いつものように、積極的に人と会話を交わすアリスを傍目に、静かに眺めている葉月に気が付いた彼女がそっと……葉月に耳打ちをした。
「レイ? ウンノは佳い男だと思うわよ。ちょっとだけ、素直になってみてもいいかもね」
「まぁね?」
男性を見る目は、結構厳しいアリスの意味深な笑顔。
それは達也は女性には非常にウケが良いのは知っているのだが……。
葉月としては、それが素敵な男性であっても、達也は『ただ達也』にしか過ぎない存在なのだ。
だが──だからこそ、と言う『存在感』であるのは否定しない。
確かに特別な人間の一人だから。
「そうね。達也は……素敵よ」
「……みたいね。あれが全て全力で、レイに向けられた時──レイはどうするの?」
「どうもしないわよ。だって、私は以前の付き合いで、そんな彼を知っているし……。もう、終わったのだから」
「どうかしらね? ウンノは一度は終わって、また、始まっているみたいだけれどね」
「……」
今度のアリスの目線は、再び右京と楽しそうに話している達也へと向けられた。
そして、葉月も無言にならざるを得なくなる。
アリスが言っている事を分かっているから。
「でも、レイは安心して良いと思うわよ」
「どうして?」
「レイの事、レイよりもきっとウンノの方がよく知っているわ。あなたを二度と困らせない程、愛しているってね」
「……」
「それに──引き留めてもくれない男なんかより! 『絶対にお前を離さない』と必死になって愛してくれる男の方が女は幸せだと思うわ、私!」
「……アリス」
急にアリスが憎々しそうに言い放った言葉……それは達也を単独で誉めた訳ではない事が、葉月には判っていた。
アリスが言いたいのは……引き留めてもくれないのに、おざなりで女を側に置いていた義兄の事や、サワムラが葉月を手放さなければ、アリスが日々を共にしていた義兄の元に、彼女が愛していた『黒猫のジュン』の元に、義妹の葉月が来なくて済んだはずなのに──そう、終わった事とは言え、そこが彼女の口惜しい所で『判っていても、完全には忘れられない苦汁』のようなのだ。
それについて、アリスは既に葉月にくどくどと説教含めた愚痴も言い放っていて、葉月はそれをちゃんと正面から受け入れて、自分が悪かった所は彼女に謝った。
けれど、『でもお兄ちゃまへの想いは、本物だったから、そこは謝らない』とはっきりと言うと、今度は彼女が笑って受け入れてくれた。
それから、彼女は『女の子の味方だからね、私は!』と言うたびに、隼人と義兄がやった事を責める時もあるのだ。
今──達也を持ち上げたのも、そんな思いからなのだろう?
だけれど、アリスはそんな事を言い放ってしまった自分の事を直ぐに後悔したように、葉月に申し訳ない顔を向けていた。
最後は空気が重くならないように配慮したのか、アリスのからかうような眼差しに、葉月は頬を染めて俯いた。
からかいでも、本当の事であるそれも『解っている』から。
達也の気持ちの一部始終、傲っても良い程に、解りすぎている自分を──葉月はそんな自分に気が付いていて、知らぬふりをしている。
そして、達也もそんな葉月と知って、知らぬふりを続けてくれている。
そうする事でバランスを取っていると言っても良い関係になっていた。
もし──葉月と達也がもう一度『愛している』と言っても良いのならば。
今のその関係が、きっと『愛している』なのだと、少なくとも葉月は思っている。
達也もきっと、そう言う気がする。
