・・Ocean Bright・・ ◆ウサギ覚醒◆

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4.決意の準備

 いよいよ式典が数日前と迫って、基地中がにわかに騒がしくなってくる。

「ジョイ! お疲れ様!!」
「おう? 真一じゃない? どう? だいぶ準備は整った?」

 そして、どこの本部よりも慌ただしい四中隊に、栗毛の少年が元気いっぱいに飛び込んできた。

「うん! 明日の夕方には、模擬店を設置するんだ。色々有り難うってお礼を言いに来た!」
「なんの、なんの。俺も数日前から、ちょっと余裕が出てきてね〜。模擬店準備の方も、後輩達に任せていたけど、手伝えるようになったよ」
「それで〜食材の仕入れなんだけど……」
「ああ、任せて。真一の所は、フランクフルトだったな」
「うん! 竹串とかは皆と買っておいたよ。四中隊がアメリカンホットドックで、場所は対角線上で近隣に被らなくて助かったよ」
「テッドに聞いたけど……場所取りの時、一生懸命、そこを主張して、その場所を上手く取っていたってね。頑張ったな!」
「うん……出来る事は、俺達だけでやりたかったし。でも! ジョイのアドバイスがなくちゃ、ある程度は失敗ばかりだったと思うよ。ほんと、ありがと!!」
「いやいや……真一の頑張りだよ」

 ジョイに労ってもらい、真一もにっこり満足。

「今日は、そのチケットを売りに来たわけ! えへへ〜」
「お。ちゃっかりしているな? じゃ、俺、一枚買うよ。売りたい分だけ置いておきなよ。さばいてあげるから──」
「ううん。いい──その代わり、ちょっとだけ宣伝に中に入れてもらいたいんだけど」
「え?」

 いつもなら、ここで『わぁい、宜しくね!』とジョイのツテを頼むだろう真一が、『自分で売り込む』と言い出したので、ジョイは驚いて、席から真一を見上げた。

「皆で手分けして、各部署に飛び込みの売り込みしているんだ。俺、四中隊担当♪ エリックはパパがいる第一中隊に行っているけど、他の友達は、ツテなしで行っているから……俺も、お話した事ない隊員さんにツテなしで売りたいんだ。と、いっても……大佐嬢の甥っ子という役に立ちそうな立場は否めないけどね」
「へぇ……解ったよ。うん、どうぞ。医学生さん。お仕事の邪魔にならないようにお願い致します」
「ありがと! じゃぁ……お邪魔します。あ、まずは大佐室、いいかな〜? 葉月ちゃん、いる?」
「ああ、今ならいるよ。三人とも──」
「わかった!」

 入り口補佐官のお許しをもらえた真一は颯爽と、大佐室へと向かう。

「真一。俺にも後で二、三枚、回してくれ」
「ありがとう! 山中のお兄ちゃん!」

 ジョイとの話を小耳に挟んでは微笑んでいた隣の席の山中も、大佐室の前に立った真一に一声。
 真一も、いつもの無邪気な笑顔にて、元気いっぱいに応え、大佐室に入っていく。

「しっかりしてきたな……」

 山中の感心しきりの溜め息と微笑み。

「ここのところ、急にね。もう……坊ちゃんではなくなってきたよね〜」
「本当に──」

 ジョイと山中は、自動ドアに消えた少年の背を見送って微笑み合っていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「こんちはっす〜」

「あ、真一じゃないか」
「いらっしゃい」

 真一が大佐室にはいると、まず達也が立ち上がって笑顔を見せてくれる。
 その次は、向かい席にいる隼人が、いつもの落ち着いている、でも、優しい笑顔を見せてくれた。

「あら。いらっしゃい。久しぶりね」

 そして大佐席には……昼の日差しの中、ここにいる誰よりも小さい身体なのに、とっても大きな気を放っているような綺麗な女性が、優雅に微笑んでいた。
 その優雅さに、真一はフッといつも以上に目を奪われた。

