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9.アダルト・ムーディー

 

 ここの飛行部隊長である彼が、驚きのままゆっくりとデスクから立ち上がる。

「ミセス准将たるお方が、何故こんな隅っこの部隊へ」

 しかし。驚きはみせたものの、ミセス准将がやってきたからと、へつらう男のような慌て振りで出迎えることはない。橘中佐は、そんな確固たる落ち着きを見せていた。

「驚いたな。久しぶり」
「本当ですわね。ご無沙汰致しました」

 口振りが、幾分か橘隊長の方が砕けている。それに控え、葉月さんは目上の男性という接し方だった。一部隊の飛行隊長と女将軍だというのに。そこには一兵卒の時代から変わらない『既存の上下関係』が今でも残っているように見えた。

 そんな橘隊長が葉月さんの後ろに控えている男二人をみつけ、再び驚いた顔。特に英太と目が合った時の……。流石に英太は目を逸らしてしまった。それでもラングラー中佐がそっと頭を下げ挨拶をしたので、英太も慌ててお辞儀をする。

「橘さん、お茶でも如何ですか。懐かしいお話でも」

 葉月さんの肩肘張らない問いかけでも、橘隊長はまだ釈然としない様子で彼女を見ていた。

「懐かしい話だけで、俺のところに?」

 すると葉月さん。急ににっこり。おじ様達に浮かべていた営業スマイル。

「もちろん。同じ艦に乗ったパイロット同士ですもの」

 でた。『おじ様には微笑み作戦』? なんだか嫌だな。そんな葉月さん。英太は密かにむくれてしまう。
 俺の葉月さんは冷たく近寄りがたい『アイスドール』でいて欲しい。特に他の部隊の男にはそんなへらへらして欲しくねー。そう思う。

 それに英太は葉月さんの『らしくない微笑み』だけで不安に思っているわけではなかった。実はこの隊長は……。

 そのうちに橘隊長が鼻をひくひく。葉月さんの周りをニヤニヤ顎をさすりながらまとわりつく。

「ふーん。本当に『葉月ちゃん』が来たってかんじだな」

 橘慎吾中佐。相変わらずヨレヨレの訓練着にぼさぼさの頭。それに無精ヒゲで、真剣なのかそうじゃないのか判り難い胡散臭い眼差し。それがいつもの彼。そんな『だらけている風貌』の彼を見て、英太は彼の元部下として『ある心配』をしている。

 実はこの橘隊長。『手が早い』ことでも有名だった。
 品格ゼロ。清潔感まったくなしのボサ男が、優雅な制服姿の栗毛の女性の顔を覗き込む。そのついでに彼が葉月さんの栗毛に鼻を近づけさせ、さらにひくひく。
 もう、英太はハラハラ。こんなボサ男のオヤジなのに。スワローと持て囃される飛行隊の指揮官だからなのか、現役時代に一目置かれたパイロットだったからなのか、あるいは『元より女は扱い上手』なのか。とにかく、女には事欠かないせいなのか『女の子大好き』で有名。
 そんな彼が、しっとり女っぽい優美な女性が現れて黙っているはずない。英太は元部下としてそう不安になってしまうのだ。

 案の定。そこに現れた葉月さんの優雅な物腰と、ふんだんに薫る女の匂いを嗅ぎ取ったのか。その間が抜けたような隊長の眼が悪戯ぽく輝いたのを見た。

 英太は隣のラングラー中佐を肘で小突いた。彼が目だけちらりと英太に向けてくる。
 『男として危ないよ』。元部下として忠告したのだが、ラングラー中佐は気が付いてくれたのかくれないのか何とも動いてくれなかった。

「いやー。たまに遠くから目にはしていたけど。いい女になったもんだなあ〜」
「有り難うございます」

 だけど葉月さんも怖じ気づくどころか、益々にっこり。
 だがそこで橘隊長が、ちょっと嫌な顔をして葉月さんから離れてしまった。

「でも。嫌な女になったな。アンタ、昔はそんな笑顔は見せなかったよ。作り物の、嘘つきの顔だ」

 ハッキリと言うと、彼はズボンのポケットに両手を突っ込み、いつもの覇気のない背を丸め、事務室に戻ろうとしていた。
 英太は驚いた。ヘラヘラとした男の顔でのらりくらり。でも、葉月さんの本質を良く見抜いている男だったと……。

「橘さん、」
「帰ってくれ。俺はアンタのような上にいる『やり手』とは無縁の場所にいる男。現場の俺になにか要望があるなら、物事動かす長沼に言ってくれ」
「私はただ、お話がしたいだけなのですけれど……」