『お前は何も気にするな。俺が好きで側にいるんだ。俺の好きなように、お前の側にいさせてくれたらいい』──そんな達也の言葉が、聞こえる。
葉月はそっと、達也を遠く眺める。
従兄の右京と明るく話している姿──右京はそんな達也が昔からお気に入りで『惜しい男だ』といつも言う。
そして、達也が帰ってきた今も、右京は達也を特に可愛がっている気がいつもしているのだ。
そういう『昔なじみの縁深い男性』であるのは、確かだ。
「おい、葉月にアリス。そんなに『マドモアゼルな内緒話』が弾むなら、どっかに捨てていっても良いぞ〜」
右京のいつものからかう声が聞こえてきた。
「お兄ちゃまの意地悪! そんな捨てるなんて言い方、よしてよ!」
「なによー! それなら、うんと素敵なカフェに捨てていってよ! しかもウキョウのおごりだからね!」
姿は大人の女性でも、右京にとっては小さな女の子に見えるのだろう。
二人揃ってムキに言い返すのを見て、余裕の笑い声をたてているだけだ。
「オーライ、オーライ。若槻とのランチが終わったらな。姫様方のおおせのままに、なーんでも従ってやろう」
「メルシー! ウキョウが一番、素敵!」
アリスのそんな調子が良い反応にも……葉月は、微笑んでしまっていた。
右京とアリスの間に、男女の匂いはしないが、二人はもの凄く気が合うみたいだった。
だけど、葉月は知っていた。
アリスは彼女本来の明るさを取り戻したのかも知れない。
でも……時々、遠い目で空を見上げたりする。
そんな時の彼女は、上の空になる。
きっとまだ、義兄の純一の事を忘れていない。
だから、今はどんなにもてはやされても『恋はしていない』と確信することが出来る。
それは彼女もまた──恋に恐れを抱く傷を持った一人なのだということを。
そんな彼女が、たった今、そんな眼差しをしているのを、葉月は黙って見守っている……。
「んじゃな、葉月。夕方、兄さんが迎えに来てくれるらしいから」
「うん、夕方ね」
右京と話していた達也がやってきた。
「ひさびさに、横須賀校の同期生に会うんだ。きっとお前の事も康夫の事も沢山聞かれるだろうな〜」
「そうだったの。よろしく伝えてね」
「ああ。元教官実習生さん」
「やめてよ」
そして達也は、楽しそうに基地へと向かっていった。
随分と懐かしい話──と、葉月は振り返る。
達也と出会ったのは、その横須賀校で教官実習生としてフロリダ校を卒業間近にやって来た時の事。
ああ、あの時も──たくさんの人を巻き込んで、大騒ぎしたもんだと、葉月は顔をしかめる。
葉月だけでも騒ぎになる事はしょっちゅうなのに、ただでさえ、『横須賀校のお騒がせ男』と言われていた達也と出会ったもんだから、なおさらに騒がせた想い出があるのだ。
そして康夫と出会った想い出も。
彼は昨年の秋に、無事に父親になった報告が隼人のもとに寄せられていた。
が、まだその時は雪江からの知らせで、まだ彼はリハビリ中との事……。
あの負けず嫌いの康夫のこと。
コックピットに戻れないままでは、直に声を送りたくないのか……それとも必死になってリハビリをしていて余裕がないのかは解らない。
でも、隼人と達也と共に、彼自身からの声が来るまでそっとしておこうと言う姿勢に留めている。
生まれたのは女の子。
きっと、康夫は嬉しくてしようがないだろうな……と、隼人と達也と喜んで、三人揃ってのささやかなお祝いは贈った。
お礼の言葉も、雪江から通じての言葉だけだった。
康夫も知っているだろうか?
