやっと手を引かれて隼人はお年寄り軍から抜け出すことが出来た。

エレベーターに乗ると…。

「悪くはないんだけどさ。年寄りって同じ事繰り返すからね。きりないんだよ。」

と、またまた、真一が生意気にため息をついた。

でも…。隼人は「そうだね」といいつつも…

手に握らされた年寄り好みのお菓子を眺めて微笑んでいた。

葉月を心配してくれる人がここにもいる…。

島の…田舎の暖かみがマルセイユと同じように

ここにも存在しているのだとホッとしたような気になったのだ。

真一と供に葉月の自宅にはいると、真一にあれやこれやと

なにやら相手を求められるかと隼人は構えていたのに

彼は意外にも真面目にすぐにテレビの前のテーブルで

紺の上着を脱いでテキストを開く準備を始めた。

「ごめんよ。俺がパソコン部屋占領しているから…」

隼人が上着を脱ぎながら謝ると…

「ん?いつもここで勉強しているよ?だって葉月ちゃんが帰ってきたらすぐ解るし。」

真一はニッコリ微笑んで眼鏡をかけ始めた。

(それでそのテーブルには彼の物が散乱しているんだ)と隼人は納得した。

しかし…眼鏡を掛ける真一に違和感を感じた。

「眼。悪いんだ…。」

葉月がパイロットでものすごく良い視力をしているので意外だった。

「あ。うん。谷村の家系みたい。お祖父ちゃんも死んだ父さんも眼鏡掛けているし。

島に来てから急に悪くなったんだ。本の読み過ぎって葉月ちゃんに言われる。」

真一はそれだけ言うと急に真顔になってテキストに向かい始めた。

さすが…医者を目指す御園の子。と、隼人は感心して…

自分もおいてかれまいとすぐに林側の書斎にこもった。

しかし。自分が集中している間、真一が葉月の部屋にこもって

またなにやら探り出してもいけないと…。

隼人は部屋にこもって暫くしてからそっとドアを開けると…

真一は目の前のテレビのソファーで黙々と宿題をこなしていて安心した。

「ここ。開け放していてもいいかな?静かすぎて怖いんだよな」

大人の隼人がそんなことを言うので真一はケラケラ笑いつつも…

「いいよ。俺もほんとはそっちの林の音、ちいちゃい時怖かったから♪」といって

隼人の姿を眺めながら勉強が出来ると喜んで承知してくれた。

そこで男二人はシン…とした空気が張りつめる中…

林の木々が揺れる音を耳にしながらお互いに集中力をとぎすますことが出来た。

何時間経ったか解らなくなった頃。

『ピーピーピー』と言う音がリビングに鳴り響いた。

『あ!帰ってきた!!』

集中してた真一が、テキストを放り投げて一目散に掛けだした。

バタバタした音で隼人も気がとぎれて時計を見ると19時半だった。

『お帰り!!葉月ちゃん。大尉も来ているよ♪』

『うん。玄関に自転車が二台停めてあったから…』

『晩ご飯。食べるよね♪』

『買い物行ってきたの。秋刀魚が安かったから…』

『今日。秋刀魚!?ヤッホ〜♪』

そんな会話が聞こえてきて隼人もニッコリ机から立ち上がった。

オマケに『秋刀魚』は久しぶり。つい…『美味そう…』と期待してしまった。

「お帰り。中佐」

書斎から顔を出すと葉月も制服姿に買い物袋を下げてニッコリ。

「いらっしゃい。大尉。シンちゃんが邪魔しなかった?」

「失礼な!俺ちゃんといつも通りやっていたよ!テーブル見てよ!!」

真一はプッと拗ねて葉月のカフスを引っ張り、テレビのテーブルを指さした。

「大人しく勉強していたよ。俺が見習いたくなるくらいにね。」

隼人がそう言うと葉月はまたニッコリ…『それならいいのよ』と微笑んで…

ダイニングに買い物袋をおいて早速部屋に入ってしまった。

「大尉。秋刀魚だって!」

「……。久しぶりだよ。」

食事までお世話になるつもりはなかったが、

真一が「一緒にご飯!」と期待しているのは裏切れなかった。

真一は早速買い物袋の中を探り回した。

「ちゃんと大根も買ってきているよ♪寮じゃ冷めた秋刀魚しか食べられないからね〜。嬉しいな♪」

真一はそう言ってワクワクしながら大根やら新聞紙にくるまれた秋刀魚を出して大喜びだった。

隼人も料理はするがどちらかというと『洋食派』だから

『和食』を作ってくれるだろう葉月に期待をしてしまった。

「さて。簡単だけど…サッサッと作らなくちゃね。大尉も食べていくでしょ?」

葉月がフランスでも着ていたジャージ素材のワンピースをアンサンブルで着替えて出てきた。

「もちろんだよね!!だって秋刀魚。三本あるモン!!」

葉月が隼人の分も真一の分も…キチンと買いそろえてきたことを

真一に見抜かれてそっとうつむいた。

「手伝おうか?」

それが隼人の返事だった。

勿論。真一は喜び。葉月も微笑んでくれたが…。

「焼くだけよ。大尉は続きをして。シンちゃんは大根おろしてくれるわよね〜♪」

「ちぇ!勉強しろだの。手伝えだの。こき使う叔母さんだな!」

『まぁ。生意気!!』

そんなやりとりをしながらも、二人は仲良く買い物袋を抱えてキッチンに消えていった。

隼人も…手伝うつもりはあるが…。