 『ただのお話』。その一言に去ろうとしていた橘隊長が振り返る。

「その手に乗るもんか。アンタ、男と気楽に話そうと思う女じゃないことぐらい俺はよーく知っている。そんなのそっちもよく分かっているだろ」

 うおお。なんか隊長、すごくね? 葉月さんのことよくわかっているじゃん? 
 元上司がちゃらちゃらしつつも、葉月さんの優雅な色香には他のおじ様のように感化され流されなかったので英太はつい感心。女好きといっても、そこんとこセーブ出来るのが『本当の女好きか』とさえ思ってしまいある意味感動?

 だが。そんなムキになって拒否している橘中佐を見て、今度は葉月さんがクスクスと笑い始める。

「そうですわね。特に、私と貴方では」
「そういうことだ。『話』なんて」

 特に私と貴方では? 意味深な二人だけの会話に英太は眉をひそめる。だけれど、ラングラー中佐はいつもの感情を微塵も見せない冷めた横顔で見ているだけ。

「では。特別なお話なら聞いて頂けますか? 慎吾さん」

 葉月さんがさらに親しげに呼ぶと、流石に橘中佐が立ち止まった。そして疑わしい目が再び葉月さんに注がれる。

「ふーん。『特別なお話』ねえ」

 意味ありげに、また鼻をひくりと動かし、葉月さんの目の前にゆらゆらとしながら戻ってきた。もう、そのどこかのヤンキー崩れみたいなの、やめてくんないかなーと、元部下としてちょっと恥ずかしくなる。
 そんなふざけたアクションで葉月さんを嫌がらせているのかもしれないが。だがこちらも天下のミセス准将。そんなワルぶったオヤジのおふざけにも動じず、ほんのりとした微笑みを絶えずみせている余裕。

 そんな葉月さんの傍に来たワルぶったオヤジが、またまとわりつくようにして彼女の匂いをあからさまに嗅いでいる。

「葉月ちゃん。『大人のいい話』なら俺も考えるけどねえ……」

 ついに。葉月さんの肩に手を置き、栗毛に鼻を近づけ唇を近づける橘隊長。ニヤニヤといやらしい目つきで、葉月さんの目を覗き込んでいる。

(ちょ、いいのかよ。中佐)
(黙って見てろ)

 ハラハラしている英太だが、やはりラングラー中佐は傍観者のようにして関与せず。逆に『絶対に邪魔するな』と睨まれてしまった。

 目の前では、橘中佐が葉月さんの肩から腕へと手を滑らしている。准将の肩章なんて関係がない、怖れない男の手がそこから制服に包まれた腕を探るようにねっとりと下っていくのを、英太はイライラしながら見ているしかない。もう本当にいやらしい『セクハラオヤジ!』と叫んでぶん殴ってやりたい心境。
 それでも。葉月さんはそんないやらしい男の手なんて元よりないような、無感情な顔で逆に橘中佐を肩から見上げて見つめ合っていた。
 なんだろう。今度はドキドキしてきた英太。あれって、なんか『大人の男と女』? 葉月さんが無感情になれることは判っているつもりだか。そうではない女の落ち着きを見せつけられている気がした。

「いい匂いだ。トレンドになんか流されない、大人の女が自分の経験と意思と感性で『自分のため』に見つけた匂いだ。誰でもない自分だけの匂いを作り上げた女はそれだけで芳しい。ご主人も満足だろうな」
「夫以外の男性にそう言って頂けますと、女として嬉しいですわね」

 大人の男のセリフに、英太は唖然。あのもっさい隊長があんな事を言うなんて。でも、なんだか説得力はある。
 なのに。その説得力あるオヤジの手が、葉月さんの肌を探すように腕をくだり、ついに最後。制服ジャケットのカフスをちらりとめくり、葉月さんの白い手に触れてしまう。どう見ても、男と女の駆け引き。

「変わらないな。いまでも、葉月ちゃんの手は冷たいんだな。結婚して奥さんになって旦那さんに愛されて、しかもお母ちゃんにまでなって可愛い子供達との毎日。すっかりこの手も暖まっているかと思ったんだけどさ」

 そこで傍でじっと見つめられている葉月さんが、しっとりと眼差しを伏せる。
 茶色のまつげが、どこか哀しそうに瞳を陰らしたその儚げな仕草。もう英太の心臓は爆発しそうだった。あー、それ代わって。隊長、俺と代わって! 交代して欲しいほど羨ましくなってきた。
 しかもしかも! あろうことか橘中佐は下心満載で滑らしていた指先を、いつのまにか葉月さんの指先にしっかり絡ませて握りしめているではないか。

