38.お人形さん

「ハリス少佐には…申し訳ないことをしたと思っています。

私の中で…彼女からあなたの話を聞かされたとき…あなたは葉月を待っている。そう思いました。

彼女は何処かあなたには遠慮をしているようで…そう遠慮せずに…

日本に帰ったら思いっきり素直にぶつかればいいじゃないかと思っていました。最初は。

その時は私の中では、『葉月』と言う女性は…

ちょっと感情表現が下手な…お転婆な妹のような…お嬢さんでしかなかったから。

彼女を意識し始めたのは…おそらく最後の方だったと思います。」

「ハヅキは…私のことは…なんと…言っていましたか?」

それは…彼の気になるところだろうが…どう表現して良いのか隼人は言葉に詰まった。

『彼を幸せに出来ない女』自分のことはそう言っていたが…

ハリスに対する想いというヤツは言われてみればそう深くは葉月からは聞いていなかった。

すると。彼の方から語りだした。

「私としてもハヅキには…悪いことをしたと思っています。

しかし…彼女が…気むずかしいハヅキが、気にそぐわない研修に無理矢理…

フランク連隊長に言いつけられて出かけて…。

気に入らなければいつものじゃじゃ馬嬢ですねてへそを曲げて帰ってくる…。

そう思っていました。その時は私も『妻』と出逢う前で…

そんな遠いところの男なんかに見向きもせずに『僕の所に帰っておいで』そう思っていました。

でも…彼女は…帰ってこなかった。『側近として気に入ったのか。人間として気に入ったのか』

私は葉月が帰ってこなくなって一ヶ月間はそう揺れていました。

ハヅキからお聞きでしょうか?春に…藤波中佐が来たときには彼女とは別れ話は出ていたんです。」

それは…隼人も聞いていたので頷いた。

別れ話はあやふやのままフランスに来てしまったが…

おそらく…もう…上手くは続かないだろう…葉月の中ではそう決まってはいた。

しかし。その話を聞いた時点で…隼人としては

『そう言わずに…。そんな中途半端に別れているなら

日本に帰って彼に対して素直になれば上手く仲直りできる』

そう思ったから…『私ってこんな感じ…』と自分をおとす葉月に…

あの…ヒラヒラと彼女の手から落ちた『緑の葉っぱ』を拾って握りしめさせた。

彼は待っている…隼人はその時はそう思っていたのだ。

「別れ話の原因は、僕とハヅキの中ではちょっと…訳が違うと思います。」

「訳が違う?彼女は…『自分じゃ彼に満足させてあげられない人間』と言っていましたが?」

すると…ハリス少佐は初めて聞いた…!と言うように顔を上げた。

その顔が『僕には一言もそんなこと…水くさい!』と言うような顔で…

隼人は我が事のように胸が痛んだし…

やはり・ちょっとのすれ違いの間に自分が割り込んでしまったという罪悪感が生まれた。

しかし…彼はすぐに諦めたようにそっと…眼差しを伏せて微笑んだのだ。

「たとえ…ハヅキのその本心を聞いていたとしても…。

僕じゃ…彼女は幸せに出来なかったと思います。

『妻』にも…そう言われましたから…」

隼人はビックリ…彼の『新妻』が夫が付き合っていた恋人『ハヅキ』の存在を知っているからだ。

「奥さん…。知っているんですか!?あなたと葉月が付き合っていたこと!!」

すると…彼はなんだかそこは…自信ありげに『Yes!』と微笑んだのでもっと驚いた。

「僕にそこまで打ち明けてくれたサワムラ大尉だからこそ…お話ししましょう…。

ハヅキには言わないでくださいよ?男同士の話って事で…。」

『はぁ…』

隼人は気のない返事を一応しておいた。

大事な話なら葉月に言うつもりになっていた。

「僕が…葉月が帰ってこなくて揺れている間。夏の祖国帰国のための…長期休暇がやってきました。

帰る年もあれば…帰らない年もあります。今年は…葉月がいない日本にいるくらいなら

気分転換に…両親にも顔を見せようと…ふと・その気になって帰国する気になりまして…。

そこで…フロリダ校に通っていた際、同期生だった『事務科』にいた『妻』と久々に再会しました。

きっかけは…よくあるでしょう?夏期休暇を利用した『同窓会』ってやつですよ。

そこで…日本の空軍で働いている僕の所に『妻』が近寄ってきて…

『ロニーはミゾノ中佐と仕事をすることはあるのか』って聞かれたんです。」

「は!?奥さんの方が??葉月のことを聞いてきたんですか??

