葉月は、はやる胸を押さえながら藤波中隊の本部事務室にたどり着く。
康夫の中佐室の前には、昨日お迎えに来てくれた金髪の彼の席。その席にいる彼が昨日同様に、にっこりと微笑んでくれた。
後から聞いたのだが、彼は康夫の補佐の一人で葉月より一つ年上とか……。
学歴はしっかりしているのだが、康夫としては同じ中佐室に置く補佐には実務キャリアがあって年上で同じ日本人という利点から澤村大尉を選んだのだとか。
そんな金髪の彼のことを、康夫は葉月にこう告げた。
『あいつは隙あらば、おまえの中隊に行っても良いなんて、狙っているかもな』
……らしい。人が好さそうな青年だが野心はあるようだ。
男ならば、それほどの意欲と度胸を持っていなければ出世はできないと葉月も思っている。
でも、『出世の近道』の為に親切にされたり言い寄られるのなら、お断り……。勿論、彼がそんな男性ではないことを葉月は信じたいと思っている。
「ボンジュール、ミゾノ中佐。本日はちゃんとサワムラが来ておりますよ」
彼が微笑みながら丁寧に中佐室のドアを開けようとしていたが、彼のその丁寧さに葉月は躊躇してしまった。
少しだけ訝しそうに彼も止まる。
「中佐? お気に召さないのならはっきりとお断りしても差し支えないと思いますよ。なにせサワムラから逃げたりしたのですからね」
彼の満面の笑顔の中に、ほんの僅か……。先輩の澤村大尉がやってのけた大胆な反抗的行動に、やや批判的な思いを込めたような目元を見たような気もした。康夫の『狙っている』という言葉が重なってしまう。
葉月は『いけない。そんなふうに決めつけては……』と、彼の心根を疑う自分を正そうとした。
つい、うっかり……。『管理者』としてのそんな見方が先に働いてしまい、葉月は素直な目になれない自分を嫌に思う。
それでも、この制服を着ている限り、葉月はそんな目を優先してしまう。いつもだ。
彼は澤村大尉より若いが同じ大尉。しかも連合軍の本部であるフロリダにもいたのだから、彼にしてみれば、本部があるフロリダ勤務の経歴があるのに藤波の一番の補佐になれない。そこをどう思っているのだろう……? と、このようについつい『管理者』としての人格分析をしてしまう。
親切で丁寧なところは流石フロリダ仕込みのキャリア志望隊員と唸りながら、金髪の彼が丁寧に開けてくれたドアをそっと覗いてみた。
ついになにもかもが判るだろう時が来た。もし、頭の中で否定したいものが見えたら、どうすればいいのか……。今朝、舗道で再会した眼鏡の彼が、にんまりと意地悪そうに笑った顔が蘇り、葉月の心臓はどくんどくんと激しく動き始める。
でも、まず見えたのは康夫だった。
「お、来たな!! よっしゃ! 入れよ!!」
朝からかなりのハイテンション──。
そして次に葉月の目に飛び込んだのは……?
康夫の側に男性が立っていた。その男性とかっちりと目が合う。
その目が合った男性は葉月を見るやいなや、にっこりと満面の微笑みを浮かべた。
葉月はその男性を一時まじまじと見た後、そこで一度、ドアを閉めた。
「どうされたのですか?」
金髪の大尉はとても不思議そうに葉月を見下ろしている。
葉月はドアノブを握りしめたまま、そこで暫く俯いて静止していた。
しかしそうして静止している中でも、葉月の心の中はかなり大騒ぎ!
(やっぱり、あの人だったわ〜!)
葉月は、腰から力が抜けそうになった。
再びグルグル頭の中で何かが回り始めている。
すべて、見透かされていた!? とか
からかわれていた!? とか。
嘘を見破られていた!!! など!
