翌朝、願ったりの快晴。
空母へ行くために華子を基地に連れて行くのだが、その華子が俯いてばかりで元気がなかった。
「どうした。俺が無理に連れてきて、疲れてしまったかな」
「ううん。連れてきてくれて有り難う。いろいろと考えることが出来そう」
いつもの笑顔を見せてくれたが、そのあと笑顔がすっと引いた時の華子の目つきが昨日とは違う気がしたのも確かだった。
基地について小夜と晴れて対面させた後、甲板で目立たないよう特別に指揮官と同じ紺色の訓練着を華子に着せることにした。葉月やテッド、そしてミラー大佐と話し合った結果だった。
「これ、うちの葉月がいつも着ているやつだけれどな。たぶん、サイズもぴったりだと思う」
そう言うと、華子の顔があからさまに強ばったので、隼人も気になった。
だが華子は小夜に連れられて女子更衣室で大人しく着替えてくれた。
「ふうん、奥さんと同じ准将に見えるかな」
昨日までは面白がるように言っていた華子が、そこは冷めた顔で呟いたのも気になった隼人。
本日は願ったり叶ったりの快晴。華子をついに桟橋に連れて、午前の訓練をする雷神を見届けに連絡船へと乗った。
波の上を跳ねる小型船の窓を、華子はじっと黙ってみていた。
「本当に綺麗な海、空……」
やっと華子の輝く瞳が帰ってきたと思い、隼人も『そうだろ』と笑ったのだが。
「そうだね。いつまでも銀座の夜の色に塗り固められた世界に閉じこもっていても、どうしようもないのかもね」
唐突に華子が呟いたことに、隼人は驚く。
「そりゃ、この小笠原と銀座では世界観があまりにも異なるけど。だからって華子ちゃんの持つ世界が小笠原より劣るとかそんなことを俺は知って欲しかった訳じゃなくて」
「そんなことわかっているわよ」
やはり華子の冷めた目が隼人を見ていた。
「ただ英太が今いる世界を見に来ただけ」
やはり奇妙な変化を隼人も感じずにはいられなかった。
連絡船の上を、戦闘機が通り過ぎていく。それを目にした華子がやっと目を輝かせた。
「あれ、英太かな!」
背を伸ばして指さす華子。
「いや。あれはビーストームというフライトのFA18ホーネット。英太のホワイトはもっと白くてマリンラインが目印だ」
「はやくみたいっ。大佐、まだ着かないの?」
やっと隼人が知っている明るい笑顔になっていてとりあえずはホッとしたのだが。
・・・◇・◇・◇・・・
雷神は訓練前のミーティングを甲板で行っているところ。英太が飛び立つまでは華子を甲板に連れて行くわけにはいかないので、まずは管制室から様子を見てもらうことにした。
管制室に辿り着き、厳かに機材に向かっている管制員の妨げにならないよう、静かに入室。
それでも管制室長を始めとした彼等が静かに挨拶をしてくれる。誰もが華子を一目見た。指揮官の紺の訓練着を着せてもらってまで連れてこられる一般人はそうはない。それだけ御園大佐とミセス准将が丁寧に見学に迎えたという証拠。そして彼等も陸に戻った時にカフェテリアかどこかで聞いたのかもしれない。『御園大佐の愛人』とか。
それに華子の容姿はやはり目を引く。工学科でも既にあの藤川と津島が浮き足立っていたぐらい。彼等好みに胸が大きく、その上美女と来れば禁欲に耐えている彼等には女神に見えたことだろう。それがこの管制室でも。甲板に出たらもっと。どの男がどう思うかわからない。『陸に戻るまでは絶対に離れられないな』と隼人は気を引き締めた。
そんな華子に双眼鏡を差し出す。彼女が首を傾げながらそれを手に取った。
