9.転属話

 

 渚のさざ波がすぐ側で聞こえるテラスレストラン。

『Be My Light』に入るなり……

 

「いらっしゃい! おや? 久し振り?」

マスターがいつものオレンジ色のエプロンをして

ガラスショーケースの位置で忙しそうに立ち回っていた。

いつもは四中隊の仲間か、パイロットチームの仲間……

そして隼人と葉月の二人だけで来ることが多いのだが……

見慣れない金髪の男を連れ添っていたのでマスターは少し不思議そうに語尾を濁した。

 

「こんばんは、おじ様。フロリダからのお客様なの。

今、玄海で和食をご馳走したんだけど、食べ足りたないって」

葉月が挨拶をしながらフォスターをそう、紹介すると

マスターがアメリカからのお客と知って急に笑顔を輝かせた。

「そうなんだ! どうぞ、どうぞ! 僕は店開く前にフロリダに、修行しに行ったことがあるから!」

そこは英語はバッチリで応対をしたマスターを見てフォスターもにっこり。

「入って驚きました! ここの中はまるでアメリカの雰囲気そのものですね!」

フォスターはオールディズがテンポよく流れる板張りの広い店内に、

制服を着た沢山の外人を見渡し……和食で厳かにしていた雰囲気から解放されたように

ホッと顔をほころばせ固さが取れたようだった。

葉月と隼人も顔を見合わせてにっこり。

「ピークも過ぎたから……今はデザートタイムでね……。

テラスも空いているよ」

マスターがにっこり……親指でさざ波の音が聞こえてくるオープンテラスを指してくれる。

「私、マンゴーのアイスクリーム! 宜しくね! 中佐!」

「わっ。この!」

葉月は隼人にそれだけいうと、いつものテラス角の指定席目がけて

サッと手を振って行ってしまったのだ。

「あはは。葉月ちゃんも元気で何より。

マンゴーアイスだったね……隼人君は?」

マスターはガラスケースに腕を乗せて、元気良く席に座った葉月を確認して大笑い。

「じゃ……僕ももう少し小腹埋めようかな? そこのマカロニサラダとエビサンド」

隼人もいつものようにガラスケースの中の具材を指さしてオーダー。

「そこの金髪の中佐は?」

「はぁ……沢山あって迷いますね?」

フォスターは具材を眺めて戸惑っていたのだが……。

「じゃぁ……ポークビーンズとそこのポークをサンドしてもらおうかな?

後は……トマトマリネ。デザートにじゃぁオレンジを二切れ」

「うわ! 隊長って本当に大食漢! しかも選ぶメニューがお嬢さんとそっくり!」

隼人が通常の食事並みにオーダーしたフォスターにビックリ!

だが……確かに隣にいる金髪の隊長は……

隼人よりずっと背が高いし体格もがっしりしているので妙に納得。

「アハハ……そりゃ。お嬢さんとそっくりだろうね?

お嬢さんだって……フロリダにいたんだから」

「アメリカンならこれぐらい当たり前だよ。日本人の隼人君は少ないくらいだ」

マスターが『オーライ♪』と言いながらガラスケースを開けてサッと

二人のオーダーを作り始める。

『後で持っていくよ』

マスターにそう言われて、隼人はフォスターを連れて

葉月が頬杖、波間を眺めている外の席に向かう。

 

「ふーん……こういう店があるなら……ここにいるアメリカ人もそうは不自由じゃないね?」

フォスターはなんだか嬉しそうに店内を見渡していた。

「基地ではだいたいがアメリカ人ですから。この店は基地ではナンバーワンの外食店ですよ」

「なるほどね……」

そこで葉月が陣取っている席で、向かいにフォスターが腰をかけて

葉月の隣には隼人が腰をかけた。

 

「なんだか皆がこっちを見ているような?」

腰をかけたフォスターが落ち着かないように苦笑い。

「気にしない。気にしない」

葉月はいつもの如く、シラっと平淡な顔をしつつも頬杖をしたまま呆れたため息。

「まぁ……いつものことです」

隼人は苦笑いで答える。

「私が見慣れないお客様を連れているから気になるだけよ」

「……お嬢さんも大変だね?」

フォスターも何故? 注目されているのか解ったようで、再び苦笑い。

 

