45.リセット・ゼロ
達也の上司……『フォスター隊長が転属する話が出ている!?』
マリアは、『達也こそ、小笠原に行きたがっているのに……』と、納得いかなかった。
それも達也がこの前から望んでいる『小笠原行き』が達也じゃなくて……
目の前の上司に言い渡されていて、達也はその隊長の『跡継ぎ』として目を付けられている!?
それでは、達也と自分は何を言い争ってきたのか解らなくなり……
マリア自身も今夜まで、こうして一生懸命心の整理をつけてきて
やっと何が『真実』か解ってきたのに……
『あんまりだわ!!』と、さえ……思って声に出したくなった所だ。
「このまえ、お前のオヤジさん小笠原に行っただろう?
あれ……葉月の新しい側近としてフランク中将が引き抜きをかけているんだ。
その為の下見に、隊長は引っぱり出されて小笠原に行ったんだぜ」
「どうして!? フォスター隊長が? あなたを差し置いて??
あなた程、彼女の性質に精通している人ってそうはいないと思うわよ?」
マリアはナイトバーで、達也がキューを投げた時のことを思い浮かべてそう言った。
達也が投げたタイミング、葉月が解っていたかのように受け取ったタイミング。
二人は昔から、お互いの行動を見守って、そして──支えてきた事が解る瞬間だった。
「だから、俺は一度小笠原で『失敗』してるから、呼び戻しの対象にはならないんだよ。
その点、隊長はこの前の任務で葉月とも顔見知りで、出張でも良い指導成果があったようで
それに隊長もいい歳だろう? まだ、若いけど優秀なうちに内勤に収めたいんだろうさ?」
「でも! 達也、言っていたわよね!?
もし……側近職でなかったら、特攻隊を持つのが夢だったって! いつか言っていたじゃない!?」
上が決めた『転属』はそう簡単に覆せない。
それが出来ないなら、その話だって達也に取っては『輝ける話』じゃないかと思ったのだ。
今すぐ、小笠原に行けないなら『ひとまず』そうして身を保つことだって良いことかもと思う。
だが、達也は『一直線な男』……。
こんな事を言いだした。
「そんな横取りみたいな事出来るか」
「横取りって?」
「フォスター隊は隊長が育てた特攻隊で、俺が作った特攻隊じゃない。
それにメンバーは皆、隊長だからこそ頑張れるんだ。
俺が隊長の意志を引き継ぐのは簡単だが、メンバーはなかなか納得しないだろうな?
ましてや、俺、この前の任務がキッカケで、入隊して日も浅いし、
隊長の口添えで入れてもらったんだから──」
「……」
それもそうかもしれないとマリアも納得せざる得ない。
その形は達也の『夢』とはほど遠い形なのだと……。
そして──何よりも……達也の真っ直ぐな気性だと
絶対に自分では許せない形である事もマリアには通じた。
達也はこういう所が良いところで、そして不器用な所でもあるのだ。
「……達也? だったら、隊長に譲ってもらえないの? 転属の話……」
無理と解っていてマリアは呟いてしまった。
特攻隊の隊長になる形が納得できないなら転属しかない……。
そんな形で特攻隊長になる事の方が達也が一番我慢できない事とも良く解る。
もう一度、妻となれるなら、マリアは達也を小笠原に行かせたいと思う。
「んなもん。簡単に出来るか」
達也はまたふてくされたように、バッタリ寝そべってしまった。
そして……なんだか虚しそうに天井を見つめて黙り込んでしまったのだ。
「……」
小笠原には行けない達也。
特攻隊長にもなりたくない達也。
そうしてふてくされている達也はやっぱりマリアの達也じゃなかった。
マリアはそこでジッと方向を見定められない達也に
すこしばかりイライラしてしまったのだ。
「うーん……」
眩しい朝日が、達也の目を突き刺してくる。
大きなベッドの上で、達也は裸のままシーツを巻き込みながら寝返りをうった。
「あー、そうだ……マリア?」
昨夜、夫妻だった時のように熱情を分かち合えた元妻の事を思い出して
達也は頬を枕に埋めたまま、手を伸ばしてみた。
シーツの感触しかない──!?
