49.風
週末を待たずして、葉月がジャルジェに出した提案の答えは
翌日、即答OKで返事が返ってきた。
勿論葉月は大喜びだ。
「大尉。悪いけど…レジュメをフランス語になおして人数分の冊子にしてくれる?」
葉月が日本語で書いたレジュメを隼人に申し訳なさそうに差し出してきた。
ハッキリ言って『雑用』だが、それは下の者がやるべき事なので快く受け取って置いた…が、
葉月はどちらかというとこんな雑用も一人でやる方なので隼人は珍しいなと首をかしげた。
言われた通りに早速、葉月が日本語で書いた物をノートパソコンを広げて
『清書』しようと取りかかると…
なにやら葉月が彼女の席である応接テーブルで白い紙を
ジョキジョキと何枚も切り刻み始めたのだ。
「なにやってるの?」
隼人とも思わず首を伸ばして葉月の背中を伺った。
「私をすぐに前科者扱いする人には内緒♪」
(また。何かやる気か!?)
隼人は呆れてもう首を突っ込む気にもなれなかったし…
ジャンにあんな事を言われてからさらに『もの想い』が深くなって頭を悩ませていた。
だからそんな余裕は先日ほど勢いはなかった。
そして…『御勝手に』とばかりに彼女を放って『清書作業』を進める。
しかし…やっぱり『じゃじゃ馬流』が気になって時々葉月の方に目がいってしまう。
「フランスらしく『赤』と『青』にしよう♪」
今度は真四角にきった紙の上に『トリコロールカラー』などと一人でつぶやいて
赤いマジックで丸を書いて塗りつぶし、青いマジックでも同じ事をして
あわせて五十枚はあるんじゃないかと言うぐらい『工作』をウキウキしているのだ。
「どっちをどっちにしようかしら?」
葉月が赤い丸と青い丸の紙を一枚ずつ手にとって『うーん』と唸っていた。
「じゃ。日の丸で『赤』にしようっと♪」
(なにやっているんだ?まったく)
『清書』を頼んでおいて何を一人でぶつくさ妙なことをしているんだと
隼人は本当に呆れて相手にする気も失せてしまった。
「今日はミーティングね?」
葉月が今度はその紙を四つ折りにして隼人につぶやいた。
そっちの方が本当に下の者にやらせるべき『雑用』と再び呆れて
中佐らしくない訳の分からない事をしている葉月に『そうだね』と淡白に返した。
本日。葉月と隼人の『研修組』と康夫とジャンのキャプテン両名『現場組』4人で
初めて『デビュー実施』の打ち合わせをすることになっていた。
そのミーティングでハッキリお互いのことを認知して意見が固まってから
研修生達に詳しい『スケジュール』を報告することになっていた。
ミーティング後の授業で知らせる予定だ。
隼人は…生徒達がビックリするだろうなぁとそれもまた頭が痛い原因の一つだった。
だが、葉月はそんな隼人の気も知らないで
本当に幼稚園の工作でもするが如くウキウキとしていた。
おまけに…金髪補佐の彼を呼びつけて何か頼んだり…。
(なんで俺には言わないんだよ)
隼人は今度はなんにも教えてくれないことに腹を立てたり。
おしえてくれたらくれたで…『なんて事を!冗談じゃない!』とか『それもやってみても面白いかも』とか
そんな葛藤に挟まれて疲れるから『ほっといてくれ。俺には無理!』と言う心境になるのに。
今度はなにも教えてくれない葉月に腹を立てるなんてどうかしている…と、
ここ数日のコントロール不能すれすれに情緒不安定な自分にまた頭を抱えた。
「失礼いたします」
康夫達の訓練が終わって一頃した午後。
ジャンが班室からミーティングの為に中佐室にやってきた。
「ジャルジェ少佐。メルシー。私のとんでもない提案受けてくれて」
ジャンが入ってくるなり、葉月は早速、優雅な微笑みでお礼の握手を求めた。
「いいえ。お若い中佐だからこそ出来ることです。なかなか感心しました。」
ジャンもニッコリ男らしく落ち着いた笑みを浮かべて葉月の手を握り返した。
隼人はジャンがデレデレして、葉月の魅力に蹴落とされるか思ったが…
昨日彼から感じた『落ち着き』がまさにそこにあって隼人はまた一人落ち込んでしまった。
「さて。始めるか。隼人兄、葉月のレジュメ出来てるか?」
「あ…ああ。はい。」
応接ソファーは葉月が綺麗に片づけていた。
長椅子に康夫とジャンが並んで腰をかけ、その向かい側に葉月が腰をかけた。
3人の上官の手元に隼人はそれぞれ仕上げた冊子を配る。そして葉月の隣に腰をかけた。
ジャンはフランス語に直された冊子を初めて目に通すのであるから早速めくって眺めた。