 人影少ない端の部署とはいえ、オフィスの通路。そこで指を絡ませた男と女が神妙に見つめ合っている。もしここが廊下じゃなかったら? 今にも男が女を押し倒しそうなムードに英太はもう卒倒しそうだった。それとも。それだけ葉月さんが男をその気にさせたり、そうさせてしまうのだろうか。今日は朝から一緒にいるだけに、英太は始終そうして男がつきまとう葉月さんを見てそう思ってしまう。

 危うい大人のムードの中。葉月さんがそっと唇を動かした。

「制服なしのお話をしませんか。明日の18時、横浜で。お食事でもご一緒に」

 それだけ言うと、葉月さんはスッと橘隊長から離れた。

「制服なしねえ。じゃあ、葉月ちゃんも気合い入れてくれるわけ」
「勿論よ。橘さんも私をガッカリさせないで」

 そこで何故か。男女の駆け引きをしていたはずの二人が、ライバルと火花散らすような眼へと生き生きと変化した。

「お話はそれだけです。詳細はわたくしの方から後ほどご連絡差し上げますので」
「わかった。待っている」

 その会話を最後、二人はきっぱり背を向けあい、橘隊長は事務室へ、葉月さんは来た道へと踵を返す。
 颯爽と背筋を伸ばし元のポジションへと戻った二人に、ふわっと立ち上がった男女の香りはもう霧散していた。

「テッド、英太。行くわよ」

 だがそこに。橘中佐の男の匂い、メンズトワレの香りが微かに残っていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 全ての仕事を終えたとばかりに、葉月さんの足取りは速い。その後をラングラー中佐が遅れずについていく。英太は必死でついていく。

「これで本日は終了よ。予定通り、明日、私は英太同伴で行動するわ。テッドも後のこと、任せたわよ」
「はい。では、移動がありますので私はこれで」

 英太はまたギョッとした。ずっとラングラー中佐が一緒だと思っていたからだった。
 なのに中佐はあっという間に葉月さんとは反対方向へと背を向けて行ってしまった。

 英太は呆然。いきなり葉月さんと二人きり?

「行くわよ、英太」
「は、はい」

 また早足で歩き始めた葉月さんの後をついていく――。

「あの、ラングラー中佐はいつ戻ってくるんですか」
「月曜の、小笠原に帰る便で落ち合う予定よ」
「えっ。それまで葉月さんは側近なしで?」

 でも俺は同伴なのか、と、英太はおののいた。
 それでも葉月さんは何食わぬ顔で腕時計を確かめている。華奢なパイロット腕時計。隼人さんとお揃いの、いつも愛用している時計。

「いいのよ。今からはプライベート。でもそのプライベートを『利用する仕事』をするのよ。テッドには他の大事なことを頼んでいるの。彼は彼でやってくれるから、こっちも守備を整えないとね」
「え。俺は……なにをすれば?」

 ラングラー中佐が一緒だから、判らなくても困っても助けてくれると思っていたのに。でも葉月さんはそんな不安そうな英太を見てまたにっこり。

「英太のお仕事は、大人しく私について『おりこうさん』にしてくれることよ」

 またそんなガキ扱い。英太はむくれた。

 だが葉月さんについていくと、横須賀基地の正面門に黒塗りの車が待ちかまえていた。そこには黒いスーツ姿の外人男性が規律正しい紳士的な佇まいで待っていた。

「お帰りなさいませ。お嬢様」
「ただいま、エド。こちら雷神の鈴木英太大尉よ」
「お噂はかねがね。『エド』と申します。よろしくお願い致します」

 かなり目上の男性のはずなのに、もの凄い腰の低さ。英太は出遅れたことに焦りながらも、挨拶を返すのが精一杯。腰が低い人からどんなに敬ってくれる挨拶をもらえても、それに上手く反応返礼できないことが、尚更に情けないのが英太の現状。もっと身につけなくちゃいけないことが沢山ある。本当に今はそう思う。葉月さんといると余計にそう思う。

「乗って」

 言われるまま、英太は葉月さんと共に黒塗りのベンツの後部座席に乗り込む。

「本日宿泊のホテルへ向かいます」
「お願いね」

 エドという運転手が颯爽とハンドルを手にし車を発進させる。

 腰は低いがサングラスをしているその顔はそれだけで迫力がある男性だった。英太はその顔を例えミラーに映っている顔でも直視できなかった。
 だが隣の葉月さんは慣れているのか、システム手帳を膝の上に広げ黙々とスケジュールを確認しているのかと思っていたら……。

