29.闇の架け橋
昼下がりのスクランブルも取り立てて何も危険なことはなく
フジナミチームとコリンズチームは無事着艦。
「アルマン大佐……ニース上空を少しばかり国境空域越えましたが
対岸国の反応はいかがな物でしょう??」
葉月は初めての敵国側侵入の作戦を終えて先輩に尋ねた。
アルマン大佐もそれが気になるようで管制員に……
『どうだった?』と尋ねたが……管制員は
「いえ……変わった様子はありません。少しは驚いたぐらいでしょう……
次回のスクランブルから敵国の出動機数が増える可能性はあるかも知れません」
「そうか……」
「空の緊張が高まりすぎると……突入隊に負担がかかります……」
葉月がそっと先にある心配を口にすると
その先読みにアルマン大佐がまた、驚いた顔をした。
「そうだね……様子を見て……ニース上空への出動は
いったりいかなかったり……その判断はこれからしないとね」
「はい……」
ほぼ……3時間置きに『スクランブル』があることが葉月にも飲み込めてきた。
(次は……夕方かしら?)
葉月はコートの袖口をめくってダイバーウォッチを眺めた。
時は……16時を廻っていた。
「お嬢……」
外に様子見回りに行っていた山中が戻ってきた。
「隼人達が目を覚ましたって……今から早めの夕食をとって……
漁船でフォスター隊と装備の打ち合わせをした後……今度は
フォスター隊が突入前までの休息にはいるって……」
「そう……彼等に会った?」
葉月は四中隊通信科メンバーが気になって尋ねたが、山中は首を振った。
「ジャッジ中佐からそう……聞いただけだから……」
「父様は? 昼前スクランブルから姿見せないけど??」
「漁船の装備準備の確認に行っていたって聞いたけど?」
「そう……」
葉月はため息をつきながら……ポケットにしまったキャンディーを握りしめた。
細川は……管制室の入り口にパイプ椅子を置いて……
静かに若い者達のスクランブル仕事を眺めているだけで……
何かがない限り声も出そうともせず……
黙々とアルマン大佐から渡された管制データーを睨んでいるだけ……。
そこは……余計な口出しはしない『割り込んできた監督』の立場を守り通していた。
葉月も二度目のスクランブルが終わり……指揮にも慣れてきた感覚を覚えながら
そっと……山中と一緒にデスクの椅子に腰をかける。
(あと数時間もすると……)
隼人と達也が漁船に乗ってマルセイユに戻り……
冷たい海に潜って……険しい崖を這い上がって……
何が待っているか解らない岬基地に侵入するのだと……
葉月の頭は、空のことで落ち着いては、突入隊のことで頭が一杯。
落ち着きもしなかった。
『早くこんな生活に戻りたいな』
出発前、朝日のリビングでカフェオレを飲みながらそう呟いた隼人を思い出す。
(私も……帰ったら隼人さんがいれてくれたミルクティー飲みたいな……)
葉月は目をつむって一時……そんな穏やかな小笠原の生活を思い浮かべて
頭も心も休ませることにした。
『只今から装備の説明を行います』
漁船船内に通信科とフォスター隊が再び集合……。
食事を済ませた隼人達は漁船に入って慣れない装備の説明を受けることに……。
フォスター隊の一人一人がクロフォードと小池通信班のメンバーに付き添って……
海に潜るための装備の説明を……。
隼人には……何故か? 達也が率先するようについたのだ。
「少佐。スキューバーダイビングはしたことある?」
「ああ。このフランスにいるときに観光で一度だけ……」
「そうなんだ。じゃぁ、ライセンス持っているな」
「一応……潜るために取りましたからね」
「じゃ。大丈夫かな? アクアラングの取り扱いは……」
「たぶん」
『スーツは崖を上がる前に海中に脱ぎ捨てます』
フォスターの説明と供に細々と付き添いの海陸隊員が通信隊員にアドバイスを……
『次は銃器……通信科には小型銃を持っていただき……』
「ライフルと機関銃で俺達が護衛って事」