「……。だいたい…こちらで承知した内容と一致していますね。」
ジャンは内容を確かめて、さらに納得を深めたようだった。
「チームメンバーの反応は?」
葉月はジャンが納得してもキャプテンとして「やるぞ」と押さえ込んだのではないかと心配した。
「ショーの訓練で中佐の指揮振りはここ1ヶ月皆よく存じています。
中佐と…フジナミ隊長がやるなら、と満場一致です」
「本当に?一人ぐらいはいたんじゃないの?」
「いいえ。本当です。奴ら……いえ、メンバー一同。張りきっています。
そういうやり方は『立場』ばかり気にする中年佐官には出来ないことだと。
確かにミゾノ中佐の『若さ』ゆえの提案でしょうが『事なかれ』にデビューだけ
そつなく終わらそうとする上官よりずっといい…自分たちもそうしてくれれば
もっとやりやすかったのに…と口々に…。」
「そう…。でも、他の佐官の方だってそれなりに立場があって
今までの方法をとってきたから悪くは言えないわ。」
「解っています。だから…これはお若いあなたでなければ出来ないこと。
そのような試みに携わることが我々チーム一同の『楽しみ』と、言うわけです。」
ジャンのしっかりした説明に葉月もニッコリ満足そうだし、康夫まで腕を組んでウンウン頷いている。
隼人は…。葉月にこんな風に上官として丁寧に接したことがなかっただけに
同期生の『大人振り』が素晴らしく見えてしまった。
「そう…。だったらちょっと自信がついたかしら?」
葉月が独り言のようにポソリと呟いた。
その一言に康夫はらしくないと呆れた顔でおどけて
ジャンは…
「大丈夫ですよ。私も頑張りますから…」と、葉月を励ました。
すると…
「えっと…。そうじゃなくて…実は…」
などと、それこそ年相応に26歳の女の子らしく照れて口ごもったのだ。
(んん?もしやさっきの『工作』の事を言い出すのか??)
葉月が照れながら、隼人の様子をチラリと確かめたりするのでよけいにそう思った。
隼人を始め…三人の男は葉月が言葉を放つのをジッと待っていた。
「ミーティング…までやっておいて何だけど…。実はあることが上手く行かなかったら
私の提案は取り止めようかと思っているの」
誰も『なんだって!?』とは驚かなかった。『沈黙』と言うところだった。
一番最初に呆れたのは康夫だった。
「おいおい。また、何を思いついたんだよ?」
ジャンは困惑した表情を刻んでいて、隼人は『ヤレヤレ』と呆れるを通り越していた。
「その…もちろん。上の私たちが『やる』と言う気が起きなければ進まない話だから
だから…。先に『やってみる?』と言う相談をして今日こうして集まってもらったのだけど。
それとは別に。一緒に見届けて欲しいことがあるの」
「なんだよ。それは…」
康夫は葉月の『思いつき』には慣れているのか、怒りもせずに淡々と尋ねる。
ジャンと隼人はただ行く末を眺めるだけだった。
すると…葉月が先程『工作』で仕上げた一つの箱をテーブルの下から出した。
「???」
男三人は葉月の手元に注目。葉月は箱をひっくり返してたくさんの折り畳んだ紙をテーブルに広げた。
「なんだよ。これ…。」
康夫は早速手にとって眺めた。
「赤い丸が私の提案に『同意』。青い丸は『反対』」
『どっちをどっちにしようかなぁ?』は、そういう事だったのかと隼人はビックリした。
そして葉月が何をやろうとしているかも一気に理解できた。
しかしジャンは首をひねり、康夫はまだいぶかしげに葉月を見つめるだけ。
「最後の判断は今回の主役である『研修生』に決めてもらうの。」
「本気かよ!?」
康夫はやっと驚きの声を上げた。
隼人はまた、『お嬢さんのやりそうなこと』とため息をつき、ジャンは絶句していた。
「本気よ。生徒のウチ三分の一が青い丸を入れたらこの提案はやめるわ」
『なぜ?』と男三人が揃って詰め寄った。
「やる気がないっていう事だから。皆さんが言う『事なかれ』でデビューさせても変わりないって事」
葉月はそっと微笑んでテーブルに広げた紙を箱に戻した。
「反対がそれだけ出るって事は…
私の今回の研修もさほど意味がなかったことだと思うの。
私は大尉と一緒にただの研修をしてきたつもりがないから…。
これで『答え』を研修生からもらうようなモノよ」
その行動の意味には『自分も試される』意味も含まれているので…勿論、男達はさらに絶句した。
そして、反対することもこの葉月の心積もりでは出来なくなったのだ。
そして…隼人も…葉月と一緒に今回の研修がなんだったのか試されることになるのだ。
