-- 蒼い月の秘密 --

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31.嘘でもいいから

 

 寝室に入っていくラングラー中佐を見送った。閉められなかったドアからハアハアと息切れる声が聞こえてきたので、英太も硬直する。
 うなされるって。それほどに。そして自分がそんな彼女の記憶の底を刺激したことに、血の気が引くほどまた後悔が押し寄せてきたのだが。

「鈴木。また水を持ってきてくれ」

 ドアの向こうからそんな声が届き、一瞬だけ妙な緊張で身体が固まったが、その後は我を忘れすっ飛んでいた。
 ボトルを手にして、寝室に入ると、二段ベッドの下で横になっている葉月さんが目に飛び込んだ。
 見るからに熱にうなされていることが判る、汗にまみれた顔があった。あの綺麗な栗毛が湿り、彼女の額に頬に貼り付き、小さく首を振って唸っていた。
 そんな彼女の傍に跪いたラングラー中佐が、また花の入れ物を開け、またもや幾つかの錠剤を手にする。手のひらに数粒の薬剤。それを見た佐々木女史も驚きが隠せなかったのか、息引く声を僅かに漏らした。

「なにそれ。まさか、そういうの常備しているの」

 どこか非難めいた声に英太には聞こえた。それが何を意味し何を女史が非難しているのか英太にはまだ分からなかった。
 しかし側近の中佐にも非難の声に聞こえたのだろう。そして、それが彼も許せなかったのか、女史をキッと睨みつけた。

「ごくたまにですよ。医師からも業務に差し支えはないと許可は出ていますよ」
「べ、別に私、そういう意味で……」

 何事もハキハキしている風だった女史も流石に狼狽えている。

「女史らしいビジネス視点での不安もご尤も。それでもミセスはこの状態にいつなってもおかしくはなかったのに、今だってこうして軍隊の一線で現役ですよ。誰にも負けないキャリアで。それでも、今日のことは刺激が強かったと言うこと……」

 そう言って、ラングラー中佐がハッとした顔で英太に申し訳なさそうに振り返る。

「いや、なにも鈴木が悪いわけではなくて、今日のことは俺も一枚噛んでいてだな……」

 だがそんな狼狽えている大人達をよそに、葉月さんの胸元が激しく上下し荒い息づかいが寝室に響いた。

「これ、早く!」

 英太が水を差し出すと、目が覚めたようにしてラングラー中佐は頷き、ボトル片手に葉月さんの口の中に錠剤を入れた。

「隼人さんに頼まれているものです。いつもは……こうして、隼人さんがやっているんでしょうね。長期の出張でこれを使ったのはこれで二回目。たった二回。それが任務に響いたことなど一度も……」

 だがラングラー中佐も何処か落ち着かない不安があるのか、変に言い聞かせているように英太には聞こえてしまった。

「軽い安定剤と、熱冷ましですよ。結婚してからなんだそうです。軽い過呼吸と微熱が出ることがあって、夜は特に注意していると……。それにまつわる映像や書物なども目に触れないよう注意して葉月さんに気遣ったことすら知られないよう除けることもあるんだそうです。それは義兄の谷村社長も同じ事で、お二人でよく話し合って息を合わせて、刺激をしないよう見守っている。そういう人達ですよ」

 そんなラングラー中佐の説明を、まるで女史の代わりに葉月さんが聞き届けたかのように、徐々に息が収まり静かになる。

「じゃあ、それは御園大佐から、いつもテッドが預かっているものなの」
「はい。頼めるのは俺しかいないからと……」

 ラングラー中佐の最後の一言で、どうしてか佐々木女史が不服そうな顔に?