「大丈夫、マスターがこう言う時は、こっちの席に人は近づけさせないよう配慮してくれるわ」

葉月は、ガラスケースでサンドを作っているマスターに視線を送って……

『大事な話がある』とばかりに手で合図を送ったりしているのだ。

マスターも何気なくにっこり微笑んで頷いたりして……。

「そうなんだ……それなら良いけど」

フォスターもホッとしたようだった。

その言葉通りに……テラス席の客が向こうに一組残っているだけ。

話は聞こえないだろうし、彼等が帰ればマスターはもうテラス席には誰も入れないだろう……。

 

「でも、マスターに迷惑かけたらいけないから……じゃぁ手短に」

フォスターのそんな気遣いは、葉月と隼人も解ったので……

食事がまだ手元に来ないが、改まった様子の金髪の先輩につられたように

二人揃って背筋を伸ばした。

 

さざ波の音が暫く……テラス席にいる三人の間に心地よく流れてきたが……

 

「もう、薄々気が付いたと思うが……実は島に俺が転属するという話が出ていて……」

「やっぱり!」

葉月と隼人は思わず一緒にそう叫んでしまい、一緒に顔を見合わせてしまった。

その予想は当たっていた……

だが……その次ぎにフォスターの口から出た次の話に二人は驚愕する。

 

「それも……ミゾノ嬢の……いや、サワムラ中佐と並んで『側近』になって欲しいという事で」

 

「ええ!?」

そこも二人で一緒に驚いたが……

今度の話は『予想外』であったので、二人で顔をも合わせることは出来ずに

一緒に硬直した。

 

先に反応したのは葉月。

「何故!? それはうちのフランク連隊長が言い出したの!?」

「ああ、そうだよ」

フォスターは少し苦しそうに俯いた。

そして隼人もやっと反応した。

「フロリダ側は……それをOKしたのですか?」

「だから……ブラウン少将と一緒に来たんだ。

所属的に、一番上はお嬢さんの父上が上官になるのだけど。

大方まとめているのはブラウン少将だからね。

少将がOKを出せば、俺の直属の上司に当たる師団、中隊筋の大佐連中は

二つ返事でOKだしたってわけさ」

そこもクリス=フォスターは苦々しく悔しそうに呟いた。

 