「葉月ちゃん……なんか暫く会わないうちに……すっごく綺麗になったみたい」
「──!」

 本当に本心からだった。
 それも無意識に呟いていたのだ。
 そんな真一の自然と出た、とても感動した一言に、葉月がものすごく驚いた顔で、固まってしまった。

 その上、彼女の両脇を固めている、達也に隼人まで──。

「あら、ませた事いってくれるわね。どうしたの? 何かお願い事?」

 だけど、その驚いた顔も一瞬で、葉月はさらに真一を驚かせるような、煌めく笑顔を見せてくれたのだ。

「ああっと、そうなんだ」

 真一はハッと我に返りながら、調子よく笑い、大佐席へと駆け寄った。

 なんと例えたら良いのだろう?
 何かが今までと違うのだ。
 勿論、真一にとって葉月という女性は、無条件に一番綺麗で、最初に『女性』という匂いを感じさせた……母とも姉とも思う事が出来る人なのだが。

 なんか──こう、静かなたたずまいから、芳醇な香りだけが、いっぱい、いっぱい、漂ってくるような……こんな風に感じるのは初めての事だったのだ。

 確かに彼女に会うのは『久しぶり』だった。
 真一は、この模擬店の準備で、ここのところは友達といる時間が多く、寮と訓練校の往復だけだったから──。
 隼人に父親の事を知られて以来ではないだろうか?

 あの時──隼人は上手く事の次第を消化し、受け止めてくれていたようなので、二人の中がぎくしゃくするかもしれないなんていう不安もなく、丘のマンションへいちいち確かめに行く気持ちも湧かなかった。
 そんな安心感を持っていたのだが──。

 本当は……それ以上の理由がもう一つ。

(ごめんね……隼人兄ちゃん──)

 真一は、眼鏡顔のお兄さんをちらりと眺め、心の中で謝った。
 今日はまだ持ってきていないが……真一は、父親から預かった『義妹への贈り物』を、葉月に渡すつもりだった。
 父がそれを真一に託した意味も、充分に理解しているつもりだ。

(親父──葉月ちゃんをずっと前から愛していると思うんだ。今まで、色々な事があって、隠してきたと思うんだ)

 その本心を……やっと垣間見せる覚悟をしたのだと。
 それは息子の自分にも通じていた。

『葉月ともしかすると、一緒になるかもしれない。お前──葉月が側にいなくなっても大丈夫か? 大丈夫なら……俺達を許してくれる気持ちがあるなら……息子のお前から渡してくれ』

 父は、素直にそうは言わなかったが……真一には理解できた。
 彼の……真一が知っている『素直じゃないひねくれた眼差し』が、本当は『ちょっと気後れした眼差し』であった事も。
 あの澄んでいる黒い瞳から、そういう事を伝えたいのだって……理解できた。

 悩まなかった訳じゃない。
 あれから、渡された水色の箱を眺めて、真一は『隼人』の事だって考えていた。
 だけど──本当に申し訳ないけど、真一は……自分が一番、二人の『長年の想い入れ』というのを見てきたと思っている。
 どんなに遠く離れていても、いつ会えるかわからなくても──。
 二人は、真一を通して、通じ合っていた事。
 真一にとっては子供の頃から、ずっと……二人の『淡くて』──そして『もどかしいほどに押さえてきた』そんな『想い』の重み。
 それが──どうしても『否定』出来ないのだ。

 そして……やっぱり、自分は『父』の息子だと思った。
 今までは、あの親父が散々ひねくれていたので、葉月には合わない人間で隼人といた方が幸せなのだと思った事もあったし、父親には、やはり最後まで母・皐月を想っていて欲しいという感情もあったけど、真一にとっては葉月も、母親に近い存在感。
 でも、あの父親が『素直になる』のなら、話は別で、親父が若叔母を素直に大切にしてくれるなら──裸足で飛び出すほど、義兄を慕っている葉月が望んでいる事なら──『二人の想いを結んであげたい』と──。
 そんな父の想いを、貫かせてやりたいと……自然に思ったのが、一番最初の気持ちだったから。

 だから──隼人には申し訳なく、このごろは、彼を直視できない気持ちで避けていた……という訳もあったのだ。
 隼人がこの件について、今はどのような心境か知りたい反面、やはり傷つくような姿を見るのも、今の真一には耐えられそうもなくて……まるで、彼が今まで真一をどれだけ可愛がってくれたかという事の『恩』を裏切る気持ちでいっぱいだった。

(でも……俺、渡す)

