■ Mr.BlueSky ■

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8.あれはウサギではありません!

 

 じゃじゃ馬奥さんに『散歩禁止令』が出た翌日。早速早速、工学科にお迎えが来た。
「いくぞ、澤村」
 眼鏡の業務隊長殿自ら、工学科まで単身で迎えに来た。アポなしで。
 しかも葉月が作ったあの『自販機移動実験地図』を片手にして、隼人の意向も意志も無視で歩き出した。
「しかし。どういう感覚の散歩コースだ。めちゃくちゃだな」
 そりゃあ、細川のお兄様のように『きちんと理論的に構築したうえで整理』なんて感覚で彼女に向かったら『理解不能』でしかないだろう。夫の隼人ですら、出会った当初はそれで葉月に振り回されたと思っている方。
「あの、お言葉ですが。大佐嬢は全てに置いて感覚ですから」
 深く考えない方が、彼女に流されている方が、よく分かることもありますよ――。なんて、夫としてつい言いたくなるが、こういう『この女を俺の理論で制覇する』などと思っている男性には無駄なアドバイスだなと思って、隼人は言うのをやめた。
 そんな細川ジュニアから、率先して前を歩いている。
 工学科を出て、まずは大佐嬢が一番最初に目指す『陸部訓練棟、グラウンド方面』。
「わざわざ端から行くんだなあ」
 なんて。葉月の軌跡を改めて眺め、妙な溜め息。
 そう言われ、隼人もはっとする。もしかして……そういう意図があってあのお嬢さんは? いやいやと隼人は首を振る。あのグラウンドの芝土手は最初から彼女が気に入っているだけ、そんな深い意味なんかあるもんか、と。
「ここから、第一中隊の本部がある正面門付近まで隈無く歩くのかと思えば、そうでもなし。あっち行きこっち行き、自販機があってもまったく通らない放置している通路もあるし、まるで読めない」
 細川ジュニアはどうあっても、パターン化したいようだが、やはり葉月の『気まぐれ感覚』などきちんと整頓できないようで、また唸っている。
 だけれど。やはり大佐殿。最後には葉月の行動をこう結論づける。
「こういう読ませないところは、秘密隊員に向いた感覚だな。これはフロリダ中将であられた御園の親父さんからの血筋かね。そうでなければ、いくら父親の組織力のサポートがあったと言っても、テロに乗っ取られた岬管制基地を奪還した功労者にはなれまい」
 なんだかんだ言って、けっこう葉月の能力は認めているんだなと思った。あのじゃじゃ馬に高評価を与えてしまうと、調子よくますます大胆な行動をとってしまうかもしれないと案じて険しい態度を取るが、夫の隼人には『よく思っている』ことは言っておく。そうすれば夫妻間でうまく調整してくれるだろうと思っているのかも知れない。
 妻には直接に鞭。夫には『妻宛の飴』配達係。なんて作戦なのだろうか。
 褒めて頂いて夫としても安心したが、だからこそ隼人はここで一歩引いてみる。
「そうですが。あれはあれで、かなりの無茶と言いますか。父と娘の間だけで決断された『危ない賭けだった』とも言われています。誰も、彼女が単独で潜入してくるなど知らなかったわけですから」
「そういう無茶は、あの御園だから出来たのだろう。そして彼女の『隊員を絶対に救出する』という強い意志だ。自ら標的を捕らえる盾になり、女の身体をスナイパーライフルでぶち抜けなんて。男でもなかなかいないだろう。その勇気と功績で『大佐嬢』と呼ばれているが、正直、管理している上官も先を読めずに毎回苦労することだろう」
 彼女の功績を讃えながらも、眼鏡のジュニアは渋い顔で溜め息をついた。
 だからこそ。上官として少しでも彼女のことを知っておきたい。やっと隼人もわかってきた気がする。
「それにあんな怖いもの知らずが出来ると言うことは『死に恐怖がない』ということだ」
