* ラブリーラッシュ♪ * 

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19.ラブ×チェイス

 

『結婚してくれ』

 その一言で、基地で一、二番のレベルと言われるほどに誉れている『中将秘書室』のシビアに固まっていた空気も崩壊した。

 急に周りからわっとした熱気がマリアを抱きしめるマイクに襲ってきた。

「うっわ! や、やったね、マイク!!」
「つ、ついに……! 中佐、おめでとう!!」

 マイクのデスク目の前にいるジョイとロビンが興奮した様子で席を立ち上がり、他の秘書官達は手元にあった書類をジョイと一緒になって、わあっと宙に投げ散らかしていた。つまり祝福の? 紙吹雪? それがマリアをひたすら抱きしめるマイクの周りにひらひらと飛び散ってきた。

 秘書室の誰もが、マイクが突然に発した『プロポーズ』を後押しするかのように賑やかに沸いてしまったのだ。
 そんな中、呆然としているままのマリアを見てマイクも少しばかり我に返る。そりゃそうだ。緊張した面もちで仕事の報告に来たはずなのに、急にプロポーズをされるだなんて、マリアでなくても誰でも予想できなかっただろう。
 勿論、マイクだって……。自分でも『こんなはずではなかった』。もっと後に、マリアが出張から帰ってきた『クリスマス』には、きちんとプロポーズをして自分の心を明確にしようと決意していたのだ。それまでは……。『感謝祭の誘い』は断られてしまったが、彼女が逃げたいままに好きなようにさせれば良いと心に余裕をもっていたはずなのに。

 仕事をやり遂げ、清々しいままに輝く金色の彼女を目にしたら、もう、クリスマスまで待つ事なんて出来なかったのだ。
 自分でも驚いている。本当に、『思うままにならない恋』に流されるまま、本当に心のままに動いたらこうなってしまっていたのだ。

 だが、彼女は部下達が騒いで散らかしている書類紙が降り注いできても、呆然とした顔のまま。
 まさに『頭が真っ白』と言ったところのようだ。そんな彼女に、マイクはもう一度『本気』であることを訴えるかのように伝える。

「マリア、嘘じゃない。からかってもいない。もう、この気持ちを誤魔化したり、先延ばしにする事なんて出来そうにないんだ」

 その言葉にも、また彼の部下達が熱狂的に興奮して大騒ぎ。

「返事は……」

 そこまで言って、マイクは言葉を飲み込んだ。
 これもマリアにとってはきっと『急速過ぎる出来事』に違いない。
 答を急いではいけない。でも、プロポーズしたからにはやはり返事は欲しい。でも、今は駄目だ──。それを彼女に言って、先ずは安心をさせなければと、再度、口を開きかけた時……。

 案の定? マリアが泣きそうな顔でマイクを睨んでいた。
 そらきた。マイクもすぐに察した。が、本当に察した時にはいつだって判断遅し。『予想外の彼女』がいつだって先手を見舞ってくれる。瞬速発進のマリアの腕がひゅうっとうなる。先手を取られたマイクは、ばっちんと平手打ちを喰らわされていた!!

「馬鹿っっっ!!!」

 抱きしめていたマリアに、マイクははね除けられる。どん、と力一杯に突き飛ばされ……。その途端に、騒いでいた部下も一斉に沸いていた熱気を鎮火させてしまった。

 今度はマイクが呆然。
 いつだってそうだ。予想しているのに、察しているはずなのに、ほんの少しだけいつだって彼女の方が瞬速で反撃を開始しているのだ。
 今回のこの平手打ちもそれ! 徐々に熱くなってくる頬を押さえ、マイクがマリアを確かめようとした時にも、もう、彼女は背を向けて走り出そうとしているところ──! マイクは慌てて、マリアの腕をひっ掴んだ。

「待ってくれ、マリア!」
「は、離して!! どうして貴方はいつもそうなのよ!!」

 私の気持ちなんてちっとも考えてくれなくて、いつも私が思っている事と正反対のことをする!

