4.自覚

 静かな廊下を葉月は独りで歩いていた。

先程、『大佐昇進』を言い渡された時、辿った道のりをもう一度歩いている。

高官棟、カフェテリアがある棟の4階高官室の廊下。

そこに連隊長室、副連隊長室……そして、細川の中将室など……

各将軍達の仕事場が並んでいるのだ。

当然、秘書室も沢山ある。

滑走路側が見えるように室内が設置されているので

廊下側は裏側、窓辺を覗くと桜の木など中庭が見下ろせた。

 程良い気候のせいか、窓は所々開けられていて爽やかな風が入り込んでくる。

その開いている一つの窓辺で葉月は立ち止まった。

サラサラになびく短くなった横髪。

同じように葉桜になった葉が夕方の風にそよいでいて心地よい音が耳に入る。

そこで葉月は暫く夕焼けに染まる空を眺めていた。

 

──「よく頑張ったな……俺とロイと右京が……お前を絶対に『大佐』にしてやる」──

 

 あの時の……夢と思っていた義理兄の声が聞こえた。

そして……葉月は唇をそっと右手の指でさすった。

夢と思っていた『義理兄からの口づけ』

 

 『でも……』

葉月はそこでまた……俯く。

 

『本当にしてしまうなんて……お兄ちゃま達らしいわね……でもね……?』

 

 葉月は心でそこまで呟いて、また、夕空を見上げる。

胸を張って深呼吸。

その窓辺から離れて……先に見え始めた『連隊長室』に視線を真っ直ぐに向ける。

 

『私は……』

 

 きっと、ロイとまた言い合いになるだろう……。

それを覚悟で葉月はやってきたのだ。

おそらく……ロイも解っているだろう……。

 

 

 『コンコン……』

大きな木造の連隊長室の扉を葉月はノックする。

『ハイ』

リッキーの声が奥から聞こえた。

「四中隊 御園です」

その声を聞き届けて、リッキーがいつもの優雅な微笑みで迎え入れてくれた。

ロイは? と、思いながら室内にはいると……

大きな応接ソファーで、威風堂々……足を組んで煙草を吸っているところ。

「来たか。澤村のお父さんはどうした?」

ロイは表情を灯さない連隊長の顔で煙草を大きなガラスの灰皿にもみ消していたが

言葉はいつもの『兄様』と言った感じだった。

 

 葉月は敬礼はしなかった。

今、ここに来たのは『妹分』として言いたいことがあったからだ。

でも──

そこの感覚を『出しても良い』との許可を兄様分から受け取っていないので

直ぐにはソファーに腰はかけない。

 

 「真一が来たので……初対面の挨拶も済んで……

気の良いお父様ですから……真一の事にも優しく声をかけて下さって……

真一もすっかり……甘えたようにして話し相手をお父様がして下さってます。

澤村を挟んで、とても賑やかだったので、そこを見計らって……」

「そうか……まぁ、座れよ。『葉月』──。

スカート姿に戻っていて、ホッとしたぞ?」

『妹分』としてのお許しが出たようなので、葉月も少し微笑みながら

ロイの向かい側に腰をかける。

『リッキー、ロイヤルミルクティーだ』

ロイが、リッキーにそう言い付ける。

「あの、普通の紅茶でいいから──」

葉月がそう言っても、リッキーはニッコリ『任せて』と言って秘書室に下がっていった。

 

 「水沢から聞いたが? 話ってなんだ??」

ロイがすぐさま尋ねてきた。

彼は葉月から顔を逸らすように、既に置いてあった煙草の箱からまた一本抜き出して口に挟んだ。

「…………」

葉月はどこから話して良いのか解らなくて……

それだけ、言いたいことが『沢山ある』のだ。

そんな葉月を確認しながら、ロイは今度は真っ直ぐに葉月を青い瞳で見下ろした。

「…………『昇進』の事だろ? 確かにお前は女という立場でありながら

俺が大佐になった時と同じ……『最年少大佐』になった事には戸惑いがあるだろうが??