 真一は、フッと隼人から視線を逸らして、葉月に向かい、ニコリと微笑む。

「これこれ! 模擬店のチケット、大佐も是非!」
「あら! すっかり準備万端ね! すごいじゃない! 勿論、買う買う♪」

 葉月は直ぐにいつものお姉ちゃんの笑顔で、真一が差し出した模擬店チケットを手にとって喜んでくれる。

「お! 真一、俺にも買わせろ! 班室の奴らにも売り込むよ」
「俺も。メンテ班室に回すよ」

 達也と隼人も席から立ち上がって、真一の両脇に寄ってきてくれる。

「ありがと! でもね、俺、自分で宣伝して売りたいんだ。だから、売り込んでも良いなら、班室への訪問許可してちょうだい」
「え!」
「そうか……それもそうだね。解った──班室に連絡入れておくよ。後で、存分に宣伝に行っておいで」
「お、俺も──陸班にそう言っておくよ……」

 達也は真一の自立的な言葉に、驚いたが……隼人は直ぐに真一の気持ちを解ってくれたようで、笑顔で承諾してくれる。

「有り難う、隼人兄ちゃん、達也兄ちゃん! じゃぁ……三人分、とりあえずいいかな?」

 真一はチケットを三枚……照れながら差し出した。
 葉月と二人のお兄さんは、笑顔で快く財布を取り出して、一枚ずつ購入してくれた。

「有り難うございました。当日のご来店、お待ちしております♪」

 真一が調子よく敬礼をすると、三人が揃って可笑しそうに笑い出す。
 それで──真一は、早速、本部事務室への売り込みへと大佐室を出ようとした。

「ちゃっかりしているわね。もう、行っちゃうの?」
「ほんと、ほんと」

 売ったら売っただけで、用事が済んだとばかりに出て行こうとする真一を、三人がからかいながらも、笑顔で送り出してくれようとしていた。

「あ。シンちゃん──今夜、フロリダのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、到着するけど。夜中になりそうなの──。パパとママはそのまま手配先のホテルに泊まるそうよ。明日、お昼休みでもいいし、授業が終わってからでも良いから……大佐室に来てね。明日は皆でお食事よ」
「うん! 解った! じゃぁ!」

 それも元から葉月から知らされていた事なので、彼女の念押しにも真一は笑顔で応えて、大佐室を出たのだ。

 

「さて──真一が本部内で売り込みしている内に連絡しておくか──」

 隼人が早速、メンテ班室に一言連絡をしようと内線を手にする。

「俺もしておこうっと。あ、真一は、英語、大丈夫かな?」

 達也も隼人に合わせるように、内線に手を伸ばしていた。

「ああ、近頃は英会話も達者になってきたみたいだけど──念のため、デイビットに頼んで、村上君にも頼んでおくかな?」
「分かった。じゃぁ……俺も班室リーダーと、日本人の隊員に頼もうっと!」

 二人がそれぞれの専門配下に連絡をする。

「有り難う──結局、協力してくれて」

 葉月のそんな一言に、二人の側近が顔をしかめる。

「今更──なんだよ。長い付き合いなのに……」

 達也の『水くさい』とばかりの不満な顔。

「そうだよ。ちょっとだけ繋げただけで、後の売り込みは真一の力でする事なんだから──これぐらい、手伝った事になんてならないぜ?」

 そして、隼人の顔も真顔だった。

 それでも、葉月は──今の葉月は、そんな二人には素直に甘えられないような気がして、つい……そう言ってしまったのだ。
 だけど、二人は、こんな状態になっても、葉月の事も真一の事も、見捨てはしない。
 そんな事は葉月だって解っているし、そういう男二人の信頼を有り難く思っている。
 その上で……改めて、素直に感じている事だったのだ。

「さって……ちょっと、用事を済ませてこようかな? 佐藤大佐の所にも寄らないと──」

 暫くすると、隼人がバインダーを片手に席を立つ。
 葉月と達也も、それに促されるように、揃って腕時計を眺めたのだ。
 それが、隼人が近頃良く感じるようになった『双子的行動現象』だったので、一人でそっと微笑んでしまっていた。

「いってらっしゃい。私ももう少ししたら、班室廻りに出かけるから、大佐室のお留守番よろしく──」
「俺も──20分後に、テッド達と、来賓エスコートの基地案内のコース取り確認と、昼食会の会場セッティングに出かけるから──」
「分かった。それまでに戻ってくるよ」