それって…どうゆう関係なのですか??」

すると…ハリス少佐はにっこり…慌てる隼人に落ち着いて微笑んだのだ。

それもなんだか幸せそうに。隼人の方が躊躇してしまう笑顔だった。

「最近。葉月を知ったあなたはご存じないでしょうね…。

ハヅキが十代だった頃…どんな少女だったかご存じですか??」

「………。良くは…知りませんが…彼女は自分のことを『男の子みたいな学生だった』と。

入隊してから…今のように髪を伸ばすようになったほど、学生の時は男の子に良く間違えられた…。とか?」

隼人が知らない葉月を、目の前のアメリカ人は良く知っているようで

隼人は妙な不安に包まれた。

ハリスはニッコリ笑って…そっと話し出した。

「彼女があなたに告げたとおりですよ。今みたいにスッと背が高くなくて。

紺色の詰め襟制服を着ていると本当に…美少年のような…ショートカットの小さい少女でした。

そうそう…彼女の甥っ子の…あの真一君みたいな感じでしたよ。

彼女が予備校生として13歳の時にフロリダ校に入校してきたときは

遠目で見ていた私も最初は…『男の子』だと思っていたぐらいです。」

(そんな昔の頃から…葉月を知っているのか??)

同じフロリダ校の出身だから…ないこともないかと…隼人は一応納得はすることにした。

「その男の子。」

ハリスがそこで…目の前の隼人を通り越すように…遠い眼差しで

隊長代理室の大窓から降り注ぐ日差しに視線を馳せた。

「いつも校舎の裏庭で…夕暮れ近くなると『ヴァイオリン』を弾いていました。

私の講義室のすぐ下でした…。おまけに…煙草も人目はばからず吸っていましたね。」

「13歳で煙草!?」

ヴァイオリンを弾いていたこともビックリだが…

そんな若い頃から…しかも構内で煙草を吸っていたことにはさすがに隼人も驚いた。

「ええ。そりゃもう…手の着けようがない…お嬢さんだったというか。

入校当時からかなり目立っていましたね。途中から角が取れて

トップの道をキチンと歩むようになっていましたが。そんな彼女を僕はずっと見ていたわけです。

彼女があの『ミゾノ一家の娘』と知ったときは驚きましたが、よく見ると可愛いらしい女の子でしたし…

哀しい目で弾くヴァイオリンは…どことなく惹かれる物がありました。」

「それ…葉月は知っているんですか?」

すると…ハリスはそっと微笑んで首を振った。

「窓辺からヴァイオリンの演奏を聴いてくれる『お兄さん』

それは彼女も覚えているでしょうが…それが『僕』と言うことは知らないと思います。

僕もあのときは今のようにヒゲがない19歳の少年でしたし。

19歳でしたから…彼女と同じ構内にいたのはたったの一年。

僕はその後…特校に編入しましたから彼女の目の前からはすぐに消えましたからね。」

「それ…どうして言わなかったんですか??」

そんな昔から『縁』があってどうして葉月に知らせないのかと隼人は不思議に思った。

「彼女の左肩の傷です。」

彼がその一言を言い出して…隼人はそっと引いてしまった。

(彼は知っているのか?何処かで聞いたのだろうか?)