任務でそれほどの負傷を負う程の『覚悟』と『成果』は目に見えて明白だ。

フロリダの会議で今度は、誰1人……反対は無かった。

ただし……『周り固め』を『条件』にされた。

若い女大佐が1人で歩くにはまだ、ほど遠い……

それに伴って、隼人とジョイを昇進させ……今後は『人材集め』に力を注ぐよう俺が言い渡され……」

ロイが葉月の『昇進』について、説得するような話を淡々と続けている。

そこで──

「……誰も……疑わなかったの?」

葉月がスッと滑らせた一言。

葉月も真っ直ぐに……煙草に火を点けて煙を燻らす兄様を見つめ返した。

ロイの言葉も動きも止まった。

暫く、二人が見つめ合う沈黙が流れる──。

すると……ロイはまた、葉月から視線を外して……そっと煙草の灰を灰皿に落とした。

 

 「……これでも連隊長。なんとでも出来た」

「報告は? 私のたった1人の潜入と? そんな事、誰が信じるの?

疑う幹部もいたはずよ? そこは、どう言い分けて今回の『昇進賛成』に運んだの?

そこが一番気になっていたの……」

葉月の質問にロイがため息をついた。

そして──

そう……厳しい『男の目』を直ぐに差し向けられたので……

葉月は、そっと息を呑んで言葉を止めた。

 

 「お前なぁ? 軍人として何を『やってしまったか』解っているのか?」

「勿論……命令外の事をしました」

素直に認める。

輸送機から空中ダイビングをする際に。細川にも『懲戒免職になる』と言われたぐらいだ。

「だが、亮介おじさんの『命令』と言う事になっている。

サポートについた隊員がいるかいないか……そこを曖昧にするために、フランスまで飛んだ訳だ」

「曖昧? どのように曖昧に??」

葉月が真剣に問い詰めると、ロイはまた厳しそうな視線を葉月に返してくる。

「……『黒猫部隊』は……軍隊とはまったく違う組織。その男達とお前が手を組んだ……。

オヤジさんが最初から切り札で考えていた作戦として

その事実を知られないよう……

『私の所存で用意していた隊員、作戦は元より極秘、小笠原連隊長と準備をした』と……

そう会議でも明言していたぞ

俺はフランスに飛んだのも、直ぐにその作戦は確かに極秘で言い付けてあり、

フロリダ中将と話し合って御園本人に言い含めていたと証言するため……

後は……その用意していた隊員というのもマイクとリッキーに上手く『細工』させたが……」

「その隊員は?」

「バカ……お前はそこまで気にしなくて良い。

軍事の事運びを、ここで覚えられても困る。10年早い!」

そうキツク言われたので──

葉月はそこは申し訳なくなってきて『追求』をやめた。

「あの……本当に申し訳ありませんでした」

自分の『勝手な判断、勝手な単独行動』

その為に父を始め、細川、ロイ……その側近達のマイクやリッキーまで……

皆が単独行動は元々あった作戦として作り上げてくれた手間に感謝をしつつ頭を下げた。

すると、ロイがすぐに許してくれたように『フフ……』と微笑む声が聞こえた。

そこで、頭を上げてロイを見つめると……

「まぁ──お前があそこで飛び出して、黒猫と潜入しなかったら……

第一陣フォスター隊は全滅していただろうな……。

犯人も素早く逃げていた所だしな……『成功』したから良かったんだ?

これで『失敗』していたら、お前はおろか、亮介おじさんも大きな責任取らされていただろう?

だけどな? そこが、お前が成し遂げたのは『流石、御園一家』と言うところ……

誰も非難は出来ないだろう……」

ロイがそう言って誉めてくれた……。

しかし──葉月はそこで喜べない訳があって『ここに来た』のだ。

 

 「違う……」

葉月は煙草を吸うロイをまた、真っ直ぐに見つめる。

今度の眼差しは……少しばかり涙が出そうになる眼差しだと……

葉月は自分自身で解るほど……

『切実』に胸に詰まる思いがあるから……。

でも──

今から言う一言をロイが許してくれない事も……解っているから躊躇っている。

でも──

それを言いたくてやって来たのだ。

「違う──私自身の『力』でもなんでもない!」

葉月が少し高い声で言い出すと、ロイが何を言うのか解っているかのように

煙草を吸う手元を止めて……

でも、葉月に言いたい事は言わそうと、ジッと静止していた。

ロイの冷たくて美しい紺碧の瞳……。

葉月はその瞳を見つめながら……もう一度、息を吸って言葉を吐き出した。

 

