-- 蒼い月の秘密 --

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1.おしゃま姫

 

 十字架の向こうには、淡い青の海。
 ガラス張りの明るいチャペル。牧師の向こうには瀬戸内海が広がっているクリアな教会でセレモニーの真っ最中。
 青いさざ波を目の前にして、白い軍服の新郎と白いウェディングドレスの新婦が向き合って指輪を交換しているところだった。

 ジューンブライド。
 そんなつもりはなかったのに、と、新婦の彼女。
 レエス仕立ての白い手袋をした手が、無意識にちょっぴり膨らんだお腹を庇っている。
 ――『子供が出来たら結婚しよう』。そう決めていた二人の結婚式が今、海が見えるチャペルで執り行われていた。

 今まさに、白い軍服正装姿のテッドが、花嫁小夜の綺麗な指先に指輪をはめるところ。

 列席には、小夜の実家である倉敷の家族と親族、そして地元の同級生達が。そして対の列席にはアメリカからやってきたテッドの両親、そして軍隊の上司部下、同僚が全て白い軍正装で豪勢に揃っていた。
 お揃いの白い正装姿を決めている御園夫妻。
 夫はスラックス、妻はタイトスカート。それでも同じ上着の肩を揃え、大事な後輩二人のやっとのゴールインを目に焼き付け、共に微笑み合っていた。

「ダメだ。俺……歳かな」

 隣で白いハンカチを目に当てた夫に、葉月は少しだけ笑ってしまう。

「そうね。歳かも。大事な妹分がお嫁に行って泣くお兄様というところ? 純義兄様でも泣かなかったわよ」
「あんな勝手な義兄さんと一緒にするな」

 葉月がくすくすと静かに笑っていると、どうしたことか同じようなくすくすと笑う声が夫の向こう側から聞こえてきた。

「やあね、パパったら。それって本当に『おじさん』よ。気をつけてよ」

 可愛らしい声なのに、なんとまあ、妻の葉月が言ったのではないかと葉月自身も我に返ってしまったほどの生意気な口調。
 隼人はその声の主がすぐ隣にいるため、唖然とした顔で見下ろしていた。

「あーあ。素敵なレディの小夜さんだから許すけど、テッドが独身じゃなくなっちゃうなんて――。なんか勿体ないわ」

 隼人の隣にいる水色のワンピースを着ている黒髪の少女。
 彼女はアンニュイに眼差しを伏せ、静かにそっとため息を漏らしていた。
 それを見て、葉月はいつもどっきりしてしまうのだが、夫は益々呆気にとられた顔。

「ママ、助けてくれよ。杏奈が、杏奈が……」

 隼人が『ママ』に泣きついてきて、葉月は呆れた顔になる。いつもだった。

「いいじゃない。杏奈はテッドが大好きなんだから。私も杏奈の『女の子の気持ち』、分かるわー」

 どことなく。娘のその『おしゃまさ』が葉月にも身に覚えがあるのだ。
 葉月はそんな時、ふっと亡くなった『真(まこと)義兄』を思い出して、そして今の拗ねている娘を見て笑いたくなってしまうのだ。
 だが、娘の歳に似合わぬおませな言動に、パパはいちいちハラハラしている。それがちょっと微笑ましいような、情けなくなってしまうような複雑な気持ちになるママ。
 ママはまだ余裕……だなんてことはない。娘は長い黒髪を指先にくるりと巻いて、ふっと両親を大人っぽい眼差しで見上げてくる。その眼差し、流石の葉月もどっきりとすることが多い。そんな目をする時の娘は、驚くほどに『いっちょうまえ』に変貌する前触れであることが多いから……。

「やっぱりね。だって、ママは私ぐらいの歳には純おじ様を既に愛していたんだもの。分かってくれると思ったわ」

 それには葉月も『やめてっ』と飛び上がり、パパの向こうにいる娘の口を塞ぎたくなった。

 な、なんてこと言い出すの。
 な、なんてことを言い出すのだ!

