・・フランス航空部隊・・

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15.元・恋人

 

 講義が終わって、ベルの音と共に生徒達が散らばろうとしていた。
 しかし熱心な生徒達は教壇を降りた葉月に寄ってくる。

「あの……中佐!」
「今度の実習では……」
「武芸がおできになるって……」

 次々と向けられる彼女への質問──。
 講義時間内では出来なかった質問、人前では出来なかった質問をしたくて集まってきたようだ。
 葉月が戸惑いつつも、ちょっとだけ気のいい微笑みを携えて答えている。
 傍に控えていた隼人も、笑顔。とりあえず血気早そうな若者に受け入れてもらえたようで一安心。もう、営業スマイルは浮かべられないらしく、今度の葉月はなんだか恥ずかしそうにして生徒達に囲まれている。

『いつの間にか引き込まれるんだ』

 隼人は康夫のあの言葉を、急に噛み締めていた。

(変わったお嬢さんだな)

 隼人は今、昨日のランチで無口だった彼女を思い出していた。だが講義での彼女は堂々としていた。なのに教壇を降りてしまえば、ランチの時見せていたような内向的な女の子に戻ったり。会う前に抱えていたイメージなど、隼人の中ではもう見る影もなかった。

 葉月がやっと生徒達から逃れて、隼人の側に戻ってきた。

「はあ……。皆、結構真剣でどう答えれば良いのか、戸惑ってしまうわ」
「ご苦労様。でも、後半は良いお話だったと思うよ」
「もう。大尉ったら、ひどいわ。抜き打ちなんかしてくれて……」

 葉月は本気でふてくされたようだが、隼人はただ微笑む。

「島の中佐なんだから、あれぐらいどうってことないだろう? そこを信じての事だから、怒らないでくれよ」

 そう言われたのならば、彼女としても『その通り』と思ってくれたようで、それ以上は言い返してこなくなった。この抜き打ちのおかげで生徒達に受け入れてもらえたのだと、彼女も解ってくれたようだった。
 そんな彼女に一言、言われた。

「もしかして、これは大尉の作戦だったの?」
「まさか……! そこまで深い意味はなく、自然となるだろう? 『せっかくだからお話を……』と、その程度だよ」

 彼女はそれでも『これは大尉の計算、作戦だ』と言う。妙に疑わしそうな眼を向けてきたが、隼人に言わせれば『そっちこそ、あの笑顔は計算か?』と、聞きたい所だ。だが隼人からはこんなことが聞けるはずもなく、彼女に『計算、作戦、抜き打ち』と言われっぱなしになってしまった。
 だが彼女も言うだけ言ったら気が済んだようで、今度は『計算』ではない自然な笑顔を見せてくれていた。

「大尉も……。ハイレベルな授業で驚いたわ。フロリダにいた頃を思い出してしまったほどで……」
「お褒めの言葉は嬉しいけど……。毎日こればかりやってきたんだ。バカの一つ覚えだよ」

 今は彼女に誉められても、素直に喜べない自分がいる。自分より若い女の子に、あんなに驚かされるだなんて心外だった。それもあるが本当のところは笑顔の彼女が、言葉が少ない彼女がそんな笑顔で素直に褒めてくれることが……『気恥ずかしい』。そして『照れくさい』。そんならしくない俺を見られたくないだなんて……。それだけ彼女を『認めてしまった』と言う事になるのだろうか……?
 彼女のせっかくのお褒めだが、隼人はさらりと言い流し、前を歩み始めた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

(天の邪鬼……)

 素直に誉めただけなのに、また淡泊な表情になる隼人を見て、葉月は『あら、ご謙遜なこと』と思ってしまった。
 彼は知らぬ顔、素っ気ない素振りで、さっさと足早に葉月の前を行く。
 そんな彼の背を見ているうちに、葉月は『天の邪鬼な人』とも思ってしまっていた。

 階段を降りるところにやってきた。葉月は先へと行ってしまう隼人の後ろについて行く。
 もう、五段くらい先に下りて行く彼が急に立ち止まった様にも見えて、葉月も一瞬足を止めた。でも彼はあの冷たい顔でまた進み出したので『気のせいか』と思いながら、葉月もテキストを抱えてさらに後を行く。

(あら?)

 先に行く隼人の横を、長い黒髪の女性がすれ違おうとしていた。
 艶やかで、きらりと輝く大和撫子の髪。
 自分の母親が若いことから長くしている黒髪の女性なので、葉月はずっと長い黒髪に憧れているところがある。だから『素敵だな』と思った。
 大和撫子と一瞬にして思ったぐらい、彼女は紛れもない東洋人。

(日本人の女性……? 雪江さん以外にいるなんて珍しいわね)

 女性はフランス基地にも結構いるが、東洋人は雪江ぐらいしか見たことがない。
 その上、隼人とすれ違った黒髪の女性の上着を見ると……なんと、大尉だ!