 「義兄様が……義兄様が……助けてくれたから……最後に犯人を仕留めたのは……」

「それ以上! ここで言うな!!」

ロイは手元にあったジッポーライターを『ガツン!』とテーブルに叩き付けて怒鳴ったのだ。

「その事が外に漏れるとどうなるか……解っているのだろうな??」

「……は、はい」

確かにそうだ。

最後に犯人を仕留めたのは『ジュール』ではあるが今でも『達也』になっている。

そこは葉月も知っていながら……心苦しいが黙っている。

黒猫は足跡を残してはならない。

黒猫達が軍が仕留めたように『仕上げた事』を無にすることになる。

イコール、外に仕事の始末が漏れると、『足跡ナシ』の彼等の誇りを傷つけることになる。

達也には申し訳ないが……

達也は運とタイミングが悪かっただけで、最高の狙撃をした事には間違いがない。

達也が仕留めていれば……義兄は動かなかったはずだから……。

達也はこの事実を知ると猛烈に怒るだろう……。

彼も何処かしら腑に落ちなさそうな様子であったから……。

でも、あの時、あの結果ではああするより仕方がなかった。

だから──葉月はロイ達に合わせて知らない顔をしなくてはならない。

 

 でも、言いたいのはそんな事でなく。

「その事はもう言わないから……兄様」

葉月が素直にそれ以上言わなかったのでロイもホッとした顔をしたのだ。

「そうじゃなくて……作戦の事じゃなくて……」

「なんだ? 何を言いに来たんだ??」

「……『お兄ちゃま達』は、私に何をさせたいの?」

葉月は、ロイに……そう、頼りない小さな声でそっと呟いた。

だが、ロイには聞こえていたようで……

恐る恐る、兄様分の反応をそっと伺うと、意外と面食らった顔をしていたのだ。

「なんだ? 急に? そんな事が言いたくて来たのか?」

「……うん」

やっと、妹らしく頷いていた。

「何って……別に何をさせたいわけもないし?

俺が一番望んでいるのは……お前が立派な幹部軍人になる事で

もっと、違う望みは、誰よりも女らしく幸せなることだけどな?」

ロイのその返事は慈しみある『兄様』の時の眼差しだった。

『いつも言っているじゃないか? 何を今更……』

ロイはそう微笑みながら、煙草を一本吸い終えて灰皿に消した。

「そうだけど……」

「右京だって同じだ。むしろ、お前が軍人という職にしがみついていなければ……

鎌倉の手元に置いて、然るべき男の所に嫁がせたい所だろうさ?

軍人であっても、右京は誰よりもお前の女としての最高の幸せを待ち望んでいるし……

その切なる願いは、俺以上だと思うけどな?

それをなんだ? 『兄貴達は自分に何をさせるつもりだ』なんて……」

ロイが呆れて、金髪の前髪を掻き上げて…ソファーの背に身を沈めた。

「でも……何故? 私が『大佐』になる必要があるの?

例え、任務の功績が認められても……ロイ兄様のように私は器量もない……

只の女隊員なのに……しかも、二十代で大佐なんて……おかしいと周りは絶対思う」

「そんな常識、知ったこっちゃないね?

その常識を俺は覆したくて、ここまで来た。お前が最初の『最年少大佐』ではないだろ?

俺も然り、祐介も然り……皆、若くして大佐になった奴なんて沢山いる」

「でも──私なんて……」

「だから、言っているだろ? お前1人の力で大佐になったと思うなよ?

周りの優秀な補佐達の力で……

『四中隊に大佐を送った』──その象徴が……御園葉月だっただけだ。

お前が前ゆかねば、隼人もジョイも山中も……小池も、前に進まないだろ?」

「…………」

 

 葉月はそこで唇を噛みしめた。

そのロイの言っていること、言い聞かせていること重々承知で

『大佐昇進』を黙って引き受けた。

 

 葉月の『受けて立つ』はもっと違う事。

それが言いたいのに、『怖くて言えない』

 

──「受けて立つねぇ? 『何に対して』?」──

 

 隼人のあの時の言葉が葉月の胸に蘇った。

『これからの……私の為!』

葉月は目をつむって……なんとか、言葉にしようと考えた。

 

 そして──

「私は……『皐月お姉ちゃまの代わり』じゃない……」

これも、俯いてそっと呟いたのだが……

「……」

ロイには、また聞こえていたようだ。

僅かなしわを眉間に刻み込んで……今度は、彼にも何か思うところがあるような反応……。

だが、兄様分から返ってきた答えは先程と同じだった。

「なんだ……唐突に?」

『はぐらかされる』……葉月は、そんな風に感じ取った。

いつも、そう……10歳、12歳歳が離れている『彼等』には勝てない事ばかり。

言い含められて、ご最もな事ばかりだから。

でも! 葉月は、今度は顔を上げてロイを見つめた。

 

 「だって……。姉様は、とても優秀な女性隊員だったじゃない?