そこまですると…もう既に『半同棲』の様な気がしたので…

ここに来た目的は『図書館に来る』と言う心積もりにしておきたかった。

賑やかな叔母と甥っ子の声を聞きながらお言葉に甘えて書斎にこもった。

『シンちゃん。テラスの窓全部開けて〜。』

『わかった〜〜!!煙すごいね〜〜!ゴホ!!』

二人の悪戦苦闘がおかしくて隼人は笑いながらテキストを見つめ続けた。

『こんな生活…。あるんだな。』

林の木々の音が少しづつ…安らぎの音に聞こえてきた。

一時間ほどして、真一が『大尉!ご飯出来たよ!!』と書斎の部屋にやってきた。

隼人も眼鏡を外してリビングに赴く。

すっかり日が落ちてまた開け放されているテラスから

素晴らしい夜海の風景が目に飛び込む。

『頂きます♪』

葉月の向かいに真一が…その隣りに隼人が座って三人で箸を揃えた。

「うわぁ。しょうゆをかけて焼き魚なんて久しぶりだなぁ。この前玄海では生魚だったからね。」

「あ!ずるい!!二人だけで『玄海』に行ったんだ!!」

真一はまた仲間はずれとそれはご立腹なのだ。

「そうそう…。真一君、ありがとうな。中佐と一緒に参考書に付箋付けてくれて…。

すごく役に立っているよ。落ち着いたら中佐と一緒にお礼の食事に連れていってあげるよ。」

隼人がそう言うと、真一は秋刀魚を頬張りながら『マジ!?』と、かなり喜んでくれる。

葉月もニッコリ…。黙って秋刀魚をつついていた。

葉月に山本少佐のことを聞きたいが真一がいるのでそんな雰囲気ではなくなってしまった。

真一の明るい話し声の相手を葉月と供にしていると、食事はいつの間にか終わってしまった。

食事が終わって三人で日本茶をすすっていると…。

「ああ。俺帰らなくちゃ。もうすぐ門限だから。」

真一が残念そうに時計を見つめた。時計は21時を指そうとしていた。

「じゃぁ。送ってあげるわ。」

「うん。自転車はまた、今度来たときに乗って帰るね。今日はさすがに遅くなっちゃった。」

隼人がいたので長居をしてしまったと言うことらしく、隼人は門限に間に合うか心配していると…。

「ん?俺。しょっちゅうだよ。泊まっちゃう事もあるし。門限破り常習犯だからね♪

でも、葉月ちゃんの所にいるって言えば遅く帰ることは大目に見てくれるんだ。

基地内に親のいる子もみんなそうしているからね。」

どうやら、葉月の所にはかなりの頻度で来ているということらしかった。

葉月が「泊まっていけば」とも勧めたが、真一はニヤリと微笑んで…

「そうもいかないっしょ?お二人さん。これからは俺も気を遣うよ」などというので…

隼人と葉月は二人揃って顔を赤らめてしまった。

「バカ言わないの!!じゃぁ、大尉。お留守番頼んでもいい??」

葉月は真一の頭に一発平手をお見舞いして隼人にニッコリ伺う。

真一も頭を撫でながら…

「大尉。また来て。一緒にごはん食べようね♪」と微笑むので…

隼人はまた苦笑いをして「またね。」と笑顔で見送った。

『洗い物は私がするから手を出さないで』

葉月がそう言って真一を送りに出掛けた。

隼人も、手伝いたいのは山々だが『半同棲』にならない意地を張り通して

葉月が言うとおり…キッチンには近づかず書斎にこもった。

暫くしてリビングのインターホンが鳴ったが、隼人は葉月を迎え入れなかった。

葉月も書斎のドアを、日曜日と同じく開けようともしなかった。

23時が廻ったのに気が付いて隼人はまた、『しまった。集中しすぎた』と

我に返って、リビングに出たが…。真っ暗で葉月の姿がなかった。

ダイニングテーブルに一枚のメモがあるのに気が付いた。

そっと拾い上げると…。

『先に休みます。お風呂も良かったら勝手に使って下さい。バスローブおいてあります。

冷蔵庫にもビールがあるから御勝手に。おやすみなさい。葉月』

隼人はそれを見てニッコリ微笑んでいた。

葉月の『私。忙しいの。勝手にやって』

まるで自分を空気のように扱うところはやっぱり…出逢ったときから変わらないなと…。

さすがに勝手に他の所を使う勇気はまだなかったので…。

隼人はそっと、おいとますることに決めた。

リビングのガラスドアに手を掛けて…立ち止まる。

ふと…広いリビングを見渡した。目の前にまた漁り火の風景…。

隼人はもう一度…ダイニングテーブルに戻ってリュックをおろした。

そして胸ポケットからペンを取りだして…

『秋刀魚。ご馳走様。故郷の味を堪能できました。

勝手ながら…今後のために部屋着をおいていきます。預かって下さい。』

それだけ書いて、リュックから…真一がいたので着替えられなかった、

官舎から持ち出したカットソーとジーンズをテーブルに置いた。

『おやすみ…。葉月。』

ピッチリと閉じられた葉月の部屋のドアを見つめて隼人は心で呟いた。

彼女が怖い夢を見ないことを祈りながら

隼人は自転車を引いて『レイチェルヒルズ』を後にこの日は官舎に戻った。

満天の星空の下…。潮風の匂い。

『これでイイかもな。今は…半同棲より準・居候ってとこかな…。』

きっと明日も丘のマンションに行ってしまうだろうと認識してしまった。