36.モーニング

 

 『グッモーニング!』

昨夜、お誘いを受けた『約束』通り……マリアは早朝、フェニックス通りの御園家に来た。

赤い愛車を芝庭の柵の前に駐車して、赤いコーチのバッグを手にして

玄関のチャイムを押すと──。

半袖、白いカッターシャツ制服姿の隼人がエプロンをした恰好で出迎えてくれた。

「来たな。ベッキーも来てくれて、二人で早速準備していたんだ」

「……」

マリアは──あの『厳しく淡泊』に見える中佐が、昨日の夕方から

本当に『気の良いお兄さん』に見えてきてはいたのだが……

そのエプロン姿を見て、どう反応して良いのか解らなかった。

「あ。今、エプロン似合わないって思っているだろ?」

隼人がそれこそ基地で見せている『変に悟りきった』意地悪な微笑みをニヤリと向けてくる。

「ち、違いますわよ! ただ……私の中で『男性』は料理をしないとおもっていて……」

「あれ? お父さんはしないの?」

「いえ……たまにはしていますけど。母が専業主婦なので」

「ふーん? 君は? 料理は?」

「しますわよ? これでも一度は家庭を持った身ですから」

マリアはこんな話題に展開させた隼人に早速、ツンとそっぽを向けた。

『やっぱり、意地悪な中佐』と、マリアがふてくされても

隼人はただ笑っているだけで……しかも『家庭』の一言で

それ以上の追求はしなかった。

 

「はいりなよ。もうすぐ御園パパママも支度が終わって二階から降りてくるだろうから」

「あ、はい──お邪魔します」

マリアは昨夜よりかは慣れたようにして、御園家に入ることが出来た。

「それにしても中佐は偉いですわね? お料理をするなんて──」

「そう? 男が自炊してもおかしくないだろう? 日本では珍しがられるけどね?

外国だってそうだろう? 同じ事で……

俺はフランスのホームステイ先で仕込まれたんだ。みっちり!

結構、性にあっていたようで、一人でも相手がいても作ることは別段、苦じゃないね?」

「そうですか──。では、ハヅキは大助かりですね?」

「まぁね? 仕事となるとやっぱり彼女の方が負担大きいのは目に見えているから」

マリアは当たり前のようフォローしてくれる男性がいる葉月を

初めて『羨ましい』と思った。

別に……達也が家事を手伝わなかったなんて事はない。

達也も側近職だけあって、身の回りの事は器用にこなす方だったが

隼人ほど、進んで好んでしているわけでもなかったから──。

男が仕事する。

女が仕事をする。

その感覚のズレが日本男性とアメリカ女性である為、感じたことはあるが

達也はマリアが仕事をすることに関しては『全面協力的』だった──。

それでも──どうしてだろう?

『フォローに徹する』という意味では、隼人には負けている気がする……達也は──。

 

マリアは昨夜──テラスで一人きり子供のようにデザートを食べていた葉月を思い出す。

その席に……気にかけるように出向いた隼人の姿も……。

 

「あの……ハヅキは?」

「ああ……出ているよ、今は──」

「出ている??」

 

こんな朝早くから何のために出かけているのだろう??

朝食を誘ってくれたのは彼女なのに──と、マリアは首を傾げた。

 