「いま、英太は空へ飛ぶ前のミーティングを甲板で。ほら、あそこだ」
双眼鏡の意味を理解した華子は、隼人が指さした方向へと構え覗いた。
「あ、本当だ。英太がいた」
華子の口から『エイタ』。そこでやっとなにかを理解した隊員達が、ちょっとした驚きの顔でまた華子を見た。
「あの白い飛行服を着ている。持って帰ってきて見せてはくれたけど、私の前でも絶対に着てくれなかったのに」
「そうだったのか……てっきり見せてくれていたのかと」
「甲板でしか袖を通すつもりはないって大事に自分でアイロンをかけていたもの」
家族同然の華子から出てきた日頃の英太の様子を知った隼人は、彼の雷神への思いを改めて知る。それと同時に、彼にとってその白い飛行服は……。そんな隼人が感じた思いを、華子も既に感じているようだった。
「大佐が言ったとおり。英太にとってあの白い飛行服は『純粋』なんだね……」
華子と隼人の脳裏に、栗毛の女指揮官が同時に浮かんだに違いない。
英太の『白』は、ミセス准将へ誓いを立てた『白』。純粋に。彼は空を飛ぶことだけを彼女に誓った。
「……大佐も、パイロットだったら良かったのにね。奥さんと一緒に空を飛んでいただろうし。今だって、もしかしたら一緒にパイロットを指揮していたかも」
不機嫌な顔で、どこか投げやりで、そしてはすっぱな華子。でも、彼女がそうして自分のことのように気遣ってくれているのが伝わってきた。
「最初から駄目だっただろうな。出会う前から、俺は適性検査で跳ねられていたから整備員になったんだから」
「そうだったの。奥さんはあんなに細身なのに、適正はあったんだね」
「それにもし一緒に飛べたとしても、俺もたぶん……。あいつとは一緒に飛ばなくて良かったと思っていただろうな」
「それ、どういうこと?」
横須賀の長沼中佐に相原中佐が『彼女とは二度と飛びたくない』と言ったように。きっと、あの当時もし隼人もパイロットだったら、葉月の飛び方を知って怒りを感じていたことだろう。
「後先考えない、死んでも良いと思っている飛び方は、周りにいる男達を恐怖に陥れていたんだよ。彼女と飛ぶと一緒に引きずり込まれると、横須賀の元パイロットだった中佐が今も忘れられないと言うぐらいだ」
「え、奥さんが現役時代『死んでもいい』と思って飛んでいたて、どういうこと?」
まだ言えない。隼人はそう思った。英太の、彼女の大事な家族の飛び方を見てもらって肌で感じてもらうまでは。言っても絵空事のようにしか聞こえないはずだから。
「英太の飛行を見れば、華ちゃんもわかると思う。家族ならば、きっとわかる」
華子は当惑してまだ隼人に答を求めたそうに見つめてくれたが、隼人は『今はまず見て欲しい』と首を振った。
ふたたび華子が双眼鏡を構える。
「あれ。さっきまで他のパイロット達と一緒にミセスの前に並んでいたのに。今は他のパイロットは外人の男の人と向き合っていて、英太と葉月さんが一対一で向き合っている」
「今から、コンバットをするんだ。つまりドッグファイ、迎撃接戦、撃墜の、戦闘機と戦闘機の撃ち合いってやつだな」
「もしかして、息子さんが騒いでいたことをするの。英太が本当にエースって」
どこか不安そうな華子の心根をわかっていながら、隼人はそれでも告げる。