すると…。ジャンが急に拍手をした。
「素晴らしい。そういう事なら、是非立ち会わせて下さい。
上官が研修生に試される。それを自ら進んでするなんて…
やっぱり中佐は『将軍の娘』ですね♪」と…。
ハタから見ると、上官を持ち上げるお世辞に見えるのだが…。
ジャンが言っていることは本当のことで…だから…
「解った。では、私も中佐と一緒に腹くくりましょう」と、隼人もここで引き下がっては男が廃るというモノである。
そして、康夫も。
「お前はホントうぅうに、やること一つよけいだな!解ったよ。面白そうじゃないか♪」
ライバルがどういう結果を出すか楽しみ♪とばかりにいつものニヤリを康夫も浮かべた。
『じゃぁ。この後の授業で早速…』と言うように四人は決めたのである。
隼人の研修生の授業が始まろうとしていた。
研修生達は今日。デビューの内容を聞かされるせいかざわざわとしている様子。
その中にいつものように隼人が入り、葉月が入り…。そして…。
研修生から見るとかなり高い位置にいる先輩で上官の…康夫とジャンが後から入ってきたのを見て
研修生達のざわめきは急にピタリと止んだ。
『どうして隊長とメンテキャプテンが??』と言う眼差しが注がれた。
まず隼人が教壇に立った。
「ボンジュール。先日から伝えていたように本日は来週のデビュー実施の内容を伝えようと思うが…」
隼人はそこまで言って、康夫達と隅に並んでいる葉月をチラリと見た。
隼人もそれなりに緊張してきたのであるが、言い出した本人・葉月はさすがに落ち着いていて
隼人の視線にコクリと頷くだけだった。
「その前に、ミゾノ中佐からお話があるのでよく聞くように。」
隼人がそれだけ言って教壇を下りると葉月が入れ替わりに教壇に立った。
「皆さん。ボンジュール。来週のデビュー実施ですが…隊長とメンテキャプテンそして…
サワムラ教官と話し合った結果、他ではやっていない方法で実施しようと思います。」
葉月が無表情に証すとさすがに生徒達にどよめきがおこった。
しかし葉月は続ける。
「皆さんには一人につき一人の現役メンテナンサーが指導に付きます。
よけいな手出しはしない…と言うことで。勿論。本当に間違ったことをしていたときは
先輩方が厳しく指導してくれます。スタイルとしては『自由』にやってもらいます。
この中でキャプテンを立ててもらい一人一人のポジションも決めてもらいます。
最初の機体整備。機体誘導。離陸誘導。離陸。着陸誘導。そして、最後の機体メンテナンス。
全て、あなた達全員が一つのチームと見立ててやってもらいます。
教官と私はその間一切手は出しません。声もかけません。
先輩方には事故にならないような注意だけ払ってもらいます。
どれだけスムーズにワンフライトを流せるか…と言うことが試験になります。」
すると…やはり。例年通りにつつがなくデビューを見守ってもらえると思った生徒達に動揺が走ったようだ。
隼人とジャンは顔を見合わせてお互いに不安になる。
すると。康夫が教壇に立った。
「なんだ。なんだ。今までサワムラに教わったことをそのまま普段通りにやったらいいだけだ!」
男らしく聡そうとしたがそれはよけいに生徒達に「恐怖」を植え付けたようだ。
葉月が『もう!』とふてくされて康夫を教壇から追い払った。
康夫も『なんだよ!』と渋々隼人とジャンの所に戻ってきた。
「皆さん?自信がないの?私は…皆さんには『現場』に行っても先輩の中に入っても
抵抗がないようにこの考えを思いつきましたの。
ここで先に経験しておくか…現場に出てから経験するかだけの差だと思いますけど?」
葉月がシラッと言うと、生徒達は『中佐嬢の勝手』と言う気をみなぎらせているのが隼人には解った。
隼人と康夫達がハラハラする中、葉月があの箱を教壇に出した。
「と。言ってもまだこの方法でするとは決めたわけではありません。
私たち、上官の試験ではありませんから。
主役の皆さんの意見で決定しようと思います。」
すると、生徒達のざわめきがピタリと止んで葉月の手元に視線が集中した。
「私は…これでも『島』からただ来ただけではありません。
『島』ではこの方法は既に取り入れられています。
それは…現役メンテナンサーの研修では実施されているだけで
新人には取り入れてはいませんが、いずれそうなると思います。
皆さんが少しでも今回…私を信じて『研修』をしてきて下さったのなら