「……父まで?」

葉月がやや茫然とした口調で呟いた。

「……中将は、娘の事には直接関わらない姿勢でいるようだね。

それもそうだろうね? その姿勢は俺としても解るから……

フランク中将と部下のブラウン少将に一任してるといった所かな?」

「では、父は今回の事は……知ってはいるのですね?」

「ああ……勿論」

フォスターが益々……疲れた顔で俯いた。

だが……

「だからといって……お嬢さんに父親であるミゾノ中将に

この転属を取り消して欲しいとの進言を、頼んでいるわけじゃないんだ。

そんな親子関係を利用するだなんて……俺も嫌だしお嬢さんに迷惑がかかる」

「では? 中佐は……転属はやっぱり意にそぐわないのですね?」

隼人がそう言いにくそうに尋ねると……フォスターは迷わずにこっくりと頷いた。

「この話が来たことを女房に告げたとき……彼女はもの凄く驚いた。

だけど……すぐに笑って……。

『ミゾノのお嬢様の部隊は今もの凄く注目されているから栄転ね。おめでとう』と言ってくれた。

だが……彼女とて生まれ育ったアメリカを出ることは……

やっぱり不安だろうがそこは幹部軍人の妻。

ついてきてくれることは覚悟してくれているようなんだが……。

娘は今10歳で、こっちの学校に馴染んでくれるかどうかも解らないけど……。

俺自身も、周りの隊長連中に『任務で供にしたことがラッキーだったな、栄転だ』と……

羨ましがられたが……実際、まだ内勤を伴う職は望んでいないし、したことがない。

俺もやっぱり『外勤族』で身体が動かなくなるまでは、外で動いていたいし……。

一番引き留めてくれたのは、やっぱり俺の特攻隊のメンバーだった。行かないでほしいと……。

女々しいと言うかもしれないが……やっぱり一番は家族の事が気がかりで……」

「そう……」

葉月がまだ、驚きが隠せないのか……でも落ち着いた口調でそっと眼差しを伏せた。

「じゃぁ……私がウンと言ったら……皆から大好きな隊長を奪ったことになるのね?」

葉月がおどけて笑ったのだが……フォスターが首を振った。

「いや……奴らも戸惑いながらも、お嬢さんの所への転属ならと

健気に送り出そうと心の整理をつけている段階のようで……」

「……皆、隊長を頼っているのですね」

隼人がそこはにっこり感心の微笑みを浮かべると、

フォスターが照れたように金髪をかいて微笑んでくれた。

だが……今度、彼が見せた表情はかなり緊迫した顔になってしまった。

そこで、葉月と隼人はまた揃って背筋を伸ばす。

「ところが……うちのメンバーの中で一人だけ。

『絶対に、小笠原に行くべきだ』と推すヤツがいてね……誰だと思う?」

「…………」

葉月と隼人は揃って黙り込んだが……うっすら同じ人物を思い浮かべたようだ。

それがハッキリと頭に描かれる前に、フォスターが口にした。

「ウンノだ。アイツは絶対に小笠原に行けば今後のことも上手く行くと……」

「…………」

思った通りで葉月と隼人はまた……答える言葉が一緒に出てこない。

(達也のヤツ……本当は自分が行きたいだろうに……)

隼人はそう思った。

達也が一番望んでいる『ポジション』は、小笠原に戻って葉月を守る仕事だ。

「私の所に来たからと言って、今後のプラスになるなんて保証は何処にもありませんわ?

隊長は感じるまま、お断りすれば宜しいかと思いますが?」

葉月は何を考えたか……思ったのか……感じたのか?

それは今の隼人には計れない。

だけど……彼女は『たいして悩む事なんてない』とばかりに

フォスターに滅多に見せないこの上ない優雅な笑顔をこぼしたのだ。

隼人から見ると、その笑顔こそ妙に『怪しい』

勿論──フォスターもそんな返事では納得しないとばかりにため息をついたではないか?

「お嬢さん。俺が言いたいのはそう言う事じゃないし……まだ、話は終わっていないよ」

「……まだ、なにか?」

葉月もまだこれ以上何かがあるのか?と、ふてくされた様に笑顔を消し表情を曇らせる。

 

「……俺の後釜、特攻隊の隊長としてウンノが候補にあがっている」

「え!?」

また思わぬ話に、葉月と隼人はまたまた揃って驚きの声をあげた。

 

「そんな……そういう展開は達也が納得しないのでは?

フォスター中佐を追い出すみたいだって……達也は思う性分だわ!?」

今度こそ、葉月がテーブルに身を乗り出した。

「さっきも……サワムラ君に少し話したけど……

ウンノは今……あまり状態が宜しくなくてね」

「宜しくないとは??」

葉月が間を置かず……それこそ大事な同期生が心配だとばかりに

真剣にフォスターに詰め寄ったのだ。

そんな……葉月の姿は滅多にない。

隼人はやっぱり葉月も達也の存在はそれなりに捨てきれない大切な『同期生』として

心の中で大切にしていることを見せつけられた気持ちになった。

だが……その気持ちは隼人も一緒である。

「あの……先程の食事の席で中佐は僕に……

『近頃、ウンノは夜遊びが盛ん』と言っていましたが……そういう事ですか?」

隼人が尋ねた内容に、葉月は驚いたのか隼人の顔を見上げていた。

「そうだ……アイツがそうして投げやりな生活を始めた中に……

『俺は素質のない隊員』と見せているのかと思うと……なんだか俺も注意できなくてね。

こんなだらしのない男に隊長の資格はないと、ワザと見せかけているようで……。

行き過ぎれば一言、二言はキツク注意はしているがそれも聞き流されるし

俺に迷惑がかからない程度に遊んでいるからこっちも深入りできない。

俺がウンノを引き取ったのだから

『俺が転属になった事、隊長を引き継ぐことになっても気にするな』と言い聞かせてはいるが

アイツの性分なんだろうね? 自分が現場に戻って俺が身元を引き受けたことを……

今はかなり気にしていると思う……顔には出さないが……」

「そんな事に……」

葉月が……フォスターが思い詰めた上で、小笠原に浮かぬ顔で来た訳の深さを

やっと痛感したかのように……また、しばらく茶色の瞳を見開いて茫然としていた。

 