ガバッと起きあがると……隣に女神のような美しい裸体の妻はいなかった。
達也は起き抜けで頭が少し痛み、唸りながら黒髪を振り額を押さえた。
「……一人で帰ったのか? な?……」
ぼんやりとしつつ……あのしっかり者の妻のこと。
朝早くに、ひとりでテキパキとタクシーでも呼んで実家に帰った様だった。
達也はクローゼットから、パリッとしたカッターシャツを取りだして
昨夜、脱ぎ散らかした服をかき集め、ライトグレーのスラックスだけ手にして穿いた。
後は洗濯物として、下のランドリーに持っていき、シャワーを浴びて着替えようと部屋を出る。
すると──?
一階からは物音がする。
「あ……なんだ、いたのか……」
何故だかホッとしながら、音がする方へと向かった。
音がするのはキッチンだった。
そっと覗くと、そこには以前通りにエプロンをして立ち回っているマリアがいた。
いつもキッチリと長い髪をまとめているのに……
この日は、すんなりと長い髪をおろしていて、横髪は昨日使っていたバレッタで
後ろに流して留めていた。
「……」
口が裂けても言えないが、同じ様な髪の色……。
長い髪……。
ああいう後ろ姿が時々、昔、夢中になった『アイツ』と重なることがある。
だけど……違うのだ。
マリアはマリアで、アイツはアイツでしかない。
それは付き合った達也が一番良く『見分ける』とさえ思えた。
それにマリアはとても豊満な胸と見るからに素晴らしい体つきで、
男をそそるほど良いスタイル。
それに比べて葉月は、モデルのようにスラッとしているが
胸の膨らみは小さくはないが目立つ方でなく、どちらかというと少女のよう。
その上、マリアはしっとりとした大人の女性が放つ匂いを感じるが
葉月はただそこにいるだけで、品は放ってはいるが……
時々『少年』を思わす程、『大人の女性としての感覚』には疎いところがあった。
ベッドの上でもそうだった。
葉月との営みは言葉にすると辛くなるからここでは考えないよう、達也はサッと除ける。
達也にとって……マリアが初めて『愛し合えた』といっても過言ではない。
女性から求められる喜びも、自分が愛した分反応してくれる喜びも
マリアと出逢って初めて知ったのだから……。
葉月との事は、一生懸命な時は苦にはしていなかったが
大人の分かち合いとなると『ほど遠い道のり』だった事を思い出す。
つまり……達也にとってマリアは『完全なる女性』であり
葉月はというと『女性であったり少年であったり……』不思議な存在で
どちらかというと『少年』のような葉月とカッチリあって……
そのカッチリ合った相手がたまたま『身体は女だった』という感じがするときもある。
勿論──?
時々変に妖艶な匂いを放つ葉月の色香も鮮烈に思い出すことがある。
時々だから、余計にそれが印象的だった。
葉月は……不思議なのだ。
ああだったり、こうだったり……一言ではくくれないような女? いや……相棒?だったのだ。
「マリア……良かった。帰ったかと……」
達也はキッチンに入って、コンロの前で料理をしているマリアの身体にそっと腕を回した。
そして、毎朝そうしていたように彼女の首筋に『挨拶』の口づけをする。
「もう! ビックリしたじゃないっ!」
そう、これもマリアが良く言っていた朝のセリフだった。
何でも達也は気配なく近づくので、彼女はとにかく突然触れられて
驚くことが多いとの事だった。
久し振りの朝の光景に達也はそっと満足に微笑んでいた。
「ちょっと、達也! いったいどういう生活しているのよ!」
だが、マリアは目玉焼きを焼きながら、達也に目をつり上げて突っかかってきた。
「え?」
「みて! 冷蔵庫に何にもないわ!! それに汚い!」
マリアは側にある冷蔵庫の扉を開けて、プリプリと怒り始めたのだ。
「あー、なんだ? その……カフェでなんでも食べられるし」
「モーニングも?」
「早めに行って若い奴らと一緒に……」
「それから! 洗濯物溜まっていたわよ! 今、洗っているから、それも出して!」
「え? ああ……洗濯は週末にまとめてしているんだ。俺、アイロンもかけているぜ?」
手に持っている洗濯物をマリアに指さされつつ、
達也はそんな言い訳を言いながら、甘い触れ合いをはね除けられて渋々キッチンを出る。
『戻ってきたら、ダイニングテーブルを拭いてねっ!』
「……」
昔の妻がそこにいた。
(うーん? 昨夜、散々小笠原に行けって熱入っていたけど……。
隊長の転属話を聞いて諦めたのかな?)
