・・フランス航空部隊・・

TOP | BACK | NEXT

14.後輩

 隼人が本当にカフェテリアからドーナツを買って中佐室に戻ってきた。
 既に泣きやんでいた葉月は、手元の資料を覗き込んでいる所だった。

「あ、大尉。みっともない所をお見せしてしまって……」

葉月は、申し訳なさそうに微笑む。

「まったく。しょうもない先輩だな。ちっとも変わってないって事かぁ」

 隼人がさも当たり前のように遠野のことを口にしたものだから、葉月はドキリとしてしまう……。
 彼から遠野を感じる事、これを願ってきたというのに、いざとなると硬直してしまった。

 隼人が、茶紙に油が浸みている袋をテーブルに置いてソファーに戻ってくる。

「昔からなんだよ。最後にいっつも俺の所に付き合った女を送りつけるんだ」
「わかるわ、それ」
「だろ?」

なんだかその光景が目に浮かんでしまって、葉月は思わず笑ってしまった。

葉月の機嫌が落ち着いて、隼人もホッとした様子で話を続けてる。

「そうだったんだよなぁ。仕事上でトラブルがあったらいけないから『おまえ慰めろ』っていっつも!」
「ひどいわね。私の所に来たときも、いつも取り巻き連れて食事をしていたわ」
「そうそう。事務課の女の子を誘ってはたぶらかして……。それでもなんでかな? 別れても、別れても“祐介と付き合ってみたい”ってマドモアゼルが絶えないこと。黒髪のエキゾチックな顔がイイとかいってさ! ここらはパイロットとかメンテナンスとか、ちょっと、工学系の男が多いから。先輩みたいなたくましい陸系の男はなんだか、もてたみたいだね」

 そこまで話した隼人が、また“しまった?”と我に返った様に口をつぐんでしまった。
しかし葉月は、懐かしく思えるだけで、もう笑顔でそっと俯くだけ。
 そんな葉月を確かめた隼人は……勢いで先輩をこき下ろすような姿勢は収め、途端に静かな口調で再び話し始めた。

「あのな……先輩って。お気軽なお遊び感覚の女しか相手にしなくて。でも一度だけ、俺でも慰めきれなかった真面目な女の子がいたんだ。先輩は、その子の真剣な思いをわかっていて相手にしなかったんだ。彼女は、先輩に告白をして、振られた。その時、先輩がこう言ったらしい。“君、みたいな女の子には俺みたいな軽い男じゃダメだ。もっといい男がいる”だってさ。そうしたら。彼女は先輩が“大切”にして手を出さなかったんだと気付いてね。きっぱり、諦めつけて、ここの隊員と結婚して今は幸せに暮らしている。先輩は、そういう男で……。何処か憎めなくって。本当に男らしい人だった。そんな先輩が、君のような女性にとうとう手を出したとしたら……」

“手を出したとしたら?”

 葉月は、それは事実なので、ドキリとした。
 “お軽い女の部類”と言われるのだろうか? と。

「お嬢さんは、何処か警戒心が強そうだね。そのお嬢さんを落としたわけだ。先輩、必死だっただろ? 目に浮かぶよ。本気だったんだろうな。今までは別れた女はごまんといたけど、今度は俺が捨てられるかも〜って。案外、自分のこととなると不器用な人だったからね」

『当たっている』と、葉月はやっぱりこの人は遠野の後輩だと強く感じた瞬間──。

 

『葉月。どうして愛していると言ってくれない? 俺のことはなんだと思っているんだ。女房のこと抜きで、素直に言ってみろ? どうなんだ!?』

 

こんなふうに、遠野には度々、詰め寄られたし……。

 

『おまえは独身だからな。いつだって一人モンの男を見つけることが出来るから、妻子持ちの俺なんかスグに捨てるんだ。おまえの方が“遊び”なんだよ』

 

 そんなふうに、ふてくされ口悪を叩いていた亡き人。

 その度に、なんて寂しそうな顔をするんだろう……と、そうして葉月は彼を受け入れてきた。
 そこで、必死な彼に詰め寄られてやっと一言──『愛している。側にいて』──と、口にしていたのだ。

 願っていた通りに……。生前の彼を聞いて、なんだか彼を久々に近くに感じた気がしてきた。
 でも……それは、より悲しいことと、今、気が付いた。
 まるで、生傷に塩をもみ込むような気持ちになる。
 一応、隼人には軽くはない女と見てもらえてホッとはしたが……今度は、さっきみたいに涙が浮かんでこなかった。