 隼人も笑顔で、大佐室を出る。

『いよいよだな〜』
『ほんと、忙しくなってきたわね!』

 そんな二人の声を小耳に挟みながら──。

  隼人が大佐室を出ると、本部事務所の空管理班の島で、真一が一生懸命説明しながらの売り込みをしているのを目に出来た。

「……」

 隼人は、思う所があり立ち止まって、それを暫く眺めていたが、本部を後にする──。 

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

『有り難うございました!』

 真一は、四中隊本部入り口で、お礼を述べて廊下に出た。
 皆で作った集金袋には小銭の音。

「まぁー。俺の場合、売れて当たり前か──」

 少しだけ、やるせない溜め息。
 勿論、皆が募金の事を知っていたようで、手が空いているお兄さん達にお姉さん達は、笑顔で購入してくれた。
 その好意というか、心よりの購入と分かっていても……やっぱり何処かで『隊長の甥っ子』があるのだろうと真一は思ってしまう。

「だから……俺じゃない人が四中隊への売り込みしようって言ったのになぁ?」

 これは父親が本部にいるエリックも、同じ事を言ったのだ。
 他の友達は、こういったツテがないのだ。
 まったく顔見知りがいない中で、売り込みに行っている。のだが──。

『売れた方が良いだろう? その代わり、沢山、売って来いよ。元が取れないだろう』

 と、言う意見にて、エリックは父親の元へ、真一は若叔母の元への担当にされた。
 そんな『七光り』を引き合いに出して嫌みをいうような友人達ではないから、そこは二人とも感謝しつつ、皆の意見の為に、素直に出向く事に。

「!」

 廊下を歩いて、一番最初にさしあたる階段を降りようとした時だった。

「よっ──」

 曲がった角の壁に、眼鏡をかけた男性が、背をもたれてそこにいたのだ。
 隼人である──。
 いかにも待っていた……という、雰囲気であったので、真一は驚いて彼を見上げた。
 と……いうより、近頃……気付かれないようにしていたとは言え、彼を避けている負い目はあったから……真っ正面向き合って、ちょっと困ったと言った方が正しいかもしれない。

「ど、どうしたの? 兄ちゃん──」
「まぁ……その……」

 それでも、待っている隼人の方が気後れした様子で、照れたように黒髪をかいているのだ。

「……」

 真一は暫く、そんな彼を試すように見つめていたが、何故か……隼人の方がそんな真一からの視線を避けるように、目線を宙に向ける。

「えっと。俺──急いでいるんだ。あ、班室への紹介と許可、有り難う。今から行くから──じゃぁ!」

 それなりの──いつもの無邪気な笑顔を、『疑われないよう』に浮かべたつもりだった。
 そして──いかにも急いでいる……と言った風に、隼人の前を横切り、階段を一、二段、足早に駆け下りたのだが──。

 流石に……自分でも『あからさまじゃないか?』と感じてしまう行動に思えてきた。
 そこで……やっぱり、いつも隼人と向き合えば、色々な雑談も交えてきたように、何か言葉を交わしておこうと立ち止まった。

「あの……兄ちゃん」

「純一さんが会いに来た」
「!」

 真一が立ち止まり、振り返った瞬間、同時に──隼人が躊躇いを振り払ったように、はっきりと言い放っていたのだ!

「……今、兄ちゃん……なんて?」
「葉月には言っていない。勘づかれているようだけど、会っていない事にしている」
「いつ!?」
「先週かな? 訓練中に──カタパルトを止めやがって……コントロール室におびき寄せられた」
「……!!」

 あまりの驚きに……真一は声が、返す言葉が……出てこなかった。

「真一にも……会いに来てくれたんじゃないか?」
「……えっと……」

 そこが『一番知りたい』と通じるような、隼人の慎重な尋ね方に、真一は戸惑う。
 会いに来たのは、誕生日の贈り物だけではなかった。
 それこそ、今、真一が隼人を避けている一番の理由である『原因』──『親父からの頼まれ事』が含まれていた再会だったから──。

「なんだ。あの人──息子に会わないなんて……まったく、ここまで来ておいて」
「……」

 隼人の苦々しい顔に、非難めいた声。

「えっと……兄ちゃんの訓練が邪魔されたとか言う前に……会いに来てくれたよ」
「! そうだったんだ!」

 そんな父親じゃない……と、言いたいが為に、真一はそっと小さな声で伝えたのだが、その途端に、隼人はなにやら、つかえが取れたかのように驚いた声を上げたのだ。
 だから、真一もちょっとたじろいだ。