そう、心の中は一大事の大騒ぎ。
それでも、葉月の姿は静かにそこで停止しているだけ。
金髪の大尉もとても戸惑った様子で、葉月に声をかけようかどうか考えあぐねているよう。しかし、そこで康夫がドアを開けてやってきた。
「なんだよ、葉月。お待ちかねの大尉がちゃんと出て来たんだぜ?」
わかっている! これは紛れもない事実だって……!
昨日、一緒にサボタージュをした男性が目の前に現れ、実はその男性が逃げられていた大尉だったことを叫びたいのに叫べない。だから葉月は言葉が出ない代わりに、つい康夫を睨んでしまった。
勿論、身に覚えのない彼がすこしばかりたじろいだ。
「な、なんだよ……。き、機嫌悪いな」
でも康夫はこう感じたに違いないと葉月は思う。──『すっぽかした大尉がやっとこさ姿を現したものの、すっぽかされたお嬢様中佐としては今頃現れても面白くない』──だから、葉月は機嫌が悪いと思っていることだろう。
そんなんじゃない。葉月としては、なにもかもをひっくり返されたかのような『一大事』を叩きつけてきた、あの、眼鏡の、余裕げな、彼に、抗議でもしたい気持ちなのだ。
「では、さっそく」
それでも康夫は、やっとこの時が来たとばかりに、葉月の様子もお構いなしに先へと進めていく。
億劫そうにしている葉月をなんとか眼鏡をかけている大尉の前へ立たせ、咳払いを一つ、なにやら得意げな顔に。
「大尉は、昨日はいきなり授業のあきが出て早帰り。中佐はフランスに着いたばかりで忙しく……」
康夫のそれらしい言い訳に、眼鏡の彼が『くっ』と笑いをこぼした。勿論、康夫がじろりと彼を睨んでいる。
まあ、なんて人だろうと葉月は唖然とした。昨日は自分より若いこの二人をあれほどに慌てさせた男は流石、仮にも上官である藤波隊長が、昨日の上手く運べなかった繋ぎ役の不手際をなんとか誤魔化そうと『体裁良く整えた紹介の挨拶』でまとめようとしているのに、それすらもぶち壊すかのように『俺がさぼったせいだとはっきり言えよ』と言わんばかりの余裕な開き直り。
葉月もいつもなら、康夫の分かりきった体裁の嘘っぱちな出だしには笑いたくなるところだが、今日は大尉のせいでそれどころではない。
だから目の前の彼とは、いつまで経っても目が合わせられなかった。
いつもなら、冷たい表情で中佐の威厳でも放っていなくてはいけないところ。
いつになく、そわそわとはにかんでいる葉月を見て、康夫も様子がおかしいことに気が付いたらしい。
「どうした? 葉月?」
康夫が葉月の表情を覗き込もうとしていたが、葉月はついに顔を背けてしまった。
まるで、子供のように。こんなにされるだなんて心外だった。でも、眼鏡のあの人が、葉月の目の端に映る彼が、あのままのやんわりとしている笑顔でこちらを見つめているのが分かる。それにもどうしてか緊張させられた。
だが、彼から葉月に声をかけてきた。
「昨日は失礼致しました。御園中佐。フランスに着いたばかりでお疲れだったのでしょう?」
康夫の言い訳に彼が合わせようとしている……。
「澤村隼人です。宜しくお願いします。御園中佐」
彼から手を差し伸べてきた。
やっと顔を上げると、昨日そして先程、あの笑顔となんにも変わっていなかった。
昨日も今日も彼は彼──。そう感じてしまった葉月は、それにつられるように自然と手を差し伸べていた。
「小笠原から来た、御園葉月です。宜しくお願いします」
