31.動き出す心

 

 「見てくれ! 葉月! コリンズ中佐からファックス届いたぞ!!」

 「ほんと!? なんて? なんて??」

 

 葉月が研修に来て1ヶ月が経っていた。

研修生達のデビューに向けて順調に進んでいた。

そんな、三人が揃った夕方の中佐室。

隼人はパイロットの二人がなんだか騒がしいので作業の手を止めた。

二人が葉月の先輩であるコリンズ中佐に何かを送りつけてその返事を見ていた。

隼人は雨の休日の日の事があれから頭から離れない。

あの後。葉月をしばらく眺め、そっと一人で帰った。

その後。アパートについて夕飯の支度をしていると彼女から電話があった。

『隼人さん。康夫に電話番号やっと聞いたの。

突然ごめんなさい!それから私なんにもおもてなししないまま

オマケにすっかり寝入ってしまって。』

隼人がいつの間にかいなくなっていて慌てて連絡をしてきたという感じだった。

『よく眠っていたから。こっちも黙って帰って。親父さんには一言伝えて置いたんだけど

気にするなよ。日本茶美味かったよ。俺が食べなかった分は

ママンに包んでもらって持って帰ってきたし』

隼人は何故かいつにない優しい声で彼女に話しかけていた。

肩の傷を見てしまったことは、やはりそれなりに隼人もショックだったようだ。

『自転車有り難う。休み明けから使わせてもらうわね?』

『あの…。』

隼人はもう少しでそれとない探りを入れそうになって言葉を濁した。

『なに?』 彼女も聞き返してくる。

『その…。良かったら。あの本何冊か貸してくれる??』

ちっとも違うことを口にしていたがちょっと本心だった。

『いいわよ♪じゃぁ。それが自転車のお返しって事で♪』

彼女の明るい声が帰ってきた。なんだか急に胸が締め付けられるようだった。

『じゃぁ。あさってまた部隊で。』

『そうね。持って行くから。ボン・ニュイ〔おやすみなさい〕』

『ボン・ニュイ』

そこで彼女とはそれっきり。部隊で再び仕事仲間として日々をこなしていた。

それから葉月を見る目が隼人の中で変わってきた。

どうあっても猫のようにうずくまって寝る安らかな彼女しか思い浮かばない。

軍服を着ている彼女の方が別人に見えてきた。

実は。休み明けに康夫に早速尋ねてみた。

今からかれこれ十何日も前に、あれから何日か経っていて

もう研修が始まって1ヶ月。早いものだった。

そして康夫に尋ねたのだがズバリと聞かずにそれとなく。

『彼女って今までどんな任務に行ったのかなぁ』と。

任務で怪我したのかも知れないと思ったからだ。

『いろいろだろ?最近で言ったら“ミャンマー”だな。』

康夫は短くサラッとしか言ってくれなかった。これでは物足りない。

『パイロットとしてだろ??』

コックピットの中であんな傷跡が残ることはないはずだった。

そう聞くと康夫が妙に強ばったいぶかしい顔で中佐席から

書類を書き込む手元を止めて隼人を見つめてきた。

(やっぱりなにかある?)と緊張した。

『さあね。でも葉月はその遠征で中佐になったんだ。二十三歳の時だな。』

──二十三歳!? それにはちょっと驚いた。つい最近だと思っていたからだ。

『そこで大きな功績を挙げたんだよ。アイツやることよけいなんだよ』

『よけいって??』

『仲間を助けるために地上戦に参加しちまったんだよ。

不時着したパイロットを助けに行くってな。それでさ、そんなことを、

フランク中将が擁護しちまうんだから困ったもんさ』

『地上戦で怪我でも??』すると間髪入れずに康夫が

『ああ。腕にな。』ときて

隼人はまだ怪我したところがあるのかとさらに驚いた。

でも。肩ではなかったらしい。

『他にも?怪我とか??』

そんな風に何時になく“他人”に興味を見せる隼人に康夫がまたいぶかしい表情を見せたので

隼人は焦ってしまったのでそこでいったん質問はやめて、

雑務に勤しみパソコンに向かった。康夫もそれを見て手元に集中した。

しかし、いつもの集中力がちっとも働かない。

だから…。

『その。彼女って空気みたいに俺のこと扱って』

などととんでもないことを思わず口にしていた。

康夫がまたどんな反応するか戸惑ったが、彼は“フムフム?”言いながら

書類に向かっているのでそのまま続けた。

『時々。ちょっとくらい顔をしたり…。』

“ほう?”と、康夫も聞き流してゆく。

『若いのにちょっと歳くったみたいなこと言って悟りきっているというかぁ』

“フム?”と来る。

『なんだか。どうやって付き合ったらいいのかなって!研修中。』

と、それらしい理由を付けて誤魔化してみた。

すると康夫がペンを机に置いた。

『今まで通りで良いだろ?何か問題が??』

それはそうなので隼人はグッと黙らざる得なくなった。

『葉月はな。自分で決めて軍人になったんだ。怪我の一つや二つ。

軍人一家の人間だからな。かえって“勲章”みたいなもんさ。

そりゃ。フロリダの親父さんだって怪我して帰ってくりゃちょっとはガッカリするし

お袋さんだって悲しんでるとは思うぜ?

でも結果的に末娘のアイツがどんどん上に行くことで

御園家は益々繁栄しているんだよ。

女だからって怪我したことが可哀相とか思ったらアイツが怒るぜ?

