・・フランス航空部隊・・

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21.緑の葉っぱ

 

「あー、ちくしょうっ!」

 訓練から帰ってくるなり、康夫が荒れていた。
 康夫の席を借りて雑務をしていた葉月も、パソコンをいじっていた隼人も、手元を止めて顔を見合わせた。
 隼人は何があったのか補佐として尋ねたいところ、葉月が先に康夫に聞いた。

「どうしたのよ?」

 彼女が尋ねると、康夫は恨めしそうに葉月を睨む。
 そして、入ってきたばかりの中佐室から隣の本部事務室へと出ていってしまった。

「どうしたというの? 変ねえ」

 自分の仕事部屋に帰ってきたのに、出て言ってしまった康夫。それを見た葉月は両手の平を宙に向け、隼人に見せてくる。
 隼人も同じ仕草で『さあ?』と返した。

 しばらくして帰ってきた康夫は、既にいつもの自信に溢れている彼に戻っていた。
 それどころか、また、いつもの見透かし笑いを浮かべ、妙に余裕げに葉月を見下ろしたのを隼人は見る。

「な、なに?」

 葉月は何か察したのかその笑顔に、おののいている。

「さあさあ、お前はもう帰っていいぞ。今からこの席は俺が使うから、どけ、どけ。ホテルに帰ってゆっくり休め!」

 急に機嫌が良くなった康夫は、葉月が書き込んでいた書類を勝手に片づけ始めた。

「なに? なんのつもり?」

 いつもどつきあいばかりしている同期生が、親切なのがよけいに疑わしい様子だ。

「隼人兄も、もういいぞ。明日の週末は当直夜勤だからな」
「そうだけど……」

 今までも、だいたい三人揃って切り上げて退出していた。だからこの日も隼人と葉月はそう思って、康夫が帰ってくるのを待ちながら雑務をしていたのに……と、隼人は訝る。
 この日の康夫はどういうわけか、無理に二人を帰そうとしていた。
 隼人が葉月を見ると、彼女も戸惑った顔をしている。
 それでも康夫は『さあさあ。お疲れ様』と、しつこく帰宅を勧める。

 本日のやるべき事は既に終わらせていた。
 だから、中隊長のその言葉に不審に思うまま、隼人は葉月と共に帰り支度を始めた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 外はもう夕暮れ。
 茜に染まるの夕の海が見える。

 通勤用の自転車が置いてある駐輪所まで隼人は葉月と並んで歩いていた。

「明日はうちの中隊が当直夜勤だから、康夫も準備で忙しいんだよ。一人で集中したかったのじゃないかな? お嬢さんは出なくても良いと思うけど」
「でも。中隊にお世話になっている限りは、私も出るべきだと思うの」
「相変わらず。熱心だね」

 『息抜きを知らないのかな』と、隼人はそう思って呆れてしまう。
 しかし隣にいる葉月が、ぽつんと呟いた。

「熱心とか、そんな良い意味じゃなくて……」

 急に、茶色のまつげをふと伏せた葉月の顔が気になった隼人。

「私にはこれしかないだけよ」

 妙にしっとりした表情。
 どちらかというとこの彼女は、平坦な横顔を保っているせいか、なにを考えているか分かりにくい女の子だと隼人はいつも思う。それだけに、ふと見せた表情が、とても印象的なのだ。
 その彼女に表情が宿り、栗毛が金色に透け潮風に流れていく。
 隼人はその髪をちょっと触ってみたい……と、また見とれていた。
 夕暮れに途端に現れた『女性』? 奥行きがないようにみえていた葉月が、ぐっと色づいたような……。またそんなときめき?  