笑顔は浮かべられなかった。
いや、いつもそうなのだが、今日は意味が違う。
無表情じゃなくて、穴があったら入りたい……! と、言うところ。
その上、彼のにっこりとしたあの笑顔が何にも言えない状態に追い込んでいる。
でも葉月の白い手を、少しばかりの傷があるメンテナンサーの大きな手で優しく包んでくれていた。
見守っている康夫もご対面が無事に済んで安心したものの、思っていた様なご対面でなかったのか少しばかり腑に落ちない顔をしている。
彼は知らない。二人が既に出会っていることなんか。しかもこのような中佐と大尉ではない出会いをしていたことなど……。
それでも、康夫の笑顔は直ぐに満足そうな笑みに変わった。とりあえず、これで一安心と言ったところなのだろう。
「これでよし。本日から、大尉は中佐と一緒に研修について、中佐は大尉に良きご指導をして下さい」
さて、これで康夫の思うところのスタートが出来たというもの。
葉月としてはまだ戸惑いだらけ、以上に『これどうすればいいの?』と錯乱中。
そんな中、眼鏡の余裕な彼が若い二人が驚くことを言い出した。
「康夫。悪いけど彼女と二人きりにしてくれないか?」
隊長である彼を『康夫』と慣れた呼び方をしたのにも葉月は驚いた。そしてそんな彼の表情は、とても引き締まり真剣な眼。康夫がなにか焦りを感じたかのように、それは何故なのかと彼に問う。
「何故? 今から三人で打ち合わせを……」
康夫は二人がご対面を済ませても、隼人が名目の研修を飲み込むまでは安心できないから、まだ側を離れる訳にはいかない所……。だからここで自分抜きで二人きりにしたくない。以上に、この『上手なお兄さん』に舵を取らせたくないと言ったところだろう。
だが眼鏡の彼は、そんなことでは引き下がらない。
「今からは、彼女と俺の研修なのだろう? だから二人で打ち合わせをする。それとも? お若いお嬢さんだから、一対一では打ち合わせもできないとでも?」
眼鏡の彼、隼人が訝しんでいる点は『康夫がいたのでは、何故、俺がこのような研修をする羽目なったのか見定められない』ということ。だから彼としてもこの研修を持ち込んで来た康夫にも舵なんか取られたくないのだ。そんな彼なりの防御に出てきたことが葉月にも分かった。
しかしここで、あの康夫が怯んだのを見て葉月はさらに驚いた。
『この康夫をここまでにさせるなんて!?』──と。
それと共に、自分も試されているのだと気が付いた。
隼人の冷ややかな視線が、年下の二人を制している時間がしばらく続いた。
「そ、そうね。当然だわ。藤波中佐。私と大尉で打ち合わせをするから、中佐は訓練に行ってもよろしいわよ」
葉月は、目配せをして康夫に解ってもらおうとする。
無事に対面が済んでも、隼人はまだ研修については納得していないのだと。
康夫に何か企みがあって、康夫のサポートでお嬢さんがノコノコと日本からやってきたと、大尉は思っているのだ。康夫がいなくては出来ない『お嬢さんの研修』なのか? と、試されている。康夫にしてみれば、すっぽかしをするほどの兄様大尉──この目でハッキリと見届けるまでは、葉月一人には安心して任せられないところなのだ。
そして、葉月と同じく康夫も悟ったらしい。
ここで『いや。俺もいなくては……』と言おうものなら、この大尉がまた、へそを曲げると──!