また達也が隼人に銃を持たせてそう呟いた。
「人を撃った事はないだろ?」
「あ……ええ。勿論……海野中佐は?」
「まぁ……何度かね?勿論、正当防衛だけど。
ちょっと撃つつもりで、銃を構えてみてよ?」
達也にそう言われて隼人はちょっと躊躇いながらセーフティーロックをはずした。
そこで構える前に、達也に手を止められた。
「OK! それを忘れる奴……ビギナーには多いから
特に今は解っていても……いざ敵と鉢合うと忘れたりするんだ」
(あ。そうゆうこと……)
隼人はこの時……この男にはかなり『初心者』に見られていると感じ取った。
(しかたないか……確かに俺、機械ばかり触ってきただけだし……)
一応……訓練の中で習ったことだが……
活用される機会は当然なく……訓練校で十年以上前に習った事。
今夜初めて役に立つような物だった。
『次はサイレンサー』
「こうつけるのさ」
隼人の手から銃を取った達也が器用に『ガシャッ!』とサイレンサーを取り付ける。
その手慣れた手つき……やはり……『陸男』と隼人は唸った。
「一つ……忠告。敵に鉢合ったら躊躇わずに撃つこと。
相手は、世界をひっくり返そうとしているバカな輩。
仏心を出すと……二度と葉月は抱けなくなるかも知れないぜ」
達也は淡々とそう言って、隼人に配給されたサイレンサーをつけた銃を差し出した。
『抱けなくなる』なんて事を平気で言うので隼人は照れる前におののいてしまった。
日本語だから良い物を……
でも、隼人の横にいた小池が『ぶ……』と密かに吹き出したので
隼人は、思わず先輩をしらけた視線で見つめてしまう。
小池も咳払いを一つ……。
「なーにがおかしいんだよ! 小池兄さん! 俺、本当のこと言っているんだぜ??」
達也が元先輩にくってかかる。
「いやー。。海野らしいなって……
すぐに『女を抱く』って発想が……澤村君にはその発想通じないぜ?」
小池が笑いながら返すと……達也がまた頬を染めて硬直した。
「失礼な! 俺を女好きみたいに言うなよぅ」
「さぁて……引く手あまたの『色男』だったからなぁ」
「どこが? 俺は一人の女に一途だったのに……」
その小池との会話に隼人は面食らってしまった。
達也の過去に対する『さっぱり口にする』所……
これも隼人には絶対ない物だからだ。
『こらー! そこ!! ウンノ、うるさいぞ!』
説明中のフォスターに注意をされても達也は『ケロリ』……。
海陸隊員の指示の元……銃器、潜入の準備は整った。
出発した後、装着しやすいように船内にそれぞれの道具を並べた。
「さて……フロリダ隊は朝から動いていたので
出動前に少しばかりの休息に入ります……。
次の集合は、漁船出発の時……この船内で……」
フォスターがクロフォードにそう告げて……部下を引き連れて船内を出ていった。
今度は、隼人達……通信班の機材準備が始まる。
クロフォードの元、システム起動の手順、機材のチェックを……
夕暮れ始めた船内の窓。
甲板から一度だけ、戦闘機がスクランブルに出ていった。
(葉月のヤツ……とりあえず、上手くやっているみたいだな)
『フジナミチームが今、コリンズチームと作戦実行しているんだってさ』
目覚めた後の艦内夕食時に小池がそう教えてくれた。
隼人はそっと窓辺によって甲板を眺めた……。
眼鏡をかけると……遠目に懐かしい栗毛の男が見えた。
『ジャン……俺の事、心配しているだろうな……
本当なら……甲板でお前と一緒にメンテやってるはずなのに……』
隼人はそっとため息をついた。
何故? 自分が銃などを握ることになったのか不思議でしょうがない。
一年前……フランスにいたときには考えられない状況にいた。
でも……
隼人はそっと胸ポケットに忍ばせた継母のお守り……
生みの母と自分を繋げていた『へその緒』を衣服の上から握りしめる。
『おふくろ……俺にとって今、一番頑張らなきゃいけない時って言うのだろう?
