=マルセイユの休暇=

2.娘の恋人

 『葉月ちゃん? 大丈夫? ママよ』

うつむいている娘。 左肩がまったく動かない娘。

病院の白いベッドにちょこんと座って物を言わない末娘。

長女が一番痛手を負ったはずだったのに……

まだ、長女の方がしっかりしていた。

『ママ──レイの側にいてあげて……お願い』

姉心なのか、長女はそう言った。

末娘の病室に行くと……あんなに可愛らしかったプリンセスのようだった娘が……

『ママ……なんで来なかったの』

やっと話してくれた言葉はそれだった。

そして……末娘の瞳から……見た事ない眼光が注がれた。

10歳の娘に……『鬼』が入り込んだ瞬間を見たような気がした。

 

『ゴメンね……ゴメンね……葉月。ゴメンね……』

母親の自分が、後悔の念で押し潰されながら、償うように……娘を抱きしめる。

だけれども10歳の娘は、二度とその母の胸の中。

いつも甘えてくれるようには……抱きついてもくれず。

ただ、母親の腕の力に身体を任せているだけ。

そして……『怖かった』とも叫び泣くこともなく……ただ、末娘はジッとしているだけ。

もう……

あんなに甘えん坊だった愛らしい……音楽好きの娘では無くなっていた。

 

登貴子の手から……美しい珠が二つ一緒に砕けて無くなったあの日。あの時。

 

「葉月……ごめんね……ママ……が……悪かったの……」

そう呟くと、登貴子の視界がぼんやり違う風景を映した。

「お祖母ちゃん!?」

「おふくろさん??」

ぼんやりとした風景が徐々にハッキリしてきた。

なんだか白い天井のような物が見えて……

そして……栗毛の男の子と……黒髪の青年が自分を覗き込んでいた。

そこで、登貴子はやっと『ハッ!』として、まぶたに力がこもって大きく開いた!

「真一……達也君……」

「もう〜……びっくりしたよぅ!」

少しばかり泣き顔の孫が登貴子に抱きついてきた。

「おふくろさん……大丈夫? 疲れたんだよ。

フロリダから日本に行ってそらからフランスだって? 無茶するよ……」

達也も、呆れた声を出しながらもいつも通り……

登貴子に気遣って困った心配顔。

「倒れたの? 私……」

『そうだよ? 驚いた!』

孫と達也が揃ってそう言う。

「おふくろさんたら……相変わらずなんだから……。

気力は天下一品だけどさ……本当は、小さな身体なんだから無茶しすぎなんだよ。

解らないでもないけど……」

達也がそう言って近くにあるパイプ椅子に腰をかけた。

息子がいない分……登貴子はこの青年とは妙な縁で親しくしていた。

娘と長年親しくして、良くしてくれたこの青年は……

登貴子に息子がいないと同じように──

母親に育てられなかった育ちからか、彼は登貴子を大切にしてくれる。

困ったことなどあると、すぐに駆けつけてくれる。

『おふくろさんじゃない! 元気!?』

娘と致し方ない事で別れてしまったこの青年が……それがキッカケでフロリダに転属してきた。

彼は登貴子を見かけると必ず元気良く走ってでも側に挨拶に来る。

『おふくろさんの味噌汁とか肉じゃが食べたい!』

遠慮無く甘えてくる所があっても、その明るさから屈託無いところが愛らしいところだ。

『ごめんね? 今、まとめている課題があって……

亮介さんが今、いないのだけれど……

庭の芝刈りしておかないといけないのよね』

本当はすぐに『いいわよ♪』と言ってあげたい。

しかし、娘と別れたことは仕方なくとも……

別れても軍人として娘とはまだ深い信頼を残しているといえども……

登貴子も知っている亮介の後輩少将の娘と結婚してしまったとあっては

少しは距離を置かねばならないだろうと、そう言うと……

『じゃ! 俺が芝刈りやってあげるから、作ってよ!』

『え? そこまでしなくても……』

『気にしなくていいよ! じゃ! 日曜日に手伝いに行くよ!!』

少しばかり強引だが、彼はそう言ってやってきては

息子のようにして、芝刈りばかりか、登貴子の手が届かない男仕事もこなしてくれた。

だから……

『有り難う。達也君──お父さんも帰ってくるから、ご飯食べていってね?』

『サンキュー! おふくろさん♪』

『お! 達也君が来ていたのか! どうだ! 良い酒買ってきたぞ!』

実の娘が手元にいないのに……そして別れた娘の男といえども

そうして達也は頻繁ではないが時々、御園家に自然に入ってくる息子のような存在。

だから……登貴子の性分も良く知っているようで

『小さな身体で強引な無茶』をしたことも既にお見通し?