葉月と隼人との間に『子供』が出来た事は──。
誰かが知らせている気もしているが、駄目になった事も知っているような気もしている。
そして、それを知った康夫は……葉月と同じように、葉月と隼人からの声が届くまではじっと知らぬふりもしてくれているのだろうと。
そんな同期生達──。
それぞれの世界で、またの再会までに頑張っている事だろう。
だから……葉月も会う時には、また彼に心配させないように、しっかりした自分になっていたいと思っている。
「さて、行くかな。マドモアゼル達」
右京のナビゲートで、アリスと葉月は白い車に乗り込んで、若槻の元へと向かう。
・・・◇・◇・◇・・・
「なんか目立つな。俺──」
横須賀基地の正面玄関にやって来た達也。
こちらの基地も週末二連休で、そうは人がいないはずなのに、休日勤めの隊員達が妙に振り返る。
そりゃ、目立つ事に注目される事は気分が良い事だが、達也でもそれなりに場に合わない雰囲気で目立つ事には気が引ける。
「おーい、海野!」
制服姿の男が一人、正面玄関から手を振って現れた。
「お! 変わらねーな、八代!」
「お前もな!」
大尉の肩章をつけている同期生が目の前に辿り着いた。
「なんだよー海野。そのいかにも目立つような格好は。デートにしては、作りすぎだろ?」
「デートじゃないっ。御園関係で招待してもらっているからな」
「はー。なるほど? そりゃ、気合いが入るわな。もしかして、右京少佐?」
「そうそう。あの兄さん関係だと、こうなるの解るだろ」
「解る、解る! そりゃ、おめかししないと大変だ!」
「だろ、だろ!」
同期生同士で暫くは肩を叩き合い、そうして久方ぶりの再会を茶化し合っていた。
その内に、この八代の案内で基地を出る事になるが、徒歩で数分の所にある港に面した喫茶店へと出向いた。
そこで今度はコーヒーを手に取り合って向き合う。
そのコーヒーを待っている間も、お互いの近況を報告し合う。
八代が横須賀にいる事は知っていた達也は、日本に帰国してからは何度か連絡を入れていた。
その度に『会おう、会おう』と言い合っていたのだが、結局、この一年……お互いの仕事のスケジュールの折りが合わずに、今日の事となってしまった。
彼は数年前に結婚し、今は一児の父親になったとの事。
達也は……まぁ、ご覧の如くの身の上になった事は隠すことなく、いつもの調子でかーるく伝えてある。
そんな同期生がやって来たコーヒーをすすりながら話始める。
「嬢ちゃんも、相変わらずみたいだな」
「あー。そりゃあ、もう。振り回されているぜ」
シラッとしつつ、同じようにコーヒーを口に付ける達也に、八代は軽やかな笑い声をたてる。
「だけど、見たぜ。この前の広報誌に載っていた小笠原幹部を主にしたインタビュー記事。素晴らしい文面もさることながら、なかなかの事を考えていらっしゃる……」
「ああ、あれね」
『お嬢大佐』である葉月であるが、八代もその昔は葉月と面識ある男。
そんな葉月の事は知りつつ、馬鹿にする様子のない言い方に、逆に達也はまた素っ気なく返答していた。
「実はさー」
「なんだよ。お嬢さんになにかあるのか?」
「あれ、俺が書いたの。原稿……」
それを聞いた八代が、呆気にとられている顔になった。
そして、今度は達也が笑い出す。
「お、おいっ。そんな事、していいのかよ!? いや……あり得るとして、そう言う事をたとえ同期生を目の前にしていても、側近が軽々しく言って良いのか!?」
彼も軍人だな……と、達也は微笑んだ。
『そう言う事』も、あり得る事はあり得る話で……だが、そんな『上司の駄目な所をサポートする部下』があったとしても、そこは仕えている上司の内密事情は語らないのが『側近』である事情も良く心得ているな……と。
だが、達也は笑いながらも、一言添えた。
「でも、話の内容は葉月から出た物に間違いないぜ」
「は?」
「あいつ、日本語文章に直すのが下手なんだよなー。まさかと思って、原稿を見せろとせっついて確認してみたら……ああ、情けない大佐嬢様でね。英語で書けっ! と書かせたら、ちゃんとしたのが出来上がるんだよ。つまり、俺の『翻訳』って訳」
「なんだよ! 始めからそう言えよ!? 驚かすなー。お前は!」
達也がケラケラと笑い出すと、八代も呆れたように、でも今度は楽しそうに笑い出す。