姉様が生きていたら……きっと、今の私以上に、ロイ兄様と同じように『優秀』だったと思うわ。

私は……何もしていない……。いつも、お兄ちゃま達に導かれてここまで来ただけ……。

それは……『感謝』している! 軍人として自分が選んだ道だから……感謝している!」

ロイがそんな力説して熱がこもる葉月とは対照的に……

『そうか?』と、冷めた呆れた返事を返してきたが、葉月は構わず続けた。

「でも! 私は私で……お兄ちゃま達は、私の力のない領域にどんどん勝手に進める!

まるで……皐月姉様が出来なかった事を、私にしてくれているような気がして……!」

葉月はそこまで言って……次の言葉が出てこなくなった。

言いたいことが沢山あるから……どう言えばいいのか解らない。

それで、口を開けては閉じて躊躇っていると、それを見計らってロイが言葉を滑らしてきた。

「……軍人として目指していることは……

お前が皐月の代わりでなくても、お前自身が望んでいる事だろ?

俺達に、感謝しているのならば……そう言われる筋合いはない。

大佐という地位がそぐわないのは当たり前だ。

単にお前が自信がないだけで、怖じ気づいているだけだ。

それに、何歳の男が大佐になっても最初から『しっくり』くるものか?

民間にも20代で成功する社長はいる。

いかにして、その後、自分が『大佐らしくなるか』がこれから『大事』なのではないか?

お前のその点の『プロ意識』の感性は、俺は認めている。

『最年少中佐』だった時と同じ事だ。 新しい局面に……」

 

 「解ってる!!」

 

 ロイのクドクドとした『説教』に、こんなに苛立った事は葉月は一度もない。

先ず、すべてを聞いてから、いつもロイに自分の気持ちを素直に述べていたのに……。

ロイも、今度ばかりは癇癪をおこしたような妹分に驚いたのか?

そこで、固まって言葉を止めてしまった。

 

 暫く……連隊長室に沈黙が流れた。

何故か……リッキーも戻ってこない。

 

 葉月が癇癪を起こした一言の後。

やっぱり、大人の兄様であるロイが一つため息をついて止まった様な空気を動かした。

「葉月……ハッキリ言おうか?」

反抗してしまって……そんな自分に嫌気がさして俯いていた葉月は……

今度はロイに何を叱られるのかと……怯えながらそっと顔を上げた。

でも? ロイは仕事中の冷たい将軍の顔はしていなくて……

葉月が昔から慕っている大好きな優しい青い眼差しで葉月を見つめているだけ。

「葉月……お前、初めて言ったな……」

「え? 初めてって??」

ロイが唇の端に哀しそうな『微笑』を刻んで瞳を伏せた。

「いつか言い出すと思っていた。でも、俺はそれを望んでいたかもな。

待ち望んでいたかもな……」

「え? なんの事??」

ロイが遠い目をして……窓向こうの海に視線を馳せたので

葉月はそっと……そこで兄様の次の言葉を待った。

「そうだろ? お前は皐月じゃなくて、お前の言うとおり妹の葉月だ」

「うん……??」

「お前は守ってくれた姉の代わりに走っているとは……今までも言わなかった。

そして……自分のためだと、きちんと言っていた。

それは……俺も知っている……『軍人』として……。

右京だって知っている……。

お前の女としての幸せを望んでいながらも、やっぱり右京も『御園一族』

従妹が、望んで選んだ道、軍人の道で繁栄してくれるなら力になるだけ。

俺達は……お前が頑張った分は……そうして形になるよう……

お前が出来ないことはサポートしてきたつもりだ。

お前は……その点については、『感謝する』と今言ったよな?」

葉月は、ロイが何を言いたいのか解らなくて……

肯定的な兄様の反応にただ頷くだけ。

 

 「お前が苛立っているのは……たった1人の男がする事に苛立っているだけだ」

 

 優しいロイの眼差しが、冷たく変わって葉月を射抜いた!

