青と白しか、見えない。
今、このセスナ機は南フランスの上空を飛んでいる。
搭乗している彼女にも、その美しい景色は見えているはずなのだが、実際には『青と白』という漠然としたものしか見えていないに等しかった。
今の彼女には違うものが見えている。もっと、違うもの。
たとえば? 二度と会えなくなった男性とか……。
たとえば。本当にこのまま、ここまで来てしまって良かったのか……。
景色とは無関係な、もっともっと重要なこと、などだ。
やがて彼女のそんな心までも乗せているセスナ機は、海辺の滑走路へと無事に着陸した。
潮の香がたちこめる、マルセイユ市内にある小さな民間空港。
その滑走路に彼女はついに降り立った。
初夏の湿気を含んだ風が、彼女の長い栗毛の髪をふわっとなびかせる。
ベージュグレーに黒カフスの詰め襟軍服を着込んだその若い女性は、空港出口へと向かう。
そして空港のコンコースで、行き交う人々の中をきょろきょろと見渡した。
「ボンジュール。ミゾノ中佐」
ふと、目の前に現れた同じ軍服姿の青年を目に留めても、彼女はにこりとも微笑まない。
「ボンジュール。あなたがお迎え?」
見たところ同じ年頃だと見定めて、自分より低い階級の肩章を付けた金髪の青年を見上げる。
「ウィ……さぁ、どうぞ。長旅でお疲れでしょう? フジナミが首を長くしてお待ちですよ」
青年がにっこりと笑みを浮かべ彼女が引きずっているスーツケースを手に取ろうとしたが、彼女は静かに手で制してしまう。
だったら、とばかりに目の前の青年は、彼女が肩に掛けているボストンバッグを『お持ちしましょう』という行動に変えてきたが……。
「お構いなく。コレでも鍛えているから」
彼女が色ない声で返した為か、青年は繕い笑いで戸惑っている顔。
「さあ、いきましょう」
それでも彼女はさっと前へと進み始める。青年は、ただただ彼女についてくるばかりになってしまった。
そして、この民間空港までわざわざ基地から迎えに来た青年は、ひたすら彼女の後を追い、そのままの状態で駐車場に停めていたジープまで辿り着いてしまった。
このままでは頼まれた上司に『情けないお出迎え』を報告されてしまうかも知れない。なんとか、ちゃんとエスコートを……と必死になっても、彼女はジープに手際よく荷物を積んでしまい……その上、素早く後部座席に乗り込んでしまう。
またもや何もさせてもらえずに青年はがっくりとうなだれながら、致し方なく、残った仕事『基地まで運転』をするために、運転席に乗り込んだ。
フロントミラーに映る、噂の若い女中佐。
(噂通り……愛想がない)
青年はため息をついて、ジープのエンジンをかけて発進させた。
空港から海岸線をずっと走り続けていると、小さな街に出た。マルセイユの漁村だ。
ちょっと陽気な雰囲気を醸し出す情景に、じっとしていた彼女がやっと窓へと身を乗り出した。
「小笠原に似ているわね」
日本語だったので、青年には何をいっているのか解らなかった。
そんな感じだから、会話もない。重い空気だけを青年は感じるばかり。
外の晴れやかで爽やかな風景とは、正反対の空気が車内に漂った。
・・・◇・◇・◇・・・
そんな彼女、御園葉月は、今は愛想など浮かべる余裕はない状態。
とにかく小笠原で働いていると、もう……どうにかなりそうなぐらい重い日々を過ごしてきた。
窓辺に流れて行く日本とは違う異国情緒漂う濃い色彩、青と白というコントラストの強い風景を、彼女はうつろに眺める。
葉月は、その名の如く、八月生れ。
しかし自己紹介をするとなれば、『苗字』だけで充分かもしれない。つまり、『御園(みぞの)』と一言だけ口にしてしまえば、それで終わってしまうような一族の『末娘』。
世界各国に国際提携を組んだこの軍の基地が点在としている中、『御園』(みぞの)と言えば誰もが知っている。そんな一族。