「相変わらずだな──御園も。昔、俺達の教官実習生でやって来た時の、年に似合わぬ出来っぷりも驚きだったが、それに反する世間離れっつーか、抜けている所がぽっかりあるのが……!」
「だろう? 飽きないぜ」
「そういう何事にも完璧でなく、抜けている所が……また、放っておけないんだろう?」
「べ、別に……」
「しかしね。せっかく本部将軍家の婿として安泰の秘書官になったと言うのに。お前もお前だな」
「……」
彼の分かりきった慈しむような眼差しに、達也は顔を逸らし、窓辺に見える港に視線を馳せた。
「お前にとって、『あの出会い』はそれ程だったと言う訳か……」
「……そうなのだろうな」
静かに目を伏せ、神妙にコーヒーを味わう達也の様子に、彼はそれ以上の事──『いい加減に諦めろ』と言うような事は言わなかった。
「けれど、こっちでも随分と知られているぜ? 彼女の恋仲の話」
「澤村中佐だろう?」
「ああ。俺も去年、一目だけカフェで見たかな。右京少佐と一緒だった」
「あの時のね」
「お前ほどに目立つ人ではなくてさ。あのお嬢さんが惚れた? と、思いたくなったけれど。まー暫く眺めていると、なんていうか、静かなたたずまいに背筋が綺麗に伸びている姿と真っ直ぐな目が印象的だったな。ああいう男は、我が信念曲げない確固たる男だとね」
「うん、そう『頑固者』かな。普段、冷静な分、燃えると手がつけられなくなるし、本当にやってしまうやっかいな部分もある」
「そんな感じだ。きっと……そこだな。あの何を考えているのか何を望んでいるのか良く分からないお嬢さんが惚れたとしたら、そこに惹かれたのだろうなと思った」
「……正解……かな?」
「お前とお嬢さんが並ぶと、お似合いなのになー? やる事も、向かう所もそっくりでさー」
「うるさいなー」
『残念だな』と同情でなく、嫌味な意味でニタニタしている同期生に、達也はふてくされた。
横須賀訓練生時代では、他の訓練生が必死になっているのを傍目に、達也は余裕でふらふらしている所があった。
英語は勉強しなくても、父の仕事で渡米した時に身につけてしまっていたし、身体能力も上々だった為、なんでも器用にこなせてしまっていたのだ。
必死になっている奴らの中で、ひがむ者も結構いた。
そんなある意味『退屈な日々』だった中で、フロリダからやってきた特校生──『葉月』が、女であっても横須賀にない物を……達也が感じたことがない刺激を与えてくれたのが衝撃だったのだ。
だから、八代が『お前でもどうにもならない事ってあるんだな』と、面白がっているのだ。
「ま、彼女を追いかける為に、一年入隊を遅らせてまでフロリダ特校に編入したお前だ。今更、何を言っても……だな。頑張りな」
「はいはい、ありがっとさん」
膝を組んで、横にそっぽをむいた達也──。
だが今度の八代は、からかいのない見守るような穏やかな眼差しを見せてくれていた。
彼も……葉月がやって来た時に『巻き込まれた一人』。
『今までの中で、一番、ハラハラした日々』と語りぐさにしてくれているものだから……。
彼も、今はそうは顔を合わせる事のない葉月の事は、頭の中に鮮明に残してくれている一人なのだろう。
達也もそう思う事が出来て、微笑みながらコーヒーカップをソーサーに置いた時だった。
彼が話題を変えてきた。
「あ、そうだ。俺さ、今度上司についてフロリダに出張なんだ」
「へぇ──。秘書官候補生って感じだな」
「馬鹿にしているな? 元秘書官」
「もう、絡むなっつーの」
彼も横須賀校を出たエリートと言えば、そうなのだ。
彼ぐらいのスピードで昇進していくのが普通……と言っても、横須賀校を出た卒業生でも、彼は順調と言われつつも貴重な出世をしている一人だ。
葉月はともかく、達也や隼人のような昇進をする方が希なのだろう。
その彼もいよいよと言った所らしい。
ところが……彼が分かっているだろうが、さらりとある事を『平然』と言い出した。
「せっかくアメリカに行くからさ。その後、休暇を取って嫁さんとカリフォルニアに行こうと思っているんだ。あっちで落ち合って……」
「ロスに?」
「ああ。お前、ロスじゃないけど同じカリフォルニア州にいたんだろう? 何処か郊外で良い所があったら教えてくれよ」
『カリフォルニア』──そこは、達也が幼少の頃、父親のワイン作り修行の為に連れて行かれ、住んでいた所だ。
つまり……。
「そ、そうだな……。ああ、えっと」
「……」
急に言葉が上手く続かなくなった達也を見て、八代の表情が固まる。
