11.扉を開けて
『車に気を付けるのよー』
『お母さん!あれ・忘れた!』
『ヒュー……ゴゥーー』
ありとあらゆる、朝の音が二人の耳に入ってくる。
それとは裏腹に、お互いの息づかいが朝日の部屋に行き交う。
一晩中、部隊にいた二人の身体からは、
ひどく言えば『野性的』な汗の匂いが立ちこめていた。
(ああ。私、シャワーも浴びていないのに……)
葉月は、女性だからか少しはそう……頭にかすめたのに……。
隼人はお構いなしのようで、
葉月を白いシーツの上に敷いたまま離れることもなかったし、
むしろ、葉月に重くのしかかってくる男の身体に
少しばかり嫌悪感を感じていた。
隼人のしつこいような口づけの音がずっと耳元で鳴りやまない。
いつもは、濃密な彼の愛撫は葉月の歓びの一つだったのに
乱暴に心の錠に鍵を差し込まれた後となっては
どうあっても『嫌悪感』として感じてしょうがない。
「やめて! 嫌よ!」
葉月はこうして、先ほどから何度か隼人の腕を掴んで
自分の身体から引き離そうと力一杯抵抗したが
隼人には『覚悟』があるから、その抵抗は何度となくはね除けられた。
隼人の腕に、葉月の爪が食い込んでも
隼人は表情一つ変えずに、葉月に向かってくる。
邪魔な葉月の抵抗は、メンテナンスで鍛えられた隼人の腕に
押さえられて、葉月はベッドの上に貼り付けにされてしまうのだ。
「……。」
葉月の眉間にしわが寄る。
暫くすると、隼人の動きがやっと止まった。
「葉月? 目をつむって……。」
「え?」
やっと落ち着いて隼人の顔を見ることが出来た。
葉月の上にのしかかる隼人がすこし軽く感じることが出来た。
彼は朝日の中……葉月が良く知っている穏やかな笑顔で
葉月の顔の上で、優しく栗毛の生え際を撫でながら
葉月を見下ろしている。
言われた通りに、瞳を閉じた。
「葉月が好きな俺の顔ってどんな顔?」
「はぁ?」
葉月は、恐怖心や嫌悪感で身体が強ばって……
隼人に対して警戒心一杯で緊張していたのに
いきなりの妙な質問に顔をしかめて目を開けてしまった。
「ダメじゃないか。ちゃんと閉じて!」
隼人の大きな手が、朝日を感じている葉月の瞳に覆い被さった。
葉月はまた。言われるまま瞳を閉じてジッと考えた。
「事務をしている……眼鏡の冷たい横顔」
「それだけかよ? 俺の魅力って……」
呆れた隼人の声がいつもの彼だったので
葉月は思わず、フッと微笑んでしまった。
「あとね……。 いろいろ……。」
「まぁ。いいや。 じゃぁ、それ全部思い浮かべろ!」
期待通りの答えじゃなかったのか彼のふてくされた返事が返った来た。
「どうして? 急にそんな事言うの?」
「いいから……俺がいいって言うまで目は開けるなよ!」
葉月は、いぶかしく思いながらも言われた通りに色々と……
今までの彼を頭に思い浮かべた。
その途端だった……。
葉月の身体が急に隼人の言うことを聞き始めたのは。
葉月も解った。
自分でも戸惑った。
隼人が『魔法』を使い始めたのだ。
それは、葉月にも『驚き』だった。
(嘘……。 彼はこんな人じゃないはずなのに!)
急に隼人の指先、口先、行動が巧みに感じてきた。
『う……。』
抵抗していた感触が、今度は『恥じらい』に変わってきた。
自分はこんなに敏感な女じゃないはずだった。
身体の芯が急に熱帯びてきたように感じた。
白い肌から、汗がにじみ出る程……。
今度は葉月の身体からも『野性的』な匂いを放ち始めたように感じた。
「は……隼人さん……。」
「ダメだ。 目は開けるなよ。」
彼が何をしているか解らないから……余計に恐怖心が萎えてゆく。
怖い男の彼は見えないから……。
(どうして?? 隠していたの?)
今まで優しく、上品だったように感じていた隼人の接し方。
葉月は『奥手な男』と……あの山本少佐が隼人をそう言っていたように
葉月もそう思っている節があった。
そんな彼の『不器用さ』を愛おしく思っている自分もいた。
そんな彼だから『安心』していたのかも知れない……。
だけれども。今日の彼は違う!