 思わぬ気持ちに気が付き、隼人ははっとしてしまう。
 その事実を打ち消すかのように、隼人は思わぬ事を口走る。

「新しい恋人でも見つけるんだね。そうしたら、こんな『仕事だけ』なんて毎日どころじゃなくなると思うな」

 また、天の邪鬼。
 恋人を失ってばかりのこの彼女が、泣きながらフランスに来たというのに……。
 言ってはいけない、なるべく避けるべき話題に、咄嗟に触れてしまうなんて! 隼人は一人反省にうなだれる。
 だけれども、今日の彼女のはムキになるわけでもなく、少し穏やかに微笑んでいた。
 でも──愁いを含むその微笑み。静かさと柔らか、そしてこちらまで切なくさせるような顔に、隼人は見入ってしまった。

「ダメ。私はきっと男の人を幸せには出来ない女なのよ」

 そんな言葉に隼人は驚く。
 それを言う彼女の微笑みが、一気に歳を取ったような疲れた微笑みにも見えたから……。

「ど、どうしてだよ……? そんなこと言うなよ。もうすぐ二十六歳だろ? これからじゃないか」

 これから──なんて、ありきたりかもしれない。
 隼人が心底彼女の為に言った言葉。でも困った顔を誤魔化せなかったせいなのか、彼女はいきなり元気に笑ってあの綺麗な髪をかき上げた。

「大尉こそ。人のことを言う前に、ご自分の奥さんでも探したら?」

逆に言われてしまった隼人は、やっぱりいつもの『生意気小娘』とムッとしてしまう。

「大きなお世話! 俺は一人でも充分楽しいの!」
「私だって。一人が気楽よ」
「なんだよ。『泣いて来た』くせに」

 心配しているのに、彼女の生意気さに、隼人はまた天の邪鬼に彼女の痛いところを口にしてしまう。

「だからよ。もう……人が傷つくのは見たくない」

 また、葉月が大人びた虚しそうな顔を。

「一人ならば、別れはもう無いから?」
「……かも知れないわね」

 葉月が、海辺の水平線をジッと見つめて黙り込む。
 ガラス玉のような茶色の瞳が、夕日を吸い込んでいくよう。
 その瞳の奥にある、今、彼女が見ているものはいったいどんなものなのだろうかと、隼人は気になった。

 そんな彼女の顔に、妙に素直な気持ちに洗われていく気になっていく……。

「お嬢さんなら、直ぐ見つかるよ。ここの男達、結構、狙っているよ」
「そんなの。いらない」
「でもな……」
「あのね? 大尉。康夫は本当のことに気が付いているのに、こんな私に気を遣って聞いてこないのかもしれないけど。大尉だから打ち明けるとね……」

 康夫にも面と向かって言っていない打ち明け話をしようとしてくれているのだと分かり、隼人は急に緊張した。

「大佐が亡くなったのは昨年の春。それから半年してから『彼』が出来たの」
「え! そいつと今も付き合っているとか」

 彼女が首を振った。既に終わった話らしい……。
 だが隼人は思った。やっぱりこの嬢ちゃんは男がほうっておかないのだと!
 フランスに来た時にはあんなに『大佐が、大佐が』と泣いていたのに。
 半年しか経っていないうちに『新しい恋人』が出来たなんて、どういった神経? 彼女に絶望すら感じてしまった程の。

 だけれど、葉月はそう思われることも覚悟の上か、怖じ気づくことなく話を続けた。

「彼、助けてくれたの。私……大佐が亡くなってだいぶ荒れていたから」
「荒れていた……?」
「基地内の大切な合同訓練で倒れるほど。夜……走り回っていたのよね」
「それは? 夜遊びを、ということ?」
「そう。車を飛ばしてね。すれ違った島の走り屋と意味ない勝負に喧嘩なんかしてね。大佐が毎日来ていた自宅にいられなかったの」
「そんなに……?」

 彼女が、こっくり頷く。
 そんな過去の自分がやってきたことを悔いているように──。

 隼人は、ここに来るまでそれなりに彼女は泣いていたんだと掛ける言葉が見つからなくなった。
 お嬢様で、ただ部屋でメソメソと泣いていたのかと思えば? 『車、勝負、喧嘩』と来た。結構、感情的? やっぱり、じゃじゃ馬らしいかと唸った。