「雷神というブランドに、小笠原の連隊長は非常に愛着を持っている。『初代雷神』は俺達にしたら伝説のエースチーム。連隊長のお父上は雷神所属ではなかったが名が知れたパイロットだったので、彼自身が操縦者ではなくても彼もそのフライトの権威を良く知っているんだ。それを、初代雷神のパイロットだったミセス准将の恩師シアトルのトーマス准将と、そして教え子の妻が近代の雷神として復活させた。本家はシアトルで師匠が、分家は小笠原の教え子が担っている。そこで小笠原の連隊長が『シアトルにも負けないレベルにすべき』と、パイロット同士の切磋琢磨を目的とし、パイロットが憧れるフライトの、さらにそのトップに行く『雷神エースの称号』を与えることを決めたんだ」
「それが海人君が言っていた『もうすぐエースになる』ということ?」
「そう。連隊長自ら総対戦型のコンバット訓練を組み、それで勝ち上がったものが『エース』。十名いる雷神で、5対5のチーム対戦から始まり、徐々に自分の味方が減ってくる方式。いろいろなパターンで組まれるが、1パターンで敵に撃ち落とされるのが許される回数は2回まで、ただし最後の『ファイナル戦である1対9』に限ってだけ、味方がいないという状況が苛酷すぎるので5回まで。2度撃ち落とされたパイロットには、また振りだしの5対5の対戦から再挑戦は許されているが、先に1対9の勝利を得た者が出た時点で、早い者勝ちでそいつがエースの称号をもらう。または、撃墜されて限界を感じたならエースの称号を諦めて辞退をすることもできる。どのパイロットとも対戦、あるいはチームメイトとして組めるように対戦するので、一度の訓練で1〜3回戦しか組めず、最後に1対9にまで勝ち上がってくるパイロットを生み出すまでは、やはり……二年かかった。それが今だ」
一口では説明し切れない複雑な対戦リーグではあるが、それでも華子は『1対9』と聞いただけで信じられないという顔をした。
「まさか……、英太が今、一人でミセスとミーティングしているのって……まさか」
隼人はどこか誇らしげに微笑んでいた。
「そうだ。各々の先輩と同僚から勝利を得て、1対9という苛酷な状況まで勝ち進んできたのは英太だけだ」
『うそ……』と、華子が息を止め呆然となった。
「とはいえ。英太より確実なベテランがいるのも確か。だがそのベテランが揃って『鈴木と飛ぶと体力の限界を感じる。俺達の雷神のエースと呼ばれるには一番脂がのっている飛び盛りのパイロットが良い』と辞退したケースもある」
「それって英太は納得しなかったんじゃないの? あくまで、自分で撃ち落としてこそ実力だと」
「その通り。流石、華ちゃんは英太の性格をわかっているな。だが……若い英太にはまだ『衰え』という抗えないものを理解しにくいんだ。彼は『俺だったら40代を目の前にしても、格好悪く撃ち落とされても対戦する』と言い張って。この時も融通が利かず大変だった」
「やっぱり、それが英太という男よ。でも、それでどうなったの……?」
隼人も遠く、管制室の窓から見える妻と青年パイロットの向き合う姿を見つめた。
「うちのやつが、」
「奥さんが? ミセスがなんか言ったの?」
「先輩が貴方の実力を認め、『雷神の最初のエースだからこそ、自分ではなく自分達が納得できるエースにしたい。誰にでも認められるエースが存在するフライト、そう知れ渡ることで近々去っていくことになるだろう自分達にも栄誉になる』と、これから数年間しかないかもしれないパイロットとしての最後の花道にエース育成を選び、貴方に託している。その気持ちにさせた貴方の勝利ではないかと言ったんだ」
「それであの『人を信じていない英太』が納得したの?」
華子の驚きを、隼人は哀しく感じた。
今、隼人の目の前で認めたくないことが起きていた。この二年、この二人はかなり離れてしまったのだと……。家族故に言わなくても伝えなくても済んでしまったすれ違いが生じている。