「そうだな。じゃっ! お二人に任せて訓練にでも行くとするか」
余裕の笑顔を浮かべて訓練に行く準備を中佐席で始めたが、どことなくギクシャクしていたりして葉月の方がハラハラしてしまった。
康夫はどちらかというとポーカーフェイスは苦手。余裕がなくなると、ご覧の通りの落ち着きのなさ。普段はそれほどでもないが、どうもこの年上の補佐お兄さんにかかると、形無しのようだった。
そんなふうに同期生の誤魔化しようもない落ち着きのなさを案じている葉月の姿も、この冷たい表情の大尉に読みとられていまいかとハラハラする。そんな彼を確かめるとやはり、そこでもばっちりと視線が合ってしまい、彼が葉月の様子をしっかりと観察していると知って流石に焦ってしまった。
でも、隼人は目が合うなりあの笑顔。
「さて。中佐、取りかかりましょうか?」
まったく余裕でどちらが上官だか判らなくなってきた。
そんな中、康夫が『仲良くやってくれよ!』と、上手く追い出した隼人に叫んだ。
それにも眼鏡のお兄さんは、にんまりと余裕の笑顔。……いや、上手く追い出すことができた『勝利の笑顔』に葉月には見えた。そんな彼がその勝ち誇った笑みのまま康夫に一声。
「失礼な。ちゃんとナカヨクするから安心してくれよ。こんな可愛いお嬢さんを俺がいじめるとでも? 御園のお嬢さんにたてつく気はないよ」
隼人が康夫に、にやりと意味深に微笑みかける。
『よく言うわよ。昨日は逃げたくせに……』と、何処までも悪びれる様子もない大尉の余裕に、葉月はいよいよ呆れてしまった。
「まったく、よく言うよ。隼人兄は……!」
康夫も、葉月と同じ言葉を彼に突き返していた。だがここで葉月は『隼人兄』という愛称を聞き、驚いていた。
やはり、葉月の親友である男と、それだけ親しいと言う表れ。康夫が頼っている男。それをなんだか、肌で感じたような気がした。
隼人は大尉かも知れないが、後輩で年下の上官を上手に支えることが出来る縁の下の力持ち。その点ではかなりのエキスパートではないか? と。
(これは、うかうかしていられないかも!)
葉月は、急に気が引き締まる思いがした。
自分がこんなに試されるような緊張感は久しぶりだった。
康夫の方が上手に付き合ってもらっているのを目の前で見てしまったからには、葉月も適当にあしらわれる可能性が高いと言うことだ。
いつも気にしてきたよけいな警戒心は、もう、この大尉には必要ない。
葉月は直感していた。
この人は正面から向き合ってくれる人間としては、本物だ! と。
だけれど、まだ、側近にしたいという気持ちはなかった。
逆に自分が振り回されては仕事にはならない。でも、彼が上官なら別であるが? いつも自分と対等、いや、二つ年上の分だけお兄さんの康夫とこんな余裕のやりとりをする男。葉月の方がやり込められる恐れがある。
いつもなら、すました顔をして警戒心を漂わせ、生意気いっぱいに、数々の事をやりのけてきたじゃじゃ馬も、今度こそは真の姿をさらけ出さねばならない? そんな気にさせられた一瞬だった。
まるで後ろ髪引かれるような様子で、康夫が訓練に出掛けていった。
「さて。邪魔者がいなくなった」
昨日、突然に出会った時のような無表情な顔で彼がつぶやいたので、葉月はひやりとした。
どうしてここに来たのか、研修の意味はなんなのか、この大尉特有の巧みな手際で『暴かれる』のかと葉月は固まった。
そんな葉月の僅かな緊張も、彼に見抜かれる。
「はは……! そんなに緊張しなくても。知らぬ仲でもあるまいし?」
またまた、にんまりと意地悪な笑みを返され、葉月は固まるばかり。
「昨日のことがなかったら、今日だって俺は来なかったかもよ?」