「なんだ──俺が言わなくても……」

 独り言のように呟いていた隼人が、ハッとしたように真一を見るなり、声をすぼめてしまった。

「なに? 親父と何を話したの?」
「いや──ちょっとだけ。ほんの数分だよ」
「……俺の事?」
「葉月の事──」

 隼人は躊躇わずに、父と話した内容を、堂々と教えてくれる。
 それが──真一が予想した通りに『葉月の事だった』という事を。

「……それで? 親父は……隼人兄ちゃんに宣戦布告?」
「!」

 もうその時の真一は、隼人の顔が直視できずに、そっと顔を背けていた。
 けど──その視界の端で、葉月の事について真一が『知っている』という素振りを見せると、彼がとても驚いたのは感じる事が出来た。

「……知っていたんだ」
「……」

 これで、隼人が真一を待っていた訳が判った。
 父親と若叔母の関係について……真一が知っているかどうかを探りたかったのだろう──。

「最近──。ううん、本当は、子供の頃……初めてあの人に会った時から、なんとなく。その時は必ず、葉月ちゃんがなにかしら後押ししていたような気配は感じていたから──」
「そっか……」

 それに対する隼人の反応も──真一が思っていた以上にあっさりしている雰囲気に取れて、訝しく思ったぐらいだ。

「──だったら、話は早いな」
「早いって?」

 彼も『純一に会って、なにもかも解った』というように、とっても落ち着いているように真一には思えた。
 だから、今度は、ちゃんと階段から、その上にいるお兄さんを真っ直ぐに見つめ返した。
 すると──そこで腕を組んで、真一を見下ろしているお兄さんの顔は、いつも真一が信頼を寄せている最大の安心感を与えている冷静沈着といった眼鏡の顔をしているのだ。

「俺も──。二人の『長き関係』は否定しない事にしている。たとえ、葉月の本心が真一の父親とか言う義兄を『欲していてもだ』──」
「!」
「俺、今──官舎で暮らしている」
「嘘──!?」

 真一からすると思ってもいない隼人の行動に、そして……理解に驚くばかり!
 しかも、あんなに仲良く、信頼し、お互いのバランスも上手く取れていた『丘での同棲生活』が解消されている事は、ショックだった!!
 だが──隼人はそんな真一の驚きにも構わずに、続ける。

「黙っていても、真一には知られるだろうと思っていたから、ここで知らせておく。もしかして……真一は、父親と若叔母の関係に気が付いていない場合、かなり受け止めるのに時間がかかるんじゃないかと心配していたけど。子供の頃からそういう雰囲気を感じ取っていたなら、『反対』ではないよな──」
「え? ちょっと兄ちゃん?」

 真一には隼人が……若叔母の『なったばかりの婚約者』が言い出している事が理解できない。
 普通なら、婚約を了解した恋人が、他の男性を密かに胸に秘めていた事を知ったのなら……こんな風に『容認』出来るはずがない。
 それが……17歳という真一が思える『一般的感覚』である。

 なのに──『認めるべき事』であって、それを甥っ子が受け入れられなかった場合、そこを悟ってもらわないと困る。と、ばかりの顔をしているのだ。

「確かに──。俺がやり出した事、感覚、気持ち。葉月を始め、誰もが『おかしい』と言ってくれたよ。さらに……黒猫パパさんもね」
「親父も?」
「普通は手放さないはずだから、何故、手放すのかとね──俺に聞きに来たみたいで……」
「それで……兄ちゃんは? 親父になんて!? それに! なんで、兄ちゃんも……葉月ちゃんを手放したの!?」

 接触するはずもない、真一にとっては身近な男性二人。
 その男達が語った事が……大人同士が語って、二人が出した結果が気になった。
 さらに──あんなに葉月を大事にして接し続けてきた隼人が……叔母から離れるなんて信じがたかった。

 すると……隼人は面倒くさそうに、黒髪をかいて、溜め息を一つ。

「彼は……今回は、葉月の気持ちをちゃんと考えているみたいだったよ」
「そう──」

 それは……『贈り物』を預かった真一としては、解りきっている事だった。
 だが──隼人はどう思ったのだろう? 葉月が心に秘めていた男性がいたことを認識し、その男性が葉月の為に本気になった事を知って──。

「それで、黒猫さんとは『意見一致』って訳で、話は終わった──」
「──意見一致……って!」

 つまり──父もお兄さんも『葉月の気持ちを優先する』と言っているのだ!
 驚いたが……そのお兄さんが言い放った『意見一致』の一言を耳にした後……真一の中でフッと、自分より大人であるお兄さんと、父親が出した『答』というものに、うっすらとした『理解』が芽生えた瞬間だった。