それは隼人の中での『最悪の事態』であり、本当は今の英太を見て、もっと身近に感じて欲しい、それだけで良くなるとだろうと信じていただけに愕然とした瞬間だった。
隼人は少しばかりこめかみを押さえ、僅かな頭痛のような感触は嘘なのだと言い聞かせようとした。――もしかして、俺は最悪の事態を彼女と英太に引き合わせてしまったのではないかと。
だが、そうでなければ。この二人は家族であって恋人であって幼馴染みであって。それだけで終わってしまう。そんなの『妻と義兄』と一緒ではないか。
でも二人は妻と義兄ほど離れていたわけでもない。まだ互いを見つめ直すことが出来る程に若い。だから……。
「華ちゃん、その変わった英太を俺は知って欲しかったんだ」
『英太が変わった?』と、華子は認めたくない顔をしていた。
「横須賀で英太が孤立していたことを知っているだろう」
「うん……。大尉に昇格してから益々、英太は荒れていた。仲間なのに結局誰もが自分のことしか考えてないんだ。大人はみんなそうなんだって……」
「今は、逆に英太を信じて託す男が周りに沢山いるんだ。それが何故かわかるか?」
華子が首を振った。賢い彼女でも、認めたくないだけなのか、あるいはここだけ気づきたくなくて無意識に拒否しているのか。
「英太から周りの人間を信じるようになったからなんだ」
信じたくない……という、華子の無言の驚愕の顔は、今にも泣きそうにも見えた。
『ホワイトサンダー01、発進』
管制員の声に隼人はすぐに華子に双眼鏡を構えさせた。
「すごい、あれがカタパルト発進ね。ほんとたったあれだけの距離ですっと飛んでいくのね。でも……英太はまだ葉月さんと話している」
「最後の1対9。英太が最後に選んだ指揮官はミセス准将だ。英太の勝率はミセスが組むとグンと上がるからな」
双眼鏡を覗いている華子はもう無言だったが、その睫毛が震えているように隼人には見えた。
隼人も遠目に白い飛行服の青年と妻が真剣な顔つきで向き合って話し合っているのを眺めた。
やがて青年は妻に凛々しい敬礼をすると、ヘルメットを小脇に抱え走り出す。だが、その青年が途中で立ち止まり、振り返った。
彼が妻に笑顔でグッドサインをしているのが見えた。妻は何も返さなかったが……。でも隼人には見える。甲板では冷徹であり続ける氷の妻が、俺や彼にしかわからないささやかな微笑みを見せたことを。
甲板で氷の女が微笑む時。青年はそれを胸に今日も苛酷な空に行くのだろう……。
・・・◇・◇・◇・・・
雷神の発進が始まり、英太の7号機が空へと発進していく瞬間を甲板で見てもらおうと、隼人はいよいよ甲板へと華子を連れて行く。
「わかっていると思うけど。甲板ではうちの奥さんは基地のオフィスで少しは見せていた緩さも皆無で、俺が悪さをしても徹底的に謹慎処分にするぐらいだから決して集中力の妨げにならないように」
「わかっています」
なにやら不機嫌で、どこか思い切り良さそうな彼女がなにかするのではないかと隼人は少しハラハラはしていた。だけれどそこはきちんと頷いてくれたので、大丈夫だろうと甲板へと上がる鉄階段へと向かう。
ついにその階段へとやってきた。
「急勾配だから気を付けて。俺の先を歩けばいい」
ある意味この艦の天井に向かっていると言っても良い急な鉄階段。そのジグザグの階段を華子が見上げる。
「この上が、空母の甲板」