 二人は厳粛なセレモニーの中、もうちょっとで口を揃えて叫びそうになり、そこも揃ってぐっと堪えた。

 パパとママはいつも、この黒髪のおしゃま姫に振り回されている。
 そしてそんな時、いつも娘はちろっと舌を出して愛らしくおどけたり、ひっそり『うふふ』と笑って楽しんでいるのだ。
 つまり彼女も『本気で言っているわけではない』のだ。大人達をからかって慌てるのを見て楽しんでいる。
 それを分かっていて、隼人も葉月も……。そして周りの誰もが彼女の他愛もないイタズラ発言にやられているのだ。

「え、え。今の『母さんが純おじさんを愛していた』ってなんだよ。杏奈」

 まだ息子の方が『年相応』かなと、ふっと安心するパパとママ。
 だが、それどころじゃない。娘が兄に大人の事情を告げようと口を開きかけている。そんなこと何処で仕入れてきた情報なのか知らないが、まだ知らなくても良いと隼人と葉月はそろって娘の次なる爆弾発言を止めようとしたのだが。

「あら。お兄ちゃんはまだ知らなくて良いのよ」
「なんだそれ」

 妹の隣でタキシード姿を決めている息子海人が怪訝そうな顔。
 いつも大人の事情には一歩リードしているおませな妹が、また情報を先取りしていることを嗅ぎ取って不機嫌な顔になる。

「そのうちに分かるわよ。だってどれも私達が子供の頃から目にしてきたことで、絶対にしっくりすることだもの」

 『子供の頃』って。今も子供でしょ――と、葉月と隼人は一緒にそう言いたくなったが、そこでも揃って絶句。もう諦めたかのように共に肩の力を抜いた。

 しかし娘の暴走もそこまで。

「杏もカイも静かにしろよ」

 しっかりとしたお兄さんの口調が御園兄妹の会話をぴしりと止める。
 海人の隣に同じくお揃いのタキシード姿をしている海野の長男『晃』がいる。
 海人よりも体格が良く、背が高い。すらっとした体型は、児童というよりかはもう少年だった。
 そんな『晃』は、御園家と海野家の子供の中では『長兄的存在』でしっかり者。まとめ役をしている。父親の大胆さを引き継いだのかいざという時の決断力もある為、海人も杏奈も幼い時から晃が一声下すとぴしっと足並みを揃えたりするのだ。

 だから、御園のチビ兄妹がぐっと黙る。
 晃の隣にいる達也も見ていたのか、ちょっとした苦笑いを御園夫妻に見せてくれた。

 いつもの光景。子供達も今日はちょと背伸びの『セレモニー参列』。
 ちゃんとした大人並みの招待状を、子供ながらもそれぞれ一通ずつテッドと小夜から届けてもらった時には三人とも大興奮していた。
 それから揃って本島に出向き、純一のお見立てでタキシードやドレスを新調してもらった時も、子供達は大はしゃぎ。晃と海人は大人の男になった顔を鏡の前で真似て気取ったり、杏奈はレディになったつもりでくるくると回っては全身を確かめたり、モデルのような歩き方をしてみたり……。
 一人前の大人の顔になったつもりで格好つけている息子達に娘を見た時は、『気取っているけれど、やっぱりまだ無邪気ね』と、隼人と達也そして義兄の純一と一緒に葉月も笑ったほどだった。

 しかも飛行機や新幹線を乗り継いで、瀬戸内海の岡山まで行くのだと、『旅行にもなる』とこれまた大騒ぎ。
 子供達はこの日をとても楽しみにしていた。

 軍関係の招待客の最後尾には、娘の保護者をしてもらっている右京とジャンヌの夫妻、そしてテッドと小夜ともすっかり顔馴染みの純一も参列していた。

 厳かで明るい海を背景にしたしっとりとしたセレモニーが無事に終わる。
 テッドもそうだが、やはり今日は頬を染めたままの微笑みを浮かべている小夜がとても綺麗だった。
 教会の外に出て、フラワーシャワーの花びらを握りしめて、葉月と隼人は子供達や達也と一緒に、新夫妻の登場を待っていた。