緊張感が走った。

葉月は『彼には言っていない。言いたくないなら言わなくていいと言われたから』と言っていた。

「どうやら…あなたは…サワムラ大尉は知っているようですね?」

隼人は反応に困ったが…彼に口からキチンとしたことが解るまで平静を保った。

「僕には…彼女は言ってくれませんでした。いえ…。私が聞こうとしなかったんです。

聞くのが怖かったんです…。僕は彼女が13歳で暴れ者みたいに入校してきたことも。

13歳で堂々と煙草を吸っていたことも…裏庭で寂しそうにヴァイオリンを弾いていたことも…。

すべては左肩の傷のせいだと、彼女の肌を抱いて初めて知ったように思えました。

それまでは…『お嬢さん』と言うレッテルからはみだしたい、只の『反抗』だと思っていました。

彼女が13歳の若いときの姿を『知っている』と僕が言い出すと…

彼女がその時の自分を思いだして…イヤな思いをするんじゃないか…。

そう感じたから…ハヅキには昔から知っていると言うことは言えませんでした。

ここまで話したから…あなたにも隠さず言わせていただきますが…。

彼女が僕に初めて…その…肌を見せてくれたときの驚きは今でも覚えています。」

ハリスはそっと頬を染めて…栗毛をかきながらうつむいた。

そんなことは『元・恋人』解りきっていることだから隼人も何とも思わなかった。

問題は、葉月の左肩の傷を彼がどう受け止めたか…葉月がどう感じていたかだ…。

「僕は何とも思いませんでした。すぐに彼女の左肩の傷については『触れてはいけない事』と悟りました。

彼女は何度か僕に打ち明けようとしてくれましたが…僕がそれを避けていたんです。

どうしても知りたい…とは僕は思いませんでした。僕の中では…

ハヅキには『栗毛の可愛いお人形さん』でいて欲しかったから…。」

(お人形さん…)

