=マルセイユの休暇=

3.ベイビーラブ

 『葉月が妊娠!?』

登貴子は隼人を見つめたまま……何も反応が出来なくなる。

だけれども『お叱り覚悟』で、その相談を持ち込んだ青年から

登貴子に注がれる視線は『真剣そのもの』でしかなかった。

勿論──初対面の母親に、娘とその様な隠微な性生活について

あからさまにいきなり語るのだから……

隼人もそれなりに『思い詰めている』様も登貴子には良く伝わってきた。

だから……

登貴子は胸に手を当てて……ひとまず深呼吸……。

(落ち着いて……)

この青年は、娘を思って男として言いにくいことを

真っ向から登貴子にぶつけて……そして『頼ってくれた』のだし……。

葉月の母親として無茶に取り乱すようなことはしたくない。

それに──

娘が男性と『性生活』をしているかしていないかなんて……

大人と認めて……日本で単身、社会人として送り出したときから……

達也と仕事を始めたときから……そんな事はもうとっくに解っている。

登貴子が何よりも驚いたのは……

あの頑なな娘が『子供ができるような事』に警戒を解いていたこと……。

 『ママ……ピルを飲むってどう思う?』

まだ16歳だというのに……異性に対して嫌悪感を抱いている娘がそう聞いてきた。

娘はあの事件後から、少しばかり無表情で無口になってはいたが

登貴子にはまだ……心を開いて甘えてくれる方だった。

勿論──登貴子だって……あの時抱きついてくれなかった娘が

二度と甘えてくれないかと思っていたから……それは安心、嬉しいことだった。

だから──

葉月の思うところには真剣に耳を傾けて汲み取ろうとした。

16歳──葉月は、あの谷村真との間で思わぬ『妊娠・流産』をした後だったから

異性に嫌悪感を抱いているとは言っても、そんな性事を全く知らないワケでもないことは

登貴子も解っていたし……そして……

違う意味で娘が『新たな守り』に入ろうとしていることを登貴子は悟ったのだ。

『ピル? 相手がいないのに飲むのはおかしいわよ』

16歳の娘にそんな『習慣』はまだ……持たせたくなかったのだ。

『でも……』

髪を短くして……青いチェックの綿シャツにブルージーン姿の少年のような娘が

いつになく……愛らしい顔で頬を染めうつむいたのだ。

丁度この頃……葉月は16歳の誕生日が過ぎた途端に……

姿は少年のようでも、妙に『大人びた女性』の匂いを漂わすようになってきていた。

登貴子はこの時は気が付かなかった事で、後から知ったのだが……

この誕生日の前後……葉月の心には『新たなる惹かれる相手』が出来ていたのだ。

そう……あの『純一』だった。

二度と……思わぬ妊娠はしたくない。

だけれども……『またお兄ちゃまといつ逢えるか解らないから……その時のために』

そう思って娘が『憧れの純一』との関係を『上手に自分が傷つかないよう守る』為……

この二つの思いで、その様なことを言い出したのだと……。

純一との関係は、この時は気が付かなかったのだが

『思わぬ妊娠は嫌』……

娘がそう思って言い出した事、重々承知の上で毅然と母として答える。

『葉月……そんな事、大人になってから考えなさい

それから……ピルを飲むつもりなら……『シガレット』は駄目よ

ピルは煙草を吸う女性に適応しないことがあって……』

葉月が煙草を一日に数本吸っていることは見つければ叱ったが

どんなに叱っても娘は頑なに反抗するから……

見えないところで吸うことにまで口を挟むのも疲れていた頃だった。

だから……葉月はそこで一度、登貴子に向かって膨れ面になった。

『ママの科学論理は嫌い』

娘の為を思ってそう言っているに……『科学者』である事で反抗されると

なんだか登貴子も哀しい。

夫と供に日本を離れて仕事に没頭しすぎたから……

大切な娘2人に悲劇が起こってもなんら助けることもできなかったあの悪夢。

それを生き残った娘に責められているようで……。

だから……登貴子はそれから言葉が一時でなくなって娘から視線を逸らしてしまったのだ。

だけれども、ここで『放棄』しては、力無い母親に『今以上成り下がってしまう』

だから……

『それとも? そんなお相手がいるの?