「……それで……」

フォスターがさらに口を開いたところで……

マスターがそこを見計らったように、トレイを3つ手にしてテラスに入ってきた。

 

「今からテラス入り口の窓は閉めておくよ。もう、平日だしそうは人も来ないと思うからね?」

マスターが葉月から、ミントの葉を添えたマンゴーアイスのグラスを差しだし……

お客のフォスターにトレイを差しだし……最後に隼人の前にトレイを置いてくれた。

ふと気が付けば、テラスにいた最後の一組の客は既に去った後だった。

 

「ありがとう、おじ様。お話が終わったらすぐにまた……合図するわ」

「どうぞ、どうぞ。ごゆっくり♪」

マスターは葉月の『おじ様呼び』に本当に弱いのか?

笑顔を崩しっぱなしで、去っていったので隼人は呆れ顔。

 

だが──話は白熱しはじめていたので

誰一人……手元に来た食事には手を着けようとしなかった。

でも──隼人はマスターがトレイを並べている間に……

『ある良い方法』を思いついてしまったのだ。

 

「あの……そういう話でしたら……。

隊長と海野中佐が望んでいることがそっくりひっくり返っている事になりませんか?」

 

そう……フォスターは『今の特攻隊の隊長のままでいたい』

そして……達也は『小笠原に転属したい』

なのに二人が望んでいるポジションをそっくり入れ替えられて上が指示を出しているのだ。

 

隼人の質問にフォスターが急に、笑顔をこぼして隼人に詰め寄ってきた!

「そうなんだよ! やっと気が付いたか!?」

大きな陸の男が、半立ちで向かいの二人に向かってきたので

隼人はおろか、葉月まで驚いたのか……二人一緒に思わず後ずさったほど。

「……そんなまったく……」

だけど、葉月はすぐに落ち着いて、やっと銀色のスプーンを手にして

南国イエローのアイスを、ひとすくい。

妙に機嫌悪そうにマンゴーアイスを頬張った。

フォスターはまだ何も言わないが……葉月は彼が何を言いたいのか気が付いてしまったのだろう。

 

──『俺とウンノが入れ替わって丁度良い!』──

 

隼人もそれが『良い方法』だとすぐに思いついたぐらいだから。

だけど……葉月としては『そんな面倒くさい』なのだろう?

それもそうだろう。

葉月から『達也引き抜き』を率先しては、だったら? どうして4年前に手放した……

『今更……』と、言う事にもなるだろうし。

元恋人……今は隼人という相棒がいるから、その関係とバランスを保つため、

そして……達也の心情を考えて

『側に引き抜くには問題がありすぎる』と即座に判断しても仕方がないところだ。

 

だけど……隼人の考えは少し違った。

 

「そりゃ、上の意向を覆すのは難しいと思うけど……。

達也は四中隊にいつかは帰りたいと思って将軍側近職を辞めたんだ。

側にいる隊長が自分が望んでいたポジションに栄転することを、快く勧めているのは感心だよ。

それだけなら達也だって黙って堪えていたと思うけど。

これまた計ったように……隊長と入れ替わりで、フォスター隊を引き継ぐなんて……

今は心中穏やかでなく、荒れているのは仕方がないと思うけどな?」

そこの所、解ってあげろよ……なんとかしてやろうよ?と隼人はほのめかしてみた。

「馬鹿らしい。それなら達也も隊長辞退すれば済む事じゃないの?」

なんて……いつになく『他人事』として放棄しようとするのだ。

「……大佐、よく考えろよ。俺だって個人的感情はあるけど

今後の中隊のためを思って言っているんだからな!」

隼人もいつになく冷めている葉月に思わずムキになってしまったのだが……。

「今後の中隊のため? 中佐は平気なの?