隼人が『ウサギさん』と思っているような『例え』をこの男も持っていたようだ。

でも…隼人はこれでこの男と自分との違いが見えてきたように思えた。

ハリスは葉月の傷のことは知ろうとせず避けてきた。

隼人は葉月の傷を見て『知りたい』と言う衝動に駆られて葉月の口から告白させてしまった。

無理な告白をさせはしたが…隼人はそれを知って葉月をもっと受け入れたい・知りたい…

そうゆう衝動がさせてしまったが故の無理ではあったのだ。

ハリスは葉月を動かない…大人しいお人形さんにしようとしていた。

隼人の中では葉月はどこまでも飛び跳ねていく元気なウサギさん…。

彼との受け止め方が全く反対だった。

「その…『お人形さん』にしようとしたのが…僕の間違いでした。

僕は彼女が仕事にばかりかじりついていて…遠野大佐を引きずりながらもどんどん隊長らしくなると

彼女を閉じこめたい衝動に駆られたんです。

別れ話が出たのも…僕がハヅキを閉じこめようとしたからです。

彼女にもう少しで『プロポーズ』しようと言うところまで僕は思い詰めていました。

どんな男にも彼女には触れて欲しくないし…やっと手に入れた『お人形さん』だったんです。

遠野大佐のことも彼女は僕の目の前でかなり引きずっていましたが

僕としてはそんなこと解りきって彼女に手を出したわけです。

亡くなった男の事を思う彼女ごと受け入れる覚悟は最初からあったので

遠野大佐のことは最初から何とも思っていませんでしたから

彼女が引きずるまま好きなように放っておきました。

僕がどうしても…許せなかったのは…葉月のあるべき姿でした。

彼女は元気な男の子のようなパイロットの反面…。

僕と…いえ。僕の自宅でくつろいでいるときは本当にしっとりとした可愛い大人しい女の子で。

いつまでも窓辺の景色を遠い目で見ている眼差しはあの…

13歳の少年のような女の子だったあのときと少しも変わらなくて…

そのエキセントリックなお人形さんを僕だけが守ってやりたいとそう…おごっていたわけです。

ところが…彼女はひとたび軍服を着るとまた・元気良く外に飛び出して

やんちゃ坊主のようにかけだして僕の手の届かない『中佐』として出ていってしまう…。

だから…『中佐としてのハヅキでいたいのか…僕の側にいたいお嬢さんどっちなのだ』と

彼女に詰め寄ってしまったんです…。それが『別れ話』。

僕は結婚を決める前に妻にもこの事を話しました。妻は言いました。

『そんな男はミゾノ中佐を幸せには出来ない。彼女の良いところは…軍人であるところだから』って。」

隼人は『新妻』が事ある事に、彼の口から包み隠さず葉月のことを知る女として出てくるので

眉をひそめて、ハリス少佐の顔をのぞき込んだ。

「奥さん…って。いったい…どうゆう方なのですか??」と…。

すると、ハリスは『アハハ!』と笑い出した。

「そうそう。話がちょっとずれましたね。僕の妻。『エミリー』って言うんですが…。

僕と葉月は『誰にも知られないよう大切に付き合う』がモットーでしたので…。

僕も『お嬢さんと付き合っている』と騒がれるのは好きではなかったので

こっそり付き合っていたつもりなのに…。

エミリーが『ミゾノ中佐とは一緒に働くのか?』と尋ねられたときはドッキリしましたよ♪

『なんで…そんなこと…僕に聞くのか!?』と思わず慌てましたね」

彼は妻との出会いを高らかに笑って膝を叩いた。

『それで?』と、隼人はまだ・顔をしかめて彼に詰め寄った。

「妻はその時こう言いました。『他の誰が今のミゾノ中佐の側で働いているって言うのか』と。

確かに同期生のほとんどはフロリダ本部で本部員をしているか、同じ航空員かで…。

日本で働いているのはその同窓生では僕ぐらいなものでした。

妻のその質問には正直に

『ミゾノ中佐のフライトチームはメンテ員がついていないから良くサポートはする』とだけ言いました。

すると…エミリーの瞳が急に元気良く輝いて…。

『彼女は格好いいパイロットになっている?』とか『今はどんな男の子か』と…」

「『男の子』!?」

隼人が意外な彼の妻の質問に驚きの声を上げるとハリスはまた・笑い出した。

「ええ。僕もビックリですよ。『どんなBOYか』なんて聞くものだから…

『彼女は…髪の長い可愛い女の子だよ』と、今のあなたの顔みたいに眉をひそめてしまいました。

『可愛い女の子』としると…エミリーはガックリしましてね…。」

「がっかりって!?」

すると…ハリスは妻のことを思いだしているのかクスクス笑いを止めなくなった。

「つまり…妻も僕と一緒…。小さい男の子のハヅキを昔から知っていたんですよ。

なんでも?昔・夜、学祭のパーティーに出かけた際…

しつこい男に絡まれているところを…小さな腕っ節のいい男の子に助けられたとか…。

それがなんと…あの紺の制服を着たハヅキだったそうです…。

彼女はしばらくはハヅキのことを『男』と思っていたらしくて…。

栗毛のちょっとエキゾチックなクオーターの男の子に暫く熱を上げていたとか…。」

『はぁ!?』

隼人はどんな話だ!?とビックリ仰天した。

それほど葉月が今の姿とはかけ離れた『やんちゃ坊主』だったということだ。

「その後。彼女があの…ミゾノ将軍の娘と知って暫く落ち込んだそうです。

ちょっと憂いを秘めた美少年を今度は私が守ってやるのよと…かなり熱を上げていたらしくて。

それでも…ハヅキが女と知った後もやっぱり…『ファン』のままのようでしたね。

ハヅキが背が伸びて、大人びた顔になると益々気に入ったと言うことですよ。

結構笑えるでしょ…!僕の妻。話していて飽きることないんですよ♪」

今度は急に『のろけ』が飛んできて隼人は益々混乱をして…唖然としてしまった。

だが…ハリス少佐は笑いながら続けた。

「もう…おわかりでしょう?僕と妻の…『結婚』は…すべて『葉月』がきっかけなんですよ。」

今度は、葉月も聞いたことないだろう…元・恋人が離れていった訳…。

『結婚』が出てきて隼人は益々緊張をした。

だが。彼がここまで腹を割って隼人という葉月の新しい男に

すべてをさらけ出してくれている。

隼人もこれは葉月に代わって聞いておかねばならないような気がして…

葉月が『可哀想』と思えてくるかも知れないが。

どうやら。フランスとアメリカで違う夏を過ごして…

違う出会いと別れを決めた者同士。

葉月とハリスを引き裂いた日本以外にいた人間同士。

彼の妻は葉月をしっかり受け止めている。

隼人も…この男を彼の妻が元・恋人の葉月を受け入れたのと同様に

元・恋人の彼を受け入れておかねばならない気になってきた。

冷静に聞き分ける覚悟を決めて幸せそうな彼の口から出るだろう…

『のろけ話』を聞く心構えを整えた。