困って呆れた顔をして、黒髪をかきあげ、ため息をついている。

「!?」

登貴子はやっと気がしっかりしてきて……

ある事が急に気になってサッと起きあがった。

「お祖母ちゃん?」

「おふくろさん?」

並んで座っている孫と達也がまた一緒に腰を上げる。

「…………あの、隼人君……は?」

ふと見渡すと……先程、初対面をしたばかりの気になる青年がいない。

すると……

孫と達也がそろって……なにか言いたそうにしているが口をつぐんでいた。

「なに? どうしたの?」

「えっと……お祖父ちゃんに知らせてくるって」

真一が何か言葉を選ぶようにそう言ったような気がした。

「えっと……そろそろ、おふくろさんも葉月の所に行く?」

(どうしていないの?)

まだ『娘と付き合っている』とは本人の口からも娘の口からも聞かされていないが

そんな事だって登貴子は既にお見通しだ。

なのに──その母親が倒れたというのに側にいないとは……

勿論……登貴子もそれだけの事で気分を害するわけでなく

何か理由があってここにいないのだろうと思ったから深く追求するのはやめた。

しかし──

「あのね? お祖母ちゃん……隼人兄ちゃん、もしかするとね?」

孫の真一が、躊躇いながら何か話し始めた。

すると達也も……

「このままじゃ……俺の気も済まないから言っておくよ」

登貴子は眉をひそめて、二人に『何?』と問い返した。

それは……登貴子が倒れた後の話しだった。

成人である達也が話し始めてくれた……。

 「うわぁ……参ったな……!」

登貴子が倒れても、すぐに動いたのは隼人だった。

登貴子の首の下に腕を通して……そして──

『ガッ!』と、勇ましく登貴子を抱き上げたのだ!

「達也! おふくろさんの荷物! 真一もついておいで」

『え?』

『え?』

そして、隼人は登貴子にぶつかった金髪の男に振り返った。

「内科は、俺がいたときと場所変わっていないよな!?」

「あ……ああ」

それだけ聞くと、隼人は登貴子を抱き上げたままサッと動き始めたから……

「おい! 待ってくれよ!」

「まって〜! 兄ちゃん!!」

達也は、隼人に言われるまま登貴子の鞄を持ち上げて……

真一も知らない外国……隼人に離れまいと引っ付き始める。

そうして……隼人が内科まで登貴子を至急、連れて……

そして……

「先生! 急患なんだ! すぐに見てくれませんか!!」

元・フランス隊員のせいか? 基地内では知れた顔だったのか?