急に以前通りに朝から忙しそうに母親の如く立ち回るマリアの姿に
達也は複雑に思いながら溜息をついた。
シャワーを浴びて見繕いをし、シャツとスラックスを着て達也はリビングに戻る。
「もう、テーブル拭いてって言ったのに……」
マリアが既に朝食をテキパキと整えていて座ろうとしていた。
「いや……シャワー浴びたかったから」
「ほら! 時間がないから早く食べて!」
達也は、相変わらずの勢いあるマリアに、またもや渋々しながら椅子に座る。
達也は久し振りの自宅での朝食に嬉しいらや、戸惑うやら……
なんだか訳が解らないやらで、益々複雑な心境に陥る。
もう一度、聞きたい。
『マリア、戻ってきてくれるのか?』と……。
だけど、昨夜の彼女の勢いが頭にこびりついていて
今は言葉になりそうになかった。
それを言い出したとき……また、小笠原の話になると面倒なのだ。
なにが、面倒かって?
達也は隊長に小笠原に心おきなく転属してもらいたいし
そして自分はあの特攻隊を引き継ぐつもりはないという事。
だけど、マリアは昨夜寝る前、非常に不満そうな顔をして寝付いたのだ。
『どっちかに決めなさいよ!』
そういう話になると、気まずいのである。
隊長が転属した後、もっと熟練の陸官が隊長に任命されればいいのである。
達也はそれに従いつつ、時期を見計らって特攻隊の結成……。
そういう『進路』だってあるのだ。一つの方向としては。
マリアは、急ピッチで朝食を取っていて、とにかく出勤することで頭がいっぱいのようだ。
「今日は、サワムラ中佐と一緒に空母艦に乗船して訓練見学なのよね」
「へぇ……。お前が空母艦にね?」
「聞いて! 達也! 中佐と向こうのメンテ少佐が選んだ候補員と
私が見定めていた候補員がほぼ一致していたのよ?
そうしたらね! 中佐が、大尉は見る目があるから信頼できるって誉めてくれたの。
それにね……! その見学スケジュールも私に任せてくれて、
『完璧だ』って喜んでくれたのよ!!」
マリアはいつも仕事が上手く行ったときには、輝く笑顔で報告してくれる。
その笑顔で活き活きと達也に伝えてくれるのも以前のままだ。
だが──達也はむっすり膨れた。
「ふーん」
なんだかつまらなかった。
マリアがどんな男上司に誉められても、達也は手放しで喜んでいたのに。
いや……あのマーティン以外はになるが。
自分だって隼人のことは、この上なく認めているのに……
何故だか、妻が自分の元でなく、あの男の元で活き活きしているのが変に納得できなかった。
でも……隼人はこうも言っていた。
『もし、一緒に仕事をするようになったら受け止めてくれ……』
達也がこういう気持ちになることを解っていたのだろう。
だから、何も言えなかった。
「あら? 達也……。サワムラ中佐に妬いているの?」
マリアが意地悪くニヤリと微笑んでいる。
「なーにが妬くだよ? 仕事だろ、仕事」
妻にはサッと表情で見抜かれることが多かった。
達也はアセアセと、目玉焼きを口に運ぶ。
「そうよね? 仕事だもの。達也はちゃーん割り切れているわよね」
「……」
何もかも解っているかのようなマリアの含みある言い方に
達也はそっと肩をすぼめる。
達也がマリアより一つ歳は上だし、いざというときは達也がしっかり守ってはいるが
家の中では変にマリアの方が上手のことが多いのだ。
そこが頭の良い女性で、身体で一直線の達也には敵わない部分も結構あった。
歳が上と言っても、ほとんど同級生感覚なのである。
「……達也」
マリアは最後のコーヒーを飲み始めていた。
「なんだよ……」
マリアがコトリと、カップを置いた。
そして……達也の目をジッと琥珀色の大きな瞳で見据えてくる。
「……小笠原に行ってもらうからね。あなた、サワムラ中佐となら輝けるわ」
「──!!」
達也は思わず、ゴホッと食べていたのにむせてしまった。
「……マリア! まだ、そんな事言っているのかよ?