「今まで……自分の気持ちを押し殺してきただろう彼女の為に──俺は『一時』身を引き、今までは身を引いてきただろう『彼』が今度は打って出る。それだけの事さ……」
「──!!」
「ここで俺が繋ぎ止めても、彼が今まで通りに、義妹を突き放しても……彼女は何処にもおさまらないと、やっと解ったんだよ。『俺達』──」
「──!!」
「後は……答を出すのは、『葉月自身』だから。俺はそれを待っている状態──」
「──!!」

 そこには、最愛の女性を手放してしまったお兄さんが、哀しそうな眼差しをしつつも、全てをやり終えたという達成感を映し出す透き通った眼差しで、空を仰いでいた。
 それに……『俺達』と言う隼人が、既に父親・純一となにやら手を組んでしまったかのような言い方にも驚くばかり。
 真一には……もう、何も言えなかった。
 理解したとか、そういう事ではなくて……踏み込めない未知の世界での展開だった。
 こうして側で見ている事しか出来ない。
 まるで、ブラウン管の向こうで起きている物語を眺めるような感覚だった。

「──もしかして、父親の気持ちを知って、それが息子として否定できず、認めたのなら。俺に対して、申し訳なく思うんじゃないかとも、予想していたんだけど……」
「……」

 そこも隼人は、ある程度は見透かしているかのように、でも、真一を探るように見下ろしている。

「大丈夫そうだな」

 いつも通りの、安心できる寛大な笑顔がそこにあった。

「ウサギさん──感受性が乏しいからさ、俺がこうでもしないと『ちゃんと感じなくてはいけない事、見過ごしてはいけない大事な所』だったんで。ちょっと強行しちゃったんだよね。皆は、俺がやり出した事は『おかしい』と言うけど、相手があの葉月なら、誰だってこうすると思うな? こうでもしないと、葉月……また変な遠回りをして、こじれそうだったんで。正直になってほしくてね。俺だって、気持ちを押し殺してまでの『誓い』なんて望んでいないんだから。アイツ、殺す事に関しては、かなりの達者者だからさ──。一度、隠すと二度と外に出さないが、内側でいつまでもくすぶっていて、見ていても、こっちももやもやするんだ。そう思わないか? 真一……」
「そうだね。なんだか、わかるよ。必死になって、親父への気持ちを否定して、馬鹿みたいに隼人兄ちゃんに誓いを立てていたりして」
「あはは。ビンゴ! やっぱり、真一はしっかり者の甥っ子だな。解ってくれると思った」

 いつも通りの彼がそこにいて、真一も思わず、微笑んでしまった。

「じゃぁ……もう、葉月がどうなっても真一自身は大丈夫だな。ああ、たとえ、葉月が『いなくなっても』──」

 そこで、隼人は一時……口ごもり、寂しそうな顔をしたのだ。
 真一も『葉月がいなくなる』の一言に、ドッキリした!
 でも、隼人はまたすぐに笑顔になる。

「いなくなったとしても……真一の叔母としては絶対に見捨てないさ。それに……俺と達也がいるよ。遠慮はいらない。彼女は、今は……もう、俺にとっても達也にとっても『女』じゃなくて──『今まで一緒に頑張ってきた戦友』だから。戦友の甥っ子の事もいままでどおりだ。それが言いたかった──」

 隼人はそれだけは真顔で言うと、スッと真一に背を向けてしまった。

「兄ちゃん!」

 真一は、壁の角に消えようとしているその背を……堪らずに追いかけた。
 でも──隼人は止まってくれない。

「ごめんなさい! でも──兄ちゃんは、それで本当に良いの!?」

 やっぱり……止まってくれなかった。
 でも、肩越しに『ああ、いいのさ』とでも聞こえてきそうな手振りだけが返ってきた。

「隼人兄ちゃん──」

 真一は、涙を流していた。
 自然に、突然に出てきた涙は、とても痛くて熱かった。
 喉元に出てきた息は震えていて、真一は、その溜め息を押し殺すかのように唇を噛みしめていた。