今度は、あの優しい笑顔が照れくさそうに葉月を見下ろしてくる。
「昨日のこと……?」
嘘をついて、逆に嫌われるかと思っていた葉月には意外なお言葉だった。
「まぁ、いいじゃないか。本当に今度こそ本腰を入れて、今後の予定とやらを聞こうか? お嬢さん」
『お嬢さん』と言われると、からかわれるように聞こえたりするものなのに……。
何故か、本当にすんなり聞ける響きでもあって、嫌な感じがこの大尉からは感じられない。
葉月は『そうですわね』と、ため息混じりに答え、彼が勧めてくれた応接用のテーブルへリュックを手に腰をかけた。
葉月が持ってきた企画書と、自分が組んできたスケジュールをリュックから出していると。
「参ったな。実は俺、本気で眺めてなかったんだ。お嬢さんには悪いけど……」
書類や書籍が積まれているあの席を、彼がごそごそと探って何かを探していた。
「解ります。たぶん。そんなことだろうと……」
『変な研修』──葉月がそう思っていたように、この彼もそう思っていたのだと、改めて知る。だから彼は、元々やる気がないから昨日の様に、はなからぶち壊すつもりですっぽかしたのだろうから。
葉月が一人、ソファーでうなだれていると、デスクをあら探ししていた隼人の動きが止まり、こちらもため息混じりに葉月に視線を投げかけてきた。
葉月はその溜息を聞いて小首をかしげ、彼を見つめ返す。
すると目の前には、深々と頭を下げている大尉の姿が……。葉月は驚き、ただそんな彼を見るだけ。
「申し訳ありませんでした。御園中佐。私は職務人としてはやってはいけないことをしておりました」
思わぬ彼からの丁寧な詫びに、葉月はここで初めて恐縮する思い。
「あの……。よろしいのよ? 私の方も、大尉の気持ちも考えずに押し掛けてきたことだし……」
遠野の影を追ってきたことを考えると、その言葉が自然と出てきていた。
すると、ハヤトも黒髪をかいて気まずそうだった。
「その事なんだけど。ちょっと、言いたい事もあって。それで康夫を追い払ったんだけど」
「言いたいこと?」
葉月はドキリとする。
この研修についての不満を語られるのか? と。
しかし昨夜、決心したこと。
大尉の気持ちを聞く覚悟と、断られる覚悟もできていた。
それなら、本当に康夫がいない方が語りやすいのも確かだった。
大尉は企画書を見つけたのか『やっと見つけた』と呟くと、それを手にして葉月の向かいにやってきた。彼は腰をかけると企画書をめくらずに、開いた膝の上に両手を置いて暫く考え込んでいるのか俯いていた。
葉月も、その様子をジッと眺めて待ってみる。
「率直に言おう。俺が昨日君を避けた訳。君のことだ。持って回った言い方より、はっきりしていた方が気持ちいいだろ?」
中佐と判っても、言葉遣いは昨日と変わらな隼人。でも、この方が葉月にはやりやすかった。急に『御園のお嬢様扱い』になるのを嫌っているから。そして気持ちは緊張するが、彼の言うとおりに、はっきりとした意見が欲しかった。
だから、静かにこっくりと彼に頷く。
その途端に彼が葉月に向けて指を三本つきだし、三つの思うところの一つ目を言い放つ。
「一つ。いつも負けず嫌いでお嬢さんとタメ張っている康夫が、自分の中隊改善とか言い出し、自分の中隊を良くするためにライバルのお嬢さんを頼ったこと。あいつなら、君の力なんて借りなくても、俺一人で充分出来ると言いそうなのに? 今回は、何が目的で君をフランスまで引っ張ってきたかが判らない」
葉月は『うっ!』と、唸る。
それは研修は名目で、側近候補として目の前の彼を探りに来たからだ。
でも、それも見抜かれている!