「悪い。余計な事……言った」
「いや」
「もう、大丈夫──だなんて事、なかったよな」
「……」
達也が黙り込んだのを見て、今度の八代の顔はとても申し訳なさそうな顔になった。
「いや──あるぜ。嫁さんを連れて行ってやったら喜びそうな所! 待ってろ、今、手帳に書き写すから!」
「海野……」
「いいから、いいから! 気にするなって!」
「……」
達也の空元気──。
八代が今度は黙り込んでしまった。
達也は……ただ手帳に、主立った観光地を記すだけだった……。
「じゃぁな。お嬢さんにも、よろしくな」
「ああ。今度、お前の嫁さん、見せろよ!」
久し振りの語らいを終え、二人は横須賀基地前で別れようとしていた。
手を振って、基地へと戻っていく八代の姿を、達也は暫し眺めていたのだが……。
拳を握って、意を決する。
「八代!」
「?」
彼が振り返る……。
達也はそこに駆け寄った。
「頼みがある……!」
「な、なんだよ……」
いつにない達也の差し迫ったような顔に、八代がおののいていたのだが……。
達也はカリフォルニアのある住所を書き留め、彼に手渡した。
「その……余裕があれば、時間があれば……ついで……で……。絶対じゃなくて……」
「海野……これ、もしかして」
「や、やっぱり……いい! 変な事を言った!」
「お、おい!」
達也は渡したばかりのメモ用紙を、八代の手から奪い返してしまっていた。
額に汗が浮かんでいるのに気が付いて、達也はなおさらに……同期生の前で狼狽えてしまっていた。
のだが……八代は、真剣な表情でそっと達也の手から、そのメモ用紙をさらっていった。
「任せろ。『絶対』に……だ」
「……」
どう答えて良いか分からなくなってしまった達也を察してか……彼は、それ以上は何も言わずに去っていった。
達也はそっと深く──息を吐いて、うなだれた。
書いた住所は……懐かしいワイナリーの住所。
そして、『母親』が住んでいるだろう『ロス』の住所……。
・・・◇・◇・◇・・・
今回、達也は横須賀市内のビジネスホテルに宿泊する。
そのホテルにとりあえずチェックインを済ませ、夕方まで一休み。
葉月からも、せっかくだから鎌倉の家に来たらどうかと誘われたが、達也は断った。
あの家に行く事は嫌いじゃない。
達也の性格だと、准将がいるから気負うとかそんな事は皆無に等しいし、あの家の人は、皆、好きだ。
葉月の叔父の京介にも、叔母の瑠美にも──。
従姉の瑠花に薫にも、会えば皆が『海野、海野君、達也君』と可愛がってくれた。
元来の性格のせいか、そうして皆が細かい事は気にしない達也を受け入れてくれたのだ。
それはまるで『親戚の家』に行くような感覚だった。
どこか引っ込み思案で、いつだって『物憂い』そうにしている末っ子の葉月の横で、達也が彼女を良きにも悪きにも、はやし立てるように賑やかにしていると、少しでも葉月が反応して感情を露わにする。
それを見て鎌倉の御園親族は、とても安心したような顔をしていた。
そういう、すっかり縁深くなった鎌倉一族の元にお邪魔する事が出来るなら、達也だって、そうしたい……。
だけど──『断った』
それもこれも……。
葉月が側にいるだけで、『今』の達也は何をするか解らない。
どんなに彼女の気持ちを理解していても、彼女が他の男を一心に見つめている事を解っていてもだ。
達也にしてみれば、そんな事は実際『関係ない』に等しい……と、若い以前なら思っただろう。
だけど──それは自分の想いを貫くだけの事。
そこで、彼女がどれだけ苦しむ事か。
見たじゃないか。
昨年──『板挟みになった彼女』を。
傍観していた達也だが、本当の所はなにもかもが『じれったくて』仕方がなかった。
葉月がどっちつかず……とかじゃない。
完全に『男二人』に腹を立てていた。
まったく……これだけ葉月に愛されているのに、いったいなんだと言うのだ? あの男達は。
俺が参戦できるものなら、俺なら絶対に葉月を抱きしめて離さないと言うのに。
どうしようもなく二人の男性を同じように愛してしまっている彼女を『お手玉』の様にして、彼女の意志を無視して投げかけたかと思えば、受け取った側も、また投げ返して。
けれど──だった。
葉月は『変わった』。
良い方向に……昔、達也が願っていた様な姿に変貌しつつある。
それってやっぱり? 隼人兄と黒猫男のお陰って事になるのかい?