 彼女はそうは叫んでいないが、マイクにはマリアのそんな心の叫びが聞こえてきた。
 マリアにとってあまりにも急速だった事は認める。だが、もう、こんなのろのろとした距離取りは自分にとってもマリアにとってもあまり良くないと思ってのマイクの急激な決意だった──それを今説明したいが、瞬速発進のマリアにはそんな間は通用しない。マイクが掴んでいる腕を振り払おうと必死だった。

 気が付けば、ジョイやロビンを初めとする秘書官達のハラハラとした顔、顔、顔。
 張りつめた空気で一日のスタートを切るはずのシビアな職場で、ここの室長である男と同居人の彼女が揉み合う姿をただおろおろとした様子で見守っているだけ。
 それでもマイクは、自分の室長としての体面などお構いなしに同居人の彼女が逃げないように必死に繋ぎ止めようとしたのだが……。

「貴方ってほんっとうに馬鹿!! 女心、絶対にわかっていない!!」

 あ、それ。今一番俺には弱い言葉だ! と、マイクはもの凄い一撃をまた女性から喰らってしまい思わず腕の力を緩めてしまった。
 その隙に敵の腕を払いのける事に成功したマリアが、マイクから離れていく。
 その彼女が、ものすごく怒った顔でマイクを睨んで言った。

「馬鹿、馬鹿! プロポーズってここでこんな時にするもの!? もっとムードってもんがあるでしょっ! た、達也だってもっと素敵にしてくれたわよっ!」

 ──『馬鹿!!』

 マリアはそれだけひたすら叫ぶと、今度こそマイクに背を向け、瞬く間に秘書室を飛びだして行ってしまった。

 逃げたマリア旋風に舞う白い紙が、ひらりと一枚、二枚……。
 まるで、一陣の風が吹き抜けていったかのように……。マイクも部下も呆然と、瞬速発進のマリアが飛び出していった方向に首の向きを揃え、シンと静まりかえってしまっていた。

 体面意識も大崩壊に、突発的に勝負に出た男がぽつんと取り残される。
 そしてあまりにも早い展開で繰り広げられた押し問答に圧倒され、さらにはマイクと共にヒロインに置き去りにされてしまい行き場を失ったかのような部下達の、目が点になっているどうしようもない顔。

 さて、部下達の手前どうしようかと……。マイクはバツが悪い思いで黒髪をかき上げ、その瞬間にいつもの中佐に戻らねばと心を切り替えようとした。

「ジョイ。今の……ブラウン大尉の、素晴らしい報告書と計画書を、中将に見せてやってくれ」

 なんとか声にして、マイクはジョイに促したのだが。
 今度は彼が怒った顔をマイクに向けている。真一文字に固く結ばれた口元が、今にも怒鳴りそうな気持ちを溜め込んでいることを窺わせた。そしてジョイも、それをマイクに向かって吐き出す。

「なにしているんだよ。マリアが逃げること、わかって言ったんだろ! 早く行けよ!」

 そしてジョイだけじゃなかった。

「そうですよ、中佐。ここまで中佐が勝負に出ているのに、逃げ帰るだなんて俺、絶対に嫌ですからね!」

 マリアと徐々に深めていく恋仲をいつも黙って見守ってくれていたロビンも、いつにない不満顔。

「行ってくださいよ、中佐! 彼女、本当は嬉しかったに決まっているんですから!」

 ボスのマイクよりかは、同世代のマリアとは楽しそうに付き合っているイアンも……。
 秘書官達が皆、マイクに行けと後押しをする真顔を揃えていた。

「悪い。すぐ……戻って……」

 と言って、マイクは部下達の顔を見た。
 彼等の、そんな答は求めていないと言う怒り顔。

「捕まえるまで、戻ってこないから。後の事は頼んだぞ」

 いつもそうであるように。自分が秘書室を留守にする時に言う言葉をマイクは呟いていた。
 彼等が笑顔になる。特にジョイは『まかせて!』といつもの頼もしいグッドサインを突きつけてマイクを送り出してくれた。