 子供以来の再会、仕事では初めての対面だったはずなのに。このお兄様、葉月のことをよく見ていると隼人は驚いた。それとも父親の元中将から聞いてきたのだろうか。
 確かに、岬任務が成功した根底では『死んでも構わない』と思っている葉月が大胆に立ち回ったこともあるだろう。
『いや、あなたのところに帰りたい!』
 達也のスナイパーライフルで撃たれる前の、そんなあの時のまだ『小さな女の子』だったような妻の叫びを思い出す。
 あの後も、彼女はそういう姿を隼人に見せつけてきた。でも、いまは……。
「細川大佐、ご安心を。いまの妻はもう、そのような危ない真似は決断は致しません」
 静かに前を歩く彼に告げると、細川ジュニアは立ち止まり、そして隼人に振り返った。
 背丈は隼人ぐらい。だから本当に真ん前に、あの細川特有の鋭い眼光がある。当然、隼人は固まる。
「当たり前だ。我が子を残して平気で逝くような母親ならば、軍隊を辞めてもらう」
 この人。やっぱり細川のおじさまの息子だと思った。奥底にちゃんと温かいものを隠し持っている。それを知らないものが多いだけで、それを普段は完全に隠して切り捨てているだけ。持ってはいるのだと。
 そういって、また冷めた目つきのまま折りたたんだ地図を見下ろして通路をいく細川ジュニア。
「この自販機だな。あの角から、たった十五メートル。売り上げは落ちたな。人もいない」
「あの角で昼前に2、3人。男性隊員がよく集まっていたようです。そこの事務所からですと、あの角は見えないのですが、この十五メートル移動で、事務所のドアを出て斜め向かいにしたところ、やはり人目を気にしてかどの時間帯に歩いても買って事務所に持ってはいる者だけになったそうです」
「なるほどねえ。何を話していたかはともかく、時間を無駄にする隊員を排除したということか」
「売り上げは落ちたので、ですから実験を協力してくれた業者に好きなところに補充しろ――という約束でもあったと思うんですよ」
「台数を据え置きにしてこちらに好都合な配置にすると業者が困る、しかし業者の売り上げを据え置きにして台数を増やすと、こちらの契約経費がかさむということになるではないか」
 あー、やっぱりこの人『業務隊長だ』と隼人は苦笑い。
 しかし、隼人が一言宥める前に、彼がここぞとばかりに銀縁眼鏡をきらりと光らせる。
「わかった。これは俺が引き受ける。配置と契約台数を業者と摺り合わせ、大々的な配置換えをする」
 そこで隼人はちょっと待ったと、反論をする。
「それは必要ではありますが、『情報が拾えそう』な緩みは残しておいて欲しいと、大佐嬢は考えていると思います」
「甘い。無駄なことを排除してこそ向上するというもの。そうすれば、リスクも減るはずだ」
 『そうかな』。隼人は心で反論する。そんな窮屈を強いると、必ず緩みを求めてどこかへ行く。困るのはそれを『目が見えないところでやられること』であって、今なら少し緩みを残しておけば『監視が出来る』というもの。
 それを言いたいが、まだ来たばかりの上官だけに、それを生意気に突きつけてどうなるかわからないので隼人は押し黙った。
「大佐嬢がいちばん怪しいと睨んでいるのはどこだ」
 言われたまま、隼人は彼が手にしている地図を少しだけ広げ、この基地の裏山付近、つまりこの基地のかなり奥の部署手前を指さした。
「ここで。この部署付近ではないだろう雰囲気の男性隊員が数名、集まっているのを目撃したそうです」
「彼等も大佐嬢の通り道と知っていれば、場所を変えたのでは」
「そこは、あの大佐嬢の閃きなんですよ。すぐにそういう匂いを嗅ぎ取って、彼等に姿を見られないような通路を選んで何ヶ月か観察したそうです」
 これはベッドルームで、あれこれ妻が話してくれたこと。『貴方の営業に役立てて』とくれたメモから説明してくれた『気になるネタ』だった。今回のお散歩メモに限らず、ベッドルームでは夫妻の情報交換タイム。葉月もいちばん緊張から解けている時間なので『まだ人には言えない、知られたくない、基地では絶対に口にはできない』と思っているネタを、夫であり仕事でも理解し合う間柄である隼人に漏らしてくれる。