「その合同訓練は他の中隊と一緒にするんだけど。機体に乗る時間に来て、とうとう夜遊び寝不足のツケが回って、身体が動かなくなったの。その時、彼が助けてくれたの。私が姿を現さなくて探し回っていた先輩や上司に向かって、彼──『僕が突き飛ばして、彼女は手首を痛めました』──と。手首を痛めたら操縦管が握れない。彼が罪をかぶって私は格好悪い中佐にならなくて済んだの」
「それがきっかけか」
「きっかけ……。その訓練は大佐が亡くなって二ヶ月くらいの時。その後直ぐにお付き合いした訳じゃないの。実は、彼がずっと私に好意を持っていたことは知っていたの。『達也』のこと知っている?」

 彼女が穏やかに微笑んでつつみかくさずに話そうとしてくれている。
 そして茶色の瞳で真っ直ぐに見つめるので、隼人はまた余計なことは考えず素直に『ウン』と頷く。彼女の昔の恋人を知っている事を、だ。

「達也と付き合っている時、彼がいつも言っていたの『アイツは絶対にお前に気がある』って。助けてくれた彼は私や達也よりも、ずっと大人の人なんだけど。もちろん、今度は独身よ? 遠くからいつも私を見ているって、達也がやきもち焼いていたぐらい。男性が突っ込んできて私がそっぽを向けて拒否すれば、達也もそれで『一人消えた』と言っていたけど。訓練で助けてくれた彼はそんな突っ込んでくる積極的な男性なんかじゃなくて、大人しくて、控えめで大人の男性だから、遠くから見ても、時々私に気を遣ってくる彼が、そうして息長く距離を保ったままでいることが達也は気に入らなかったみたい。そんな人だから……。キッカケが出来ても彼は直ぐには私に言い寄ってこなかったの。その後もいつも通り──遠くから距離を保ってくれて。でも、前よりずっと……見られているって私も気が付いていた」
「それで……?」

 彼女がいつになく自分のことを沢山話している!
 隼人もここは『聞いてやるべきだ』と、耳を傾けた。
 すると、葉月はちょっと照れくさそうに俯いて、側にさしかかった木の葉っぱをつまんで隼人に背を向ける。
 彼女の恥じらいが、今度は急に少女のように変化したのにも、隼人は戸惑った。

「私が、合同訓練でそんなになったから夜遊びをやめた頃。彼がやっと近づいて来たの。私は、彼の好意を知っていたからよけいに頼っちゃいけないって拒んでいたんだけど。大佐のことも忘れられないし……。だけど彼、私が夜遊びしていたの知っていたんですって。それに大佐のことも。『それでもいい。もう今のハヅキは見ていられない。お願いだから頼ってくれないか』と……。それでもやっぱり拒んだんだけど…。あの大人しい控えめな彼がその時ばかりは強引だったわ。『悲しい女を、自暴自棄になっている私の隙を利用している』──私は酷い女だから、そう思った。でも、彼が……『どう思われても、直ぐに捨てられてもいいよ』と言ってくれた瞬間に、私の中で何かが崩れた気がした……」

 (キザな男)

 隼人はそう思った。まあ、落ち込んでいる女が、ひっかかりそうなものだと、呆れたりもした。
 そんな隼人の様子を知ってか知らずか、それでも葉月は続ける。

「彼がいたから……。なんとか大佐がいなくなっても中隊を管理できたと思うの。どんな時も優しくしてくれたわ。それで救われていたの。キャプテンのコリンズ中佐は私と彼のことは気付いていても知らぬふりをしていたから、康夫はもしかしたら、この春に小笠原に来た時にキャプテンから聞かされているかも知れないわね。別れたのは、実は康夫が日本に来る前 春になる頃、その直前のことなの」

 葉月は気まずいのか、葉っぱをつまんで背を向けたまま、今度はブーツのつま先を落ち着きなく動かしている。
 『酷い女の告白』だからだろう。男も女も本当の意味で繋がった訳ではない、そんなお互いの心の隙間を埋める為だけの……。
 だけど、葉月の俯いている横顔を見ていると……やっぱり哀しそうだった。
 それはそれで彼のことを、想っている顔に……隼人には見える。
 そのどこまでも優しかっただろう彼に、甘えていた時の顔なのだろうか?
 男のそんな心を彼女は掴んでいくよう。見ているこっちがドキッとさせられた。