葉月は、『国際連合軍』という組織の中でも有名な軍人一家の末娘。
それだけじゃない。葉月自身は女性ながらに、海軍の戦闘機パイロット。そして、若いながらにして『中佐』という地位を既に得ている。
一家がそうであるということもあるかもしれないが、とにかく葉月は十三歳の時から、この軍人生活まっしぐらに突き進んできた。
フロリダ本部基地と共にある『特別訓練校』、『特校』の卒業生。ただひたすらこの生活をこなしてきた葉月は、訓練生の間にツースキップ、二つ飛び級をしている。
さらに葉月の父親は、この軍の本拠地であるアメリカ・フロリダ本部基地に所属する『中将』。
母親は科学者として軍に所属し、両親はアメリカに在住。日本国内にいる叔父も従兄も甥っ子も、なにかしらの形で軍に携わっている。
それだけじゃない。亡くなった祖父がこの軍人一家の礎だったと言っても良い。祖父はフロリダ本部で、今の父のように中将を務めていた。
家中、軍人職一色。だから『御園』といえば、それだけで自己紹介。さらに、こんな小娘が肩に『中佐』の飾りを付けていることを不思議に思ったなら、その次には『御園?』と直ぐに思いついてくれるはず。
だから……名前なんて関係ない。『御園』という名だけで、葉月のアイデンティティは充分なのだ。
それだけじゃない。
それだけじゃ、ない……。
この家に生まれたことで、いろいろなことが……ありすぎる。
「あ、あの……。フロリダ中将である父上によく似ておりますね。先ほど、一目で分かりましたよ」
うっかり。もの思いの中、ふとフロントミラーに目線が行ってしまい、そこで金髪の青年と目が合ってしまった。
「ええ、よく言われるわ」
また、微笑みなど浮かべないまま淡泊に答えてしまっていた。
やはり、ちっとも和まない空気に、青年も直ぐに黙り込んでしまう。
葉月だって本当は……。でも、葉月自身、いつもこう。愛想はない。そんな質。そして今は尚更に、笑顔が浮かべられない。
──嫌な女。
そして、今、青年が言ってくれた事は、本当に色々な人から言われる事。
葉月は父親に似ているとよく言われる。
『葉月』と名前こそ陰暦の呼称で古風なれど、顔立ちは『やや日本人離れ』していた。
日本人とは少し違うツンとした鼻筋、栗色の髪、ガラス玉の様な薄い茶色の瞳……。つまり『クオーター』。
となると、当然父親は『ハーフ』になる。葉月はその父親に似ているとよく言われる。では、ハーフである父親の両親はとなると──。『軍人一家の礎』となった祖父は『日本人』、祖母は……『純スペイン人』。つまり葉月の中には祖母の国の血が混じっているのだ。顔立ちが欧州寄りの血筋を醸し出しているは、その為。
しかし、そんな血筋に特徴的な顔なども関係ない。
やはり『一族』。その一族がそうして軍隊に携わっている為に、彼女の顔は知らなくとも世界中の基地で『御園葉月』と聞けば、皆、隊員達はその名だけは良く知っている。
それも『軍内の御令嬢』と、ささやいて。
葉月にとっては、そんな肩書きは鬱陶しいだけ。
誰も自分のことは『軍人』としてと言うよりも、家族が作り上げてきた経歴に畏怖しているだけ。『中佐』としてでなく『御令嬢』として。軍人としての実力やここまでの経歴など、あってないようなもの。
そんなこと誰よりも判っていた。だから口癖は『親の七光り』。
そして、これから会う『ある隊員』も恐らくそう思っているだろうと、葉月は、外の素晴らしい異国の風景にも救われずにため息をこぼした。
そうして、何故こんな気持ちのままでフランスまでやってきたか……。
葉月は、ふとここまで来る羽目になった数ヶ月前を思い返し、紺碧の海原をじっと見つめていた。
Update/2007.8.18改稿