これは、やはりある程度の経験を積んできた男の手だと初めて感じた。
いかに……
葉月に合わせて、不器用に接して気を遣ってきたかだった。
自分の身体が、自分がコントロールできない域に
隼人が引き込もうとしているのが解った。
葉月が一番……見せたくない女をむき出しにした『性』
それを引き出そうとしている……。
葉月がコントロールしてきたから、隼人はそれに合わせていた。
葉月をコントロール出来る男は今までは『純一』だけだったのに……。
今度は隼人が葉月を無茶にコントロールしようとしている。
「は……ぁ……。」
葉月の手が枕元のシーツを握りしめて、身体に引き寄せる。
シーツはベッドから剥がされて、シワを寄せて波打つ。
今度は、足の指。
もどかしいままに足の指がシーツを掴んでまた中央に引き寄せられる。
(ああ。どうしよう……私……どうなるの?)
『おにいちゃま! どうしよう……こんな事する人がいる!』
心で戸惑いの悲鳴が渦巻いた。
隼人が願っていたとおりの姿なのだろう……。
彼の手は、一向にゆるまないが、
葉月を無理に攻めようとはぜず、じれったいぐらいに焦らされているようだった。
(なによ! サッサと開けたらいいじゃない!!)
葉月を焦らすと言うことは、葉月自身が隼人自身を心から欲する……。
先ほどは、乱暴に葉月の心の錠に鍵を差し込んだくせに
今度は差し込んだ後は
パズルでも解くかのようにじっくり……隼人は鍵を回しているのだ。
葉月としては、サッサと終わらせてくれたらいいのに……
『あなたが欲しい……』
そうさせるために隼人が焦らしているのが解って
少しばかり苛つきが芽生えてきた。
そんな状態だから、『どちらが先に欲するか?負けるか?』の我慢比べ。
葉月の方もかなり息が上がってきた。
自分の栗毛から汗の匂いを感じた。
首から、一晩越したはずなのに、
あの『カボティーヌ』の微かな香りが漂ってきた。
それだけが唯一の救い。
自分がこんな『野性的』に振り回されているなんて考えたくない。
葉月は身体が燃える一方で、心はひどく抵抗。
隼人は巧みに葉月の身体を操って、心は異様に冷静のようだった。
この繰り返しが、暫く続く。
その間、葉月は無茶苦茶にベッドのシーツをかき乱し、
隼人は抵抗する葉月に果敢に向かってくる。
『……。もう……ダメ……。おかしくなる!』
心で叫んだはずだったのに……
「遠慮する事ないさ。恥ずかしいことでもないよ?」
葉月の心の変化は手に取るように解りだしたのか
隼人がいつの間にか耳元に寄ってきて囁いた。
その声には、余裕があった。冷静に葉月を観察している余裕だった。
葉月は目をつむったまま、ふと……驚きながら……
自分がそろそろ、限界に来て
自分をコントロールしてきた余裕や冷静さが失われている……
隼人に主導権を握られ始めている……
そう感じ始めたがまだ……こらえた。
「思った通り。なかなか手強いね。お前みたいな女初めてだよ。」
隼人は面白そうに『クスリ……』とこぼしている。
その余裕に、葉月は妙な焦りを感じる。
(私みたいな女は、初めて? じゃぁ……どんな人たち相手にしてきたのよ)
こんな巧みな手先を使われては……そう思ってしまった。
あの……黒髪の美しい大尉。
隼人の元恋人を急に思い出す。
彼女にこうしていたのだろうか??
今度は、『嫉妬心』
これも滅多に感じない物だった。
フランスでは、隼人に恋をしていると感じる前。
これに似た気持ちが起きた。
今となっては、もう『過去』。 隼人は彼女から離れて葉月の元に来た。
だから……忘れていたのに……。
(もう……いや!)