もしそうならば……その相手ときちんとお話ししなさい

そんな事にも耳を傾けてくれない男性なら……お付き合いはやめなさい』

男嫌いといっても男ばかりの訓練校にいるのだ。

登貴子は入校は大反対だったが……その代わり葉月は気の合う同級生などを

徐々に見つけるようになってきていて……男ばかりいるから

『葉月にピッタリ合う男性に巡り会いやすいかも』とも思えてきていた頃。

それなりのボーイフレンドが出来れば、性的なことも興味深い年頃。

相手がいるなら『ピル服用』は登貴子もやや進めたくなる気持ちはあったのだ。

それ故の『確認』

だが……娘は……

『ママがそう言うなら……いい……。もう少し考える』

なんだか拗ねたようにしてそのまま二階の部屋に籠もってしまったのだ。

今思えば……あの時、葉月は……

思わぬ妊娠のことも勿論だったのだが……

本当は純一に女として惹かれてしまった戸惑いを登貴子に悟って欲しかった。

その為の『サイン』を出していたのだろうか? とも思えていた。

それと同時に……突然表社会から姿をけした雲のような義理兄が側にいないことや

そして……『どうやったら兄様に逢えるの? ママ?』

そんな事なども……聞きたい衝動と恋い焦がれる思いが

娘にあのような質問をさせたのかも知れない……。

この時……登貴子は、純一との関係を知る由もなかったのだが

暫くして……娘が髪などをいつも短くしていたのに……

急に伸ばし始めた『変化』に気が付いて胸騒ぎを起こしたのだ。

(本当に……誰かと付き合っているのかしら?)

葉月は口数少なくなって感情を外に出さないような子になっていた上に……

真とのこともそうだが……隠れたところで妙に『大人びた事』をしでかすことがある。

実は登貴子は真の前に、葉月が純一と体験していることは既に知っていた。

それがあってから、葉月は急に角が取れて少しばかり大人しい訓練生になった。

結果としては葉月のためになったから、今はもう何も言うまいと胸にしまっているが……

娘の『初体験』を舅である『源介』にあからさまに告げられたとき

登貴子はものすごく『ショック』で暫く精神がすり減ったことがある。

(母親である私の許可もなしに……男同志で男の感覚で勝手に決めたわね!!)

いや──あの純一、右京、真の幼なじみ兄貴3人衆が

亡き娘『皐月の遺言』を純粋に実行してしまった事を責める気はなかった。

彼等も彼等で皐月の悲劇について自分自身を責めに責めていたからだ。

純一は皐月との約束を安易に聞き流して守らなかったことを。

右京は女二人を別荘に残して皐月とくだらない口喧嘩で簡単に置き去りにしたことを。

真は兄と同じ女性を愛してしまったが故に、弟に譲ろうと約束を破った兄の重荷になったことを。

その3人が皐月のため、葉月の将来を案じて行った『葉月の女性への儀式』

登貴子が怒っているのは……

その事を源介と亮介が認めたことだった。

登貴子には一切……『相談』の一言も無かったから。

まぁ──その事はもう良しとして……

この時、登貴子は大人びた性事には既にさほど抵抗が無くなっている娘が

同じ年頃の男性と付き合っているなら『簡単に』……肌を合わせてしまうのではないか?

と──いう不安もあったのだ。

無口で無感情な娘が親に心を開かなくなってきていたから……

ボーイフレンドが出来ていたとしても『秘密』にしているのじゃないかと思ったのだ。

だから──

暫くしてから……

『葉月? ママと産婦人科行ってみる?』

娘も戸惑いがあったようだが……『ピル服用』について考えると言った物の

やはり──大人になるまで待てない何かがあったようで。

登貴子のその誘いに『こっくり』大人しく頷いて……そうして登貴子が病院に連れていったのだ。

それからだった。葉月の『ピル服用』は。

その『服用』が始まってから悟ったのだが。

(相手はいないようね? なのに……毎朝、かかさず飲むわね〜)

どこか父親に似て『細かいことは苦手』な娘が……

マメに飲んでいる姿はある意味……不気味にも見えたのだ。

特に相手はいないようなのに娘は何かに取り憑かれたように毎朝マメに服用を始めていた。

登貴子はそんな娘を眺めている内に……

(まるで精神安定剤のように思っているのね)