「フォスター隊長の所に行ったよ。もうすぐ、帰ってくると思うけど?」

「え!?」

別れた夫が現在『所属』している特攻隊の隊長宅へ行っていると聞いて

マリアは一瞬、身体が硬直した。

実はマリア……一つ、気になることが事がある。

先日、父とこの隊長が一緒に小笠原に『出張』に行ったのは知っている。

その内容は『知らない』し、当然、父親も重要なことは家族にも教えることはない。

だけど──気になるのだ。

何故? パパが小笠原に行かねばならなかったのか……。

そして──何故、側近のジョンだけ連れていかず、『現場』の特攻隊長を伴ったのか……。

『ボディガード』なら、ジョンで充分なはずだ。

彼も側近職……武道のたしなみはある。

そして『小笠原側ホスト』は『御園中隊』だということは、マリアは知っていたから。

パパとハヅキとフォスター隊長。

この3人が知り合いであるのは、当然なのだが──

任務も上手く片づいたと言うのに、この3人が、改めて『接点』を持った訳──。

3人に『共通する事』

3人はある男を『部下』として持っていたという事だ。

父は……側近として従えていた、葉月も側近として……フォスターは後輩として……

マリアの別れた夫『達也』と繋がっている。

それを考えただけで……『達也に関して何かあるの?』と思った。

そして──澤村中佐が父の出張後、間を置かずに『フロリダ』へ急ぐように来た。

その上──葉月まで『帰省』として、後を追ってきた。

これだけそろえば、マリアも胸のざわめきを押さえろと言われても押さえられない。

今は……悟られないように奥に秘めている段階だが……。

マリアがそうして考えていると……隼人の視線に気が付く。

「……」

ほら……また!

このお兄さん中佐が、マリアの気持ちを見透かしたように静かに見下ろしていた。

「君はコーヒー? それとも紅茶? なんならカフェオレ作るけど?」

ほらほら……また!

彼はすぐに笑顔になって違う話題に変えた。

解っていながら笑って流すことも、この中佐ならでは!

マリアは『この人、怖い!』と表情を止めてしまった。

大抵は……マリアは男性に対しては『有利』かつ『主導的』になれる事が多かった。

それはマリアが故意で差し向けているわけでもなく

男性が自然にそうなるのだ。

なのに──この中佐だけは……

マリアの『直線的行動』も全然通じなかったし

それに何もかも解りきった上で、言葉を選んで発しているようだし

人と人の間に立っての『判断』は、あの御園嬢ですらスルッと影から動かしているように……

マリアは昨夜の晩餐を終えた後、家に帰ってそう思ったのだ。

結局、マリアは隼人が作った『流れ』に逆らえなかった。

「……では、せっかくですから……フレンチ中佐のカフェオレを……」

心では葉月がフォスター宅へ行った事で頭が一杯になっていたけど

そういう風にして『何事もなかった、感じなかった』ように答えるように隼人に持って行かれていた。

「フレンチ中佐? アハハ……! 根っこは日本人だよ」

「……」

『そうかしら?』と、マリアは笑ってキッチンに向かうエプロン姿の隼人の背を見つめた。

『そこ、昨夜の席にでも座っていなよ』

隼人に言われて、マリアは昨夜座らせてもらったダイニングの席に座った。

テレビがついていて、テーブルにはカリカリのベーコンとクルトンが

つやつやと乗っているほうれん草のサラダが置いてある。

(これも中佐が作ったのかしら??)

マリアは感心と供に、違和感いっぱいで眺めた。

 

『うわ、それオレンジ生ジュース! のみたい!』

『だろう? 嫌と言うほどフロリダを味わいな? ボーイ』

キッチンからベッキーと隼人の楽しそうな声が聞こえてきた。

そしてその入り口からは甘いパンの香りも漂ってくる──。

 

『シルヴィーに、フレンチトーストに……カフェオレね……』

 

なんだかマリアは隼人に触れたお陰で急に『フレンチづくし』に囲まれたようで

ここ最近……感じたこともない『変わった空気』を満喫していた。

 

窓からは、輝くフェニックスと太陽の光と……そして白い砂浜と遠くの波打ち際。

マリアの家も海は見えるが、波の音は聞こえない。

この家は窓を開けているだけで……いつでもさざ波が聞こえる。

なんだか、ちょっと優雅な気分だった。

昨夜──マリアは自宅に帰ってから

両親に興奮して『御園家への招待と晩餐』……そしてさらなる『朝食への招待』を報告した。

父も母も驚いていたが……

『マリア──楽しかったのね? 久し振りだわ? あなたの元気いっぱいの顔』

母は嬉しそうに笑い……

その日の夕方『アシスタント許可』をしてくれた父親も

『早速、良い影響をサワムラ君が与えてくれたようだね。感謝しなさい。

明日は、早めに家を出ないとな?』

元気いっぱいに報告する娘を、マリアが知っているいつものパパの微笑みで聞いてくれた。

でも──そのパパの一言で……マリアは

『すべてがあの中佐の思惑!?』と気が付いたのだ。

『自分は動かされていたのだ』と──。

これが変な『動機』をもっている男性だと、マリアは嫌になるのだが

……隼人からはそんな風に感じなかった。

だから──実に『ナチュラル』に周りを観察して、手を下す人と怖くなったりしたのだ。

マリアの周りの人間で……このタイプの『男』が『もう一人』いる。

その男に似ている?