俺がやっと見つけた場所、彼女、仲間だから……小言言わずに乗り越えるよ』
隼人はそう心に言い聞かせて、徐々に高まり始めたテンションに身を震わせていた。
その時は……刻々と迫りつつあった。
そう……夕暮れの空が闇に包まれていくように……。
『お嬢? お嬢??』
夕方のスクランブル後……目処の3時間が過ぎて、不気味なほど静か……
夜の22時が廻ろうとしていた。
それまで葉月は、早朝からの疲れからかうっかり……パイプ椅子の上で
うとうとしてしまったらしいが……
山中の揺り起こしで慌てて背筋を伸ばすし、時計を確認すると
ほんの10分だけその状態に陥ったらしい……。
(いけない……しっかりしなくちゃ……まだ、夜は長いのに……)
でも、先ほどまで疲れたせいかイライラしたり、頭がぼんやりしていたのに
そのたった10分、居眠りをしただけで妙にすっきりした気がした。
「ごめんなさい。お兄さん……だらしなかったわね……」
「いや……アルマン大佐もお嬢と同じ状態みたいだよ?
大佐は……昨夜から詰め込んでいるみたいだから……
細川中将も……さっき『そっとしておけ』って」
(うわぁ! おじ様に見られていたんだ!!)
葉月はさらに背筋がピン! と、伸びてしまったが……
向かいに座っているアルマン大佐はまだ腕組み目をつむっていた。
「細川中将が……食事に行くか……もしくは見送りに行ってこいって……」
「え!? 見送りって……じゃぁ!!」
「うん……隼人達……そろそろ漁船で沖に出るって……」
葉月はとうとうその時が来たと……椅子から立ち上がった。
そして……そっと椅子に座ってデーターを眺めている細川の前に向かう……。
「中将……山中から聞きました」
「……今のうちに行ってこい。時間的にまたスクランブルが起きそうな時間だ」
「……宜しいのですか? それは……『私情』では……」
「私情? お前……四中隊の隊長だろ?
自分の部下が今から一番危険な任務に行くのに知らぬ顔か?
私情と捉えているのはお前の勝手な所だな」
(う! 確かに……)
『隼人を見送ってこい』
それしか考えていなかった自分に葉月は反省……。
そう……小池だってその通信科のメンバーだって……葉月の部下だ。
「では……手短に戻って参ります……」
「うむ……」
葉月は山中に視線を送ると彼も頷いて椅子から立ち上がった。
二人で管制室を出る前にそっと振り返る。
アルマン大佐を始めに、管制員も疲れているのかシン……としていた。
空母艦内の地下に近いところまで、葉月は山中と降りる。
漁船の入り口と合わせた階をめざすから少しばかり下になった。
山中が細川から教わったとおりに葉月を連れていってくれる。
そして……
紺色の戦闘服を着た男達が群がっている母艦の一つの搭乗口に辿り着いた。
そこですぐに目に入ったのは、父とマイクだった。
「お疲れ様です……御園中将。細川中将のお許しで来てしまいました……」
葉月はそっと父に声をかけた。
「ああ。そう? へぇ。良和も気が利くね♪」
にっこり微笑む父。
(あ……おじ様、ああは言ったけど……やっぱり気遣ってくれたのね)
葉月はそう思ったが……
やはり表向きは『中隊長』としていなくてはならないことは心得ていた。
「ウィリアム大佐が海中潜水までは見送って漁船で戻ってくる手はずだよ」
葉月の横で父が呟いた。
「ブラウン少将は?」
葉月は現場総指揮官の彼がいないので見渡した。
「作戦室で……彼等の行動を把握する機材のセッティングを部下と準備している。
私も彼等が海中潜入したらその作戦室に入り浸りだ」
「そうですか……」
葉月は父もいよいよ正念場なのだなと、ふっとひとため息ついた。
ウィリアムは、『管制室で一緒に指揮を見守ってあげる』とは
葉月に最初言ってはいたが……やはり突入隊の指揮で手一杯のようだった。
細川が来たこともあって、葉月はウィリアムの姿を久振りに見た気がした。
「大佐……お疲れ様」
漁船の買い取りに昼間動き回っていたようで、
ウィリアムはいつも優雅にセットしている金茶毛の頭を乱していたが……
「お嬢……私がいなくてもしっかりやってくれているようで感心だよ」
ニッコリ……側近を従えて微笑んでくれた。
「今から沖に出られるそうですね……お気をつけて……」
葉月が真顔でそう言っても、ウィリアムは側近の男性供に
いつもの笑顔は崩さなかった。
「大丈夫だよ。彼等を見送ったら戻ってくるから……
今度こそ……管制室に行ってお嬢の指揮振り眺めさせてもらうよ?