 白い姿を揃えたラングラー夫妻が笑顔で現れる。
 祝福の花びらが舞う中、テッドと小夜が仲睦まじく腕を組んで降りてくる。

「おめでとう、テッド、小夜さん」
「おめでとう、テッド、吉田!」
「やっと落ち着いたな、心配させやがって! 小夜ちゃん、テッド、おめでとう!」

 白い正装姿の、元四中隊大佐室の先輩三人からの祝福に、二人がそっと立ち止まり微笑み合う。そこには懐かしい面々が並んでた。
 元大佐室のメンバー三人の横には、同じく小笠原で陸部大佐を務めている『山中のお兄さん』も、そしてテッドの同期生で達也の准将室秘書官を務めている柏木君、そして変わらずに葉月を支えクリストファーと空部隊本部で部署長を務めているテリーも。そして今は横須賀に転属になった河上夫妻も倉敷まで祝福に来ていた。

「おめでとう!」

 若い日々、若くとも最前線へと共に挑んできた四中隊の同志達。揃ってテッドと小夜を祝い、そして皆で揃って花びらのシャワーを捧げた。
 また隣で夫の隼人が涙ぐんでいたので、葉月と達也は『あらまあ』と笑い合う。でも、達也が言う。

「いやー。あの可愛らしいOLさんだった小夜ちゃんが、こーんなしっとり大人っぽい花嫁姿を見せてくれるだなんて」

 ハイミスになってしまった小夜だったが、今日は本当に『大人の花嫁だった』と達也も感動。
 それだけに小夜が頼りない時代から育て上げてきた隼人には感慨ひとしおなのだろう。
 葉月も、今日のしっとりとした小夜の大人の魅力を引き立てる……いや、今の彼女の魅力を存分に引き立てていた花嫁姿には、本当にハッとさせられた。
 ハイミスとかお局とか、鬼中佐の女『鬼女』とまで呼ばれても、でも彼女はテッドと共に、『周りに流されない自分達だけの付き合い方、愛し方』に自信を持っていたんだろうなと思わされた。もちろん、迷ったり辛いこともあったと思う。それでも、だからこそ、小夜の今日の輝きがあるんだろうなと思う。

 それが証拠に、今度はママの隣にいる娘がうっとりしているのだ。

「小夜さん、いつも以上に綺麗。素敵――」

 もう黒い瞳をきらきらと輝かせて羨望の眼差し。

「ママもいつか、杏の花嫁姿みたいなー」
「あら、ママ。お相手もいないのに、無理なこと言わないでよ」
「うふ、杏奈のお相手がつとまる男性、いるのかしら?」

 すると娘がちょっとムッとした顔に。

「ママにいたんだから、私にもきっといるわよ」

 本当におしゃまさん。だけれど、葉月はそんな娘と話すのが楽しくて仕方がない。そんなおしゃまの会話を楽しんでいるから、ハラハラしているだけの隼人パパが『お前ならおしゃまと上手に話せるだろ』と助けを求めてくるのだ。
 そして娘も結局、『女の話はママとしか出来ないわね』とか言って、葉月のところに聞きに来る話に来る。
 さらに葉月は自分が子供だった時のことを、娘を通して鮮烈に思い出すことが多くなった。忘れかけていた『なにも知らなかった無邪気な日々』を。思い出すと辛かった在りし日の思い出は、娘が綺麗に蘇らせてくれる。自分一人で思い返していた時は辛くなるばかりで『もう思い出したくない』と封印することに必死だったが、娘が引き出してくれるとまるで浄化されたかのように、あっさりと葉月の手元に美しいままに戻ってくるように。