そう……あの『マイク』だ。

マリアは彼が苦手だった。

大人で何を考えているか解らなくて──。

そのくせ……こちらも『ナチュラル』に周りを動かしてしまう男。

縁の下の力持ち……『側近』には、ピッタリのタイプなのだが

ああいうクールな男はマリア側から読めないから苦手だったのだ。

 

「ワンツー! ワンツー! はぁーい、到着♪」

 

「??」

御園家の庭の向こう、道路からそんな『子供の声』が聞こえてきた。

マリアはもの思いから解けて、気がそちらに向いた。

 

「お姉ちゃん、深呼吸ー」

「よし、お嬢さん。よく頑張ったな。二日ばかり間が空いたけど、これなら大丈夫だ」

「ほんとうに!? 良かった〜……。中嶋教官に帰省するって報告したら

もの凄く怒られちゃって……」

「アハハ──! 彼もすっかり『厳しいお兄さん』に変身したようだね。良い変化だ」

 

「──!!」

マリアは白い庭柵の向こうに見えた人物を確認して……

バッグを持って帰りたくなった!

スポーツメーカの黒いロゴラインが入っている白いジャージを着た葉月が

汗を拭って息を切らしている姿……。

そして側には──金髪の男性。

そう……別れた夫の『現上司』

『フォスター隊長』が現れたからだ!

彼の横には、髪を結って自転車に乗っている小さな女の子も一緒だった。

 

「あ、帰ってきた」

外から聞こえた声に気が付いたのか隼人がキッチンから出てきた。

 

「ちゅ、中佐──? どういう事なのですか?」

マリアが慌てても、やっぱり隼人は何もかも解っているあの微笑みを浮かべた。

「え? 葉月の訓練復帰のトレーニングメニューは、

君のお父さんも一緒だった出張の時に、隊長が小笠原で組んでくれたから。

向こうで大佐担当の教官もいるけど、こっちにいる間は、

隊長が個人指導してくれるという話し合いにまとまったらしくてね?」

それで! 葉月が朝早くからフォスターの家に向かったという事が解った!

「昨日、夕方にメンテ本部に来る前に、葉月は隊長とそう打ち合わせしたとかで……

今日から、個人トレーニングの開始だってさ──」

 

「ハヤト! グッモーニン!! あ、日本語は……えっと……オハヨ?」

金色の髪を耳の上で二つに結った女の子が、柵の向こうから元気に飛び跳ねていた。

「オハヨウ、リリィ!」

「私もお姉ちゃんのトレーニング手伝うの!」

「へぇ。リリィが手伝うなら、お姉さんも頑張らないとな」

「だって、トレーニングしないと飛行機に乗せてくれないって聞いたんだもの」

「じゃぁ、リリィのアシスタントで、早く乗れるようになるかもよ?」

「うん! 朝、早起きだけど、お姉ちゃんと頑張る♪」

テラスに出た隼人と、『リリィ』という小さな女の子が……

既に親しいのでマリアは驚いた。

 

「グッモーニン。サワムラ君」

「グッモーニン、隊長。よろしかったら一息つきませんか?」

「いや──将軍に悪いから……。さ……リリィ、帰ろう、トレーニングは終わりだ」

「えー……」

リリィは、すぐ帰ろうとするパパの素早さに不服そうだった。

葉月はと言うと……フェニッスクが並ぶ渚への道を行ったり来たり歩いて

ジョギング後の息を整えていた。

「お嬢さん、また明日の朝──必ず、うちへ来るんだぞ」

「……帰られるのですか?」

葉月も慌てて庭柵に走って戻ってくる。

「せめて、飲み物でも……」

葉月も引き留めようとする。

「いや──構わないよ。さ、リリィ帰ろう。今度はパパのジョギング伴走頼んだゾ」

「う、うん──」

クリスは娘の手を引いて帰ろうとしていた。

葉月もそれ以上は無理強いが出来ないが、リリィの寂しそうな顔を見送る。

 