(すごい。異国で、しかも女性が大尉で仕事しているなんて!)

 見たところ、三十代のよう。大人の落ち着きと色香が漂っていた。顔もテレビで見る女優並みに綺麗な女性。
 彼女もテキストを小脇に抱えていて、葉月の前に来ただけで、かなり妖艶な香水の香りを漂わせてきた。

 階段の半ばで、葉月と彼女はすれ違おうとする。
 何故か、隼人がすれ違う女性二人へ、ちらりと振り返った……その時だった。
 ドン! とした衝撃が葉月の身体に走り、肩が弾かれた感触!

「あ……! ご、ごめんなさ……い……っ」

 何かを気にするように振り向いた隼人の視線に気を取られている内に、彼女の肩とぶつかってしまったのだ!
 いいや? なんだか、力一杯に突き飛ばされたような感じがしなくもなく? しかし、そう思った時には葉月の小脇からはテキストがばらばらと滑り落ちていき、踊り場にいる隼人の足元まで落ちて行く──! さらに葉月は、前につんのめり、今にも階段から転げ落ちそうな体勢になっていた。が……! 運動神経は良い方。躓いても直ぐそこに手をついただけで済んだ。なんとか転げ落ちるというような大事には至らなかった。

(い、痛……っ)

 しかし、スカートからむき出しになっていた膝はすりむいてしまったようだった。

「中佐! 大丈夫か!?」

 隼人がすかさず、側に来てくれた。

「だ……大丈夫よ。ちょっとぼんやりしていたの」

 落ち着いている人と思っていたあの大尉が、過剰な反応。葉月は階段から落ちそうになったことよりも、その方に驚いた。その驚きに急かされるかのようにして、隼人が手をさしのべようとしている前に直ぐさま膝を払って立ち上がった

 ぼんやりしていたのは確かだ。彼女が綺麗な女性だったから、つい……。相手の女性に『気を取られていた不注意』を、再度きちんと謝ろうと振り返ったのだが……。彼女は、既に長い髪をしなやかになびかせて残りの段を上りきろうとしていた。
 彼女側には特になにもなかったようで、葉月はほっとした。
 なのに、葉月の側に来てくれた隼人は違った。

「おい! 失礼だろ。ぶつかっておいて!! 彼女が誰だか判ってい……」
「やめて……! 大尉」

 『将軍のお嬢さんだから、中佐だから謝れ』──そんな気遣いで謝らせるのは、葉月が最も嫌う事。だから妙にむきになって叫んだ隼人をなんとか止める。
 そして葉月は、構わず歩いて角に消えようとしていた彼女に、とりあえず叫んだ。

「ごめんなさい! ぼんやりしていて……」

 しかし、彼女はなんの反応も示さず、窓から差し込む逆光の中、美しい残像を残して去っていってしまった。

 隼人が『くそ!』と葉月の直ぐ側で吐き捨てたのが聞こえてしまった。
 彼は、葉月が落としてしまったテキストを苛ついた手つきで集め出す。
 それにしては、本当に『彼らしくない』。何とも悔しそうに唇を噛みしめているではないか。
 まだ出会ったばかりではあるけれど……葉月としては『ぶつかっただけの事』なのに、本当に過剰な反応に見えて仕方がなかった。

「……お知り合い? 同じ日本人でしょ?」

 暫し……。腑に落ちない葉月は、隼人の様子を眺める。でも、彼は黙っている。
 何も言ってくれないから……。言いたくないことなのだろうと葉月も気を取り直し、隼人と一緒に散らばった資料などをかき集めた。
 だが、共にしゃがみ込んでテキストに資料を集めていると、彼が小さく呟いた。

「あんな失礼な奴。知らないよ」

 本当に、どうしたというのだろう? 今まで見てきた人を食う余裕ばかり見せてきた彼らしくないと、葉月は感じるばかり。
 まるで、少年のように感情を外に出してると言った感じで……。だからといって、眉間にしわを寄せながらも、その感情を必死に抑えてるのも伝わってくる。

「異国で、同じ日本人。同じ大尉。しかも彼女が持っていたテキストは工学書だったわ」

 隼人と、それだけ近い仕事をしているのに知らないはずはない。
 葉月が、ちょっとしたことにも目を走らせていた事に気付いたのか、隼人が慌てたように見えた。
 でも……隼人の返答は、かえって落ち着いたものだった。