自分以外の『側近が必要な状況だ』って突きつけられたのよ?」

葉月の瞳がいつもの少年のように輝いた。

その瞳を輝かせた時は……隼人も勝てない何かがある。

彼女が『小さな大佐』として君臨する時、冷静な判断を下すときにする目だから。

それに……その『判断』は隼人にとっても『グサッ!』と来た。

だけど……そこで葉月が『不機嫌』になったと言う事は

『澤村一人で充分だ!』と思っているから怒っているのだと隼人には通じた。

葉月の信頼はありがたいと思う。

だけど……隼人も解っているのだ。

「そう見られているのは俺の努力不足だろうし……。

実際……側近が一人増えようが……それが補佐として増えようが……

もう一人増えるなら心強いところだ。今はどう見たってそういう状況じゃないか?

お前も言っていただろう? 『陸部の指導者が手薄』と……それなら……

フォスター中佐が来ることは元より、達也が来る事も俺は大賛成だな」

隼人も負けずに、シラっと平淡に答えた。

葉月は心外だったようで、少しばかりおののいていたのだが……

「そうだけど……でも……」

そこで急にいつもの内向的な女の子に戻ったようで歯切れ悪くなった。

葉月の中で『指導者』として……そして『個人』として大きく揺れてしまったのを

隼人は見てしまったのだ。

その言い合いは日本語で言い交わしていたのだが……

どんな言い合いをしているかはフォスター中佐には解ってしまったようだ。

「まぁまぁ……お二人の気持ちのことはよく話し合って……。

俺もね、無理なら無理で覚悟はしているし……

今回、見学に来て良かったよ……。そうは不自由ないアメリカ寄りの生活が出来そうだし。

女房も娘もある程度は日本に興味があるようだから……」

フォスターは、葉月と隼人の間に波風を立ててしまったことに後悔をしたようだった。

 

だが──

 

「隊長……良ければ、俺に一任していただけませんか?」

 

隼人の真剣な申し入れに、フォスターは元より、葉月も面食らった顔で隼人を見つめたのだ。

 

「どうして!?」

葉月が一番に反応したが、隼人は『無視』

「……『一任』って、どうするつもりかな?」

フォスターも急に張り切りだした隼人の申し出に急に不安になったようだ。

「……それはまだ思いつかないのですが……

丁度、フロリダに赴きたいと思っている仕事を手がけています。

その仕事でフロリダに行ったときに海野と会って話だけでもしてみたいと思って……」

「そうなんだ? そういう仕事を持っているなら動きやすいね?」

フォスターもそこは乗りに気になった様子。

しかし──

「バカ! 大佐の私を差し置いて何がフロリダ出張よ! いい加減にして!」

葉月が勝手に話を進める隼人に急に怒り出して席を立ち上がった。

「おい? 何処に行くんだよ? アイス、溶けるぞ!?」

 

『うるさいわね。お手洗い!』

葉月はツンとして……テラスを出ていってしまったのだ。

 

「……なんだ。俺としてはお嬢さんの方が話は解ってくれると思っていたけど……」

フォスターが心配そうに葉月が店内を歩いてトイレに向かうのを眺めたのだが

「いえ……彼女的に急激な事でちょっと驚いているだけですよ。

冷静に見えても結構、26歳の女の子らしく揺れているんですよ。

あと……いつもの意地っ張り」

隼人が余裕で笑うと、フォスターもホッと笑顔をほころばせた。

「……どうせ驚いて戸惑うのは……君の方だと覚悟してきたのに……。

嫌だろう? お嬢さんの元彼が側に来る話を俺は勧めに来たんだ」

「……その点は任務の時に彼と話して色々と……折り合い着けていますし」

「……妙にあの任務の時、君達、側近コンビの息が合っていたから……。

俺のようなおじさんが来るよりかは年齢的にも上手く行くと思ったんだ」

「いえいえ、勿論、大先輩が来るなら助かりますけど」

「いや、君達3人には何か通じる物があると思ってきたんだ。

だけど……お嬢さんがあんなに拒んでいては……あまり勧めない方が良いかもしれない」

フォスターは、疲れたようにため息をついた。

 