こうして以前通りに朝飯を作ってくれているから、俺、てっきり!」
「甘いわね。そんなの昨夜泊まってしまった『なりゆき』に決まっているじゃない?
それになに? この不健康そうな生活。
小笠原に行って一人暮らしになったら、きちんと自分でやらなくちゃいけないのよ」
マリアが今にも達也が小笠原に行くかのように真剣に言いきった。
「だから! それは俺じゃなくて隊長だって……!!」
「言っておくけど。私もう……達也との結婚生活よりもっとしたいことが出来ちゃったの」
マリアのもの凄い割り切りに達也は絶句してしまった。
「……私が冷たいだなんて言わせないわよ。達也が最初に言いだしたんだから」
マリアの目はちょっとばかり怒っていて、そして、真剣だった。
「おまえ……」
「私もハヅキのようになりたいわ。人に信頼されて仕事したいの」
「今までだって充分……立派にしていたじゃないか?」
「今回の事で解ったの。まだ、私には『実績』がないわ。
『信頼出来る』同じ職務人って見てもらいたいの。
『信頼される』って解る?」
「信頼って……お前だって信頼はあちこちに持っているだろう?」
達也は眉をひそめて、マリアお得意の『論議』に引き込まれて行く。
「私ね……ハヅキの苦労って言うのがちょっと解る部分があるの。
ハヅキは三世隊員だけど、私だって二世隊員。
親の七光りの嬢様って言われながら前に進んでいくことがね──。
今回だって結局、マーティン少佐も同僚のブルースも……
私の事、信頼してくれていなくて『お嬢様』とくくられていたわけよね?
ハヅキも同じだったわ。少佐にブルースに『お嬢様の身勝手で動かす』なんて言われちゃって。
あの言葉、そのまま私にも言われている気分だったわ?」
「そんな事言うのはチンケな男なだけで、気にすることじゃないぞ?」
達也は溜息をつきながら、トーストをかじった。
だけど……マリアの勢いある話はまだ続く。
「それなのにハヅキったら……ちょっと手荒いけど、スパッと男の人を手込めにしちゃったんだもの。
理論的には向かうところ敵なしってくらいプライドがあるあのブルースが
最後には『参った』って言ったのを聞いただけでも私は驚きだったわよ!?
男と『対等』っていうのじゃなくて、『信じさせる』という事、上手くやったんだわ。
きっと……あんなファイティングでなくても、あの子はあらゆる方法で
そうすることが出来るのよ……。そういう事、繰り返して大佐になったんだわ。
きっとハヅキだけじゃなくて、周りにいる補佐達の力もかなり大きいわね……。
その男補佐達がすっかり彼女を『信頼』しているんだと思うわ。
そういう……『信頼』?
人を従えるんじゃなくて……地位じゃなくて『仲間』という感覚を……
ハヅキとサワムラ中佐からは感じるの。ああいう人達と一緒に仕事が出来る一人になりたいし
そういう『レベル』になりたいの!」
「……なんだか、変わった? マリア??」
「ふふ……」
マリアが不敵に微笑んだので、達也はちょっとおののいて引いた。
「達也? あなた、ああいう人達の『仲間』に戻りたいんでしょう?