今回のこの方法でも必ず成功すると思います。私は皆さんのことそう信じています。
そして…他のチームの配属されても『自信』は人一倍もって欲しいと思って…。
それで、無茶と言われるのは承知で隊長にこの方法を取り入れてもらうことになりました」
そして葉月は箱の中から紙を二枚とりだした。
「皆さんのデビューは皆さんに決めてもらいます」
生徒達は始終葉月に視線を集めていた。
「今から五分。考えて下さい。相談をしても結構です。
その後、教官がこの箱をもって廻ります。賛成なら赤い丸の紙。反対なら青い丸の紙。
これで三分の一反対がいたらこの方法は取り止めます。」
『以上』
葉月が静かにそう言って教壇を下りると生徒達は一気に隣の者達と共にざわめきたった。
葉月の短い説得は通じたのか隼人は生徒達一人一人の顔色を眺める。
当然。どの生徒も動揺しているようでハラハラした。
しかし…康夫と葉月は落ち着き払って二人でヒソヒソと耳打ちをしているだけだ。
隼人はジャンと共に時計を眺める。『五分』短いようで長い。
だが、葉月としては揺れる時間は与えずに『率直』な気持ちが欲しくてこの時間にしたのだと隼人には解った。
そして。五分が経った。
葉月はどよめく生徒達に構わず、押し切るように2種類の紙を生徒達に回し始めた。
「大尉。廻って」
葉月に迷いは一切なかった。即実行とばかりに、隼人へと、その箱を冷淡に渡したのだ。
隼人も…葉月と一緒に覚悟を決めて、はやる胸をこらえながら生徒達が並ぶ席の間を歩き始める。
最初の生徒が箱の中に手を突っ込んだ。
赤いか青いかは隼人には解らなかった。
生徒達はまだ動揺しているのか投票が始まってもざわついている。
次の生徒も…そして次へと廻っていく。
一枚ごと投票されると少しずつ生徒達が静かになってものすごい真剣な表情になった。
ピン…とした空気が講義室に張りつめた。
さすがに康夫も見えもしないはずなのに、葉月の隣で身を乗り出している。
ジャンも、腕を組んでそわそわしていた。
一人一人ゆっくり箱の中に投票していく。
隼人はもう、赤いか青いかなんて気を付ける余裕もなくなっていた。
暫くして…隼人が窓際の席を廻って一周した。
箱を抱えて入り口にいる葉月に振り返る。
「終わった?じゃぁ。教壇に出して」
ニッコリ余裕ですぐさま開票と言う勢いで
葉月が教壇に向かってくるので隼人は一瞬躊躇してしまった。
康夫も早く知りたいとばかりに教壇に駆け寄ってきた。
ジャンは…怖くて見られないのか後ろに控えている。
隼人は箱をもって教壇に中身を出した。心なしか赤いような四つ折り紙が多いように感じるが?
葉月が早速一枚開けた。『赤』だ。
隼人は内心ホッとする。康夫は嬉しそうに葉月の肩を叩いた。
しかし、葉月は無反応。こんな時こそ彼女は冷静なのだ。
次も…『赤』その次も…『赤』
隼人は嬉しくなってきた。自分たちの生徒は中の上…。若い教官に預けられるレヴェルの生徒だから、
こんな風に向上心をもってチャレンジする成長がやっぱり嬉しいのだ。
生徒達は教壇で作業する葉月の手元が見えないのか身を乗り出したり…隣の者と議論したり…。
でも…ざわめきにまではならない程度にやはり空気はピンとしていた。
葉月が一枚一枚四つ折りの紙を開ける時間が異様に長く感じるのか
とうとう、ジャンまで教壇にやってきた。
そして…
葉月が最後の一枚を開けると…。ジャンと康夫は絶句し…
その時…隼人は既に放心状態に陥りそうになった。
葉月はそんな男達に構わず教壇に立ち上がる。
「結果が出ました」
生徒達が再びピタリと口を閉ざした。
先程よりも…もっと緊迫した空気が講義室中に漂った。
康夫はたいめきを付いて、そっと入り口に戻り…ジャンはよろめきながら康夫と共に元の場所に戻る。
隼人は…放心状態に近いので教壇の下でうなだれているだけだった。
そして葉月がピンク色の唇をそっと開く。
「……。全員が…『赤』でしたわ」
葉月がにっこり一枚の赤丸紙を手に微笑むと、生徒達がドッと湧いた。
『中佐!俺達の好きにやっていいのですね!!』
『誰がキャプテンをやる??』
『中佐!成功したら打ち上げ会してくれる?』
そんな声が次々と飛んできた。
隼人は…やっぱりこの娘は『風』なのだと、初めて実感した。
驚きは徐々に実感として『喜び』に変わっていくのが解った。
この二ヶ月。彼女としてきた研修は決して無駄ではなかった。
生徒達は確かに自分たちの手で飛び出そうと言う意志を一人一人確実に持っていたのだから。