 先ほど一瞬、彼女も結構、男と軽く付き合うのだと呆れたが。でも、彼女のその様子ではそれぞれが真剣だったけど上手く行かなかったと言っているようで『非難』する気が失せていた。

「それ、つい最近の話、だよね」
「そうなの。別にいいの。私が悪いんだから」
「そこまで、話したなら教えてくれる? どうしてその彼と別れたの?」
「だから、私が悪いの。彼、辛抱強く私が一心に見つめてくれるのを待っていてくれたの。私は、大佐は忘れられないけど……。向き合い始めてからは彼のことは必要だったし、大切にしていきたいって思っていたの。だけど、春になったくらいから彼が……。気付いたのよ、本当の私に……」

 そこで背を向けていた葉月が手にしていた葉を、プチンと静かにちぎった。

「本当のお嬢さんに? ど、どんなお嬢さんに気が付いたと?」
「私が、本当は誰も信じられない女なんだって」
「どうしてだよ? 康夫だって、雪江さんだって、そのコリンズ中佐だって──。それに、遠野先輩のことも。お嬢さんは周りにいる人のこと信じているんだろ?」

 『誰も信じられない』という言葉に内心ショックを受けていた。
 その中に、こうして打ち明けてくれている『俺』も……!と、隼人は心で叫びたくなる。
 もっと真っ正面から、ぶつかり合ってきたと思っていた。まだ彼女が全てを見せてくれないのは当然の事でも、それでも、そのどこか頑なになにかを拒絶しているようにも見せている平坦な冷たい横顔の彼女が、康夫や雪江や隼人のまでは、笑ったり、ムキになって怒ったり、泣いたり……。
 それも全ては、信じてくれているからだと……。
 そしてこんな思いを抱いていた自分にも隼人は気付かされ、二重の驚きだった。

「それは『人』としてならね。私が言っているのは『異性』の事。だから、大佐にも素直になれなかったんだし。彼はそこに気が付いたの。彼、最後に私に言ったの。『待っているから、戻っておいで』と──」
「なに? 彼から別れを?」

 葉月がまた、頷く。
 ちぎった緑葉をみつめながら、先程よりも重く、頷く──。

 その恋人とやらは、彼女が自分ではない他の男性を好きになったわけでもないと分かっているし、大佐を忘れられないことも受け止めていた。なのに彼は、まるで葉月が何処かに行ってしまうかのように、別れを切り出したと聞いて隼人どんな心理なのかと困惑した。

「だから、私がいつまで経っても『全開』にならないから──。彼は、こうも言っていた。『僕と中佐。どっちを取る?』とか……」
「それは、彼の勝手じゃないか? 男が女の仕事に嫉妬するというものでは?」

 ありきたりな経過じゃないか。と、隼人はそんな男と彼女は合わないと思った。
 しかし。葉月は首を振った。

「彼が言いたかったのは『葉月は軍人であるべきだ』と言う事。今はその軍人に専念したそうだよ、と……。でも、彼は私の仕事はいつも応援してくれていたの。戦闘機に乗る私が好きって言ってくれた。このまま一緒にお互い仕事して頑張ろうって。でも、その仕事をする上で僕は邪魔なんだと彼が言いだしたの。だから彼は少し離れたいと言いたしたんだと思うわ。この私が持てあましていた今の中隊管理が落ち着いて『それでも僕が必要だったら待っている。戻っておいで』と言ってくれたの。それから、会っていない──。基地の中でも彼の姿は滅多に見かけなくなって、避けられているようで……。それで、多分もう元には戻れなくなったと私は思った。彼は待っていてくれているかも知れないけど……」