「おや? 葉月、可愛いお供と一緒じゃないか」

「パパ──」

そこへ、制服に着替えた亮介がテラスに現れて隼人の横に並んだ。

 

「おはようございます。将軍」

フォスターも気が付いたようで、いつものキビキビした動作でサッと敬礼をする。

「おはよう、フォスター君──。なんだか悪いね? うちの小娘のために

個人的に骨を折ってくれて……」

「いえ……。先日、小笠原で私が勧めたことですから」

『リリィ、お姉さんのパパだよ。挨拶なさい』

クリスは手を繋いでいたリリィをつついていた。

「おはようございます! 将軍!」

リリィがパパの真似なのか? 可愛らしい敬礼を亮介に向けたので

葉月は思わず微笑んでしまった。

「こら……。リリィ? そうじゃないだろ? 『初めまして』だろ??」

フォスターは思っても見ない娘の挨拶の仕方に驚いたのか、頬を染めてたしなめている。

「アハハ! いやいや──こんな可愛らしい敬礼ならいくらでも大歓迎♪

さすがフォスター隊長! お嬢ちゃんのしつけは完璧だね♪」

勿論、亮介も小さな女の子の挨拶ににっこり頬を緩ませている。

「パパ──リリィに何か飲み物あげたいの」

「おお、そうだな! おいで、リリィ♪」

亮介が手招きすると、リリィは嬉しそうに表情を和らげたが

パパの顔色をそっと伺っている。

「いえ──滅相もない、将軍のご自宅で……」

真面目なクリスは、やっぱり『将軍』の前と合って、遠慮がちなまま……。

「いやぁ……いいね。私は小さい女の子も大好きだよ? さぁ──リリィ、おいで?」

「まぁ──パパったら……」

小さな女の子を誘う父の姿がおかしくて、葉月が笑い出すと……

「そうですか──? では、お言葉に甘えまして……」

葉月の娘らしい顔に気がほぐれたのか、クリスがやっと和やかな笑顔で折れてくれた。

 

「行きましょう、リリィ──!」

葉月が手を引いて庭へ向かうと、リリィも元気良く笑ってついてくる。

 

「やれやれ」

娘のご機嫌な姿を眺めながら、クリスも芝庭へとお邪魔する。

「隊長、よかったら私のカフェオレを試してみませんか?」

エプロン姿の隼人にクリスは面食らいながらも、テラスの椅子を勧められて

『じゃぁ……頂こう』と腰をかけようとした。

「──!?」

リビング奥のダイニングテーブルに……見たことがある女性が!

「マ、マリア嬢──!?」

「ああ、彼女……、本日から私付きのアシスタントになったんですよ」

「アシスタント──!?」

仰天したクリスに、マリアがそっと近づいてくる……。

「お、おはようございます……フォスター隊長」

「お、おはよう……」

ぎこちない二人の挨拶の間に立った隼人は

『なにがぎこちない』のか解るので、ただニッコリと微笑むしかできない──。

「私を迎えに来てくれたので、そのついでにモーニングをご馳走しようと思って

うちの大佐嬢が彼女を招待したんですよ」

「え……お嬢さんが!?」

フォスターの驚きも無理がないと、隼人は苦笑い……。

マリアは他の隊員から見ても『空軍』とほぼ縁がない部署にいる。

最近、空母艦のシステムなどを専門に加えたと言うが

それよりかは『陸銃器』の方にまだ専門と言っても良い。

しかも──フォスターの配下にいる男はその女性の別れた夫。

その上、彼女が今回、関わりを持ったのは夫が慕っている女性とその部下なのだ。

隼人がアシスタントを申し出された時に抱いた『疑問』を

クリスがそのまま、今、抱き不思議に思うのは無理もないことだ。

 