 葉月は娘に感謝している。
 彼女が生まれてくれたから、だから、無くそうと手放そうとしていた日々を取り戻すことが出来ていたのだ。愛しい娘を通じて――。

 階段を下りた夫妻が、『リボンプールブーケ』をするから『独身の人は集まって』と声をかけている。
 ブーケをトスするのではなく、花嫁がもつブーケから何本も伸びているリボンを独身女性が手に持って、それを引っ張り合うと一本だけブーケに繋がっているという趣向。その一本を引いたものが『次の花嫁』ということらしい。

 白いウェディング姿の小夜が持つブーケから、真っ赤なサテンのリボンが何本も伸びている。
 だけれど、彼女の友達は殆どの女性が既婚者のようでブーケをもらえる資格がある者の人数がそれほどいなかったようだ。だけれど小夜とテッドは笑いながら、白い軍人が集まっている群衆に手を振っている。

「奥様方も男性もどうぞ! 科長室の男の子達、いらっしゃいよ」

 小夜の一声に、隼人の部下である青年達が『面白そう』と駆けだしていく。
 ……というか、小夜の親戚の中にいる独身女性数名のお側に行きたかったようだ。

「杏もおいで」

 今度はテッドからのお誘いに、ちょっと杏奈がぎょっとした顔になっていた。
 おしゃまながらも『まだ嫁など遠い日のお子様』と言うのはしっかり分かっている杏奈。珍しく葉月の手を握って、ちょっと恥ずかしそうにひっついてきた。

「素敵じゃない。杏奈も、小夜さんの幸せをお祝いに行きなさい」
「う、うん!」

 ちょっと興味があったのか、ママの後押しで、杏奈は工学科のパパの部下達とリボンを取りに行った。

 白いウェディングドレスの小夜が持つ白薔薇のブーケから何本も伸びている赤いリボン。参加者達が各々にリボンを手に取ると、小夜を中心に綺麗なリボンの花が咲いたよう。一番最後に残ったリボンを、小さな娘が他の大人達に遠慮してか最後に取った。

「では行きましょうか。妻の小夜と繋がっているのは誰でしょうか」

 テッドのかけ声で、皆が『せーの!』と自分が持っているリボンを引っ張る。小夜の手から何本かのリボンが離れていく。ブーケに繋がっていなかったリボンは、『はずれ』を引いた者同士と繋がっていた。参加した小夜の友人と親戚の女の子が繋がったり、工学科の独身青年と独身の女性が繋がったり。それはそれで驚きながらも歓喜の声がわっと湧いた。
 それを葉月と隼人も笑いながら見ていたのだが……。

「うそ!」

 そこで娘の驚く声が響いた。
 それを見て、パパとママもハッとする。

 小夜がにっこりと娘を見て微笑んでいる。

「あら。私のブーケの願いは、どうやら杏に行きたかったみたいね」

 麗しい花嫁姿の小夜と水色の娘が、ブーケを結ぶ赤いリボンで繋がっていた。
 もちろん、娘はそれを期待していただろうに、『大当たり』だったことにとても驚いた顔で小夜を茫然と見ていた。
 小さなおちびちゃんがオイシイところを獲得しても、そこはご愛敬。周りにいる参加者達も微笑ましく『おめでとう』と杏奈を祝福してくれていた。

 いつもはおしゃまなのに、娘は真っ赤になって戸惑っている。

「ああいうところ、まだ子供だよな」
「まだどこもかしこも子供でしょ」

 隼人はそれでもそんな娘を見てとても嬉しそうな顔。
 早速、デジタルカメラを構え、やっと嬉しそうに小夜からブーケを譲り受けた杏奈の姿を撮っていた。

「で、嬉しいのに、ちょっと背伸びの澄ました微笑みも、ママにそっくりな。若い時のお前の顔つきにそっくりになっていくな。あれってお前特有じゃなくて、血筋だったんだな」

 そんな娘が、それでもカメラを構えているパパに向かって楚々と手を振っているのをこれまた隼人は目尻を下げて撮影している。

 そうかしら、血筋なのかしら?