隼人を見て、ナースも医師もなんだかすんなりと登貴子を受け入れてくれたのだ。

そうして、登貴子はすぐに処置室にて……診察を。

医師の診断は……『過労』だった。

そこで、それに適した点滴を施してもらって……落ち着いたのが1時間前ということだった。

そしてその後も、隼人の動きは止まらない。

「真一、達也──博士を見ておいてくれる?」

「え!? 何処に行くの?? 兄さん!」

いつの間にやら『達也』と呼ばれて、兄貴顔の隼人に達也は戸惑い……。

しかしながら、任務中もそうだったが……

先程のテキパキした対処と言い……例え慣れたフランス基地内といえども

達也はその素早さ、判断力にまったく歯が立たないとまたしなだれているというのに……

隼人はまだ何かしらしようとしているのだから……。

そうして、隼人が手にしたのは……

ナースが登貴子から脱がせた、先程コーヒーで汚れたピンクのジャケット。

「すぐに帰ってくる、ちょっと知り合いの所に行ってくるから」

それだけ言い残して出ていってそれっきり──。

しかし……達也は解った……。

ジャケットのクリーニングに行ったのだと。

それにしても……『1時間』も帰ってこないのはおかしい……と。

達也と真一は久振りに会った嬉しさもあって暫く話し込んだのだが……

二人揃って、『何しに行っているんだろう?』と、話していた所だった。

『もう……ただでさえ、お祖母ちゃんは、葉月ちゃんの彼を見る目厳しいのに……』

真一が、そうこぼしていたから……達也も余り隼人の印象を悪くはしたくない。

達也は、幸い康夫と一緒に葉月から登貴子に『同級生』として紹介されたから

自然に葉月の『恋人』として受け入れてもらったから……

隼人や……隼人じゃなくとも、葉月が付き合うだろう男は

『苦労が違うだろうなぁ』とは……常々思っていたのだ。

だから──

『葉月には簡単に長続きする男は出来るはずない』

そう、睨んでいたのだ。

しかし──『予想外』

隼人と葉月の付き合いが、また『一年未満』であったとしても……

あれだけ、葉月を動かしてしまう男で

達也自身も……どことなく認めてしまった。

だから……悔しいけれども、葉月のためにも隼人の印象は悪くしたくなかったのだ。

だから──

登貴子に隼人が素早く対処して、

さり気なく人には告げずにジャケットを持ち出した事を報告したのだ。

 

すると……登貴子がそっと微笑んだ。

「そう……それならいいのよ」

彼女が、なんだか清々しく微笑んだので……達也はホッとした。

『大丈夫かな? これで……』と、安心したのである。

そして──登貴子が目を覚ましたので

達也は簡単に『任務結果』を報告した。

どうして葉月が空軍を離れて母艦を飛び出したのか……

それは、葉月が口で言っていたとおり……『亮介の命令』と告げた。

達也としては……そうとしか考えられなかったから……。

でも達也は、登貴子が怒るだろうと思いつつもいずればれることだからと話したのに……

登貴子は思ったより落ち着いていた。

「そう──亮介さんがそうしたのね?」

いつもなら怒りそうなところなのに……

『父親のくせに……総監のくせに……自分の娘を切り札に使ったの!!』と──

だが……登貴子は怒らなかったので達也はちょっと腑に落ちなかった。

(なにか……知っているのかな?)

葉月の『秘密任務』に少しばかり疑念を抱いた。

達也は知らないのだ……葉月の後ろに『影』がいることを……。

こんな『腑に落ちない疑問』は、葉月が行方不明になった『ミャンマー遠征』でも感じた。

そして……今回も……

(俺、犯人を仕留めた感触……今でもないんだけどな?)

だが──犯人は確かに葉月の側で倒れていたじゃないか?

葉月の処置手術が終わってすぐ。

達也はマルセイユ基地の宿舎でひとまず休憩に入ったという

フォスター隊に内線にて連絡を取ってみた。

そこで確認したがフォスター隊長が達也の代わりに持って帰ってきてくれたスナイパーライフル。

『隊長。俺のライフルバッグに弾丸いくつ残っていた?』

達也は、弾は10発持ってきて、3発撃ったから残りは7発のはずだった。

『7つだったぞ? お前が3発撃ったから……あっているだろ?』

それで納得はしたがそうして腑に落ちないことは、いつもあるのだ。

そして……達也は、どうして葉月を撃つ結果になったのかも報告した。

葉月が指輪を持っていたことも……そして、それで犯人に部下と引き替えで人質になったことも。

そして……隼人と力を合わせて、犯人狙撃に至ったことも……。

登貴子は今度は落ち着いていて……もう、取り乱すことはなかった。

「そうだったの……」

登貴子は、眼鏡を外していたが……

その愛らしい黒い瞳をそっと伏せたのだ。

やはり、娘が自ら飛び込んだとはいえ、汚らわしい男の手に落ちていた事に……

本当に哀しそうな顔をしていた。

達也には解る。

きっと──長女の皐月と重ねてしまったのだと。

だから──それ以上は達也も登貴子の『傷』を刺激しそうで

見るに耐えなかったから……そこで報告はやめた。

達也が

「仕方なかったけど……葉月をあんな風に追い込んだ。ゴメン、おふくろさん」

──と、表情を曇らせてうつむくと……

「何を言っているの? 達也君がスナイパーを持ち込んでいなかったり……

あなたの腕前が無くては……葉月は今頃、さらわれていたわけでしょう?

あなたと、隼人君も追いつめられながら出した答えで……

たった1日で岬基地を奪回し、犯人を仕留めて……それで葉月も帰ってきた……

軍事的にはスピーディーに事も終わって……これは最高の結果に違いないわ」

登貴子がそういっていつもの優しい言葉、優しい笑顔で達也を労ってくれた。

達也は……そこで性分に似合わず泣きそうになり顔が崩れそうになったのだが堪えた。

父親の手一つで育ってきた達也にとって、登貴子とはそういう優しい存在なのだ。

(でも、葉月とおふくろさん……そしてオヤジさんも……

なんだか……いつになく、昔のことに揺さぶられている感じだ)

なんだかんだと、取り乱しても結局は登貴子も軍内人……。

物わかり良く、事が終わったことを『良し』と納得しようとしている事に達也は哀しく感じた。

それにしても……

こうして任務が終わって達也が一番、腹立てていること……。

(なんで! 空軍整備員の兄さんが……

ちょっと工学・通信を学んでいたからって、前線の管制仕上げを任されたんだよ!