 そんな夫妻秘密の会話を、彼女の許可もなく安易に上官に明かすのかと思われるだろうが、きっと葉月もわかってくれるはず。このじゃじゃ馬散歩ミニ情報は、いまここで、今後この連隊を束ねていく新しき上司に告げておくべきだと――。
 だから。細川ジュニアが目を見張った。
「それで。その彼等は大佐嬢が自販機を移動させた後、いまは」
 さらに隼人は地図を広げ、自販機を移動した先を告げる。
「この角、です。さらに奥の目立たない場所にワザと移動させたから、今頃、さぞかし居心地が良くなって警戒心も緩んでいるところだろうと笑っていました」
 今度、眼鏡の厳しい大佐兄様が絶句し、確かめるように隼人を見た。
「これが、さきほど澤村が言った『緩み』か」
 隼人は静かに頷く。
「私も夫としてプライベートで聞いているだけですので。まだ上には報告してはおりません。ですが、角においやって『ますます話しやすくなり、集まりやすい目印』として大佐嬢に奥にまとめられたところ。後はそちら上層部の情報収集力で『なんの為に集まっているか』の裏付けをしていただいた方がよろしいかもしれません」
 すると細川ジュニアが、眼鏡を眉間で直しやや落ち着きを無くした。
「……実は。俺を密かに監視しているだろう、横須賀の敵対派が送り込まれているか小笠原の現隊員が抱え込まれているかなどは、既に予測済みだったのだが。それは今から直属の部下と洗い出そうとしていたところで」
「そ、そうでしたか」
 敵対派閥が、こんな遠くの離島まで目を光らせているだなんて。彼にとっては『配下の城』になるはずなのに、これでは気が抜けないことだろう。
 そういう点から言っても、初日から葉月に対してあれだけきつく当たる上官であろうとしたあの激しさも頷ける。基地では本心をさらけ出してはいけない、『考えを読まれてはいけない』。そんな気持ちで転属してきたのだと。
「では。こちらは、ホプキンス中佐に報告をして探ってみた方がよろしいかと思います。まだ大佐嬢もお兄様方には告げるに至っていないと思います。私が作成していたこの図面が出来てからと思っている段階だったのでしょう」
「そうか。彼女はこうして、隊員達の日常も見落とさずに――ということか」
 だがそこで細川ジュニアが顔を上げ、胸を張る。
「これから情報収集を主とするシークレットチームでも組まないと、大佐嬢の散歩が大事な『業務』になってしまいそうだ」
「それが出来るならば、そうされた方がよろしいかと思います。特にこれから、空部隊では雷神のトレードとなる開発機が完成を目の前にしておりますし、それに連動する屋内訓練機のシステムアップもやらねばなりません。基地全体の機密性を新しい連隊長には今まで以上に強化をして頂けると、安心して開発に臨めますので」
 同じ軍隊ではあるが、派閥対立で、出世に有利になる情報を先取りされても困るし、利用されても困る。そして自分たちの労力を横取りされるような残念な結果も見たくない。
 絶対に、雷神には新機種戦闘機を。雷神を設立するのは妻で、開発機を仕上げるのは夫。そしてその栄光のエースパイロットチームを配下におく連隊長は、この細川ジュニアでなくてはならない。
「わかった。今日はここはそっとしておこう。だが、この奥の部署はなかなか足を向けないだろうから、今日は様子を見てみたい」
「そうですね。私も滅多に行きませんけれど」
 軍隊という機密厳守の場であるため、外部業者に委託することが少ない。なによりも離島基地であるため委託できる業者が基地の外に少ない。隊員の働きで済むことならなるべく軍の手でまかなうのが基本。清掃も郵送も整備も、すべて基地の隊員がこなす。そこは軍事業務から外れた『基地生活管理、整備部隊』。男女問わず新人隊員も多く、管理官は第一線から卒業した退官前の壮年男性が多い。