 直ぐさま、走り出す!
 いつも何よりも優先にしていたデスクを、秘書室を、ボスがいる将軍室を後にして──。
 マイクはドアを開けて、マリアが逃げただろう方向へと猛ダッシュ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 ──どうしてだろう。

 父親であるブラウン中将の秘書室から飛び出してきたマリアは、高官棟を抜けるまでひたすら走った。

 あんなに熱烈に自分を見てくれる彼は初めてじゃないけれど、こんなのあまりにも不意打ちすぎる!
 やっと仕事が終わって、ほっとして……。誰よりも認めて欲しい尊敬する上官であるジャッジ中佐に、初めて褒められて……。もの凄い達成感にマリアは満ち足りていた。

 そうしたら、あんな不意打ちの『プロポーズ』?
 プロポーズだなんてわからなかったわよ!! と、叫びたいぐらいにあまりにも唐突すぎる彼からの突撃に、マリアは困惑するしかない。

 しかも、マリアが今はとにかく避けたいと思っていた『結婚』。
 両親に紹介したいという彼からの誘いを、遠回しな嘘まで使って必死になって断ったというのに。
 一度は彼も諦めてくれたと思ったら、今度は、田舎に連れて帰るどころか『結婚してくれ』と、びっくりするほどストレートに突撃してきて、流石のマリアも『ひぃいー!』と逃げたくなる……いや、逃げてきてしまったじゃないか!!

 でも。あの秘書室が命の男が……。
 部下にはシビアな姿を決して崩さない仕事一筋の、あの男が。
 一番大事な自分の城で、部下達の目の前で、なりふりかまわずに……マリアが欲しいと求愛してくれた。

 こんなこと、この基地にいる誰が聞いても『あのジャッジ中佐が? 嘘だ』と口を揃えるに決まっている。
 なのにそれは嘘じゃなくて、現実。そんな夢のような熱烈な求愛をマリアは間違いなく、受けたのだ。

 なのに、どうしてだろう?
 マリアの気持ちはどんどん冷たくなっていくような、この感触。
 秘書室の彼等のように、嬉しそうに飛び上がれないのは、何故?
 今すぐにこの気持ちに説明がつけられないような突発的な状況に置かれているマリアには、自分でもどうすれば良いか分からない状態に陥っていた。

 なのに今、マリアの目の前にちらついているのは、彼の熱く自分を欲してくれている眼差し。
 毎日、ざあっと激しく降ってくるスコールのように。彼の一直線の熱愛がマリアに絶え間なく降り注がれていたあの短くも濃厚に思えた時間。
 マリアがいつも愛してやまない、魅惑的な夜空のような青い瞳。それが今にも泣き出しそうに切なく揺れていた。それだけ周りが見えなくなるほどにマリアへの愛に染まっているから。それが凄く通じてきた。だからマリアだって徐々に胸は熱くなるのだけれど……、とてつもなく嬉しいはずなんだけれど……。

 でも、逃げてしまった。
 また、逃げてしまった。

「だから、言っているじゃない……」

 走っていたマリアはそこで立ち止まる。
 そして、その先を一人でそっと呟いた。

「だから『結婚はまだしたくない』って……」

 どうしても彼の気持ちに応えられない自分がいる。
 彼を愛している。彼とずっと一緒にいたい。彼を誰にも渡したくない。私だけを愛して欲しい。
 でも、それは恋愛の状態でも済む事じゃないの? 結婚しなくちゃ駄目なの?
 それをマイクにちゃんと伝えようと思っていた矢先の、唐突なプロポーズ。

 でもマリアは初めて気が付いた。

「私、彼を……追い込んでいたの? あの彼が、完璧なトップ秘書官の彼が、あんなことをしてしまうなんて……」

 絶対に、彼の今までの経歴の中でなかったこと。
 そして、あってはいけないことをマリアはさせてしまったのだと血の気が引く思い……。

 でも、秘書室の皆は……まるで祝福するように騒いでくれた。
 彼等はマイクを応援していたんだと……。でもマリアはそんな秘書官達の期待にも応えられない今の心境を思い、項垂れた。