私がいなくても、しっかりやっているようだから……」
「いえ……父と細川中将……アルマン大佐の指導があってやっとです……
それより……春浅い沖は冷えます。コート着ていって下さいね?」
動き回ったせいか……葉月と同じコートを彼は着ていなくて……
父と同じような迷彩の戦闘服姿になっていた。
「有り難う……娘に見送られるみたいだね?
あ! 父上の前でそれは言っちゃいけなかったかな??」
ウィリアムが照れて金茶毛をかいた。
葉月はそっと肩越し振り返って少し後ろにいる亮介に振り返る。
『ん??』
父は『なに? 何か私のこと話してる?』というとぼけた笑顔をこぼしている。
葉月は、いつもの『のんびりパパ』と
いつも優しく控えめできっちりしている『ウィリアム』を見比べてため息をついた。
「大佐が思っているほど……私の父は威厳はありませんわよ……
見て下さい……あの、緊張感のない顔」
葉月がそっと顔をしかめて耳打ちするとウィリアムも戸惑い笑いを浮かべた。
「娘だから言えるんだね〜。それに、あの穏やかさが……
この緊張感の中でも……危機感を募らせている隊員達にも救いにはなっているみたいだよ?
総監自ら、こうして見送りに来てくれるなんて……」
ウィリアムはそう言いながら……そっと空母艦の出口から
漁船に向かう鉄の渡り橋の方に歩き始めた。
「行ってくるよ。四中隊の通信科メンバーの出発見届けてくるから……」
「お願いいたします……大佐」
「お願いします」
葉月と山中が一緒に敬礼をすると、ウィリアムとその側近も表情を引き締めて……
敬礼を返し……潮風が少しばかりキツイ渡り橋を渡って漁船に向かってしまった。
その後を……フォスター隊が並んで渡ろうとしていた。
「フォスター隊長……お気をつけて」
彼と言葉を交わすのは朝から二度目。
朝は葉月に異様に低姿勢な彼だったが……
もう、突入前の『戦士の顔』になっていて妙に男らしくなっていた。
「有り難うございます。ミゾノ中佐」
彼も敬礼をして渡り橋を後輩を連れて歩き始める……。
栗毛に金髪に黒人が混じったメンバーの最後に黒髪の男……。
「達也……絶対戻ってきてよ? 康夫も心配していたわ」
「……」
葉月が心配そうに声をかけても……彼も既に集中しているのか
硬い表情を無言で返してくるだけ。
「達也。気を付けてな……待っているから」
山中も元同僚に一声……。
「……。俺がヘマするわけないだろ? するぐらいなら死んだ方がマシだ」
いつもの生意気一杯の一言が無表情に二人に返された。
葉月と山中は相変わらずな達也の調子に安心と供に苦笑い……。
でも……最後に達也が背を向けて一言。
「葉月……朝の約束……守るからな」
それだけ言うと達也も潮風の中、黒髪を揺らして渡り橋を進み始めた。
彼の『意志の強さ』を葉月は良く知っていた。
ぶっきらぼうで口悪い同期生が、暗闇の橋を渡って行くのを
葉月はしっかり見届けようと暫く彼の背中を見つめていた。
そして……小笠原の通信隊が……
「クロフォード中佐……」
葉月は普段は滅多に話す事ない第一中隊の先輩を見上げた。
クールな先輩が初めて葉月に微笑んでくれた。
「大丈夫だよ。皆、連れて……成功を収めないと……
第一中隊の一番手として……フォード大佐にどやされるからな」
彼は胸にグッドサインを出して去って行く。
「お兄さん……」
小池も葉月の心配そうな顔が見ていられないのか……妙に照れくさそうだった。
「やれやれ……お嬢のそのしおらしい顔をこんな所で見るなんてね。
どうせなら、小笠原の勤務中に見せてくれよ?