「ご、ごめんなさい。私、苦手なの。ど、どうしていいか判らなくて。ちょっと頭冷やしてくる……」

 そういうと、佐々木女史はがっくりと肩を落とすかのように力無い歩みで寝室を出て行ってしまう。

「艦内散策でも、隣の寝室にいるアドルフかクリスと一緒に行ってくださいよ」

 佐々木女史の『わかっている』という声と共に、艦長室のドアが閉まった音がした。

 またこの部屋に静けさが戻ってくる。夜の音に紛れ、穏やかな葉月さんの息づかいが聞こえてきた。
 汗にしっとりとしている白い頬が、こんな時に綺麗な桃色に染まっていた。静かになった息づかい、でも、それに疲れ果てぐったりとしている顔。
 それでもラングラー中佐と顔を見合わせ、共にホッとした顔になる。

「……さま」

 ホッとしたのも束の間――。葉月さんの唇が小さく震えた。

「どうされましたか」

 そっとラングラー中佐が声をかけたのだが、葉月さんの唇はずっと震えている。

「にいさま」

 ――兄様? 思わぬ一言に、英太は眉をひそめた。そして航行前に耳にした『二人が駆け落ちをした』という大佐からの言葉を思い出した。
 しかし葉月さんは、また寝苦しそうに首を振ると、またもや『にいさま』と呟いたのだが……。

「……た、どこ。貴方。隼人さん……どこ……」

 次のうわごとは、もっと違うもの。
 今にも泣きそうな顔で、彼女の手が動き始める。片方の手がシーツの上を這い始め、何かを探していた。

「鈴木。お前が握ってやれ」

 傍で何もかもを分かっている顔で静かに見守っていた中佐が、英太の手を引っ張った。その手を何かを探している彼女の手へと強引に引き寄せられ、中佐の直ぐ傍に英太も跪く。

「よく見ておくんだ。この人が乗り越えてきた夜を――」

 彷徨う葉月さんの手を、英太は握らされた。

「……さん、隼人さん、どこ」

 続くうわごと。それを聞きながら、英太はぎこちなく、その柔らかな手を握った。しかし彼女の手は握り返すことなく力無いまま。まだ彷徨っている。

「言ってやれ。嘘でも良いから言ってやれ」

 隣で囁くラングラー中佐のその言葉に、英太は固まった。何を言ってやればいいかわかっていたからだ。そしてそれを『嘘』で言うことに、とてつもない躊躇いがあった。

「貴方、いないの……」

 彼女の手が探しているのは『夫』。あのおじさんだ。あの御園大佐。
 こんな夜。彼女の片手の位置にいつもその男性がいるのだろう。そして彼が声をかけてくれ、彼が花の入れ物を手にして、彼女を介抱する。労られ、そして信じている人がそこにいて、彼女はやっと眠るのだろう。
 だから、英太は……

「ここにいるよ」

 彼女の唇がまだ、小さく夫を呼んだ。

「ここにいる、ここに」

 英太の手から、その小さな手がストンと滑り落ちていった。力無い手が、それでもシーツの上で大人しく眠りについたように静かに動かなくなった。

「嘘でも良いから。あのご主人が傍にいることは、この女性にとって大事なことなんだ」

 哀しそうな中佐の横顔。いつまでも消えぬ闇に包まれている彼女のことをいつまでも案じている顔。しかし、静かに落ち着いて安堵している顔。

 だが、英太は違った。
 とてつもなく胸がドキドキと熱くなり、それでいて、どうしようもくキリキリと痛んでもいた。そして泣きたいほど哀しかった。
 どうしてかわからない。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 不思議な花の匂い。まるで南国にいるかのような……ジャスミンの?

 胸を透くような甘い匂いに気が付いた英太は、自分がまどろんでいたことに気が付く。
 そして額に、なにやらひんやりとした感触。冷たい氷が当てられたのか、それともクーラーの風が当たっているのか、それとも……丸窓から入ってくる夜風なのか。あまり心地よいので、そのままもう一度眠ろうと思ってしまった。
 ――いや、そんなのだめだ!
 なんとか眠りの底から目覚めの水面へ浮上しようと、まどろみの水の中で英太はもがく。