──そう、感じたのだ。

何が起こるか解らない……娘の異性に対する恐怖心はそんな物であって……

それを守るが為に……服用を始めた薬。

その習慣も虚しく、娘は自ら選んだ道によってまた思わぬ妊娠をして……。

さらに心を頑なにして、その薬を手放すことは無かった。

なのに……

 

 登貴子はそこまで思い巡らせて、娘にこの半年間……

この男性によってどんな変化があったのか、かなり気になってしまう。

黙り込んでいる登貴子を、不安げに見つめては俯く事を繰り返している青年を見つめた。

「隼人君? どうしてそんな事に?」

登貴子のその質問に隼人はやっぱりすぐには返事を返さなかったが……

暫くして──

「あの……その、偶然です」

「偶然? そんなはずは……あなたも側にいるならもう知っていると思うけど

あの子が『ピル』を手放すなんてよほどの事よ?」

「はぁ……僕もそう思っていたんですけど……本当に偶然で」

「葉月が『その日』は飲んでいないと知らないで?」

単刀直入に登貴子が質問をするので……

隼人は居心地悪そうにして膝に手を当てて俯くばかり……。

だけれども……感心するのはそこで逃げずに……

「知りませんでした。彼女も後になって気が付いたみたいで……」

ちゃんと……言いにくそうでも返事が返ってくる。

「そうなの!? あの子が??

その時……葉月はどんな反応を?? 取り乱したりしなかった??」

すると隼人がまた困ったように一時黙り込む。

「取り乱しはしませんでしたが……慌ててはいましたね」

照れたように微笑んだのだ。

「あなたは? 葉月の『ピル服用』に『頼って安心』していたのじゃないの?」

登貴子が半ば……男の性をバカにしたように隼人を責めると……

その黒髪の青年が、途端に……輝く眼差しを登貴子に真っ直ぐに向けてきた。

『!?』

その輝きに登貴子は息を止めた……。

一目見て、穏和そうで物腰柔らかそうな印象の青年が……

これほどの輝きを内に秘めているのかと。

「彼女にも以前……いや、付き合い始めた頃……

今のお母さんが言った事と同じような事、言われましたね。

確かに……その内に男側として『対策』しなくてはいけないと思いながら……

僕は彼女がしっかり対策しているからと、その内に、その内にで済ませていました。

これが服用していない女性なら……僕もすぐに考えていたのでしょうけど。

ですから……その『甘え』は彼女にもそして……

今回、こんな相談を聞いていただくことになったお母さんにもお詫びします。

だけれども……僕は……」

切実に語る隼人の言葉に登貴子は誠実さを見たような気になった。

そして──隼人は黒い瞳で登貴子をさらに真っ直ぐに見つめた。

「僕も……彼女と一緒でこの先結婚とか子供とか今は考えられません。

ですが……『考えられない』というのは自発的に考えられないのであって……

今回……解ったのですが……」

(結婚とか子供とか考えていないですって!?)

そんな心積もりで『妊娠云々』と相談しているのかと

登貴子は一瞬頭に血が上りそうになったが……

「偶然でしたが、彼女の身体の中に……僕の子供が出来ているかも知れない……

そう実感した時……初めて『幸せだ』と思いました。

それと同時に……彼女が赤ん坊を抱いて笑っている姿を見られるかもと……」

そう言ってはにかんで微笑む隼人を見て……登貴子はまた息が止まりそうになった。

この青年は本当に……娘のことを愛してくれているのだと……。

「だから──すごく残念です……。

手術をしてしまい今後治療を続けるなら、胎児に影響がでるでしょうから……

やっぱり出来ているなら早く処置した方が良い……。

そう解ったとき……やっぱり『甘えていた自分』がいたことにすごく反省をしました。

楽しみにしていました。だから……絶対、任務から生還しないとと……

なのに──もう少しで僕は犯人に殺されそうになって……

そんな身体かも知れないのに彼女が助けに来てくれた……。

助けに来てくれなくちゃ、僕は生還していない。

だけど、助けに来てくれたから……彼女が結果的に負傷して

その上……駄目になってしまっているかもしれないなんて……

全部……俺が……俺が……」

そこで、隼人が登貴子から視線をそらして……前髪の中、顔を伏せた。

その青年が唇を噛みしめて今にも泣きそうな顔をしている。

登貴子は思った……。

こんなに誠実な青年であるなら……

毎日一緒にいる娘はどれだけ、この男性に癒されているのだろうか?と。

そんな風にすんなり……思うことが出来たのだ。

だから──

「隼人君……有り難う。正直に話してくれて……葉月のために……」

「…………!」

登貴子がにっこり……微笑むと隼人がかなり驚いた顔で登貴子を見つめ返す。

「あの……怒らないのですか??」

「ふふ……怒る? いい加減な男性と感じたなら、首根っこ捕まえて

亮介さんに『小笠原からつまみだせ』と突きつけているわ……」

「……いや、そんな……」

穏やかに微笑むその登貴子の中に、そんな『鬼』が隠れている事を隼人は悟ったのか……?