いつもはくってかかる元気なじゃじゃ馬なのになぁ」
小池が笑うと葉月はそのお言葉にちょっとばかしグッと紅くなった。
山中が横で笑いをこらえているのも解る……。
「な・なによ!」
「それそれ……大丈夫だよ。帰ってきてもその勢いで頼むぜ?」
「私を泣かせないでよ!」
「了解♪ 隊長」
小池も意気揚々……心構えは整っているようで敬礼をしてクロフォードの後に続いた。
その後の数人の通信メンバーがなにやらもたもたしていた。
『サワムラは最後だろ??』
『関係ないですよ!!』
どうやら、葉月と最後に言葉をゆっくり交わさせてあげようと
先輩達に隼人が後回しにされているようで……
「早く行かないと……ウィリアム大佐に叱られるわよ!」
中隊長らしい葉月の『激』に、通信科のメンバーはサッと
慌てるように小池の後を追っていった。
隼人も素知らぬ振りで先輩について
渡り橋を渡ろうと葉月の前をスッと通り過ぎようとして……
葉月もやっぱり……声をかけると何かが込み上げてきそうで声がかけられない。
『リトルレイ!』
後ろで見守っていた父の横にいたマイクもそれを察してそう叫んだし……
「まて。隼人……そりゃ無いだろ??」
体の大きい山中が隼人の襟首を掴んでいとも簡単に隼人を引き戻してしまった。
山中が気遣って……父の方へと下がってしまい……
葉月と隼人は久振りに二人きり向き合った。
でも……お互い視線も合わせられないし、言葉も出ない……。
『まったく!』
マイクと山中が一緒にそうぼやいているのが聞こえたのだが……
「はは! なんだ〜若いってこうゆう事なのかなぁ〜? いいね〜初々しくて〜♪」
父が豪快に笑い出したので、葉月と隼人は一緒になって照れてうつむいてしまった。
所が……
亮介が葉月の横に来て……隼人の前で勇ましく葉月の肩を抱いた。
隼人の目の前に栗毛の父娘が揃った。
「隼人君……娘と一緒に待っているよ。『男同士の約束』……守ってくれよ?」
亮介がパチリ……と、隼人にウィンクをすると……
「なに!? いつの間にそんな約束したの!!」
「はは〜♪ オチビには内緒♪」
「なによーー!! いつの間に二人で話したのよ?? 何はなしたのよ〜〜!!」
大きな父親にくってかかる葉月を見て……隼人はとうとう微笑んでしまった。
「葉月は……『パパ』の前ではいつまでも『オチビ』なんだ……
適いっこないんだね……」
隼人が穏やかにニッコリ微笑んだので……葉月は急に照れてうつむいた。
「あれ? こんなしおらしいじゃじゃ馬がいるもんだ??」
そんないつにない娘を見た亮介が面白がって葉月の顔を覗き込んだ。
「もう! 父様、あっちにいってよ!!」
葉月が亮介の背中を押し出す。
亮介も『はいは〜い♪』と、おちゃらけた笑顔でマイクと山中の元に戻っていった。
葉月の目の前で隼人がクスクス笑っていた。
「嬉しいよ。葉月の……『娘姿』がちょっとだけ見られて……
いいお父さんじゃない? 羨ましいよ」
「……私は、横浜のお父様みたいに頼りがいあるお父さんにも憧れるけど……」
「『パパ』っていつかは言ってあげな」
「……。男同士の約束って……なに??」
「さぁね♪ それはさすがに『リトルレイ』にもいえないかも」
初めて隼人に『リトルレイ』と言われて葉月はビックリ硬直!!