達也はふと最近……そう思ってしまうのだ。
そして『参戦する権利』すら、割り込む隙間すらないまま、彼等の手に彼女を委ねざる得なかった『敗北感』を噛みしめてしまう。
だが……! 達也の信念は変わらない。
もし! もう一度、葉月を手に入れたのなら……。
もう、今度こそ絶対に手放さない。
もし、俺の腕の中で、葉月が他の男に心を揺らしても──『俺が一番、どの男よりもお前の事を愛している。どの男よりも、どの男よりも……。どんなに時間をかけてもお前を振り向かせてみせるよ……その為なら、なんでもする。だから、絶対に! 諦めて、手放したりしない!』──そう言う。
そして彼女が俺の腕の中で、他の男に思いを馳せていても──そんな彼女と闘う。
その男がいなくなるまで……ずっと、諦めないで、抱きしめ続ける……!
隼人のように、手放さない。
義兄のように、達観したような愛し方などで満足しない。
そして、以前の様に、『もう、俺は駄目だ』だなんて、二度も思うものか。
達也の心は……いつもそう燃える。
そんな心で、どうして葉月と同じ屋根の下で一晩をやり過ごせというのだろうか?
絶対に、なりふりかまわずに彼女にまっしぐらに向かってしまう自信の方が勝っている。
彼女を抱きしめたら……絶対に離さない。
あの男よりも
その男よりも
俺は、どんな時でもお前が一番して欲しい事を、絶対に叶えてやる。
抱きしめて欲しいなら、そうする。
……黙って側にいて欲しいだけでも、そうする。
そこまで考えて、達也は一つの答えに辿り着いてしまう。
きっと──今は『黙って側にいて欲しい』になるのだろう。
結局、達也は『今の自分がなにをするべきなのか』に辿り着いてしまい……ふと静かに心の波を鎮め、眼差しを伏せる。
燃える心は、そうして何度も鎮まってきたのだ。
夢の中の彼女は……今よりずっと若くてあどけない顔で、髪が長い。
あの頃、誰にも邪魔されず『確かに俺のものだった』彼女をずっと抱きしめている夢。
それが近頃──そうではなくなってきていた。
夢の中の彼女は……もう何にも揺るがない煌めく眼差しを携え、そっと微笑む静かな女性だ。
そんな彼女は夢の中では、真っ赤な口紅をつけている。
夢の中で、そこの色彩だけがはっきりとしていて、達也は何にも囚われず、その燃えるような色彩に何度も唇を寄せてきた。
けれど……唇を重ねた途端、感触がないままに、彼女はすぐに消え失せてしまう。
「──! ……また、夢……か」
気が付くと、泊まり部屋のベッドでうたた寝をしていた様だ。
達也はそっと唇を指でさする。
また──虚しい程に、感触はない。
その代わり、脳裏には鮮烈な映像がくっきりと残っている……。
達也は時計を見て、時間を確かめた。
そろそろ右京の迎えが来る頃だ。
達也はホテルの一人部屋を後にした。
・・・◇・◇・◇・・・
会場になるレストランは、達也が宿泊するホテルから車でほんの数分の近場にあった。
港の景色が、垣間見えるこじんまりとしたレストラン。
一階がダイニングになって、そこが食事をする所らしい。
「今夜は、ビュッフェスタイルでシェフに腕を振るってもらったんだ。気楽に楽しめると思うぜ。あ、一階は禁煙だから、喫煙は二階でよろしくな」
右京は、葉月を基地まで迎えに来た時の格好でなく、この日は紺色のタイトなスーツを着ていた。
その色の濃さが、『イブニングパーティー』を思わせ、達也は淡いグレー色で決めてきた事に、ちょっぴり後悔した。
右京の濃い紺色は夜の海の色のようだ。
そして中は思い切って、真っ白なシャツ。
この日はネクタイでなく、右京はそこは『彼等の色』であるだろう水色のアスコットタイをあしらっていた。