 仕事。そう仕事、しなくちゃ。
 でも、マリアはがっくりとしてしまう。
 あんなに仕事での達成感に満ちていたのに、それを急速に、一番触れたくない問題を突きつけられて崖から落とされたかのような気分にさせられたような……。それだけ今は恋愛よりも仕事に燃えていた。小笠原に行く予定も立って、その出張に行くことばかり考えていた。その先に、マイクに誘われた感謝祭も、彼と過ごすクリスマスも、そんなことは一切想像する事はなかった……。それだけ、今のマリアは彼が与えてくれた仕事に燃えていたというのに……。
 今はそんな状態だ。では、彼のあの熱烈な求愛にはどう返答すればよいのか。

 どうしよう。もう、あの状態の彼では、一緒に住んでいる自宅では見逃してくれないだろう。
 逃げ場がなくなったような気分にさえなってしまった。

 嬉しいのに。気持ちが沈んでいく。
 どうしようもないものが入り交じった複雑な、重い心境。

 取り敢えず、自分の職場に戻ろうとマリアが理系部署が集う棟へと足を向けた途端だった。

「マリー!!」

 力強い叫び声が後ろから聞こえてきてマリアは振り返る。
 息を切らして階段を降りたばかりのマイクがそこにいてぎょっとした。
 もしかして、もしかして?? 今度はあの秘書室を捨ててきたってこと!?
 それに気が付いたのだが、そう思った時にはもう、マイクがこちらに凄い勢いで走って向かってきていた。
 さらにマリアは驚き、『ひゃあっ』とばかりに飛び上がって自分も走り出す!

「マリー! 待ってくれ!」
「いや!! 帰ってよ! なにしているのよ、今、仕事中よ!」

 そうでしょ? ジャッジ中佐!
 いつだって職務中は、余計な事を考えるな、私情を挟むな、冷静に対処しろ──だったでしょ! 
 それがなになに? 貴方がシビアに信条にしていたこと、すべてかなぐり捨てて、こんな応える事も出来ない女を勤務中に必死に走って追いかけて来るだなんて。こんなことやっちゃ駄目よーー!!

 しかしマリアの心の叫びは届かない。
 マリアが走ってまで逃げているというのに、あの男も走ってでも追いかけてきている!
 時折、すれ違う隊員達もとても驚いた顔を見せる。秘書室の彼等が驚いたような顔を、他の隊員達も同じように揃えて……。しかもマリアが走って逃げているのを見て驚くのではなくて、マリアが誰に追いかけられているのか、その向こうに誰が走っているのかを知って驚いた顔。

(いやーんっ! やめて、やめて! こんなジャッジ中佐を見られちゃいけないわ!!)

 何故か、それを思ってマリアの方がかあっと頬が火照るほどに恥ずかしく思ってしまう。そんなジャッジ中佐にさせているのが自分かと思うと、さらに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 でも、だからって今は捕まりたくない!!

 しかしどんなに走っても、肩越しに振り返れば、あの仕事命魂の男が全速力で追っかけてきている。しかもだんだん追いつかれている。
 ヒールの靴を履いているマリアにはとてもじゃないけれど、あの鍛えている男に体力で出し抜く事は先ず無理だと思った。
 理系部署がある棟に入ってなりふり構わずに逃げたマリアは、ふと目に付いた研究室に飛び込んでしまう。

 取り敢えず逃げ込んだ部屋。そこには、いろいろな装置があり、ビーカーやフラスコが並べられた机が見えた。そしてそこに白衣を着た人が数名いる。
 そのうちの一人にマリアは飛びつくようにすがりついた。

「す、すみません! 暫くの間、ここにいさせてください!!」

 しかしマリアは飛びついた白衣の人の顔を見て、息が止まってしまう。
 マリアが助けを求めたのは、なんと栗毛の眼鏡をかけた女性、知っている女性だった。彼女もとても驚いた顔……。