「大丈夫。きっと彼女も徐々に解ってきますよ」

隼人の笑顔にフォスターは益々驚いたようだった。

「君はやっぱり、凄いよ……あのやんちゃ大佐を引っ張っているだけある。

確かに……側近は君だけで本当は充分なんだろうけど」

フォスターの仕事ではない男としての優しい微笑みに隼人は急に照れてしまった。

「いや……その……ですけど……。

上の言う事も解らないでもないです。

空と陸を固めたいフランク中将の意向も頷けますし、彼女もそこは既に気が付いていますから。

それに……確かに俺も今は手一杯なところがあり、

これから彼女が大きく大佐として動くとしたら今の人材では不安定になってきますから」

「そう……君は個人的感情よりかは……職場重視なんだね? 偉いよ」

「……そういう事ではないんです。

俺……本当のところは海野と一緒に仕事がしたいという衝動が前からありましたから」

「──!! そうだったのかい??」

隼人の静かな告白にフォスターはかなり驚いた様子。

「はい。俺……彼の事、凄く良い奴だと思っています」

そういうとフォスターは嬉しそうに笑ってくれた。

「……海野も君のことは時々口にするよ。良い兄さんだって……。

お嬢さんを任せておける男がいるから……今は小笠原に戻れなくても大丈夫だって……。

だから……俺に行けとも言えるんだって……。

だけど……そう言いながらも……ちょっと寂しそうな顔はするよ」

「そうですか……きっと、彼も今の状況……益々、追い込まれているんでしょうね?」

「だろうね? 華の将軍第一側近を捨てたから、

オヤジさんがまた良いポジションを与えようとしていると反抗をしているのかもなぁ?」

「オヤジさん?」

「ああ、ブラウン少将のことさ……娘とのヨリを戻そうとしているかどうかは解らないけど

どうも今回の異動も……ブラウン一家のもめ事が噛んでいるような気がしないでもね?

あのブラウン少将がそんな事するとは思えないけど……」

フォスターはまた疲れた口調でそう呟いて……やっとフォークを手にして

トマトマリネをつつき始めた。

(そうか……丁度良く歳もこなれてきた隊長を内勤に収めて……

達也に新たなる活躍のポジションを……か?)

だけど……葉月の父親、亮介が信頼する後輩が

娘のこと一つで、部下を異動させる男とは思いたくなかった。

義理父的には、そう思っていない今回の転属話かもしれないが

達也がそう感じてしまうのも無理はない展開ではある。

(マリアさんは……どう思っているのだろう?)

隼人もフォークを手にしてマカロニサラダを何気なくつつきながら、そう思った。

 

「あー。なんだか食べた足りない! ティラミス頼んで来ちゃった」

 

あれだけ怒って外に出たのに葉月がケロリとした顔で帰ってきたのだ。

「ストレス食い?」

呆れた隼人が嫌みたらしい笑みを返すと葉月は途端に膨れ面。

「そりゃね! 勝手な側近がいるとストレスも溜まるわよ!」

「意地っ張りな大佐がいると側近もストレスが溜まるわよ!」

隼人が葉月の口調を真似すると、葉月が益々膨れて、不機嫌に席に戻った。

日本語のやり取りでもフォスターは可笑しそうに笑って、楽しそうに食事を始めていた。

 

そんな先輩を見て……葉月が一言。

 

「フォスター中佐。解りましたわ……澤村とよく話し合って……

何が一番良いか選択してみます。

選択した結果をどう動かすかは、これからよく考えます」

 

葉月がそこは凛とした大佐嬢の顔でしっかり先輩を見据えて瞳を輝かせたのだ。

『手洗い』と称して、一人冷静に頭を冷やしてきたのだろう?