「二つ。君が、つい最近まで遠野大佐の側近であったこと。これには、思うところあるけどプライベートな話なので一応ここでは除外」
これもはっきりと突きつけてきたことに、葉月はおののくしかない。
でも……初めて。彼が遠野の後輩なのだという実感を得る。それも『プライベート』の一言でだ。
つまり彼は『遠野という男は女好き』で、葉月にも手を出したに違いないと既に見抜いている。
葉月をその気にさせて、死んでしまった男。その男の影を引きずって後輩の所に来たのじゃないか? と。
これにも『うっ!』と、葉月は息をのんでしまった。
「三つ。君が御園のお嬢さんだって事。悪いけど。俺、ガジガジと凝り固まったキャリアウーマンって嫌いなんだ。気が合わないなら仕事は最初からしたくない。頭ごなしに叱りつけて、やっと手に入れた地位に必死にしがみついて、決して自分は間違っていないと仕事をしている女って嫌いなんだ。確かに、近頃は女の地位も上がってきたけど、余裕ってヤツが見られない。柔軟さがない。男をすぐに押さえつける。どこかで、指導の意味をはき違えている。もちろん。きちんとしたキャリアウーマンもいると思う。だけど俺はそういう女性に会ったことが今までない。悪いけど……君も恐らくそうだろうと……」
そこは、前の二項と違って妙に力んでた様に見え、葉月は首をかしげて、うつむく隼人を眺めていた。
彼は、どうしたことか黒髪を落ちつきなとかいては、恥ずかしそうに余所に視線を落としていた。ちょっと今まで感じていた余裕がなくなった瞬間にも見えた。
「あの……そのイメージは妥当だと思います。私だって、中佐と言うからにはそれなりに怒ることもあれば、余裕がないことだって」
じゃじゃ馬の無感情令嬢と言われているのだから、今更、猫をかぶる気もなく、イメージが崩れるなら先に崩しておこうと思い、葉月は正直に女性幹部側としての気持ちも述べておく。
しかし、隼人の反応は少し違った。
「ウ〜ン、お嬢さんもね。頭からそうだろうと決め付けていたけどね。ちょっと違うんだよ」
「は? どのように??」
「だから、昨日な。例えばだよ? 俺が何処から何しに来たのかと、聞いただろう? あの時に、ふてぶてしく煙草を吸っていてもさ、ヘッチャラで吸い続けられてたら、かなり嫌だったかもな。まあ、もしそうだったとしてもそれは喫煙者として百歩譲ったとして。もし、本を読んでいた俺の横で『中佐の私から逃げた不届きな男がいてすっごい腹立つ!!』などと愚痴をこぼしていたら、まず、ランチにもつれていかなかったし、今日もここに来ていなかったな」
葉月は、その真意を聞いてドキリとした。
そんなの昨日のあの気分がそうさせたのであって、もしかすれば、自分も……と思う。
「それは、たまたまかも知れないし。本当は愚痴だってこぼしていたかも」
「だったとしても、よく嘘をつき通そうとしたね。あんなに自分の身分を隠そうと必死な人は初めて見たよ。特に、お嬢さんなんか、誰も敵わない素晴らしい経歴の持ち主なのに。あそこで、一言御園の名を振りかざすことだって、中佐の地位で脅すことだって出来たんだぜ?」
葉月はなにも言い返せなくなった。
しかしである。彼の言うとおり、葉月は身分を必死になって隠していたのは確かだ。だけれども、彼が言っているような『キャリアウーマン』としての、いかつさがあるのも確か。
だから本当に、たまたまだったと葉月は思う。だけれど、それを隼人に伝えたいのに、どうしてかここで言葉に詰まる自分がいた。だが、隼人はそんな妙な顔をしているだろう葉月を見て、一瞬、訝しそうだったが、なにかを察するかのように彼から話を続けてくれる。
「とにかく。君から感じたのは『名家を振りかざすお嬢さん』でもなく『地位を盾にする女』じゃ無かったと言うこと。『普通の女の子』というのも、中佐としては失礼だと思うけど……。つまりは『ワガママいっぱいの嬢様』じゃないなら、とりあえず会っておかないと、今度は、俺の常識を疑われると思ってさ」
照れくさそうな彼が、黒髪をまたかき上げてうつむいた。
葉月としてもちょっと驚きだった。
(昨日のことがなかったら。こんな風には解ってもらえなかったかも?)
案外、すっぽかされて思わず出会っていたのは正解だったのでは?
葉月はなんだか狐につままれたような気持ちになり、世の中、何がどうなるか判らないもんだと一人で頷いたりしていた。
Update/2007.9.29