『本当に愛してくれているのは──』

 それを真一は痛切に感じた瞬間だった。

 本当に彼は葉月という『人』を認めて、愛しているんだって──。
 こんなに強く思った事はない。

 いつもの真一なら……ここで『もう、あの預かり物は渡すのはやめよう──』と思っただろう。
 なんだか良く解らないひねくれてばかりの親父より、自分の為ではない『最愛の女性の為だけに』、あんな決断が出来る男の方が断然、叔母の為だと思うのだ。
 だが──隼人は真一が出すだろう答以上の事を、言っていた。

──『後は答をだすのは彼女自身』──

 いつまでも本心を殺している彼女とは愛は誓えない。
 だから──身を引く。

(でも……兄ちゃん。『一時』って言っていた)

 また本部へと消えた隼人の背を思いながら、真一は涙を拭う。

(兄ちゃんは──『戻ってくる事を信じて待っている』って思っているんだ)

 それまでは、父親と葉月と真一の間には『いっさい関与しない』。
 そんな覚悟なのだろう。
 この隼人の覚悟を無にしてはいけない。

 真一の中で、多少あった迷いが吹っ切れる!

(渡さなきゃ……俺も、そう思うから!)

 真一は心の中で、『俺も意見一致!』と叫んでいた。
 父親を思っていた部分もあったが、もう違う。
 これは……若叔母とお兄さんの前途の為でもあると再認識できたから──。

 真一は決めていた。
 もし……渡すなら、『式典の日』──葉月がフライトショーを無事に終えたら、渡すつもりでいる──。 

 それになんとなくだけど──葉月が綺麗になっている訳も判ったような気がした。

『葉月ちゃん……今、女性なんだ……。女性として、一生懸命、何かを探しているのかな?』

 真一はそう思った──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 その日の陸軍訓練用グラウンドでは、式典を目前としている小笠原音楽隊が、本番さながらの演技練習を行っている所だった。

──ピッピッピーーー!!──

 皆が楽器を携えてのマーチング、美しい図形に変わるフォーメーションを展開している中、激しいホイッスルの音が響き渡り、演奏が止まり、隊員達の足も止まった。

「そこ! ワンテンポ遅れたぞ! 演奏のテンポは合っているが、足が合っていない!!」

 グラウンド正面の指揮台に立ち上がっている半袖姿の栗毛の男性が、厳しい声をメガホンを通して張り上げていた。

『ラジャー!』
「もう一度、四小節前からやり直し! 指揮者、頼むぞ」
「はい!」

 素直に応答する音楽隊員達が、その指示に従い、元の立ち位置に戻り始める。
 演奏者の前には、マーチング指揮者が白く長い、そして持ち手が金色の玉になっている指揮棒を額まで持ち上げて、最初のテンポを取ろうとしていた。

「上出来だな──。ちょっと厳しくしすぎたかな」

 演奏が再開され、右京は一人だけで、海援隊の練習成果を讃える微笑みを浮かべていた。

「御園少佐──」

 そんな右京が立っている指揮台、その足下より下から、しっとりとした女性の声が聞こえた。

「なんでしょうか?」

 反射神経というか……そんな女性の声を認識し、つい満面の笑顔で下を見下ろした時だった。

「は、葉月!?」
「なに? そんなに驚いて──」

 そこには、右京が期待するにはほど遠い……女性とは分類されない『従妹』が立っていて、いつもの澄ました顔つきで見上げていた。

「いやいや……」
「今日は大佐室にこないで、こちらに直行したとリッキーに聞いたから──ちょっと陣中見舞い」

 今度はいつもの愛らしい笑顔を見せてくれたのだが……先日、『あんな状況』に追い込まれてしまったにも拘わらず、意外とすっきりとした顔でそこにいたので右京は目を見張っていた。
 そんな従妹と、その従妹を思うが故に思わぬ選択を余儀なくしてくれた『恋人』と、その長年の付き合いがある『男同僚』がいる『大佐室』。
 そこに今回は、どのような顔で──従兄としてどういう位置で、彼等と接するべきか、何を彼等に言えば、彼等の為になるのか……そんな事『今まで通りの関係と接触』で、彼等もこだわらない、さっぱりした男達と、解っているのだが、右京は、それが自分の癖のように、それでも、『弟分達』の為にも自分が何か、何か……詫びる気持ちも手伝って、何かしてあげたい……なんて。
 そんな事を考えあぐねている内に、今回は大佐室に真っ先に足を向ける事が出来なかったのだ。
 勿論、ちゃんと後で行くつもりだったのだが──。