 いつも、思う。
 一人の時は泣ける時は泣けるのに。
 時々、感情と意識がばらけていると思うことがある。先程のように。

 それは、遠野が亡くなった時もそうだった。
 最初の知らせを聞いた時は涙が出ず、ひたすら遺体搬送の手続きに追われていた。
 その時、第四中隊の本部員は『あんなに信頼していた上司の死にも揺るがない無感情女』と、ささやいていた。
 しかし、その言葉を止めたのは、葉月が遠野の遺体を確認した時──。

 葉月は、その後の事をあんまり覚えていなかった。
 遠野と一緒に遠征に行っていた父が葬儀に駆けつけてきて、葉月の自宅に泊まりに来たが『おまえという娘は……。可哀相に。昔にあったことを思えば私は何にも言えなかったよ』と呟いていた。
 “茫然失意”の状態に追い込まれて、父の手添えで葬儀場に出掛けたと聞かされた。

 そんな葉月の意識が戻ったのは例の『取り乱し』の時だったのだ。

 葉月は父が言うように、少女の時に受けた傷が未だに癒えていないところがあるのだ。
 それをきっかけに、軍人になったようなもの……。
 父はそうして、葉月の感情下手に頭を痛めているところがある。もちろん母も。
 ごく少数の親しい人間しか知らないこと。もちろん、康夫と雪江は長い付き合いなので知っているのだが。
 今まではただの『感情下手』で済ませてきたことが、遠野の死によって、どの感情とも上手くつきあえない自分が、かなり根深く残っていることを思い知らされたのだ。
 生前の遠野は、その『感情下手』をなんとか治そうと必死だったのも知っていた。
 最初は『どうにもならないのに、しつこい人』と鬱陶しがっていた。
 しかし、彼に心を許すことによって、葉月にも感情表現の幅が生まれた。
 本部員たちは『御園中佐は変わった。柔らかくなった。話しかけやすくなった』と、葉月を変えた遠野の指導振りも評価されていたのだ。
 ただ一人、幼なじみのジョイは──『今頃気付いたのかよ。お嬢は元々そういう子なんだよ〜だ』と、言っていたが。
 だが、遠野の死により、落ち込む女中佐はまた元の『無感情令嬢』に戻ってしまい、再び皆が持て余したりしていた。

『仕事が出来ても、部下にも慕われなくてはなぁ』

 遠野が残した、教えを実行できずにいた。
 彼がいない事がこんなに大きいなんてと噛み締める日々……。

「実は、康夫から聞いた……」

 しんみりしている葉月に、やっと隼人の声が聞こえてきて、我に返った。
 それと同時に『何を聞いたの?』と、ヒンヤリとしてきた。

(まさか。あのこと!?)

 葉月は、ごく少数の人間しか知らないことを、康夫が喋ったのではないかと怖れを抱いた。
 しかし、隼人が話し出したのは違うことだった。

「葬儀の時に取り乱したんだって。あの後、康夫はフランスに戻ってきてもなんだか元気がなかったな。もちろん可愛がってくれた遠野先輩の突然の死もショックだったと思うんだけど。『葉月が心配だ』ってね。俺は君のことを知らないし、いつもじゃじゃ馬なお嬢さんって聞かされていたからその時は、気にも止めなかったし、先輩に簡単に引っかかるのが悪いって思っていたんだ……。でもね、昨日の君が“御園のお嬢さん”と判った後に気が付いた。君は、“令嬢”の肩書きを嫌っていて、令嬢故に警戒心を強くしているだけって。だから、ホントの自分が出しにくくて、先輩も手こずっただろうね。それに──こんなに可愛い側近が毎日側にいたら、あの先輩のこと。気が気じゃないし、毎日どうやってモノにしてやろうかって考えてたのも想像できるよ? 先輩にとっては、最後の本気だったと……。そして君は残されてしまい……」

 そこで隼人が、懐かしそうに伏せていた眼差しを開けた。
 あの、きらっとした瞳で葉月を見据える。葉月もドキリとする程の……眼。

「そして、俺の所に来た」

 ……その通りだ。と、葉月は心で頷く。
 でも、一番見透かされたくないところを見抜かれて葉月は息を止めて固まってしまった。
 葉月が誤魔化すことも出来ずに戸惑っていると、隼人が、小さくクスリとした笑い声をこぼした。

「案外、正直なんだね」

 またまた、葉月は『うっ……』と、硬直。
 昨日から、彼にはなんにも隠すことが出来ないでいる。

「別に、イイよ。慣れているし。それとも“不倫”って事を気にしているの? あいにく。先輩の“不倫歴”は散々目にしてきたんでね。今更、驚きはしないよ。それに……俺、先輩の奥さんってあんまし好きじゃなかったんだ」
「え?」
「あ……いや。不倫がいいって、容認する訳じゃないんだけど……。先輩の奥さんも何度かフランスに逢いには来てはいたんだよね。だけど、いつも、ブランドのスーツで固めていて、バッグもパリで買いたい連れて行ってとかさ? 先輩に会いに来たんじゃなくて、“パリ”が目的なのかって感じだったね。先輩のアパートには泊まらず、この街で一番のホテルとか…! ないがしろ状態にされてるのに、先輩は自分のことは不器用だから……見ているこっちが、もどかしいぐらいだった」
(そう。そうだったわ……)