しかも……葉月は現役パイロットなのに、指揮側に引き離したりして……!)

任務中は目の前のことに『全力集中』する質なので

事が終わってみるとそんな風に、達也の中で『疑問』として膨れ上がった。

だが──それもすぐに解った。

(反御園派か……葉月の事を引きずり降ろして、オヤジさんに責任をとらそうとしたに違いない!)

最初から『任務を失敗させよう』と、御園父娘に押しつけたとしても

軍人として、大切な人の命が関わっている任務にそんな『事情』を織り込んだ

反対派のやり方にはやっぱり達也も腹が立つ。

だが──任務は『大成功』だった。『ザマーミロ』なのだ。

だから達也としても……葉月はあんなになってしまったが……

軍人的には『大成功』

葉月にだって中隊長初仕事『大成功』

隼人も初任務、『大成功』

達也も、犯人を仕留めて『大成功』

たくさん致し方ないこともあったが『結果オーライ』、大活躍だ。

だから……登貴子の笑顔に誘われて……達也もニッコリ微笑む。

「3人とも……大活躍だったのね? 達也君お疲れ様……

それから……葉月を助けてくれて有り難うね……

さらわれて、変な男に好きなようにされていたら……もう……」

登貴子がそこで……初めて両手で顔を覆ってすすり泣き始めてしまったのだ。

達也も孫の真一もちょっと驚き……。

いつも強気な母親姿の登貴子であるが……時々こうしてストン……と弱くなるのだ。

こんな脆くて可愛げある女性であるので……達也も登貴子が大好きなのだ。

「おふくろさん……泣かないでよ」

「お祖母ちゃん……大丈夫?」

達也と真一が揃って椅子から立って、肩をさすると……

登貴子も泣くのはやめて、笑顔をこぼしてくれた。

その時──

「ただいま……遅くなって……」

隼人が、何喰わぬ顔で帰ってきたのだ。

「何処に行っていたの! 隼人兄ちゃん!」

しびれを切らしていたのか真一がプリプリと叫んだ。

そして──達也も……

「本当だよ、もう……」

人の気も知らないで……と、シラっと落ち着いている隼人に腹を立ててみたり。

でも──

隼人は瞳を濡らしている登貴子を見て……少しばかり驚いていたが。

「大丈夫ですか? 驚きましたよ……いきなり倒れるものですから……」

眼鏡の笑顔でニッコリ……登貴子に微笑んで……

白いリボンタイブラウスの袖で涙を拭いている登貴子に……

隼人がそう言いながら……ポケットからハンカチを出した。

だが……そのハンカチ……血が付いている。

そう──葉月の顔を拭いたハンカチだった。

それを見て……登貴子が驚き息を止めたので……

隼人はサッと引っ込めてしまった。

「お祖母ちゃん──これ」

真一が隼人に習って、やっと自分のジーンズのポケットからハンカチを出した。

達也はその『ソフトな対応』に絶句……。

(お……女が弱い男かも!?)

自分とは違う意味で、『良い男』と思ったのだ。

達也は『女が放っておかない男』と言われていたが……

隼人は『女を引き寄せてしまう男』と感じたのだ。

だた、このタイプの男の場合『女が接近して初めて惹かれるタイプ』だから……

地味だけれども葉月が『落とされたワケ』を初めて知ったような気がした。

だから……登貴子もなんだか急に……

孫が差し出してくれた、ハンカチはそっちのけ……。

しっかりしていて、ソフトな隼人を頬なんか染めてジッと見上げているだけだ。

それに、その登貴子の瞳……まるで『素敵な男性に出逢った少女』の様?

昔からどことなく『乙女』な部分を醸し出す清楚な女性であるのは達也も男として感じていて

そこが母親ぐらいの歳でありながら『放っておけない、構ってあげたい』

そんな女性であるのだ。

亮介と細川が『取り合った』というのも何処かで頷いているのだ。

そんな登貴子だから……妙に隼人の隠し持つ男らしさに『感化中』と達也は思った。

「博士、フランク中将と来られていたそうですね?