今まで感じたことない感情……。いや……。
感じようとせずに保ってきた平静を隼人一人に一気に押しつけられ
かき回され、葉月はシーツを握りしめて身体にまくように隼人に背を向けた。
「逃げても無駄だよ……」
背中から隼人にシーツは剥がされて、ピッタリと背中に身体を押しつけられる。
「うう……。」
隼人に逃げられないよう身体は拘束され、身体はいいように操られ
心まで……かき乱されて……。
身体の芯からとろけるような感触と
渦巻く心の中の切なさ……。
葉月はとうとう……枕に顔を押しつけて半泣き状態に陥っていた。
熱い涙が瞳を曇らせて……汗ばんだ肌には湿気ている栗毛が貼り付く。
長い髪が頬を覆って、葉月の顔を隠していたが
隼人の指がそっとその髪を絡めて払いのけてゆく。
「今日はどうしたの? いつもと違うね……。」
体と心は乱暴にかき乱されていると感じているのに
彼の声はいつもの声に感じる安心感。
敏感に反応する葉月に歓びを見せる瞳。
(あなたが好きなの……やっぱり……)
声にならないが、葉月は瞳を曇らせながら、
そう……心の中で観念し始めていた。
「時々……そうして小さい女の子みたいになる……。
そんな葉月が好きだよ……。いつまで経ってもヴァージンみたいで。
その頑なさが……葉月の良いところだと思うよ?」
肩先に口付けられて、葉月の背筋に電気が走ったようにゾクリとした。
「開けて……」
枕を握りしめて、そっと呟いた葉月を隼人が『何?』と覗き込んだ。
「鍵はゆっくり回して……」
彷彿としてきた葉月の唇は震えていた。
うわごとのような呟きに、隼人が『?』と首を傾げていたが……
とうとう……葉月が『観念』した『合図』と取ったようだった。
「そう? じゃぁ……。」
葉月は枕を握りしめて、目をつむった。
白いシャツを着た隼人が扉の前に立っている。
この前から回していた鍵に手をかけた。
葉月はジッと……堅い扉の内側から……彼が外で座り込んで
ひざまずいて……鍵を手にしたのを扉の隙間から覗き込む。
白いもやの中、白いシャツを着た黒髪の男が
覗き込む葉月の瞳に気が付いて、鍵を手にしながら
『にっこり』微笑んでいる感じがした。
『なんだ。また、男がここを開けようとしているぞ? どうする? オチビ?』
葉月の横にいる黒い格好をした男もまた……
余裕気に、葉月の肩を抱いて一緒に覗き込んでいる。
『お兄ちゃましか開けられないもの……』
『さて? どうかな? お前が扉の前でそうして覗き込むのは初めてだ。』
黒い男は、葉月の肩から手をのけて奥の窓際に行ってしまった。
奥の窓は小さな窓。 でも、青空が広がっていった。
奥の窓枠に黒い男は座り込んで、どうしたことか微笑みながら
事の成り行きを眺めていた。
『おにいちゃま? 私……どうすればいい??』
遠くの窓辺に陣取ってしまった彼は微笑むだけで返事はしてくれなかった……。
「ああ!」
葉月の心の中ではそんな風景が浮かんでいたが
現実、乱されたシーツの上では激しい展開が繰り広げられていた。
葉月はもう……今、隼人に何をされているか解らない。
いつも静かで……柔らかい夜の睦み合いとは全く違った。
今までの隼人との分かち合いが優しい『王子様』とのおとぎ話だとしたら……
今ここでされていることは紛れもない……
『エロティック』な男と女の動物的な『行為』。
『今までこんな事されたことない!!』
葉月がそう思うほど、隼人は激しく葉月を攻めてきた。
「葉月……また……何か考えてる!」
隼人の声に急に現実に戻される。
葉月を組み伏している彼ももう……余裕がないのか
額に汗を浮かべて唇を噛みしめていた。
「あなたが私の中に踏み込んでくる……開けようとしているの……」
「何を……?」
「扉……」
「? さっきから何言っているんだよ??」
「だから……扉……開けようとしているの……入ってくるの?」
隼人は目をつむりながら呟く葉月に首を傾げていたが……
「そうだね。 どうやら俺がその扉開けないといけないようだね?