 葉月も、隼人と同じように思い出す。
 彼を……遠野を何度か妻の所に返そうとした。
 向き合って仲直りできないのなら仕方がない。
 でも、遠野はそれをせずに葉月の所にやってくる。
 逃げているとは、彼を愛していた葉月にも言えなかった……あの時は。

 隼人が言っている先輩の姿と、葉月が知っている遠野の姿は一緒であった。
 この目の前の男性は、葉月と同じ様に、もういない一人の男に接してきて、同じ想い出を抱えている人なのだと実感が出来た。
 でも、葉月が望んでいた気持ちは一つも感じることが出来ない。
 遠野の影を追ってきたのに、彼が生きていたんだと感じたいのに、感じるのはやっぱり『生きていたのにもういないのだ』……だった。
 それが分かると、また深い悲しみが襲ってくるが、目的は果たしてしまったような気になってきた。
 もう。澤村大尉から求める物がなくなったのだ。

「有り難う。大尉に会いに来ただけでも良かったわ。お話を聞いている内に、もう……本当にいないってわかったから」

 葉月は、やるせない笑顔だがもう涙は出てこなかった。
 すると、今度は隼人の方がやるせなさそうな心配顔を浮かべた。

「本当に先輩のこと……」
「あ……もう、いいの。自分でも解っているの。いつまでもこんな風にこだわっていちゃいけないって」

 葉月が浮かべた笑顔を見て、隼人がため息をついた。

「そう。分かった。お嬢さんがどんな気持ちでここまで来たか解ったし。昨日は俺の思い込み。俺だってそんなに厳しかないよ? いいじゃない。気分転換ついでだって。人間、そういう事も大切だよ。ただ。甘えて来てるだろうとくくっていたんでね」

 隼人の寛容な言葉。
 だが葉月は、甘えてきたの部分に『厳しいじゃない……』と、苦笑い。

「その通りだと、私は思っていて、ちょっと気兼ねはしているんだけど」

 すると、隼人が『チッチ…!』と舌打ちをしながら、蛍光ペンを目の前で振った。

「先輩が残した最後の押しつけだ。全うしないと化けて出てこられても困るしね」

 隼人のニヤリとした嫌味っぽい笑みに、葉月は呆れてしまった。
 死んでしまった先輩に、しんみりのひとつもなく、茶化すなんて……。
 でも、遠野は死んでしまったかも知れないが、隼人がそうして言うから『誰かの心の中で生き続けているのだ』と、初めてそんな悟りが生まれたように感じた。

 彼の……まだ遠野が生きているかのような言い方。
 そう、心の中で彼はあちこちに生きている。
 目の前の彼の心にも、私の……心の中にも。
 そう思えた葉月はそっと笑みを浮かべていた。

「まあ。大尉ったら。大佐が怒るわ」

 葉月は、遠野が亡くなってから彼の名を笑顔で口に出来ていた。

「怒らせるぐらいしてやらないとね。まったく。将軍のお嬢さんにまで手を出して。懲りない先輩だ。今頃、天国でジタバタしているさ。ザマーミロだ」
「ヤダ。大尉ったら。ほんとに化けて出てくるわ」

 葉月は本当に可笑しくなっていつの間にか笑い出していた。
 そんな、嬢様に隼人もホッと一安心したような顔。

「なんだ。笑えるじゃん」

 そういわれて、葉月もハッとしていつもの無表情じゃない自分にビックリ。
 笑い声を止めてしまった……。

「ま、今回は、しがないツアーコンダクターの所に来た。そんなつもりでイイよ。仕事は、いつも通り、じゃじゃ馬で結構。また、美味しいお店に連れていってあげるよ。先輩を本気にさせたお嬢さんだ。俺も心してかからないとね」

 隼人がサラリとそんなことを言って、今度は照れるわけでもなく、穏やかな表情で葉月に笑いかけてくれた。
 葉月は、また潜在意識を揺さぶられるようにときめいてしまった自分に密かにおののき……。

 でも──と、葉月は思う。

『来て良かった。やっぱり、大佐が想い出に残していた後輩ね』

 葉月は少しだけ前に進めそうな自分を感じることが出来て、心が晴れやかになってきた。

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2006 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.