「吹きさらしと同様だ。潮風は直撃するし、海の唸りと甲板の線が交差するのでそれを見ただけで船酔いになる。空を見るんだ」
それほどの場所と、流石の華子もここに来て構えたようだ。
「大丈夫。あの小型連絡船でも管制室で海を見ても酔わなかったら見込み有りだ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ。さあ、急ごう。英太の7号機が発進してしまう」
いつになく気弱な顔を見せられたので、流石に『おじさん』もドッキリ。指示通りに華子が先に鉄階段を上がる始めたが、隼人は彼女の背を守るようにして後ろにつくのだが、思わず高鳴った胸を押さえたりして……。
なるほど。男共は彼女のこんなところにやられてしまうわけだ。英太なんかしょっちゅう、いや、もう『習慣』に違いない。
男として『この野郎』と思いつつも、『俺にだって同じようなウサギがいるからー』なんて妙に張り合っている自分に驚いたりして。
「大佐ーっ。なんか、下を見たら怖くなってきた」
「見ちゃ駄目だ。見るな」
「あーん、どうしようー、どうしよーー」
「いつものお転婆はどこにいったんだよ」
「大佐、押して! 絶対に私の後ろから離れないで!」
あー、もう……、仕様がない娘だなあ。と、頬を引きつらせつつも。彼女の背を支えて押して……。
俺、本当になにやっているんだろうな? 自分でしたこととは言え。こんな小娘ちゃんの面倒を見ているだなんて。こんな俺の姿を、葉月が見たらどんな顔をするのだろう。
だがそう思って、隼人はどうしてか笑っていた。
わかっているんだ。お前が皆の前では知らん顔をして平気な顔をして、家に帰ったら無口で不機嫌で、それで夜になったら……。その時になって、やっと隼人の目の前だけで、口を尖らしているウサギの顔を思い浮かべていたのだ。
「やっだっ。大佐! 私のお尻を見て笑っていたでしょうっ。信じられないっ。大佐は絶対にそんな男性じゃないと思ったのに! 先に登れって勧めたのはそれが目的!?」
「な、なに言っているんだ! そんなわけないだろうっ。だったら、華ちゃんが俺の後ろから登るようにしてもいいんだぞ」
「いや! 怖い! でも大佐がにやけていたんだもん!!」
「うるさいな。奥さんのことを考えていたんだよ!」
「嘘! 若い女の子の身体を目の前にして、そんな男いるわけないもんっ」
「あー、もう。わかった! 華ちゃんのお尻は柔らかそうだなー、触っても良いかなー。で、納得か!?」
「やっぱり、そう思っていたんじゃん。サイアクーーーーっ」
「冗談だってわからないのかな、華子さん。おじさん、最後には怒って陸に帰るよ」
「だめーっ。ここまで連れてきたの大佐なんだからね。私だってやっとその気になったんだから、空の英太を見てから! もう、大佐が下を向いていてよっ」
「無茶言うなー、まったく」
『おじさん』て損だな。隼人はため息をついた。
あらぬ疑いをかけられまいとヒヤヒヤしながら満員電車で通勤しているサラリーマンパパ達の心境を思い遣る。
「ああはっ。大佐が慌てていたこと、ミセスに報告しちゃおうー」
そして最後に、人を揺さぶるだけ揺さぶっておいてケラケラ笑っていて、隼人は唖然とした。
この時、初めて『英太、お前。もしかしてこの手の女にすっげー慣れている?』なんて思ったりした。華子もたいしたタマだが、だとしたら英太も……。そう言えば、葉月がこの前言っていたなと隼人は思い出す。『あれで結構、女慣れしているわよ』と――。
もしかして、英太のヤツ。磨けばすっごい『男の素質』を持っていたりして?