若いのに最前列に立って『誰もやらない事へ立ち向かう』って事、一緒にしたいんでしょう?」
「……」
黙っていたが達也の心はまさに『YES』と言っていた。
半年前、マリアにこういう事を解ってもらいたかったのだが……
今度は妻がズバリと言いのけたので言葉が出ないというのもあった。
そして、妻の瞳は輝き、変に余裕が伺えて……それにも驚いて声にならなかった。
「私も──『仲間』になれるかしら? 小笠原とフロリダで離れていても……」
急にマリアは力無く微笑んで、コーヒーを一口……言葉を休めた。
マリアがフロリダを出るつもりがない事は昨夜とは変わらないようだったので
達也は少し答えに躊躇ったが……
「……なれるさ。マリアなら充分」
「あなたと……私も?」
マリアはまつげをフッと伏せて、コーヒーカップをクルクルと回している。
「とっくに『信頼』はあるだろ? 俺達二人の間には……。
それに……俺だってまだフロリダにいるし……。
小笠原のジョイに兄さんとか……時々は連絡取っているし……。
これからだって……そうしてあっちの仲間とは交流はしていくつもりだぜ?」
マリアだけでなく達也もフロリダに残ることも強調した。
今なら、やり直せると達也は思ったのだ。
だけど──
「あの人達とやり直して……お願い」
「……どうして?」
マリアの決意は変わらないようだ。
「やっぱりあなたを輝かせたいからよ。最後のお願い──」
カップをクルクルと回すマリアの声が震えていた……。
「……本気なんだな」
「ええ……」
マリアが一度決めると、てこでも動かせない決意の固さは
夫であった達也が一番良く知っている。
「……考えておく。……俺、マリアに許してもらえず、このままで終わるなら、
いずれフロリダを出るつもりだったんだ」
「……出るって? 小笠原には行く姿勢はみせないのに?」
「オーストラリアに陸教育隊が、数年前に出来ただろう?
そこに教官でもいいから志望出して行くつもりだったんだ。
フォスター隊長の元での活動は、その一時しのぎのつもりだったんだ」
「そんな……出来たばかりの教育隊なんて……苦労するわよ?」
「苦労したかったんだ……。お前にも葉月にも何もしてやれなかったから……。
それでいつか……小笠原に帰れそうな転属が出たら……それからでも良かったんだ」
達也はしんみりと呟いて、食べかけのトーストを皿に置いた。
するとマリアが呆れた鼻息を荒くついていた。
「バカね、達也は……。どうせオーストラリアの眩しい浜辺で見つけた美女に
すぐに熱あげても、また同じ事の繰り返しなのよ。
そんな遠回りして、もう一人『お前には何もしてやれなかった』とか言う人が増えるだけよ。
小笠原を遠くに眺める事になるのが目に見えるわね」
「おいっ。人を女たらしみたいに言うなよ!?
それになんだ!? 俺はマリアの事は浜辺で見つけた様な『たまたまの美女』だなんて
思っていないぞ??」
マリアのもの凄い例えが、あまりにも『本当』らしい見解だったので
達也は自分でもあり得ると思うだけにドッキリしたぐらいだった。
「当たり前じゃないの。私とハヅキ以外の美女は許さないわよ!」
「って……いつからお前は葉月フリークになったんだ!?」
「……」
マリアが急に頬を染めて我に返ったようだった。
「俺……お前と葉月って仲が悪いと思っていたんだけどな?
ほら……同じ筋のお嬢様同士で、お前は女らしいけど、葉月はやんちゃ嬢で
ウマが合わないのかと思っていたぜ?」
達也はコーヒーを飲みながら……恐る恐る、マリアを伺った。
何故なら、今までお互いに『葉月の話はタブー』としてきたからだ。
「……嫌われているのは私の方なのよ」
マリアは眉間に皺を寄せて俯いた。
「……昔、喧嘩をしたとか?」
「……していないけど、避けられてはいたわ」
「ああ、なるほどな? 避けるだろうな、葉月なら……」
達也がサラッと言った一言に驚いて、マリアは顔を上げた。
マリアと葉月の十代の頃の話しすらしてもいないのに
まるで確信して彼女の心情が見えているかのような達也の自信ある言葉に驚いた。
「──何故!? わかるの?」
「……」
すると達也はコーヒーを飲みながら窓辺に視線を移してしまった。
暫く……そうして黙り込んでいたのだ。
「それは葉月自身と話してみたらどうなんだ?」
マリアはちょっと苛立った。
「……サワムラ中佐もそんな事言って……なかなか教えてくれないのよ」
「だろうな? きっと誰でもそうだと思うぜ?」
「……それ、皐月姉様と関わっている?