「お嬢さんが気にすることじゃない」

 今度はあの淡泊な無表情。その上、きつい口調の返答。

「そう……ね……」

 もし何かあっても、本当に言いたくないことなのだと葉月は察した。それなら、それ以上は聞けないと思った。しかし葉月には『恋人? 異性関係絡み?』という直感が走った。
 もしそうならば、愛している彼の横に訳も分からないような『お嬢さん』がやってきて毎日傍にいるのを目にすることになる。仕事と割り切れないこともあるだろう。そんなことは良くある良く聞く話だ。もし、そうだったとしても、驚きはしない。彼は葉月よりずっと大人だ。先ほどの彼女も、もっともっと大人だった。同じフランスで精進する日本人同士、支え合ってきた中で恋が芽生えてもおかしくないだろう。
 葉月は何事もなかったかのように、集めたテキストを抱え、再び階段を下り始める。今度は葉月が先に歩いていた。

「ごめん。言い方、悪かった」

 途端に葉月の背に、そんな声。

「気にしていないわ。行きましょう」

 もうこのことは話題にしなくても良い。葉月としてはそんなつもりで言ったのだが、なんとも……葉月も同じように淡泊な感情のない声になってしまっていた。これではこのことで自分が不機嫌になったと取られかねないではないか?
 もっと、こう……笑顔でも浮かべて、そうでなければ、もっと明るい声で返答し安心感を与えるとか出来ないのかと、自分を呪った。
 でも、目の前の彼はちょっと気後れした様子で、葉月に伝えてくれる。

「今の……。ほら、俺が嫌いなキャリアウーマンの代名詞みたいな奴。それだけ」

 先に階段を降り始めた葉月の背中に、そんなきっぱりとした一言。

「ふ〜ん」

 何かを含むような返事をした葉月に、隼人が慌てるように横に並んできた。

「お嬢さんは、あんなふうにならないようにしてくれよ!」
「ご心配なく。どちらかというと『ひがまれて、やられる』ことの方が多いですから。こっちから突っかかるなんて事もなければ、仕返しなんて事もしません!」

 落ち着きある大人の男性と思っていた隼人のそんな慌て振りに、葉月はちょっとばかりがっかり。
 『なんでそんなに慌てるのよ』と、思わず口を尖らせたりしていた。
 しかし、そう拗ねたのも束の間……。

「なるほどねえ〜」
「な、なに?」

 隣にはまた意味ありげな含み笑いを浮かべている隼人がいた。
 まったく、本当になんて人だろうと思う。天の邪鬼の意地悪! 葉月は心の中で叫んで、舌をべえっと出したい気持ちに駆られた。

 『それにしても』──と、葉月は再び首を傾げる。
 先ほどの女性。どういう事だったのだろうか?
 とても綺麗な人──。小笠原にもあんな美女がいたら、男性隊員達はきっと大騒ぎで放っておかないはずだ。
 絶対に、あの大和撫子のような彼女と隼人は深い関わりはある。
 葉月はそう思ったのだが、関わるとやっかいそうな予感が走ったので忘れることにした。

「それにしても。流石だね。反射神経抜群だったなー! 俺だったらもう、下まで『ダダズベリ』だったな」
「“ダダズベリ”??」

 葉月はそのフレーズが可笑しく聞こえてしまい、急に笑い飛ばしてしまっていた。

「あれ? そんなに笑えた?」
「なあに。そんな言葉初めて聞いたわ!」

 葉月が初めて笑い声を大きくたてたせいもあったのか、隼人もほっとした顔をしてくれて、一緒に笑っていた。
 もう先程の違和感は、葉月の中から流れ去っていくようだった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「おつかれさん〜。どうだった?」

 中佐席で事務仕事をしていた康夫が、ペンを手元に置いて、戻ってきた隼人に真っ先に聞いてくる。
 しかし隼人は席に戻るなり、『バン!』とテキストを叩きつけ腰を下ろした。

 葉月の前でやっとの思いで『抑えこんだ腹立たしさ』が、今になって露わになったのだ。
 それも康夫なら何があったかを報告すれば、きっと隼人と同じ思いを抱くと信じているから、余計に──彼の顔を見るなり噴出させてしまっていた。

「あれ? 葉月は?」
「トイレ」

 隼人の短くて冷たい声に康夫が困惑した表情を浮かべる。

「何かあったのか? 葉月が早速、何かやらかしたのか!?」

 康夫が今直ぐに頭に思い浮かべられる『困る事』とは──『お嬢さんが生徒達にバカにされてまたまた喧嘩でもしたのか』という事らしい? 康夫は『しまった!』と言いながら騒ぎ始めた。