 なのに……従妹はさっぱりした顔でそこにいる。

「大丈夫そうだな? ロイとリッキーにも頼んでおいたけど、別段、お前が落ち込むとか、受け入れがたくて、妙に癇癪を起こすとか……そういう事もないと聞いて安心していたが……」
「うん──。大丈夫。今回は私もちゃんと考えているわよ。隼人さんに言われた事だから……ちゃんとね」

 葉月がニコリと微笑む。
 右京は、その従妹が見せた笑顔に、初めて男として『ドキリ』と胸を打たれた気がした。

「……どうした? 大佐様がこんな外までやってきて……」
「あら、お言葉ね。大好きなお兄ちゃまが来ていると聞いて、嬉しくて飛んで来ちゃっただけよ」

 そこはいつもの生意気オチビの笑顔が、ニヤリとからかうように返ってくる。
 右京も『そんなはずあるか』とばかりの渋い顔を向ける。

「嘘だろ、嘘。お兄ちゃんをからかおうたってそうはいかないからな」
「大佐室じゃ、話しにくいから──。こっそり誘いに来たの。後でお茶おごってよ」

 またもや、いつものちゃっかり従妹の勝ち誇った笑みが向けられてきた。
 『お茶しましょう』ではなくて、『お茶、おごって』ときたもんだ。
 それもいつもの葉月の右京に対する特権みたいな物で、右京は一番小さい従妹にこういわれると、なんだか心の奥ではなし崩しになってしまうので、つい、頬が緩みそうになりつつも──。

「お前は、ほんっとうに『お得ちゃん』だな。お調子者」
「いいわよ。お兄ちゃまがおごってくれないなら、他のお兄ちゃまとお話しするから──」
「なんだと?」

 右京のちょっとした照れ隠しのつっけんどんな態度にも、なんのその。
 葉月はツンとした横顔を向けて、恐れる事なしとばかりに、思ってもいない事で、右京を煽る手もいつもの事だ。

「ああ、分かったよ。あと一時間──練習に時間がかかる。最終調整中だ」
「綺麗にまとまっているのに、流石、お兄ちゃま。厳しいわと、上の土手から見させてもらっていたわ。ワンテンポの狂いも許さないのね。これだったら、ロイ兄様も今回のマーチングは満足でしょうね」
「そうか……」

 その時の従妹が放った清々しい笑顔にも、右京は目を奪われた。
 従妹の眼差しは、音楽隊を通し、海原の青空を見つめ、そして水平線を眺めるが如く、遠く……そして、透き通っていたのだ。
 『なんだか変わったな』と、思った瞬間だった。

 葉月の言葉通り、先ほどのつかえも解消した海援隊の動きは、美しくまとまっていて、右京も従妹と話しつつも、もう、声を張り上げる程でもない仕上がりだと満足し微笑んでいた。

「じゃぁ……一時間後にカフェにいるわね。なんだか、こんな忙しい最中なのに、私は妙に暇なのよ。ううん? 暇ではないけど、そう感じているのよ」
「良い事じゃないか? お前の隊がまとまっている証拠。最高指揮官はばたばた動かなくてもいいのは補佐達が立派だという事だ」
「そうだけど──」
「どうした?」

 従妹の眼差しが一瞬曇って、右京も首を傾げる。

「ううん? じゃぁ──あとでね。お兄ちゃま」
「ああ。俺も丁度な……お前に言いたい事があったんで、ちゃんと行くよ」
「おごりね。おごり♪」
「わーかった。もう、お兄ちゃんは忙しいから、後でな。後で!」

 今度は、いつもの無邪気な従妹の笑顔。
 そこで、葉月は爽やかに手を振って、グラウンドを後にしていった。

「……なんだ? アイツ」

 少し心に引っかかる右京だったが……。

「幻かね? さっきの笑顔は──」

 一度きりだった。
 妙に女性を感じるような笑顔を感じ取ったのは──。
 右京は首を傾げつつ、スラックスのポケットに手を忍ばせる。

 そこには……きっとそうなるだろう従妹の為に、鎌倉から持ってきた物を肌身離さず忍ばせていた。

「……これは葉月の物だからな」

 そこには、任務の後、葉月からもう一度、管理を任された『海の氷月』があった。
 これを葉月自身に任せる時は……そういう時だと、右京は昔から決めていた。
 それを渡す決意を持って、今回は小笠原にやって来たのだが。

 従妹が誰の為に、この指輪をはめるのかは……右京は知らない。
 それは従妹自身が決める事であるから──。

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