 連隊長や大佐嬢など、中隊に所属し軍事業務に勤しむ者は、その部署に支えられてはいるが、そことの接点はほとんど無い。
 だからこそ。今日は行くという。
「この訳のわからない歩き方もわかってきたぞ」
 地図を見て、細川ジュニアが勝ち誇った笑みを見せるように。
「先ほどの、怪しい吹きだまりには見つからないように歩けるルートというのが。いま歩いているこの道なのだな」
 隼人は苦笑い。葉月の考えを解けたと満足げな細川ジュニアだが、その時点でもう葉月にやられているって知ったら機嫌を損ねそうだなと黙ってついてくだけ。
 やがて果ての部署棟へと彼と踏み入れる。一番最初の角、そこに自販機の印。
「これは移動させなかったんだな。何故だ」
 全てにおいて、葉月の意図が含まれていると知った細川ジュニアが唸る声。
 そこは……。彼女から預かったメモに記されていたことを告げようとした時。その角からすこしばかり賑やかな声が聞こえてきた。女性達の声だった。それを知った細川ジュニアの歩く足が止まる。
「俺はここにいる。澤村が顔を見せてくれ」
 そういって、彼は角の壁際に身を寄せ潜む姿を見せた。
 隼人もそっと頷く。まだどのようなお人か知られていない細川大佐のことは恐れている隊員が多い。しかも噂で『あの細川中将のご子息』とか『おおらかなフランク中将と異なって、横須賀特有の合理的な厳しい業務隊長』と広まっていて、誰もがまだ距離を置いている。ジュニアが顔を見せれば、そこで井戸端会議をしている彼女たちもさっと青ざめ口を閉ざし、散っていってしまうことだろう。
 彼のそんな意図を汲み取り、隼人はおもむろにその角を曲がる。
 隼人が姿を現しても同じ。彼女たちがハッとした顔になり、静かになった。
 女性隊員が三名、自販機前で休憩をしているところだったらしい。
「お、お疲れ様です。御園中佐」
 いちばん年上らしい落ち着いた女性が挨拶をしてくれた。
「お疲れ様」
「お、お疲れ様です。中佐」
「お疲れ様です」
 若い彼女たちも続けて挨拶をしてくれた。
 隼人も……、実のところこうした顔を見せない部署に来て、じゃあ彼女たちになんと言葉をかければ良いかわからなかった。いい天気だねとでも言えば無難そうではあるが?
 しかも彼女たち、隼人が現れてお互いの顔を見合わせ、困っている様子。そりゃ……もろ反対方向に所属している教育隊工学科の、しかも大佐嬢の旦那が現れて『何をしに来たのか』と思っているのだろう。
 だが。若い彼女達が、その年長の彼女になにか後押しをするような目線を送っている。それに気がついた年長の彼女が、意を決したようにして隼人を見た。
「あの……。奥様の大佐嬢はお忙しいのですか」
「うん、まあ。彼女もあれで一個中隊の隊長だからね」
 なんだろう。彼女たちがガッカリした顔を見せた。
「うちの奥さんがなにか」
 そして恐る恐る隼人に彼女たちが呟いた。
「もしかして。奥様に頼まれて、ご主人の御園中佐が来てくださったとか……そういうことではないのですね」
 これは何かあるなと思った隼人も思い切って問いただした。
「大佐嬢と何か約束でも?」
 彼女たちが『いいえ』と首を振った。なにかが噛み合わない。
「いつも三日に一度くらいはお見かけするんですけど。昨日あたりお顔を見せてくれるかなと思っていたのですが、今日もお姿は見ないし。そうしましたら、まるでご主人が代わりとばかりにお姿を見せてくださったので、もしかして……と」
 葉月が三日に一度もこのあたりを通っている。そして彼女たちとはかなりの顔見知りだと、隼人も初めて知った。そして隼人も察した。
「彼女になにか伝えたいことがあったら、僕から言っておくけど。それとも何か困っていることでも」
 また彼女たちが顔を見合わせ戸惑っている。これは……葉月には言いたかったが、隼人に言っても大丈夫かと迷っているように見えた。つまり『妻より信用されていない』ということである。