怒られず安心した物の内心震え上がったようにも見えて登貴子には可笑しくなる。

「解ったわ……」

「……お母さん?」

登貴子はやっと自分の膝元を覆っていたシーツをはいだ。

「それとなく──手配してみるわ」

母親が動き出すのを、隼人はただ……見つめている。

「あの……お父さんには……」

「処置をするようなことになったら、私から言うわ。

何事もなかったら……あなたのその気持ちは日を置いてから亮介さんに私から……」

「スミマセン……」

「葉月にはどう言うつもりでいるの?」

「……同じです。処置をするようになったなら、ちゃんと言います。

出来ていなかったら……彼女が『出来ていなかった』と報告してくれるまで黙っています。

その後──僕も折を見て今までの『甘え』については、彼女に謝ります」

「……そう……」

(なんだか私と似ているのかしら?)

登貴子はそんな隼人の『処置対処』の感覚に妙に共感を得てしまったのだ。

なんて──しっかりした青年が現れたことか……。

確かに──『達也』も頭が良くしっかり者で明るいところが葉月を上手くリードしていたのだが。

葉月が今まで感じた事ない、いや──登貴子も感じた事ない男性が……

──『男の多い軍隊ならその内に葉月にピッタリの男性に巡り会えるかも』──

そんな風に思って耐えてきたが、その時がついに来たのだろうか??

登貴子はそんな直感を得ながらも……まだ、安心はしていない。

でも、ひとまず……『合格』ではあった。

それにしても──

いきなり『妊娠』を持ち込まれて登貴子としてはかなりの驚きだ。

これが娘にとって良い傾向に違いないのに……

いきなりそんな恋展開をしていたのが予想外である意味また衝撃的だ。

それに……

(処置するようになったら……本当、残念だわ)

『偶然』が生んだ娘の『ベイビーラブ』

だが──この後、娘はまた元の頑なな守りを解かない娘に戻るだろうとも感じていた。

『偶然』だから……この後も娘自ら、警戒を解かない限り……隼人の戦いは続くのだろう。

この青年はまた娘と向き合っていつまで戦い続けてくれるのだろうか?

そう思って、登貴子はため息をついた。

「もう──! すっげー遠かった!」

そんな密かな話し合いに折りがついて暫くした頃……

達也がいつもの調子で戻ってきた。

「お祖母ちゃん! みて♪ サンドウィッチ貰った!」

真一もご機嫌で帰ってきたのだ。

「まぁ……ちゃんと御礼は言った?」

「うん! 『メルシー』って言ったよ♪」

「偉い。偉い♪」

達也もそんな真一が、なし崩しに可愛らしく感じているのか

ニコニコと真一の栗毛を撫で回す。

「あのね! 隼人兄ちゃん! フィリップさんがね? 来ているなら顔見せてって!

達也兄ちゃんが英語で少しだけ話したんだよ♪

俺がね? 葉月ちゃんの甥だっていったら驚いてね!

それでミルクティー頼んだのにサンドウィッチをオマケにくれたんだ♪」

何処に行っても妙に可愛がられる要素が真一にはあるようで

隼人もご機嫌な真一をみて嬉しそうに微笑む。

「そう……真一にそこまでしてくれたんだ。後で御礼を言いに行くよ」

「おふくろさん! これ飲んで早く元気になってよ……

ちゃんと、甘くなるようにシュガーも入れて貰ったよ。甘いの好きだろ?」

達也が紙コップに蓋がついた湯気が上がっているホットミルクを登貴子に差し出す。

(ふーん……おふくろさんの好みにここまで詳しいとは……かなり親しいな?)