「葉月が『喧嘩を買う』という事を平気でしていたのは、あいつが訓練生の時だった! だけど、今は『一介の将校』になったのだから、いくらじゃじゃ馬でも、年下の若い生徒にムキになるなんて子供じみた事は、もうしないと思っていたのにーーーっ!」

 『やっぱりー!』と、康夫はすっかり彼女が喧嘩をしたのだと思い込んでいる。
 隼人は彼女ひとつで、これだけ騒ぎ出す康夫の方もどうかと、少しばかり呆れた溜め息を落としてしまった。
 まあ、同期生の彼がこうして不安がるという事は、彼女が自ら紹介していた『喧嘩上等』も嘘ではなかったのだな──とも、思ってしまえたのだが。
 だが隼人はそうして慌てる康夫を鎮める為に、『そうじゃないよ』と、静かな声で本当の所の報告をする。

「そんな喧嘩沙汰になんてならなかったよ。それどころか、彼女は流石だったよ。すっかり生徒達の落ち着きなさを鎮めてくれて。生徒達もついてきてくれそうだった」

 隼人の報告に、ほっとした顔になる康夫。
 だが隼人が不機嫌そうに黒髪をかきあげながら、何度も溜め息をついているのが気になる様子。

「だったら……。なんだよ、隼人兄のその不機嫌さは」
「……それ以外だったら? もう『ひとつ』しかないだろう。 『階段』と言えば良いのか?」

 隼人のその一言で、康夫も何かが急に閃いたかのように『は!』とした顔に固まってしまっていた。
 そして口をぱくぱくさせながら隼人を指さして、顔面蒼白。と、言っても良いぐらいの顔になっている。
 彼が言いたくて言葉にならない所を、隼人が口にする事に……。

「見事に、鉢合わせたよ。早速だ。お嬢さんを何気なく突き飛ばしやがった」

 隼人は深いため息をついて額を押さえ、うなだれた。
 康夫も『チ!』と舌打ちをして、席に座り直した。

「まったく。あれで良く『大尉』になったもんだ。あの姉さんは仕事もヘッタクレもないなあ! 葉月に対しても、畏れを抱かぬとは流石というか、もう末期状態だな」

 なんだか諦めたようにペンを取り、康夫は元の雑務を始める。それだけ『どうしようもない、これだけは……』と言う事なのだ。
 口を出さぬ方が……いや? 『触らぬ神に祟りなし』と言うべきなのだろうか? 実際『神』の所は『魔女』と言い換えたいぐらいの……隼人にとっては、そんな存在なのだ。あの彼女が巻き起こす『騒ぎ』を幾度となく、隼人は味わってきたのだ!

「まったく。この仕事が無事に終われば良いのだけどな」

 隼人は頭を抱える。
 つい辛そうにこぼした為か、康夫も再び溜め息をつきながら、ペンをことりと机に落とした。

「葉月は、結構、使命感はあるんだぜ? くだらない女の闘いはより買わない質だから安心しろよ」
「分かっている。あいつも今回ばかりは歯が立たないってね」
「だろうな。地位とか家柄のこと以外でも、仕事に関しての姿勢で言えば、完全に葉月の方が上だと俺は思っている」

 いつもライバル視をして張り合っている康夫が、彼女をかなり持ち上げている。うなだれていた隼人は顔を上げ、彼を見つめてしまった。
 するとそんな康夫がまたもや彼女の事を、さらりとした顔で語り出す。

「こういってはなんだけどさ。ここだけの話。葉月って『弟』みたいなんだよな」
「弟!?」

 あんな淑やかそうで綺麗な栗毛のお嬢さんを、『弟』などと例えるので、隼人は驚いて大声を上げてしまった。

「ほら。隼人兄は、もう騙されてんな。今は確かに可愛いお嬢さんかもな」
「騙されてなんかいないよ。まだ、噂のじゃじゃ馬を見たことないだけだ!」

 『この俺がお嬢さんごときに既に骨抜きにされている』と言われたようで、隼人はついむきになって康夫に言い返していた。

「その噂のじゃじゃ馬を見たら、もっと考え方が変わるぜ?」

 康夫がいつもの見透かし笑いを浮かべ、中佐席から隼人をペンで指すので、隼人もドキリとした。

「それは何? 『あの女』よりも、凄まじいと言う事なのか?」

 隼人はやっぱりお嬢さんも『ガジガジに頭ごなしに男を押さえるのか?』と、ゾッとしてきた。
 そう言えば? 彼女は自ら『そのイメージは妥当であって、私だってそうだと思う』と言っていたのを思い出し、考え直していた淑やかさは猫かぶりなのかと、今になって会う前のイメージを蘇らせて怖れを抱いた。
 しかしそうして震え上がる隼人を見ていられないとばかりに、今度は康夫がなだめ始める。