「ど、どういうことなの?」
「テ、テイラー……博士!?」

 またまたマリアは飛び退いてしまう。
 さらには彼女の周りにいる白衣の青年達も、唖然とした顔を揃えていた。

 マリアの突撃に巻き込まれてしまった『テイラー研究室』。
 さらにはそこにまたもや突撃してきた男がドアを開けた。

「マリー!」

 仕事一徹だった別れた男が、突如勤務中に女を追いかける形で現れたせいか、イザベルもぎょっとした顔になる。
 彼女はドアに入ってきた元恋人の男を見て、そして自分の背に隠れたマリアを交互に見て……暫くすると、変に疲れた溜息をこぼして言った。

「サミー。あの男を追い出して頂戴。私、女性の味方なの。彼女の言うとおりにしてあげて」

 今度はマイクとマリアが揃ってぎょっとする。
 この基地で実力派で影の実権を握っていると噂されるようになった『やり手男』に対して、『あの男を追い出せ』という女博士。

「了解、博士」

 さらにはその女博士の言うままに、権力を持つ基地一番の将軍秘書官に怯むことなく向かっていく青年。

「ジャッジ中佐。ここの室長はテイラー博士です。なにかご用でしたら、きちんと筋を通してからご入室願います」

 マリアは『うわっ』と顔を伏せたくなった。
 こんなの、エリートと讃えられてきたジャッジ中佐には『屈辱的』な追い出され方に違いない!
 もう自分がどうしようもなく彼を追い込んでいる事が、そして引くに引けなくなる追いかけっこをしていることに、マリアは情けなさでいっぱいになる。そしてなによりも……取り返しのつかない事をマイクにさせてしまっているという気持ちに苛む……。

「わ、わかったよ。も、申し訳なかった。テイラー博士、失礼致しました……」

 そしてマイクも……。青年にたしなめられ、別れた恋人に邪険に追い返され、そして追いかけている女には突き放され……。がっくりと肩を落としながらドアを閉め、姿を消してしまった。

 マリアの目に、涙が浮かんできた。
 あのジャッジ中佐にここまでさせてしまっただなんて……。
 そんなマリアを、イザベルが冷めた目で見ていた。

「さあ、今度は貴女よ。あのジャッジ中佐をあそこまで追い込んだのはどうしてなの。聞かせてもらおうかしら」

 眼鏡をかけている目はとても怖かった。流石、元彼女というべきか。あの男があんなになりふりかまわず勤務中に崩れる事などないはず、余程の事だといわんばかりに……。
 以前、パーティで会った時に見せていた静かで穏和そうな彼女の顔ではなかった。登貴子の後継者としてこの科学班の室長へと出世した若き責任者としての威厳に満ちあふれている女性が毅然とした姿でそこにいた。マリアなど到底敵わない、気迫が注がれる。
 マリアはおののいたまま、言葉が、きちんと言わねばならぬことが口から出てこなかった。これではまるで、我が儘を通そうとしている聞き分けのない少女と同じだった。まあ、まさしく今その状態でマイクから逃げてきた訳だが、この大人の女性に向かうと、如何に自分が子供っぽいままであるか思い知らされるような気持ちにさせられた。

 そんなイザベルは、言葉が出ないまま怖じ気づいているマリアにも容赦なく向かってきた。

「貴女、中途半端ね」

 眼鏡の奥の淡い水色の目が、マリアを蔑むように細く歪んだ。
 そしてそのストレートに飛んできた言葉に、マリアは硬直した。
 周りにいる青年達は、これまたマイクの秘書室と同じように、室長である彼女に同調するかのような冷めた目つきをマリアに向けている。

「だいたい察しはつくわ。あの人が今、一番、何が欲しいか私は知っていますからね」

 え、と……マリアはイザベルを見た。
 それはマイクが、貴女に? 『今はマリアが一番欲しい』と言ってくれていたってこと? と……。
 さらにイザベルは厳しい目になり、マリアに吠えてきた。

「貴女、あの人がいらないなら、私に返して頂戴!」

 ドクリとマリアの心臓が大きく動き、その後はかっちりと固まってしまったような感覚に陥る……。
 やっぱり、この人はマイクを諦めていないんだと!