 背を向けて喋り続けていた葉月が、やっと振り返った。
 そっと浮かべた微笑む口元に、ちぎった葉を近づけて指でくるくる回している。

 無理な微笑み。
 何故、こんな話の時にそんな顔が出来る?
 隼人はそう思う。

「なんだ、だったら帰国したら彼と仲直りしろよ。今度はもっと甘えたらいいじゃないか。男はそういうのは結構、待っているものだよ」

 すると葉月が首を振った。

「ダメ。また彼を苦しめるから。きっと、一緒に進んでいきたいのに、私の進むところがあまりにも違う所なのだと、彼は気付いたのよ。私、ダメなの。『偉くなりたい』とか『上に行きたい』とか、そんな理由で軍人になった訳じゃない」
「軍人になった理由……?」
「うん、理由。ただ。何かしたかったの。何かを忘れるくらい……。何もかも忘れたいくらい、夢中になりたかった。そんな生き方が、恋人の自分より葉月には大切なんだって、彼は気が付いてしまったと思う」
「恋人と仕事をしながら進むよりも『大切な道』?」

 隼人には解らない。
 彼女の『そんな生き方』とやらが……。

 だけど、彼女は口元で、葉っぱをくるくる。
 まるで何かの呪文をかけるように、回している。
 その顔から、笑みが消えた。くるくると葉を回す口元が、急に冷めたような。

「そう。私は……止まると息が詰まりそうになる」
「息が詰まる?」

 その目が驚く事に、何処かを恐ろしい程に見据えている。その気迫、隼人はぞっとした。

「息が詰まるの。私は『異性が望む女にはなれない』のだと、その彼と別れた後に気が付いたの。だから、大佐の時も何処かで彼を幸せに出来ないと思っていたんじゃないかと、もちろん、生きて帰ってきたら、今度こそと、思っていたんだけど。次にお付き合いした彼も結局、満足させてあげられなかった。だから、そういう訳なの……。もう『異性とはお付き合いしない方がいい』のだと」

 これから、結婚を望む年頃の女の子がこんなに割り切っているのは初めて見た。
 隼人は、この前からずっと感じて仕方がない。彼女が何かしら背負い込んでいるような気がして。

「それが──『男嫌い』の理由?」

 そう尋ねると、彼女は瞬時に鬼気迫る顔をどこかに消してしまい、また僅かな微笑みを取り戻している。
 そして、指でつまんでいた葉をふいと指先から離した。
 葉が頼りない軌道を描いてヒラヒラと彼女の足元に向かって落ちていく……。

「私って。こんな感じ」

 その葉が地面に落ちていくのを、彼女は寂しそうに見つめているので、隼人は堪らなくなってきた。
 身をかがめて、隼人はその葉を拾い上げた。

 そして、彼女と向き合う。

「そんなふうに。自分のことを『落ちていく』様に例えるなよ」

 緑色の葉を、隼人はそっと葉月に握らせた。
 その時の彼女の……驚いた顔。

 でも直ぐに、夕暮れの中、柔らかい笑顔を浮かべてくれた。

「男嫌いは、また別の理由よ。それは、またね」

 急に葉月が、小さい女の子のように微笑んだので隼人はドキリとしてなんにも言葉がでてこなくなった。

「いいよ。またね」

 すると、彼女が瞳を明るい色に変えたように、にっこりと微笑んでくれた。
 初めて彼女の愛らしい笑顔を見た気がして──。

 隼人は、自分でも信じられない行動に出ていた。
 気持ちが赴くままに手を伸ばし、ついに彼女の栗毛をそっと撫でてしまっていた……。

 葉月の目線が、ふっと自分の髪に触れる隼人の手を見て、彼女も少しだけ驚いた顔を隼人に見せる。

 風が、夕の潮風が二人の間を通り過ぎていく。
 その手は離れず、ただ彼女に触れ。彼女は嫌がる事もなく、そのまま許してくれている。
 静かな一瞬、二人は確実に真っ正面から見つめ合っていた。
 そこに何が起きているのか、何が起こったのか。
 それは分からない──。

 でも隼人の目の前で、葉月が笑った。

「はっぱ。有り難う」

 ちょっとはにかんだ彼女が、緑の葉っぱを指先でくるくると回す。
 初めて触れた彼女の栗毛は柔らかく、手触りがとても優しかった。

 

 

 

■続きを読みたい場合は改稿前作品へ→2000年版 24話『ライバル』
Update/2008.1.21
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