無理に開けちゃダメ……優しく丹念に開ければいいわけ?」
「ああん……」
葉月の手はまたシーツを引きちぎるように引き寄せていた。
ベッドのシーツは、葉月の手で中央に引き寄せられて
もう……しわくちゃになっていた。
髪の毛は乱れて、葉月の肌にも隼人の肌にも貼り付いている。
お互いの肌が水分で、湿気帯びた野性的な匂いを強く放っている。
胸元に伝う汗すらも隼人に吸い尽くされ……
なのに彼の汗がまた……葉月の身体を伝う。
「ああ……綺麗だよ。葉月……」
そう言われて瞳をうっすらと開けると、
朝日の中、煌々と照らされる自分の白い肌に
ブラインドの影がストライプのように映っていて……
影と光に映し出される裸体を隼人が上からうっとり……
あの黒い瞳でくまなく見つめていた。
見つめられる刺激が葉月の身体の芯を燃えさせる。
あんなに細身だった彼は、今はだいぶ引き締まった身体になり
日々の甲板での訓練ですっかり日焼けした逞しい身体になっている。
葉月もその彼の身体に視線を這わせた。
葉月の潤んだ眼差しに、隼人が嬉しそうに微笑む。
「また……そんな目で……」
どうやら……隼人の方も見つめられる刺激を感じてしまったらしい……。
彼がより一層、葉月に貼り付いて離れなくなる。
葉月ももう……抵抗はしない。
それどころか……彼のリズムに合わせ始めてしまった。
『さぁ! 葉月、鍵を回すよ??』
隼人がそう言っているように感じる。
葉月は扉から一歩引き下がった。
『お兄ちゃま……! この人開けちゃう……!!』
振り返ると黒い男は窓辺の青空を呑気に眺めて煙草を吸っているだけ。
『ガリ……』
錠の鍵が固いところで引っかかっているようだったが……
隼人は、焦らず慌てず丁寧な手つきでジッと鍵穴に差し込んだ
鍵をソフトに回そうとしていた……。
「ううん……。 もう……」
「葉月……。」
ぐっしょりと濡れた栗毛の生え際を優しい手がかき上げる。
彼の優しい手……。
潤んだ瞳からは涙が幾筋か流れ始め……
彼の指がそっと拭っている。
その瞳にも優しい口づけ……。
『ほら……もう……開きそうだよ? 待っていて。』
扉から警戒して覗き込んでいた葉月を彼が優しい瞳で見上げた。
「あああん……開いちゃう……!」
「そう?」
急に襲ってきた感覚に葉月は耐えられなくなりそうで
今度は『抵抗』でなく……隼人の腕を掴んでのけようとしたが
隼人は強く向かってくる。
また、彼の腕に葉月の爪が食い込む。
『おにいちゃま!』
『カチャ……』
葉月が、どうしていいのか解らず……黒い男がいる窓辺に振り返ったとき……。
背中から、光が射し込んで白いもやが急激な気流と一緒に吹き込んできた。
葉月が着ていた白いドレスの裾がはためいて
葉月は両腕で風をしのごうと顔を覆った。
急激な風は『快楽風』
葉月はとうとう……隼人の腕の中で、小さなうめき声を上げた。
白い肌に、小さな花が咲くように鳥肌が走る。
『うう……ん……』
「葉月……!」
涙が大量に流れた。
隼人がいたわるように、葉月の頬を撫でて
小さな子供を慰めるように、額に口付けてくれていたが
今の葉月は、もう既に違う世界に意識が遠のいている。
風がやむと光が消えた。
『やっと……入れてくれたね? 葉月??』
扉の前に白いシャツを着ていつもの笑顔をこぼしている隼人が……
愛おしそうに葉月を抱きしめるのだ。
葉月は戸惑い……青空が見える窓辺に振り返る……。
黒い男は、黒格好だから陰る部屋の中ではその姿があまり見えない。
隼人は白い服を着ているから、黒い男にはよく見えるらしいが
窓辺で煙草をくわえたままジッと眺めているだけ。
隼人には見えていない。
でも……
『誰かいるのかな? この部屋?』
そう呟いている……。
でも、彼は葉月を抱きしめたままずっと葉月ばかり眺めて
他の部屋の隅々までは今は気にならないらしい。
白い乳房が上下に動いている胸元で、熱い額をはりつけた男が
ジッと横たえていた。
息を切らしていた葉月は、やっと……朝日の中で気を戻す。
「は……ぁ……。」
お互いの身体がぐっしょりと濡れて、
あれほど清潔感漂っていたシーツは、今となっては
シワだらけになり、湿気て汗の匂いを放って、中央に固まっていた。
「葉月……。有り難う……。」
胸元からやっと隼人が微笑んで起きあがり……
力無い葉月をお越しあげて腕の中に抱きしめてくれた。
葉月もグッタリ……隼人の背中にしがみついた。
『有り難う』……なんて……言われるとは思わず……。
葉月は涙をこぼしていた。
なんだか良く解らないが、感じたことない
『切ない』気持ちが胸の中、張り裂けそうに駆けめぐっていたのだ。
「うう……。ああん……。」
溢れてくる涙を、子供のように拭っていた。
「どうしたんだよ? ……。」
隼人も、見たことない葉月の駄々をこねるような泣き方に