「あら! まぁ……可愛らしい」

登貴子がフリルのついた白いブラウスを着込んで現れた。

小さな訪問客を見つけて、こちらも途端に嬉しそうに寄ってくる。

「リリィ。私のママよ」

「初めまして……ドクター。博士なんだって、ハヤトとタツヤに聞いたの」

「まぁ……お利口ね? パパと一緒にお姉ちゃんと走ってくれたの?」

「ううん……私は自転車でついてきたの」

「まぁ……この暑いのに……。喉渇いたでしょう?

オレンジジュース? アイスティー? どれがお好みかしら??」

「申し訳ありません……ドクター。朝早くからお邪魔いたしまして」

クリスも、ミセス=ドクターの登場に、またかしこまった挨拶をする。

「まぁ……お礼を申しあげるのはこちらよ? 隊長。

うちの娘のトレーニングの面倒を見て下さって……

その上……こんな可愛らしいお嬢様を連れてきてくれて嬉しいわ♪」

「いえ──とんでもない……。しつけもなっていない娘で」

「よくおっしゃるわ。それは私のセリフよ」

登貴子がニヤリと側にいる娘を見上げる。

「なによ?」

「さぁ……リリィ。いらっしゃい? おばさんが何か見繕ってあげるわ?」

「ありがとう!」

リリィの元気な笑顔に、登貴子の顔は崩れっぱなしだった。

 

さすが娘が二人いたパパとママだ……と、隼人も誰が来ても

スッと自宅に招き入れる御園夫妻の楽しそうな笑顔を微笑ましくみまもった。

 

「ここ私の特等席──。リリィはお隣ね?」

登貴子にちょっとしたお菓子とオレンジジュースをもらったリリィの手を引いて

葉月は『女の子同士』でテラスの席に連れていった。

 

『明日もきてね? お姉ちゃん』

『当然よ! 隊長に逆らうと怖いもの?』

二人でクスクスと笑い合っていると──。

「なんだって? お嬢さん──」

隼人が作ったカフェオレを手にしてやってきたクリスのしかめ面に

『女の子二人』は『きゃー、怖いっ!』と、若パパも交えてテラスが賑やかになる。

 

「リリィ……ママが待っているから朝メシは家に帰ってからな。いいな……」

「……うん」

クリスは亮介に誘われても、待っている妻を優先にしてお断りしたようだ。

葉月もその『家庭的な夫』であるクリスの姿勢に賛成だった。

でも──リリィはリビングでの大人達の楽しそうな食事の席を振り返って寂しそうだ。

「リリィ……いつでも遊びにいらっしゃいよ」

「本当に!? いいの??」

『こら……リリィ……』

やっぱりパパにたしなめられる。

でも──

「リリィ! またおいで。パパが稽古の時に一緒にきたら海で泳いだら良いよ」

テーブルについた亮介が、お菓子を頬張るリリィに叫んだ。

「そうよ、リリィ──。ドクター=おばさんも待っているわ」

登貴子も──。

「今度、一緒に泳ごう? リリィ……」

葉月が微笑むと、リリィも気が済んだのかこの日はパパと帰る気持ちになったようだ。

「じゃぁ……リリィ。これお土産だ」

エプロン姿の隼人がキッチンから出てきて、テラスにやって来た。

リリィに茶色い紙の包みを渡す。

「なぁに?」

リリィがそっと包みを開けると、そこには三枚の『フレンチトースト』

「ママにもお土産だ」

「ハヤトが作ったの? すごい!!」

葉月も覗き込むと……そこにはいつもと違うフレンチトースト。

仕上げにすり下ろしたレモンの皮とグラニュー糖がまぶしてあった。

「わ、美味しそう♪ 私も早くたべたーい♪」

葉月が隼人にねだると、彼は『後でね』と忙しそうにキッチンに戻っていった。

「タツヤから聞いたよ。なんでも土曜の稽古後、恒例のガーデンパーティーで

サワムラ君の手料理を食べたと……なかなかの腕前みたいだね」

クリスも娘がもらったお土産を覗き込んで、感心したようだった。

 