 葉月は首を傾げる。
 確かに娘はませているが、自分とは……。

 そんな時、葉月の左肩と胸の真ん中がズキリと痛む気がした。

 夫に出会うまでの自分は。いや、今でも時々……。
 自分の今までの全ては、生き方も表情も言動も。それらを全て操っていたのは『この傷のせい』だというのに。

 人は時々、娘と葉月はそっくりとか同じとか言ってくれ、それは母親としてはとても嬉しいことなのに。
 でも、時々。自分と同じようになるはずはない。娘は自分と違ってずうっと光の中を生きていくはずなのだから、自分のような青春を送るはずもなく、同じような表情になることも、同じような考え方になることも、同じような女の人生を歩むことなど『決してないのだ』と思っている、願っている。

 自分のような人生は自分だけで充分。
 息子達と娘には、そんな人生は歩ませない。
 だから時々『葉月と同じ』と言われると、ふと不安に駆られることがある。

 だから手元に置いておきたかったというのもある。

 でも娘は、幼いながらにも逞しく生きていた。
 それがさながら『これが御園の女だ』といわんばかりに。

 そんな娘の生まれながらのバイタリティの向こうに、葉月は祖母を見ることがある――。

 薔薇のブーケを手に持ってはにかんでいる娘はまだ愛らしい。
 だけれど、どうしたことか不思議と人に囲まれていて、母親の葉月でもどっきりとするほどに大人びた眼差しでしっかりとした受け答えで周りを和ませている。
 今もブーケを獲得した娘の周りに、工学科の青年や小夜の親戚の女性達が集まって、賑やかな輪になっている。いつのまにか娘を中心に、今日、初めて会ったはずの者達が気兼ねない会話を始めていた。
 娘がそんな華やかな雰囲気を造りあげていくことは、ごくごく自然なこと。それを葉月も父親の隼人も何度も目にして、既に知っていた。

 御園の女。

 隼人は時々それを娘に対して口にする。
 御園の女の生き様ってなにかしら? 近頃の葉月は、娘を見て自問する。
 それはきっと幽霊に人生を曲げられてしまった自分とは異なる、本当に血統によって生きていくことなのだろうか。それをこれから同じ御園の血を持つ女として母として見守っていくことになるのだろうか。そして自分は、娘に何を教えることが出来るのだろうかと――。

 

 そんな時にふと、葉月はどうしてか……。
 部下でしかないはずの『鈴木青年』のことを思い浮かべてしまっていた。
 あの青年にも、自分は何を伝えることが出来るだろうかと――。

 そして葉月は夫を見る。
 そしてこの人は、あの若い日に、全てを懸けてそれを葉月に教えてくれたはずなのだと。
 自分にも、出来るだろうか。娘にも部下にも。何が出来るだろうか?

 

 そんな気持ちで娘を見ている葉月を不審に思ったのか、娘に夢中だった隼人の視線がいつの間にかこちらに向いていた。

「そんな顔……するなよ」

 夫の少し寂しそうな顔。
 こんな幸せに包まれた空気の中、妻が一人だけ神妙な顔を見られていた。
 だが夫はなにごともなかったか顔で、またデジタルカメラを娘やはしゃいでいるタキシード姿の息子達へと向けていた。

「幸せすぎるのかな。いいことかもしれないが、俺には分かるよ。お前の、その、変わらぬ戸惑い」

 それだけ言うと、夫は『大丈夫だよ』と葉月の背をそっと撫で、娘に呼ばれてブーケの輪に駆けていってしまった。

「隼人君の言う通りよ」

 そんなしとやかな女性声にも葉月はハッとして隣を見ると、いつのまにか従兄の妻『ジャンヌ』が立っていた。

「姉様……」
「ちょっと貴女の思い詰めた顔が気になって近寄ってみたら……なんてことないわね。私よりしっかりしたカウンセラーが常に貴女の傍にいるんだもの」

 でも義理の従姉になったジャンヌもちょっと憂うように眼差しを伏せ、葉月の肩に寄り添ってきた。

「分かるわ。私も、そうだったし。今もそうだから……」

 最近になるが。葉月はついにジャンヌの過去を知ることが出来ていた。
 義姉のジャンヌは心に罪を抱きながら生きている。人を不幸にした人間だから幸せになってはいけないのだと、少し自分を許すことが出来るようになってもずっと責め続けて生きていく女だと――。従兄の右京が言っていた。だけれど、それを丸ごと右京は抱きしめて、今はそれでも二人は幸せそうだ。