戸惑ったようにして葉月の顔を覗き込む。
「いや……。見ないで……!」
葉月がそっぽを向くと、隼人は呆れたため息をこぼしていたが、
クスリ……と微笑んで葉月を固く抱きしめてくれた。
「ゴメンな……。無理なこと言って。 本当……ゴメン……。
でも……良く頑張ってくれたね……。乗り越えてくれたね……。」
そう言って労ってくれる隼人は、いつも以上に優しく……
葉月を包み込んで頭を撫でてくれるのだ。
鼻を赤くして『グズグズ』と、すすり泣く葉月を
いつまでも抱きしめていたわってくれたのだ。
葉月もいつの間にか、彼の腕にもたれかかって
いつまでも泣いていた……。
『俺、疲れたから寝るよ。勝手にシャワー使っていいから……。』
隼人がそう言うので、葉月はシャワー使うことにした。
官舎の狭いシャワー室。
換気のために開けられていた窓を葉月は注意深く……
人に見られないように締める。
青空が広がっていたが、島の向こう側にはやや黒い雲も立ちこめていた。
『夕方……降り出すかも?』
風が強く……官舎裏の雑木林の葉をザワザワと揺らしている音が
シャワー室にも聞こえた……。
シャワーのコックをひねり……お湯が出るのを待っていると。
『葉月?』
寝たと思った隼人の声が窓越しに……。
『なに?』
『バスタオル……置いておくから……』
『うん……』
そんな気遣いもいつも通りなので、葉月はそっと微笑んでいた。
『私の……隼人さん……』
葉月自身は気づかなかったと思うが……
葉月は満面の笑みで、朝日の中シャワーを浴びていたのだ。
シャワーを浴びて、濡れた髪のままバスタオルをまいて部屋に戻る。
「……。」
寝たと思ったのに……隼人が起きていた。
頭の後ろに両腕を組んで天井をジッと見つめているのだ。
「眠れないの?」
ベッドの縁に葉月が腰をかけると、隼人も身体を反転して
葉月の方に身体を向けてきた。
「なんか……興奮しているのかな? 俺?」
「もう……そんな言い方しないでよ……。」
「葉月?」
「なに?」
葉月が髪を拭きながら振り向くと隼人は神妙な顔をして
葉月の腰に抱きついてきた。
「俺にとっては……まだ……第一歩なんだ。」
「……? 第一歩?って??」
「そのぅ……」
言いにくそうな隼人……。
葉月は、受け入れた男なので急に愛おしくなって
母親のように彼の黒髪を撫でてみる。
腰を抱く隼人の腕に力がこもった。
「今度は……。 ピル……いつかやめてくれよな……。」
それも……隼人が初めて口にしたことだった。
しかし……葉月はサッと血の気が引いたのだ。
「ああ!!」
葉月は、隼人が抱きついているにもかかわらず
ガバッ! っと、立ち上がった。
呆然と窓辺を見据えて立ちつくす葉月を見上げて……
ベッドに振り落とされた隼人も『あ……』と、声を漏らした。
「えっと……。 今朝は飲んでないとか……?」
「……! だって!! 昨夜一晩、部隊にいて真っ直ぐここに来たのよ!!」
葉月は、混乱して頭を抱えながら隼人を見下ろした。
すると……
『あはは!!』
隼人が、裸のまま転げて笑い出した。
「何がおかしいのよ!! どうするのよ!!」
葉月が怒りだしても、隼人は笑い転げているのだ。
「じゃぁ……余計に……俺、生きて帰ってこないとなぁ……。」
転げていた隼人は急に止まって……
ベッドに大の字になって天井を見上げたのだ。
葉月も急に……隼人のそんな心構えに
胸が狂おしく締め付けられた。
葉月も……落ち着いてベッドの縁にもう一度座り直す。
「本当に……帰ってきてね?」
葉月は、朝日に輝く隼人の浅黒い肌をそっと撫でた。
「ねぇ……俺と葉月の子供ってどんな子かな?
黒髪かな? ママにそっくりな栗毛かな??」
「そんなの……出来るなんて限らないし……。」
葉月が戸惑ってうつむくと……
隼人が起きあがって背中から抱きしめる。
「それでも良いし……出来ていても良いさ……。
その先は、またゆっくり考えよう……。」
暖かい彼の胸に抱きすくめられて……
どうしてか……葉月は素直に頷いていた。
「俺ね……今回一番安心したのは……
葉月が危険な前線に出なくて済んだ事……。
だから……大人しく待っていろよ……じゃじゃ馬さん……。」
優しい唇が、葉月の耳元をくすぐった。
「帰ってきてね……おいていかないで……。」
彼の腕に頬を寄せて、葉月は呟く……。
『私に魔法をかけたまま……逝かないでね……。』
朝日は高く昇り……暫く二人はそっと腕を固く、お互いの身体に絡めていた。
ブラインドの向こう側で……そっと微笑む勇ましい男が
満足そうに微笑んで消えたような気がする。
『素直でいれば、お前も可愛い女なんだよ……。』
遠野祐介が……葉月の側を本当に離れていってしまったような気がした。
葉月は、この桜咲く季節に逝ってしまった上司は……
後輩の彼も守ってくれるとふと……涙をこぼしてそう感じた。