おじさん、ちょっと焦ってみたりした――。
生意気な小娘ちゃんは、こんな時になっていつも通りの元気な笑顔。
そんな彼女とやっと甲板へと出入りするドアの前へと辿り着いた。
薄暗い艦内。そのドアの向こうには……。その鉄ドアの前で華子と顔を見合わせた。
「大佐が言っていた、甲板の男達にとって『純粋な場所』なんだね」
「そうだ。別世界だ。そこに英太が生きている。見届けてくれ」
引き締まる華子の顔。その向こうに、これまで寄り添って生きてきた彼の生き甲斐がある。
隼人はドアを開ける。
いつものザアッと吹き込んでくる潮風が、隼人と華子を出迎える。そして眩い太陽の直接的な光が目に突き刺さる。
隼人にとってはいつもの慣れた瞬間でも、華子は『まぶしい!』と手で目を覆い、まだ確かめることが出来ない青空を探しているようだった。
隼人の目にも青空が見えた頃、隣の華子の瞳が大きく見開いているのを見た。
滑走路をそのまま大胆に戦艦に乗っけただけのような、ただひたすら真っ直ぐに伸びている甲板の雄大さに華子は言葉も出ないようだった。
そしてその光の中、ドアから出てきた二人に気が付いて振り向いた指揮官が二人。
カタパルトを遠く見守る位置に互いに同じ機材を従えている、茶色のサングラスに栗毛の女指揮官、そして青いサングラスに銀髪のアメリカ人指揮官。空へと見送った部下を指揮するために対決する二人も距離を取ってはいたが、同じところに並び、そして同じように隼人と華子に振り返った。
その指揮官が二人揃って、肩越しに微笑みを見せた。
「ようこそ、雷神へ」
紺の訓練着に紺の雷神キャップ、そして柔らかな栗毛を潮風に揺らし、茶色のサングラスの縁を輝かせ微笑む女。
「ウェルカム、toゴッドサンダー」
こちらも氷のミセスに負けない冷ややかな顔つきで、しかし銀髪に青色のサングラスの凛々しい横顔から見せた笑みは、女指揮官より余裕ある男の笑みだった。
そんなピンと冷ややかな風を思わせる雷神指揮官二人に迎えられ、華子も流石に固まっていた。
「本当に、あのミセス?」
制服姿で優雅に女性らしくしていた准将室のミセスじゃない。華子はそれをすぐに肌で感じたようだった。
カタパルトには、ハリス中佐とその配下のメンテ員が7号機を取り囲んだところ。
担当メンテ員が7号機の車輪側に身を屈め、それを指揮しているロベルトがカタパルトフックを寄せる合図を部下に送っているところだった。
「あれが英太の7号機」
「そうだ。いま、瞬速発進をするためのフックを車輪に取り付けている。あの白い整備服にイエローのベストを着けているキャプテンが『GO』の合図を送ると、英太は空に飛ばされていくんだ」
「いまから、英太が、あの戦闘機で飛ぶ……」
華子の目が7号機へと釘付けになった。
「ここへ、いらっしゃい」
葉月の静かな声に、華子が吸い寄せられるように向かっていった。
そこにはあらゆる画像が映し出されている幾つものモニターがある。それがなにか華子にはすぐに判ったようだった。
「これ……。英太のコックピット?」
「そうよ」
「こんなことがわかるの?」
准将室と同じ笑みを葉月が華子に見せていた。彼女の片割れにも等しい青年が苛酷な空へと行ってしまう不安を察しての微笑みを見せてくれていると隼人にはわかっていた。
あらゆる角度に設置されたカメラから送られてくる画像が映し出されるミセス准将用のモニターには、今は7号機のコックピット。英太目線で見えるキャノピー越しの青空。そして彼の左右の海の景色。そして英太が操縦桿スティックを握るグローブの手の動き。それが既に葉月の手元に映し出されていた。
「7号、十日に一回、やっと巡ってきたファイナルコンバットね。しかも晴天。最高のチャンスよ」
『そうっすかね。逆に敵に丸見えってことでもあるんすけどね。7号ってなんすか、番号で呼ぶのやめてくださいよね』
葉月がワザと話しかけ、確かに映像の青年は英太であることを華子に教えたかったようだ。
いまにも話したそうにしている華子の横顔を、隼人も黙って見守っていた。
大事なエース昇格のコンバットが始まる。だから、ぐっと堪えて我慢している華子を見る。一言『英太、頑張って』と伝えて空に送り出したいだろうに……。
覚えがある。隼人にも。
華ちゃん……。陸に残る人間は、待っているしかないんだ。彼等は空に行くと生きて還ることだけで精一杯なんだから。いや、俺の場合は少し違ったかと、隼人は空を見上げる。いつこの青に恋人を吸い上げられてしまうのかと思っていた、陸で。
妻と同じ感覚で空を飛んでいた英太も、ついこの間までは。でも、もう違う。ただひとつ。彼には彼を待っている女が甲板にいて、常に『英太』と呼ぶからだ。
華子はそれをいまから目の当たりにするだろう――。
Update/2010.7.12