葉月も……それが何をいわれているか解って……

急速冷凍されたように身体が『ピキン……』と、硬直したのが解った。

 

 「……違う!」

葉月が即座に『否定』すると

「図星か」

ロイが無表情に呟く。

葉月は、首を振った……ただ、首を……。

だが、ロイは続ける。

「俺は……『純一』が嫌いだ」

「……」

ロイの『お決まりの一言』

昔から、何度も聞いてきた言葉。

「でも、尊敬はしている」

「え?」

その一言は初めて聞いたから、葉月は驚いた!

「でも……ロイ兄様は、私と義兄様が逢うと凄く怒るじゃない!

私には、甥っ子の父親であって、姉の愛した人だから……嫌いになんてなれない!

それに……義兄様はいつも最後に助けてくれる! たくさん私に教えてくれた!

左肩が動かなくなっても、ヴァイオリンを無理矢理持たせて叱ってくれたのも義兄様だった。

皆、もうヴァイオリンは持てないと、私からヴァイオリンを遠ざけたのに

『辛くても絶望的でも下手でも好きなら触れ』って持たせてくれたのも義兄様だった!

だから……『純兄様』が大好きなのに……ロイ兄様は全然兄様と仲良くしてくれないじゃない!」

葉月は半ば、興奮状態で瞳に涙を浮かべていた。

ロイが……真一の時計を海に捨てたあの夏。

ロイにひっぱたかれたあの夏。

 

『ロイ兄様は……皐月お姉ちゃまを取られたから義兄様が憎いのよ』

 

そう思っていた。

それに……

『真一を捨てた薄情な父親』

そう言っていて、『オチビ扱い』の葉月には純一が何故? 表世界を去ったかは知らないし

確かに幼い頃、純一が真一を置いて忽然と消えてしまった時のことも

切望的な感覚でいまでもその時の事を思い出すと胸が痛い。

『本当の理由』を知らないから……

だから、純一よりは歳は下でも同期であった大人のロイの『非難』を否定できなかった。

 

ロイの純一に対する『薄情な父親』の言い分は、何となく言う気持ちも解るし

それに加算されて『フィアンセを寝取った男』として嫌うのも解る。

 

 そんな男、純一が……ロイ自身が可愛がっている妹分と、愛した女の息子に

『薄情』なくせに、いけしゃあしゃあと近づくのが我慢できない。

だから……

葉月と純一の接触を『力づく』でも、ロイは止めようとしている。

 

 あんなに叱られて、殴られて……

純一に会うことに関しては、『絶対ばれないよう』に細心の注意を払ってきた。

それも、ロイが……『純一を許せない男』と位置づけているからなのに……

 

『尊敬している』

 

……の、一言にはなんだか今まで『嫌いの一点張り』を通してきたロイと思っていた葉月としては

絶対に信じられない一言だったし

『殴られた』事に関しても、悔しさが蘇ってきたのだ。

 

 「俺があの時……お前を殴って散々叱りつけた事に対して怒っているのか?」

興奮状態の葉月に対して、ロイはかなり冷めた眼差しと声で静かに葉月を見据えるだけ。

それも……葉月の蘇った悔しさを『ズバリ』と当てるところは流石としか言いようがない。

「もう一度、あの時と同じ事を言うぞ。

純一が、どういう男か解っているだろ? 『闇世界のボス』だ。

そんな男と『親戚』として解ると、お前や真一が訳の解らないアイツの敵などに狙われる事もある。

『親戚』として、密かに逢うならまだしも……お前は『女』として逢ってしまう。

それで? 黒猫ボスの『女』となってどうするつもりなんだ?

闇世界で優雅な女生活もある程度は良いかもしれないが……『王道』ではないぞ?