「貴女も感じているの? 私も僭越ながら貴女の大事な娘を預かって、怖くなることがあるわ」
「ジャンヌ姉様……。でも私、行くわ。だから姉様も」
「そうね。行くわ。貴女達が一緒だから」

 そっと二人は手と手を結び合う。

「ほら見て」

 ジャンヌに言われ、葉月は益々賑やかになっていく花婿と花嫁を取り囲む華やかな輪を眺める。
 そこには大人達と一緒になって気取っているつもりの、でもパパ達と無邪気にはしゃいでいるタキシードの息子達とブーケを大事に抱えている水色の娘。

 ただ、それを見ているだけで、葉月は笑顔になってしまう。
 そしてジャンヌと顔を見合わせて、微笑み合う。義姉もとても幸せそうに目元を和ませ、女医の時の顔ではなくなっていた。

「それだけで良いと思わないか」

 今度はそんな男性の声。寄り添っていた女二人の肩を包み込む大きな胸がすぐ後ろに。
 そこにはこれまた相変わらず、どの男性よりも引き立つフォーマルを決めている輝く栗毛の従兄、右京が微笑んでいた。

「そうね。右京兄様。私達、それだけ……が、ずっとなかったのですものね」
「そう。今はここにある。それにな、お前はちゃんと母親だよ。お前がやってきたままを杏奈に見せてやれば良いんだ。お前は、誰よりも知っていることがある。それを子供達に――」

 右京の言葉に、ジャンヌもそっと頷いている。

「そう。そして……」

 今度は葉月の隣にまたずっしりと重い声。
 見上げると今度はそこにタキシード姿の純一が立っていた。

「そして杏奈はちゃんとお前を見て。見ろ、あそこまで成長したじゃないか」

 義兄の言葉にも葉月は救われるように微笑むのだが……。

「いいえ。私一人では……。私が母親でいられるのは家族があるからなのだわ」

 ジャンヌの手を握り、そして葉月は右京と純一にそれぞれ微笑んだ。
 最後にジャンヌが賑わいに目を細めながら呟く。

「本当はね。杏奈は今でも時々、小笠原の自宅を恋しがって夜に泣くことがあるのよ」

 それは初めて聞いたことではないので、葉月は驚きはしない。だけれど、聞く度に胸が痛む。それならば、すぐにでも帰ってくればよいのにと……。すぐにだって迎えに行くのにと。
 だけれど。葉月はもう気がついていた。娘の気持ちを。それをジャンヌが言ってくれる。

「でも、杏奈は――『ママのような強くて優しい女の人になりたい』と言うのよ。あの子、ちゃんと貴女の素敵なところを見て、育っているわ。離れていても大丈夫。貴女は伝えている」

 姉と兄達に包まれて、またいつの間にか昔の闇に引き込まれそうになった葉月は笑顔で蘇る。

 まだ傷が時々痛みを訴えても。
 息子や娘にそれを知られる日が来ても。
 でも葉月は母親として生きていけると力を分けてもらって。

 気がつくと、義姉と義兄と一緒にいる葉月の頭の上にも花びらが降ってきた。

 誰もがいつのまにか全ての参列者を祝福するように、あちこちに花びらを振りまいていた。
 その後輩達のウェディングの祝福のお裾分けに、葉月もいつのまにか包まれていた。

 青空に潮の匂いがする教会で、花びらがひらひら……。
 いつかのように。

 

 

 

Update/2008.9.5
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