 

その後──御園家は、賑やかなモーニングとなった。

ダイニングには御園夫妻とマリアが昨夜のような会話を交わし

隼人とベッキーはいそしくキッチンを立ち回り……

葉月はフォスター父娘と笑いながらテラスで身体を休める。

 

その内に、一足先にクリスとリリィが急ぎ足で帰り……

急いで食事を取ったマリアと隼人が一緒に出かけた。

母がいつものように、自分の車で出勤し……

最後に父が秘書官に迎えられ黒塗りの車で出ていった。

 

「はぁ……賑やかだった。シャワーを浴びよう……」

葉月は皆のペースとはまったく違いゆったりとダイニングで一人食事をする。

レモンの香りがする……隼人が作ったフレンチトーストをかじって……。

 

「じゃあ、レイ。私はひとまず帰るからね。午後、また来るよ。戸締まり宜しく」

この日、隼人のモーニング会で特別に出てきてくれたベッキーも勝手口から出ていった。

 

隼人が入れたカフェオレを、テレビの音だけ……

そしてさざ波の音がする静かになったリビングで葉月は味わう。

 

そこに、いつもの朝と懐かしい朝が『融合』していた。

 

「さて──シャワーを浴びたら、支度しよう」

休暇といえども、基地でやりたいことが沢山あった。

『今日の課題』は……

 

『隊長の口から……マリアさんの事、達也の耳に入るわね』

 

そう──。

この別れてしまった夫妻が、ふたたび向き合う『予感』が葉月にはあった。

 

自分の忘れ物もたくさんある──。

隼人のメンテ員引き抜きも──。

 

それから──

昨夜、マリアに逃げられた『上司』の反応と今後の動向も気になる。

そう考えると──

『ゆっくりしていられないわね!』

急に気が競って葉月は慌てて朝食を済ませて、二階の部屋へと向かった。

 

 

 案の定──。

 葉月が父の秘書室でひとまずメールチェックと返信を済ませて、メンテ本部へ向かうと……。

その本部の入り口に、スッと細身の黒髪の男がうろうろしていた。

 

「何しているの?」

「わ! 葉月──!!」

達也だった。

彼は制服ではなくて、迷彩柄の訓練着を着ていた。

「もう訓練が始まっている時間じゃないの?」

シラッとした眼差しで達也を見上げると……

「隊長の許可ありで来たんだよ! サボっているような目で見るなよ」

慌てて言い訳る達也に葉月は苦笑い。

ここの所、きっちりとした隊員生活をしていない事を

達也自らが言い分けているように聞こえたのだ。

「聞いたのでしょう? マリアさんを工学科からお借りすること」

「聞いた、聞いたぞ! 最終的におまえがそうなるようにしたんだろ!

兄さんはこの前、『断るつもりだ』と言っていたからな!」

早速、達也に突っかかられて、葉月は疲れたふうにして溜息をこぼした。

「……だったら、どうなのよ?」

「……べ、別に」

急に達也が……熱が冷めたかのようにスッと引いたのだ。

「うちの中佐とマリアさんが一緒に仕事したら何か都合が悪いとか?」

これまた葉月が平静として言うと、達也の目がキラリと光った。

「……お前にとやかく文句言ってもな! なんでも解っているクセに!」

『離婚』は取り消せない事実ではあるし、葉月が既に知っているクセに

『なにかマリアさんが気になるの?』と言わんばかりの言葉に対して

達也が詰め寄っているのも、葉月は良く解っている。

「悪いわね。私が彼女を必要としていたの」

「何のために!?」

昔と変わらない勢いで、達也は女の葉月にでも構わず、制服の詰め襟を掴みあげてきた。

『訳の解らないことを、急に始める』……葉月は、いつでもお騒がせじゃじゃ馬。

何かをやり出すと、周りが落ち着かなくなる事は、よーく承知の達也は

またそれが目の前で始まろうとしている予感がしたのだが

やっぱり理解が出来ないと言った勢いだった。

 