「言っておくけれど。一度別れた私ですから、今度、あの人を捕まえたら絶対に離さないぐらいの覚悟はあるわよ。わかるわね。私のその気持ち」

 一度手放してしまった最愛の男。
 死ぬまで愛すると彼に告げて、去っていった女性。
 その女性がまた彼の傍に戻ってきて、本気を出す。
 マイクの中でも最愛の、長年熱烈に愛してきた女性。その女性がマリアとマイクの中途半端に留めている曖昧な恋仲の隙間に入って本気を出したらどうなるか……。そう思ったら、戦々恐々とさせられた。

「私、今の中途半端な貴女になら勝てると本気で思っているわよ」

 彼女からの宣言に気圧されるばかりのマリアだが、小刻みに首を振って否定する。

「……いやよ。彼がいなくなるなんて嫌! 誰にも渡さないわ!」
「そんなこと関係ないわね。今の貴女達を見る限り、先なんて目に見えているわ」

 そしてイザベルがマリアを指さし言い放った。

「絶対に貴女から、あの人を返してもらいますからね!」

 強烈な宣戦布告だった。
 マリアの胸に太い矢が貫通したかのような衝撃。そして焦りと痛みが心臓に走り巡った。
 そしてマリアもついに、いつものように、かあっと頭に血が上ってきて、目の前の『天敵女』に叫んだ。

「絶対に渡さない! それに中途半端じゃないわよ! ちゃんと愛しているんだから!!」

 それを突きつけられたイザベルは、一瞬は唖然とした顔をしたのだが、どうしたことか次には笑い出していた。

「あら、そうは見えなかったので失礼。だけれど、宣戦布告はしたわよ」

 そして笑っていた彼女の目が、また険しくなる。

「出ていって頂戴。仕事をする大人なら、これがどういうことか分かっているわね。恋仲のトラブルは当人同士だけでやって欲しいものね」

 マリアを見下すように冷たい目で睨まれた。
 だが、今度は言い返せない。イザベルが言っている事は間違っていなかった。
 急激に恥ずかしい思いが湧いてきたマリアは、素直にイザベルに謝る。

「……博士。申し訳ありませんでした。勤務中にお邪魔を致しまして……お騒がせ致しました」
「本当ね。さあ、出ていって。私達も忙しいの」

 イザベルはそれだけ言うと白衣を翻してマリアから離れ、実験台へと行ってしまった。
 そのイザベルの意志を汲むかのように、先ほど彼女に忠実に従った黒髪の『サミー』という青年がマリアに出ていくように促す。

「博士を煩わせないでいただけますか。大変、迷惑です」

 彼からも冷たい目で見下ろされ、マリアはドアの外へと追い出される。
 マリアと同世代ぐらいの青年だろうか。なんだかとても不機嫌で、本当に怒っているようで、荒っぽくドアを閉められてしまった。

 もう、泣きたくて仕方がない。
 マイクがあんな屈辱的な対応をされるわ、追いかけているところを他の隊員に見られるわ……全部、自分のせい。
 そして元恋人の彼女に、あんな強烈な宣戦布告をされてしまうし!

 もの凄く追い込まれたとマリアは思った。
 愛している彼からの思わぬプロポーズ。答はまだ結婚はしたくない。
 でも、結婚ではなく今まで通りの恋愛の状態になんとか落ち着かせようと必死になっているマリアの曖昧な隙に入ってこようと、彼の元最愛の女性が本気で挑むという宣戦布告。

「もう〜っ。今、それどころじゃないのに」

 仕事を褒めてくれた男が、その仕事を駄目にするかのような状況に追い込んでくれるってどういうことなの!?

 マリアの出張は、もう再来週に入ってすぐにだった。
 米国内の企業を三つほど回って、そのまま小笠原入りをして、今回から始めるフロリダ工科の計画を報告する。
 その出張は一ヶ月ほど、帰ってくるのはクリスマスが終わる頃、年の瀬になると思う。

「そ、その間……、突き放したマイクに博士が接近……することだって……」

 『そんなの絶対にダメ!』と、マリアは一人で悶えた。

 ああ、ああ、どうすればいいの!?

 

 

 

Update/2008.2.20
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