そして、彼は白い愛車を降りてから、一人でにやにやとにやけてばかりいる。
「どうしたんすか? お兄さん」
「あ。ああ、うん。いやー、葉月を見て驚くなよ〜。俺も当初は爽やかな色合いで決めようかと思っていたんだが、葉月のドレスとコーディネイトを見て、この格好に変えたぐらいなのさ」
「! ええ、そうなんすか!?」
右京とは違う雰囲気でまとまっているなと、自分を評価してしまった達也には結構『衝撃』な現状を知らされた気がした。
絶対に、葉月の事だから、淡い色とか、青系の爽やかな色合いになると予想しての、今夜の達也の格好。
隣の栗毛の紳士は……そう、彼もいつもより、重みある濃い色合いで揃えているのは珍しい気がした。
目の前のレストランからは、ピアノや弦楽器の音──。
そして、一階のバルコニーには既に、しっとりと落ち着いた雰囲気の紳士に淑女といった格好の男女が、グラス片手に会話を交わしている姿が。
タキシード姿の男性と一緒にいる夜会巻きにした栗毛の女性は、黒いマーメイドラインのしっとりとしたドレスを着込んでいる。
大人っぽい後ろ姿の、栗毛の女性……。
栗毛の女性──?
そこで、達也はハッとした。
その時──横にいた右京がにこやかに『葉月ー』と手を振ったではないか?
「お兄ちゃま。あ、達也! 来てくれて有り難う!」
「! は、葉月?」
栗毛を夜会巻きでアップしている、しっとりとしている大人っぽい後ろ姿。
なんと……葉月だった!?
振り向いた彼女は、首元はふんわりとした大きなリボン結びがあるアメリカンノースリーブの大人っぽいドレスで、手を振ってくれている。
「……嘘、だろっ」
おののいて、思わず呟いた達也を見て、横にいた右京が笑い出した。
「だろうー? お嬢ちゃんは卒業してくれたのかね〜? まあ、アリス嬢のアドバイスもあるみたいだけどな? でもドレスは葉月自身が一目で『これを着る』と言ったらしいぜ?」
「嘘だー」
かえって、達也は唖然としてしまっていた。
その時、達也の脳裏にパッと蘇ったのは、『昨年のマイアミでの買い物』だった。
葉月の誕生日パーティーをする事になって、葉月にドレスを着せる為に元妻のマリアと隼人と一緒に葉月をマイアミに連れ出した。
その時、元妻のマリアは、葉月に黒い大人っぽいドレスを着せようと躍起になっていたが、隼人と達也は『葉月には似合わない』と取り合わなかったし、それに葉月に試着させたが、まったく全然雰囲気に合わず、達也の言葉で言うなら『ドレスに殺されている』と言うぐらいに、似合っていなかったのだ。
それが……目の前に現れた彼女は、そんな『殺されていたドレス』を見事に着こなしているではないか?
そんな葉月が、バルコニーの階段を降りて、達也に向かって歩み寄ってきた。
「どうだったの? 同期生と……」
「あ、ああ。楽しかったぜ」
「そう。良かったわね! 今からも楽しんでね」
「あ、ああ……」
煌めく笑顔を見せる葉月は、以前のように着飾る事を億劫そうに避けていた彼女じゃない。
女として着こなす事を、ちゃんと楽しんでいるようで、そしてそんな女性らしさに堂々としている。
そんな彼女に達也は釘付けになる。
……葉月は、真っ赤な口紅をつけていた。
「ね、達也。シャンパンを飲むでしょう? 来て」
「そ、そうだな」
積極的に達也をエスコートしてくれる葉月。
女性として確かに変貌している彼女。
それ以上に──明るい笑顔。
そんな彼女が『本当に現れた』と言う、達也の感動。
そして、真っ赤な口紅の女性が『本当に現れた』!
これは夢で終わらすべきか? それとも……!?