すべてアイツが選んだ結果が今なんだから。』

親友の言葉だけに隼人はそこで妙に納得してしまった。

そこまでだった。康夫に聞き出せたことは。

それでもその後、やっぱり上手く納得させられた気になったのだ。

よく考えると親友の康夫は彼女の肩の傷のことを本当は知っていてもおかしくない。

そこに探りを入れられたと気づかれて上手い具合に丸め込まれたと。

隼人の心の中のもやもやは益々膨れ上がった。

二度も彼に探りを入れると今度は逆に“隼人兄、気に入ったのか??”などと

からかわられる危険があるのがうっとうしくて聞けなくなってしまった。

だったら今度は雪江に聞いてみようと思った。

しかし彼女は“同性”として、夫の康夫より口が堅そうだった。

海野達也が結婚した時のことを考えてもそれが窺える。

『私は葉月ちゃんの味方なの!』と、気強い声が隼人の頭にこだまする。

(くそ!)

隼人はこんなにムキになっている自分に驚き、情けなくなり

やっぱり彼女は違う意味でも“台風”だと思った。

あの雨の日以来隼人は葉月という存在に振り回されているようだった。

いつもの“知らぬ存ぜぬポーカーフェイス”を保とうとするのに

心の何処がそうさせない。

“本能”という“本心”という自分がコントロールできない怪物が

心に住み着いた気分が続いていた。

そこで。ふと冷静になって考え直してみる。

(どうして気になるんだろう??)と。

それがまだ判らなかった。だから困っているのだ。

(最後の奥の手を使うか)

隼人はため息をついた。葉月が来ると判ったときから

この人だけには知らせたくないと言う人がいた。

その人に知らせると気をよくして何を言い出すか解らないお節介な人がいるのだ。

隼人にとっては必要な大きな存在であるのだが…。

その人なら軍内のことは精通しているのは確かなのだ。

だからよけいに“御園の娘”のことは言いたくなかった。

葉月ももしかしたら知っているかもしれないような人物だ。

と、そこまで心を決めて。

(なんで俺。こんなにコソコソしているんだろう?)

と急に我に返った。それというのも。

あんなに安らかに寝入っている彼女の何処かに動かされたような気になったのだ。

猫と言うより“ウサギ”のようだった。

小さな寝息を立てて柔らかい毛並みを持っていて。

そんなに泣きわめくわけでもなくひっそりと側にいた。

よく食べるし。良く跳ねる。猫のように素っ気ないわけでもないし

どちらかというと人なつこかったり。

なのに側によると人に恐れて飛んで逃げていくような。

木陰で一匹で鼻をキュンキュン動かしている。

そんな気がしたのだ。

(はぁ。俺どうかしているよ)

隼人は一人でため息をついた。彼女とは後1ヶ月で逢うこともなくなるというのに。

だけれども、なんだか康夫の言うとおり“ほっとけない”のだ。

彼女には元気いっぱい日本に帰してあげたいという“兄貴心”が出てしまうのだ。

そうしてちょっと後押しをすると彼女が輝いてくる。

その後押しをした自分が誇らしくなってくる。

そこなのだ。隼人は本当は康夫と彼女の仲が羨ましかった。

自分も置いていかれたくなかった。

隼人とて、康夫は親友なんだから。

そういう事だけなのに、今までにないエネルギーに振り回されている。

「良いだろ? 隼人兄?」

「は?」

ファックスを見て騒いでいた二人がいつの間にか隼人を揃って見つめていた。

「明日から、葉月を借りるっていってんの」

「なんのことだよ??」

「コリンズ中佐がOKくれたの♪」

葉月がはつらつとその金髪の中佐からとか言うファックスを見せてくれた。

「本気かよ!?」

隼人はそのファックスを見て絶句した。

二人の年下パイロットは嬉しそうに笑っていた。

そこには、葉月が康夫のチームに混じって

先日の“アクロバット”の指導をしてもいい。と言うお許しのファックスだった。

「やっぱり乗らないと腕がなまるしいい訓練だって許してくれたの

それにそんな簡単に行かないことだって解っただろう?って書いてあるでしょ?

つまり私にチームの威厳を示してコイって上機嫌みたいね。」

「なんだと?それじゃぁ、まるで俺の指導がゆき届かなかったみたいじゃないか!」

「あら?私を駆り出しといてホントのことなんじゃないの?」

「なんだと??」

「とにかく。メンテナンスの研修が優先。空き時間にパイロットの指導。

時間が上手く空けば一緒に乗る。そういう事で良いのでしょ?」

今まで見たことがない、この上ない葉月の生意気に隼人はおののいてしまった。

康夫も『くっ』と悔しそうにして、歯を軋ませている。

「お前!調子出てきたな!!」

「お陰様で」

葉月がにっこりと余裕たっぷりに笑い、肩にかかる栗毛をかき上げる。

隼人はおののきつつも、葉月が輝いてきたように見え、そっと笑ってしまった。

「お嬢さんの先輩のお達しじゃあ、しようがないね。忙しくなるな」

隼人がOKを出した途端に二人のパイロットが揃って目を輝かせた。

また『飛行バカ』と隼人は苦笑い。

それにしても、なんてパワーだと隼人は葉月が研修を幾つもやろうとするので圧倒されてしまった。

(じゃじゃ馬か)

ウサギは訂正しようかと隼人は頬杖をついてまた喧嘩腰の

年下の二人の言い合いッこを呆れて眺めて微笑んだ。

隼人のクラスの生徒達もこの頃すっかり葉月信望者になっていて

何かにつけて“中佐・中佐”とひっつき回っていた。

葉月の方もちょっとした“姉御肌”で頑張っている。

彼女が島ではどんな仕事をしているのかも気になってきた。

そして…。

彼女に肩の傷があるにもかかわらず彼女を大切にしてきた男達にも。

そんな中に“遠野祐介”がどんな風に彼女を愛していたのかも気になりだしてきた。

肩の傷一つで引き下がれない男の“気持ち”がなんなのか。

隼人にはまだ解らなかった。