「いいや、あの姉さんとは違うと思う。この俺がずっと付き合っている『ダチ』なんだから。とにかく! 葉月のじゃじゃ馬はちょっと違うんだ。こっちも引き込まれて行くんだよ『台風の目』みたいなやつ。『負けてらんねぇ!』ってさせられちまうんだ。 一言では言い表せないな〜。その内に隼人兄もわかってくるさ」

 そこまで彼女の事を語った自分に康夫は今更気が付いたのか、ハッとしたように我に返り……。『葉月には言うなよ!』と、ライバルを褒めたことは言わないよう、隼人に念を押してきた。
 でも隼人は本当の所は『どんなお嬢さんなのだろう』と、康夫が知っている彼女の姿を今はまだ同じように掴めなくて、戸惑ってしまうばかり……。

「勿論、最低限は葉月を女として見てるけど、あいつは軍人の時は『弟』。男と一緒なんだよ。あんな女の執念メラメラの姉さんは、そんな意味で、葉月には敵わないと俺は言っているの。それにしても、隼人兄……本当に、あの姉さんと別れて正解だったな。あんな女だって判っていて付き合ったのは失敗だったけどな〜」

 康夫が再びペンを手に取った。
 彼が何気なく言ったその言葉が、実は隼人にとっては一番痛いところ……。

 先程の黒髪の女大尉とは、昔、付き合っていた仲だった。
 それも、あんな女と判っていて……だった。

「あの姉さんの執念には気を配らないとな。葉月が傷つくとかじゃなくて……。二人が対立したら、考え方が全然違うから大騒ぎになるぞ。特に、葉月は『台風』だからな。周りの巻き込み方がでかすぎて半端じゃないんだ」

 別れた彼女が執念深いのにも困っているが、この上に見たこともない想像もできないお嬢さんが起こすかも知れない『台風』にも、おののいた。

「ま。俺としては面倒はゴメンだから。あの姉さんが仕掛けてこないよう、葉月はしっかりガードしておこうぜ」

 康夫の一言に隼人は二つ返事で頷いていた。
 とにかく、彼女とは別れて五年は経とうかというのに諦めてくれないのだ。
 ストーカーまで行かぬとも、それに近い執念に隼人は頭を痛めていた。

 彼女は隼人とは分野は違う『工学教官』なのだが、彼女は仕事中でも自分の機嫌は平気でばっと外に出す。それで、周りの者が振り回されることで有名であった。
 頭は切れるのに、評判は学生達の中でも一番悪い。良かったのは……隼人と付き合っていた期間だけだったかもしれない。それだって、付き合っている間にも『似たような事』は散々起きていて『今よりかはマシ』と言うぐらいだ。つまりは──付き合っている期間は『隼人が上手になだめていた』と言う方が周りの者もしっくりすると頷くと思う。『そんな恋人関係』だったのだ……。

 しかも、隼人より五歳も年上の恋人だった。彼女は今年三十五歳になる。
 『若気の至り』と、皆は言ってくれるが、隼人にとっては一番の汚点。彼女の機嫌が悪いのは、『全て隼人が原因』と、恨まれることもしばしば……。それぐらいこの基地では『有名な関係』となっている。

 故に、隼人の身の回りで、一番の『爆弾』であるのだ。
 今日のランチの時にも、『カフェはやめて、外に出よう』と康夫と二人で焦ったのも、この『爆弾』と鉢合わせをしない為──。
 それだけ必死になっても、やはり『無駄な抵抗』──。先程、『見事に接触された』と言うわけである。

 だが、ここで諦めるわけにはいかないのである。放っておけば、間違いなく魔女とじゃじゃ馬の対決が起こるに違いない!
 だから康夫もそこは必死になってくれる。

「葉月が側に来たことが姉さんにばれたのなら、工学科の連中は今頃は散々な目にあっているだろうなあ〜。こりゃ、葉月を誘った俺としても向こうにフォローしておかなくちゃな」

 『隼人兄の痛手』は俺の責任。と、ばかりに康夫がため息をつく。
 こうして仕事にも差し支えが出るので、基地中の人間が彼女に気を遣っていたりする。
 隼人は康夫に『職場的立場』において気を遣わせてしまうと、心の底より『すまない』と思うと同時に、何処かに隠れたくなるのだ。

(はあ。彼女とお嬢さんが、なにも起こしませんように──)

 隼人は、胸の中で十字を切らずにいられなかった。

 

 

 

Update/2007.10.2
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