「その答えは……帰ってきてから、お父さんと一緒に教えてあげる」
葉月は、他の『戦士』になった男達とは違って、いつもの笑顔をこぼす隼人を
そっと……見上げた。
「置いていかないでよ」
優しく言いたいのに……ぶっきらぼうに隼人に突きつけていた。
素直じゃないと思った。
でも……それでも隼人はにっこり微笑んで『うん』と頷いてくれて……
もう少しで涙がこぼれそうになった。
「じゃぁ……行ってくる」
「うん……私も頑張るから……気を付けてね」
「そっちも、しっかりやれよ」
葉月は絶えず微笑んでくれる隼人に今度は素直に頷いた。
隼人が背を向けると、葉月の胸は締め付けられるように痛んだ。
こんな気持ち……『初めてだ』と思った。
出来るなら……その大きな背中に抱きついて
『行かないで!』と泣き叫びたかった。
そうこらえていると……隼人が橋に足をかけたところで振り向いた。
「言い忘れた。一つ気になってどうしても帰らなくちゃいけないことがあって……」
「え??」
「なんだか、お前。ジッとしていられない性分みたいだけど」
そして……隼人がそれとなく葉月の腹部を指さした。
葉月にもその意味は解った。
その指さす先の意味は……隼人と葉月にしか解らない。
他の誰かが……いや、父とマイク、山中には
隼人がただ葉月を指さしているとしか見えないだろうが……
「もしかすると……って楽しみがあるから……」
葉月はその指先の指す先……自分の腹部を見下ろした。
「大人しくしていろよ。じゃじゃ馬!」
その時……葉月が見上げた隼人の顔は……
勇ましい戦士の顔にすり替わっていた!
隼人はそう言うと……葉月に背を向けて鉄の渡り橋を渡り始めた……。
『パパのいない子は産まないからね! 私!!』
葉月は心でそう叫んで……いつもは甘えている大きな背中を見送る。
紺の戦闘服を着た黒髪の男が悠然と落ち着きを見せて、潮風の中消えてしまった。
『隼人さん!!』
葉月の心はもう、泣いていた、叫んでいた……。
でも、自分の白い頬には入り口から吹きすさぶ潮風しかあたらない。
もう……彼の姿は暗い……そしてみすぼらしい漁船に吸い込まれてしまったのだ。
すると……ふと気が付くと……
父が横に立っていた。
マイクと山中も側に……
父・亮介が呟いた。
「なんだ、葉月。ここにはお前を『葉月』と見ている人間しかいないぞ?
泣きたいなら……泣かないか?」
父が潮風の先ばかりを、ジッと見据えて動かない葉月の肩を揺すった。
「お邪魔なら……」
マイクがそっと身を退くと……山中も合わせるようにそっと遠くに身を退いていった。
亮介と葉月の二人にされても……葉月は泣くことが出来なかった。
だから……亮介がさらに強く葉月の身体を揺すった。
「どうした? 哀しくないのか?? どうしてお前はそう……感情がばらけているのだ??
ほら……泣いて叱る奴は誰もいない……我慢するな!!」
葉月はそんな無理強いをするような父親の顔をそっと見上げた。
父もなんだか哀しそうに苦しそうにそんな葉月を見下ろして……
肩を強く抱きしめるのだ……。
「うう……あああ!!」
父のコートの襟を掴んで葉月はやっと声を上げて泣いていた。
「あああん! あの人が……あの人も私の側から行っちゃった!!」
父の迷彩服に額を当てて頬を押しつけた。
久振りに父の大きな手が葉月の小さな頭を撫でていた。
「帰ってくるさ……絶対に、私が帰らせるよ……」
潮風の吹く空母艦の入り口でしばし栗毛の父娘が抱き合う姿が……
『俺……苦手です。ああゆうの……』
通路の影に気を遣って身を隠した側近の二人。
山中もマイクの側でそっと涙ぐんでいたり……。
「私も久振りに見ましたよ……リトルレイが父親に甘えているのを……」
マイクは見守るようにそっと微笑んでいた。
葉月が一頃落ち着いた頃を見計らって、マイクが船員達に
漁船切り離しの作業を言い渡すと……
鉄の橋は空母艦にあげられて……漁船はゆっくり……空母艦から離れて行く……。
暗い夜海の波の上を漁船が滑り出した。
それらしくするために、民間人を装った隊員達が漁と見せかけて
甲板に出る姿を葉月は眺めたが……
紺の戦闘服を着込んだ男達を見ることは二度と無く……
漁船は葉月と亮介の視界から星空の闇に溶け込んで消えてしまったのだ。
隼人と達也の……短い夜の身を削る挑戦を潮風が運んでいったようだった……。