「……ね? 達也──。私の事……マリアさんと沢山は話していないでしょう?」

襟首を掴まれても……葉月の落ちついた眼差しを見下ろして

達也がそっと手を除け、顔を逸らした。

「お前の事なんか……最初から話題にはしたことがない」

「やっぱり……」

「お前と……マリアが近い関係であることは解っていたけど

マリアがお前のことは気にしないと言っても、話せば気にすると思って……」

「妥当ね」

「アイツも……お前の事はあまり話題にしようとしなかったし……

お前の事は……最後まで悪くも言わなかった」

「……」

葉月は思っていたとおりで『彼女らしい』と……益々溜息が出てしまった。

「……それは間違っていなかったと思うけど……」

『最後も葉月について話さなかった』所に、さらに悪状況になり

二人の溝が深まったような気がしてならないのだが──。

葉月はちらりと隼人とマリアがいるだろうメンテ本部内の窓際に視線を向けた。

「あら?──??」

そこには隼人がいるだけだった。

「マリアさん……いないじゃない??」

「そ、そうなんだよ! 早速アシストで出かけているかもしれないと

帰ってくるのを待っているんだけどな? 帰ってこないんだよ!」

どうやら、達也も一目、確認しようと思って来たところ

その予想していた光景が目に出来なかった為、こうしてうろうろしていたようだ。

「……おかしいわね?」

隼人に確かめようかと思って本部の入り口に葉月は姿を現すと……

早速、隼人が気が付いて席を立ち上がった。

「──??」

その隼人の顔が、困惑しているようにも見えて、葉月は胸騒ぎがした。

「わ……兄さんがこっちに来る! じゃ……後でな!!」

その途端に、話の途中なのに達也がサッと身を翻し走り逃げてしまった!

「後でな……って! ちょっと……達也!?」

だが、達也の足は速い──!

サッと廊下の途中にある階段の角に消えてしまった。

「もう……」

どうせ、また気になってくるだろう……と、葉月は呆れつつも諦めた。

 

その内に隼人が本部の入り口にやって来た。

「やっと来たか、待っていたんだ」

今度はこっちが気になる。

なんだか狼狽えているような隼人を葉月は心配になって見上げる。

「何かあったの?」

「帰ってこないんだよ。マリア嬢が──」

「え!? 帰ってこないって?? お遣い頼んで帰ってこないって事!?」

「いや──朝一番に、まず教官室へ行くと言うから……

講義の組み替えもあるだろうし許可したんだけど……

帰ってこないんだよ。こっちのメンテ本部に……」

「……え、それって朝、別れてから会っていないって事??」

「……ああ。もしかすると朝一の講義は欠員補助が出来なくて

向こうの上司に言われて授業に急に行くことになったのかもしれないし……

そう思って待っているんだけど」

隼人が時計を見た……。

葉月も腕時計を見る。

朝一の講義に出たなら、一時限目ぐらいはとっくに終わっていても良い時間だった。

「こっちに内線連絡も全然こない。いよいよになって向こうの教官室に連絡を入れようかと

思っていたんだ。そうしたら、丁度、お前が来たから」

「…………」

葉月はスッと目を細めて一息ついた。

「……心配していた事が当たったかもしれないな? 葉月」

隼人も……少しばかり油断していたと悔いているようだ。

「まさか──向こうで、もの凄く立場が悪くなっているんじゃないかしら? 彼女」

「俺もそう思った。たとえ、父親のお墨付きの許可がでたと言っても……

昨日、お前が言っていた少佐の『下心故の嘘の推薦』が正しいなら……

そして──その上司が俺の願いも虚しく……手のひらを返していたら……」

 

「ちょっと、行ってくる!」

葉月は上着を肩に引っかけて廊下を歩き出す!

「待てよ! 俺も行く──!」

隼人も後を追ってきた。

 

マリアがアシスタントになった事で……

『他の教官にかかる負担』

『嘘の推薦をした事で、思わぬ展開になりノーフォロー』

そこで教官室で『いざこざ』している様子が、二人の脳裏に横切った。