 これは隼人もちょっと心外だった。これまで基地では『妻の考えをよく知っている夫』と思われていて、『大佐嬢の代理になれる男』とも思われているし、隼人もそれを自負したいところ。
「かまわないよ。困っていることがあるなら、僕でも大佐嬢でもなんとかするから遠慮無く」
 眼鏡の笑顔を見せると、警戒を緩めた微笑みに変わった。
 すると年長の彼女がさらに疲れた顔で隼人に告げた。
「実は最近……」
 彼女が話そうとした途端だった。
「先輩、あれ!」
 すぐ傍にいた若い彼女が廊下の向こうを指さした。角を曲がって、いま隼人が入ったばかりの通路の突き当たり。そこになにやら茶色のまるいものがさっと走り去っていく姿を見た。
 眼鏡をかけているが、隼人は目を懲らし――。首を振った。見えたそれが『なんで!?』と思うものだったから!
「また出たわね。絶対アイツが犯人!」
「網を持ってきます!」
 女性達がさっと自販機から散って、事務所の中に戻っていってしまった。だがそれも束の間。彼女たちはすぐに出てきて、デッキブラシや網つきの棒を持って突き当たりまで走っていく。
「な、何事だ」
 さすがに黙って身を隠せなくなったのか、角から細川ジュニアが出てきてしまった。
「い、いまの見ませんでしたか?」
「いや。少しでも覗けば顔が見えるかと思って会話だけ」
「お、俺も見たんですが……」
 と、隼人がその正体を告げようとした時だった。
「そっちよ、そっちに逃げた!!」
 突き当たりまで駆けていった彼女たちが、各々にいろいろな棒を片手にこちらに戻ってきた。
 そんな彼女たちの目前をゆく物体が! それを隼人と細川ジュニアは共に確認し、二人揃って後ずさった。
「ウ、ウサギ!?」
 仰天する細川ジュニア。だか隼人は首を振って答え直す。
「ち、違います。あれは野ネズミなんですよ」
 行ったわ。捕まえて!! 
 茶色の子犬ほどの大きさまであるしっぽが長い生物が隼人と細川ジュニアの足下を、なんなく走り抜けていってしまった。
「あ、あれが、ネズミ!? どうみても……!」
「この島ではあの大きさのがたまにいるんですよ!」
 だが何も出来なかった男二人の目の前をすり抜けた野ネズミは、ここの隊員の如くさらに内部へ向かう廊下を我が物顔で走り抜けていく。
 彼女たちが息巻いて隼人に言った。
「最近、私たちの事務所の界隈でよく電力が落ちるんです。専門の電工課に見てもらったのに原因がわからなかったんですが、ここ二日でアレを見つけて」
「どこか配線が囓られているんじゃないかと思っているんです。突然システムダウンするし、データーが飛ぶし、困っているんです」
「大佐嬢が来られたら相談しようと思って待っていたんです」
 そして最後に彼女たちが揃って言った。
「大佐嬢なら、誰よりも早く解決してくれるから!」
 もういつの間にかそこまで奥さんが浸透しちゃっている状態に、隼人は呆然。俺ってまだまだアイツのこと知らないと愕然とさえ……。だが、隣にいる正義兄様は違った。隼人のすぐ側で、『大佐嬢なら』という単語にまるで条件反射のように反応し、その目つきを険しく変貌させた。
「なにが大佐嬢だ。君たちの直属の上司は……」
 なにをしている! そう吠えそうな細川ジュニアだったがそこで我に返った顔。
「ここって。駆除業者は……」
「いるような、いないような。専門家を捜すなら本島へ横須賀経由で依頼した方が確実です」
「それって何日もかかるってことではないか!」
 そうだ、ここは離島だ。と彼が額を抱え項垂れる。
「そっちに行ったわよ」
「見て、もう一匹いるわ!!」
 対策手順を模索している場合じゃない。彼女たちにとっては『今!』目の前をちょこまかと走り回っているネズミをどうにかすることが先決。
「貸しなさい!」
 そこで棒を持っておろおろしていた一番若い女の子から、あの細川ジュニアが奪っていく。
こんのヤロウー、まちやがれ!!