 ぱちりと目が覚めると、夢の中で鼻を掠めた香りが英太を包み込んでいる。
 今、英太はミセス准将が眠っている傍に付き添っていた。

 『俺が付き添っていては駄目ですか』と申し出ると、あのラングラー中佐がすんなりと承諾してくれた。葉月さんの肌を露わにするほどに襲いかかった『前科者』なのに。しかしそれだけ『英太の本来の目的』と『後悔』を信じてくれたのだと思った。中佐は『では明け方まで仮眠をするので、鈴木に任せる』と、艦長寝室をあっさりと出て行ってしまった。
 それから、安らかに寝息を立てている葉月さんの傍にいた。まるで『罪滅ぼし』のように。もしまた、うなされていたらラングラー中佐に直ぐに知らせる。夫を探したら、また嘘を付いてもいい。そう思って彼女の寝息を寝顔を見守っていた。……のに。あまりにも静かで安らかに眠っているものだから、いつのまにか、英太もまどろんでしまったようだった。
 ほんの少し、自分が寝汗をかいているのを感じた。額にうっすらとした汗も感じる。それをすうっと冷ましていくそよ風も感じていた。おもむろに顔を上げると、夜中に中佐が全開にした丸窓から、夜明けの海が見える。水平線がほんのりと紫色に染まり始めていた。甲板滑走路のラインを縁取るガイドランプの粒が、白み始めた光に溶け込むように、ぼんやりとその光彩を弱めている。そこから夏の夜明けの風が心地よく入り込んできていた。
 先程の心地よさは、この明け方の風だったのだろうか……。英太はぼんやりと丸窓から見える紫の夜明けを見つめていた。

「いつから、そこにいてくれたの」

 その声に驚き、ベッドを見る。茶色の瞳が英太をじっと見つめていた。

「俺……あの、俺」

 あのビー玉のような目が英太を離さず、真っ直ぐに見つめている。目の前で。それだけで、英太は言葉が出なくなってしまうし、出たとしても何と言えばいいのか……。
 目覚めた彼女は、それでも英太の反応など関係ないとばかりに、自分の額に手を置いた。そして手のひらを見つめ、深いため息を吐いた。

「また、熱を出したのかしら」

 自分のことも、ちゃんとわかっているようだった。

「若い時は、どんなに気持ちが荒れても、熱なんて出なかったのに……。歳かしらね」

 疲れた笑みを見せたが、そんな葉月さんが歳をとって疲れたようには見えなかった。それは、彼女の頬がほんのりと火照っていることや、汗を滲ませ肌がしっとりと見えるせいかもしれない。どこか一生懸命に息をして、そこに帰ってきたかのような……そういうエネルギーを感じたのだ。

「昨夜、夜中にまた苦しそうになって。ラングラー中佐が旦那さんの大佐から預かっているという薬を飲ませようとした時には、熱があったみたいで……」
「そう。……情けない」
「そ、そんなことない! 俺があんな話をしなければ」

 だが葉月さんは、全て、何もかもを悟ったような笑みを静かに浮かべた。その口元にはどこか悲愴を見せて。

「いいえ。聞いておかねばならなかった。それが昨夜でなくても、いつかは……」

 まだ気怠そうな表情で、息づかいも辛そうだった。

「もう、やめよう。葉月さん。もう、いいよ。俺もわかったし。俺もあまり長々と話したいことではないんだ」

 今にも起きあがりそうな彼女の肩に、すかさず毛布を被せてやった。
 あれだけ反抗的で燃え上がってばかりいた悪ガキのしおらしさ? それを不思議そうに葉月さんは無言で見ている。じいっとあの茶色い目で。しかし一時すると、その毛布をはいで起きあがってしまった。

「夜明けね」

 ベッドの縁に座ると、葉月さんは全開になっている丸窓を見た。
 紫の水平線に、ほんのりとした茜が一筋。涼しげな潮風に、しっとりと湿っている栗毛が揺れている。英太は目の前でそれをただ見つめていた。まるで一枚の写真をみるように、その人は、どこか違う世界の人に見えたのだ。そう、英太が知らない世界を彷徨ってそこに生きている人。同じ夜明けを見ているのに、共にいるのに、その人はまるで非現実的な映像の中にいる人のよう。そして英太はそれを見ているだけしかできない、それだけの人間。

「あの男が死んでからよ」

 夜明けを見つめ、唐突に出た言葉。さらに英太は、そんな番組でもみているかのようにして、ただ葉月さんの次の動きを待って……。

「あるツテがあって、被害者である私に、死刑が確定していた男の刑が執行されたと……。それからなのよ。時々、熱が出る」

 栗毛の女性は、とても辛そうに俯いている。

「もう、誰もいなくなった。あの夜に現場にいた誰もが私を残して、私に傷と痛みと熱を残して。男達も、姉も逝ってしまった。私を……置いて……」

 女性がはらはらと涙をこぼし始めたのだが、それでも英太はただそれを見ていた。それしか出来なかった……。言葉など、出てきても、かけても、たぶん自分の力なさを噛みしめ、そして何を言っても彼女を助けてあげられないことを、この英太自身もよく身に染みている。

