潮の香がたちこめる、南フランスの小さな民間空港。
初夏の湿気を含んだ風が、彼女の長い栗毛の髪をふわっとなびかせる。
ベージュグレーに黒カフスの詰め襟軍服を着込んだその若い女性は、小さなセスナ機を降り立ち、空港のコンコースを行き交う人々の中をきょろきょろと見渡した。
「ボンジュール。ミゾノ中佐」
ふと、目の前に現れた青年を目に止めても、彼女はにこりとも微笑まない。
「ボンジュール。あなたがお迎え?」
見たところ自分と同じ年頃だと見定めて、自分より低い階級の肩章を付けた金髪の青年を見上げる。
「ウィ……さぁ、どうぞ。長旅でお疲れでしょう? フジナミが首を長くしてお待ちですよ」
青年がにっこりと笑みを浮かべ彼女が引きずっているスーツケースを手に取ろうとしたが、彼女が静かに手で制してしまった。
だったら、肩に掛けているボストンバッグをと、行動を変えたが……。
「お構いなく。コレでも鍛えているから」
色ない声で返されてしまい、青年は繕い笑いで戸惑うばかり。
「さぁ。いきましょう」
彼女の方がさっさと前を進み出して、青年は、ただただ着いて行くだけになってしまった。
基地から乗り付けてきたジープにも、彼女は手際よく荷物を積んでしまい……その上、素早く後部座席に乗り込んでしまう。
フロントミラーに映る、噂の若い女中佐。
(噂通り……愛想がない)
青年はため息をついて、ジープのエンジンをかけて発進させた。
空港から海岸線をずっと走り続けていると、小さな街に出た。マルセイユの漁村だ。
ちょっと陽気な雰囲気を醸し出す情景に、じっとしていた彼女がやっと窓へと身を乗り出した。
「小笠原に似ているわね」
日本語だったので、青年には何をいっているのか解らなかった。
そんな感じだから、会話もない。重い空気だけを青年は感じるばかり。
外の晴れやかで異国情緒あるさわやかな風景とは、正反対の空気が車内に漂った。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・
そんな彼女はと言うと、いまは、“愛想”など浮かべる余裕はないのだ。
とにかく小笠原で働いていると、もう……どうにかなりそうなぐらい重い日々を過ごしてきた。
彼女は窓辺に流れて行く日本とは違う濃い色彩……コバルトブルーと白のコントラストの風景をうつろに眺める。
彼女の名は『葉月』。
その名の如く、彼女は八月生れだ。
そして、『名字』はと言うと……。
彼女は、『国際連合軍』という組織の中でも有名な軍人一家の“末娘”。
それも海軍の戦闘機パイロットだ。
世界各国に国際提携を組んだこの軍の基地が点在としている中でも、『御園』(みぞの)と、言えば誰もが知っている。
特に葉月の父親は、この軍の本拠地であるアメリカ・フロリダ本部基地に所属する“中将”──将軍だ。
母親は、軍内の科学班に所属する女博士で“ミセス=ドクター”と言われて皆に慕われている。
両親は、そうして今はアメリカ在住。
そして、叔父は日本のエリート校・神奈川訓練校の校長を務めていて、准将。
いとこや甥なども皆、何かしらの形でこの軍に関わっている。
その上、いまは亡き祖父母はと言うと……。
祖父は亡くなるまでは、父と同じくフロリダの中将だった。
祖母は、なんとスペインの名家の生まれで、元は由緒ある貴族の家柄の女性。
そんな祖母の血筋から、葉月は“クウォーター”になる。父と、叔父は“ハーフ”になるのだ。
名前こそ陰暦の呼称で古風なれど、顔立ちはやはり欧州寄りの血筋を醸し出している。日本人とは少し違うツンとした鼻筋、栗色の髪、ガラス玉の様な薄い茶色の瞳なのはそのせいだ。
だが『一族』がそうして軍隊に携わっている為に、彼女の顔は知らなくとも世界中の基地で“御園葉月”と聞けば、皆、隊員達はその名だけは、よく知っている。
それも──『軍内の御令嬢』──と、ささやいて……。
葉月にとっては、そんな肩書きはうっとうしいだけ。
誰も自分のことは“軍人”としてと言うよりも、家族が作り上げてきた経歴に畏怖しているだけ──『中佐』としてでなく『御令嬢』として。
そんなこと誰よりも判っていた。だから彼女の口癖は『親の七光り』であったりする。
そして、これから逢う“ある隊員”も恐らくそう思っているだろうと、葉月は、外の素晴らしい異国の風景にも救われずにため息をこぼした。
そうして、何故こんな気持ちのままでフランスまでやってきたか……。
葉月は、ふとここまで来る“ハメ”になった数ヶ月前を思い返して紺碧の海原をじっと見つめてみた。