「た、大佐!?」
 隼人は唖然……。あの落ち着き払っていた大佐殿がデッキブラシ片手に、追いかけていった女の子達と共に二匹のネズミに向かっていく姿!
「新しい大佐さん、すごい」
 若い女の子が感激した眼差し。『合理的でリスクを嫌い、何事も切り捨てる、あの鬼将軍の長兄、恐ろしい業務隊長大佐殿』。その噂を聞いているはずだったのに。
「澤村! そっちに行ったぞ!」
 前髪を振り乱した眼鏡のお兄様が熱く吠える姿。だが隼人も巻き込まれる。こちらに一匹、大きなネズミが向かってくる!
 もう素手で飛びつくことしか隼人も思い付かない! 
「持ってきたぞ! こっちだこっちに追い込んでくれ!」
 隼人の背後、先ほどの事務所から年配の男性と青年数名が飛び出してきた。それにも隼人はギョッとさせられる。
「そ、それは」
「追い込む檻を手製で作ったんですよ。犬ゲージみたいだけれど、この大きさじゃないとすばしっこくて入ってくれないんですよ」
 彼女たちだけじゃない。男性隊員達も頭を痛めながら自力で対策を取っていた。
「課長! そっちに行きましたよ!」
 逃げていった廊下の向こう、網がついた棒やデッキブラシで野ネズミをこちらに追い戻した彼女たちと、
「そこの通路に逃げ込まないように、三人立っていた方がいい!」
 やっぱりこんな混乱時でも、人員配置に目を配って指図をする眼鏡の大佐。
 だが男性隊員達はこの時初めて、噂の冷徹ジュニア大佐が協力してくれていることを知り硬直した。
「ほ、細川中将の……、いえ、業務隊長の」
 彼女たちの年配課長も暫し呆然とした眼差し。
 だが細川ジュニアは必死な顔でデッキブラシで床をこすりながら、野ネズミをまくしたてている姿。
「課長、行ったぞ。頼みますよ!!」
 細川ジュニア声に、課長もはっと我に返りお手製の檻を逃げ込んだ廊下にセットする。
 隼人も青年達と、野ネズミが入ってきた通路に戻らないよう野ネズミを檻へと追いやる。
 果ての部署で、上官も管理官も青年隊員も女性隊員も入り乱れての、野生動物との大乱闘。
「よっし! やったぞ!」
 ついに野ネズミが課長お手製の檻に入り込み、課長が鉄格子の入り口をガチリと閉めきった。
「もう一匹は!」
 まだ細川ジュニアは気を抜いていない。眼鏡を光らせ、あちこちを見渡す。だが、彼女たちが首を振った。
「外に出て行くのを見ました」
 一匹をおいやるのが精一杯。もう一匹にはまんまと逃走を許してしまったようだ。
「はあ。思いやられるな」
 課長が白髪の頭をたれ、がっくりと肩を落とした。
 手配を怠っているわけでもない。どうしようもない事情の中、なんとか出来る限りのことをしている。でも間に合わない。そんな現状のようだった。
「ここ裏山付近なので、この棟ではスズメバチの大きな巣が見つかるわ、コウモリが住み着いているわ、天然記念物の野鳥が迷い込んで来るやら。まあ、たまにあるんですよ。うさぎも来るし、カエルだって」
「し、知りませんでした」
 だが課長は当たり前のように言う。
「歴代の課長から聞かされていたので、この裏山近くの棟で働くと決まった時から覚悟はしていましたよ。これまでも必死で食い止めてきたんですが、野生物は思わぬことをするものなんですね」
 基地内は都会のオフィス並でアメリカキャンプもあって一個体の街に等しい。だが一歩外に出ればそこは大自然の離島。そこと背中合わせである境目がここということらしい。
 そしてその課長まで、隼人を見て言った。