「死んでしまったらそれきり。私一人、痛みを忘れず生きている。男はもう苦しまない。私が死ぬまで、私より先に死ぬなんて許さないと思っていたのに」

 もうすっかりいつも通りに冷めた頬に、涙が幾筋も流れている。
 だが英太にも、泣きたい気持ちがすんなりと流れ込んできた。どうしてか? 涙は出ないが、心が軋む痛みがどんなものか解るからだ。
 こんな苛む記憶を刻んで、父親はもう苦しまず、母を伴って逝ってしまった。俺も苦しまないように、生きていくのが辛くならないようにと、道連れにするはずではなかたのか。なのに俺にあんなどぎつい記憶を遺品のように残し、自分はさっさっと楽になった父親。何度も憎んだ。そして殺しきれなかった親心に、父の愛を感じるという葛藤を繰り返し、英太だって何度も寝汗をかいてきた。
 目の前の、涙する女性も、俺と同じなんだ――。
 だが、そんな彼女が泣きながら、『それでも』と小さく呟く。

「それでも。もう彼を悲しませたくないから、私はどこにも行かない。陸に降りて、この足で土を踏んで歩くことにした」

 そして英太も、初めて知る。
 『それがコックピットを降りた本当の理由』なのだと。
 もう抗議する気持ちなど、どこにもなかった。
 この人は空に全てをぶつけ、そして空ときちんと別れられた人。今は陸の上、海原の甲板の上から、空を見て見守って愛している人。
 だから……。
 その続きを、葉月さんが口にした。

「だから。貴方にも飛ぶわけを知って、そして、いつか必ず別れが来るコックピットと未練なく気持ちよく別れて欲しいの。その日の為に飛んで欲しい」

 あの日、非常階段で遠い目をしていた葉月さんを英太は思い出していた。
 小笠原の潮風、青い空、その中に全てを吸い込んでしまいそうな茶色の瞳と優しげな微笑みを僅かに見せてくれていたこの人の横顔を。

「頭で解っても意味はない。気持ちで解って欲しい。だから貴方はまだまだ、気が済むまで空を飛べばいいと思っているわ」

 夜明けの薄暗い青い部屋の中、彼女の目が僅かに光って英太を見つめている。

「でも、私は貴方を陸で待っている。空に行かせたままにしない。それを忘れないで……」

 非常階段で出会った、姉貴のように柔らかなその人が英太に微笑みかけている。

「うん。わかった」

 どうしてか素直にそれだけ、応えられていた。
 自分が意識して答えたわけでもなく、本当に自然にそれだけ出ていた。
 でも彼女はとても嬉しそうに笑ってくれていた。その笑みさえ、とても静か。血の流れを忘れてしまったのかと思うほど、ひんやりと見えるこの人にはお似合いの微笑み。だけれど、英太には伝わってくる。たったそれだけで、この人の心の中は血が通ってとても暖まっているんだろうなと。

 徐々に水平線が茜に染まり、空が白く輝き始め日の出を迎える。
 そんな中、葉月さんは立ち上がり、傍にある簡易タンスの上に置かれている昨夜のヴァイオリンを取り出した。

「夜明けの甲板で、日の出や青白い月を見て時々弾くのよ。そうすると、なにもかもを夜明けが連れ去ってくれる」

 なんだか抽象的なことを言うんだなと、英太はただ聞いていたが、葉月さんは丸窓の前、夜明けを相手にするようにヴァイオリンを肩に構えた。

 ボウ、ボウ……。英太が気に入った調律のような試し弾きをすると、途端に、流れるようなメロディーを奏で始めた。
 空に音が昇っていく。英太はそんな気がして、丸窓から見える青み始めた空を見上げた。葉月さんも音を奏でながら、微笑みのままヴァイオリンを弾いている。
 先程の重い涙も、哀しみも、痛みも、熱も、全て。本当に夜明けがさらっていくようにして音が昇り、空が明けていく。