私、言ったか言わないか覚えていないけど、皐月姉様にすごく可愛がってもらっていたの」
「──!!」
達也のカップを傾ける動作も、息づかいが止まったのをマリアは見逃さなかった。
「……マリア、『仲間』になりたいなら葉月に信頼されて、葉月自身から聞いたらいい」
達也の顔つきが、いつも頼りにしていた夫の顔に引き締まる。
「それほどの事なの?」
「……」
達也がまた黙り込んでしまった。
それも非常に苦い様な……そして、躊躇う様な顔で。
「解ったわ。聞いてみるわ……そういう機会が得られたら」
マリアはスッと席を立った。
もう、行かなくてはならない。
「マリア」
食器を手にしてキッチンに向かおうとすると、達也が立ち上がった。
「なに?」
「その事について……葉月には、無理強いは絶対にしないでくれ、頼む」
「……」
益々……マリアは不安になった。
それほど……『重い事』と伝わってきた。
達也の顔はまだ強ばっている。
達也はそういうと、力無く椅子に座り直して……変に弱々しく俯いてしまったのだ。
そこに心底、『アイツ』を心配している達也の姿があったのだ。
マリアは困惑した。
知らない方が……良いような気さえしてきた。
「達也? 私……ハヅキをこれ以上は困らせるつもりはないから安心して……?
それから……達也。真剣に考えてね? 投げやりにならないでよ?
小笠原の連隊長が陸系の側近を欲しがっているのでしょう?
あなたが一番適任だと思うもの──。
これはあなたの『チャンス』だと思うわ?
今じゃないとダメよ。彼女の中隊、今、一番基礎固めに力注いでいるのよ。
連隊長が自ら、引き抜きする程だもの……。
今じゃないと、後から戻っても一番強いところに入り込めない程固められちゃうだろうし……」
「……解っているさ」
「それに、達也。このままじゃ、サワムラ中佐に越されるわよ?」
「……越されるって何だよ?」
俯いていた達也の瞳が急に輝いた。
マリアはそこに……既に隼人を『ライバル視』している達也を確認したような気になった。
「あら? だって、中佐ってすごいのよ? お仕事も女性の扱いも。
厳しさも優しさもバランスがいいお兄様って感じよー」
マリアはツンとして、達也を煽ってみた。
すると案の定、達也の眼差しがギラギラと強さを増してくる。
「お料理も上手みたいだし? 自立している大人って感じよ?」
「俺だってやろうとすれば出来るんだからな」
「ふーん? じゃぁ、私は帰るけど? 頑張ってね」
マリアはニンマリ微笑んで、キッチンへ向かった。
ふと、まだ残りの食事をしている達也に振り返ると
ガツガツとトーストをかじっていた。
(どうせ、お皿の周りにはパンくずが散らかっているのよ)
マリアはクスリと微笑んだ。
達也はあんなふうにして、手間がかかる男の子のようで楽しかった事をマリアは思い出す。
外では立派で優雅な男なのに、マリアの前だけではあんな顔も見せてくれていたから。
どこか……母親のような気分だったかもしれない。
マリアはそう思った。
その後、達也がこの日は車を出すと言ってくれたので
マリアはお言葉に甘えて乗せてもらうことにした。
以前は良く助手席に乗って一緒に出勤した。
「達也……私、これからも頑張るけど……」
助手席でマリアはポツリと呟いた。
「頑張るけど──なんだよ?」
「もっと色々な人と沢山接して……今まで見えなかった事、得ていきたいの。
やっぱり達也が一番と忘れられなかったら……仕事捨てて、その時は……
小笠原に行くから……」
「……その時はもう、俺が熱烈に燃える女がいるかも知れないぜ?」
マリアの『完全離婚宣言』に達也は、呆れたような溜息をついていた。
「うん……恋人がいなかったら、そうする」
達也に恋人なんてすぐに出来そうだとマリアはちょっと哀しくなった。
自分で決めたこととは言え、やっぱり達也は一番信頼している男性だから。
「……暫くは、俺。恋とか出来そうにないな……。結構、ショックだぜ。
お前を説得して連れていきたかったんだ」
「……そういう所、日本人ぽいわね」
「そんな事言って……俺は日本人だぜ? いつか俺が日本に帰ることもあり得るわけだ。
その時、お前はどうするつもりだったんだよ?」
「……」
マリアは黙り込んだ。
実は、達也がアメリカを出ていくことなんて、一度も考えた事もなく、
達也が日本人である事も忘れてしまっている事も多かった。
達也が日本人ぽい事をすると変に不安になり、よく食ってかかって拒否していた事も……。
それも……本来の達也を認めていなかった事ですれ違ったのかもしれない?