真一君からそう聞いたので……中将が捜して心配していると思って

連隊長室まで行ってきましたよ。

それから……HCUにいるお父さんにも報告しておきましたから

驚いていましたけど……後で博士をお連れするからお嬢さんから離れないように言っておきました。

あ……それから……『康夫』だけど……彼は……HCUの隣にいたよ」

「なに! 兄さん、一人でそんな事までしていたのかよ!?」

道理で1時間も帰ってこないはずだと達也は驚いたが……

その手際の良さに驚いた……。

それに……

「康夫がHCUの隣にいたって??」

達也が驚くと……真一と登貴子も驚く。

「それって……ICUの事!?」

医者の卵らしく真一が叫ぶ。

隼人もちょっと困ったように……仕方なさそうに微笑んだ。

「そう集中治療室……意識が戻らないんだって……

雪江さんもなかなか中に入れないらしくて……今、待合室に控えているよ。

彼女にも顔を見せてきた……皆が来ているって言うと喜んでいたから

後で元気付けに言ってあげよう? 日本から家族ももうすぐ来るらしいよ」

その報告に……登貴子も、真一も、達也もうなだれた。

だが──そうしんみりしながらも隼人はさらに落ち着いて登貴子に話しかけた。

「フランク中将には、僕たちがご主人の所までお連れするからと伝えてきました。

中将はすぐに……リビア側との調整のためにフランス側の軍事会議に出られるそうで……

そのまま。ホプキンス中佐とフランス本部に出かけることになったそうです。

明日……こちらに戻ってきて御園中佐の様子を見に来るからと伝えて欲しいと……」

そこまで一人で駆け回って……

離ればなれになっている者達が下手に動かないようまとめてきた隼人に……

達也は絶句── 登貴子は満足そうにニッコリ微笑んだ。

「そう……有り難う。 本当にお恥ずかしいわ……

初めてお逢いして……こんな迷惑かけたなんて葉月が知ったら叱られるわ」

登貴子が恥ずかしそうに微笑むと、隼人も照れたように黒髪をかいた。

「彼女の麻酔ですけど……午後に切れるそうですから……その時目を覚ますでしょう。

お母さんも……そう急がずに、お疲れならもう少しお休みになっては?

点滴も……まだ、終わらないみたいだし……

ああ……コーヒー飲もうとしていたようですが、何か飲みたければ持ってきますよ?

ドクターが、それぐらいは良いと許可をくれたので……

ただ……コーヒーは今の身体には良くないですね? 他の物で良ければ……」

隼人は登貴子の腕に施してある点滴の薬品袋を手にとって

残りの量を確認しながらそう話を進める。

(うわ──なんなの? この兄さんの『きめ細かさ』)

達也は益々、おののき……自分とはまったく正反対だった。

だが──『負けてなるものか』

登貴子とより親しく、長い付き合いは達也の方である。

「俺! ミルクティー買ってくる!」

達也がサッと立ち上がると……

「い、いわよ……達也君……隼人君もこれ以上気を遣わないで?」

「ああ……ミルクティー。 なるほどね!

あーでも……紅茶はコーヒーよりカフェインが多いんだよね?

ホットミルクかココアぐらいが宜しいかも知れません? 僕が知り合いに頼んで作ってきますよ?」

隼人がニッコリ……登貴子に微笑むと

「じゃぁ……ホットミルク頂こうかしら?」

隼人に軍配が上がって達也はガックリ……

(ずるいよー! 元・フランス隊員を出してそんな事勧めて!)

今の達也には状況不利であった。

だが『負けない』

「それ、どこ! 俺が頼んで持ってくる!」

勢いだけで言っているのは自分でも解っている。

だから、そんな達也の勢いに隼人は驚いていたのだが……

なんだか……いきなり『ニッコリ』……何か見透かしたように優しく微笑むので

達也はやっぱり……おののいた。

「フランス語……話せるの?」

(うう……!)