「どうやら、本日も全力投球だったようですね」

 運転席のエドがクスリとこぼし、初めて笑顔を見せてくれる。
 彼の笑顔の訳。彼の目線の先には、フロントミラーに映る『うたたねのお嬢様』。
 実家の車と、実家で仕えている護衛さん?なのかなんだかしらないが気心知れたお兄さんがお迎えだったからだろうか。葉月さんはもう、いつかのように英太の横でも構わずに、うとうととうたた寝をしていたのだ。

 英太も呆れてふっと溜め息。

「ええ、もう。本当にいつだってフル回転の、自分達を巻き込む台風のような人。それが自分達雷神のミセス准将なんです」

 エドと一緒に眠ってしまった無防備なお嬢様を笑う。

 つぎの信号待ちで車が停まると、エドが助手席からなにかを用意して後部座席にいる英太に差し出した。

「申し訳ありません。このブランケットをお嬢様に掛けて頂けますか」

 なんとも気遣い抜群の大人の男性で、英太は益々驚くばかり。
 だが言われたとおりに英太は薄いブランケットを手に取り、クーラーが効いている車内で無防備な寝顔のままでいる葉月さんの肩から膝へとかけてあげる。

 お嬢様か。

 本当にそうして育ってきた人なんだと、今日になって初めて実感する。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 すっげー、お嬢様ってすっげー。
 黒塗りの車で、黒スーツのお供付き。そのお嬢様がつれてこられたホテルも横浜の高級ホテル。
 しかも『スイートルーム』! ただ葉月さんとエドの後をついていくと、そこに辿り着いてしまい英太は絶句。

「大尉もどうぞ」

 え、え。もしかして、葉月さんと同じ部屋?
 しかしそんな英太の戸惑いをエドにはすぐに見抜かれたらしい。

「勝手ながら。お嬢様のご指示にて、こちら同ホテルの一室を大尉の宿泊用に取らせて頂きました」

 若い青年の気持ちを察したことで、英太が気恥ずかしい思いをしないようにと、これまた顔に出さないさりげなさで別室のカードキーを差し出してくれる。

「まだミセス准将としてお話があると思いますので。どうぞ、お入りください」
「有り難うございます」

 隙のないエスコート。英太は差し出されたカードキーを受け取り、そのスイートルームへとお邪魔した。

「はあ〜、疲れたっ。やっぱり都会は疲れるわ。海が恋しい」

 ゆったりとしたソファーの背に、脱いだ制服ジャケットをばさりと置いた葉月さん。
 小笠原の基地でそうしているように、いつもの夏シャツ姿になって、どっかりとソファーに座り込んだ。

「お茶をご用意致します。お嬢様は紅茶ですね。アイスでよろしいでしょうか」

 エドは休まない。お嬢様が座ると同時に、どこからともなく銀色のワゴンを押してきて、テーブルの側についた。

「アイスで。レモンじゃなくて、オランジュがいい」
「隼人様風ですね。かしこまりました」

 さっきまで英太に『どうぞお入りください』と側にいたのに。エドはもう、執事のようにしてお茶を作っている。え、っていうか。この状況なに? ほんとに、ほんとに、葉月さんがお嬢様どころか『ご令嬢様』に見えてきた。

「どうしたの。英太も休んだら。エド、彼にはブラック……えっと、ホット、アイス?」

 馴染めないが、英太は言われるまま、葉月さんの向かいに腰をかける。

「それでは、アイスでお願いします」

 なんか。こんな大人の、素晴らしく良くできた男性にお茶を煎れさせるなんて申し訳ない気持ちになるけれど。
 だが。そんなエドの手つきはとても綺麗で手慣れていて。そしてそれをすることを楽しんでいるようにも見えた。

「あの、葉月さん。俺、出張と言うことで同伴させてもらっているだけなのに。こんなすごいホテル……」
「いいのよ。経費で落とさない自前だから」

 あー。経費で落とさない自腹って。ほんとお嬢様なんだなーと、英太は呆れてしまった。

「お祝いだと思って、遠慮せずに泊まって。それから。なにもこんな高級志向を目指せだなんて言わない。でも、これから大尉も沢山の目上の人々に出会う機会が増えると思うの。こんな世界がある、そしてこんな世界で生きている人たちと渡り合う日が来るかも知れない。だから『ひとつの世界』として、知っておいても良いと思うのよ。これは経験よ」