それでも、お前が『表世界のすべてを捨てる覚悟』があって奴の所に行ってしまうなら何も言わない」

「そんな事、覚悟があるなら行ってしまえ……なんて、『あの時』は言わなかったじゃない!」

「まだ若い20歳の小娘で、恋人もいなかったお前が、純一の事ばかり考えていたようだから……

表と裏の人間という意識は『ハッキリ』ケジメをつけて欲しかっただけだ」

「それで? 私を殴ったの??」

「解らせるには、一番手っ取り早いが、一番最悪の教え方だったかもな」

ロイが『後悔はしていない』とばかりに、でも、致し方なさそうに、そっと微笑んだ。

「もっと、言ってやろうか? お前が感じていることで気が付いてない事」

ロイがまた、無表情に余裕たっぷりに葉月を見下ろした。

葉月は……胸の鼓動が早くなってゆくのが解った。

なにせ……自分は、自分の感情を殺しすぎて来た。

10歳からずっと……。

哀しいことを感じると、哀しいし。

嬉しいことに素直に喜んでいると後が怖い。

ずっと姉と兄達に囲まれて、光り輝いていたあの日々も

急に転落させられるように陥れられた!

今でも、その事を考えると……胸が苦しい。

沢山の感情が湧いてきて、自分がどうにかなってしまいそうだ。

 

だから!

──『感じ始めたら、感じないように努めればいい』──

いつの間にか、幼い頃に覚えてしまった術だった。

 

 その葉月が感じていたはずの感じないよう意識しなかった事を

ロイは『知っている、見抜いている』

それを『言う』と言うのだから……。

 

 「純一に愛される度にお前は感じやしないのだろうかと……いつも心配していた」

ロイがこの時ばかりは……哀しそうに葉月を優しく見つめたのだ。

言葉も先程から続いていた鋭い切り込み方でなく……

どことなく……彼も口にするのは躊躇っているような……そんな口調。

それだけ、葉月に対して口にするのは『危険』と感じているのだろうか?

葉月にはそうも思えて……余計に緊張してきた!

喉が渇いて……背筋に汗が滲んでくるような……。

 

 「お前は雰囲気は違うが……『皐月にそっくり』だ。俺も時々、見間違う。

だからとて……お前を皐月の代わりにしようだなんて考えた事はない。

でも、お前は軍人の顔になるとき……本当に皐月にそっくりだ」

「やめて!」

だが、ロイは続けた……。

「純一にどう愛されているかは俺は知らない。

例え、純一が俺のように皐月の代わりにしないよう努めていても

お前の気持ちは避けられない事として、絶対に……皐月に 嫉妬……」

「違う! ヤキモチなんか……!」

葉月が首を一生懸命振っても……ロイはまだ続ける。

「純一は最高の仕事をする男だ。俺はいつだって適わない。だから尊敬している。

俺が『嫌い』と言う事のひとつに……『自分に正直じゃない男』と言う事が入っていて……

何故だ? 皐月を愛する望みが一欠片でもあるなら……

俺や真に譲るような余計な世話などせずに、真っ向から向かっていれば

数々の出来事は回避できたはずだ……。皐月の望むことも叶えられたはずだ。

アイツが自分を責めに責めている姿は不憫だと思う……。俺達も若かった……。

だけどな! 俺はそれを繰り返そうとしているアイツの『不器用さ』が腹立つんだよ!

お前を……真っ向から愛そうとしないアイツの……カッコつけるばかりのやり方がな!」

ロイのその心の本音を聞いて……葉月は動きが止まった……。

「今……最後に何ていったの??」

葉月が我に返ったようにロイを見つめ返すと……

ロイが苦い顔で俯いた。

「……お前は皐月の代わりなんかじゃない……。

アイツがそうすれば自分の気持ちに『楽』であって……

お前を裏世界に連れていこうという衝動を抑えられるから……そう見せかけているだけで……」

ロイは……そこで顔を上げて葉月を真っ直ぐに……

潤んだ青い瞳で一呼吸置いて……呟いた。

「純一はお前を確かに愛している……と、俺は感じている」

葉月の脳裏で何かが弾けるような音がした感じがする。

はっきりと口にした大人は……ロイが初めてだ!

「だからこそ……俺は阻止する。お前には……表の世界で自分の力で幸せを

隼人と供に……前にゆくんだ!」

 

『純兄様が……私を愛している!?』

 

 葉月の心に灯がともる。

沢山の捨ててきた感情がぶり返してくる。

これが欲しかった事。今までの自分を見つめて彼と向き合いたい。

過去のすべてを精算したい。

過去と決別して、彼と前だけ見つめたい。

こうしないと……隼人に愛しているのお返しが出来ない……。

 

そう思ったときに……兄達が姉の代わりにして自由に動かそうとしているのでは?

……そう感じたから、まず、ロイに確かめに来た。

なのに──!