「そう……ありがとう。でも、お嬢さんの気持ちの負担になるつもりはないよ」

「いいえ……私のような力無い大佐がいるばかりに……

こんなお話が中佐の所に舞い込んでしまって……ご迷惑かけました」

そこも、しんなりと頭を下げたので隼人は驚いてみたり。

時々彼女のそんな立派な姿勢に隼人も唸ってしまうのだ。

誰もが適わない地位に就いた『大佐嬢』なのに……

そういう小娘としての謙虚さは絶対に彼女は忘れていない。

どんなに生意気小娘でも、そこの所はちゃんと心得ているのだ。

だから……フォスターも驚いたようで彼も先輩ながらスッと背筋が伸びたようだ。

 

「いえ……私情にてこちらも、大佐に無礼な事を申しあげたことをお詫びいたします」

こちらも……れっきとした『優秀な隊員』だった。

地位は絶対の軍人であることを、フォスターも忘れてはいないようだった。

 

「トマトマリネ、如何ですか? フロリダに帰ると母がいつも作ってくれるので

私も大好きなんですよ?」

葉月がやっと……席を和やかな雰囲気にしようとフォスターに話しかけた。

「うちの女房も良く作りますよ」

「そうですか……なんだか数年、フロリダの実家には帰っていないので

急に懐かしくなりました」

葉月の口から『フロリダへの思い』が出てきたので、隼人は一瞬驚いたが聞き流した。

 

「そうだ……娘から預かった物、渡しておくよ!」

「まぁ……何かしら!?」

席の場が和んだ所で、元の雰囲気でフォスターが嬉しそうに

手元に持っているセカンドバッグのジッパーを開けたのだ。

 

そこから……隊長の大きな手に包まれて人形が一体出てきた。

そして……葉月の前に『ちょこん』と置いたのだ。

 

「……まぁ♪ 可愛らしい……」

と、言いつつも何故か葉月の笑顔が少し強ばっていた。

「あはは! ウサギだ!」

隼人はそれを見て大笑い。

そう……フォスターが葉月の前に置いてくれたのは

手サイズのピンク色のウサギの人形だった。

「なにか?」

フォスターが訝しそうに微笑んだが、葉月と隼人は揃って満面の笑顔に戻して誤魔化す。

「あら? カードを首に下げているわ?」

葉月はそのウサギの人形を手にとって、そっとカードをめくろうとしていた。

 

「ああ、君の話は女房にも娘にも帰還後にしたからね……。

俺の家族の中では、英雄だよ。

娘はあまり字が上手くないから……読めるかな?」

フォスターが照れくさそうに、そのカードをめくる葉月の反応を不安そうに眺めていた。

「──!!」

そのカードを読んだ葉月の息が止まった。

隼人もサラダを口に運びながら、そっと首を傾げて覗き込んでみた。

可愛いチェリーがちりばめられたカードに、ピンク色のクレヨンで英語で何か書かれている。

 

『大佐おねえちゃん、パパを助けてくれてありがとう!

フロリダに来たらうちにも遊びに来てね! タツヤも待っているよ♪』

 

動きが止まった葉月を見て、フォスターがちょっと言いにくそうに付け加えた。

 

「ウンノは近頃、俺の家によく上がり込むんで、娘がなついてしまったんだ。

ああいうところ、憎めない男で、女房も今後の彼の事は気にしている。

そのぬいぐるみは、娘とウンノがいつの間に示し合わせて二人で買いに行ったらしいんだな?

今回の出張に行く前に、ウンノから俺に託されたんだ。

ウンノはポニーの人形を勧めたのに娘が絶対ウサギが良いと言い張ったらしいよ」

「ぶ……ポニーって『じゃじゃ馬』って事じゃないか?」

隼人が茶々と入れると、葉月がジロリと横目で睨んだのだが……。

『まったく、達也までなによ!』なんてふてくされつつも……。

 

「そうですか……嬉しいわ。私が暴れたのも無駄じゃなかったみたい」

 

葉月はそのピンクの人形をそっと愛おしそうに手の中で撫でて

いつまでも優しい笑顔で微笑んでいたのだ。

 

何故か……隼人もフォスターも、一緒になって

その大佐嬢の優雅な笑顔に見とれてしまっていた。

 

「パパが側にいるって、良い事よね」

 

葉月がそっと呟いた。

なんだかそれも……優しい笑顔で。

 

葉月の心に……そっと小さなお嬢ちゃんの言葉が響いている。

 

『動くかも、コイツ』

 

隼人は、その人形を撫でている葉月の瞳が、急に輝きだしたようにも見えたのだ。