 大人として知っていても良いでしょう。そんな葉月さんからのひとつの提案、今回はそのチャンスということらしい。
 今まではそんなこと。なにも高級でなくても、現場パイロットには関係ない。俺達は庶民でもやっていける――そう思っていただろう。
 だけれど。今の英太には、様々な年上の先輩達が目に浮かぶ。今日は何故か。『大人の女の香り』と男として知り尽くしているとばかりに口にした、あのもっさい隊長のスマートな一面を思い出していた。
 風貌は冴えなくても、中身は磨きがかった男に見えた瞬間だった――。

「有り難うございます。お言葉に甘えさせて頂きます」

 神妙に礼をすると、葉月さんも穏やかに微笑んでくれていた。

「どうぞ」

 暫くして、エドがそれぞれにお茶を差し出してくれた。

「あら。丁度、甘い物が欲しかったの。それも、沢山じゃなくて一口。嬉しいわ」

 アイスティーと共に出てきた小さなチョコレート。それを見て、葉月さんは本当に嬉しそうだった。

「大尉もよろしければ」

 そして英太にも。アイスコーヒーと一緒に、小さなサンドウィッチが出てきた。

「有り難うございます。俺も小腹が空いていたんで、頂きます」

 ブラックコーヒーの青年に甘い物は不要と見通してくれたのか、こちらは少しつまめるスナックを出してくれた。
 ここでも改めて『御園に従事する男』たるシビアさを見たような気がした。これは高官秘書官並。なるほど。葉月さんは常に実家からも『側近』がつく。だからラングラー中佐に他の仕事を任せて別行動になっても大丈夫ということだったのかと納得。

「夕食まで休憩しましょうか。お夕食はこのお部屋で取るけど。貴方は今夜は約束とかあるの?」
「いえ。ミセスが詳しい予定を仰らなかったので、なにか考えがあるものと思い出張の間はフリーで空けておきましたが」
「そう。申し訳なかったわね。どうなるか分からなかったものだから」

 それが橘中佐との約束が出来るか出来ないかを言っていると分かった。

「明日、貴方も橘中佐とのお食事についてきて欲しいの」

 それがどうしてかは分からなかった。あちらはもしかすると『懐かしい彼女とデート』と思っているかもしれないのに。それとも? あんな危険な男の匂いを放っている隊長と二人きりは葉月さんも心配ということなのだろうか? いや、違うなと英太は思った。この女性なら上手くすり抜けられる。こんな若僧がいてもいなくても。それならば?

「分かりました。お供致します」

 英太には直感がある。『きっと仕事の話』なのだと。葉月さんはプライベートと見せかけ、橘中佐を密かに何かの網にかけているような気がしてきたのだ。

「もう外で食事するのも疲れるし、明日も明後日も外食が続くでしょうから。今夜はゆっくりエドの家庭料理を頂こうと思うの。英太も一緒にどう?」
「え、ここで家庭料理!?」

 しかもあの栗毛のおじ様が作ってくれる!? 御園の男ってなんかスッゲー、やっぱりスゲーと英太は目を丸くした。

「エドは和食が得意なの。なんでもリクエストしてあげて」
「今なら食材を用意する前ですから、なんでもOKですよ。大尉」

 あのバリバリ外人の顔で、『和食なんでもOK。作らせて頂きます』て、ほんとどんな人!?

「じゃ、じゃ……。トンカツ……でっ」
「かしこまりました。大尉はロースですかヒレですか」

 そこまで聞いてくれるのかよと英太はするっと聞き入れていくエドに益々驚愕。

「あ、エド。私はヒレね。もうロースがもたれるの。サラダはフレンチドレッシングが良いわね。それからお味噌汁は……」

 いちいち驚いているのは英太だけで。英太がリクエストしていたのに、いつの間にかお嬢様に主導権を奪われていた。
 そしてエドはいちいちにっこり微笑み『かしこまりました』と言うだけ。出来ないなんて決して言いそうになかった。

 しかも。エドが本当にスイートルームに持ち込んできた御園家自前の『トンカツ膳』。『どこの料亭のものですか』と言いたいくらいに美しい盛りつけで驚嘆。
 それでも、どこか気取らない丸みある優しい味。彼の家族のための料理というのが伝わってきた。

 本当に葉月さんって『お嬢様』だったんですね! そんな一夜を経験した。

 

 

 

 

Update/2010.12.20
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