 この時、英太は思った。
 飛ぼう。飛べなくなったこの人の為に飛ぼう。そうだハウンドでもいい。俺、この人の分身になって飛ぶ。
 そしていつか、俺もこの人のように幸せに土を踏める日が来るのだろうかと。

 夜明けに流れたメロディーで、艦の男達が目を覚ますかのよう……。甲板にいる夜勤明けの男達の顔が微笑んでいる。そしてこの寝室のドアが開き、そこでラングラー中佐と艦長室に控えてくれていた佐々木女史もメロディーを奏でる葉月さんを見て、こちらも笑顔を取り戻していた。
 そんな曲を聴かせてくれる人。いや、彼女がヴァイオリンを弾ける時、それは彼女が自分自身で幸せなひとときを取り戻した時を意味するのではないか。そんなふうに英太には思えた。

 後に、葉月さんがこの時に聞かせてくれた曲は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの『私を泣かせて下さい』だったと知る。
 そして目覚めに心地よく感じた、あのひんやりとした感触が、実はこの人の指先が英太の額を撫でてくれていたんだと……ずっと後に気が付ついた。
 この夜明けと、彼女から香ってきた花の匂い。ヘンデルの曲。そしてひんやりとした指先。英太はそれをずっと想っていくことになる。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 謹慎二日。
 それが英太に言い渡された『処分』だった。

「その間、『謹慎部屋』にて待機よ」

 すっかり日が高く昇った艦長室。艦長席に座っている葉月さんのデスクで、英太は言い渡された。

 まだ微熱が続いているとかで、葉月さんは座っているだけでも気怠そうだった。肌をきっちりと包み込んでいた紺色の指揮官服の上着も羽織らず、昨夜の白いタンクトップのまま、ミセス准将としての身なりを整える気もないようで覇気のない顔をしていた。

「テッド、後はお願いね」
「はい。お任せ下さい。なにも考えず、本日はお休みを――」

 ラングラー中佐の言葉に葉月さんはホッとした顔を見せ、そのまま寝室へと戻ってしまった。
 あの人が、自ら現場を離れる状態だなんて――。英太は『やっぱり余程だったんだな』と、また自分の反省をする。

「文句ないな」
「はい。二日で済んで、申し訳ないぐらいです」

 すっかり従順な英太を見て、中佐は少しばかり残念そうな顔をした気がした。

「では。階下にある反省室へ案内する」

 沢山の鍵を束ねているリングを中佐が手にした。

 

 本当に階下にある静かな一画に英太は連れられていく。
 英太の後ろには、ハワード中尉がくっついていた。大きな体なので、そうして背後にひっつかれているとなんだか妙な威圧感。時々、英太が気にして肩越しに振り返ってしまうと、似たような身長である彼の目と合ってしまう。あまりにも英太が気にしている為、最後に彼が困った顔をした。

「我慢してくれよ。形式なんだよ、形式」

 あ、そういうこと。と、英太もやっとホッとするし、それもそうかと思った。つまり『違反者』がさらなる逃亡や反抗、さらに反撃をしない為の威嚇として、護衛官が背後を見張ると言うことらしい。
 それにどうやら、ハワード中尉も『でっちあげ』の真意は既に説明されているようだった。彼も葉月さんや御園のお家事情を知っているのだと英太は思った。
 そんな二人のやり取りを見て、誰もいないせいか、そこでラングラー中佐が静かに笑った。

「でっちあげ、だからな。一から十までそれらしくしておかねば」

 『そうですね』と英太も答えた。実際に、艦長室を出て、秘書事務官達と廊下ですれ違った時、彼等が『やっぱり反省部屋行きだ』と囁いていたのを見たからだ。誰もが英太を指さすように、ヒソヒソと囁いていた。その間、ラングラー中佐は英太を従え、いつものひんやりとした強面を崩さなかった。

 やがて、ある一室のドアに中佐が立ち止まる。そのドアは南京錠がつけられている閂(かんぬき)があり、さらにドアノブにも鍵穴があるという厳重さだった。ドアが開けられると、薄暗い部屋にベッドと机が一つずつ。それだけ。