いや──きっとそこはマリアが悪かったのだ。
きっと怖かったのだ……達也が日本人である葉月の元に帰るのじゃないかと……。
マリアは怖くて、本来の達也を拒否していたのだろう……。
「じゃぁ? 別居婚でやり直すってどうだ?」
「私がそういうガラじゃないって知っているくせに。
側にいるのが自然で別居婚なんて私達の場合は不自然よ」
「〜だよなぁ? 俺も側にいないと我慢できないタイプだからさ──。
別居婚なんてしたら、俺、絶対浮気する」
「……達也らしいわね」
マリアは冷めた目つきで達也を睨んだ。
なにせ、達也はフロリダに転属してきてから、マリアの周りの女性達を騒がせた男だった。
日本人なのに英語の発音が綺麗で、それで背も高くて、ちょっとやんちゃで
それでいて仕草は優雅で──。
そんな女性達をはね除けて、マリアは達也を振り向かせたのである。
「……ハヅキの事は?」
ここは勇気を出して、マリアは思い切って聞いてみる。
「……それも小笠原に帰るとかいう話が現実になってから考える。
アイツには俺以上に幸せになって欲しいから、アイツが望んだ通りに……。
もし、帰れたら……次はそうしてサポートしていく心積もりだよ」
達也のその時の眼差しは……『超越した愛』にも見えて
マリアはちょっと胸が痛んだ。
彼はやっぱり……彼女を今でも愛している。
それは女性とか言う範囲だけじゃない事がマリアには解ってしまった。
そして──そんな言葉を言った達也の眼差しは透き通っていて綺麗だった。
「……なんちゃって。小笠原に帰ったら、次々と寄ってくる日本人女性と遊びまくるかな!」
今、あれほど……達也を綺麗だと思ったのに!!
ニヤリと悪戯っぽく微笑んだ達也にマリアは『最低!』と言っておいた。
海岸線を走りつづけ、基地が徐々に道路の果てに見えてくる。
「……もし、葉月自身からお前に話してくれたら、お前……葉月の最高の姉貴になれると思うぜ」
達也が急にそんな事を言いだした。
「……そうかしら? そうなれたら嬉しいんだけど」
「慌てない事だな。葉月はきっと解ってくれるよ。お前の良さ」
「……私が避けられていた事も?」
「……そうだな? 葉月はもしかすると、お前を避けていた事を気にしていて
余計にお前に近寄り難くなっているかもな?」
またもや、彼女の事は手に取るように解るかのように達也は言い切る。
「どういう事?」
「……後は頑張れよ」
達也はその時も……ちょっと哀しそうな眼差しで微笑むだけだった。
「……そう、頑張るわ」
窓から入り込む風に長い髪が煽られて、マリアの頬を隠す。
マリアはそれをかき上げながら、青空に微笑んだ。
「達也がそういってくれるという事は……私、お姉さんになれるのかもね?」
達也もなんだかちょっと楽しそうに遠慮がちに微笑んで、ハンドルを取っていた。
そんな希望が持てた。
達也はこれからが『自立』なのかもしれない。
用意された地位じゃなく、自分で居場所を切り開きたくなった達也。
それはマリアも一緒だった。
そしてヴィジョンは違っても……向かうところが同じになった感触があった。
陸官側近と工学科教官の夫妻だった時は
これほどまでの一致感をマリアは味わった記憶がない。
何が足りなかったのだろう?
マリアも達也と一緒に『ゼロ』にリセットされたような気分だ。
マリアは急に一人で歩きたくなったのだ。
夫に支えられる妻でなく……マリアという一人の隊員として。
マリアはリチャード=ブラウンの一人娘。
『妻』より、『工学軍人』である事を欲している自分がいる事に、
今回目覚めた気になった。
それがマリアの『新しい夢』──。
マリアも一緒に輝きたい!