隼人は、ほんとうに達也が登貴子の息子にも見えてきて戸惑ってしまった。

「さすが……達也君。将軍の第一側近だけあるわね♪ きめ細かいこと」

登貴子がニッコリ……達也の手から優雅な手つきで紙コップを受け取ると

達也はそんな登貴子の誉め言葉に、もう……得意気そう──。

でも……すぐに達也の表情が曇った。

「あら……」

登貴子も何か悟ったように隼人には見えた。

(あ……そうか。 第一側近やめたばかりで……任務後は行く場所決まっていないんだっけ?)

隼人も急に思い出した。

だが──達也は……

「帰ったら……今度こそゆっくり考えられるよ。心配しないでおふくろさん!!」

いつもの調子で『カラッ』と彼は笑い出したのだ。

そこが彼の良いところであるのは隼人にも伝わってきたのだが……

(……無理していない?)

隼人はそうとも思えて、達也の顔色をつい……観察してしまった。

(彼……フォスター中佐と帰るなら明日……フロリダに帰ってしまうのか)

なんだかせっかく、数年ぶりに会った葉月とはもう少し腹割って話しをさせてあげたかった。

何故、二人が別れてしまったかは隼人はまだ知らないが……

そんな『真相』なんか今更、聞いても聞かなくても同じ。

どうせなら……葉月の中では綺麗に終わらすのでなく『すっきり』終わらせたいのだ。

勿論……達也のためにも。

『離婚』などを決意してしまって……彼の求める物はもう、違うところにある。

彼はいったい何処へ行ってしまうのだろう?

隼人は同じ男として少しばかり気になったのだ。

葉月と達也の『信頼関係』は任務中に嫌と言うほど見せつけられた。

男と女とかそんな物を越えている何かを隼人は感じた。

それが、少し羨ましかった。

隼人と葉月の場合、まだ付き合って日が浅い。

仕事でも、恋人としてでも……。だから……羨ましい。

これからそれは過去の誰よりも信頼関係を築き上げる心積もりではあるが……

葉月の過去の時間は『葉月の物』

そして今、葉月があるのも葉月が一人過去を進んできたから。

その過去に『自信』を持って欲しいと隼人は思うのだ。

だから──だから……達也との信頼関係は例え再び離れようとも……固く保ち続けて欲しいのだ。

「ねぇ……葉月ちゃん……大丈夫かな?」

真一も気分転換も済んで、ホットミルクをゆっくりと味わい終わった祖母も

元気になって落ち着いたのか

あれほど無邪気にはしゃいでいたのに、急にしょんぼり呟いた。

「そうだね……そろそろ行きますか? 博士の点滴ももう終わりそうだし……」

隼人もフッと物思いから解除されてナースを呼びにカーテンの外に出た。

暫くして、登貴子の点滴も終わり登貴子自身もやっと調子が戻ったようで

元気に娘の元へ行く身支度を始めたのだ。

その時……登貴子は敢えてジャケットが手元にないことを隼人に問いたださなかった。

隼人も言わない。

隼人はふと思った。

(本当は気が付いてるんだろうな……すごいなぁ)

隼人は……『初対面だから、気に入って欲しくておべっか使っている』と思われたくなくて

だから……黙ってジャケットを持ち出した。

逆に『有り難う』と言われるといつもの天の邪鬼で、素直に喜べないに違った。

そんな隼人の『本当に解って欲しい気持ち』など……とうにお見通しの彼女の母親。

隼人が黙って持ち出した『真意』は見抜いていて、

隼人の思うままにそっとして置いてくれていると感じたのだ。

(いいな……葉月はこんな素晴らしいママンがいて……)

そう思ってしまった。

「さぁ──行きましょう♪」

これから色々と娘の身の回りの事でこの母親はかけずり回るに違いない。

なのに──

そんな風にして明るく前へ進み始めた小さな背中を隼人は強く感じたのだ。

一行は『HCU』へと向い始める。

登貴子の荷物を率先して持つ達也と真一は仲良く前を進み始めている中……

登貴子が隼人の横に並んでそっと囁いた。

「出来ていたら……真っ先にあなたに知らせてあげるからね……?」

自分の胸元ぐらいの背丈……。

小さな黒髪の女性。

その強くて優しい微笑みに隼人は素直に頷いていた。

とても安心できる笑顔だったのだ……。

『出来ているのかな……』

あの朝は……任務に出かける前の日の朝。

二日前のことだ……。

出来ていたら、とてつもなく嬉しくて……そして非常に哀しい……。