「食事はアドルフが運ぶ。入浴は無し。用足しはそこのドアだ」

 独房ではない為、とりあえず、同室にトイレ部屋は備えてあった。

「でっちあげなので、違反をした者に科せられる『ポイント減点』もすることになる。いいな」

 今回の航行任務で乗船した着任クルーのルールだった。御園准将が独自に実行している管理方法のひとつ。それで御園航行クルーの統率を取っている。持ち点は20点。違反をするとその違反の事項によって減点される。『でっちあげ』に納得していたので、英太もそこで、素直に頷いた。

「艦長の寛大な処置という形に留めたが、それでも減点だけは他の者へ示しがつかなくなるので、厳罰にすることにした。15点の減点だ」

 かなりの厳罰で、理解していても英太は驚かされた。ほとんどのものが持ち点を減らすことなく20点のまま任務を終える中、持ち点が一桁になるということはかなりの厳罰。他に訓練中、葉月さんに少しでも反抗をしたら、もうゼロになってもおかしくない。そんな際どい持ち点に落とされた。
 だが、英太はそこでも堪えた。

「当然ですよね。いえ、それで構いません」

 口元をキッと引き締め、気持ちを改める。でっちあげでも、それも当然のこと。そしてそれを背負った上でこの任務を全うするべきだと。
 覚悟を決めた英太を見て、あのラングラー中佐が労るように微笑んでくれたのが、ある意味励ましだったかも知れない。

 

 室内に入り、なにもない部屋のデスクに座った。
 本当になにもすることがなさそうだった。鉄壁のてっぺん、天井との間に、小さな窓がある。空気を最低限に入れ替える為だけに取り付けられたかのような長方形の窓。そこからは青空しか見えないが、潮の香が強く感じられた。艦長室やクルー達の寝室区画よりも階下にあるから海面が近いせいだろう。
 そんな小さな窓を見上げ『そうだな。今までを振り返ってもいいな』と。しかし、そんな気が抜けた英太の手元、デスクの上に、ラングラー中佐が何かをガチャリと置いた。

「これは?」

 置かれたのは、何枚ものデーターディスクだった。天井から入ってくる僅かな陽射しを受け、薄暗い部屋の中でも、その金色のディスクだけがキラキラと光っている。
 訝しそうに中佐を見上げ、答を求めると、彼が何処か厳かな真剣顔で告げた。

「極秘ものだ。葉月さんの現役時代の飛行映像、そして『チェンジ』から抜き取っている飛行データーをシミュレーションモニター同様に動画化したものだ」

 英太の息が止まる……。
 無いのではなかったのか。いや、英太の予想は当たっていた! 御園大佐は『ない』ときっぱりと答えていたが、やはり極秘扱いであったのだと。
しかし、と、英太はまたラングラー中佐を頼るように見上げる。

「こんな極秘のもの、俺なんかに……」

 それでも中佐は、もういつもの冷めた横顔を見せ、英太を見ずに言った。

「現役の飛行とチェンジの飛行を見れば、その違いもわかってくるだろう。それが彼女の飛行の変化、空で死のうとしていたパイロットと、護る事を全てとしたパイロットの飛び方が。そして、彼女が何をお前に求めているかも」

 空を見ていた眼が、急に英太を捕らえる。

「この部屋は外から厳重に密閉する。こんなチャンスはあるまい? だったらいつ見るんだ。俺ももう二度と見せる気はないがね」

 冷めた目線が降り注がれる。鬼男の目が『全てを言わせるな』と英太を責めているようだった。

「有り難うございます。この二日、じっくり見させてもらいます」
「後ほど、アドルフにノートパソコンを持ってこさせる。わかっていると思うが、データーの存在は……」
「わかっています。そんなものは無い……ですね」
「そういうことだ。では、今より謹慎とする」

 それだけ言うとラングラー中佐はあっさりと鍵をかけ、ハワード中尉と出て行ってしまった。

 そのディスクを手にとって、英太は眺める。ここに……知りたかったあの人がいるんだと。
 その後、ハワード中尉がノートパソコンを持ってきてくれ鑑賞出来るように整えてくれる。

 マウス片手に、英太は眠るのも惜しむほどに、何枚もあったディスクを繰り返し繰り返し眺めた。

 

 

 

Update/2009.11.29
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