確かに──! と、達也は引き下がりそうになったのだが……

「そうだね。俺もちょっと歩き疲れた。久振りに基地内歩いたから……

行ってきてもらうかな? この医療センターの調理場だけど……

昔──基地のカフェでコックをやっていた知り合いが今そこにいるから」

隼人はそう言うと……『ちょっと待ってね』と登貴子がいるベッドのカーテンから出ていき

暫くして、メモ用紙とペンを持ってきた。

「地図と俺のフランス語のメモ渡すから……

調理場にいる『フィリップ』っていう栗毛の男に頼んできてよ」

隼人がスラスラと見取り図と言づてのメモを書いて……達也に差し出した。

それを悔しいが手にとって見てみる。

見取り図の地図とフランス語で何を書いているのかわからないメモが一枚。

しかも言づての一番下には何故か? 漢字で『澤村隼人』と書いている。

「格好悪いジャン! 俺が話せるフランス語にカタカナ振ってくれよ!」

格好悪いのは解っているが、フランスの隊員に日本人丸出しでメモだけ渡すのは嫌だったのだ。

「フィリップは少しなら英語も通じるよ」

「解った!」

達也はふてくされてそのメモを握りしめて立ち上がった。

「……真一も行っておいで、好きな物出してくれるよう頼んだから」

「うん!」

達也はびっくり──『なんで真一も??』と思った。

なんだか一人でお遣いに出しては心配だからお供付かと腑に落ちなかったが

真一が嬉しそうに『行こう! 達也兄ちゃん!』と引っ付いてくるので止められなかった。

外に出ると真一が……

「あー。ジッとしていて疲れた! ちょっと外に出たかったんだよね〜♪

お祖母ちゃんの側から離れたくないけど隼人兄ちゃんがいるなら大丈夫♪」

真一はやっと外の空気を吸って気分転換とばかりに伸びをした。

(あ──。兄さん、真一がしびれ切らしていたの判っていたんだ)

また──うなだれた。

本当にもう……なんてしっかり者な男が葉月を落としたことか……と。

そう思いながらも……

地味な行動だが……皆が満足するような『きめ細かい気遣い』

頭が上がらなかった……。

きっと達也にも一役かわせてあげようと……このお遣いもさせてくれたに違いない。

はしゃぐ真一を従えて達也は、ポケットに手を突っ込んで一つ、大きなため息をついた。

そして……こちらは登貴子と隼人の二人きりになった。

隼人は二人が出ていって暫くすると、達也が座っていたパイプ椅子に腰をかけた。

「お疲れ様……色々と気遣ってくれたみたいで助かりましたわ」

登貴子がそう労うと……隼人は少しだけ微笑んでそして真顔になったのだ。

登貴子はちょっと気になって……首を傾げた。

すると……

「良かった……お母さんが来てくれて……。

実は基地内歩きながら考えていたんですけど……」

隼人が微笑みながらも何か思い詰めた顔。

登貴子は妙な胸騒ぎを覚えた。

「どうかしたの?」

「──」

隼人は、暫くうつむいて黙り込んでいたのだが……

「こうして任務が終わって彼女の処置手術が終わってすぐに気が付いたことがあって」

「なに? 私で聞けることなら……お聞きするわよ?」

「──」

それでも、隼人は黙り込んでいた。

そして……彼の口から信じられないことが告げられる。

「あの……突然、お母さんにこんな事言うのは失礼と判っているし

お叱りを受けるのも……覚悟してのことなんですが」

「なに?」

登貴子は何を言い出すのかと胸の鼓動が早まった。

「……あの、『妊娠』ってすぐに調べられますよね?

その……彼女があんな怪我をしてしまって手術もしたから……

もし、出来ているなら早く処置した方が良いと思って……

その──今回は駄目なら仕方ないと諦めましたし……

もし、出来ていて……このまま放っておくと結局葉月の身体にも負担が……

そうなる前に……残念だけど、出来ているなら処置した方が良いと思って……」

その報告に──登貴子は息が止まるぐらいに驚いて……言葉が出なくなった。

でも──隼人は続けた。

「そんな事に気が付いて、お父さんに相談するべきか悩んでいたんですけど

お母さんなら同じ女性だから……彼女の心も傷つかないようそれとなく検査できるかなと……」

(葉月が……『妊娠』!?)

そんな事──

そんな事になるような事を娘がしている!!

それは登貴子にとってものすごい……衝撃だった。

隼人の緊迫した姿と登貴子の衝撃的な硬直。

それもあって……達也と真一を上手く外に出した事に気が付いてそれにも驚いた。

昼間の日差しが柔らかくカーテン内に入ってくる中、青年と母親が静かに向き合う。

『娘の恋人』

それを初めて……そして衝撃的に登貴子を襲った瞬間だった。