「彼女たちがたまに大佐嬢と話しているのを知っていたので、顔を見たら今回は私に知らせるように伝えていたのですが。……本日はご主人なんですね」
 またもや『奥様はどうされたのですか』と言いたそうな課長の顔に、隼人は苦笑い。
「先月もそのスズメバチの巣が見つかった時、大佐嬢がすぐに気がついてくれて、すぐに手配してくれたものですから。島の役場経由でベテランの島蜂蜜養蜂場の職人さんを連れてきてくれて」
 そ、そんなことしていたのか。隼人はさらに妻が密かにやっていることに衝撃を受ける。なにもしらない旦那ということになってしまうではないか。
「でも。新任でこられた業務隊長がたまたまいらしてくださって助かりました」
 まさか。皆さんがお待ちかねだった大佐嬢の足跡を追って、ここに初めて迷い込み、こんな現状を初めて知りましたなんて……言える訳もない。
「いえ。本日は新任の大佐が……、基地内を視察したいとのことで、私が案内役を仰せつかりまして」
 咄嗟の出任せだったが、課長は『なるほど。だからお嬢さんは避けてこないのか』とまで言いだした。ここでは誰もが『大佐嬢秘密の散歩道はここ』と黙認しているということ。
 誰もが一汗かいてはあはあと一息ついていたが、そこでも細川ジュニアはあの鋭い眼差しですぐさま動き出す。
「どこが、こっそり散歩だ」
 じゃじゃ馬嬢の秘密の軌跡をひっそり追っていただけなのに。とんでもないものに早速出くわした。ウサギの全貌捕獲のはずが、まるでウサギに仕掛けられた仕返しのように野ネズミ捕獲に駆り出される。思い通りに行かないことばかりで、細川ジュニアはどこか悔しそうだった。
 着ていた肩章付きのグレーのジャケットを脱ぎ、細川ジュニアはそれをばさっと隼人に投げつけてきた。隼人もそれを受け取る。
「課長、事務所の内線をお借りしますよ」
 冷めているように見える彼も、さすがに汗をかいたのだろう。黒いネクタイを緩め、シャツのボタンをひとつ開けながら、細川ジュニアは颯爽と小さな事務所の中へ行ってしまう。
 入ってすぐのデスクにある内線をとにかく手にした細川ジュニアが何かを手配しようとしている。
「細川です。ホプキンス中佐を、配送課までお借りしたいのですが。急いで処置せねばならないことが起きているので、至急お願いいたします」
 リッキー兄さんをいまは頼っている様子。つまり連隊長秘書室に連絡を取ったようだ。
 その次は電工課へ『至急、配線修理が出来る者を』と手配している。
「助かります。細川大佐。本当にありがとうございます」
 気がつけば、先ほどの課長を含め、この事務所の隊員達が揃って、内線電話を切った細川ジュニアに頭を深々下げる姿が。
 そしてそれは思わぬことに巻き込まれた細川ジュニアも驚いて戸惑っている。普段、接点のない一部署の隊員一人一人から直接感謝されたからなのだろう。
 その後、ホプキンス中佐は連隊長付きの仕事で出ているとのことで、水沢中佐が駆けつけてきた。
 既に連隊長秘書室を使える許可をもらっている様子の細川ジュニア。そんな彼を見ていた隼人は『本当にこの方がもうじき連隊長になるんだな』と実感した。
    
 隼人は思う。普段は皆に恐れられるが、とても頼られる鉄壁の連隊長になられるだろうと。

 

Update/2012.11.8
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